フィデル・ケサダは純血のグラダ族の男で、恐らく現在生きている”ヴェルデ・シエロ”の中で最強のパワーを持っているのだが、それを微塵も感じさせない制御で、普通の人間のふりを続けている。同じ一族の者にも気取られないのだから、見事という他にない。
彼は無表情なまま、駐車場に入って来て、ケツァル少佐の車のそばに来た。彼が口を開く前に、ファルゴ・デ・ムリリョ博士が声を掛けた。
「ケツァルから報告がある。恐らく”名を秘めた女”が危惧している物だ。」
ケサダ教授は養父であり、舅であり、マスケゴ族の族長で一族の最長老の一人であるムリリョ博士に、右手を左胸に当てて無言で挨拶すると、少佐に向き直った。目と目を見つめ合わせ、一瞬で情報の伝達が行われた。博士が尋ねた。
「何だかわかるか?」
「ノ。」
即答だった。
「呪術に使われた石であろうと推測は出来ますが、正体は分かりません。」
ケサダ教授はムリリョ博士に顔を向けた。
「私の専門は交易で宗教や呪術ではありません。これは寧ろノエミの得意分野でしょう。」
ノエミとは、宗教学部でセルバの民間信仰を研究しているノエミ・トロ・ウリベ教授のことだ。様々な民間信仰を扱っているが、呪い人形などの収集はかなりの数で、学生の中には「呪いの先生」と陰であだ名を付けている程だった。ただ、残念なことにウリベ教授は普通のアケチャ族、つまりセルバ共和国東半分全域に分布している普通の先住民の女性で、”ヴェルデ・シエロ”ではなかった。そして実際に”ヴェルデ・シエロ”がまだどこかに生き残っていると信じているが、本物と出会ったことがなかった。目の前にいる友人のケサダ教授や教え子の大統領警護隊文化保護担当部の隊員達が何者なのか知らないのだ。
ムリリョ博士がぶっきらぼうに言った。
「彼女を巻き込む訳にはいかん。」
つまり、自分達の正体を打ち明けるな、と言う意味だ。ケツァル少佐が提案した。
「私がウリベ教授に質問してみます。」
「”操心”は使うなよ。」
とムリリョ博士が釘を刺した。
「あの女は心を操れるとは思えん。固い意思の持ち主だからな。」
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