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2022/09/28

第8部 チクチャン     7

  その夜、ケツァル少佐のアパートで大統領警護隊文化保護担当部とテオドール・アルスト、そしてカルロ・ステファン大尉が揃って夕食を取った。
 最初にロホが通常業務の進行状況を報告した。勿論、これが一番の優先事項で大事なことだ。少佐は部下達の仕事ぶりを聞き、2、3注意事項を告げ、アドバイスを一つしてから、今度は自分達の調査報告を行った。

「正直に言えば、特に報告すべきことはありません。アスルの電話を受けて、ダム工事を行ったアゴースト兄弟社の会社と経営者の自宅、それぞれを探ってみましたが、ダム工事を請け負ってから特におかしな出来事はなかった様です。それにサスコシ族にチクチャンと言うマヤ名を名乗る家族はいないと言うことです。」

 簡単に述べてから、彼女は付け加えた。

「タムード叔父から、マヤ系の住民と婚姻した一族の人間がいたかも知れないと言う考えを頂きました。」

 ステファン大尉がすかさず追加した。

「アスクラカンの市民でチクチャンと言う名の住民は現在いない様です。」

 尤も森の隅々まで住民調査した訳ではない。テオはオクタカスの村や遺跡を思い出した。昔、あの密林の奥に、”ヴェルデ・シエロ”の秘密の村があったのだ。しかし、最近ケツァル少佐とステファン大尉は長老会の人々と一緒にその村跡を訪れている。人間が住んでいる気配があれば彼等は気がついただろう。チクチャンの家族が潜んでいると思えなかった。

「グラダ・シティにチクチャンが潜んでいる様な気がして戻って来ました。」

と少佐が言うと、ロホが頷いた。

「建設省での守備を何処かで見張っていると言うお考えですね?」
「スィ。大臣が元気なので、失敗したと気がついているでしょうけど・・・」
「大臣に仮病を使って貰えば?」

とギャラガが呑気な意見を述べた。アスルがニヤリとした。

「それなら、俺が呪術で病気にしてやるさ。」

 テーブルが笑い声に包まれた。テオは彼等がそんな邪道な手で他人を攻撃したりしないことを知っていたが、想像するとちょっと恐ろしかった。この人達は本気になれば神像の祟りなど使わずに相手を病気にさせられるのだ。

「明日からどうします?」

とデネロスが尋ねた。少佐は肩をすくめた。

「何も打つ手がありません。取り敢えず通常業務に戻ります。」

 彼女は弟を振り返った。

「ご苦労様でした、ステファン大尉。明日は遊撃班に戻って頂いて結構ですよ。」

 あっさりクビだ。ステファンも肩をすくめた。

「明日と言わず、今夜でクビにして下さい。その方が朝練に遅れずに済みます。」

 もう官舎に帰るつもりなのだ。テオはちょっとがっかりした。一晩彼と飲めるかと期待したのだが。デネロスも寂しそうだ。彼女にはメスティーソの先輩が特別の存在なのだ。しかしギャラガはあっけらかんとしていた。

「それじゃ、大尉、デネロス少尉と3人で一緒に官舎へ帰還しますか?」

 ステファンがケツァル少佐を見た。今夜でクビにしてくれるのか?と目で問うた。少佐が笑った。

「官舎の固いベッドが恋しいのですね。どうぞ、帰りなさい。セプルベダ少佐によろしく。」

 

2022/09/27

第8部 チクチャン     6

  アゴースト兄弟社の経営者のアゴーストは実際に兄弟だった。兄が経営を弟が設計を担当しており、サスコシ族の族長の家より立派な屋敷を構えていた。しかしアスクラカン随一の大富豪サンシエラ一族の屋敷よりは小さい、とケツァル少佐は思った。サンシエラ一族はサスコシ系のメスティーソで、今は殆ど白人に近い風貌の人々ばかりだ。”ヴェルデ・シエロ”の自覚がない人も多く、古代の神様を敬っているが、自分達がその末裔であると言う証の”心話”以外に能力を使うことなど毛頭考えていないのだった。アゴースト家は普通の建設会社で、屋敷は立派だが上流階級の匂いはなかった。一代で築き上げた財産を大事に使っている、しかし家族には贅沢させている、そんな感じだ。
 ステファン大尉は再び屋敷の周囲の住民からアゴースト家の情報を収集した。ダム建設以降に歳を取った親が亡くなった程度で、特に災難がその家族に襲いかかった気配はなかった。

「チクチャンが犯人だとして、彼等は建設会社には遺恨はないのですかね。」

 ステファンが少し気が抜けた感じで言った。ケツァル少佐は屋敷を塀の隙間越しに眺めて、首を傾げた。

「確かに金持ちの家ですけど、土建屋がそのまま大きくなったと言う感じですね。チクチャンはアゴーストを敵と見なしていないのかも知れません。彼等を潰したら、多くの従業員とその家族が路頭に迷います。」
「理性のある復讐者ですか。」

 ステファンは、アンゲルス鉱石の社長を呪いで消しても腹心のバルデスがいたな、と思った。アンゲルス鉱石は巨大企業だが、有能な幹部が複数いる。創業者アンゲルスを消しても、誰も困らなかった。それはそれで寂しいな、と彼は思った。
 彼の頭の中を読んだかのように、少佐が言った。

「建設大臣を消しても、建設省は機能し続けますからね。」

 彼女は溜め息をついた。

「どんな意味を持つのでしょうね、彼等の復讐は?」
「アスルをもう一度盗難現場へ跳ばすことは無理ですか?」
「時間跳躍は難しいのですよ。タイミングが悪ければ、アスルが危険な目に陥ります。」

 警備員が爆裂波で襲われたのだ。アスルだって同じ目に遭わされる可能性もあった。それは「過去をちょっと見る」では済まなくなる。

「マハルダやアスルが収集した情報では、若い男女のペアだった様ですね。」
「博物館に現れた人物は修道女の姿をしていたそうです。」
「”幻視”かも知れません。」
「チクチャンは何人いるのでしょう? 一家全員でしょうか?」

 少佐はアゴーストの屋敷をもう一度眺め、それからアスクラカンの市役所の建物を民家の群れの向こうに眺めた。

「グラダ・シティに帰りましょう。」

 え? とステファンが振り返った。

「他の族長には会わないのですか?」
「チクチャンはグラダ・シティにいると言う気がします。イグレシアス大臣が本当に死ぬかどうか見極めたいでしょうから。」

 その時、少佐の携帯が鳴った。彼女が画面を見ると、テオからだった。

「オーラ・・・」
ーーオーラ、少佐! 忙しいかい?
「なんとも言えません。」
ーー大した用事じゃないんだが、ケサダ教授がシショカが動いていると言っていた。

 ステファンは少佐がピクリと体を緊張させたのを感じた。少佐がスピーカーにしてくれた。

「シショカが動いている、とケサダが言ったのですか?」
ーースィ。教授は建設省のマスケゴって言ったから、シショカのことだろう?
「ムリリョ博士も動いているのでしょうか?」
ーーそこまでは知らない。教授はシショカが何をしているのかと言うことは知らない様子だった。ただ文化保護担当部が動いていると知って、何か思いついたようだ。

 少佐はちょっと考えた。 テオが言い足した。

ーー俺は教授には関係ないことですと言っておいたが・・・
「それは関係あると言っているのと同じでしょう。」

 ステファンが思わず口を出した。少佐はちらっと彼を見てから、携帯に注意を戻した。

「ケサダに何か出来ると言うこともないでしょうし、あの方はご家族や友人に直接関係すること以外には動きませんから、放っておいて下さい。」
ーーいいのかい?
「スィ。」

 少佐は「今夜帰ります」と言って、電話を終えた。

2022/09/26

第8部 チクチャン     5

  アルボレス・ロホス村があった場所を流れる川は、アスクラカン行政府では単純に「支流17」と呼ばれていた。元からその地に住んでいた人々にとっても、ただ「川」で名前は特になかったのだろう。
 カルロ・ステファン大尉がアゴースト兄弟社で仕入れた情報では、支流17に泥止めのダムを建設してから会社内で特に変わったことはなかったと言うことだった。作業員が怪我をしたり、不思議な事故が起こったり、死亡事案があったり、そんなことはどこの会社でも一つや2つはあることで、彼等は問題にしていなかった。ダムができてから正確には14年経っており、その間に何もなかったと言う方が不思議なくらいだ。不思議な事故と言うのも、停めていた重機が勝手に動いて斜面を転げ落ち、下にあった数台の空のダンプカーにぶち当たったと言うもので、奇跡的に怪我人も死人も出なかった、とステファンは聞かされた。
 ケツァル少佐は、取り敢えずダムを見てみようと言い、ステファンを助手席に乗せて森の中につけられた作業用道路を走って行った。大型トラックが1台通れる程の道幅で、所々離合スペースがある、と言っても藪を踏んづけた程度の空き地だったが、走るには支障なかった。それにダムが見える場所までに数台トラックとすれ違ったが、どのトラックも荷台に土を積載していた。
 ダムはコンクリート製の低い堰堤だった。溢れた水が上部から流れていた。堰堤の上流は広い河原になって草や低木が生え、真ん中に水が流れている。その河原の土を堰堤から1キロほど遡った所で重機が掬い上げているのが見えた。トラックに積み込み、どこかに運んでいる。

「工業用のコンクリートに使うそうです。」

 アゴースト兄弟社で資料を盗み見て来たステファンが説明した。

「泥が満杯になってしまうのを防ぐのと、土砂を売って儲けるのと、自前の工事に使うのと、一石三鳥ですよ。」
「考えたものですね。」

 少佐は車に常備している双眼鏡で見てみたが、昔村があった痕跡はどこにもなかった。広い河原はすっかり周囲の風景に同化して、昔からそこはそんな広い平らな場所であったかのようだ。

「昔の地形はどうだったのです?」
「もう少しVの字に近い谷だったようです。だからダムを造ったのですが、深くなかったし、幅もあったので、こんな平になったのでしょう。 住居が泥で埋もれたと言うより、畑に泥が溜まってしまって耕作が出来なくなったのです。」
「会社はどう考えていたのでしょう?」
「ただ、請け負った通りに作業しただけですよ。」

 入植者のその後の災難など考えていなかったのだろう。入植者もまさかダムが自分達の生活を奪うとは夢にも思わなかった筈だ。力仕事で雇ってもらったのかも知れない。村の家屋は多分木造の小屋で少し高床式だった。だからすぐには人間に被害が出なかった。

「作業員達が村の住民のその後を知っていると言うことはありませんでしたか?」
「”操心”で探りましたが、従業員の入れ替わりが激しく、村人のことはおろか村があったことも知らない人が殆どでした。村自体の歴史が短すぎたのでしょう。」

 ブルドーザーの音が始まった。シエスタが終わって本格的に仕事を再開したのだ。来る途中ですれ違ったトラックは、昼前に土砂を積んで、休憩を終えて運搬を始めたに違いない。

「次の雨季が来る迄に土砂を掻い出して、雨季の間は休止、乾季にまた作業をする、の繰り返しです。アルボレス・ロホス村は気の毒だったが、ダムのお陰で下流の住民は土砂災害が減って安堵していると言う話も聞きました。」

 少佐は小さく頷いた。移転費用がきちんと支払われていれば、揉め事は起きずに済んだのかも知れない。
 現場を見ても村人の行方を知る手がかりはなかったので、少佐と大尉は車に戻って、来た道を引き返した。

「アゴースト兄弟社の経営者の住まいはわかりますか?」
「アスクラカン市内です。」

 ステファン大尉はちょっと微笑した。

「”ティエラ”ですよ。」


2022/09/24

第8部 チクチャン     4

  ケツァル少佐とステファン大尉はアスクラカンの街の交通渋滞に捕まっていた。だからアスルが少佐の携帯に電話した時、彼等はまだ市街地から出られないでいた。

ーーアスクラカンの建設会社アゴースト兄弟社に行って頂けませんか?

とアスルが言った。

「アゴースト兄弟社?」
ーー例のダムを建設した会社です。

 少佐は2秒ほど考えて、すぐ部下の依頼の真意を悟った。ダム建設の指示を出した政治家に復讐する人間が建設会社に何もしないと言うことはないだろう。

「わかりました。行ってみます。」

 少佐は電話を切るとステファンを振り返った。

「アゴースト兄弟社と言う会社を検索しなさい。」

 ステファン大尉は何も言わずに己の携帯を出して検索を始めた。そして市街地の南側にある会社の情報を見つけた。

「道路や橋を造る会社です。ダムも造るでしょうね。」
「そこへ行ってみましょう。他にどんな情報があるのか調べて下さい。」

 ステファンが掲げた携帯画面で会社の位置を確認すると、少佐はいきなり急ハンドルを切って幹線道路から脇道に入った。通行人が多い狭い道路を強引に走って、別の大通りに出ると南に向かって進んだ。ステファンはお陰で検索する気分ではなくなり、事故を起こさないかと冷や汗をかきながら車窓からの風景を見ていた。一度勇敢な白バイが追いかけて来たが、ステファンが窓から緑の鳥のI Dを見せると遠去かっていった。

「自分で運転する時は平気ですが、他人の運転はやっぱり怖いです。」

 弟の苦情に、姉はフンと言っただけだった。
 アゴースト兄弟社は広い敷地に数台の重機や大型トラックを並べていた。全部が出動していないのは、少し暇なのだろう。数人の作業服の男達が機械の手入れをしていた。敷地内に入らずに、少佐は車を少し離れた場所に停めた。それで、ステファンはやっと会社の評判を調べることが出来た。

「従業員が荒い・・・仕事は報酬の額によって速かったり遅かったり・・・造る物はしっかり仕上げているようです。」
「それは会社の評判ですね。社内の情報はありませんか? 誰かが怪我をしたとか、病気になったとか?」
「そう言う情報はネットでは拾えません。」

 ステファンは車の外に出た。

「ちょっと中の人間を捕まえて情報を引き出してみます。」

 彼はブラブラと散歩する風に歩いてアゴースト兄弟社の門をくぐっていった。アスクラカンは全体的にメスティーソが多い。サスコシ族の純血至上主義者が多いと言っても、”ヴェルデ・シエロ”の人口は高が知れている。それに彼等の多くは市内を流れる”大川”の北側に住んでいるので、南側はミックスの”シエロ”にとって安全圏だった。だからステファン大尉は自然に住民に溶け込んで見えた。作業員に声をかけ、それから事務所の方へ案内されて行った。
 車に残ったケツァル少佐は、再び電話を受けた。今度はアスクラカンに住む、彼女の養父フェルナンド・フアン・ミゲール駐米大使の遠縁に当たるドロテオ・タムードからだった。形式通りの挨拶を交わしてから、タムードが要件を切り出した。

ーーアラゴから話を聞いた。マヤの名前を持つ家族を探しているそうだね?
「スィ。叔父様は誰か心当たりでもございますか?」
ーー直接は知らない。だが、息子の1人が言っていた。婚姻でマヤ族の中に加わった一族がいるのではないか、と。

 少佐はドキリとした。どうしてそんな簡単なことを思いつかなかったのだろう?

「マヤ族と結婚した一族の人間の子孫を探せと言うことですね?」
ーー恐らく1代か2代前に婚姻したのだろう。だから現在の長老達は思いつかないのだ。2世、3世の子孫なら、まだ力を使える。一族から認められなくても、”シエロ”としての自覚はあるかも知れない。
「3世なら十分ナワルを使えます。正式な成年式を要求出来ますし、”ツィンル”(人間と言う意味)として長老会は認めざるを得ないでしょう。」
ーーそれを認めたがらない会派がいるのだがね。

 異種族の女性を妻に娶ったドロテオ・タムードは忌々しげに呟いた。

ーー今日は1人か、シータ?
「弟が一緒です。」
ーーエル・ジャガー・ネグロか。あの男は十分に強い。変な奴に絡まれたら、遠慮なく気を発散させろと言ってやれ。純血種でもサスコシなら、彼にビビる筈だ。

 少佐は笑った。そして遠縁の叔父に礼を言って通話を終えた。

2022/09/23

第8部 チクチャン     3

  テオはその日授業がなかったので、研究室で医学部から依頼された遺伝子の分析をしていた。遺産相続に関係する親子関係の鑑定依頼が最近多くなった。依頼される度に彼は心の中で「どれだけ隠し子を作っているんだ?」と毒づいていた。
 遺伝子マップを読み疲れたので、休憩のためにカフェに行くと、偶然考古学部のケサダ教授を見つけた。ケサダ教授はテーブルの上にタブレットと書物を広げ、仕事をしている様に見えた。テオは隣のテーブルに席を取って、「ブエノス・ディアス」と声をかけた。教授が顔を上げ、振り返って微笑んでくれた。

「ブエノス・ディアス。休憩ですか?」
「スィ。顕微鏡と遺伝子マップで眼が疲れたので。」

 そして新しい家族が増えた教授に、「おうちが賑やかになりますね」と言うと、相手は苦笑した。

「初めての男の子なので、娘達が大はしゃぎで、五月蝿いんですよ。」

 テオは4人の活発な娘達を思い出した。伝統を重んじる先住民の家庭で育った少女達は、お淑やかに見えるが、親が見ていないところではやはり普通の女の子だ。ケサダ教授の家庭では娘達はのびのびと育っているのだろう。

「ムリリョ博士はまだご機嫌ななめですか?」

 心配事を尋ねると、教授は首を振った。

「生まれてしまった者は仕方がありません。マスケゴの男として育てることに力を入れてくださるでしょう。」

 彼は小さくニヤリと笑った。

「アブラーンが、私の家を増築してやろうと申し出てくれたのです。息子が生まれる前は、あんなに反対していたのに。」
「息子さんの部屋を造ってくれるのですか?」
「スィ。しかし、息子が自分の部屋を持つ頃には、娘達が成長して家を出て行くでしょう。妻も私も娘達が家から出たいと言えば、結婚しようがしまいが、彼女達の自由にさせるつもりです。娘が出ていけば部屋が空きます。」
「では、断ったのですか?」
「そんな無礼なことはしません。義兄の申し出は有り難くお受けしますよ。娘のピアノの練習室が欲しかったのでね。」

 教授が楽しそうに笑った。テオも笑いながら、ふと思った。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは建設会社を経営している。所謂大手ゼネコンだ。ダムも造ったんじゃないか?

「教授、アブラーンの会社はダムを造ったことがありますか?」
「ダム?」

 教授はちょっと考え込んだ。義兄の会社とは仕事で接点がないので、テオの質問に直ぐに答えられなかったようだ。

「セルバでダムを必要とするのは西部の方ですね。ロカ・エテルナ社は主に東部でビルや港湾施設を建設していますから、西部のダムはオルガ・グランデの業者の縄張りではありませんか。」
「アスクラカンは・・・」
「アスクラカンはロカ・エテルナが入っていますが、市庁舎や教育施設が主だったと思います。アブラーンに訊いてみますか?」

 テオはマスケゴ族の主流家族を巻き込みたくなかった。家長は”砂の民”だ。ややこしくなりそうなことは避けるべきだ。

「ノ、教授がご存じないのでしたら、きっと大規模な工事でない小さなダムをロカ・エテルナ社が請け負うこともないでしょう。」

 ケサダ教授がじっとテオの額を見た。本当は目を見たいのだろうが、礼儀に反するし、テオは目を見つめられても”ヴェルデ・シエロ”に思考を読まれたりしない。だから教授は直接質問した。

「どこのダムのことをお訊きになりたいのです?」
「遺跡とかに関係ないダムです。」

とテオは言った。考古学者は遺跡がダムに水没することを心配すると思ったからだ。

「上水道とか、工業用水とか農業用水とは関係ないダムで、なんと言うか、土砂対策の砂防ダムです。」

 喋りながら、テオはある可能性を思い付いた。忘れぬうちに行動しなければ。彼は教授に「失礼」と断って携帯電話を出した。急いで押した短縮はアスルの電話のものだった。

ーークワコ中尉・・・

 アスルの声が聞こえたので、テオは早口で喋った。

「アルストだ。アスル、アスクラカン市役所でダムのことを調べただろ? 建設会社の名前を見たか?」

 アスルが数秒間沈黙した。そしてテオの言葉を確認するかの様に復唱した。

ーーダムの建設会社?
「スィ。ロカ・エテルナだったか?」
ーーそんな大手じゃない。アスクラカンの地元の・・・

 アスルが口を閉じた。彼も何かを思い付いたのだ。そして、「そうか」と呟いて、いきなり電話を切った。テオは電話を見つめた。言いたいことは伝わっただろうか。アスルは動いてくれるだろうか。
 気がつくと、ケサダ教授が書籍やタブレットを片付け始めていた。

「教授・・・」
「研究室に戻ります。」

 教授は鞄に書籍やタブレットを入れてしまうと立ち上がった。そしてテオを見下ろして囁いた。

「建設省のマスケゴが何かを嗅ぎ回っていましたが、貴方が追いかけているものと関係ありますか?」

 セニョール・シショカの動きを、考古学教授は知っていた。やはりこの先生はただの学者じゃない、とテオは緊張し、また感心した。

「彼の依頼でケツァル少佐が動いています。でも貴方を巻き込むつもりはありません。どうか無視してください。」

 

2022/09/21

第8部 チクチャン     2

  文化保護担当部の業務は全て副指揮官のロホに任せてある。だからケツァル少佐は余計な口出しをして彼の顔を潰すことを決してしない。彼女自身の任務が終了する迄、本業を全面的に部下に任せてしまった。文化・教育省に立ち寄らずに彼女はビルの前でカルロ・ステファン大尉を拾うと、そのままハイウェイをアスクラカンに向かって走り出した。”ヴェルデ・シエロ”各部族の長老達が集まる偶数月毎の新月会議は既に終わっており、次の会議まで長老達は首都に来ない。だから少佐はサスコシ族の長老に会いに、これからアスクラカンへ行くのだ。ステファンはあの内陸の商都が好きでない。純血至上主義者が多い土地柄だからだ。しかし、アルボレス・ロホス村は行政区分ではアスクラカン市役所の管轄だった。それはこのセルバ共和国を裏で支配する”ヴェルデ・シエロ”の都合から言えば、アスクラカンの主力部族であるサスコシ族の一員がアルボレス・ロホス村に住んでいた可能性を示していた。だから少佐はグラダ・シティのブーカ族ではなく、アスクラカンのサスコシ族に最初に当って見ることにした。
 昼過ぎにアスクラカンのバスターミナルに到着すると、少佐はステファンに昼食を買いに行かせた。そして彼女は車内からサスコシ族の族長シプリアーノ・アラゴに電話をかけた。アラゴは昼食の最中で、突然のグラダ族の族長からの電話に驚き、また喜んだ。長老会議は2ヶ月毎に開かれるが、族長会議は年に1度だけだ。滅多に出会えない仲間からの電話と言うことで、楽しげに時候の挨拶を始め、ケツァル少佐は礼儀を守って辛抱強くお喋りに付き合った。やがて、

ーーところでグラダの友よ、今日はどんなご用件かな?
「サスコシの尊敬する兄へ・・・」

と少佐は礼儀上の呼称を使った。

「教えて頂きたいことがあります。貴方の一族に蛇を名乗る家族はいますか?」
ーー蛇?

 少しの間沈黙があった。アラゴは考え込んだのだろう。そして50秒程してから、答えた。

ーーサスコシに蛇を名乗る家族はおりませんな。
「では、チクチャンと言う名に心当たりはございませんか?」
ーーチクチャン? どこの国の名前ですか?

 アラゴに外国の考古学の知識はなかった。それにセルバ共和国に居住していないマヤ族の言葉も知らなかった。マヤ族がどう言う民族かは知っていても、その文化に関心がなかったのだ。
 ケツァル少佐は質問の方向を変えた。

「では、アルボレス・ロホス村と言う所をご存じですか?」
ーーアルボレス・ロホス・・・ああ、ジャングルの中に政府が造った入植村ですな。確か、泥に埋まってしまったと聞きましたが?
「スィ、その村に住んでいた人々が現在どこにいるか調べています。」
ーー”ティエラ”のことは役場でお訊きなさい。
「あの村に一族の人が住んでいたと言うことはありませんか?」

 電話の向こうでアラゴがちょっと笑った。

ーーどうしてサスコシがわざわざジャングルの奥地へ畑を耕しに行かねばならんのです?

 そして、ああ、と声を出した。

ーーチクチャンとか言う人が、その村に住んでいたのですな。
「スィ。それは役所の台帳で確認が取れています。その家族が何処へ行ったのか、知りたいのです。」
ーー生憎、一族の者でなければ私にはわかりませんな。
「長老にお尋ねしても、わからないのでしょうか?」
ーーマヤの名前を使う一族の人間がいたら、長老から族長に何か言ったかも知れませんが。白人の名前ならともかくも、そんな大きな勢力を誇った部族の名前を使うのであれば、何か呪術的なことをする家系でしょうから。

 ケツァル少佐はアラゴ族長に丁寧に礼を述べて電話を切った。
 呪術的なことをする家系、とアラゴは言った。それなら長老達が把握している筈だ。サスコシ族が知らないと言うなら、他の部族を当たらねばならない。
 ブーカ族は人口が多いが、殆どグラダ・シティ周辺に集まって住んでいる。ある意味、”ヴェルデ・シエロ”の中では一番近代化されている部族で、呪術で憎い相手に復讐を考えるとは思えない。
 オクターリャ族は世俗の争いに背を向けている。彼等なら呪術で復讐するより、時間を少しだけ遡って歴史を変えると言う形のテロを思いつくだろう。
 グワマナ族は東海岸の漁民が多いし、海辺の土地で生活している。わざわざ内陸のジャングルを開墾して畑を作ろうなんて思わないだろう。
 マスケゴ族も考えにくい。同じマスケゴ族のシショカが働いている大臣のところへ呪いの神像を送りつけるなど、命知らずも良いところだ。
 カイナ族も大人しいし、彼等はオルガ・グランデ周辺の乾燥地帯で暮らしている。だが、もし新しい農地を手に入れたいと思ったら・・・
 車のドアが開いて、カルロ・ステファン大尉が良い匂いを漂わせた紙袋を2つ抱えて入ってきた。

「ぼんやりして、どうなさったんです? 貴女らしくもない。」

 差し出された紙袋を、「グラシャス」と言って少佐は受け取った。

「考え事をしていました。サスコシの族長はチクチャンと言う名前の一族はいないと仰いました。では、どの部族なのだろう、と・・・」
「偽名でしょ?」
「セニョール・アラゴの考えでは、マヤ語で蛇を意味する名前を使うなら、呪術的なことをする家系だろうと。それなら族長が長老から教えられていない筈はありません。」
「ロホの実家みたいに有名な呪術師の家系ならともかく、庶民相手の占いや祈祷をする人なら、長老もいちいち気に留めないでしょう。」

 ステファンはバスターミナルの向こうに伸びる道を顎で指した。

「オルガ・グランデ方面へ行ってみませんか? 向こうにはカイナ、オエステ・ブーカ、それにマスケゴの残党がいる。」



2022/09/20

第8部 チクチャン     1

  翌朝、テオが朝食を取りにケツァル少佐の区画へ行くと、彼女は既に着替えて出来上がった食事をテーブルの上に並べていた。部下達は全員昨夜のうちに帰った。おはようのキスの後、2人は席に着いて食事を始めた。

「マヤ語で空を名乗る家族が”ヴェルデ・シエロ”の可能性があるんだろ?」

とテオはパンにジャムを塗りながら尋ねた。

「どうしてそんな名前を使ったのかな?」
「それは当人に訊いてみなければわかりません。」

 少佐は憶測でものを言わない。テオは質問を変えた。

「シショカにその家族のことを教えるのか?」
「必要ありません。」

 と言ってから、少佐は言い換えた。

「まだ教える段階ではありません。彼等が何処にいて、本当に神像を盗んだのか、確認しなければなりません。」
「どうやって探すんだ? 呼ぶのか?」

 ”ヴェルデ・シエロ”は離れた場所にいる仲間をテレパシーで呼べる。但し、一方通行なので、呼ばれた方は返事をしないし、呼ばれたからと言って従う義務もない。下手をすれば、相手に「突き止めたぞ」と教えてしまうことにもなりかねない。
 少佐は溜め息をついた。

「追跡するしか方法はないでしょう。」

 昔、ロザナ・ロハスを追いかけてグラダ・シティからエル・ティティへ、エル・ティティからオルガ・グランデへと、彼女は移動し、途中でテオを拾ったのだ。あの時はテオが偶然ミカエル・アンゲルスの名刺を持っていたことから、ネズミの神様を見つけ出すことが出来た。テオはまだアメリカにいた時に、偶然未知の構造を持つ遺伝子を発見し、その持ち主がアンゲルス鉱石の従業員だと知って、オルガ・グランデに行こうとしていたのだ。
 尤も、その従業員が誰だったのか、今以って不明だし、今回のチクチャンと名乗る家族の行方は全く手がかりがなかった。

「取り敢えず、各部族の族長に順番に当たってみます。」

 少佐は文化保護担当部の業務を再開するよう、昨晩部下達に指示を出した。但し、カルロ・ステファン大尉はまだ遊撃班に帰らせてもらえず、アスルの家に預けられた。彼女は自分でチクチャンを探すつもりだ。そして助手に弟を選んだ。いずれ司令部に入りたいと野心を抱く彼に、族長達と交渉する経験を持たせるのも目的だった。ステファンの直属の上官であるセプルベダ少佐も、彼女がただ事務仕事の助っ人だけに大尉を使うと考えていない筈だ。文化保護担当部へ助っ人に出された彼の部下達は必ず何か新しいことを学んで戻って来る。セプルベダ少佐はケツァル少佐の教育の腕を見込んでいた。
 テオは溜め息をついた。

「俺も参加したいな・・・定職を持ってしまうと自由に動けんもんだ・・・」

 少佐がクスッと笑った。

「”ヴェルデ・シエロ”と他の部族との遺伝子の違いは直ぐわかるものなのですか?」
「直ぐ、とは行かないな。遺伝子の分析は俺がやっても最短2日は必要なんだ。」

 天才遺伝子学者がそう答えると、彼女はニヤリとした。

「蛇を捕まえたら、連中が本当は何者なのか分析して下さい。」

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...