2022/05/25

第7部 渓谷の秘密      9

  森の中の道はダートでぬかるんでいた。予想通り凸凹だし、車はエアコンの効きが悪かった。運転はテオ、ケツァル少佐、ロホの3人で交代にハンドルを握った。路面に轍がなければ引き返したくなるような道だ。途中で2度ほど分かれ道があり、真新しい轍がそちらへ続いていたので、2度目の当番で運転していたテオが危うくそちらへ行きそうになったこともあった。しかし助手席の少佐が軍用車両の轍でないことに気がついて、その分かれ道が別の家族の開墾地へ向かうのだとわかった。

「分岐点に標識ぐらい立てておけよな・・・」

 テオは独りで苦情を呟いた。ロホが本来の道に残る轍を見て、憲兵隊か陸軍特殊部隊でしょうと言った。

「大統領警護隊が訓練を終えて引き揚げた後、彼等も事件現場の臨場を終えて帰投したのです。」
「それじゃ、この轍を辿って行けば、殺人があった家に行き着くんだな。」

 正直なところテオは現場を見たくなかった。あまりにも無惨で酷くて悲しい事件だ。殺された夫婦は何故息子が凶行に及んだのか理解出来なかっただろうし、息子も己が親を殺してしまった記憶もないのに親殺しの罪を問われている。兄が親を殺してしまう場面を見てしまった弟はどんなに深い心の傷を抱えていることだろう。
 物思いに耽っていたので、大きくカーブを曲がったところで、対向車が来ることに気が付き、離合スペースがないことに焦ってしまった。
 オフロード車同士、顔を突き合わせて停車してしまった。まさかの対向車だ。テオが窓から顔を出すと、向こうも顔を出した。見覚えのある顔だった。テオは思わず声をかけた。

「君は確か考古学部の・・・」

 向こうもテオをじっと見つめてから、アルスト先生、と言った。名前を思い出せないテオの複雑な表情に気が付かずに、学生は助手席に座っていた兵士に何か言い、それから数メートル車をバックさせた。ぬかるみに車を入れ、テオ達の車を通してくれた。
 離合してから、学生の車がぬかるみから出られることを確認する迄テオは動かなかった。

「何処へ行くんだ?」
「デランテロ・オクタカスまで、買い出しですよ!」

 学生はそう言って、クラクションを鳴らし、走り去った。
 少佐が時計を見た。

「この時刻にここへ来たと言うことは、かなり早い時刻にキャンプを出たようですね。」
「買い出しは予定の行動なのだろう。兵士は護衛だな?」
「当然です。」

 奥地に大勢の人間がいるのだと確信が持てれば気が楽になった。テオは車のスピードを上げた。そして昼になる前に、一軒の家が前方に見えてきた。
 誰も来ない土地だが周囲に黄色いテープが張り巡らされていた。前庭は既に草が伸びかけており、車や大勢の人間に踏み荒らされた箇所がぬかるんで残っていた。テオはなんとなく鼓動が激しくなり、血圧が上昇する気分になった。ケツァル少佐が彼の雰囲気に気がついて声をかけた。

「大丈夫ですか? 私は何も感じませんが?」

 テオは深呼吸して、車を停めた。

「大丈夫だ。犯罪現場と思ったら、ちょっと興奮してしまった。」
「もう霊はここにいませんよ。」

と言いながら、ロホが早くも後部座席から外に出た。彼は黄色いテープをくぐり、規制線の中に足を踏み入れた。
 少佐も外に出たので、テオも出ようとすると、少佐が手で制止した。

「駐車場所を決めてからにして下さい。私が決めます。」

 現場の下見をロホに任せて彼女は周囲の地形を眺めた。そして少し進んだ場所に乾燥した平地があるのを発見して、そこに車を誘導した。周囲より高いと言う訳でなかったが、渓谷の尾根を形成している岩盤の端っこが露出している感じだ。少佐はそこの周囲に無数の轍があるのを見て、その場所が特殊部隊の野営地になっていたのだと見当をつけた。焚き火の跡を残さないのが、いかにも特殊部隊らしいが、少佐は敏感に炉の跡を見つけた。アデリナ・キルマ中尉は憲兵隊の護衛をしていたので、戦闘体制とは違って多少の気の緩みがあったのかも知れない。そこが大統領警護隊のスカウトから漏れた要因だろう、と少佐は想像した。少佐と中尉はほぼ同期の年代だが、少佐はいきなり大統領警護隊に入隊したので、陸軍の経験がなかった。キルマ中尉と同じ時間を過ごしていないので、彼女が新兵時代どんな様子だったのか、知らなかった。
 テオが車を停め、輪止めを置いて、野営の準備を始めたので、彼女は物思いから戻って彼の仕事に手を貸した。


2022/05/24

第7部 渓谷の秘密      8

  テオは都会育ちだ。そしてケツァル少佐もロホも都会育ちだ。しかし軍人2人はジャングルでの活動訓練をみっちり仕込まれていたので、テオは心強く感じていた。
 取り敢えず1週間の出張期間をもらって、テオは大学の仕事を休んだ。休講の間、学生達には各自自主研究を与えたので、戻ったらその検証をしなければならないが、土壌検査など実際にはしないのだから、時間はある筈だった。
 ケツァル少佐はマハルダ・デネロス少尉に発掘申請が通りそうな案件があれば、メールするようにと告げた。申請内容の写真を送れと言うと、デネロスが不審そうな顔をした。

「ジャングルでお仕事なさるのですか?」
「見るだけです。内容に不備がなければ、ロホにも見せます。」
「出来るだけ粗探しします。」

とデネロスは言い、上官達を笑わせた。
 テオ、少佐、ロホの3人は少佐が「公務」でチャーターした民間機に乗ってデランテロ・オクタカス飛行場へ降り立った。テオはその飛行場に来るのは3度目だったが、毎回ダートの滑走路をガタガタ走る飛行機の振動に不安を覚えるのだった。
 携行用保存食は都会で購入した方が安いので、到着した時点で大きな荷物を持っていた。現地の大統領警護隊格納庫の管理人がオフロード車を準備してくれていたので、それに荷物を積み込んだ。事件現場までは車で行くことが出来る、と聞いて、テオは内心ホッとした。殺人事件があった場所で寝泊まりするのは気持ちの良いものではないが、戦場で野営する兵士達のことを思えば、我慢するしかない。
 ロホが管理人にトロイ家の息子達の様子を質問していた。

「祖父と両親を殺害した長男はどうなった?」
「憲兵隊の発表では、精神錯乱と言うことで、病院に送られました。恐らく本人は何も覚えていないでしょうし、現在は正気を取り戻していますから、辛い現実を味わっているでしょう。逆にこれから精神に大きな負担を強いられることになるんじゃないですか。」
「悪霊の仕業だから釈放しろ、とは誰も言わないだろうしな・・・。」

 他者に優しいロホは少年の将来を想像して暗い目をした。事件がなかったことにするには、ニュースが全国に拡散されてしまっていた。アベル・トロイには一生親殺しの汚名がついて回るのだ。

「次男はどうなったか知っているか?」
「弟の方は叔父がいるので引き取られたそうです。その家でどんな生活をしているのか、俺達にはわかりません。」

 テオは聞くともなしに彼等の会話を聞いていた。格納庫の管理人はデランテロ・オクタカスの情報を大統領警護隊の為に収集する役目もしているのだな、とぼんやり思った。
 ロホは管理人に礼を言い、隊則で規定されている金額のチップを払った。情報収集は管理人の臨時収入だ。多分、普段は全く別の仕事をしていて、大統領警護隊が来る時に格納庫の掃除をしたり、備品を整えているのだろう、とテオは想像した。
 1日目はデランテロ・オクタカスの格納庫で泊まった。食事は村の食堂で取った。風呂はないので、管理人が公衆蒸し風呂を教えてくれた。ジャングルに入れば5日間風呂なしになるので、テオとロホはじっくり蒸されて寛いだ。少佐も女性の風呂に入って、そこでトロイ家や森に住んでいる先住民達の情報を仕入れた。
 2日目の朝、彼等はカブラロカ渓谷入り口の家に向かって出発した。

2022/05/23

第7部 渓谷の秘密      7

  文化・教育省は入居している雑居ビルの改修工事を行う決定を下し、工事期間中はシティ・ホールに臨時オフィスを設けた。シティ・ホールで行われるイベントは土日に開催されることが多いので、週末は机やI T機器の移動で大忙しだ。だから大臣は観客席の半分をオフィス代用に使い、半分だけ市民に開放することにした。
 大統領警護隊文化保護担当部は文化財・遺跡担当課と境界のない狭い空間に同居した。元々同じフロアにいる仲間だから、その件に関して問題はなかった。気に入らないのは、通路を隔てて他のフロアの部署がいることだった。それぞれのフロア毎に仕事のやり方が違うし、陳情に来る市民の要件も違うので、かなり騒々しい職場環境だ。こんな場合、下っ端が一番損をする。直接市民と接する仕事をしている彼等を置いて、上司達は早々に静かな場所へ逃げてしまうのだ。文化保護担当部もアンドレ・ギャラガ少尉とマハルダ・デネロス少尉が取り残され、ケツァル少佐とロホは出張を決め込んだ。その出張の内容が、悪霊を封じ込めた墓探し、と聞いて、ギャラガとデネロスは内心下っ端で良かった、と思った。監視業務と違って森の中を歩き回るのはかなりしんどい仕事だ。都会育ちのギャラガは気を放出していればヒルや毒虫が寄って来ないと承知してはいるものの、それでも慣れない。樹木で空が見えない、見通しが利かない薮の中を歩くのも好きでなかった。デネロスは大学の研究課題が図書館の古書を必要としていたので、都市から離れたくなかった。だから留守番を命じられて、2人共ホッとしたのだ。
 ケツァル少佐とロホはジャングルでの活動準備を整えた。参加要請の理由に納得出来ないテオドール・アルストも同行だ。

「遺伝子学者の俺が、どうして蟻塚の土壌分析を行わないといけないんだ?」

 少佐とロホが視線を交わした。”心話”だ。ロホが咳払いしていった。

「貴方は霊の声を聞けます。我々には聞こえない。」
「だけど、君達は霊を見ることが出来るじゃないか。」
「封印されている場所が破壊されなければ霊は出て来ないんです。我々の今回の任務は霊封じではなく、霊が封じられている場所を探して地図に載せるだけです。」
「つまり、俺は警察犬の役目をするのか?」

 少佐とロホが「スィ」と頷いた。

「土壌分析は大学に出張の理由を誤魔化す手段に過ぎません。」

 ロホは地質学の教室から借りてきた土壌分析のサンプル容器と薬剤が入ったキットをテオに渡した。
 少佐が机の上に地図を広げた。

「悪霊の被害に遭ったトロイ家の人々の行動範囲は大体このくらいです。」

 彼女は赤ペンでトロイ家の場所にバッテンを描き、それから地図上で半径5キロメートルの大きな円を描いた。

「これは狩猟の範囲ですから、農民の彼等は実際はもっと狭い範囲で行動していたと思われます。」

 彼女はタブレットで衛星写真を出し、拡大して見せた。

「畑がここ、これが現在の耕作地です。こちらの空き地が、次の開墾地の筈です。今回の悪霊はここにいたのだろうと推測されるので、この開墾地を中心に捜索します。」
「アスルやンゲマ准教授達がいる遺跡は?」
「この渓谷の奥です。」

 ロホがペン先で谷間の奥まった地点を指した。

「ここに准教授の見立て通りにサラがあるなら、ここで有罪判決を受けた罪人は処刑のために集落から離され、森の中の牢に入れられたのでしょう。処刑方法はいろいろありますが、”風の刃の審判”で重傷を負った人間が有罪になったのですから、瀕死の状態か、既に死亡して運ばれたと考えられます。牢がそのまま墓となったと推測しても構わないかと・・・」

 ロホは考古学の先輩のケツァル少佐を見た。少佐が頷いた。

「生き埋めにされた人が悪霊になった可能性が高いですね。」
「嫌な話だな。」

とテオは囁いた。

「トロイ家の人々はそんな昔のことを知らずに住み着いたんだな?」
「カブラ族は遺跡が建設された場所より移動して、本来はもっとデランテロ・オクタカスに近い場所に住んでいるのです。トロイ家はきっと30年前に政府が出した入植助成金をもらって開墾を始めたのでしょう。大昔、そこがどんな土地だったのか知識がなかったのです。部族も現在の場所に移住して数世紀経っていますから、先祖の土地で何が行われていたか、どんな土地なのか、言い伝えすら残っていないのです。」

 少佐は宗教学部で民間伝承などを研究しているウリベ教授から確認を取っていた。文書化された歴史の記録を残さない部族の研究は難しい。口述で聞き取るしかない。特に白人が入植してから移住や迫害、言語統制が行われ、多くの伝承が失われた。ウリベ教授はカブラ族の多くがスペイン語を話し、部族固有の言語を話せる人が殆ど残っていないことを嘆いていた。彼女が録音したのは5つの昔話だけで、生きた会話などはなかったのだ。
 テオは念の為に質問した。

「カブラロカに反政府ゲリラはいないよな?」

 少佐が答えた。

「多分。」



2022/05/22

第7部 渓谷の秘密      6

  ケツァル少佐が自宅アパートに帰ると、ちょうどテオドール・アルストがテーブルに着いてカーラの給仕で夕食を始めようとしていた。彼はカーラが玄関へ出迎えに行ったので、彼女が帰ったと知った。

「始めるのを待っているよ。」

と彼が声をかけたので、少佐は急いでバスルームに入り、埃だらけの服を脱いでシャワーをサッと浴び、新しいTシャツとざっくりしたコットンパンツに着替えてダイニングに入った。テオは律儀に料理に手をつけずに待っていた。カーラがスープを温かいのと取り替えましょうかと声をかけたが、構わないと断った。
 向かい合って、赤ワインで軽く乾杯した。

「今日は文化・教育省で大変なことが起きたんだってな?」

 テオがトイレ詰まりを思い出させる発言をしたので、少佐はちょっと顔を顰めた。

「明日もビルを使えないのであれば、場所を移して業務しなければなりません。省庁そのものを引っ越した方が良いでしょうね。」

 インフラ整備にお金をケチる政府に不満な少佐はワインをごくりと飲んだ。そして話題を変えた。

「今日は急な出張がありました。」
「うん、カーラから聞いた。」
「命令を出したのは、”名を秘めた女の人”です。」
「え?!」

 テオの食事の手が止まった。全く予想外の人物が出て来たので、驚いたのだ。少佐とママコナがテレパシーで会話出来ることは知っているが、ママコナから命令が出たなんて初めて聞いた。これは、この部屋の外でする話ではないな、と彼は感じた。カーラは慣れているのか、何も聞かなかったふりをして、メイン料理を出し終えると、帰り支度を始めた。デザートまで居るつもりはないのだ。テオは少佐に断り、彼女を階下迄見送り、タクシーに乗車するのを見届けてから部屋に戻った。
 少佐がメインの肉の塊を大小2つに切り分けていた。小さい方をテオの皿に取って、彼女は残りが載った皿を自分の前に引き寄せた。テオの肉の3倍はありそうだ。彼女は超能力を使ったな、とテオは思った。

「ママコナはどんな命令を君に出したんだい?」
「悪霊の浄化です。」

 即答してから、少佐は説明した。

「カブラロカ渓谷近くの地元民の家で殺人事件が起こりました。その家の人が森の中にあった罪人の墓を何らかの理由で壊してしまい、悪霊となった罪人の霊が少年に取り憑き、家族を殺害してしまったのです。」
「それは酷いなぁ・・・」

 テオは正気に帰った時の少年の心の傷を思い計って気が滅入りそうになった。しかし少佐は感情を交えずに説明を続けた。

「偶然大統領警護隊遊撃班と警備班が近くで軍事訓練を行なっていました。彼等は惨劇を逃れた子供を保護し、その子を追ってきた憑き物憑きの少年を捕え、カルロ・ステファン大尉が悪霊を木偶に封じ込めました。彼は自力で浄化する自信がなかったので、木偶を持ち帰って上官に任せようと考えたのですが、ママコナが悪霊が首都に入ることを嫌がり、私に悪霊を首都に入れるなと訴えて来たのです。」
「ちょっと待った・・・」

 テオは心に浮かんだ疑問を素直に口に出した。

「どうしてママコナは君に命令したんだ? カルロの上官はセプルベダ少佐だろ?」
「セプルベダは男性です。」

 とケツァル少佐は即答して、彼の質問を終わらせようとした。テオは、何故男では駄目なのか訊こうとしたが、少佐は話を続けた。

「私はデランテロ・オクタカスまで行く時間がなかったので、カルロにロカ・ブランカへ回れと命じました。カルロはエミリオ・デルガドと2人で仲間と離れ、ロカ・ブランカで私と合流し、ビーチで木偶に封じ込めた悪霊を3人の力を合わせて浄化しました。」
「浄化出来たんだな。」
「幸いロホの助力を必要とせずに済みました。」
「おめでとう。」
「でも、まだ森の中に同じような悪霊を閉じ込めた墓がありそうです。」

 テオは肉を噛みながら考えた。もしかして、この出張報告はここから本題に入るのではないか?

「もしかして、これから悪霊を封じ込めた墓を探しに行くのか?」
「探しておいた方が良いでしょう。全てを浄化させる必要はありませんが、今後地元民が避けて通れる印を付けておくべきです。」
「どうやって探すんだ? ジャングルの中だろう? それにカブラロカって、現在アスルが発掘隊の護衛で行っている奥地だよな?」

 テオの知識では、グラダ・シティからデランテロ・オクタカス迄は国内線の航空機で行き、そこからオクタカス遺跡迄車で半日かかる距離だった筈だ。飛行機は毎日飛んでいる訳でなく、定期便は週に2回、月曜日と木曜日だけ、後は農家などが共同で料金を支払って農産物を運ぶチャーター便が偶に飛ぶだけだ。車でグラダ・シティから行けば、実際の距離ではアスクラカンより近いが所要時間は倍かかる悪路だ。そのデランテロ・オクタカスの村からカブラロカ渓谷はオクタカスより遠いと聞いていた。
 少佐が彼に尋ねた。

「蟻塚が赤いと言うのは、土の色が赤いのですよね?」
「俺は蟻の専門家じゃない。だが、蟻塚は土で出来ているな、普通は・・・」
「赤土でないのに赤い蟻塚が出来ていたら、それが悪霊を封じ込めた墓だそうです。」
「誰が言ったんだ?」
「ムリリョ博士。」

 テオは黙り込んだ。この会話は、彼に墓探しに参加しろと暗に言っているのだ、と敏感に察しながら・・・。


2022/05/21

第7部 渓谷の秘密      5

  グラダ・シティに帰った時、まだ太陽は沈んでいなかった。明るい夕暮れの街中をケツァル少佐はセルバ国立民族博物館に向かった。博物館の事務室に事前に電話をかけると館長であるファルゴ・デ・ムリリョ博士は在館だと言うことだったので、面会希望を伝えて、返事をもらう前に博物館に行ったのだ。面会を拒否する連絡はなかったので、博物館の駐車場に車を置いて、館内に入った。平日なので博物館は空いており、職員が閉館時間迄まだ1時間あると言うのに、終業準備に取り掛かっていた。少佐は緑の鳥の徽章を提示し、入館料を払わずに中に入った。
 奥の事務室に入り、早くも帰り支度を始めている職員の間を通り、さらに奥の館長執務室の前へ行った。ドアをノックすると、「入れ」と声がした。
 ムリリョ博士は左の椅子にミイラを一体置いて、机の上に置いたラップトップで仕事をしていた。書類を作成しているらしく、ケツァル少佐が挨拶しても頷いただけだった。それで少佐はマナー違反になるが、彼女から要件を切り出した。

「カブラロカ遺跡について教えて頂きたいことがあります。」
「あそこは未調査だ。」

 ムリリョ博士は顔を上げようともしない。彼が急いで作成しなければならない書類とは、政府に提出する予算案だろうか、と少佐は考えた。セルバ共和国政府の公金支出の申請締め切りはとっくに終わっていたが、ムリリョ博士の様な大物は多少遅刻しても受け付けてもらえるのだ。

「あの遺跡はサラではないのですか?」
「ンゲマはサラだと期待して掘っているが、まだ結果報告が来ていない。」
「サラであった場合、処刑された罪人は何処に葬られたのでしょう?」

 ムリリョ博士の手が止まった。老”ヴェルデ・シエロ”は顔を上げて、少佐を見た。

「儂はあの場所が現役であった時代の風習など知らぬ。カブラ族の先祖が築いたのであろう。カブラ族に訊けば良い。」

 少佐の質問の意図を尋ねようともせずに、博士は再びラップトップの画面に視線を戻した。少佐はもう少しだけ粘ってみた。

「先祖の風習を知らなかった為に、カブラ族のある一家に悲劇が起こりました。」
「ならば・・・」

 博士はそれでも顔を上げてくれなかった。

「ウリベに訊いてみろ。あの女はそう言う風習を調べているのだからな。」

 彼は卓上の電話を取った。内線で誰かを呼び出し、

「大臣のアドレスは何だったか?」

と訊いた。この場合の大臣は文化・教育大臣だ。 大臣宛の書類だ。やはり予算案なのだろう。事務員の回答を聞き、博士は「グラシャス」と一言囁き、電話を終えた。そして教わったアドレスに書類を送信した。
 少佐はその作業が終るまで辛抱強く待っていた。ムリリョ博士は若い人々がどんなに長く待たされても気にしない。飽く迄我流を貫き通す人間だ。そして少佐も辛抱強い。相手の性格を知っているから、決して急かさないし、諦めない。
 博士が遂にラップトップを閉じた。仕事を終えたので、帰り支度を始めた。もうすぐ閉館時間だ。少佐が声をかけた。

「カブラ族の農夫一家が何らかの悪霊を知らずに目覚めさせてしまい、取り憑かれた若い息子が両親と祖父を鎌で惨殺し、逃れた弟も殺そうとジャングルの中を追ったそうです。弟は偶然大統領警護隊遊撃班の野外訓練部隊に遭遇して保護され、追跡して来た兄は部隊に確保されました。ステファン大尉と遊撃班が悪霊を若者から追い出し、木偶に封じました。ステファンは上官に浄化を依頼するつもりでしたが、ママコナが悪霊を首都に入れることを嫌がり、私が浄化を依頼され、ロカ・ブランカの海岸で処理しました。
 同様の悪霊がまだカブラロカ遺跡の近辺に封じられているかも知れないと懸念が残ります。探す手立てをご存じでしたら、ご教授下さい。」

 考古学の弟子として、”ヴェルデ・シエロ”の若衆として、少佐は博士に教えを請うた。博士は鞄に書類を詰め込みながら言った。

「赤い蟻塚を探せ。」

 それだけだった。

2022/05/19

第7部 渓谷の秘密      4

  ステファン大尉は海岸で直属の上官セプルベダ少佐に電話をかけて、彼とデルガド少尉が遅れて帰還する理由を報告した。彼等2人が他の部下達と別行動を取る旨は既に伝えてあったので、今度の電話の要件は木偶をロカ・ブランカで処理しなければならなかった理由の報告だ。”曙のピラミッド”の聖なるママコナが木偶をグラダ・シティに持ち込むことを拒んだと聞き、セプルベダ少佐は「仕方あるまいよ」と呟いた。

ーーあのお方は首都を守らねばならないからな。取り憑かれる人間が”シエロ”ならあのお方も直ぐに誰が被害者か察知出来るが、”ティエラ”が被害者の場合は誰に悪霊が取り憑いてしまうのか、あのお方も我々もわからない。実際に被害者が別の人間を襲う迄わからないからな。人口が少ない地方で被害を最小限に食い止めたいとお考えになられたのだろう。
「しかし、”名を秘めた女の人”が遊撃班でも警備班でもなく文化保護担当部の指揮官に処理を命じられたのは・・・」

 ステファン大尉は上官の顔を潰したのではないかと、心配した。しかしセプルベダ少佐はいつもの如く、カラカラと明るく笑った。

ーー私は女性ではないぞ、ステファン。当代のママコナは困ったことが起きれば、まずは女性達に接触なさる。きっと女同士互いに感応しやすいのだろう。厨房でも君達男ではなく女性隊員に食事の我儘を仰っていただろう?
「あー・・・そう言えば・・・」

 ステファン大尉は苦笑した。彼自身はママコナのテレパシーを読み取れないが、神殿が本部厨房と直結しているので、女官が文書で大巫女様の食事のリクエストを持って来ていた。但し、ステファンや男性の専属厨房係隊員ではなく、女性隊員宛てばかりだった。

ーー大きな声では言えないが、巫女様はお年頃の女性だからな。

とセプルベダ少佐は言った。生まれて直ぐに神殿に迎えられ、一度も外に出たことがない女性の人生をちょっと考えたのだろう。ママコナは世界を見る能力があると言われている。だがピラミッドの中で瞑想して見る世界ではなく、実際に海の音や草原を渡る風や山の厳しさを体験なさりたいのではないか、とステファンはちょっぴりママコナに同情を覚えた。古代から幾世代もそうして閉ざされた空間で一生を終えて来た女性達を思った。そして姉や妹やマハルダ・デネロスがそんな境遇に生まれなくて良かったとも思ってしまった。

「半時間休憩を取ってから、帰還します。」

 ステファン大尉は上官に告げて電話を終えた。
 砂浜の外れで、古い漁船の影に入ったケツァル少佐とデルガド少尉が休んでいた。悪霊浄化で力を使ったので、休んでいるのだ。少佐はロホにお祓いが無事に終わったことを連絡して、ステファンが近づくと、「貴方も休みなさい」と言った。ステファンは部下を見た。デルガド少尉はあろうことかケツァル少佐のすぐ横で猫の様に丸くなって眠っていた。長身を胎児の姿勢にして本当に寝ていた。ステファンが眉を上げたので、ケツァル少佐が少尉を庇った。

「グワマナ族のエミリオにすれば、さっきのマックス攻撃波はかなりの消耗です。大目に見てあげなさい。」
「わかっています。」

 姉の隣は俺の場所なんだ、とステファン大尉は心の中で毒づいた。デルガドに他意がないとわかってはいたが。それに今、少佐の隣が空いていたとしても、彼が座れば少佐は鬱陶しがるだろう。ステファンは少し離れた影の中に腰を下ろした。

「ドクトルと上手く行っていますか?」
「余計な質問はしなくてよろしい。」

と少佐はつっけんどんに言い、それから答えた。

「一緒に住んでいると言うだけで、以前と変わりませんよ。」

 つまり、上手く行っているのだ。安堵と嫉妬が同時に起きて、ステファンは未練たらしい己にうんざりした。テオドール・アルストとケツァル少佐の同居は文化保護担当部に何ら変化を齎さなかった。つまり、それだけあの北米からやって来た白人は仲間に溶け込んでいるのだ。アスルがテオと同居を始めた時も同じだ。寧ろそれまで宿無しだったアスルが遂に定住したか、と仲間達は安堵したのだ。ステファンが文化保護担当部から出て行った時の方が仲間のショックは大きかったのだ。
 少佐が優しい目で、眠るエミリオ・デルガド少尉を見下ろしていた。ステファンはふと不安になった。少佐がデルガドを文化保護担当部に欲しいと言い出したらどうしよう? デルガドは結構文化保護担当部の仲間に気に入られている。気難しいアスルさえ、彼を家に泊めるし、チェッカーの相手をさせるし、マハルダ・デネロスもデルガドには優しい。だがステファンにとっても頼りになる部下だ。超能力の強さが遊撃班で一番弱いグワマナ族にも関わらず、デルガドは努力と才能で他部族の同僚と同等の活躍をしてみせる。そこが純血種の凄いところだ。異人種ミックスのステファンには必要不可欠な補佐だ。

「エミリオをそんな目で見ないで下さい。」

 ステファンはついそう口に出して言ってしまった。少佐が彼を見た。暫く眺め、それから小さく噴き出した。

「この子を取られたくなければ、指揮官としての腕をもっと上げなさい。」

 姉らしい言葉を残して、彼女は立ち上がった。

「先に帰ります。貴方はもう少し休息が必要です。無理せずに戻りなさい。」


第7部 渓谷の秘密      3

  ロカ・ブランカに到着したのは昼過ぎだった。観光地として成り立っている町ではないので、ハイウェイから離れると店らしき施設は殆ど見当たらない。ケツァル少佐は前年に宿泊した宿屋へ行った。昼間は食堂として営業しているので、そこで軽く昼食を取った。女性の一人旅は珍しいのか、客や従業員の目を集めたが、彼女が持つ独特の雰囲気、つまり「この女は只者ではない」感じが男達に威圧感を与えた。それは決して彼女が尊大な態度を取ったのではなく、彼女が”ヴェルデ・シエロ”の気を放っていたからだ。普通の人間達は、彼女が何者か知らなくても気軽に近づいてはいけない存在だと、本能的に察した。気を放つことは”ヴェルデ・シエロ”にとって「気を緩めている」場合と「警戒している」場合とに別れるが、この時少佐は気を緩めていた。周囲に彼女の敵となりうる存在が何もなかった。
 デランテロ・オクタカスからロカ・ブランカ迄どれだけ時間がかかるのか見当がつかなかった。幸いシエスタと言う習慣があるセルバ共和国では、店がどんなに混み合って席順を待つ人が外で並んでいようが平気で店に長居出来る。そしてこの時、ロカ・ブランカの宿屋の食堂はガラガラだった。地元の人間が数人カウンター席で食事の後のお喋りに興じているだけだったので、少佐もコーヒーを注文して窓から海を眺めてぼんやり座っていた。
 沖にある白い岩が町の名前の由来だ。その岩に打ち寄せる波頭を見るともなしに眺めていると、宿屋の外で軍用ジープのエンジン音が近づいて来て停車した。
 少佐は顔を戸口に向けた。開放されたままのドアの向こうから1人の長身の若者がやって来た。大統領警護隊の制服を着ていたので、食堂内の人々の間に一挙に緊張が走った。その隊員の顔を見て、ケツァル少佐は立ち上がった。若者が彼女の前に来て、気をつけして敬礼した。

「遊撃班ステファン大尉、デルガド少尉、只今到着しました。」
「ご苦労。」

 少佐も敬礼を返し、店主に紙幣を渡すと釣りを受け取らずにデルガド少尉と共に外へ出た。ジープの外にステファン大尉が立っていた。デルガド少尉が彼と同行した理由を彼女は漠然と察していた、デルガド少尉はロカ・ブランカより南のプンタ・マナ出身だ。このハイウェイ周辺の地理や裏道に詳しかった。恐らく彼が進んで運転手を買って出たのだろう。
 ステファン大尉は少佐に敬礼すると、ジープの後部へ顎を振った。

「荷物はあちらです。」

 教えられなくても、少佐にもわかった。ジープの後部から黒ずんだ煙が立ち上っている様な感じがした。ステファンが宿に入って来なかったのは、荷物から離れたくなかったからだ。目を離すと危険な存在だと彼は認識していた。
 少佐が”心話”を求めると、ステファン大尉はカブラロカ渓谷で起きた殺人事件や森の中で部下達が見つけた少年、飛行場に現れた憑き物付きの若者の話を伝えた。

「すると、その憑いていた物を移した木偶を貴方は今運んでいるのですね?」
「スィ。私の力では浄化出来ません。上官にお頼みするつもりでした。」
「セプルベダ少佐が浄化出来るレベルではありますが、”名を秘めた女の人”がそれを首都に持ち込むことを拒んでいます。」

 少佐は悪い気が立ち昇る様を嫌そうに眺めた。デルガド少尉は沈黙していた。純血種の彼にも見えているのだが、指導師の修行をしていないので、憑かれるのを防ぐことは出来ても祓うことは出来ない。恐らくステファン大尉と2人だけの道中、背後にあんな悪霊を積んでいては気持ちの良いドライブではなかったろう。

「力は大きくありませんが、汚れの程度が酷いです。新しい汚れの下に古い汚れが山積みされている感じです。きっと古い墓か何かに手を加えてしまい、封じ込められていた悪霊を出してしまったのでしょう。」

 ケツァル少佐は周囲を見回し、それから海岸へ車を出すよう命じた。
 ビーチは静かだった。元々地元民しか来ない海水浴場だ。平日に泳ぐ人は少なかったし、その日は少し波が高かった。
 3人の大統領警護隊隊員は砂浜に打ち上げられていた乾いた流木などを拾い集めた。それを砂の上に積み上げ、問題の木偶を布に包んだまま木の上に置いた。3人で取り囲み、少佐は言った。

「聖なる光を頭に思い浮かべ、木偶を見つめなさい。ステファンは出せるだけの結界能力を使うこと。デルガドは攻撃だけを考えなさい。」

 少佐が火種を作り、積み上げた枯れ木の山の下に入れた。暫く燻ってから、火が上がった。ステファンとデルガドは命じられた能力をマックスで出した。もしこの場面を目撃した”ティエラ”がいたら、彼等が光の筒の中に取り込まれた様に見えただろう。
 ステファンが築くグラダ族の結界の中で、デルガドの爆裂波が木偶に送り込まれた。布に包まれた木偶から黒い煙の塊の様なものが浮き上がった。少佐がそれに向けて浄化の呪文を唱えながら爆裂波をぶつけた。
 ドンっと鈍い音が響いた。木端と砂が四方八方に飛び散った。一瞬太陽の様に眩しい光を発し、木偶は消えた。
 ケツァル少佐、ステファン大尉、そしてデルガド少尉は砂の上に空いた浅い穴を眺めた。焦げた木片が散らばっていた。集めた枯れ木が全て一瞬で燃え尽きたのだ。

「質問してよろしいですか?」

とデルガドが口を開いた。少佐が「スィ」と答えた。少尉が質問した。

「あれは何だったんですか?」

 当然の質問だった。少佐はステファンを見た。

「カブラロカ遺跡の近くで事件が発生したと言いましたね?」
「スィ。」
「カブラロカ遺跡はまだ調査が始まったばかりですが、”ティエラ”の遺跡です。ハイメ・ンゲマ准教授が発掘隊の指揮をしています。」
「警護指揮官はアスルですね?」
「スィ。この際アスルは関係ありません。ンゲマが何を遺跡に求めているか知っていますか?」
「ノ」
「サラです。」

 サラは古代の裁判所だ。オクタカス遺跡はサラで裁判を行うために囚人を収監したり、裁判関係の役人が住んでいた遺跡だと考えられている。カブラロカも規模が小さいだけで、同じ様な場所だったのだろうとンゲマは推測しているのだ。

「”風の刃の審判”で有罪が決まった人間は大概処刑されました。処刑されなくても、岩を落として怪我をする程度で罪の重さを測ったのですから、有罪者はほぼ全員死んだことでしょう。その死骸を何処かに埋葬したのだとしたら、そこを掘った者に悪霊が取り憑く恐れがあります。」
「殺害された農夫の家族は、その墓を知らずに開墾したと?」

 ステファンが推量を述べると、少佐は頷いた。

「恐らく、知らずに何か傷つけるか、壊すかしたのでしょう。そして若い息子に取り憑いた。私は先刻若い男の気配を一瞬感じました。犠牲者の取り憑かれた息子は、悪霊となった罪人と年齢が近かったのだと思います。」

 デルガドが身震いした。

「そんな墓がまだあの森の中に残っているのではありませんか?」

 少佐は頷いた。そしてンゲマ准教授と学生達の無事を案じた。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...