2022/09/23

第8部 チクチャン     3

  テオはその日授業がなかったので、研究室で医学部から依頼された遺伝子の分析をしていた。遺産相続に関係する親子関係の鑑定依頼が最近多くなった。依頼される度に彼は心の中で「どれだけ隠し子を作っているんだ?」と毒づいていた。
 遺伝子マップを読み疲れたので、休憩のためにカフェに行くと、偶然考古学部のケサダ教授を見つけた。ケサダ教授はテーブルの上にタブレットと書物を広げ、仕事をしている様に見えた。テオは隣のテーブルに席を取って、「ブエノス・ディアス」と声をかけた。教授が顔を上げ、振り返って微笑んでくれた。

「ブエノス・ディアス。休憩ですか?」
「スィ。顕微鏡と遺伝子マップで眼が疲れたので。」

 そして新しい家族が増えた教授に、「おうちが賑やかになりますね」と言うと、相手は苦笑した。

「初めての男の子なので、娘達が大はしゃぎで、五月蝿いんですよ。」

 テオは4人の活発な娘達を思い出した。伝統を重んじる先住民の家庭で育った少女達は、お淑やかに見えるが、親が見ていないところではやはり普通の女の子だ。ケサダ教授の家庭では娘達はのびのびと育っているのだろう。

「ムリリョ博士はまだご機嫌ななめですか?」

 心配事を尋ねると、教授は首を振った。

「生まれてしまった者は仕方がありません。マスケゴの男として育てることに力を入れてくださるでしょう。」

 彼は小さくニヤリと笑った。

「アブラーンが、私の家を増築してやろうと申し出てくれたのです。息子が生まれる前は、あんなに反対していたのに。」
「息子さんの部屋を造ってくれるのですか?」
「スィ。しかし、息子が自分の部屋を持つ頃には、娘達が成長して家を出て行くでしょう。妻も私も娘達が家から出たいと言えば、結婚しようがしまいが、彼女達の自由にさせるつもりです。娘が出ていけば部屋が空きます。」
「では、断ったのですか?」
「そんな無礼なことはしません。義兄の申し出は有り難くお受けしますよ。娘のピアノの練習室が欲しかったのでね。」

 教授が楽しそうに笑った。テオも笑いながら、ふと思った。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは建設会社を経営している。所謂大手ゼネコンだ。ダムも造ったんじゃないか?

「教授、アブラーンの会社はダムを造ったことがありますか?」
「ダム?」

 教授はちょっと考え込んだ。義兄の会社とは仕事で接点がないので、テオの質問に直ぐに答えられなかったようだ。

「セルバでダムを必要とするのは西部の方ですね。ロカ・エテルナ社は主に東部でビルや港湾施設を建設していますから、西部のダムはオルガ・グランデの業者の縄張りではありませんか。」
「アスクラカンは・・・」
「アスクラカンはロカ・エテルナが入っていますが、市庁舎や教育施設が主だったと思います。アブラーンに訊いてみますか?」

 テオはマスケゴ族の主流家族を巻き込みたくなかった。家長は”砂の民”だ。ややこしくなりそうなことは避けるべきだ。

「ノ、教授がご存じないのでしたら、きっと大規模な工事でない小さなダムをロカ・エテルナ社が請け負うこともないでしょう。」

 ケサダ教授がじっとテオの額を見た。本当は目を見たいのだろうが、礼儀に反するし、テオは目を見つめられても”ヴェルデ・シエロ”に思考を読まれたりしない。だから教授は直接質問した。

「どこのダムのことをお訊きになりたいのです?」
「遺跡とかに関係ないダムです。」

とテオは言った。考古学者は遺跡がダムに水没することを心配すると思ったからだ。

「上水道とか、工業用水とか農業用水とは関係ないダムで、なんと言うか、土砂対策の砂防ダムです。」

 喋りながら、テオはある可能性を思い付いた。忘れぬうちに行動しなければ。彼は教授に「失礼」と断って携帯電話を出した。急いで押した短縮はアスルの電話のものだった。

ーークワコ中尉・・・

 アスルの声が聞こえたので、テオは早口で喋った。

「アルストだ。アスル、アスクラカン市役所でダムのことを調べただろ? 建設会社の名前を見たか?」

 アスルが数秒間沈黙した。そしてテオの言葉を確認するかの様に復唱した。

ーーダムの建設会社?
「スィ。ロカ・エテルナだったか?」
ーーそんな大手じゃない。アスクラカンの地元の・・・

 アスルが口を閉じた。彼も何かを思い付いたのだ。そして、「そうか」と呟いて、いきなり電話を切った。テオは電話を見つめた。言いたいことは伝わっただろうか。アスルは動いてくれるだろうか。
 気がつくと、ケサダ教授が書籍やタブレットを片付け始めていた。

「教授・・・」
「研究室に戻ります。」

 教授は鞄に書籍やタブレットを入れてしまうと立ち上がった。そしてテオを見下ろして囁いた。

「建設省のマスケゴが何かを嗅ぎ回っていましたが、貴方が追いかけているものと関係ありますか?」

 セニョール・シショカの動きを、考古学教授は知っていた。やはりこの先生はただの学者じゃない、とテオは緊張し、また感心した。

「彼の依頼でケツァル少佐が動いています。でも貴方を巻き込むつもりはありません。どうか無視してください。」

 

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