2022/03/22

第6部 七柱    1

  テオドール・アルストは期末試験の問題を作り終えて主任教授に提出した。ひどく肩が凝った。早く終わらせようとパソコンの画面に集中し過ぎたせいだ。カフェでコーヒーでも飲んで、後は何もせずに夕方迄過ごそうと思いつつ、キャンパス内のカフェに行くと、考古学部のケサダ教授とンゲマ准教授、宗教学部のウリベ教授、それに文学部先住民言語学のオルベラ教授が、それぞれ別のテーブルなのに席だけは固まって座っているのが目に入った。一つのテーブルに1人ずつだ。
 こんな場合、俺は何処に座れば良いんだ?
 テオは戸惑いつつ、彼等に近づいた。「オーラ!」と声をかけると、多少の時間差はあったが全員が彼を見た。口々に「オーラ!」と返事が戻ってきた。唯一人の女性であるウリベ教授が彼女のテーブルを指した。

「どうぞ、お掛けになって。」

 椅子が3脚空いていたので、テオは取り敢えず彼女に近い椅子に座った。向かいに座るべきかと思ったが、それでは男性教授達と遠くなってしまう。オルベラ教授はあまり出会うことがない人だったが、テオの顔を見て笑いかけてきた。

「お疲れの様ですね。試験問題は完成しましたか?」
「スィ。なんとか作りました。主任教授から合格だと連絡が来れば、安心して眠れます。」

 試験はレポート重視の考古学部の教授達は優しく微笑んだだけだった。ウリベ教授は論文形式の試験問題を出すことで有名で、それがかなりの難関だと評判だ。普段の和やかな講義風景とは全く異なる地獄の試験だと学生の間で噂されていた。
 今期の学生達は勉学に真面目に取り組む者が多かったと、教授達は教え子達の評価を交わし合った。テオ以外は人文学系なので、テオが知っている学生の名前は出てこなかった。そのうちに、ンゲマ准教授がテオの興味を引く話を始めた。

「私の研究室の学生が2名、先週喧嘩をしましてね・・・」

 男子学生が恋愛問題で口論になったのだと言う。

「学生達の喧嘩に私が口出しすることでもなかったのですが、片方がどう言う訳か、相手の真の名を呼んでしまいまして、怒った相手と取っ組み合いとなり、引き離すのに苦労しました。」
「それは、呼ばれた方にとっては一大事でしょう。」

とウリベ教授が苦笑した。オルベラ教授もケサダ教授も首を振ってウリベ教授の言葉に同意した。テオは不思議に思った。インディヘナが真の名を持つことは知っている。彼等が普段使っている名前は書類上の本名で、名付け親や親からもらう真の名は決して他人に明かさないものだ。恐らく大統領警護隊の友人達も真の名を持っている筈だが、絶対に教えてくれないだろう。そう言う大事なものを、何故他人が知っているのだ?

「その学生の真の名を、どうして喧嘩相手が知っているのです?」

 彼が質問すると、「さあ?」とンゲマ准教授は肩をすくめた。

「それが呼ばれた方は全く心当たりがなかったのですな。家族でない人間に教える筈がないし、彼の家族も他人に彼の真の名を教えたりしないでしょう。」
「偶然罵った言葉が、真の名だったのではないですか?」

とオルベラ教授。ンゲマ准教授は首を振った。

「いや、罵り言葉になるような名前ではありませんでした。流石にここで彼の真の名を言ってしまうことは出来ませんが・・・」

 すると呪いなどの研究をしているウリベ教授が言った。

「もしかすると、その喧嘩相手の真の名を呼んでしまった学生は、相手の心を読んでしまったのかも知れませんね。」

 男性達は一斉に彼女を見つめてしまった。

「心を読んだ?」
「テレパシーですか?」

 ウリベ教授は肩をすくめた。

「さぁ・・・」

 するとケサダ教授がボソッと呟いた。

「恐らく、聞こえてしまったのでしょう。」

 一同は彼を見た。教授は紙コップのコーヒーを啜ってから言った。

「たまにあるでしょう、誰かの心の呟きが聞こえる、と言うか、聞こえたような気がすることが。意図して読んだのではなく、偶然聞こえてしまったのでしょう。」

 それはテオも経験があった。なんとなく隣に座っている友人が何か言ったようなので顔を見ても、向こうは知らん顔しており、何も喋った風でないことがある。実際、「何か言った?」と尋ねても、「何も言っていない」と言われるのだ。アメリカ時代でもそう言う経験があった。超能力者を研究している施設だったから、そう言うこともあるだろうと気にしなかった。セルバに来ても、”ヴェルデ・シエロ”の血を遠い祖先に持つ国民が多いので、気にしていない。だが、真の名を他人に知られるのは一大事だ。セルバ人は、他人に自分が支配されるのではないかと心配する。

「それで、喧嘩した学生達はどうしたのですか?」

 オルベラ教授の問いにンゲマ准教授は苦笑した。

「別の学生の仲裁でなんとか収まりました。彼等があの喧嘩をきっかけに親友同士になれば、問題は起こらないと思いますがね。」

 メスティーソの彼は、純血の先住民であるウリベ教授とケサダ教授を見た。

「先生方は、真の名をお持ちですか?」

 ウリベ教授もケサダ教授も当然だと言う顔で頷いた。

「スィ。持っていますよ。明かしませんが。」
「私も名付け親から貰いました。今では年寄りがいなくなって、私しか知りませんけれど。」

 彼等はオルベラ教授を見た。オルベラとンゲマはどちらもメスティーソだ。オルベラ教授は首を振り、ンゲマ准教授も「持っていません」と言った。そして彼等はテオを見た。テオは苦笑した。

「俺は、M3073 って言う名前をもらってました。」

 セルバ人の教授達が無言で見つめるので、彼は告白した。

「遺伝子の研究施設で生まれたので、シオドアって名前をもらう前は、試験管番号で呼ばれていたんですよ。勿論、物心つく前ですけどね。」
「それは真の名前じゃありませんわ。」

とウリベ教授が悲しそうな目で言った。

「貴方の真の名前はテオドール、それで良いじゃありませんか。」

 

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