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2022/03/06

第6部 水中遺跡   5

  夕食を終えてモーテルに帰ろうと歩きかけると、3軒向こうの店から先ほどの大統領警護隊の隊員達が出て来るのが見えた。どうやらこのハイウェイ沿いの店を片っ端から調べているようだ。この分だとモーテルにも来るかも知れない。テオとカタラーニは隊員達がいる方向へ歩いて行った。隊員達は顔を寄せ合って何か確認し合っていた。”心話”を使わないのは何故だろう。近くまで来てしまったので、テオは無視するのも悪い様な気がして、思い切って声をかけて見た。

「ブエナス・ノチェス、パエス少尉!」

 元大統領警護隊太平洋警備室勤務の中尉だったルカ・パエス少尉が振り返った。テオがいることは先刻承知だ。

「ブエナス・ノチェス、ドクトル・アルスト。」

 ニコリともしない無愛想さも以前と同じだった。カタラーニも挨拶した。院生のことを少尉が覚えているかどうか不明だったが、返事をしてくれた。テオは質問してみた。

「誰かを探しているのですか?」

 パエス少尉と連れの隊員が視線を交わした。これは”心話”だ。パエスが答えた。

「海岸に乗り捨てられた車がありましてね、持ち主を探しているところです。」

 それなら警察の仕事だろうと思ったが、テオは意見を差し控えた。大統領警護隊が探しているのだから、何か普通でない理由があるのだ。彼は100メートル程先のモーテルを指差した。

「俺達の車はあのモーテルの駐車場にあります。12号室です。」

 だから、その部屋の客は乗り捨てられた車の主じゃないよ、と告げたつもりだ。パエス少尉が頷いた。
 別れを告げて、テオとカタラーニは宿に向かって再び歩き始めた。軍人達が4軒目の店に入ったのを確かめてから、カタラーニが尋ねた。

「あの人、中尉じゃなかったですか?」
「少尉だよ。」

とテオは振り返らずに答えた。

「大人の事情があるのさ、アーロン。」

 カタラーニはサン・セレスト村で起きた爆発事件を思い出した。事件の真相を彼は知らなかったが、爆発したジープのそばにいたパエスが何らかの責任問題に問われたのだろうと思った。それ以上詮索するのはセルバのマナーに抵触する。

第6部 水中遺跡   4

  洞窟内は湿っぽかった。想定内だったので、テオとカタラーニはヘッドライト付きのヘルメットを被り、手にもう一つずつ懐中電灯を持っていた。トカゲを捕獲したら収容するための容器も肩から提げていた。所謂洞窟探検ではないので、生物の有無を確認しながらゆっくりと進んだ。テオはケイビング用長靴を履いていたが、カタラーニはトレッキングシューズだ。水が溜まっている箇所ではテオが、少し岸壁を登って見なければならない場所はカタラーニが分担して探した。捕獲用網も持っているので、動くものを見つけると懐中電灯を置いて、網を構えて忍び寄る。
 何とか目標の2匹を捕獲したのは3時間も経ってからで、外に出ると互いに泥だらけになっていることを確認出来た。エベラルド・ソロサバル曹長は彼等を見て肩をすくめた。
 洞窟の外に駐車しておいた大学の公用車(かなり年季がいったピックアップ)の番もしてくれていたので、テオは着替える間も見張りを頼み、カタラーニと共に泥だらけの服を脱いで新しいシャツに替えた。

「グラダ・シティに戻られるのですか?」

と曹長が尋ねた。テオはクエバ・ネグラに宿を取っていると答えた。

「今日トカゲを捕まえられなかったら明日も頑張るつもりだったんだ。」
「そうですか。ミッションが成功して良かったですね。」

 曹長はガイド料は要らないと言ったが、テオが紙幣を2、3枚握らせると感謝して去って行った。セルバでは兵隊にコネを作っておけば、後でトラブルに巻き込まれた時に役に立つことが往々にある。
 宿はハイウェイ沿いのモーテルだった。チェックインしてシャワーを浴びてから、テオとカタラーニは夕食に出かけた。捕獲用ケースをもう一つ持って出たのには理由があって、洞窟の外の現地のトカゲを見つけたら捕まえるつもりだった。
 トラックやバスの運転手達で賑わっているレストランを見つけ、食事をした。周囲のドライバー達は国境ゲイトが夕食時間の2時間閉鎖になるので、その間に食べてしまうつもりなのだ。夜は午後9時になると閉鎖になるので、この日ドライバー達に残されている越境時間は1時間しかない。しかし誰もが暢んびり料理を味わっている様に見えた。

「観光客は少ない様だな。」

とテオが客の印象を述べると、カタラーニも周囲を見回した。

「そうですね。南部の海岸では観光客が多いですが、ここは運送業者ばかりに見えます。でも昼間は海岸で遊んでいる人を多く見かけましたけどね。」
「観光客が宿泊するのはもう少し南の方なのかも知れないな。」

 店の入り口に顔を向けたカタラーニが、あれ?と言う顔をした。

「見た顔だなぁ・・・」

 テオもそちらを見た。兵士が2人入店したところだった。食事に来たと言うより、客の顔を確認しているように見えた。その胸に光っているのは緑色の鳥の徽章だ。
 大統領警護隊か。
 テオもその2人の顔を見た。一人は知らない顔だったが、もう一人は知っていた。知っていたが、彼はカタラーニの手を抑えて囁いた。

「向こうから声をかけて来ない限り、知らん顔をしていよう。」

 カタラーニは怪訝な顔をしたが、テオの言葉に従った。相手は大統領警護隊だ。馴れ馴れしく近づくような人々ではない。テオは彼の手から己の手を引っ込め、食事の続きをした。
店員が大統領警護隊に近づき、声をかけた。お食事ですかとか、どういう御用件でしょうか、とか訊いているのだ。大統領警護隊でなくても制服を着て拳銃を持った人間が入り口に立ちはだかって店内を見ていたら、客が落ち着かなくなる。外にいる人も入って来ない。店にすれば、客として来てくれるのなら良いが、そうでなければ迷惑な訪問者なのだ。
 大統領警護隊は店員に何か言い、外へ出て行った。誰かを探していたのだ、とテオは思った。だけど、俺達には関係ない。

第6部 水中遺跡   3

  クエバ・ネグラは北部国境近くにある海辺の町で、南から伸びて来ているセルバ東海岸縦貫ハイウェイの最後の通過地点になる。町の北の出口に国境のゲイトがあり、大統領警護隊と陸軍国境警備班合同の国境警備隊が守っていた。街はゲイトの通過待ちをする人々の宿泊施設や警備隊の家族が住む住宅地、両国の間の荷物を運ぶ短距離運送業者の事務所などがあり、商店も並んでいて、国の端っことは思えない賑やかさだった。
 海には沿岸警備隊と陸軍水上部隊が哨戒艇を出して密入国者を警戒していた。ここでは経済水域がどうのとかややこしい外交の問題は政治家にうっちゃって置いて、漁民が隣国とトラブルを起こさないよう見張っているだけだ。
 クエバ・ネグラの名の由来は町の西にある「黒い洞窟」だ。黒っぽい岩の丘があり、その中腹にポッカリと洞窟が口を開けている。時々大昔の石の鏃とか動物の骨らしき物が出て来るが、遺跡とは認定されていない。鏃が出るのだから遺跡だろうとテオは思ったが、人間が生活していた痕跡がないので、「偶々」鏃が落ちていたのだろうとセルバ共和国の考古学界は結論つけたらしい。
 遺跡ではないが、洞窟内にはそこにしかいないカエルやトカゲ、昆虫などが棲息しており、文化・教育省はそれらの希少生物保護の為に洞窟内の立ち入りを期間限定の許可制にしていた。洞窟内に入りたければ、インターネットか文化・教育省3階の自然保護課に申請を出して許可証を発行してもらわなければならない。
 テオはクエバ・ネグラ・トカゲの採取に許可証を申請して発行してもらった。早速助手のアーロン・カタラーニと共に出かけたら、洞窟の入り口にはゲイトも見張りもいなくて、困ってしまった。仕方なく自然保護課に電話をかけると、ガイドが行くので待つ様にと言われた。

「セルバ人の僕が言うのもなんですが・・・」

と洞窟近くの茶店でお茶を飲みながらカタラーニが言った。

「ガイドは明日にならないと来ないんじゃないですか?」
「俺の電話番号を自然保護課に伝えてあるから、遅くなるならガイドから電話があるだろうさ。」

 テオもなんとなくセルバ的な時間の使い方に慣れてきたので、2人で屋外席から見える海を眺めていた。

「昔はあの辺りに岬があって、あの沖まで地面があったんですって。」

とカタラーニが腕を前に伸ばして海原を指した。

「海から来る来訪者を迎える屋敷や海の神様に捧げられた神殿が建っていたそうです。」
「あの沖まで?」
「スィ。でも8世紀か9世紀頃に大きな地震があって、一晩でその岬は消えてしまったそうです。」
「地震で地殻変動が起きたんだな。」
「恐らくね。うちのインディヘナの婆ちゃんが先祖からの言い伝えだって言ってました。」
「神様のご機嫌を損ねたとか、そんな話かい?」
「多分ね。地質学院の調査で地震があったことは断層とかで確認されていますから。ほら、この店の裏手の崖と、向こう側の崖、色が違うでしょ?」
「ああ、本当だ。岩の層も違うな。ずれている。」

 2人で喋っていると、ハイウェイから洞窟へ向かって上がって来る道を、1台のオフロード車が走って来るのが見えた。カタラーニが気がついて、手を額にかざして見た。

「兵隊が来ますよ。ええっと・・・国境警備隊ですね。」

 国境警備隊の兵士が何の用事だろうと思っていると、車は店の前で停車した。運転席に座ったまま、兵士がサングラス越しにテオとカタラーニを見た。

「グラダ大学の人?」
「スィ。」
「じゃ、これから穴に入りますか。」

 兵士は車を前に数十メートル走らせて、道端に寄せて停めた。テオとカタラーニは顔を見合わせ、それから店の中に声をかけてから、洞窟に向かって歩き出した。

「ガイドって、あの兵隊か?」
「そんな感じですね。ガイド料を取るのかな?」

 兵隊はアサルト・ライフルを抱えて待っていた。テオは声をかけてみた。

「文化・教育省自然保護課が洞窟へ入る時のガイドを呼んでくれると聞いたんだが?」
「スィ、私です。エベラルド・ソロサバル曹長です。」

 陸軍国境警備班だ。ヴェルデ・ティエラ、普通のメスティーソだ。テオは自己紹介した。

「グラダ大学生物学部遺伝子工学科のテオドール・アルスト・ゴンザレス、准教授だ。正規の名前はゴンザレスだが、アルストと呼ばれているので、曹長もそちらで呼んでくれ。」

 彼はカタラーニを振り返った。

「大学院生のアーロン・カタラーニ、学者の卵だ。」
「アーロンと呼んで下さい。」

 カタラーニは手を差し出した。ソロサバル曹長は普通に握手に応じた。それでテオも彼と握手した。

「ガイドと言うから民間人が来ると思っていた。」
「洞窟の内部へ入るガイドは民間人にいますが、私は入り口であなた方が無事に出て来るのを確認するだけですから。」

 砂と小石が混ざり合った歩きにくい道を登り、洞窟の入り口に着いた。

「俺たちの目的は、この洞窟内に棲息するトカゲなんだ。2匹ばかり捕まえて、大学に持って帰る。研究用の検体を採取したら、また洞窟に返す。トカゲ以外の動植物は採取しない。」

 テオは許可証を提示した。トカゲの何を調べるのか、兵士は質問しなかった。外で待っていると言うので、テオとカタラーニは彼をそこに残して洞窟内に入った。

 

第6部 水中遺跡   2

  4階のオフィスに戻ったロホは、上官ケツァル少佐の机の前に立ち、会議終了の報告を行った。短く、

「サン・レオカディオ大学から出された助成金給付申請は却下されました。」

と告げ、会議の内容は”心話”で行った。少佐は無言で頷いた。却下されたのは当然だと言う意思表示だ。ロホが報告書を文書化する為に己の机の前に座ると同時に、隣の文化財遺跡担当課の職員達が戻って来た。4階に残って業務に就いていた同僚達に会議結果を報告したり感想を述べたりして、4階フロアが賑やかになった。
 カウンター前に座っていたアンドレ・ギャラガ少尉は、指揮官が怒らないかと心配になって、そっと少佐の方を伺った。文化保護担当部は3人しかいない。乾季の終わりが近づき、オクタカス遺跡で行われている今季の発掘調査が終了するので、監視役のマハルダ・デネロス少尉は忙しい。初めての大役を果たしている彼女の援護に、上官のキナ・クワコ中尉、通称アスルもオクタカスに出張しているのだ。だから残っている3人はとても忙しい。
 ギャラガの手元には来季の発掘申請が山のように配達されるし、メールも送られて来る。彼はそれを最初に隣の文化財遺跡担当課へ転送する。本来はそっちへ先に送られるべきなのだが、外国の研究機関は大統領警護隊文化保護担当部の承認が最初に必要だと勘違いしていることが多い。ギャラガは申請か別の要件か判別・仕分けしなければならなかった。そして文化財遺跡担当部で発掘申請受理が決定された案件は、再びギャラガの元に送り返されてくる。彼はそれを開いて内容を吟味して、申請書類の不備がないか審査する。文化財遺跡担当課との2重チェックだ。そして護衛の必要がない遺跡調査申請は直行でケツァル少佐に届けられる。少佐はそれに許可の署名をして文化財遺跡担当課へ戻す。
 護衛の必要がある遺跡の場合は手順が複雑になる。反政府ゲリラや盗賊の出没が懸念される地域の遺跡だ。或いは、(大きな声では言えないが)呪いがかけられた遺跡の場合だ。ギャラガは護衛の規模を想定し、案件をロホへ回す。ロホはそれを見て、陸軍の人件費や装備費用を算定し、発掘隊が支払うべき協力金の金額を割り出す。ロホが作成した予算書を見て、ケツァル少佐が本当にその遺跡監視にそれだけの費用が必要か検討する。遺跡監視費予算に許される範囲であると判定すると許可、予算的に無理と判じれば、ロホに再検討を求める。ロホの計算でどうしても護衛の規模に変更を加えなければならないとなると、協力金が増額される。それを申請者が承諾しなければ、発掘申請は却下される。
 申請者に協力金増額の通知を出すのはマハルダ・デネロス、陸軍に護衛の警備隊を編成させるのはアスルの役目なのだが、2人共不在なので、残っている3人が手分けして業務を行う。超忙しいので、少佐はご機嫌斜めだ。ギャラガは隣の職員達の喧騒で上官が苛立つことを恐れた。少佐の足元にはアサルト・ライフルが置かれているのだ。
 ケツァル少佐が視線を隣の課へ向けた。ヤバい! とギャラガが危惧した時、階段のところに一人の男が姿を現した。

「ケツァル少佐!」

 少佐の公式名であるミゲールではなくミドルネームのケツァルを使う一般人は、考古学界の人間だ。文化財遺跡担当課が静かになった。客が少佐を呼んだからではなく、客の出現が原因だった。文化財遺跡担当課の職員が客に声をかけた。

「少佐に直訴ですか、モンタルボ教授?」

 ギャラガは馴染みがなかったが、サン・レオカディオ大学のリカルド・モンタルボ教授は真っ直ぐに彼が座っているカウンターのところへやって来た。そしてカウンターに両手をついて、奥に座っているケツァル少佐に呼びかけた。

「護衛は要りません! 船や装備はこちらでなんとか整えます。ですから発掘許可をお願いします!」

 文化財遺跡担当課の課長がうんざりした様子で言った。

「大統領警護隊が護衛の有無を検討する前に、こちらで申請を通さなければ話は進みませんぞ、教授。」
「しかし・・・」
「兎に角、予算見積もりを立ててから来て下さい。調査員の安全が保障される装備を整えられるのかどうか、貴方の予算見積もりから推定して、許可を出せるか出せないか、考えますから。」

 ギャラガは上官達を見た。少佐も大尉も既にモンタルボ教授に興味がなさそうに書類に関心を戻していた。
 ギャラガは教授に言った。

「正式な申請書を提出していただけないと、護衛の有無の判定は出来ません。」

 モンタルボ教授は白人に見える若い少尉を眺め、それから溜め息をつくと階段を降りて行った。
 文化財遺跡担当課の職員の中から囁き声が聞こえた。

「カラコルの遺跡を発見したとなれば、一躍名を挙げられますからね。」


第6部 水中遺跡   1

  文化・教育省はグラダ・シティの市街地にある雑居ビルに置かれている。2階から4階が省庁だ。2階には芸術振興課と文化・教育大臣のオフィスと大会議室がある。
 その日の午後、シエスタが終わってから、大会議室で文化財遺跡担当課と大統領警護隊文化保護担当部が会議を開いていた。会議室の前面のスクリーンにプロテクターで映し出された写真が出席者の注目を集めていた。

「クエバ・ネグラから1キロ沖の海底で発見された古代の建造物と思われます。」

とサン・レオカディオ大学の考古学教授リカルド・モンタルボが青い海底の一角をポインターで示した。サン・レオカディオ大学は私立の大学で文学部と歴史学部しかない小さな大学だ。そこで考古学を研究すると言うことは、常に資金難に悩んでいることを意味する。セルバ共和国は政策で遺跡保護を重視している稀な国だが、助成金の殆どがセルバ国立民族博物館と国立のグラダ大学考古学部に出されていた。私立の学校が助成金をもらえるのは、義務教育関係と医学・自然科学分野が優遇されており、文化系はちょっと分が悪い。サン・レオカディオ大学は裕福な家庭の子供達が通っているので、寄付金でどうにかやっていけているが、今回の考古学の研究費は助成金をもらわないと賄えないものだった。
 スクリーンの写真が拡大された。海底に平らな岩の板が綺麗に整列して横たわっていた。

「恐らく8世紀前半にセルバを襲った大地震で海に沈んだと言われているカラコルの街の一部ではないかと・・・」

 モンタルボ教授はさらに10枚ほどの写真を次々と映し出した。

「カラコルは伝説と思われていましたが、海底にある人工物が遺跡であるなら、調査が必要と思われます。」
「つまり、潜水して調べると?」

 文化財遺跡担当課の課長が尋ねた。モンタルボが頷いた。

「勿論です。」
「水中遺跡の調査の費用がどれだけかかるか、ご存じですか?」
「それは・・・」
「地上の同じ規模の遺跡を調査する10倍以上の資金が必要ですぞ。」
「勿論、船と潜水用具と・・・」
「保険もかかります。それに潜水時間は長くない。1回何時間ですか?」
「半時間? ですかね?」
「それで、1人1日何回潜れますか?」
「えー、2回、いや、3回・・・」
「2回です。調査員の安全の為にも、2回とします。」
「それでは調査が進まない・・・」
「だから日数がかかります。費用が嵩みます。10倍では済まないかも知れない。」

 文化財遺跡担当課は、水中遺跡の調査に助成金を出し渋っているのだ。地上の遺跡なら、助成金を出すのではなく、協力金と言う名目で調査隊の方が文化・教育省にお金を払う。水中遺跡の調査も協力金をもらうが、それより調査費の助成の方が大きくなる。採算が取れないので、文化財遺跡担当課は今回の調査に乗り気でない。
 大統領警護隊も同じだ。ジャングルや砂漠の遺跡調査ならゲリラや山賊から調査隊を護衛して、盗掘を見張るのだが、水中遺跡の場合は調査隊が出土品を盗まないか、港で検査するだけだ。海でサメや海賊を相手にしたりしない。それは沿岸警備隊の仕事だ。遺跡立ち入り許可を出しても協力金は地上遺跡の半額になる。文化保護担当部が調査隊に請求する協力金は、護衛を実際に担当する陸軍兵に支払う日当と陸軍に払う手間賃だ。手間賃は定額だが、日当は地上遺跡の半額になるので陸軍が良い顔をしない。兵隊を丸一日港で待機させるだけでお金も半分しかもらえないからだ。

「船や装備の準備を整えられると明確に証明出来れば、助成金の申請を出してもらって結構ですが・・・」

と文化財遺跡担当課の課長は言った。

「現段階では予算も立てておられないようだし、国から助成金を出す理由がありません。」
「スポンサーを探されては?」

と課員の中から声が上がった。

「国外から地上遺跡を発掘に来る調査隊はスポンサーを持っていますよ。」
「船舶会社や海洋事業に携わる企業に声をかけてみるのですね。」
「観光業者でも良いのでは?」

 お役人達から次々と現段階での助成金捻出は無理と言う意見が上がった。モンタルボ教授は、この会議の顧問として出席しているグラダ大学考古学部のンゲマ准教授に助けを求めるように顔を向けた。しかしンゲマ准教授はとろんとした眼差しで、スクリーンに映っている海底の石畳らしき物を眺めているだけだった。
 課長が大統領警護隊の席に顔を向けた。

「大尉のご意見は?」

 大統領警護隊文化保護担当部を代表して出席していたアルフォンソ・マルティネス大尉は協力金計算表から顔を上げて、一言呟いた。

「却下。」

 モンタルボ教授の顔がベソをかいたようになった。尤も大統領警護隊が文化財遺跡担当課から申請拒否が出た案件を通す筈がない、それは誰もが承知していた。文化財遺跡担当課の承認ありきで大統領文化保護担当部は発掘許可を出すのだ。文民の決定を軍が覆すことは決してない。平時なのだから。
 モンタルボ教授はノロノロと後片付けを始めた。プロジェクターの電源を切り、スクリーンを片づけ、書類を鞄に入れた。文化財遺跡担当課の職員達は既に席を立ち、大会議室から退出しつつあった。
 マルティネス大尉、通称ロホは誰よりも最初に部屋から出た。大概は文化財遺跡担当課だけで済ませる発掘検討会だが、今回は珍しい水中遺跡が案件となっていたので様子を見るために出席したのだ。彼個人としては水中遺跡に興味があったが、サン・レオカディオ大学は助成金が出るか出ないかを知りたかった様で、まだ具体的な調査計画も立ち上がっている様子がなかった。だからロホは内心がっかりしていた。船に乗ったことも潜水をした経験も皆無だが、海中の美しい画像を見るのは好きだ。調査をするならモンタルボ教授は記録映像を撮る筈だし、それを見てみたかった。だが実現は遠い話になりそうだ。
 ンゲマ准教授が彼の後ろからゆっくりと退室して来た。モンタルボとは知り合いの筈だが、失意の教授を慰めるほどの仲でないのかも知れない。それに国立大学の教授陣は私立大学の教授達とあまり交流がなかった。国の最高学府で働いているプライドがある。同国人の考古学者より外国の学者と連んでいる方が好きなのだろう。ンゲマ准教授はフランスの大学に顔が効くのだが、近年フランスの調査隊達は発掘中の事故や犯罪に巻き込まれてセルバ国内での印象が良くない。だからンゲマ准教授としては、名誉挽回も兼ねてフランス人にもっと活躍の場を提供したいのだ。
 ロホにとってンゲマ准教授は恩師ではない。彼の恩師のケサダ教授がンゲマを助手から准教授に引き立てたのは、彼が卒業した後だ。ンゲマはヴェルデ・シエロではないし、身内にも一族の血縁者はいない様なので、ロホはこの男性と馴染みがなかった。
 階段のところで、ロホは上へ、ンゲマは下へ向かう。2人は一瞬目が合った。礼儀としてンゲマ教授は素早く目を逸らし、無言で会釈して階段を降りて行った。

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...