2022/10/16

第8部 チクチャン     24

  大統領警護隊の屋外運動場は金網を張ったフェンスに囲まれた、ごく普通の運動場だった。他の運動場と違うのは、その金網に結界が常時張られていることだった。一般人は金網に手を引っ掛けて運動場でサッカーの練習をしたり持久走訓練を行なっている隊員達を見物出来るが、隊員と同じ”ヴェルデ・シエロ”には手を触れるだけでピリリと来るし、乗り越えることは出来ない。その事実を考えると、”ヴェルデ・シエロ”の敵は同じ”ヴェルデ・シエロ”なのだと思える。大統領警護隊は一般人を恐れてなどいないのだから。
 フェンスの中の駐車場に車を乗り入れたロホは、ドアを開いて車から降りた。ギャラガも降車して、座席の背もたれを倒し、後部席のアスルとアウロラ・チクチャンを降ろした。運動場では警備班の非番組がサッカーをしていた。休憩をしなければならないのだが、息抜きも必要だ。最長2時間と言う制限があるが、彼等にとっては貴重なリクリエーションだ。ロホもアスルもサッカーが趣味だし、ギャラガもアスルに誘われて習い始め、今ではかなりのレベルに上達していた。3人の姿に気づいた何人かの隊員が手招きしたが、アスルが「仕事だ」と手振りで応えた。
 アウロラをベンチに座らせ、彼女の横にアスル、前にロホ、後ろにギャラガが立った。ロホが彼女に水を飲まないかと尋ねたが、彼女は首を横に振っただけだった。

「それでは・・・」

 ロホは警備班の隊員達がサッカーに興じているのをチラリと見た。頼むからこちらに気がつかないでくれ、と思った。女の気を散らして欲しくなかった。

「まず、君達、君とアラムの身の上とカスパル・シショカ・シュスとの関係から話してもらおう。」

 チクチャン兄妹の身の上は、ケツァル少佐がアラム・チクチャンから「心を盗んだ」内容とほぼ同じだった。兄妹が物心つく頃に一家はアルボレス・ロホス村に入植し、他の村人達と共に畑を耕していた。細い川が流れており、乾季は良い畑だったが、雨季になると川が増水して度々畑が水に浸かった。だから村は貧しいままだったが、食べるには困らなかった。下流に砂防ダムが建設された時は男達も女達も日雇いで働いて一時的に村は潤った。しかし、そのダムが土を堰き止めるようになると、畑に泥が溜まっていくようになった。それはじわじわと下流から上流へと上がって来た。雨が降り、増水する度に作物が泥に埋もれていく。村人達は行政に訴えたが、打つ手なしと言われた。村人達は一旦アスクラカン市街地に引っ越したが、耕作地と村を諦めきれなかった。チクチャンの父親と村の男達数名はダムの堰堤を破壊しようとして、警察に見つかった。彼等は酷い暴行を受け、留置所に数日間入れられた。戻ってきたチクチャンの父親は寝込んでしまい、やがて亡くなった。夫を失った母親も苦労続きで、無理をした挙句、仕事中の事故で死んでしまった。
 兄妹は祖父に育てられたが、遠縁の者だと言う男が現れた。それがカスパル・シショカ・シュスだった。祖父の姓がシュスだったので、祖父の母方の親族である男の息子と言うことになる。カスパル・シュスは兄妹に親切だった。兄妹が義務教育を終える迄面倒を見てくれ、仕事も見つけてくれた。彼自身はグラダ東港で荷運び人夫の元締めをしていた。兄のアラム・チクチャンは車の運転免許を取り、港でトラックの運転手として働いた。アウロラ・チクチャンは港の食堂で給仕の仕事をした。
 アラムは両親が死んだ原因となった砂防ダムの建設を決めた政治家達が許せないでいた。だが国の指導者達のところに殴り込みに行っても、相手に手が届くことはない。アラムは兄の様に慕うカスパルに相談した。

「カスパルは復讐に乗り気でなかったの。でも止めることはなかった。」

 カスパル・シュスは呪いを使うことを提案したのだと言う。
 ロホとアスル、ギャラガの3人は顔を見合わせた。カスパル・シショカ・シュスは”ヴェルデ・シエロ”だ。呪いを使わなくても、手を汚さずに敵を倒す方法ならいくらでも知っているだろう。だが彼はチクチャン兄妹に復讐させたかった。だから、能力を殆ど持たない兄妹に呪いの使用を持ちかけたのだ。アラムとアウロラは呪いの使用を勉強した。修道女に化けて国立博物館に勉強にも行った。そして、アーバル・スァットと言うピソム・カッカァ遺跡に祀られる古いジャガーの神像に行き着いた。
 一度目は欲深い白人の麻薬密輸業者の女に盗ませた。女を操るのはカスパルが担当した。彼が何故直接兄妹に盗ませなかったのか、その時兄妹は理由がわからなかった。だから悪党の女ロザナ・ロハスがしくじって別の標的に神像を送りつけてしまった時は、がっかりした。だがカスパルは慌てなかった。成り行きを見守れ、と兄妹に言った。

「カスパル・シショカ・シュスはアーバル・スァットの呪いの力を試したんだ。」

とアスルが呟いた。ギャラガも頷いた。

「そうだと思います。どう扱えば、自分達は安全か、あの神像がどれほど強い祟りをするのか、そして大統領警護隊があの神様を制御出来るかどうか・・・制御出来ない神様は危険極まりないですから、もし文化保護担当部の手に負えなければ、あの神像を諦めるつもりだったのでしょう。」



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