結局エンリケ・テナンの逮捕は翌日の新聞の片隅に小さく「密猟者逮捕」と出ただけだった。テナンが犯した殺人の話は載っていなかった。
「まだ2人逃亡中ですから。」
とケツァル少佐はテオに言った。
「逃げている2人が自棄にならないよう、報道を抑えているのでしょう。憲兵隊は2人の氏名と写真を持っていますから、各地の警察に手配しています。」
「すると”砂の民”が連中の名前や顔を知っていると思って良いのだな。」
「仕方がありません。彼等は実際に目撃したのです。テナンと一緒にサバンの遺体を焼いて、コロンの遺体をバラバラにした。粛清は免れません。」
「テナンも捕まったと言っても安全じゃないだろう?」
テオは麻薬関係で捕まった人間が口封じのために刑務所内で殺害される話を聞いたことがあった。麻薬組織と”砂の民”、どちらも執拗で執念深く、無慈悲だ。
テオと少佐は大学のカフェで昼食を共にしていた。少佐はいつも食事を取るカフェ・デ・オラスが臨時休業だったので、安くてボリュームがある食事を取れる大学のカフェに来ただけで、特にテオに用事がある訳ではなかった。テオも偶々売店で買った新聞にエンリケ・テナンの記事があったので、話題にしただけだ。
「今日はあの掃除夫は元気にしていましたか?」
「彼は総合学舎のロビーを掃除しているのを朝見かけた。ちょっと元気がなかったが、それは父親が密猟で捕まったからだろう。まさか殺人を犯しているとは分からない筈だ。多分、昨日の夕方帰宅してアパートの住人から父親が憲兵隊にしょっ引かれたことを聞いたに違いない。憲兵隊に問い合わせても、会わせてもらえないだろうし、説明も密猟のことだけだったと思う。」
「憲兵隊の一族の人は上手く誤魔化せたと信じています。テナンの記憶から殺人の部分を消すことは出来なくても、世迷ごとで済ませるでしょう。」
そしてちょっと怖いことを言った。
「テナンの父親を普通の殺人罪で済ませるために、逃亡中の2人には粛清を受けてもらった方が良いかも知れません。」
テオは無言だった。ジャガーが人間になった、と同じ証言を3人がしたら、面倒なことになる。それは理解出来た。一人だけなら、そいつはちょっとおかしいのだ、と言えるから。
ふとケツァル少佐が視線をテオの背後に向けた。一瞬彼女が警戒したことを、テオは空気の微妙な変化で気がついた。少し空気が固くなった感じがして、すぐに緩んだ。
「ブエノス・ディアス」
とケサダ教授の声が聞こえ、テオは後ろを振り返った。長身でハンサムな考古学教授が立っていた。但し、彼が声をかけたのはテオではなくケツァル少佐でもなかった。白いスーツに黒いシャツを着た建設大臣の私設秘書セニョール・シショカがいたのだ。テオはぎくりとした。シショカは筋金入りの”砂の民”だ。大学に何の用だ?
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