”ヴェルデ・シエロ”が「電話では伝えられない」と言う場合は、十中八九”ヴェルデ・シエロ”に関係している事案だ。ケツァル少佐は二つ返事で、「行きます」と答え、電話を切った。そしてフロアに残っている職員達に「また明日!」と声をかけて階段を駆け降りた。駐車場に着いて、車に乗り込んでから、思い出してテオにメールを入れておいた。
ーーバスコの診療所に呼ばれました。
それだけだ。そして車を出した。バスコ医師と”ヴェルデ・ティエラ”の夫が経営する診療所はグラダ・シティの庶民が暮らす住宅地の中にある。大きな病院に行けない患者の為に簡単な手術もやってのけるクリニックだ。少佐が駐車場に車を乗り付けると、その日の診療は終わったばかりで、最後の患者が数人出て来た。看護師はまだ中にいるのだろう。少佐は医師が「すぐ」と言ったので、待たずに中へ入った。客が来ることを教えられていたのか、受付の女性が奥に向かって声を掛けた。
「ドクトラ、お客さんです!」
パタパタと足音がして、白衣のままのピア・バスコが出て来た。考古学教授フィデル・ケサダと同級生だった筈だが、苦労が多い人生を送ったせいで、ケサダ教授より老けて見える。彼女は双子の息子の1人を酷い形で失ったので、尚更老け込んで見えた。しかし、その目はまだ彼女のこの世での役割をこなしていこうとする力を失っておらず、輝いて見えた。
「よく来てくださいました!」
ピア・バスコはケツァル少佐の手を両手で握った。一族の正式な挨拶を忘れている様だ。少佐は気にしなかった。視線が合った。バスコが伝えてきた。
ーー怪我人です。一族の者ですが、訳ありらしく、他の病院へ行けないらしいのです。
怪我の手当てだけなら、バスコ1人で解決出来ただろう。しかし、訳あり患者は何か外に出られない理由があるのだ。そして診療所には、バスコの一般人の夫や家政婦や、看護師がいる。入院が必要な患者も1人抱えていた。バスコは彼等を彼女1人で訳あり患者から守る自信がなくて、ケツァル少佐を呼んだのだ。息子ビダル・バスコ少尉は本部勤務があるから来てくれない。
ケツァル少佐は言葉で尋ねた。
「怪我人に面会出来ますか?」
「スィ。」
バスコ医師は受付の女性と看護師に「片付けが終わったら帰りなさい」と言いつけて、それからケツァル少佐を奥の処置室へ案内した。バスコ医師の夫(正式には結婚していない)がベッドに横たわった男性の体に薄い上掛けを掛けてやるところだった。彼は優しく患者に話しかけた。
「今夜はここで泊まっていきなさい。後は妻が見てくれるから。」
彼は外傷の縫合を行った様だ。ケツァル少佐は男の腕に巻かれた包帯を見た。それから上掛けで隠れてしまった胴体に視線を移した。さっきチラリと見えたのは、爆裂波の傷ではないだろうか? バスコの夫は妻が連れて来た女性に気が付かずにベッドから離れた。バスコ医師は夫に”幻視”を掛けて少佐が見えない様に思わせたのだ。彼は妻に軽くキスをして、
「君も患者が落ち着いたら休みなさいよ。」
と優しく声を掛けて出て行った。ドアが閉まると、バスコ医師が静かにドアに施錠した。
「両腕に刃物傷、防御創です。」
彼女は両腕を己の顔の前に上げて見せた。そして脇腹を顎で指した。
「爆裂波による内臓損傷です。傷は私の力で治せましたが、呪いを祓うことが出来ません。」
ケツァル少佐は頷いた。”ヴェルデ・シエロ”の爆裂波による傷は細胞の損傷を完全に治すことが難しい。特殊な技術を習得した指導師と呼ばれる有資格者でなければ、崩れた細胞の修復は不可能だった。
バスコ医師が上掛けをめくって、患者の患部を見せた。右脇腹が腫れ上がっていた。肝臓のあたりだ。恐らく部分的に肝臓の細胞を破壊されたのだろう。放置すれば2、3日の内に死に至る。
患者は若い男だった。年齢は20そこそこと見えた。土色の顔をして浅い呼吸をしていたが、意識はあるようだ。ケツァル少佐がそばに行くと、目を少しだけ開いて、彼女を見た。しかし彼女の目は見なかった。
「聞こえるか?」
と少佐が尋ねると、わずかに首を動かして、肯定した。
「一族の者か?」
今度は首を左右に小さく振った。しかしバスコ医師が囁いた。
「彼は”心話”を使いました。私に傷の位置を教えてくれたのです。」
若者は先住民に見えた。一族でないと言いながら”心話”を使ったのであれば、一族の血を引く異種族ミックスだ。かなり血の薄い・・・。少佐は試しに訊いてみた。
「チクチャンか?」
若者が目を見張った。図星か、と少佐は思った。
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