2022/11/28

第9部 シャーガス病     6

 「兎に角、僕はセルバのサシガメと近隣諸国のサシガメにどんな違いがあるのか調べる。もしサシガメに差がなくて、人間の方に違いがあるなら、別の研究者の仕事になる。」

 マイロはビールをグッと飲んだ。セルバ共和国のビールは軽くてソフトドリンクの様だ。彼は話題の方向を相方に変更した。

「君はどんな詩を研究しているんだい?」
「ああ・・・」

 モンロイがポケットから携帯を出した。

「僕は現代詩。街中で庶民が即席で歌い踊る、その歌詞を拾って歩いている。そしてそれが古くからあるこの国の民族の文化とどう結びついているか、どれだけスペイン、キリスト教の影響を受けているかを分析しているんだ。世の中の人々には何の価値もない研究だけどね。」

 彼が携帯を操作すると、低い音量で音楽が流れてきた。画面を覗くと、どこかの街中の通りで、職人が道端にテーブルを置き、その上で何らかの部品を修理している場面だった。職人は歌を口ずさみながらテンポ良く作業しているのだ。音楽はラジオや媒体から流れているのではなく、彼が作業する金属が醸し出している音だった。マイロは思わず目を輝かせてそのシーンに見入った。

「へぇ! 凄いや、この人のオリジナルの歌だよね?」
「スィ、この人はいつもこんな調子で歌っている。テンポは同じなんだけど、歌詞は毎回違うんだ。彼の即興だからね。そして次の日には、もう彼はこの歌を忘れている。だけど、勿体無いと思わない?」
「思う!」
「僕が録音していると、物好きだね、って彼は笑ったけどね。」

彼は記録再生を止めて、携帯をポケットに入れた。

「僕の教室の学生達は少ない。でもみんな熱心なんだ。歌の中には社会への不満や家族への愛が込められている。それを彼等と一緒に僕は分析している。」

 そんな文学もあるのだ、とマイロは内心感心した。シェークスピアやイェーツやサリンジャーを分析するだけじゃなく、庶民の言葉を研究しているのか。

「君はグラダ・シティの出身?」
「ノ、プンタ・マナってぇ、南の漁師町で生まれ育ったんだ。」
「親御さんは漁師?」
「ノ、漁師になれるのは生粋のガマナだけで、僕等は船のメンテナンスをする仕事や、バナナ畑で作物の管理や収穫をしている。それか、観光客相手の土産物屋やガイドだな。僕の親は親父が小さな造船所の職人、お袋は畑で働いている。」

 マイロは聞き慣れない単語を聞いた気がした。

「ごめん、僕はまだスペイン語が堪能じゃないんだが、ガマナって何?」
「誰が君がスペイン語堪能じゃないって思うかな?」

と笑ってから、モンロイは教えてくれた。

「ガマナ族って言う先住民だ。昔からプンタ・マナに住んでいて、古い伝統や言葉を守っている。漁業権を持っていて、プンタ・マナで漁師をやりたければ、ガマナ族に許可をもらわなければならないんだ。政府の先住民保護政策もあるけど、昔からの慣習でもある。」
「許可を貰えば、ガマナ族でなくても漁師が出来るんだ?」
「建前はね・・・だけど権利を買う料金が結構高いし、漁師の集まりに参加してもガマナ語が理解出来なければ話し合いに入れない。で、結局権利を手放してしまうことになるから、他の部族や他所者は漁師にならない。漁をやりたければ、プンタ・マナより北へ行くべきさ。」
「ふーん・・・君はガマナ語はわかるの?」

 モンロイが苦笑した。

「まず、ガマナ族の家族でなけりゃわからないな。発音も文法も難しいし、言葉だけでなくボディランゲージも入るんだ。全部覚えなきゃいけない。」
「じゃ、君はガマナ族の詩の研究はやらないんだ。」
「しない。したくても、彼等は教えてくれないってウリベ教授が言ってる。」

 訊かれる前に彼は説明した。

「ウリベ教授って言うのは宗教学部の先生で、民間伝承の祈祷や呪いの研究をしている女性だ。」

 そして、マイロにとってとても耳寄りな情報をくれた。

「ウリベ教授は農村や狩猟民族の風土病などを治療する呪い師などとも交流があるんだ。だから、君が研究している病気のことも知っているかも知れないぜ。」


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