帰宅して、ケツァル少佐の帰宅を待ってから2人は夕食を共にした。少佐がムリリョ博士の自宅訪問が明日の午後8時になったと告げた。
「夕食への招待と言う名目です。」
「じゃ、手土産が要るな。博士はワインなんて飲みそうに見えないけど・・・」
「博士は飲まれなくても、アブラーンは飲みますよ。」
ムリリョ博士は長男アブラーンとその家族と同居しているのだ。テオはマスケゴ族の家庭に招待されたことがなかったので、ちょっと緊張を覚えた。だがよく考えると、親友のロホやアスルの家族が住む家にも招待されたことがないのだ。
「俺が招待されたことがあるのは、ロペス少佐の家とカルロの実家だけだ。君達の一族はどんな客のもてなしをするんだい?」
少佐が肩をすくめた。
「特別な儀式などしませんよ。普通のセルバ人の家庭に招かれた時のことを思い出して下さい。料理も特別な物ではないでしょう。」
それでテオはワインを、少佐は女性の家族の為に菓子を持って行くことにした。食事の準備をしてくれるアブラーンの妻や娘達へのお礼だ。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは娘2人と息子が2人いると言う話だった。全員ティーンエイジャーで一番上の娘は大学生だ。但し、グラダ大学でなく私立の医学系大学だった。
おやすみのキスをする時、テオはそっと少佐の手を包み込んだ。一瞬少佐が怪訝そうな表情をしたが、テオは、
「銃を扱っているにしては可愛い優しい手だ。」
と言って誤魔化した。彼女の指のサイズを感覚で測ったとは言わなかった。
翌日、2人は普段通りに仕事に行った。テオはちょっとウキウキしていた。ムリリョ博士から聞かされるのは物騒な話題だと承知していたが、少佐とお出かけはデートだ。目的がどんなに危険なことでも、彼には楽しみだった。
シエスタの時間に、カフェでケサダ教授を見かけた。弟子のンゲマ准教授と数人の学生と一緒だった。教授はいつもと変わらず、今夜の食事に彼は呼ばれているのだろうか、とテオはふと思った。政治の話や犯罪の話に、博士は娘婿を巻き込みたくないだろう。それに息子のアブラーンも食事に同席してもその後の話し合いに加わると思えなかった。
待ち遠しい夕方になると、テオはさっさと仕事を片付け、アパートに帰って着替えた。ケツァル少佐も帰って来て、お呼ばれにふさわしい服装に着替えた。家政婦のカーラは夕食を作る仕事がなかったが、主人カップルが脱いだ服を洗濯すると言ってアパートに残った。
「明日は息子の学校へ出かけるので、出勤が遅くなります。ですから、その分、今夜働きます。」
仕事熱心な家政婦に、少佐はキスで応えた。
午後7時にテオは自分の車に少佐を乗せて出かけた。マスケゴ族が多く住む区域は白人の金持ちも住んでいるから、きちんと交差点などには標識があったし信号が設置されているところもある。この斜面に住める人々は裕福なのだ。途中で少佐が窓越しに一軒の階段状の家を指差した。
「あの家は白人の住居です。マスケゴ風の家の形が気に入って真似ているのです。」
「へぇ、見ただけでわかるんだ?!」
「ノ、金持ちの住宅を紹介する雑誌に載っていました。」
少佐がケロリと言い放ち、舌をペロリと出した。
「自宅を公開したがる人の気持ちがわかりません。強盗においでと言っているような物です。」
階段状の家は各階に出入り口がある。警備が大変だ。マスケゴ族なら結界を張っているのだろうが、白人や普通のメスティーソは無理だ。セキュリティ会社と契約しているのだろう。
やがてテオにも見覚えのある大きな家が見えてきた。
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