2023/01/29

第9部 エル・ティティ        4

  「ホルヘの宿」でサシガメを見ることはなかった。マイロはぐっすり眠り、翌朝気持ち良く目覚めた。トイレと水のシャワーを浴びて、服を着て階下へ降りると、コーヒーの香りがした。昨日の受付の男が、「おはよう」と言って、テーブルを指差した。コーヒーポットとカップが数個、そして切ったバゲットが積み重なった籠が置かれていた。それが朝食だ。マイロはチャパを待たずに朝食を取った。受付の男は部屋の隅のソファに座ってテレビを見ていた。硬いパンには数種類のジャムが添えられており、それは酸味と甘味が種類毎に違って美味しかった。
 マイロは食べながら男に話しかけてみた。

「この街では、伝染病が流行ったことがありますか?」

 男がテレビを見たまま答えた。

「10年近く前かな・・・風邪に似た病気が流行った。大勢死んだんだ。」

 マイロは驚いた。グラダ大学でそんな話を聞いたことがなかった。

「風邪に似た病気?」
「スィ。発熱と咳と・・・どんな薬も効かなくて、呪いも効き目がなくて、体力のない人から順に亡くなっていった。エル・ティティでも住民の3分の1が罹って、15人亡くなったんだ。僕の従兄弟も1人死んだし、ゴンザレス署長は奥さんと息子さんを失くした。」
「それは・・・ウィルス性の疾患だろうか?」
「難しいことは知らない。町の病院が手洗いと蒸し風呂と体の洗浄を徹底的に住民に広めて、半年ほどで収まったけどね。」
「虫が媒介したとか?」
「それはない。」

 男は断言した。

「セルバでは、虫が病気を運ぶことは絶対にない。僕等は守護されているから。」
「?」

 そこへチャパが2階から降りてきた。挨拶をして、彼はコーヒーをカップに注いだ。彼が席に着くのを待って、マイロは伝染病のことを訊いてみた。チャパが「ああ・・・」と頷いた。

「砂漠風邪ですね。」
「砂漠風邪?」

 聞いたことがない。マイロは怪訝な顔をした。チャパは大して重要でないと思っているのか、パンをちぎりながら言った。

「ティティオワ山から西の地方特有の病気で、この国の風土病です。大体30年か40年の周期で発生するそうですよ。太平洋からの風が強い時に、西側の砂漠地帯の埃が空気中に漂うんです。それが徐々に増えて、吸い込んでいるうちに肺に溜まってくるって聞いたことがあります。」
「”シエロ”が鎮めてくれるのを待つ他はないのさ。」

と宿の男。マイロは彼がホルヘじゃないのかと思ったが、黙っていた。”シエロ”と言うのは、セルバの古代の神様だったな、とぼんやり思った。

「東部では滅多に発生しないんです。」

とチャパは言った。

「喘息などの疾患を持つ人が、西側に旅行したりして、罹ることはあります。」
「それじゃ、マスクをしていると大丈夫なのか?」
「スィ、その筈です。」
「埃に何かウィルスとか細菌が混ざっているとか・・・」
「今のところ、そんなものは発見されていません。だからグラダ大学では研究されていないんです。風が強い日にマスクをしていれば防げるから。」


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