2023/12/31

第10部  穢れの森     7

  テオとケツァル少佐が昼休憩をとっていた同じ頃、アンティオワカ遺跡の元フランス発掘隊ベースキャンプ跡地でデネロス少尉とキロス中尉はアスルとギャラガ少尉と合流して、やはり昼休憩を取っていた。大統領警護隊は普通密林での活動時、テントを張ったりしないのだが、雨季が近かったこともあり、フランス人達が平らに慣らしたキャンプサイトに休憩所を設置した。石壁と石壁の間にタープを張り、ジープを背面の壁代わりに置いた。テーブルや椅子はない。遺跡の石を動かしてはいけないのだが、フランス隊が残していった石材を転がして細やかにリビングを作った。目の前にはまだ広い空き地が残っていた。草が伸びていたが見通しは悪くない。
 デネロス少尉が元気にキャンプ地設営に動いたので、キロス中尉は安堵した。遺跡に戻る迄彼女は本当に元気がなかったのだ。
 "ヴェルデ・シエロ”は人々から神として崇められているが、決して穢れに弱い訳ではない。平気で屍を乗り越えて行く人間だ。しかし死の穢れを感じ取ることは出来る。不愉快で精神的に弱らせる気の波だ。大統領警護隊はそれを撥ね付ける訓練を受けるが、女性や繊細な者には時々厳しい試練になるらしい。デネロス少尉は「こんなことは初めてです」と言い訳したが、恐らく今迄古い遺跡ばかり巡っていて、新鮮な死の臭いを知らなかったのだ。
 ギャラガ少尉は先輩の異変にあまり気が付かなかった様だが、アスルは鋭く何かあったと察知した。”心話”を求めて来たので、キロス中尉は正直に森の奥で起きたことを伝えた。
 アスルは腕組みして、ギャラガ少尉と一緒にテント張りに励むデネロス少尉を見た。

「白人の血が混ざっているから、多くの人は彼女が敏感なレーダーを持っていると気が付かない。」

と後輩の兄貴を自負するアスルは言った。

「マハルダは多分軍人より巫女の仕事の方が合っていると俺は思っている。だが本人は軍務の方が好きなんだ。だから不快な臭いにも立ち向かおうとする。」
「今日のことに懲りて無茶はしないと思うが・・・」
「彼女が?」

 アスルは「わかっちゃいないな」と言いたげにキロス中尉を見た。

「マハルダは今日の失態を挽回しようと、また挑戦するさ。彼女はそう言う人間なんだ。」
「だが、敵が近くにいる時に、今朝の様な状態になるのは拙い。」
「だから、俺達はいつも2人組で行動することになっているんだろ?」

 単独行動が好きなアスルがキロス中尉を睨んだ。

「無関心のふりをして、気にかけておいてやるんだ。彼女が負い目を感じない程度にカバーしてやれ。それが出来ないなら、俺は君を彼女のパートナーとして認めないぞ。」

 いきなりな女性の「身内」からの通告だ。キロス中尉はもう少しで怯みそうになった。アスルの中のジャガーが牙を剥いたことを察したからだ。アスルは同じ部署の「妹」を守ろうとしている。同じ大統領警護隊の仲間でも容赦しない。だがキロス中尉だって引き下がる訳にいかなかった。デネロス少尉を狙うライバルは多いのだ。

「私は彼女が私より劣っているとは思わない。守るのではなく、支え合う自信がある。」

 一瞬男同士の間で火花が散った様に思えた。しかしその緊張もデネロスの声で吹き飛んだ。

「ちょっと! そこの中尉殿2人! 早く手伝ってくれます? それとも少尉だけで力仕事をやれって言うんですか?!」


2023/12/29

第10部  穢れの森     6

  テオとケツァル少佐は森の中に歩を進めた。彼女がテオの為に気を放出して小動物を遠ざけたり、木の葉に体を擦り付けて音を立てても平気だったので、テオは尋ねた。

「犯人が現場に残っている筈はないとは思うが、存在を知られる行為をして大丈夫か?」
「平気です。」

 少佐はアサルトライフルを銃口を上に向けた姿勢で肩に掛けたまま歩いていた。

「向こうはサバンを殺害したと考えられるだろ。”シエロ”を殺せるのは”シエロ”だけじゃないか?」
「まるでセニョール・シショカみたいなことを言うのですね。」

と少佐がニコリともせずに言い返した。

「不意打ちを喰らえば、何者であろうと敵に倒されますよ。」

 そして続けた。

「サバンの正体を知った上で彼を殺害したのなら、敵は”シエロ”に対処する方法を知っています。だから、”シエロ”が追って来ていると教えてやるのです。向こうは防御体制に入るでしょう。敵が”シエロ”なら、その気配がわかります。気が動きますから。”ティエラ”なら、物音を立てます。どんなに用心深くても、人間が立てる音はわかります。」

 テオは彼女が戦闘モードに入っていることを悟った。こんな時は彼女の前に出たり、余計なことを話しかけない方が身のためだ。
 それから2人は黙って歩いた。少佐は臭いを辿って歩いたので、時々風向きが変わると立ち止まって方向を計算していた。テオはそっと携帯を出した。電波は届いていないが時刻は見えた。アンティオワカ遺跡を出発してから4時間経っていた。もう自動車部隊は遺跡に到着してベースキャンプを設置しているだろう。もしかするとデネロス少尉とキロス中尉に合流したかも知れない。
 やっと少佐が足を止めたのは、それから1時間後だった。2人は乾いた倒木を見つけて座り、携行食で昼食を取った。

「犯人はどんな人間だと思う? こんな森の奥で”シエロ”に敵対しても意味がないだろ?」
「どう言う意味ですか?」
「つまり、サバンが殺されたのは、偶然だったんじゃないのかな。何か犯罪を目撃してしまって、或いは犯罪が行われていると知らずに接近してしまって、犯人に消されたのでは?」
「こんな森の奥で犯罪ですか?」
「動物の密猟とか?」
「ああ・・・」

 ケツァル少佐が合点したと頷いた。彼女は遺跡の保護が任務で盗掘のことと麻薬犯罪のことしか考えていなかったのかも知れない。

「サバンもコロンも野生生物保護協会の会員でしたね。密猟者を見てしまったのかも知れません。」


2023/12/27

第10部  穢れの森     5

  ケツァル少佐だけでなく、テオもデネロス少尉も一緒にキロス中尉が立っている草むらへ行った。中尉が南西方向を指差した。

「あちらの方から嫌な臭いがするのですが、嗅ぎ取れますか?」

 テオは鼻をひくつかせてみた。湿った森の臭いしかしなかった。しかしケツァル少佐は微かに鼻に皺を寄せ不快感を示した。そしてデネロスに至っては、再び顔色を変えて仲間から離れた。もう胃は空っぽだと思えたが、オエーっと音がした。
 キロス中尉が心配そうに少尉が消えた草むらを見た。テオは言った。

「マハルダは勇敢だが、デリケートでもあるんだ。俺には嗅げない臭いを、彼女は凄く不快に感じるんだろう。」

 ケツァル少佐が言った。

「この臭いは死の臭いです。正常な亡くなり方をした人のものではなく、何者かによって強引に命を奪われて、さらに侮辱された人の臭いです。」

 キロス中尉も頷いた。

「以前、デランテロ・オクタカスの森の奥で、少年が己の家族を惨殺した事件がありました。少年は悪霊に憑依されて犯行に至ったのですが、その悪霊は大昔に裁判で有罪判決を下されて処刑された人間のものでした。恐らく本人には納得の行く判決ではなかったのでしょう。だから悪霊化したのです。憑依された少年から酷く嫌な臭いがしていました。悪霊の臭いだとわかりました。”ティエラ”や血が薄くなった一族の末裔には嗅げない臭いです。今、我々が嗅いでいる臭いは、まさにそんな臭いです。」

 テオは先刻まで自分達がいた、イスマエル・コロンの骨が発見された場所を振り返った。

「コロンの骨があった場所より、その臭いは酷いのか?」
「スィ。」

 キロス中尉はまたデネロスがいる方向を見た。恋人の様子が気になるのだ。

「コロンと言う男性が実際に殺害された場所から匂って来るのか、あるいはもう一人行方不明になっているサバンと言う男の臭いなのか、私にはわかりませんが、犯罪現場から漂って来ることに間違いありません。」
「サバンは”シエロ”でコロンは”ティエラ”だろ?」
「死の臭いは人種に関係ありません。」

 するとケツァル少佐が決断を下した。

「ドクトルと私はこの臭いを辿ってみます。キロス中尉、貴方はデネロス少尉とこの周辺をもう少し捜索して下さい。憲兵隊が見落とした物がまだあるかも知れません。」

 彼女は繊細な部下を犯罪現場に連れて行きたくないのだ。キロス中尉をデネロスと一緒に残すのは、決して2人が恋人同士だからではない。マハルダ・デネロスの神経質がもしマックスになってしまった時、鎮めることが出来るのは、”ティエラ”のテオではなく”シエロ”のキロス中尉の方だから。
 キロス中尉もそれを理解した。敬礼して指図を了承した。

2023/12/26

第10部  穢れの森     4

  早朝のジャングルは空気が冷たかった。湿度は高く、テオは不快に思ったが、”ヴェルデ・シエロ”達の手前、我慢して黙っていた。特にキロス中尉には軟弱な白人だと思われたくなかった。幸い羽虫や危険な小動物は”ヴェルデ・シエロ”の気配を感じ取るとさっさと遠ざかってしまったので、それらに煩わされることはなかった。
 イスマエル・コロンの遺骨が発見された現場までは簡単に行けた。コロンを探したセルバ野生生物保護協会の会員達や遺体発見の通報を受けた憲兵隊が現場へ行ったので、道筋が出来ていた。踏み固められた地面をそのまま歩くと、半時間と少しで現場に到着した。
 踏み荒らされた地面と多くの人間がいた痕跡があった。ジャングルの中なので犯罪現場を示す黄色い規制線テープはなかったが、テオは土を掘った跡を数カ所見つけた。きっと泥に埋まった骨を掘り出したのだ。
 いつもは陽気で気丈なデネロス少尉が、気分が悪くなったのか、仲間から少し離れて藪の中に入った。ゲーっと音が聞こえ、ケツァル少佐とキロス中尉は顔を見合わせ、互いに肩をすくめ合った。テオは耳を澄ましてみたが、死者の声らしきものは聞こえなかった。

「何か見えるかい?」

と尋ねると、少佐も中尉も「ノ」と答えた。

「非業の死を遂げたからと言って、霊が残っているとは限りません。」

と少佐が言った。
 キロス中尉は現場をさらに範囲を広げて円形に歩き出した。犯人の痕跡を探しているのだ。勿論憲兵隊も行った筈だ。
 デネロス少尉が戻ってきた。罰が悪そうに上官に謝罪した。

「申し訳ありませんでした。死体が動物に食い荒らされている様を想像した途端に、胃がでんぐり返った様な気分になって・・・」
「慣れないものだから、仕方ありません。」

と少佐が部下を励ました。

「もっとも、こんなことに慣れてしまうような犯罪に出会したくありませんけどね。」

 その時、キロス中尉が茂みの向こうから声を掛けてきた。

「ケツァル少佐、ちょっと来て頂けませんか?」

2023/12/25

第10部  穢れの森     3

  ベテランの空間移動って、凄い! とテオは心から感動した。キロス中尉は仲間を空中に放り出すことなく、上下重なって出ることもなく、綺麗に入った順に目的地に”着地”した。
 出た場所はアンティオワカ遺跡と思われる石組と草木のちょっと開けた所だった。キロス中尉は慎重に持参した拳銃を構えて周囲の安全をチェックした。本来はアサルトライフルを持って来たかったのだが、”入り口”が住宅街にあったので、ライフルを持ち歩く訳にいかなかったのだ。デネロス少尉もサッと目視で安全確認した。そして最後に現れたケツァル少佐に確認した。

「ここがアンティオワカ遺跡ですね?」
「スィ。」

 ケツァル少佐はキロス中尉とデネロス少尉に頷いて見せた。テオは以前麻薬密売組織の倉庫代わりに使われたと言われる石の建造物を眺めた。何処に隠したのか知らないが、湿度が高い土地だから、白い粉は湿気ていたのではないだろうか、と要らぬ想像をした。
 少佐が西の方角を指した。

「憲兵隊はあの方向へ殺人現場捜査に入りました。我々も彼方へ行きましょう。」
「ロホ達を待つんじゃないのか?」

 テオの質問に彼女は首を振った。

「自動車部隊は食糧調達を済ませてからここへ来ます。我々はここをベースキャンプにしますから、夕方には戻って来ます。」
「憲兵隊はもう引き上げたのですか?」

とデネロス。その質問にはキロス中尉が答えた。

「彼等がジャングルの中で何日も過ごす筈がないじゃないか。死体発見現場を確認して付近をちょっと探してみただけで、一日で撤退したんだ。」

 ジャングルの中で長時間滞在出来ない軍人達をちょっと軽蔑する声音が入っていた。憲兵隊は都会で任務に就いていることが多く、ジャングルで働くのは滅多にない。本格的にジャングルで活動する時は陸軍特殊部隊が同行するのが、セルバ共和国軍の常だった。それは今や絶滅危惧種みたいになった反政府ゲリラを警戒するためだ。人数が減ったと言っても、ゲリラはまだ存在する。ほとんど野盗になっているが。
 大統領警護隊はジャングルでの軍事演習を頻繁に行うし、所謂超能力者である彼等は単独でも大勢の敵と戦える。キロス中尉にはその自信と誇りがあった。ケツァル少佐はそんな若い中尉の慢心をちょっと危険だと感じたが、黙っていた。他の部署の部下だし、軍人を多く輩出している名門の家系の出だ。たまには失敗しても構わないだろう。命の危険がない限りは。
 彼女は腕を振って、出発の合図を出した。

2023/12/24

第10部  穢れの森     2

 翌朝、テオはケツァル少佐とサン・ペドロ通り3丁目にあった”入り口”前に行った。以前アンティオワカ付近に行ける”入り口”はテオの前の家の近くにあったのだが、今度は少し移動していた。住宅地の中なので、空間通路に入る時は人目につかないよう用心が必要だ。2人は迷彩柄の上下を着ていた。テオもすっかり軍人仕様だ。ジャングルの中を動くのだから、動きやすい服装で行く。2人が到着して数分後にはデネロス少尉とキロス中尉が現れた。デネロスは官舎からで、キロスは実家からだが、何故か一緒に来た。

「本部出入りの食品会社の車で送ってもらって・・・」

とデネロスが説明した。

「キロス中尉のお家がたまたま途中にあったので、中尉も拾って来ました。」

 キロスは黙って挨拶の敬礼をしただけだった。照れ臭いのだ。それに白人の前でガールフレンドの世話になったと言いたくないのだろう。彼等も迷彩柄の上下だった。少佐と同じリュックサックだから、これは大統領警護隊の支給品だろう。
 彼等は入り口の前に立った。テオには見えないが、”ヴェルデ・シエロ”達には空間の穴が見えているのだ。

「先導をキロス中尉にお願いします。」

と少佐が言った。空間通路を通る先導は難しい。後続の仲間をはぐれないよう導かなければならないし、通路を出た途端に敵と遭遇する危険性もある。また、とんでもない場所、例えば崖っぷちとか下水道の中に出てしまう可能性もあった。ケツァル少佐は先導が上手ではない。彼女はいつも後続の仲間を空中に放り出したり、前後上下逆に出してしまったりするのだ。だから、彼女はキロス中尉に依頼した。ブーカ族は空間通路の使用が上手だ。それに中尉はよく通路を利用して出張する。
 キロス中尉は敬礼で承った、と答えた。少佐がデネロスに彼と手を繋ぐよう命じた。そして反対側の手をテオに掴ませ、彼女自身はテオの空いている手を掴んだ。

「では、行きます。」

とキロス中尉が軽い調子で言った。いかにも通路使用のベテランの口調だった。
 

2023/12/22

第10部  穢れの森     1

  週末、金曜日の夕刻、業務を終えたロホ、アスル、ギャラガ少尉の3人は1台の車で一足先に南部に向けて出発した。テオは彼等が車で出かけた理由がわからなかった。彼はケツァル少佐、デネロス少尉、それにキロス中尉と4人で空間通路を通ってアンティオワカ遺跡の近くへ行くことになっていたが、それは土曜日の早朝の約束だった。

「万が一、空間通路が使えなくなった時の足の確保です。」

と少佐が教えた。

「無理矢理詰め込めば7人乗れないことはないでしょう。」

 多分、ロホの中古のビートルではなく、大統領警備隊のジープで行ったのだろう、とテオは想像した。官舎に住んでいるギャラガ少尉が借用申請でも出したに違いない。
 旅の装備は簡単だった。少佐はいつもの軍務用リュックサックに必要最低限の物しか入れない。テオも見習って、自分用に買ってもらったリュックサックに下着とTシャツを3枚、検体採取用の容器を入れた保温箱、救急用品少々、それに携行食糧。水筒も忘れずに入れた。大統領警護隊みたいに水分を採取出来る植物を見分ける自信がなかった。
 少佐が虫除けスプレーをくれたので驚いた。”ヴェルデ・シエロ”がそばにいれば必要ないのだが。

「誤魔化しが必要な場合もあるやも知れません。」

と少佐が用心を説いた。

「貴方も他人の前でうっかり死者の声が聞こえたなどと言わないように。」
「聴きたくても聞けない時があるさ。」

 テオは霊媒師ではない。たまに死霊の声らしきものが聞こえるだけで、会話は出来ないし、話を聞き取ることも出来ない。しかし、死者の霊を見ることが出来ても声を聞けない”ヴェルデ・シエロ”達には妙にあてにされていた。特に、ケツァル少佐は幽霊が嫌いだ。襲ってくる悪霊は平気なのに、無害な、ただそこにいるだけの亡霊が嫌いなのだった。

「サバンが生きていれば何も見なくて済むだろう。彼の無事を祈ろう。」

 テオは少佐を励ました。

第11部  紅い水晶     21

  アンドレ・ギャラガ少尉がケツァル少佐からの電話に出たのは、市民病院に到着して患者が院内に運び込まれた直後だった。 「ギャラガです。」 ーーケツァルです。今、どこですか? 「市民病院の救急搬入口です。患者は無事に病院内に入りました。」  すると少佐はそんなことはどうでも良いと言...