ヘロニモ・クチャが落盤事故から鉱夫達を救ったのがいつ頃のことなのか、サン・ホアン村では聞かなかったし、このイェンテ・グラダ村の遺構でも長老は言わなかった。恐らく噂話で残っているだけで、明確な記録は鉱山会社にしか残っていないのだろう。ケツァル少佐が振り向いたので、ステファンは目を合わせた。
ーーお祖父様からクチャの話を聞いたことはありますか?
ーーありません。私が聞いたのは、サン・ホアン村へコンドルの神像の話を聞きに行った時に、村人から伝説の様に聞かされただけです。
2人は急いで長老に視線を戻した。目上の人の前での内緒話は不敬だ。
背が高い長老は最後の出稼ぎ鉱夫の話を始めた。
「最後の男は、マレシュ・ケツァルと言った。ウナガン・ケツァルの叔父になる男だったと思うが、イェンテ・グラダ村は住民全員が兄弟姉妹、従兄弟姉妹同士だったから、確実な関係はわからぬ。彼は名前を白人臭くマルシオ・ケサダと変えた。オルガ・グランデの戦いの間も彼は地下で黙々と働き、エウリオ・メナクが亡くなった後も鉱山にいた。」
「子は作ったのか?」
と背が低い方の長老が尋ねた。背が高い方の長老は肩をすくめた。
「知らぬ。マレシュはいつの間にかオルガ・グランデから姿を消していた。ヘロニモ・クチャを探しに行ったのか、あの男自身の終の場所を探しに行ったのか、誰にもわからぬ。」
「解せぬ話ぞ、友よ。」
と背が低い長老は言った。
「グラダの血を濃く受け継ぐ3人の男達を、何故当時の長老会は厳しく監視していなかったのだ。本来なら、彼等が大地に還る迄見届けるのが筋であろう。そうでなければ、村を殲滅させた意味がない。グラダの血を野放しにしたと言うことだぞ。」
「儂に何も権限がなかった時代のことを批判されても困る。」
背が高い長老がぶっきらぼうな声で応えた。尤も、彼はいつもぶっきらぼうなのだ。
「だが、グラダばかりを監視している訳にいかぬ。気の制御が効かぬ”出来損ない”は代を重ねる毎に増えている。それに比べてマレシュもヘロニモも普段は上手く抑制出来ていたのだ。だから出稼ぎに出かけた。そして行方を晦ませたまま今に至っている。」
背が低い長老が夜のジャングルを覗き込んだ。
「あの井戸を埋めたのは、ヘロニモかマレシュだと思うか?」
「さて・・・儂はもうどうでも良いと思える様になってきたわい。」
背が高い長老が自分の肉の残りを掴み、立ち上がった。3人に立つなと手で合図すると、おやすみの挨拶もなしに自分の木を選んで登って行った。
暫く残された3人は焚き火を眺めながら座っていた。森は静かだ。”ヴェルデ・シエロ”がいるから野獣も昆虫も蛇も寄って来ない。
そろそろ木の上に登りたいな、とステファンが思い始めた頃に、長老が顔を上げた。
「マナの息子」
と呼ばれて、彼はハッと顔を上げた。
「はい?」
「お前はどう感じる? この父祖が生きて、殺された土地に来て、何か感じるものはあるか?」
ステファンはちょっと躊躇った。正直なところ、彼にはこの密林の中の藪が父の故郷だと言う実感が湧いて来なかった。悲しいとか、悔しいとか、懐かしい、とか、そんな感情が全く生まれて来なかった。だから彼は正直に言った。
「私にとって、ここは普通のジャングルにしか過ぎません。例え石の土台が残っていたとしても、感じることは何もなかったと思います。私の故郷はオルガ・グランデですし、生活の場はグラダ・シティです。2つの都市に愛着がありますが、ここは何もありません。先祖は薄情な子孫だと思っているでしょうが。」
仮面の下で長老が奇妙な音を立てた。きっと笑ったのだ。
「今時の若者だな。では、娘の方はどうだ?」
ケツァル少佐も肩をすくめた。
「私はスペインとセルバを行き来して育ちました。私の親はミゲール夫妻です。今この瞬間に私はイェンテ・グラダにいますが、気持ちは遠いです。」
「そうか・・・」
長老は小さな声で呟き、そして若者達に、寝なさい、と言った。
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