2023/02/15

第9部 古の部族       21

  翌日、マイロはオルガ・グランデを出た。所持金を盗まれたし、セルバ共和国にシャーガス病が存在しないと言う伝説が嘘だと判明したからだ。アメリカへ報告されていたのは、東部の清潔な都会での話だった。郊外に出れば、病気は存在したし、患者も死者もいたのだ。
 帰りも車だった。ただ、同乗者が一人増えた。グラダ・シティに行くから乗せてくれと頼んで来た兵士がいたのだ。胸に緑色の鳥を象った徽章を付けた軍服姿の若い男だった。メスティーソだったが、チャパが大統領警護隊の隊員だと教えてくれた。太平洋警備室所属ブラス・オルニト少尉、と兵士は名乗った。

「本来は空軍の航空機で本部へ一時帰還する予定でしたが、空軍の整備が遅れているので、車で帰還することにしました。バスは週末にしか走らないので、便乗を願います。」

 「願う」と言っているが、この国で軍人に物を頼まれて断る人間はいない。最初から「乗せろ」と要求しているのと同じだ。チャパが囁いた。

「承諾して下さい。エル・パハロ・ヴェルデが一緒に居れば、どんなトラブルにも巻き込まれずに済みます。」

 生きている魔除けか、とマイロは思った。

「当然、ガソリン代は出ないんだろうな?」
「向こうは公務なので、普通は出ません。」

 微生物の研究も公務なのだが、と思いつつ、マイロは若い兵士を後部席に乗せた。兵士の荷物は足元の床に置かれた。しっかりアサルトライフルもあったので、マイロは余り良い気持ちがしなかった。
 道中、オルニト少尉は静かで、全く話しかけてこなかった。マイロがチラリと後ろをミラーで見ると、彼は寝ていることもなく只窓の外の風景を眺めているだけだった。
 往路と同じくバス事故の現場に来ると、チャパが車を停めた。短い祈りを捧げ、マイロが先に目を開けて後ろを見ると、兵士も殊勝に祈っていた。
 エル・ティティで水とガソリンを補給した。マイロは全てチャパに立て替えてもらっていたので、使用した金額をきっちりメモしておいた。
 夕刻、アスクラカンに到着した。宿を探さなければならない。するとオルニト少尉が携帯電話でどこかにかけて、それからチャパに道を教えた。

「もしかして、アスクラカン出身ですか?」

とチャパが尋ねると、少尉は「スィ」と答えた。

「乗せてもらった礼に、私の実家で泊まってもらおうと思うが、かまわないですか?」
「グラシャス。」

 思いがけず宿代がただになった。マイロは伝統的な先住民の家を想像したが、メスティーソのオルニト少尉の実家は普通の庶民が暮らす住宅地にある、普通のコンクリートの家だった。息子同様に口数の少ない父親と、陽気な母親はどちらもメスティーソで、突然の客を温かくもてなしてくれた。
 食事をしている間、オルニト親子が殆ど会話をしないことにマイロは気がついた。時々目を合わせるだけだ。しかし仲が悪い様に見えず、母親は嬉しそうだ。
 美味しい夕食で満腹になると、「狭くて申し訳ないが」と言いながら、少尉の個室で3人一緒に寝る準備が出来ていた。床にマットレスを敷いて、薄い毛布だけの寝床だが、家の中は清潔でサシガメの心配は不要だった。

「実家によく帰るのですか?」

とチャパが横になってから質問した。すると、初めて少尉が恥ずかしそうに笑顔を見せた。

「ノ、2年ぶりです。本当は航空機で帰る予定だったので、この帰省はない筈でした。しかし、飛行機が飛べないとわかり、太平洋警備室に報告すると、上官から、誰かの車に便乗させてもらえと指示がありました。その時、彼が言ったのです、途中アスクラカンで宿泊するようなら、実家に立ち寄って構わない、と。」

 厳しい表情しか見せなかった兵士が、普通の若者に見えた一瞬だった。マイロは彼を乗せて良かった、と思った。
 翌日、朝食の後で、オルニト親子は丁寧に先住民式挨拶を交わし、マイロとチャパには握手をしてくれた。最後に母親が息子をハグして、普通に親子の情愛を見せた。
 グラダ・シティまでの道中は順調で、首都に入るとマイロはホッとした。大統領警護隊本部前で、オルニト少尉は車から降りて、丁寧に敬礼でマイロとチャパに別れを告げた。
 

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