2022/09/12

第8部 探索      16

  カルロ・ステファン大尉の携帯電話の着信音でテオは目が覚めた。 窓の外はまだ明るく、長屋の中庭で隣近所の奥さん達が小さな畑を前に喋っている声がガラス越しに聞こえた。懐かしくて挨拶しようかと思ったが、ステファン大尉の通話を邪魔してもいけないので、彼は我慢した。すると奥さんの1人が窓の際までやって来て、トマトとカボチャを置いてくれた。テオはグラシャスと手で合図を送り、彼女も笑顔で仲間の元へ戻って行った。
 ステファンは「スィ、スィ」と繰り返し、やがて電話を切った。

「少佐からでした。これからロホとロホの身内の長老の方と共にデランテロ・オクタカスの病院へ行かれるそうです。」
「病院?」

と聞き返してから、テオは理由を思い当たった。

「泥棒に頭を爆裂波でやられた警備員のところへ行くのか?」
「スィ。長老が対処法をご存じだと言うので、助けて頂くそうです。成功するか否かはやってみないとわからないそうですが、出来る限るのことはしてあげたい、とそのお年寄りが仰ったそうです。」
「有り難いなぁ・・・」

 テオは他人事ながら感謝を覚えた。ロホが実家へ帰った用事がそれだったのだと理解した。少佐もロホもステファンも爆裂波でダメージを受けた肉体の治療を行う指導師の修行をして資格を取っている。しかし、脳は並の指導師では対処出来ないのだとデネロス少尉が教えてくれた。恐らくロホは高度な技を習得した長老を探し出して、協力を仰いだのだろう。
 ステファンが時計を見た。

「少佐は今夜向こうで泊まりになるでしょうから、我々だけで飯を食いに行きましょう。それから、少佐は貴方は大学に戻って下さいと言ってました。私も明日から書類業務に戻ります。文化・教育省のオフィスで1人留守番ですよ。」

 デスクワークが苦手なステファンは苦笑した。彼としてはデネロス少尉に帰って来て欲しいのだが、少佐は彼女に帰還命令を出していない。デネロスはまだデランテロ・オクタカスや周辺の集落を廻って情報収集するのだ。聞き込み捜査は厳つい印象を与える髭面のステファンより、優しい女性のデネロスの方が有利だった。
 ギャラガ少尉はデネロスの助手だ。多分、用心棒の役割だろう。彼女は1人で十分強いのだが、見た目で威圧出来る男性が同行すれば余計な揉め事を避けられる。
 テオはアスルについてアスクラカンに行きたかったことをステファンに漏らした。

「あの街は、俺がエル・ティティに帰省する時の通過点だが、あそこでゆっくり街歩きした経験はないんだ。買い物はいつもグラダ・シティで済ませちまうし。アスルが市役所に行っている間、街中を見て歩きたかったな。」
「これからいつでも行けますよ。」

 ステファンは純血至上主義者が多いアスクラカンに余り長期滞在したくない。市街地はマシだが、郊外に行くとややこしい人が多いのだ。普通の人間なら問題ないのだが、”ヴェルデ・シエロ”ではそうはいかないのだった。”シエロ”は”シエロ”をすぐに嗅ぎ分ける。例え蔑み差別する対象のミックスでも、すぐ判別するのだ。
 可笑しな話だ、とテオは思う。”シエロ”だとわかるなら、同等の仲間と認めてやれば良いじゃないか、と。
 不思議なことに、ステファンはアスクラカンを好きになれないのに、彼より白人臭いギャラガはあの街をそんなに苦手としていない。その気になれば白人になりきってしまうのだろうか。
 それに、アスクラカンにはもう1人テオが忘れられないミックスの”シエロ”がいる。ピアニストのロレンシオ・サイスだ。プロ活動を辞めて個人と契約して教えるピアノの家庭教師をしているのだが、最近彼の過去を知るジャーナリストに見つかってしまった。シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者だ。彼女はサイスのピアノの才能を忘れておらず、彼にインタビューを申し込み、断られても熱心にアプローチを続けていた。困ったサイスがテオに相談を持ちかけて来たのが先月のことだ。テオはレンドイロに彼をそっとしておいて下さいと頼んだ。一時人気が沸騰して彼は心身とも疲れたんですよ、だから今は家庭教師で十分満足しているのです、今騒がれたくないんです、と。レンドイロはテロ事件の時にテオに助けられた恩義があったので、なんとか退いてくれた。テオはそれからサイスと会っていなかったので、彼がどうしているか、ちょっと覗きたかったのだ。

「次の帰省の時に、ちょっと寄り道でもするかな・・・」



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