次の日、カルロ・ステファン大尉は、上官のコンドミニアムから文化・教育省の4階へ出勤した。彼が入口で緑の鳥の徽章とI Dカードを提示すると、守衛当番の女性軍曹が黙って仮職員パスをくれた。ケツァル少佐から既に話を通してあったのだ。ステファン大尉は「グラシャス」と言ってパスを受け取り、首に掛けると階段を上がって行った。いつまで経ってもエレベーターがつかないビルだ。階段の幅だけは広いので大勢が一度に通ることが出来る。
4階に到着すると、文化財・遺跡担当課の職員達が振り返った。数人の入れ替わりはあったが、殆どが顔見知りの職員だ。ステファン大尉は彼等と挨拶を交わし、ちょっと世間話をした。それから官舎から出勤して来たマハルダ・デネロス少尉の指図で業務に取り掛かった。彼は大尉で仕事の経験も彼女より豊富だったが、一応外部から来た助っ人だ。だから少尉の指示に従って仕事をした。
昼近くになって、4階オフィスの電話が鳴った。誰が取ると言う決まりはなく、手が空いている人間が出ることになっている。文化財・遺跡担当課の女性職員がその電話を取った。相手と少し話をしてから、ちょっと困った表情でデネロス少尉を振り返った。
「マハルダ・デネロス少尉、建設省から電話です。」
「建設省?」
デネロスは眉を顰めた。あまり馴染みのない省庁だ。民間で工事を行う時に遺跡が出土してしまうことがある。そんな場合に建設省と文化・教育省がどちらが優先権があるかと事務官で議論するが、大統領警護隊文化保護担当部にはあまり関係ない事案だ。隣の文化財・遺跡担当課に事案が回ってくるのは、文化・教育省の事務官が議論で建設省を負かした時になる。だから4階に建設省が直接電話を掛けてくることはなかった。あるとすれば、それは建設大臣マリオ・イグレシアスの個人的要件だ。
デネロスはチラリとステファン大尉を見た。ステファンが肩をすくめた。まだイグレシアス大臣はケツァル少佐を追っかけているのか、と内心呆れていた。少佐はもうテオドール・アルストと同居しているのに。
デネロスは仕方なく電話を取った。
「大統領警護隊文化保護担当部、マハルダ・デネロス少尉です。」
ーー建設大臣イグレシアスの私設秘書、シショカです。
予想通りの男の声が電話の向こうから聞こえた。イグレシアス大臣はケツァル少佐にデートを申し込む時、自分で電話を掛ける度胸がなくて、いつもこの私設秘書に掛けさせる。シショカは少佐が断るとわかっていても、仕事だから電話をする。
デネロスは先回りして言った。
「取り継ぎの職員が言ったように、少佐はお留守です。」
ーーそのようですな。マレンカの御曹司も出払っているのかな?
マレンカの御曹司とは、ロホのことだ。ロホが実家の名前で呼ばれるのを嫌うことを知っていながら、そう呼ぶのだ。つまり、これは、「一族が関わっている問題」だ。若いデネロス少尉にもその程度のことは察せられた。彼女は答えた。
「マルティネス大尉、クワコ中尉、ギャラガ少尉も外へ出払っています。」
では”出来損ない”しかオフィスにいないのか、とシショカが小さく呟くのをデネロスは聞いてしまったが、黙っていた。ここにステファン大尉がいると知れば、シショカは彼を挑発してくるだろう。シショカとステファンは犬猿の仲だ。
シショカと話をしている暇はないと思ったデネロス少尉は電話を切り上げようと思った。
「お役に立てなくて申し訳ありませんが、業務が立て込んでいますので・・・」
するとシショカがこう言った。
ーーファルゴ・デ・ムリリョ博士が今どこにいらっしゃるか、わかるか?
デネロスは一瞬にして緊張した。”砂の民”のシショカが”砂の民”の首領を探している。つまり、シショカの手に負えない事案が発生していると言うことなのだろう。
「博物館と大学に博士がいらっしゃらないのでしたら、私には見当がつきません。」
彼女はそう言ってから、言い足した。
「ケサダ教授になら連絡をつけられます。教授なら博士の行き先をご存じかも知れません。」
シショカが少し沈黙した。フィデル・ケサダは”砂の民”ではない。シショカが抱える要件に巻き込む必要がある人物だろうか、と考えているのだ。それに、シショカはケサダが苦手だった。口論したことも戦ったこともないが、向こうの方が力が強いと彼は感じていた。一族に害をもたらす人間を闇から闇へ葬る仕事をしているシショカは、対峙する一族の者の能力の強さを正確に把握する必要があった。だが、フィデル・ケサダの能力はどうしても測りきれなかった。同じマスケゴ族なのだから、彼と差がない筈なのだが。
カルロ・ステファン大尉が心配そうにデネロス少尉を見た。彼の耳にも電話から流れるシショカの声が聞こえていた。ケツァル少佐へデートの誘いかと思ったが、そうではないらしい。しかしデネロスに代わってくれとは言えなかった。ステファンを忌み嫌っているシショカは、ステファンが電話を代った途端に切ってしまうだろう。
やがてシショカは言った。
ーー出来るだけ早くケツァル少佐に連絡をつけたい。伝言を頼む。私に直接電話して下さいと告げてくれ。
電話が切れた。デネロスが電話を睨みつけた。
「それが他人に物を頼む言い方?」
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