2023/02/19

第9部 セルバのアメリカ人      3

  東パスカル公園はグラダ大学から歩いて20分ほどの距離にある住宅地の中の緑地だった。そんなに広くなく、芝生の中に花壇がいくつか造られており、真ん中に池があるのだ。池は多分天然のものだろう。コンクリートやブロックで護岸されているのでなく、草が生えた土の土手で囲まれていた。水深もなくて、行政は安全柵を設けてもいない。そこに学生が10人ばかり長靴を履き、ゴム手袋と泥除け用にゴーグルを装着して歩き回っていた。カエルを捕まえると岸辺に置かれたバケツに入れていく。
 麦わら帽子を被った白人の男が学生が捕まえたカエルに標識を取り付けていた。彼も丈の長いゴム手袋を装着し、ゴーグルをかけていた。
 マイロは白人の男に近づき、声をかけた。

「ドクトル・アルストですか?」

 男が顔を上げた。眩しそうに目を細めたのは、マイロが逆光の中にいたからだ。

「スィ。貴方は?」

 マイロは立ち位置をずらして自分の顔を見せた。

「アーノルド・マイロ、医学部微生物研究室の客員研究者です。」

 ああ、とアルストが頷いた。彼は英語に切り替えた。

「アメリカ国立感染症センターから来られた方ですね。」

 彼は立ち上がった。身長はマイロほどある。背が高いし、スリムで、そして若い。彼はゴム手袋を右手から抜き取り、ゴーグルも取った。綺麗な青い目をした北欧系と思われる顔だ。

「テオドール・アルスト・ゴンザレスです。世間ではアルストで通っています。アメリカではシオドア・ハーストと言う名前でした。」

 手を差し出され、マイロは握手に応じた。彼も英語で話した。

「カエルを集めているのですか?」
「ええ・・・」

 アルストはバケツの中を見せた。毒々しい色をした美しいカエルが数匹入っていた。

「先日、ここで遊んでいた近所の子供がカエルの毒で重体に陥った事故がありました。今までにない事故だったので、市当局が事態を重く見て、この池にヤドクガエルが棲息していないか調査するよう依頼して来たんですよ。本来は小動物の研究をしているスニガ准教授の仕事になるのですが、彼は今スペインへ出張中で、俺が代理で学生達と資料集めをしているところです。似たような色合いのカエルが住んでいますが、こいつらは昔からこの池にいるそうで、毒なんてないって地元民が言うんです。もしかすると誰かが毒ガエルを持ち込んで交雑したのかも知れないと思い、これから大学へ持ち帰って遺伝子分析します。」

 一気に喋ってから、アルストはマイロをジロリと見た。

「ところで、何か御用ですか?」

 マイロは笑いそうになった。アルストはすっかりセルバ人のペースで行動している。准教授なら学生にさせて自分は研究室で待っていれば良いだろうに、と思った。尤もマイロだってサシガメを求めて太平洋岸まで行った人間だ。自分で行動しなければ気が済まない口だった。

「僕の研究テーマをご存知ですか?」

 アルストはこちらに関心ないだろうと思っての質問だったが、意外にも相手は頷いた。

「シャーガス病の予防策を研究されているのでしたね。」

 向こうにはこちらの予備知識がある。マイロは少し緊張した。

「そうです。アメリカにいる時に、セルバ共和国ではシャーガス病の発症例がないと聞いて、どんな予防対策を講じているのか、或いはセルバ人に原虫への耐性があるのかと、調べに来ました。しかし・・・」

 彼はちょっと肩の力を抜いた。

「開発途上国だと思って上から目線で見ていたようです。この国では都市部で住居の消毒などの対策を取っているのですね。セルバ人が特別丈夫な様でもない様だし・・・」

 アルストが口元に小さく笑いを浮かべた。

「まあね、シャーガス病対策と言うより、マラリアや他の病気の予防対策に保健省が市民の家を消毒して回っていることは事実です。地区毎に分けて2、3年の周期で行っています。それに地方では民間信仰で使用されるお香が消毒薬と似たような効果を出しているみたいです。」

 突然池の中で大声で喚きだした学生がいた。マイロとアルストが振り向くと、一人の学生の袖に大きな亀が食らいついていた。アルストがマイロを置いて池の中へ駆け込んだ。

「ハイメ、腕を噛まれていないか?」
「ノ、服だけです。買って間なしのパーカーですよ! こら、亀、放しやがれ!」
「脱げ、ハイメ! 亀に触るんじゃない!」


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