2022/11/13

第8部 シュスとシショカ      11

  それから木曜日迄、テオにも大統領警護隊文化保護担当部にも事件の真相解明において何の進展もなかった。退屈な書類審査と近場の遺跡の見回り程度でケツァル少佐と部下達は過ごし、テオは教室で学生達に講義を行った。彼は学部長にヨーロッパでの学会出席を断った。

「学会で発表するような研究も発見もしていないのに、国の金を使って旅行するなんて図々しいことは出来ませんよ。」

と彼は笑った。学部長は、それならアルストが熱心に分析している遺伝子は一体何なのかと疑問に思ったが、言葉に出さないでおいた。この亡命学者は、大統領警護隊と親密な関係にある。そして彼の亡命には大統領警護隊が深く関与している。だから、余計な追求をしてはいけない。
 テオが学部長に言った言い訳は本当だ。テオには世界中の同業者の前で発表するような研究成果を何一つ上げていない。彼が情熱を注いでいる遺伝子の分析は”ヴェルデ・シエロ”のものだ。これは絶対にセルバ国外に持ち出せない。そして、もう一つ理由があった。
 水曜日の夕方、行きつけのバルで偶然シーロ・ロペス少佐と出会ったのだ。少佐は部下と仕事を終えて帰宅前の一杯を楽しみに来ていた。そしてテオを見つけて彼の方から声をかけてくれた。

「学会出席を断られたそうですね?」

と話題を振ってきた。彼は外務省に勤めている亡命・移民審査官だ。テオとアリアナが亡命する時に審査して、本国に「亡命を受け入れて良ろしいかと思われる」と意見書を提出した。そして亡命した後のテオ達の安全を管理する役目も負った。当然、テオがヨーロッパに行くかも知れないと言う話を文化・教育省から聞かされた。そしてテオが学会出席を蹴ったことも知らされた。
 テオは苦笑した。

「学会で偉そうに講義出来ることなんて何もしてませんからね。それに、俺が国外に出る時は護衛が付くでしょう? 人件費とか考えたら、税金の無駄使いです。実績のない学者を守るのに国民の血税を使うことは許されません。」

 ロペス少佐も苦笑した。

「そんなお気遣いは無用です、と言いたいところですが、実際のところ助かりました。貴方を貴方の母国から守るのに何人の護衛が必要かと考えていましたのでね。」
「俺はセルバから出るのが不安なんです。臆病者です。この国で十分です。」

 テオはもう学会のことを考えたくなかった。これ以上喋ると未練がましいと思われると感じたので、話題を変えた。

「アリアナの調子はどうです? 彼女はそろそろ仕事を控えた方が良いと思いますが・・・」
「ご心配なく、来週からリモートで仕事をするそうです。患者のカルテを電子化して自宅で画像診断するそうですよ。私は彼女にもう少し出産準備のことに集中して欲しいのですが。」

 テオは苦笑いした。

「彼女も言い出したら聞かない性格ですから・・・でも子供のことを大切に考えていることは間違いないでしょうから、信じてやって下さい。」
「勿論です。」

 ロペス少佐が部下達の方へ視線を向けたので、テオは彼を仲間に返してやらねば、と思った。

「俺はもう少ししたら帰ります。貴方をお仲間のところへ返さないと・・・」
「では、おやすみなさい。」

とあっさり少佐は退いてくれたが、別れ際にこう言った。

「貴方も早く子供を持ちなさい。ケツァルもそんなに若くないですから。」

 ケツァル少佐が聞いたらアサルトライフルでロペス少佐を撃つんじゃないか、とテオは思い、心の中で苦笑した。


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