2022/10/06

第8部 チクチャン     17

 ケツァル少佐はベッドの上に横たわる男に声を掛けた。 

「私は貴方の傷を治す力を持っている。だがその前に私の質問に正直に答えて欲しい。一つでも嘘をつくと、私は貴方を助けない。承知するか?」

 男は小さく頷いた。額に脂汗を浮かべていた。かなり辛いのだ。
 少佐はバスコ医師が横にいることを気にせずに質問を開始した。

「貴方の名前を名乗れ」
「・・・ア・・・アラム・・・チクチャン・・・」
「アラム・チクチャン、ピソム・カッカァの遺跡からアーバル・スァットの神像を盗んだのは貴方か?」

 男は目を天井に向けた。少佐が黙って待っていると、彼は苦痛に顔を歪め、やがて声を出した。

「スィ。」
「アルボレス・ロホス村がダム建設で泥に埋もれた仕返しを目論んだのか?」

 男は小さく溜め息をつき、そしてまた顔を歪めた。脇腹の傷はかなり重症の様だ。

「警備員を爆裂波で襲ったのは貴方か?」

 すると、男は大きく首を横に振った。

「ノ!」

 少佐は彼の脇腹を見た。

「貴方を襲った人間と警備員を襲った人間は同一人物か?」
「スィ!」

 男は初めて首を動かして少佐をまともに見た。

「妹を助けてくれ! あいつは妹も殺すつもりだ。」

 少佐と男の目が合った。少佐は男に己の情報を一切与えなかったが、男の記憶を引き出した。つまり、「心を盗んだ」のだ。


 アラム・チクチャンと妹のアウロラは両親と共にアルボレス・ロホス村で貧しいながらも幸せな暮らしを送っていた。しかし、ダムが下流に出来て泥が畑を覆い始めると、貧困の度合いが酷くなり、村は離散せざるを得なくなった。チクチャン家はアスクラカン市街地に引っ越したが、仕事が見つからず、貧乏のどん底に陥った。父親は無理が祟って病死した。母親は力仕事に出ていたが、事故で亡くなった。まだ10代だったチクチャン兄妹は同じ村出身の老人と3人でなんとか生きた。その老人がある男と知り合った。男は彼に遺跡にある神像を使って呪いをかける方法を教えた。老人はピソム・カッカァ遺跡からネズミ型神像を盗み出し、ダム建設を指図した建設大臣に送りつけようとした。だが手違いから神像を実際に盗んだのは、老人から呪いの話を聞かされた白人の女だった。白人の女は神像を大臣ではなく別の人間に送りつけてしまった。
 チクチャン兄妹は老人が失意の中で亡くなるのを見守るしかなかった。貧困の中で、それでも懸命に生きていた彼等は、ある男から接触された。老人に神像の呪いを教えた男だった。彼はアラムにもう一度建設大臣への復讐を持ちかけた。大臣憎しの気持ちで、アラムは大臣が代替わりしていることを全く気にしていなかった。だから、妹と共に遺跡へ行き、神像を盗み出した。その時に同行していた件の男が、盗難に気づいて追ってきた警備員を、「手を触れずに」倒した。驚いているアラムとアウロラに、男は神像の扱い方を教え、グラダ・シティへ運ばせた。建設省に持ち込む時もそばに一緒にいた。不思議なことに周囲の人間には男の姿は見えなかった様だ。
 建設省に神像を置いて来たが、大臣が病気になったり死んだりしたと言うニュースはなかった。それどころか、イグレシアス大臣は元気でゴルフをしたり、各地の有力政治家と会合を開いたりして活発に活動していた。
 チクチャン兄妹は呪いの効果を疑い、いっそのこと直接大臣を襲撃することを計画した。しかし、それには件の男が反対した。意見の対立で、アラムは男を刺そうとしたが、何故かアウロラが兄に襲いかかってきた。アラムが必死に防御した結果、彼女は突然正気に帰り、兄を車に乗せて診療所へ運んだ。

 ケツァル少佐は大凡の経過を知った。チクチャン兄妹は貧しさ故に憎しみを建設大臣(誰でも良かったのだ)にぶつけようとした。彼等の面倒を見ていた老人も兄妹も、謎の男に唆され、神像の呪いを利用して大臣を亡き者にしようとした。謎の男は呪いで大臣(この男も大臣が誰でも良かったのか?)暗殺を企んだが、直接の殺傷は好まなかったのかも知れない。アウロラ・チクチャンは”操心”で動かされ、兄を殺害しようとして、男も爆裂波でアラムを殺そうとした。(あるいは、アウロラは爆裂波を使えるのか?)正気に帰ったアウロラが兄をバスコの診療所に運んで置き去った。アラムは男が妹を殺すのではないかと心配している。
 ケツァル少佐はアラムの記憶の中の男の顔に見覚えがなかった。そこで仕方なく、ピア・バスコに情報共有した。”心話”は一瞬で全て伝わる。ピア・バスコ医師の表情が強張った。

「随分嫌な話ですね。」

と医師が囁いた。少佐も同意した。バスコ医師は少し考えてから、少佐に告げた。

「患者の記憶している男の顔に、私も見覚えがあります。グラダ東港の荷運び労働者の元締めをしている男に似ています。名前は知りませんが、一度仕事中に怪我をした部下に付き添っていました。往診してくれる医者が見つからないとか言って、私が呼ばれたのです。あの時は一族の人間だとは知りませんでした。向こうも色々な医者に電話して最後に私を捕まえた様でしたから、私の正体は知らないかも・・・」
「ですが、アウロラは兄をここへ連れて来ましたよ。」
「患者にお金がなくても、夫は断らずに診療する主義です。この辺りでは、うちは案外有名なのです。」

 バスコ医師はちょっと苦笑した。
 それで、ケツァル少佐はアラム・チクチャンの治療を行うことにした。心を「盗まれた」アラム・チクチャンは気絶していた。

「これからこの人の患部に念を送ります。数秒ですが、私は無防備になります。」

 バスコ医師は彼女が求めていることを理解した。

「わかりました。私は微力ですが、この部屋に結界を張ります。」

 


0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...