2021/08/26

第2部 バナナ畑  8

  木材の DNA抽出は素材が小さ過ぎて無理っぽく思えた。カラカラに乾燥しており心材はくり抜かれていたので、細胞採取は不可能だった。それでテオはシエスタが終わると考古学部へ出かけた。午後は授業がない。
 正直なところ彼は考古学部の人類学教授ファルゴ・デ・ムリリョが苦手だった。気難しく白人嫌いで定評がある先住民の老人だ。セルバ国立民族博物館の館長でもあり、”ヴェルデ・シエロ”の長老会の会員だ。マスケゴ族の長老でもあり、族長でもあったが、同時に純血至上主義者で”砂の民”でもあった。”砂の民”は”ヴェルデ・シエロ”の影の仕事をしている役職で、一族の安全を脅かす存在であると長老会が認定した人間を抹殺する役目を負っていた。本当なら、テオは白人でアメリカ政府の機関の人間だったから、”ヴェルデ・シエロ”の秘密を知った時点で消された可能性があったのだ。彼が無事に今の生活を手に入れたのは、大統領警護隊文化保護担当部のメンバー全員と友人になれたからだ。そして彼自身もちょっぴりだがセルバ共和国の国家的危機を救ったお陰だ。
 純血種のセルバ先住民と話をする時は、色々と作法があって、テオはまだ全部覚えきれていない。先ず、初対面の相手とは直接会話をしてはならない。目上の方が許可する迄は、目下の人間は紹介してくれた人を介して話をするのだ。そして目上の人は、目下の人を頻繁に無視する。(とテオは感じている。確証はない。)用件に直接入る前に長々と関係なさそうな話をする。(ただの世間話に聞こえる。)相手の目を見てはいけない。これはセルバ人全体の作法でもある。他所の家の女性とその家の家族がいない場所で言葉を交わしてはいけない。等々。もっともこれらの作法は若いセルバ人も覚えきれないようで、街でも大学でも年長者に叱られている若者をたまに見かけた。この作法は”ヴェルデ・シエロ”も”ヴェルデ・ティエラ”も関係ないようだ。
 その日、幸運にもムリリョ博士は不在だった。考古学部の事務員が教授はペルーへ出張ですと教えてくれた。それでケサダ教授の都合を尋ねると、フィデル・ケサダは学部のサロンで休憩中とのことだった。早速押しかけてみると、ケサダはコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。サロンは開放空間で窓が全開になっており、テラス通路から心地よい風が入ってきていた。生物学部より環境が良さそうだ。予約なしで訪問したので機嫌を損ねはしないかと心配しながら「こんにちは」と近づくと、ケサダは新聞から顔を上げて挨拶を返してくれた。
 ケサダもマスケゴ族だ。テオは尋ねたことはなかったが、恐らくこの男も”砂の民”だろうと思っていた。ずっと以前、まだテオが”ヴェルデ・シエロ”の存在をようやく知りかけた頃に、グラダ大学考古学部で客員教授をしていたイタリア人が急死したことがあった。彼はジャングルの奥で消えた村の存在を聞きつけ、調査に乗り出して、「消された」のだ。誰が手を下したのかわからない。だがテオはムリリョとケサダでないことを願っていた。この2人には色々と世話になっている。死んだイタリア人も知り合いだった。考古学部内で「粛清」が行われたと思いたくなかった。
 ケサダ教授はムリリョ博士の弟子だ。先住民らしく愛想が良いとは言えないが優しいので学生達に人気がある。テオも彼とは話がし易かった。同席許可を求めると快く正面の席を手で指してくれた。

「少しだけお時間を頂けますか?」
「スィ。何でしょう?」

 それでテオはビニルバッグを出して笛をテーブルの上に転がした。前もって笛の出処を説明した。ケサダもケツァル少佐同様死体が身に付けていたと聞いても驚かなかった。

「古い物じゃないと思います。最近の物で何処かの村人が手作りした物でしょう。俺が知りたいのは、この笛を使用する地域が何処かと言うことです。ケツァル少佐に見せたのですが、彼女は遺跡の出土品でなければわからないと言いました。でも考古学では現代に残っている文化と古代の文化を比較して調査することもありますよね? こんな笛をご覧になられたことはありませんか?」

 ケサダは笛を手に取ることもなく、見ただけで言った。

「”雨を呼ぶ笛”ですね。」

 テオがびっくりしているのも気にせずに彼は続けた。

「オルガ・グランデの北になる乾燥地帯で見たことがあります。痩せた土地でトウモロコシを栽培して暮らしている村があります。そこのシャーマンが身に付けていました。雨乞いの笛ですが、雨は降る時は降るし、降らない時は降りません。」

 つまり、その村は”ヴェルデ・シエロ”ではなく”ヴェルデ・ティエラ”の村なのだ。”ヴェルデ・シエロ”はちょっと狡いところがある種族で、自分達の超能力でカバー出来ない自然現象等で名声を失いたくないのだろう、雨乞いやハリケーンを防ぐような祈祷はやらない。そう言う生活に密着した呪いの類は”ティエラ”の祈祷師に押し付けてきた。農村部で見かけるシャーマンは皆”ヴェルデ・ティエラ”、つまり普通の人類なのだ。

「すると、この笛をもっていた人はシャーマンだった可能性があるのですね?」
「盗んでも価値のない物ですから、この笛を身に付けていた人が正当な持ち主なのでしょう。」

 そしてケサダは呟いた。

「シャーマンを殺すなど、罰当たりも良いところだ。」



1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

原作ではケサダはもっと若く、教授ではなく助手。
姓も語られず、フィデルと言う名前だけである。

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