2021/09/07

第2部 地下水路  11

 グラダ大学のメインキャンパスに到着した時、既にお昼前だった。早めに講義が終わった学生や、屋外で教師を囲んで授業をしているグループなど、敷地内は明るく華やかな賑わいを見せていた。ギャラガは生まれて初めて大学と言う場所に来て、緊張した。彼の様な貧しい生まれの人間には遠い世界だと思っていた。しかし周囲を歩き回っている学生達はきちんとした服装の者がいると思えば、ホームレス顔負けの見窄らしい身なりの者もいた。若い人も年寄りもいた。だがくたびれた雰囲気はどこにもなかった。どの人も活き活きとして見えた。
 ギャラガがケツァル少佐に買ってもらった古着は、大学では少しも古く見えなかった。同じようなファッションの人が多かったのだ。だからギャラガは気後せずにテオ達について行った。テオがグラダ大学の先生だと言うのは本当らしい。時たま学生が声をかけて来るのを、彼は「また明日な!」と言ってやり過ごした。
 やがて一行は博物館並みに重厚な石造の建物にやって来た。表示が出ていて、建物の右翼が文学部・言語学・哲学で左翼が考古学部・史学部・宗教学部だった。 建物自体の入り口の上には大きく「人文学」とあった。外観は植民地時代のものだが、中は改装されてかなり近代的だ。入ったところのロビーの突き当たりに本日の講義予定と在室の教授・教官達の名前が掲示されていた。電光掲示板だったので、ギャラガはちょっと驚いた。空港みたいだと思った。テオは考古学部にムリリョ博士の名前がなかったので、内心ホッとした。あの長老は嫌いではないが苦手だ。ケサダ教授は在室だと思ったが、少佐は宗教学部に向かった。
 目的の教授はノエミ・トロ・ウリベと言う女性だった。典型的な古典的セルバ美人で膨よかな体型で肌は艶々だが髪はシルバーだった。少佐がドアをノックすると1分ほどしてからドアを開けた。

「あら! シータ、久しぶり! 元気だった?」

 ケツァル少佐はウリベ教授の太い腕でギュッと抱擁された。少佐が息が詰まりそうな声で挨拶していると、ステファン大尉がこそっとその場を離れようとした。ウリベ教授は見逃さなかった。少佐を解放すると、すぐに「カルロ!」と叫んだ。ステファン大尉が固まり、彼も抱擁された。テオは人文学の建物にいる教授達とはあまり馴染みがなかったが、白人の教官はそれなりに目立つ。ステファンの次は彼だった。万力の様に締め付けられ、ステファンが逃げ出そうとした理由がわかった。

「ドクトル・アルスト、一度はお話したかったですわ!」
「光栄・・・です・・・ウリベ教授・・・」

 多分、誰も紹介も何もしていないのだが、ウリベ教授はお構いなしだ。初対面のギャラガ少尉まで犠牲になった。

「新しい学生かしら? よろしくね!」

 ギャラガは言うべき言葉を失して目を白黒させた。
 熱烈歓迎を受けた4人の訪問者は教授の部屋に招き入れられた。不思議な空間だった。アメリカ大陸南北から集められた土着信仰に使用される人形が所狭しと置かれていた。蝋燭や、祭祀の様子を撮影した写真を貼ったパネルや、書物や薬品の様な物が入った容器がそこかしこに置かれ、整理整頓されているのかいないのかわからない。奥に机と椅子があったが、教授は床に広げられたラグの上に座り込み、少佐も座ったので男達もそれにならった。
 ウリベ教授は”シエロ”なのだろうか”ティエラ”なのだろうか、とテオは様子を伺ったが、判別出来なかった。彼女は純血の先住民だ、それだけわかった。

「今日はお客さんが朝から多いわね。」

と教授がお茶をポットからカップに入れながら言った。

「朝一番にキナが来たわよ。それからアルフォンソ。次はシータとカルロが揃って来たのね。午後はマハルダが来るのかしら?」

 どうやらこの先生は大統領警護隊文化保護担当部の頼れる先生の様だ。少佐はアスル(キナ)もロホ(アルフォンソ)も命令を受けて真っ先にこの教授を頼ったことに、少し苦笑した。彼等がどんなことを聞いたかは尋ねずに、すぐに用件に入った。

「粘土の人形を使う呪術なのですが、鶏の頭とコカの葉っぱを使い、ジャガーの心臓を生贄に要するものは何を目的とするのでしょう?」
「ジャガーの心臓?」

 教授がカップのお茶を啜って、少佐を見た。

「写真ある?」

 少佐は空き家で男達がステファンを見つけた間に撮影した携帯の写真を見せた。それでウリベ教授は”ティエラ”だとテオはわかった。写真を拡大して教授は細部を眺め、やがて首を振って携帯を少佐に返した。

「嫌な図柄ね。儀式を中断してアイテムをかき回しているわ。何が目的かわからない様にしてある。」
「駄目ですか?」
「人殺しよ、それは間違いない。」
「このアイテムで準備は揃ったのでしょうか?」
「この儀式にジャガーは必要ありません。後は標的の持ち物か体の一部、髪の毛や爪を人形に埋め込んで、3日3晩呪文を唱え続ける。勿論、唱えるのはシャーマンでなければ効果はないわ。」
「一般的な儀式ですか?」
「呪いの儀式に一般的も何もないわね。でもこれは・・・」

 もう一度教授は少佐の携帯を受け取り、写真を拡大して隅々をじっくり再見した。そしてテーブルの角を指差した。

「これに気がついた、シータ?」

 少佐が携帯を覗き込んだ。そして素直に見落としを認めた。

「ノ、今ご指摘で気がつきました。」
「見せてもらって良いかな?」

 テオが好奇心で声をかけると、ウリベ教授は愛想良く見せてくれた。空き家のテーブルの角に光る小さな物がくっついていた。この形は・・・。

「魚の鱗ですね、ウリベ教授?」
「スィ、流石に生物学部の先生ね。これは鱗だわ。鶏の頭に加えて魚も贄にしたのね。」
「魚が加わると儀式の意味が違って来ますか?」
「違いはしませんが、シャーマンの出身がわかります。」

 テオは今朝見かけた2人の男を思い出してみた。ばっちり見えた訳ではないが、どちらも純血種の先住民に見えた。老人は口元に痣の様な物があった。あれは痣か? そうではなくて、もしや・・・? 彼がそれを言おうとすると少佐も口を開きかけた。2人同時に言った。

「口元に刺青・・・」

 互いに顔を見合った。少佐が先に尋ねた。

「老人の方にありましたね?」
「スィ。皺で痣みたいに見えたが、青黒い模様だと思われる。」

 ウリベ教授が立ち上がり、棚から本を一冊抜き取って戻った。パラパラとページをめくり、写真を客に見せた。

「こんな模様?」

 それは先住民の男の写真で、口の両端に青黒い波模様の刺青が入れられていた。隣のページは似たような民族衣装を着た男で、少し異なるがやはり波模様の刺青を口元に施していた。

「これは、ゲンテデマよ。」

と教授が言った。テオはケツァル少佐が「はぁ?」と言う表情をするのを初めて見た。

「それは部族名ですか?」
 
 すると予想外の方向から返事が来た。

「漁師です。」

 少佐とテオは後ろを振り返った。ステファン大尉は隣を見た。ウリベ教授がにこやかにギャラガ少尉を見た。ギャラガは赤くなって目を伏せた。教授が優しく頷いてから、説明した。

「スィ、漁師です。ゲンテ・デル・マール(海の民)のことよ、シータ。東海岸の漁師達は気取って自分達のことをそう呼ぶの。この刺青を施している漁師は、南の方のガマナ族ね。でも最近は顔に波模様を入れる人は少ないわ。野暮ったく見えるから、若者は腕や背中に入れたがるの。漁師もやらないからね。観光業に力を入れているわ。」
「では、この写真のテーブルの儀式を行っていたのは、ガマナ族の元漁師でシャーマンをしている人ですか?」
「しているのか、していたのかわからないけど、そんなところでしょうね。」

 

 

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

ウリベ教授はブログ版の新キャラ。

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