2022/09/21

第8部 チクチャン     2

  文化保護担当部の業務は全て副指揮官のロホに任せてある。だからケツァル少佐は余計な口出しをして彼の顔を潰すことを決してしない。彼女自身の任務が終了する迄、本業を全面的に部下に任せてしまった。文化・教育省に立ち寄らずに彼女はビルの前でカルロ・ステファン大尉を拾うと、そのままハイウェイをアスクラカンに向かって走り出した。”ヴェルデ・シエロ”各部族の長老達が集まる偶数月毎の新月会議は既に終わっており、次の会議まで長老達は首都に来ない。だから少佐はサスコシ族の長老に会いに、これからアスクラカンへ行くのだ。ステファンはあの内陸の商都が好きでない。純血至上主義者が多い土地柄だからだ。しかし、アルボレス・ロホス村は行政区分ではアスクラカン市役所の管轄だった。それはこのセルバ共和国を裏で支配する”ヴェルデ・シエロ”の都合から言えば、アスクラカンの主力部族であるサスコシ族の一員がアルボレス・ロホス村に住んでいた可能性を示していた。だから少佐はグラダ・シティのブーカ族ではなく、アスクラカンのサスコシ族に最初に当って見ることにした。
 昼過ぎにアスクラカンのバスターミナルに到着すると、少佐はステファンに昼食を買いに行かせた。そして彼女は車内からサスコシ族の族長シプリアーノ・アラゴに電話をかけた。アラゴは昼食の最中で、突然のグラダ族の族長からの電話に驚き、また喜んだ。長老会議は2ヶ月毎に開かれるが、族長会議は年に1度だけだ。滅多に出会えない仲間からの電話と言うことで、楽しげに時候の挨拶を始め、ケツァル少佐は礼儀を守って辛抱強くお喋りに付き合った。やがて、

ーーところでグラダの友よ、今日はどんなご用件かな?
「サスコシの尊敬する兄へ・・・」

と少佐は礼儀上の呼称を使った。

「教えて頂きたいことがあります。貴方の一族に蛇を名乗る家族はいますか?」
ーー蛇?

 少しの間沈黙があった。アラゴは考え込んだのだろう。そして50秒程してから、答えた。

ーーサスコシに蛇を名乗る家族はおりませんな。
「では、チクチャンと言う名に心当たりはございませんか?」
ーーチクチャン? どこの国の名前ですか?

 アラゴに外国の考古学の知識はなかった。それにセルバ共和国に居住していないマヤ族の言葉も知らなかった。マヤ族がどう言う民族かは知っていても、その文化に関心がなかったのだ。
 ケツァル少佐は質問の方向を変えた。

「では、アルボレス・ロホス村と言う所をご存じですか?」
ーーアルボレス・ロホス・・・ああ、ジャングルの中に政府が造った入植村ですな。確か、泥に埋まってしまったと聞きましたが?
「スィ、その村に住んでいた人々が現在どこにいるか調べています。」
ーー”ティエラ”のことは役場でお訊きなさい。
「あの村に一族の人が住んでいたと言うことはありませんか?」

 電話の向こうでアラゴがちょっと笑った。

ーーどうしてサスコシがわざわざジャングルの奥地へ畑を耕しに行かねばならんのです?

 そして、ああ、と声を出した。

ーーチクチャンとか言う人が、その村に住んでいたのですな。
「スィ。それは役所の台帳で確認が取れています。その家族が何処へ行ったのか、知りたいのです。」
ーー生憎、一族の者でなければ私にはわかりませんな。
「長老にお尋ねしても、わからないのでしょうか?」
ーーマヤの名前を使う一族の人間がいたら、長老から族長に何か言ったかも知れませんが。白人の名前ならともかくも、そんな大きな勢力を誇った部族の名前を使うのであれば、何か呪術的なことをする家系でしょうから。

 ケツァル少佐はアラゴ族長に丁寧に礼を述べて電話を切った。
 呪術的なことをする家系、とアラゴは言った。それなら長老達が把握している筈だ。サスコシ族が知らないと言うなら、他の部族を当たらねばならない。
 ブーカ族は人口が多いが、殆どグラダ・シティ周辺に集まって住んでいる。ある意味、”ヴェルデ・シエロ”の中では一番近代化されている部族で、呪術で憎い相手に復讐を考えるとは思えない。
 オクターリャ族は世俗の争いに背を向けている。彼等なら呪術で復讐するより、時間を少しだけ遡って歴史を変えると言う形のテロを思いつくだろう。
 グワマナ族は東海岸の漁民が多いし、海辺の土地で生活している。わざわざ内陸のジャングルを開墾して畑を作ろうなんて思わないだろう。
 マスケゴ族も考えにくい。同じマスケゴ族のシショカが働いている大臣のところへ呪いの神像を送りつけるなど、命知らずも良いところだ。
 カイナ族も大人しいし、彼等はオルガ・グランデ周辺の乾燥地帯で暮らしている。だが、もし新しい農地を手に入れたいと思ったら・・・
 車のドアが開いて、カルロ・ステファン大尉が良い匂いを漂わせた紙袋を2つ抱えて入ってきた。

「ぼんやりして、どうなさったんです? 貴女らしくもない。」

 差し出された紙袋を、「グラシャス」と言って少佐は受け取った。

「考え事をしていました。サスコシの族長はチクチャンと言う名前の一族はいないと仰いました。では、どの部族なのだろう、と・・・」
「偽名でしょ?」
「セニョール・アラゴの考えでは、マヤ語で蛇を意味する名前を使うなら、呪術的なことをする家系だろうと。それなら族長が長老から教えられていない筈はありません。」
「ロホの実家みたいに有名な呪術師の家系ならともかく、庶民相手の占いや祈祷をする人なら、長老もいちいち気に留めないでしょう。」

 ステファンはバスターミナルの向こうに伸びる道を顎で指した。

「オルガ・グランデ方面へ行ってみませんか? 向こうにはカイナ、オエステ・ブーカ、それにマスケゴの残党がいる。」



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