ボリス・アキムの診療所は普通の民家というより、中古のアパートを買い取って改装した雰囲気の建物だった。青いペンキを塗ったドアは、少々色が禿げていたが、そんなに古くなかったし、荒れた雰囲気もなかった。ドアの上に「アキムの診療所」と書いた看板が設置され、ドアノブに「シエスタ」と書かれた札が下がっていた。医者は昼休み中だ。ここに住んでいるのだろうか? マイロはドアをノックしてみた。チャパが「シエスタ」の札の下部に小さく電話番号が書かれていることに気がついた。
「かけてみます?」
「スィ、頼む。」
チャパが己の携帯を出して、書かれている番号を入力した。だが呼び出し音が鳴る前にドアの内側でガチャリと鍵を外す音がした。チャパは入力を取り消した。
ドアが小さく隙間を開けた。
「急患?」
と女の声がした。マイロは素早く大学のI Dを提示した。
「医学者のマイロと言います。グラダ・シティから来ました。ちょっとだけドクトルに地元の患者の話をお聞きしたいのですが、今日はお忙しいでしょうか?」
ドアがさらに少し開いた。内側にチェーンが掛かっていて、それ以上は開かなかった。メスティーソの女性が尋ねた。
「手に取って見て良い?」
「どうぞ。」
マイロは首からストラップを外し、I Dを彼女に渡した。女性はそれを眺め、そして顔を上げた。目の白い部分が印象的に見えた。
「夫に見せてくるわ。待っててくれる?」
「スィ。」
ドアが閉じられた。炎天下で待つのは少し辛かったが、チャパが何も言わないし、周囲はそんなに治安が悪い様にも見えない。民家が立ち並んでいて、道路に家具を出して寛いでいる人が見えたし、立ち話している年配者のグループもいた。
5分程して、女が戻って来た。ドアを開いて、「どうぞ」と招き入れてくれた。
建物の中は涼しかった。南国の家は大概そうだ。石造りでも風通しが良い。アキムの診療所は煉瓦と漆喰の2階建に思えた。女性はその辺の女性達が着ている薄い袖なしのワンピースを同じように着用し、黒い髪を頭の上でお団子に結っていた。薬の匂いがしたので、看護師をしているのかも知れない。
マイロとチャパは待合室の様な部屋に通された。木製のベンチが2つと、古いテレビと大勢に読まれてボロボロになりかけた雑誌があるだけだった。その辺に掛けて待ってて、と言い置いて、彼女は再び奥に姿を消した。
「旦那は寝ているのかも知れませんね。」
とチャパが囁いた。
「ロシア人にも昼寝の習慣があるのかなぁ。」
「そりゃ、あるだろうさ。」
マイロは室内を見回しながら呟いた。清潔な部屋だ。サシガメが住んでいなさそうな空間だった。掃除が行き届いた待合室は、この診療所が繁盛している印象を与えた。経営者に余裕があるのかも知れない。
廊下を歩いてくる気配がした。マイロが振り向くと、薄暗い通路から1人のがっしりとした体格の40過ぎと思える男が姿を現した。額が大きく、後退している髪は赤毛だった。短い顎髭も口髭も赤い。日焼けしていたが、顔つきはいかにもロシア人に見えた。服装はTシャツにジーンズで、逞しい左腕に青い鳥の刺青があった。
「ドクトル・ミロ?」
「マイロです。」
マイロが名乗ると、男はアキムと名乗った。マイロは握手の後でチャパを紹介した。
「助手のホアン・チャパです。僕の研究室の唯一人の助手です。」
アキムはチャパに軽く頭を下げた。チャパはセルバ人の常識として握手を求めなかった。アキムもそれは承知なのだ。彼はマイロに視線を戻した。
「貴方の記事を医療ジャーナルで読みました。ここへはどんな御用です?」
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