2024/04/21

第11部  紅い水晶     2

 「ブエノス・ディアス!」

 元気な若い女性の声に、アンドレ・ギャラガ少尉は書類から顔を上げてカウンターの向こうを見た。先住民の少女が立っていて、にっこり笑いかけていた。市内の高校の制服を着ている。ほっそりとした顔は、彼が以前彼女を初めて見た時とあまり変わっていない。でもちょっと背が伸びたか? ギャラガはドキドキしながら返事をした。

「ブエノス・ディアス、セニョリータ・アンヘレス・・・」

 彼が口に出した名前を聞いて、奥の席にいた上官がこちらを向いた。ケツァル少佐も彼女の名前を知っているのだ。
 アンヘレスは書類をカウンターの上に置いた。

「ラス・ラグナス遺跡見学の許可申請に来ました。お隣で学生証を見せたら、許可証は直接こちらで発行してもらえると聞いたので・・・」

 セルバ国内の学校の学生は大統領警護隊文化保護担当部の許可が出れば自由に遺跡見学が出来る。発掘ではなく、見るだけだから、協力金の支払い義務がないし、監視も付かない。但し、護衛も付かないので、安全管理は自己責任になる。
 ギャラガは申請書に書かれた名前を見た。

「ええっと、アンヘレス・シメネス・ケサダさん、許可証は直ぐに発行出来ますが、ラス・ラグナス遺跡がどんな場所かご存知ですか?」

 ラス・ラグナス遺跡はギャラガにとっても忘れられない場所だ。彼が文化保護担当部に入る前に初めて脚を踏み入れた遺跡で、彼が文化保護担当部に引き抜かれるきっかけとなった場所だ。セルバ共和国北部の砂漠の中にあり、国の歴史の中から抜け落ちた忘れられた農村の廃墟、廃墟と言うより殆ど無に還りつつある土地だった。その遺跡をひっそりと守ってきたサン・ホアン村は水脈の枯渇のせいで、2年前都市に近い土地に移転したのだ。その時、遺跡に祀られていた神像なども一緒に移転された。現在は本当に何もない、土塊同然の壁の残骸が残っているだけだ。そんな場所に高校生が何を見に行くのだ?
 アンヘレスが頷いた。

「砂漠でしょ? それに砂防ダムの建設で、もしかすると破壊されちゃうかも、ってアブラーン伯父様が言ってました。だから、お祖父様が最終チェックされる旅に私も連れて行ってもらうんです。」

 へーっと言いたげな顔をしたのは、ケツァル少佐と収支報告書作成をしていたマルティネス大尉、ロホだった。ラス・ラグナス遺跡に何もないことを知っていて、それでも無視しなかった考古学者は、ファルゴ・デ・ムリリョ博士だ。博士はアンヘレスの祖父で、国立民族博物館の館長でもあった。そしてギャラガの正規の指導教官だ。しかしギャラガにはラス・ラグナス遺跡視察の話は来ていなかった。恐らく他の学生にも知らされていないだろう。

「その旅は、博士の私的な旅行でしょうか?」

 少佐が声をかけて来た。ムリリョ博士と言えども遺跡に立ち入るには文化保護担当部の許可が必要なのだ。しかしまだ博士からそんな申請は出ていなかった。
 アンヘレスがニンマリと笑った。

「プライベイトな旅行です。多分、後から祖父も来ます。私は先に許可を頂いて連れて行ってもらうつもりです。」

 つまり、ムリリョ博士は孫娘を連れて行く計画を立てていないのだ、と大統領警護隊文化保護担当部は知った。


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第11部  紅い水晶     21

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