2024/02/23

第10部  粛清       8

 「建設省のマスケゴ」と一族の人々から呼ばれる彼は、その日彼が奉仕している建設大臣が考えている公共事業に反対している大学教授を訪ねた。ダムの構造など説明されても彼は設計技師でも建築家でもないから理解出来ない。ただ教授が反対する本当の真意を探ることが目的だった。大臣の政敵の息がかかっていないか、確認に行ったのだ。
 途中、ちょっとした出来心でキャンパス内のカフェに立ち寄った。大学で屯する”出来損ない”の学生達がどれほどいるのか、見物してみよう、ただそれだけの軽い気持ちだった。しかし彼のそんな行動を疎ましく思う男がいた。
 マスケゴ族の現族長のファルゴ・デ・ムリリョの娘婿だ。挨拶の声を掛けて来ただけだったが、それが彼に対して心理的な圧を掛けてきた。己の方がお前より強いのだ、と空気を介して伝えてきた。2度目だった。多くを語らずに、雰囲気だけで彼を屈服させてしまえる、そんな気の強さをムリリョの娘婿は持っていた。

 あいつは本当にマスケゴなのか?

 彼は心の底で疑問を抱いていた。気の波長が彼の部族の人間と微妙に異なっている。時にはそれを完全に感じさせない。実際、大学のカフェでも、あの男が声を掛けて来る迄、彼は相手がすぐそばへ来ていることに気づけなかった。完璧に成長して能力の使い方をマスターしたブーカ族やサスコシ族の様だ。否、あの気の強さは穏やかなブーカや用心深いサスコシと違う気がする。では、オクターリャ族か? 時の流れの中に身を隠し、滅多に現世に現れない幻の部族なのか? しかし彼はオクターリャ族を一人知っている。まだ若造だが、能力の使い方は手練れだ。そして、気の波長は、ムリリョの娘婿とは異なる。

 部族ミックスなのか?

 それなら納得はいく。しかし、ファルゴ・デ・ムリリョは純血至上主義者だ。実子の2人の息子と年上の娘はいずれも同部族の純血種と婚姻している。末娘だけに異部族のミックスの男との婚姻を許したのか?
 ムリリョはあの男を子供の時から養ってきた。何処であの男を拾って来たのか? あの男の親の身元を知っているのか?
 悩んでいるうちに彼は本来の仕事を危うく忘れそうになり、慌てて建築工学部に向かったのだった。
 大学教授の話は退屈だったが、純粋に教授が地層や地質を調査してモデル実験もして、砂防ダムの建設位置や工法に疑問を抱いていることを知った。そして面倒なことに、彼は大臣の考えよりも大学教授の意見の方が正しいと思ってしまった。ダムの下流に被害を与えることにならないが、建設費用が膨大な国費の浪費になる。

 大臣の考えを改めさせなければ、あの男、イグレシアスは国に害をもたらす存在となる。

 雇い主をどう説得しようかと考えていたので、密猟者の粛清のためにプンタ・マナから来た同業者を見かけた時、彼はそんな些細な事件の粛清などどうでも良いと思った。だから、縄張り荒らしを見逃した。
 彼は今、国益の為に長年使えた主人を粛清せねばならぬかも知れない、と思い始めていた。

 

2024/02/21

第10部  粛清       7

 「見ない顔だな。」

と一族の言葉で話しかけられ、エクはぎくりとして立ち止まってしまった。夕刻の繁華街だった。逃がしてしまった標的が走り去った方向で獲物を探していたのだ。宛てはないが、田舎者が立ち寄りそうな場所は見当がついた。お洒落なレストランやバルには行くまい。しかし裏町にも行かないだろう。裏町には、その土地の”ティエラ”のグループが縄張りを持っている。見かけない田舎者が迷い込んだら、すぐにカモにされる。標的は只の”ティエラ”だ。身を守る術もないだろう。考えてからエクは思い直した。田舎者だから、都会の裏町の掟を知らずに入り込む可能性もあるじゃないか。身を隠すのに都合が良いとか、田舎の知り合いで早くに都会に出た人間を頼って行くとか。
 そう考えて方向を変えて歩き出して直ぐだった。
 声をかけた人間が背後に近づいて来た。気配を殆ど感じ取れないが、同族だ。ブーカ族やサスコシ族の様にこれみよがしに気を微量に発散させて存在を主張したりしない。エクは囁いた。

「マスケゴか?」
「否定しない。」

と相手は言った。エクは振り返ろうかと思ったが、止めた。相手の顔を見ない方が良い。”砂の民”同士なら尚更だ。彼は言った。

「プンタ・マナから来た。狩りの最中だ。君の領分を侵したのなら、謝る。」
「構わない。」

と相手は言った。

「私はその狩りに参加していない。それに私の領分だと言うなら、この国全体になる。」
「そんな・・・」

 そんな大それた発言をするのは首領ぐらいだろうと言いかけて、エクは口をつぐんだ。
首領の配下と言う縛りを持たない一匹狼の”砂の民”もいるのだ、と先輩から聞いたことがあった。そいつらと出会したら、怒らせないように、礼を尽くせ、と。そうすれば仕事の妨害をされずに済む、と。

「仕事が済んだらすぐに帰る。」
「構わない。」

と一匹狼の”砂の民”は言った。

「だが、ここはママコナのお膝元だ。緑の鳥には気をつけろ。彼等は法律を大事にするからな。ご機嫌よう。」

 そして、エクは相手が遠ざかるのを感じた。
 暑さには慣れているのに、彼は汗びっしょりになっていた。

2024/02/19

第10部  粛清       6

  粛清を行おうとしたが失敗した。邪魔が入ったからだ。
 その”砂の民”はエクと呼ばれていた。彼の実際の職業や立場はこの際はどうでも良いので、記述しない。エクは標的の密猟者を南部からずっと追跡して来た。彼は憲兵隊の手配書を見た訳ではなかった。以前から標的の男が森の中で悪さをしていることを知っていた。法律に触れることだ。しかしそれを罰するのは”砂の民”の仕事ではないから、彼は見逃してきたのだ。しかし一族の人間を殺害したとの情報が耳に入り、首領から粛清の指示が発せられたと知らされ、エクは狩りに出た。
 標的の男は仲間が3人、謎の自殺と謎の喧嘩殺人で命を落としたニュースを知って、怯えた。”ヴェルデ・シエロ”の祟りだと恐れた。エクはすぐには手を出さなかった。標的がもっと怯えることを望んだ。殺害された者が味わったであろう恐怖と屈辱を、仇に味わせたかった。標的の近くに潜み、夜になると幻聴で死者の声を聞かせ、昼間はチラチラと幻覚を見せた。
 標的は思ったよりしぶとかった。犯行現場から遠ざかれば、なんとかなると思ったらしい。標的はヒッチハイクで故郷を離れた。エクは仕方なく移動しなければならなかった。一度は標的を見失ったが、トラック運転手を片っ端から当たり、南部でヒッチハイカーを乗せた車を見つけた。
 標的は都会まで逃れて、少し安心した様だ。身内の家に転がり込んでいた。エクは標的が身内の家族に何の話をしたのか気になった。”ヴェルデ・シエロ”を殺したと喋って、それが身内に信じ込まれたら、粛清の対象が増えてしまう。
 エクは標的の身内の家長と思しき男に近づき、心を盗んでみた。”ヴェルデ・シエロ”にとって簡単な作業だった。目を見れば済むことだ。人間の記憶を読み取る。最近のものだけだから、すぐに済んだ。
 標的は幸いなことに、己が犯した罪は喋っていなかった。身内に、賭博で喧嘩になったので暫く身を隠すと嘘を言って、誤魔化していた。そんなチャチな嘘で相手に信じてもらえる、つまらない人間だ。
 エクは標的を遊ばせるのを切り上げることにした。ちょっと幻覚を見せて交通事故に遭わせれば良い。一番簡単な方法だった。
 標的が乗るバスに彼も乗り込み、標的よりも前の、出口に近い席に座った。斜め後ろの席に座っていた若い男女の会話に注意を向けなかったのが、エクの失敗だった。
 若い男女は”出来損ない”だが、大統領警護隊だった。大巫女ママコナが認めた一族の戦士だ。それに気付いたのは、エクが標的の降車に続いて、幻覚を起こさせる”操心”をかけようとした時だった。

「駄目よ!」

 若い女の声が、彼の術を破った。気を散らしたのではない、”気”を砕いたのだ。そんなことが出来る”出来損ない”は滅多にいない。訓練を受けた大統領警護隊ぐらいなものだ。
 エクは力を収めた。逆らうと、反逆罪に問われかねない。彼はバスを降りて、標的と反対方向へ歩いた。妨害した人間の顔を見たかった。
 可愛らしい若いメスティーソの女と、白人に見える若い男のペアだった。男がエクを見た。エクは思わず睨みつけたが、それ以上のことは控えた。
 再び狩りを続けなければならなかった。

2024/02/18

第10部  粛清       5

  ケツァル少佐と別れたアンドレ・ギャラガ少尉はバス停に向かって走った。セルバ共和国の路線バスの運行は、首都に関して言えば概ね時刻表通りに運んでいる。ギャラガは官舎の夕食の時間に間に合わせたかった。食事をして通信制大学の課題に取り組む時間が欲しかった。

 そうか、官舎を出ればバスで往復する時間も消灯時間も気にしなくて済むんだ。

 ”ヴェルデ・シエロ”は照明がなくても書籍を読める。それでも写真などの色彩は照明の下で見たかったし、大部屋の他の隊員達に気を遣わずに勉強するのも良いだろう。
 バス停に着くと、すぐに大統領府行きのバスがやって来た。首都の中心地で飲食店街から外れるので、夕刻にこの方向のバスに乗る客は多くなかった。列の前の方にデネロス少尉がいるのが見えた。彼女も官舎組だ。女性なので、アスルは同居を誘っていない。彼女が官舎を出る出ないは彼女自身がその気になったら決めるだろう。

 女性も同じ大部屋だ。彼女の方が独立したいんじゃないのかな。

 列が動き出し、並んでいた客が乗り込み始めた。ギャラガは最後尾で、彼が乗り込むとすぐにドアが閉まった。空いている席を探して車内を見ると、デネロスが彼に気づいて手を挙げた。隣席が空いていたのだ。ギャラガは「グラシャス」と言って、先輩の隣に座った。

「明日は今季の発掘許可決定の最終選考日ですね。」

 ギャラガが囁くと、デネロスは頷いた。

「最近選考を通る団体が固定されてきましたね。」
「アンティオワカはまだどこの団体とも決まっていないわ。フランス隊の不祥事の後、閉鎖されたままだから。」
「ミーヤ遺跡の日本隊がそろそろアンティオワカへ希望を申請する頃だと思いましたが、今季は出しませんでしたね。」
「ミーヤの発掘が完全に終わっていないからよ。日本隊は予算の都合上、一度に複数の遺跡を掘ったりしないの。エジプトやアンデスの遺跡と違ってセルバの遺跡にはスポンサーが少ないのよ。」

 2人でボソボソと仕事の話をしていると、出発してから3つ目のバス停が近づいて来た。後ろの座席から立ち上がった気の早い男の客が通路を歩いて2人の横を通り過ぎた。するとデネロスの斜め前の席にいた男も立ち上がった。先に席を立った客の背後について行く。
 ギャラガは不意に空気が少し震えた様な気がした。誰かが”気”を使った? 直後にデネロスが声を出した。

「駄目よ!」

 周囲の乗客が彼女を振り返った。ギャラガも彼女を見た。先に立った男も彼女を振り返った。彼の背後に立った男は振り返らなかった。
 デネロスがギャラガに顔を向けて言った。

「特定の団体に便宜を図ったりしては駄目よ。」

 なんのこと? とギャラガは一瞬ポカンとして先輩少尉を見返した。デネロスが”心話”で事情を説明した。

ーー誰かが”操心”を使おうとしたから止めた。
ーーもしかして、あの前に立っている男ですか?
ーー多分。標的はその前にいる男。

 ミックスで白人の血が混ざっていてもマハルダ・デネロスは”ヴェルデ・シエロ”で2番目に強い部族ブーカの娘だ。そしてギャラガが最強の部族と呼ばれたグラダ族だ。2人はブーカやグラダより弱い力を持つ部族が強力な力を使えば、察知することが出来た。
 バスが停車した。最初に立った客が降車し、バスから出た途端に走り出した。後から立った客も降りたが、追いかけずに反対方向へ歩き出した。
 バスが動き出した。ギャラガは歩道を歩く男がバスの窓越しにこちらを睨みつけるのを見た。純血種の”ヴェルデ・シエロ”だ。

ーー”砂の民”じゃないですか?
ーーそうだとしたら、逃げた方は密猟者ね。

 

2024/02/17

第10部  粛清       4

  その日の夕方、勤務を終えて庁舎から外へ出たケツァル少佐は、アンドレ・ギャラガ少尉が階段の下で彼女を待っていたので、少し驚いた。夕食を共にする約束をしていなかったし、仕事中彼から何も意思表示がなかったので、部下が待っていると予想していなかった。

「少しお時間を頂けますか?」

とギャラガが遠慮勝ちに声を掛けてきた。彼女は他の部下達が既に銘々帰宅にかかっていることを確認した。これはギャラガ単独の誘いだ。彼女は無言で頷くと、カフェ・デ・オラスを顎で指した。

「そこで良いですか?」
「スィ。」

 2人はカフェに入った。夕食時間までにはまだ早く、お茶の時間はとっくに過ぎている。カフェはそろそろバルが開くのを待つ客が増える時間だった。テーブルに着くと、少佐がコーヒーを2人前注文した。部下の希望は聞かなかった。ギャラガも特に希望を言わなかった。

「それで?」

と少佐が声をかけた。ギャラガは率直に相談を始めた。

「クワコ中尉が、私に官舎を出てマカレオ通りの家で同居しないかと言って下さいました。」

 少佐が尋ねた。

「何か問題でもあるのですか?」

 ギャラガは躊躇った。

「私は普通の家に住んだことがありません。」

 少佐は数十秒間彼を見つめ、やがてプッと吹き出した。

「普通の家に住むのが不安なのですか?」
「不安ではありません。」

 ギャラガはちょっと赤くなった。意気地なしと思われたくなった。

「ただ・・・規律がない場所で寝起きする習慣がないので・・・監視業務や出張の時は時間を守ることや、面会する人との約束がありますから、行動の目的があります。官舎の様に食事や入浴や清掃や運動の時間が決まっています・・・」
「アスルと同居すれば、掃除や入浴の順番があるでしょう。炊事は彼が独占するでしょうけど。」
「でも、自由時間があり過ぎるでしょう?」

 ケツァル少佐は目の前の男がまだ本当に自由に生きることを知らないのだと気がついた。幼少期、彼は唯一の肉親だった母親に育児放棄されて一人で物乞いをして生きていた。やがて生きるために(誰かの入れ知恵で)年齢を偽って軍隊に入り、ずっと軍律の下で成長してきた。休暇を与えられても何をして良いのかわからず、一人海岸で海を眺めて過ごすことしか知らなかったのだ。

「自由時間は好きに過ごすものです。貴方は大学の勉強があるでしょう。アスルとサッカーの練習にも行くでしょう。それが官舎の門限や時間割に煩わされることなく出来るのです。」

 彼女はキッパリと言った。

「上からの指図に従って生きるのではなく、自分のことを自分の責任で決めて行動することを学びなさい。そのためにアスルは貴方を誘っているのです。」

 ギャラガはハッとして上官を見た。アスルが同居を提案したのは、彼を教育するため? 彼に独立心を養わせるためなのか? 

「私は・・・」

 ギャラガは言葉を探した。

「これから門限に縛られることなく任務に励むことが許される・・・と考えてよろしいのですか?」

 少佐が天井へ顔を向けた。

「貴方は、仕事のことしか考えられないのですか?」
「今の私には、仕事が一番の大事です。」
「よろしい。」

 少佐は彼に視線を戻して溜め息をついた。

「それなら当分は、好きなだけ仕事をする時間が得られると考えて、官舎の外で暮らしなさい。そのうちに自分でやりたいことが出来る時間を手に入れたのだと思える様になるでしょう。」

 ギャラガが座ったまま敬礼した。アスルの提案を受け入れる意思表示だ。少佐は別の大事なことを思い出した。

「ところで、アスルは現在家主であるテオに家賃を払っています。貴方が同居するなら、家賃を折半するのかどうか、アスルと相談する必要があります。今のままだとテオと契約しているのはアスルだけですからね。」


2024/02/16

第10部  粛清       3

  食事を終えたケツァル少佐は、若い掃除夫は元気ですか、と尋ねた。テオは彼女と一緒に食器を返却口に運びながら、周囲を見回した。勿論昼食時間真っ最中のカフェに掃除夫がいる筈がない。

「昨日も今日も見かけていないなぁ。」

 ちょっと不安になった。父親の逮捕であの若者の身に好ましくないことが起きたのかも知れない。職場を解雇されたとか、故郷へ戻ったとか、想像したくないが”砂の民”に何かされたとか。
 少佐と別れてから、テオは事務局へ行って、掃除夫のことを尋ねてみた。しかし大学は清掃会社と契約しているのであって、掃除夫個人の勤務状況も氏名も把握していなかった。清掃会社の連絡先を教えてもらい、テオはそこへ電話してみた。昼休みなので誰も電話に出なかった。
 仕方なく、心の中に気になるものを抱えながら、その日の仕事を夕刻までこなして、それからもう一度清掃会社にかけてみた。掃除夫は夜間に仕事をする場合もあるのだ。
 電話口に出た男性は、ホルヘ・テナンが大学で何か問題でも起こしたのかと心配した。だからテオは嘘を言うしかなかった。

「彼が俺の落とし物を拾ってくれたんで、礼を言いたかったんです。でも今日は見かけなかった。」

 すると電話口の男性が彼に尋ねた。

ーーすると貴方はお医者さんですか?
「は?」
ーーテナンは大学病院が担当なんですが・・・
「そうなんですか? 俺は自然科学学舎で彼と出会いました。」
ーーああ・・・また勝手に持ち場を交換しやがったな・・・

と男性が舌打ちするのが聞こえた。

ーー若い連中は遊びに行く都合で勝手に持ち場を交換するのでね、こっちは何か問題が起きた時に誰が担当か調べなきゃいけないんですよ。
「すると、ホルヘは、今日普通に仕事に出ているんですね? 大学病院の方に?」
ーーその筈です。タイムカードを押しているからね。

 テオはひとまず安堵した。ホルヘ・テナンはテオに会う為に会社に無断で学舎担当の掃除夫と勤務場所を1日だけ交換したのだろう。会社にバレてしまって悪いことをした。きっと本人は勤務場所交換も記憶から消されているだろうに、上司から叱られてしまう。

「俺は落とし物が戻って感謝しています。どうか彼を叱らないでやって欲しい。それから普段の掃除夫もしっかり働いてくれていますから。」

 フォローになったかどうかわからないが、テオは誤魔化して電話を切った。

2024/02/15

第10部  粛清       2

 「ああ・・・面白かった!」

とケツァル少佐が呟いた。テオは彼女を振り返った。少佐は口元に微かに笑みを浮かべながら、最後の料理に取り掛かっていた。テオは彼女に同意した。

「シショカの奴、ビビってたな。」

 少佐が視線を彼に向けた。

「貴方にもわかりましたか?」
「スィ。教授は縄張りを荒らされるのを警戒して威嚇しに現れたんだろ?」
「スィ。政治家秘書が場違いな場所に来たからです。あの男が相手にするのは、イグレシアス大臣の政敵です。恐らく、大臣が推し進めようとしている北部のダム建設に反対する建築工学の教授を説得に来たのでしょう。私は建築に詳しくありませんが、新聞やネット記事によれば、大学は大臣が採用しようとしている建築方法が自然破壊と災害を齎しかねないと、反対しているのです。でも自然科学の分野からは何も意見が出ていません。」
「ダム建設って?」
「ほら、以前コンドルの神様の目が盗まれたラス・ラグナス遺跡や移転したサン・ホアン村がある地域です。」
「砂漠で地下水脈が変化して地上の水源が枯渇しかけている所だったな? ダムなんて造って意味があるのかい?」
「イグレシアスは水を貯めるのではなく、土砂の流出を防ぐ砂防ダムを大規模に造ろうとしているのだそうです。もしいきなり大雨が降って、土石流が下流の集落を襲うと大災害になるだろう、と。」
「うーん・・・」

 テオは腕組みした。

「国民を守る気持ちは誉めてやるよ。だけど、あの位置に砂防ダムを造ったって、一番近い集落までどれだけ距離があると思ってるんだ?」
「イグレシアスは建設会社に仕事を与えたいのです。大統領の失業対策にも繋がりますから。」
「その政策にロカ・エテルナ社は関係しているのか?」

 ロカ・エテルナ社は、ムリリョ博士の息子や娘達が経営しているセルバ共和国最大手の建築会社だ。公共施設などのビルを得意としている筈だった。少佐が首を傾げた。

「私は知りませんが、アブラーン(ムリリョ博士の長男)はダムに興味を持っていないと思います。」

 利権争いなどは、テオもケツァル少佐も預かり知らぬことだ。だがアブラーン・シメネス・デ・ムリリョの義理の弟であるケサダ教授が大臣秘書のシショカに敵意を示したのは、ちょっと気になった。単純に縄張りを守っただけとは思うが。
 すると少佐はテオが気付けなかったことを教えてくれた。

「教授はこのカフェで寛いでいるメスティーソの学生達を気にかけていましたよ。一族の血を引く学生も何人かいますからね、シショカが嫌うミックス達です。シショカの注意をご自分に向けて学生達から秘書の気を逸らしていました。」
「そうか・・・子供を守る親の役目をしたんだな。」

 少しだけテオは安心した。

「だが、行き先を間違えるなんて、シショカらしくないんじゃないか?」

と指摘すると、少佐は鼻先で笑った。

「若いミックスが大勢いるので、覗きに来たのでしょう。強い力を持つ人間の驕りですよ。」

第11部  紅い水晶     24

  ケツァル少佐は近づいて来た高齢の考古学者に敬礼した。ムリリョ博士は小さく頷いて彼女の目を見た。少佐はトーレス邸であった出来事を伝えた。博士が小さな声で呟いた。 「石か・・・」 「石の正体をご存知ですか?」  少佐が期待を込めて尋ねると、博士は首を振った。 「ノ。我々の先祖の物...