2022/07/25

第8部 贈り物     2

  最初はシャンペンで乾杯した。シーロ・ロペス少佐が招待に応じてくれたテオとケツァル少佐に感謝を述べ、それから客を招くことを許可してくれた父親に敬意を表した。それでテオもお招きに対する感謝を述べた。

「ところで、今日は何かのお祝いなのかな? 今ここで訊いても良いのかどうか知らないけど。」

 彼がそう言うと、驚いたことに、パパ・ロペスも言った。

「儂も知りたい。お前達は何を企んでいるのだ?」

 シーロ・ロペスが珍しく頬を赤らめた。彼が助けを求めるように妻を振り返ったので、アリアナが苦笑して、そして答えた。

「私達、子供を授かりました。今、3ヶ月です。」

 ほほーっとパパ・ロペスが声を上げ、ケツァル少佐が立ち上がってアリアナの席に駆け寄った。

「おめでとう!」
「グラシャス!」

 テオも思わずロペス少佐の手を掴んで激しく揺さぶった。

「おめでとう! 遂に父親になるんだな!」

 ロペス少佐は照れてしまい、小さな声で「まだ生まれていません」と呟いた。テオはパパ・ロペスにも祝辞を告げ、握手した。アリアナがテオに囁いた。

「素直に喜んでくれるのね?」
「当たり前じゃないか!」

 テオは彼女の前に立った。ケツァル少佐から彼女の前の位置を譲ってもらい、義妹を抱きしめた。

「血は繋がっていなくても、君は俺の可愛い妹なんだ。君に子供が出来たら、俺の甥や姪になるんだよ。俺は伯父さんになれるんだ!」
「シーロと私の子供・・・」
「どんな子供だろうと、素晴らしい子供に決まってるさ!」

 彼は改めてロペス少佐を振り返った。

「守るべき者が増えますが、貴方も体を大切にして下さい、少佐。」

 するとロペス少佐が言った。

「今日からシーロと呼んで下さい。私も貴方をテオと呼びたい。」

 テオは思わず堅物の少佐を抱きしめた。

「俺の弟だ!」

 ケツァル少佐はそれを微笑みながら見ていたが、彼女の耳にパパ・ロペスが何やら囁くと、頬を赤らめた。

2022/07/24

第8部 贈り物     1

  セルバ人は気さくに友達を自宅に招くが、”ヴェルデ・シエロ”が必ずしもそうであるとは限らない。大昔から周囲に自分達の正体を隠して生きて来たこの種族は、こいつは信頼できる、と確信が持てなければ自宅に招き入れない。大概の場合は、自宅近くのレストランなどへ友人を連れて行って、そこで奢ってあげる、と言うのが定石だ。メスティーソの人口比率が高い”ティエラ”(普通の人間)は、”ヴェルデ・シエロ”の一族を「少しばかり警戒心の強い伝統的な先住民」と見做しているので、気にしない。それに”ヴェルデ・シエロ”系のセルバ人は本当に数が少ないので、存在を気づかれることも滅多にないのだった。
 外務省出向の大統領警護隊司令部所属のシーロ・ロペス少佐がケツァル少佐とテオドール・アルストを自宅へ食事に招待した時、テオもケツァル少佐も正直なところちょっと驚いた。ロペス少佐は大統領警護隊の中でも堅物として知られており、彼と同期で仲が良かった隊員でもロペス少佐の実家に招かれたことがなかった。それが丁寧に日時の都合を尋ねて来て、土曜日の午餐の約束を取り付けたので、テオとケツァル少佐は何事だろうと訝しく思った。
 当日、テオは失礼にならない平服で花を、ケツァル少佐も軽い柔らかな素材のワンピースにワインの瓶を仕入れて、彼女の車で郊外にあるロペス家の邸宅へ向かった。
 ブーカ族の旧家であるロペス家はコロニアル風の一戸建てだった。白い土壁のフェンスに囲まれ、フェンスには蔦が絡みついて赤い花が咲き乱れていた。大邸宅と呼べるほどの広さはなかったが、門を入って駐車するスペースが5台分あり、庭は緑の芝生と花壇が美しく配置されていた。午餐会は蔦植物を這わせたパーゴラの下に設置されたテーブル席に用意されていた。ロペス少佐の妻のアリアナ・オズボーンとメイドが料理を並べていて、客の到着に気がつくと、家の中に向かってアリアナが声を掛けた。

「シーロ! いらしたわ!!」

 直ぐに玄関の扉が開き、軽装のシーロ・ロペス少佐が姿を現した。テオはプライベイトな招待の場合、軍人同士どんな挨拶をするのだろう、とちょっと疑問を抱いたが、2人の少佐は普通に先住民様式の挨拶を交わしただけだった。ロペス少佐は堅物だが、家族以外の男女が気軽に言葉を交わすことを気にしていない。また年齢の上下にもこだわらなかった。テオは彼と握手を交わし、招待に対する謝辞を述べた。そこへエプロンを外したアリアナがやって来て、今度はケツァル少佐とテオにハグで挨拶した。

「ところで、今日は何かのお祝いなのかな?」

 テオが義妹に尋ねると、アリアナは意味深に夫と視線を交わし、それから微笑んで「スィ」と答えた。
 リビングは涼しく、シンプルだった。普通の一般家庭と変わらず、テレビやオーディオセット、ソファなどが置かれていて、天井で大きなファンがゆったりと回っていた。ソファの真ん中で腰を据えてテレビを見ていたロペス少佐の父親が客を見て頷いた。ケツァル少佐は彼の前に行き、右手を左胸に当てて上体を軽く前に傾け、目上の人に対する挨拶をした。息子の結婚式で彼女とテオに既に会っていたパパ・ロペスはまた頷き、それから立ち上がって白人のテオに握手で挨拶した。旧家の当主が異文化の挨拶をしたので、テオはちょっと驚いたが、息子の少佐は特に驚いた風もなく、客と父親に庭へ出るよう促した。

2022/07/22

番外 2 その3

 登場人物紹介


第7部


デミトリオ・アレンサナ

”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子を持っているが、夜目しか使えない普通のメスティーソ。陸軍軍曹。


アダベルト・ロノイ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。大統領警護隊警備班第8班リーダー、大尉。


クレメンテ・アクサ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。大統領警護隊警備班第7班リーダー、大尉。


アベル・トロイ

先住民カブラ族の少年。悪霊に取り憑かれ、祖父と両親を惨殺してしまった。


エステバン・トロイ

アベルの弟。


アビガイル・ピンソラス

"ヴェルデ・シエロ”。外観は白人のブーカ系。外務省事務次官。


ペドロ・コボス

隣国ハエノキ村の猟師。恐らく古代に分派した”ヴェルデ・シエロ”の子孫と考えられる。


アリエル・ボッシ

外務省事務官。元陸軍軍曹。普通のメスティーソ。


ダニエル・パストル

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ系のメスティーソ。 コック。


ドミンゴ・イゲラス

普通のメスティーソ。運転手。


アランバルリ

隣国の陸軍少佐。 ”操心”と”感応”を使える。


ビーダ・コボス

ペドロ・コボスの母親。


ホアン・コボス

ペドロ・コボスの兄。


ナカイ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。大統領警護隊国境警備隊南方面隊指揮官少佐。



2022/07/21

番外 2 その2

 登場人物紹介

第6部 続き


アリリオ・カバン

憲兵隊クエバ・ネグラ駐屯地の大尉。


マリア・アドモ・レイバ

エル・ティティの住人。役場の職員。アントニオ・ゴンザレス署長の恋人。


ベンハミン・カージョ

”ヴェルデ・シエロ”のかなり血の薄い末裔。オエステ・ブーカ族。
インチキ占い師。


セフェリノ・サラテ

”ヴェルデ・シエロ”。オエステ・ブーカ族の族長。


マリア・ホセ・ガルシア

”ヴェルデ・シエロ”。オエステ・ブーカ系メスティーソ。 農夫。


マクシミリアム(マックス)・マンセル

アメリカ人。インチキ占い師。


ペドロ・ウエルタ

普通のメスティーソ。”ヴェルデ・シエロ”の命令で遺跡クァラの管理を先祖代々行って来た。


レグレシオン

反政府過激派組織。

番外 2 その1

第6部と第7部で登場した人々

 今回は登場順


第6部

リカルド・モンタルボ

サン・レオカディオ大学(私学)の考古学教授 。普通の白人。
海底遺跡カラコルの発掘に燃えている。


ハイメ・ンゲマ

グラダ大学考古学部准教授。普通のメスティーソ。
ケサダ教授の一番弟子。”風の刃の審判”を行うサラの完璧な遺跡を発見しようと焦っている。


エベラルド・ソロサバル

クエバ・ネグラの陸軍国境警備班曹長。 普通のメスティーソ。
観光ガイドも務める。


チャールズ・アンダーソン

アメリカ人。アンビシャス・カンパニー代表。 白人。


ロカ・デ・ムリリョ

”ヴェルデ・シエロ”のマスケゴ族の男性。故人。建設会社ロカ・エテルナ社のセルバ人としての初代経営者。


アブラーン・シメネス・デ・ムリリョ

"ヴェルデ・シエロ”のマスケゴ族の男性。ファルゴ・デ・ムリリョ博士の長男。
建設会社ロカ・エテルナ社の現経営者兼社長。


ベアトリス・レンドイロ

セルバ人。白人。文化系雑誌シエンシア・ディアリア誌の記者兼編集者。
「神様を見つける香水」アンブロシアの愛用者。


アイヴァン・ロイド

アメリカ人。 白人。動画配信会社代表。


レナト・オルテガ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。北部国境警備隊の指揮官少佐。クチナ基地常駐。


バレリア・グリン

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。北部国境警備隊指揮下クエバ・ネグラ国境警備隊の隊長。大尉。
太平洋警備室から転属して来たルカ・パエス少尉が仲間に馴染めないので心を痛めている。


カミロ・トレント

”ヴェルデ・シエロ”。マスケゴ系メスティーソ。
建設会社クエバ・ネグラ・エテルナ社経営者。


ホアン

普通のメスティーソ。クエバ・ネグラの漁師。観光船も経営している。従兄弟もホアンと言う名前。


オルベラ

グラダ大学文学部先住民言語学教授。 普通のメスティーソ。


エフライン・シメネス・デ・ムリリョ

”ヴェルデ・シエロ”。マスケゴ族。ファルゴ・デ・ムリリョ博士の次男。建築デザイナー。


カサンドラ・シメネス

”ヴェルデ・シエロ”。マスケゴ族。ファルゴ・デ・ムリリョ博士の長女。
ロカ・エテルナ社副社長。


アニタ・ロペス

クエバ・ネグラの観光ガイド。普通のメスティーソ。



2022/07/19

第7部 ミーヤ      10

  ンゲマ准教授とその学生グループが当初の予定より早く発掘調査を切り上げてグラダ・シティに戻って来た。完璧なサラの遺構を確認し、さらにカブラロカ渓谷の南に居住区の遺跡があると大統領警護隊文化保護担当部から知らされて、准教授は新たな発掘計画の見直しを考えたのだ。もっとも、一番の理由は渓谷の出口で起きた殺人事件のせいで学生達がちょっと怖気付いてしまったことだ。

「悪霊に取り憑かれた少年が祖父と両親を殺害した。だから更なる悪霊が発生するんじゃないか、と心配する学生や保護者がいるんですよ。」

と准教授は教授会で愚痴った。文系理系全ての教員が集まった教授会だったので、理系のテオも出席を義務付けられていた。大きな会場の大きなテーブルの遥か向こうでンゲマ准教授が調査報告をしているのを、ちょっと眠たいなぁと思いながら聞いていた。

「迷信に惑わされていては、研究は出来ぬ。」

 珍しく会議に出席しているムリリョ博士が呟いた。ンゲマは恩師の言葉に励まされた様に頷いた。

「そうなんです。ですが、過保護の親達からひっきりなしに電話が掛かって来るんです。どこで知ったのか知りませんが、警護の陸軍の衛星電話に掛けて来るんです。それで小隊長が怒ってしまいましてね・・・」

 恐らく学生の中に軍関係の親がいるのだろう。ムリリョ博士もその言い訳にはコメントしなかった。軍や政治家相手なら彼もどうにか出来るだろうが、不特定多数の保護者が相手ではお手上げなのだ。
 迷信などの民間伝承や民俗信仰の研究をしているウリベ教授が、「ここは一旦退いたのは利口でしたね」とンゲマ准教授を慰めた。それに勇気を取り戻したンゲマ准教授が来年の調査を範囲を広げて行いたいので予算を増やすことを考えて欲しいと言い、そこから議論が紛糾した。
 政府依頼の仕事に取り掛かっているテオは黙って座っていた。目下のところ大学から予算増額を図る案件はない。せいぜい備品の購入費をもぎ取る程度だ。
 果敢に戦っているンゲマ准教授の隣に座っている師匠のケサダ教授はダンマリを決め込んでいた。彼は東海岸沿いの古代の交易経路を調べ尽くし、目下のところ本を書こうとしていた。頭の中は本の内容構成を考えることでいっぱいの様子で、教授会も上の空だった。ハエノキ村とカブラ族の交易は物証が見つからず、文化的繋がりもこれと言って見つからなかったので、彼はミーヤを通る古代陸路を中心に研究をまとめるつもりだ、とギャラガが言っていた。
 教授達の予算攻防が続き、テオは数人の教員が逃げ出したのを見て、己もこっそり退席した。生物学部の予算は主任教授が何とかしてくれるだろう。お金の苦労をせずに育ったテオは、こう言うお金の問題を論じるのは苦手だった。誰かが決めてくれる範囲で、遣り繰りして研究する。それが彼がアメリカ時代からしてきたことだ。
 キャンパスのカフェでコーヒーを買って、空席を見つけて座ったところに、アスルがフラッと現れた。カブラロカ遺跡の警護が終わり、撤収して報告書を提出し、短い休みをもらったのだろう、私服姿だ。軍服を脱ぐと周囲の学生達に溶け込んでしまう若さだから、違和感がない。

「教授会ではないのか?」

 正面に座って、アスルが尋ねた。テオは肩をすくめた。

「逃げて来た。直接関係する話じゃないし、下っ端の俺が何を言っても無視されるからな。」
「あんた、まだ下っ端なのか? 遺伝子学者として有名なのに?」
「ほっとけよ。生物学部は主任教授が一番偉いんだ。セルバの旧家の出の人だしな。」

 ”ティエラ”の旧家や名家のことに関心がないアスルは、ふーんと言ったきりだった。テオは彼の仕事の方へ話題を向けようとした。

「撤収は上手く運んだかい?」
「まぁな。」

 アスルは面倒臭そうに答えた。

「悪霊が1匹いただろ?」

 そう言えば・・・テオは忘れていたジャングルの中で感じた嫌な気配を思い出した。

「あいつ、また出たのか?」
「発掘隊に近づこうとしたから、浄化してやった。」

 へぇ、とテオは呟いた。君にも出来るんだ、と。アスルは鼻先で笑った。

「あんな下級の悪霊なんざ、大統領警護隊なら誰でも浄化出来る。ただ、憑依された”ティエラ”が若過ぎたり、デリケートな性格だったりすると、厄介なことになる。あの少年に乗り移って親を殺した奴みたいにな。だからキャンプに近づかせないよう、こっちも気を張らなきゃいけない。」
「お疲れ様。」

 テオはカウンターを見た。

「コーヒー飲むかい? 奢るぞ。」
「コーヒーだけか?」

 アスルは壁のメニューを見た。

「あのでかいピザもいいな。」


第7部 ミーヤ      9

  10日経った。テオとカタラーニは隣国で採取した遺伝子の分析を何とか7割ほど終わらせた。残りは授業の合間などで片付けていくしかない。

「カブラ族との共通性って、セルバ国民との共通性って言うのと同じレベルですね。みんな同じだ。」

とカタラーニの助手を務めている学生がぼやいた。それに対してカタラーニが、

「そんなことを言っている内は、遺伝子学者としてはまだまだだな。要するに親族関係の分析みたいなものなんだから、もっと細部の違いを見るんだよ!」

とアドバイスした。テオは愛弟子の成長を頼もしく思い、微笑ましく見ていた。カタラーニだってテオに対しては似た様な愚痴をこぼしていたのだが、実際の分析作業に入ると真剣に学者の卵として仕事に励んでいるのだった。
 休憩時間にコーヒーを飲んでいると、テオの携帯に電話がかかって来た。見るとカルロ・ステファン大尉からだった。駐車場にいるので出て来れないか、と言う。テオは助手達に留守を頼み、すぐに研究室を出た。
 ステファン大尉は職員用駐車場の端にジープを停めてタバコを咥えていた。火は点けていない。最近は咥えるだけで吸わないようだ。自分で気の抑制が上手く出来るようになったので、口寂しいだけなのだろう。
 テオとハグで挨拶を交わすのも慣れてしまった。

「遊撃班の副指揮官がお出ましとは、また緊急の要件かい?」
「そうではありません。こちらからの情報提供です。」

 ステファンは周囲をチラリと見回した。

「例の3人の軍人の目的です。」

 ああ、とテオは言った。アランバルリ少佐と側近達は大統領警護隊に捕まって、それっきりテオ達に彼等のその後の情報がなかったのだ。所謂テレパシーで他人を操ることが出来る3人の隣国の兵士が、何の目的でセルバ共和国に仲間を求めたのか、それがテオと仲間達が知りたい情報だった。

「ドクトルは今回の調査の前に、隣国政府から依頼された仕事をされていましたね?」
「スィ。旧政権によって虐殺された隣国の市民の遺体の身元確認だ。比較する遺族の遺伝子の方が多過ぎるので、まだ半分しか判明していない。そこへ今回の仕事が割り込んだ。」
「申し訳ありません。自国の用事が優先で・・・兎に角、アランバルリはその旧政権の隠れ残党だったのです。」
「ほう・・・」

 それだけ聞くと、あの3人の目的がわかった様な気がした。

「もう一度政権を奪回しようって企んでいたのか?」
「あいつらは政治をする能力を持っていません。投獄された親戚を奪い返したい、それだけでした。」
「親戚を牢獄から出して、どうするつもりだったんだ? またクーデターでも起こすのか?」
「そこまでの考えはなかった様です。恐らく、亡命したかったのでしょう。偽造パスポートや資産の海外移動とか、そんな準備をしていた様です。武力で刑務所を襲えば大騒ぎになるし、亡命先に予定している国が受け入れてくれるとは限らない。だから”操心”でこっそり仲間を脱獄させて船で逃げる計画だったのです。いや、計画と言える段階まで立てていませんでした。仲間を増やそうと言う段階です。」

 テオは溜め息をついた。向こうはそれなりに真剣だったのだろうが、こちらも危ない橋を渡らされた。

「司令部が許したのかい、君がその情報を俺に伝えることを?」
「スィ。ペドロ・コボスが貴方を毒矢で射た件も関係していましたから。」
「え?」

 びっくりだ。コボスが国境を越えてセルバ共和国に侵入しテオを吹き矢で射たことと、アランバルリが関係していたのか? ステファンは続けた。

「アランバルリはコボスにセルバ人を捕まえて来いと命じたそうです。コボスが死んでしまったので、彼の行動は推測するしかありませんが、恐らく彼はケツァル少佐と貴方が一緒にいるのを見て、女を攫おうと思い、邪魔な貴方を排除するつもりで吹き矢を射たのでしょう。きっとロホの存在に気づいていなかったのです。ロホがいるとわかっていれば、先にロホを倒すことを選択したと思います。」

 テオはまた溜め息をついた。ペドロ・コボスはテレパシーで操られ、無駄に命を失ってしまったのだ。認知症の高齢の母親と引き篭もりの兄を残して死んでしまった。

「あいつら、自分達のことしか考えていなかったんだな・・・」
「スィ。だから政権の座から追い払われたのです。それを自覚していないのです。」

 ステファンもちょっと哀しそうだ。テオはコボス家の遺族に何もしてやれないことを残念に思った。

「アランバルリ達はどうなるんだ?」
「隣国に帰しても脱走兵として指名手配されちゃってますから、すぐ捕まるでしょう。大統領警護隊は密入国を図ったとして、向こうの国境警備兵に引き渡す段取りを整えているところです。」

 そして、学舎の方をステファンは見て尋ねた。

「遺伝子の分析の方は捗っていますか?」
「何とか・・・セルバ政府からも隣国政府からもボーナスを弾んでもらえれば、もっと早くやっちまうけど?」

 やっとテオとステファンは笑う余裕が出来た。



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...