2022/07/13

第7部 ミーヤ      4

  昔の勤務地の仲間達がそれぞれ新しい生活に馴染んでいることを聞いて、ブリサ・フレータ少尉は安心した様子だった。特に彼女と上官達が地位を捨ててまで守ったキロス中佐がすっかり健康を取り戻し、引退後の新生活に希望を持って臨んでいることを知り、喜んだ。
 フレータが昼食と検問所の雑事の為に休憩室を出ていくと、アーロン・カタラーニがテオを見た。”ティエラ”の彼が同席していたので、テオは太平洋警備室の元将校達の話を多少ぼかして説明したのだが、それがカタラーニにはちょっと不思議に聞こえたのだろう。しかしフレータにはちゃんと伝わったし、複雑な説明はギャラガが”心話”で補ってくれた。テオはカタラーニの問いかけるような視線を無視して、窓の外を見た。道路に列を作る車が少しずつ進んでいくのが見えた。検問を通ってセルバと隣国を往来しているのだ。
 カタラーニが溜め息をついた。

「僕等が西海岸へ行った時は、アカチャ族とアケチャ族の遺伝的共通性を調べるのが目的でしたね。今回は二つの国にカブラ族の末裔がいるかどうかを調べる目的です。地理的に末裔が共通して分布していて不思議じゃないと思います。どうして遺伝子を調べる必要があるのでしょう。狩猟民に限り、って条件をつけて行き来させれば良いと思いますけどね。」

 それが正論だろうとテオは思った。しかしセルバ共和国を裏で統治している”ヴェルデ・シエロ”達はカブラ族ではなく古代の”シエロ”の末裔の有無を調査したいのだ。それを表立って言うことは出来ない。だから彼は誤魔化した。

「政治家の考えていることなんて、俺達に理解出来る筈ないじゃないか。」

 カタラーニが何となくセルバ人らしく納得したので、ギャラガがホッとした表情をした。テオはちょっと可笑しくなって、外の空気を吸いに外へ出た。ミーヤの街は賑やかだ。大きな建物はないが、国境の街らしく商店が多く、貿易会社の支店もいくつか看板を出していた。隣国はセルバ共和国と農業と言う点ではあまり産物に違いがなく、農産物の取引はそんなに多くない。地下資源も似たり寄ったりだが、セルバは金鉱があるので金製品を扱う店がいくつか見られた。どちらかと言えば南の隣国の方が店が少なく、日用雑貨を仕入れに隣国から商人がやって来る。
 テオはミーヤ遺跡は現在どうなっているのだろう、と思った。小さな遺跡で年代も古いと言えないが、日本人の考古学者が調査している。どうやら古代の歴史や文化を記した石板や粘土板が出た様で、それを研究しているのだとギャラガが教えてくれた。盗むような美術品がないので、警護は大統領警護隊ではなく陸軍だけに任せていた。ミーヤから少しジャングルに入ったとこにあるアンティオワカ遺跡は今年度まだ閉鎖中だ。麻薬密輸組織に倉庫代わりに使われてしまった曰く付きなので、ケツァル少佐はまだ考古学者に開放していない。憲兵隊がのらりくらりと麻薬の残りがないか捜査中とのことだ。
 テオが数軒の店を冷やかして検問所に戻って来た時、ギャラガが戸口に姿を現した。ドクトル、と呼ばれてそばに行くと、彼は囁いた。

「ケサダ教授の気を感じます。バスが近づいている様です。」

 テオは検問所に並ぶ隣国側の車の列を見た。まだバスは見えなかった。

「視界に入っていないが、確かか?」
「スィ。バスを結界で包んでいるのでしょう。凄いパワーです。」

 グラダはグラダを見分ける。テオは検問所で勤務についている大統領警護隊の隊員達を見た。みな平素の表情で車をチェックしている。書類審査を行っているのは、陸軍国境警備班の”ティエラ”達だ。大統領警護隊の隊員達はギャラガが感じ取っているケサダ教授の気の大きさを感じていない。部族が異なると察知出来ない気もあるのだ、とテオは思った。結界にまともに突っ込むと、”ヴェルデ・シエロ”は脳にダメージを受ける。だからグラダ以外の部族はグラダ族の能力を恐れる。逆に言えば、他部族には察知出来ないから、教授は己が本当はグラダ族であることを一族に知られずに済んでいる。
 白人を含め色々な部族の血が混ざり合っていると言っても、ギャラガはケサダ教授の気を感じられる。やはりアンドレはグラダ族だ、とテオは確信した。恐らく微妙にグラダの因子を持った人々が婚姻の繰り返しによって知らぬうちにグラダの割合を高めてしまったのだ。
 大先輩の気を感じてギャラガが興奮しかけていたので、テオは落ち着けと声をかけた。

「バスが無事に国境を越える迄、油断出来ないぞ。」

 そうこうしているうちに、隣国の家並みの向こうから緑色のバスが姿を現した。普通に走って、検問所の列の最後尾についた。護衛でついている筈の陸軍の車両は見えなかった。1台だけジープが後ろについていたが、バスが検問所の列に並ぶと、離れて隣国側検問所オフィスの前に停まった。

「やばい」

とギャラガが囁いた。

「アランバルリの側近の2人です。恐らく書類不備とかでバスの出国を妨害するつもりでしょう。」
「何とか出来ないか?」

 するとギャラガはセルバ側のオフィスに走って行った。責任者のナカイ少佐に協力を要請に行ったのだ。テオはバスを眺めた。見た限り、バスの車体は傷がなく、無事に走って来たと見えた。



2022/07/11

第7部 ミーヤ      3

  逃げて来た時と同じく、戻るのも一瞬だった。アンドレ・ギャラガはケツァル少佐より”着陸”が上手な様で、ミーヤの国境検問所の裏手の、警備隊員駐車場の中に出た。彼はテオが背中に背負ったカタラーニを押さえつけずに”着地”したことを目視で確認してから、検問所に向かって声を上げた。

「オーラ!」

 遊撃班のセプルベダ少佐が事前に検問所に連絡を入れておいたと言っていたので、彼は一番近い検問所オフィスの裏窓に向かって声をかけたのだ。
 テオはカタラーニを見た。まだ眠ったままの大学院生は、アランバルリから受けた拷問の痕が痛々しい。あまり長い時間眠らせるのも気の毒なので、この後自然に目覚めたら聞かせる言い訳をテオとギャラガは打ち合わせていた。
 検問所のオフィスの裏口が開いて兵士が出て来た。女性だ。その顔に見覚えがあったので、テオは思わず駆け寄ってしまった。

「ブリサ・フレータ少尉!」

 女性少尉が立ち止まった。信じられないと言う顔で彼を見て、すぐに満面の笑顔になった。

「ドクトル・アルスト!」

 軍人らしからず、”ヴェルデ・シエロ”らしからず、彼女はテオに駆け寄り、2人は一瞬ハグし合った。そしてすぐにフレータ少尉がパッと離れた。立場を思い出したのだ。

「本部から連絡を受けてお待ちしておりました。でも・・・ドクトルが来られるなんて!」

 かつて大統領警護隊太平洋警備室で勤務していた将校だ。ある事件に関わってしまい、懲戒処分として故郷に近かった前任地から遠い東海岸の南の端、ミーヤの国境検問所に飛ばされた。しかしそこで彼女は新しい人生を歩み始めた。閉塞的だった前任地より明るく刺激的な職場に入ったのだ。仕事仲間が多く、毎日何かが起きる。ひたすら同僚の食事の世話をして厨房と村の市場の往復だけの数年間とはまるっきり異なる環境で、懲罰として転属させられたにも関わらず、彼女は楽しい新生活を送っているのだった。

「元気そうで何よりだ。君の顔を見てホッとしたよ!」

 テオもつい昔話に引き込まれそうになった。 アンドレ・ギャラガが後ろで咳払いして、彼を現実に戻した。慌てて振り返り、仲間を紹介した。

「文化保護担当部のアンドレ・ギャラガ少尉だ。」

 ギャラガとフレータが敬礼で挨拶を交わした。テオはギャラガが肩を支えて立たせたカタラーニを彼女に見せた。

「アーロンは覚えているよな?」
「スィ。事情は上官から聞いています。建物の中に入って下さい。ここは結構人目につきます。」

 検問所の奥の休憩室は涼しくて、テオとギャラガは長椅子にカタラーニを座らせた。そこでギャラガがカタラーニの催眠を解いた。

「アーロン、おはよう!」

 カタラーニがうーんと唸って目を開いた。目の前にいるギャラガを見て、後ろに立っているテオを見た。

「おはよう・・・あれ? 僕・・・?」

 体を動かして、彼は殴られた箇所が痛んだのか、「いてて・・・」と呟いた。そして周囲を見回した。フレータ少尉と検問所の責任者、大統領警護隊国境警備隊南方面隊指揮官のナカイ少佐が立っていた。制服を見てカタラーニはドキリとした様子だったが、すぐにフレータを見分けた。

「フレータ少尉!? え? ここは一体・・・?」

 混乱している彼に、ナカイ少佐が言った。

「君は隣国の兵士の酔っぱらいに絡まれて喧嘩に巻き込まれ、負傷した。それでギャラガ少尉とドクトル・アルストが君をミーヤの診療所に運んだのだ。」

 テオは少佐がカタラーニの前に屈み込み、目を見ながら語っているのを見て、”操心”をかけていることに気がついた。ナカイ少佐はカタラーニから誘拐されて拷問された記憶を削除したのだ。アランバルリの一味がカタラーニから何を聞き出そうとしたのか、カタラーニの口から証言してもらう必要はない。アランバルリ本人を本部に捕えてあるのだから、当人から聞けば済むことだ。だから、カタラーニから”ヴェルデ・シエロ”やその他の超能力者に関する記憶を全て消し去った。
 カタラーニは自身の腕などに残る打撲痕を見て、「そうなんですね」と納得した。フレータ少尉が優しく尋ねた。

「気分はいかが? 冷たい物でも持って来ましょうか?」
「グラシャス、水をお願いします。」

 立ち上がったナカイ少佐はテオとギャラガに言った。

「残りの調査団のバスが到着する迄ここで待っているとよろしい。テレビを見ても構わない。」

 ギャラガが敬礼し、テオも感謝の言葉を言った。少佐は頷き、業務に戻るために部屋を出て行った。
 少佐と入れ替わりに、フレータが水の瓶を数本トレイに載せて戻って来た。

「昼食の支度が始まるので、半時間程度しかお相手出来ませんけど、退屈凌ぎのお喋りには付き合えますよ。」

 太平洋警備室にいた頃よりずっと明朗な女性に変身しているフレータにテオは安心した。

「それじゃ、キロス中佐やガルソン中尉、パエス少尉の現在を語ってあげようか?」

 フレータ少尉は空いている椅子に座った。目が輝いた。

「スィ! お願いします!」


2022/07/10

第7部 ミーヤ      2

  呼び出されたのは昨夜逃げて来た”出口”があった体育館だった。そこでテオとギャラガは遊撃班のセプルベダ少佐と会い、アーロン・カタラーニが担架に乗せられて運ばれて来た。

「意識がない人間を伴って”跳ぶ”のは難しいが、昨夜君はやってのけた。」

とセプルベダ少佐に言われ、ギャラガは赤面した。

「無我夢中で”跳んだ”のです。吹き矢とライフルで狙われていましたから、自身とドクトルを守る為に、考える余裕なく目に入った”入り口”に跳び込んだだけです。」

 フンっとセプルベダ少佐が鼻先で笑った。

「余裕があれば跳ばずに吹き矢と弾丸を爆裂波で破壊出来ただろうな。」

 そう言われればそうだ、とテオは今更ながら気がついた。毎週土曜日にケツァル少佐が部下達にさせている軍事訓練は、飛来する弾丸の破壊がメインなのだ。
 ギャラガが萎縮した。

「私は未熟です。」
「卑下するな。」

とセプルベダ少佐が言った。

「こちらの手の内を敵に披露してやる必要はない。寧ろ目の前で4人の人間が一瞬で消えたのだ、敵は腰を抜かしただろうよ。」

 ずんぐりした純血種の少佐がカラカラと笑った。

「意識がない男と”操心”で意思を失っている男を伴って跳んだのだ。誰にでも出来ることではないぞ。」

 そう言えば、以前意識がない人間を伴って”跳んだ”経験がない若い隊員が、ケツァル少佐に呆れられていたな、とテオは思い出した。思考しない物体を運ぶのと違って人間を運ぶのは難しいのだろう。
 少佐は体育館の中を見回した。”出口”があったのだから、”入り口”も近くに生じている可能性があった。

「ミーヤ迄その学生を背負うのはどちらかな?」

 訊かれてテオが手を挙げた。

「俺が運びます。先導者に負担をかけたくありませんから。」

 セプルベダ少佐が微笑んだ。

「貴方は本当に我々のことをよく理解しておられる。」
「グラシャス。ところで、アランバルリの尋問は誰方がされるのですか?」
「あの男の能力の強さが不明なので佐官級の者が行います。」
「彼のDNAも調べたいので、頬の内側の細胞を採取しておいて欲しいのですが・・・」

 テオの要求に少佐が笑って頷いた。

「担当者に言っておきましょう。貴方もとことん科学者ですな。」

 その時、ギャラガが部屋の南側を指差した。

「少佐、あそこに”入り口”があります!」
「うむ。ミーヤの国境検問所を目的地に”跳べ”。」



第7部 ミーヤ      1

  テオにあてがわれた部屋には窓があった。だから夜が明けて太陽が顔を出す頃になると、窓から光が差し込んで来た。睡眠時間は3、4時間だけだったが、テオは目覚めた。ホテルではないので部屋に洗面所もトイレもない。彼は廊下に出てみた。殺風景な廊下だった。そこに警備班の兵士が1人立っていた。テオの為の立番だと理解した。

「ブエノス・ディアス。」

 挨拶すると向こうも返事をくれた。テオがトイレの場所を尋ねると案内してくれ、用事を終えて出て来ると、まだ待っていた。そして食堂へ連れて行ってくれた。テオが本部内を彷徨かないように監視の意味もあるのだろう。
 カウンターで食事を受け取って適当に空席に場所を取ると、間もなく知った顔が現れた。マハルダ・デネロス少尉だ。彼女はテオに気がつくと、びっくりして目を見張った。そして食事を受け取ると彼の隣に来た。

「ブエノス・ディアス、どうしてここにいらっしゃるんですか?」
「ブエノス・ディアス、アンドレが来たら聞いてくれないか?」

 そこへアンドレ・ギャラガも現れた。着替えてさっぱりした顔をしていたので、昨日の服装のままのテオはちょっと羨ましかった。彼がデネロスと反対側に座ったので、テオは文句を言ってみた。

「君だけシャワーを使えたのか?」
「済みません、つい習慣で・・・」

 デネロスがクスクス笑った。

「汗臭いと怒る先輩が部屋にいるんですよ。」

 そして彼女はギャラガの顔を見た。それでギャラガは彼女に”心話”で状況を説明した。そう言うことね、と彼女が呟いた。

「少佐と大尉にも伝えて良いかしら?」
「大丈夫。中尉はまだカブラロカ?」

 中尉は勿論アスルのことだ。デネロスが頷いた。

「ンゲマ准教授は遂に洞窟に入って、サラの完璧な遺跡を確認したそうよ。」
「そいつはおめでとうって言わなきゃ。」

とテオが言ったので、彼等は静かにコーヒーで祝杯を上げた。

「それで、まだ調査の方は終わっていないんですか?」

 デネロスの質問にテオはまだと答えた。

「今日、これからアンドレと俺はアーロン・カタラーニを連れてミーヤの国境検問所へ行く。そこで調査団が帰国するのを待つんだ。」
「相手が向こうの政府軍だとややこしいですね。」

 ギャラガが囁いた。

「攻撃を受けない限り、調査団のバスが国境の向こうにいる間は絶対に手を出すなと副司令に言われています。」
「貴方の力が大きいからよ。」

とデネロスが言った。

「ちょっと加勢する目的で気を放ったつもりでも、グラダ族の攻撃力は大きいの。爆裂波を迫撃砲の攻撃と間違えられては国際問題になりますからね。」
「そんな軽はずみなことはしないぞ。」

 デネロス相手だとギャラガもお気楽に対等の口を利いた。オフィスでの勤務中は先輩として彼女を立てているが、同じ少尉同士だし、軍歴はギャラガの方が長い。能力の使い方も理解してくると教わることも減って来ているのだ。テオは2人が軽い諍いを始める前にまとめにかかった。

「ケサダ教授とダニエル・パストルが上手く相手を出し抜いてくれることを祈ろう。敵がオレ達が出会った3人だけだと良いが・・・」
「アランバルリはこちらで尋問されるようです。」

とギャラガが言った。

「私達が隣国の将校を誘拐してしまったことになるので、情報を引き出した後は記憶を抜いて戻すでしょうが。」
「”シエロ”にそんなことが出来るの?」

とデネロスが心配そうに眉を顰めた。

「どの程度”シエロ”の能力があるのか、まだはっきりしないんだ。」

とテオは言った。

「それをこれから尋問するんだろう。」

 尋問担当者は誰だろう、と彼は思った。恐らく指導師の資格を持てる上級将校だろうが。


第7部 誘拐      10

  テオが己の身体の無事を確認して衣服を身につけたすぐ後に、救護室にトーコ中佐が現れた。真夜中なのに出動か、と思ったが、以前ケツァル少佐から副司令官は2人いて交代で24時間業務に能っていると聞いたことを思い出した。テオが「こんばんは」と挨拶すると、中佐は頷いた。

「意外な展開になって驚いています。」

と彼は言った。テオも同意した。

「俺もです。ハエノキ村の住民の遺伝子を調査しに行ったのに、護衛の政府軍に”シエロ”の末裔がいるとは予想だにしませんでした。」
「本当に一族の末裔なのか確認がまだですが、ギャラガ少尉の報告では”操心”と夜目が使えると言うことですから、恐らく末裔なのでしょう。しかし”心話”を使わないと言うのは意外です。我々の能力で血が薄まっても最後まで残るのが”心話”と”夜目”です。”心話”なしで”操心”が使えるとは聞いたことがない。」

 トーコ中佐はカーテンの向こうのカタラーニをチラリと見た。カタラーニはまだギャラガの”操心”にかけられて眠ったままだった。それでも中佐はテオに場所を替えましょうと提案した。
 2人は救護室を出て、廊下を歩いていった。深夜だった。静まり返っているが、それが時間の故か普段からそうなのかテオにはわからなかった。

「訓練の邪魔をしてしまいましたね。」

と彼が話しかけると、トーコ中佐がちょっと微笑した。

「彼等は勤務が終わって少し遊んでいたのです。遊びと言っても、民間人が見れば訓練に見えるでしょうが・・・」

 つまり、文化保護担当部の「鬼ごっこ」や「隠れん坊」みたいなものか、とテオは想像した。
 トーコ中佐がテオを案内したのは、意外にも食堂だった。広い部屋に長いテーブルがいくつか置かれ、微かにチキンスープに似た匂いが空中に残っていた。交代時間ではなかったので、誰もいない。テオは夕食がまだだったことを思い出した。途端に腹がグーっと鳴った。中佐がクスリと笑い、奥の厨房と思しき方向へ声をかけた。

「誰かいるか?」
「スィ。」

 若い男性がカウンターの向こうで顔を出した。中佐が彼に命じた。

「こちらの客人に何かお出ししてくれ。」

 テオは慌てて口を出してしまった。

「アンドレ・ギャラガもまだ食べていないんです。」
「では2人前用意します。」

 若者が奥へ引っ込んだ。中佐がまた笑った。

「貴方が友達思いの方だとよく噂をお聞きします。」
「彼のお陰で命拾いしました。」
「彼も貴方に助けられたと言っています。」

 中佐がポケットから毒矢を出した。タオルで巻いてあったのを広げ、矢を眺めた。

「1世紀前まで狩猟民が使っていたものです。近代になって狩猟が禁止されたり制限されると使われなくなりました。セルバだけでなく中米地域全体の傾向です。銃が広がりましたからね。しかし都会から離れた場所で密猟者が使うことはあります。」
「カブラロカ近くで俺を射たペドロ・コボスは猟師でした。彼が吹き矢を使っていたのは納得いきます。しかし政府の正規軍の兵士が使っていたことは奇妙です。」
「兵士が吹き矢を所持していたことは奇妙ですが、一介の猟師が貴方を狙ったことも奇妙です。」

 そこへアンドレ・ギャラガが入って来た。

「お呼びでしょうか?」

 中佐に”感応”で呼ばれたのだ。トーコ中佐はカウンターを顎で指した。

「ドクトルと君の夕食だ。こちらへ持って来い。」

 ギャラガはハッとして厨房へ目を遣った。丁度先刻の厨房係が二つのトレイにパンとスープを載せてカウンターに置くところだった。ギャラガは少し頬を赤くして、カウンターに足速に近づき、二つのトレイを受け取った。
 テーブルに来たギャラガに、トーコ中佐が座れ、と命じた。そして食べるように2人を促した。
 パンとスープだけの質素な食事だが、スープの中は野菜や肉がたっぷり入った具沢山だったので、テオは満足した。味付けも良かった。

「アランバルリ少佐は助かりそうですか?」

 テオが尋ねると、中佐とギャラガは頷いた。ギャラガが説明した。

「指導師が毒を消しました。今は眠らせて空き部屋に寝かせてあります。」
「ことの詳細をあの男から聞き出すことにしよう。」

 トーコ中佐が呟いた。テオは隣国に残して来た調査団の仲間の安否が気になった。

「ケサダ教授やボッシ事務官、コックと運転手の身が心配です。」
「外務省のロペス少佐にボッシ事務官と大至急連絡を取るように言ってあります。ミーヤの国境を越えれば問題ないでしょう。国境警備隊には既に連絡済みです。」
「コックのパストルは”シエロ”ですね? 教授も・・・」
「承知しています。」

 トーコ中佐がフィデル・ケサダの正体を知っているかどうか不明だったが、テオはそれ以上は言えなかった。ギャラガを見ると、少尉も食べ物に視線を向けていた。

「2人共民間人ですが、ケサダはマスケゴ族の族長の身内です。パストルはロペスの推薦で調査団に入りました。どちらも戦い方は知っている筈です。」

 トーコ中佐は立ち上がった。

「ドクトルにはお部屋を用意させましょう。明日、ミーヤへ行かれますか?」
「スィ、行きたいです。仲間が無事にセルバに戻って来るのを迎えたい。」
「では、学生君も一緒にお連れします。ミーヤに到着する迄は彼に眠っていてもらいますが。」
「わかりました。」

 中佐は頷き、それからギャラガに視線を向けた。

「ギャラガ少尉・・・」
「はい!」

 ギャラガが慌てて立ち上がった。中佐が言った。

「能力の使い方がかなり上達したな。ドクトルと学生をよく守った。」
「グラシャス・・・」

 ギャラガが耳まで赤くなった。

「ケツァル少佐と先輩方の導きのお陰です。」
「どんなに指導者が優れていても、実践で能力を発揮出来るのは本人の才能次第だ。君は立派なグラダだ。もっと胸を張って良いぞ。」

 ギャラガは敬礼で応えた。中佐も敬礼し、それからテオに「おやすみ」と言って食堂から出て行った。
 椅子に戻ったギャラガにテオは感想を言った。

「凄く貫禄あるのに優しい上官だな。」
「副司令官はお2人共素晴らしい方々です。」
「司令官はどうなんだ?」

 するとギャラガは困った表情になった。

「私はまだお会いしたことがありません。司令官に直接面会出来るのは司令部のごく一部の将校だけなのです。」




第7部 誘拐      9

 「少佐!」

 突然右方向から声をかけられた。テオが思わず振り向くと、暗がりの中に人影が見えた。2人だ。彼が足を止めた瞬間、ギャラガが言った。

「アーロンの体を掴んで、早く!」

 テオは考える暇もなく目の前でアランバルリ少佐に背負われているアーロン・カタラーニの腕を掴んだ。アランバルリに彼もくっつく様なポーズになったと思ったら、ギャラガが息をつく暇もなく続けた。

「走れ!」

 走った、と思った瞬間、体が夜の闇よりも暗い空間に吸い込まれる感触がした。空間移動だ、とテオは思った。思った直後に体が地面に落ちた。
 地面だろうか? 
 目が電灯の照明で少し眩んだ。真っ暗な場所からいきなり明るい場所に出たからだ。ググっと誰かの呻き声が聞こえた。

「ギャラガ少尉!」

 聞きなれない女性の声が聞こえた。テオは瞬きして、視力が戻ると周囲を見回した。
 10人ばかりの男女に取り囲まれていた。インディヘナとメスティーソと・・・全員カーキ色のTシャツと迷彩柄のボトム姿だ。軍人・・・?
 ギャラガがアランバルリとアーロン・カタラーニを押し退けて立ち上がった。

「大統領警護隊文化保護担当部所属アンドレ・ギャラガ少尉、緊急避難で”跳びました”!」

 敬礼して早口で語った彼に、取り囲んでいた男女はテオ達を見て、ギャラガを見た。1人が叫んだ。

「この隣国の軍人は吹き矢で射られているぞ!」

 テオはハッとした。夢中でアランバルリからカタラーニを引き剥がし、弟子の体に矢が刺さっていないか確かめた。その間に軍人達はアランバルリから矢を引き抜き、1人が傷口に手を当てた。

「血流を止める。誰か中和剤を持って来い! 指導師を呼べ!」

 アランバルリは口を大きく開き、酸素を求めて喘いでいた。筋肉が弛緩して呼吸困難に陥ったのだ。別の軍人が彼に人工呼吸を試みた。傷口に手を置いた軍人にギャラガが視線を合わせた。一瞬で”心話”による事情説明が行われた。

「わかった。」

とその男は言った。そしてまだそばに残っていた仲間に命じた。

「ドクトル・アルストとその学生を救護室に案内してくれ。念の為に2人にも傷がないか調べろ。」

 テオはやっと周囲を見回すことが出来た。リノニウムの床の体育館の様な場所だった。きっと大統領警護隊本部の訓練施設だ、と思った。アンドレ・ギャラガは敵から吹き矢で攻撃された瞬間に、一番安全と思われる場所へ”跳んで”逃げたのだ。
 こちらへ、と女性隊員に案内され、テオはまだ気絶したままのカタラーニを背負って別室へ向かった。隊員がカタラーニを見て、怪我をしているのかと尋ねたので、彼は首を振った。

「ギャラガ少尉が救出しやすいように”ティエラ”の彼を眠らせたんだ。」

 成る程、と隊員は納得した。
 救護室は体育館のすぐそばで、質素なベッドが数台並んでいた。訓練中に負傷する隊員が出た場合の応急手当をする場所だろう。医師らしき人はおらず、隊員はテオがカタラーニをベッドに下ろすと、彼の服を脱がすようにと言った。

「カーテンを閉めますから、ドクトルが学生さんの体をチェックして下さい。」
「わかった。終わったら、俺自身の体も見るから、少し時間がかかるぞ。」
「承知しています。少しでも異常があれば呼んで下さい。」

 体育館の中が気になった。大統領警護隊の本部内は静かで、瀕死の人間がいるにも関わらず騒ぎになっていない。
 恐らくアランバルリの部下は上官と捕虜が姿を消したことに気が付き、先回りして教会前広場へ近づくのを張っていたのだ。吹き矢でギャラガを狙ったが、ギャラガが運良く空間通路の”入り口”がすぐ目の前にあるのを発見して跳び込んだので、矢は彼の後ろに続く形で動いたアランバルリに命中してしまった。紙一重の差でギャラガ、カタラーニ、テオは毒矢から逃れたのだ。
 
 連中は目の前で俺たちが消えたので、腰を抜かしているんじゃないか?

 テオは想像してみた。少し愉快だったが、隣国に残してきた調査団の仲間を思い出し、また新たな心配が生じた。彼等は無事だろうか。ケサダ教授1人に任せてしまうのは酷ではないのか。


2022/07/08

第7部 誘拐      8

 アランバルリ少佐のテントには歩哨がいなかった。野営地の中なので安全だと思っているのだ。武器を持たない村人が襲って来るとも思っていない。悪党にしては間が抜けているとテオは思った。
 ギャラガが囁いた。

「私が中に入ってアーロンを救出します。貴方は外で邪魔が入らないよう見張って下さい。もし誰かがテントに近づいて来る様なら、口笛を吹いて・・・」
「鳥真似は出来ない。ピッと一瞬鳴らすだけで良いか?」
「結構です。」

 2人はそっとテントに忍び寄った。横手に木箱がいくつか積み上げられていた。テオは中身は何だろうと気になったが、開いて見る暇はなかった。木箱の後ろに身を隠し、ギャラガが堂々とテントに入って行くのを見守った。
 ギャラガに渡された小型拳銃を握る手が汗ばんだ。以前もこんな経験をした。ロホが反政府ゲリラ”赤い森”に捕まった時だ。先にテオが誘拐され、ロホは彼の救出に成功したが今度は己が捕まってしまい重傷を負わされた。テオはロホを探しに来たケツァル少佐とカルロ・ステファンと出会い、3人でロホを救出する為にゲリラのキャンプに戻ったのだ。”赤い森”にはミックスの”シエロ”ディエゴ・カンパロがいた。ステファンが囮となってカンパロと一味をひきつけ、その間に少佐とテオが少佐の”幻視”を使ってロホを助け出した。3、4年前の話だが、もう遠い昔の様だ。テオは少佐が”幻視”を使って見張りの前を歩いて行くのを物陰から見守った。あの時の緊張感と同じだ。ギャラガを信じているが、自分がいざと言う時に動けるだろうかと緊張するのだ。
 物凄く長い時間が経った気がしたが、実際は10分足らずだったろう。テントから男が2人出て来た。1人は背中に大きな荷物を背負っていた。彼等は藪に向かって歩き出し、ギャラガが囁いた。

「ドクトル・・・」
「スィ」

 テオは立ち上がり、そっと彼等の後ろについた。先頭はギャラガだ。すぐわかった。真ん中は、驚いたことにアランバルリ少佐だ。そして背負われているのはアーロン・カタラーニだ。ギャラガは”操心”を使って、敵の大将を「誘拐」したのだ。
 カタラーニは静かだった。もう縛られていないから、ギャラガが逃走し易いように彼を眠らせているのだ、とテオは悟った。
 何だか凄いものを見ている、とテオは気がついた。
 アンドレ・ギャラガはほんの少し前まで”心話”さえ使えない落ちこぼれ”シエロ”だったのだ。それが上官達や先輩達に「信用」と言う大切な贈り物をもらい、メキメキと超能力の使い方を習得していった。”操心”と”連結”の区別がまだ未熟だと先輩に注意を受けていたばかりなのに、今、テオの目の前で見事に使いこなしている。しかも”シエロ”同士では使えないと考えられている”操心”でアランバルリを操っているのだ。

 そう言えばケサダ教授もアランバルリと側近2人に同時に”操心”と”連結”をかけて記憶を消した。彼は純血種だが、ミックスのアンドレもやるじゃないか! やっぱりグラダの血は凄い!!

 畑から村に出た。教会前広場まであと少しだ。 

第11部  紅い水晶     24

  ケツァル少佐は近づいて来た高齢の考古学者に敬礼した。ムリリョ博士は小さく頷いて彼女の目を見た。少佐はトーレス邸であった出来事を伝えた。博士が小さな声で呟いた。 「石か・・・」 「石の正体をご存知ですか?」  少佐が期待を込めて尋ねると、博士は首を振った。 「ノ。我々の先祖の物...