2022/03/30

第6部 七柱    18

  雨季休暇が始まった。大学での来季に向けた事務手続き等を終えたテオドール・アルストは、エル・ティティに帰省する前に、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョから依頼された仕事を片付けることにした。今度のクエバ・ネグラ行きは、ケツァル少佐と2人きりだった。文化保護担当部の業務を部下達に任せ、彼女はモンタルボ教授の発掘準備がどの程度進行しているのか確認するつもりだった。
 車は大統領警護隊のロゴマークが入ったオフロード車だった。テオは運転を頼まれ、ハイウェイを快調に走って行った。少佐と長時間ドライブに2人きりで出るのは初めてではないだろうか。彼はちょっとワクワクした。「ちょっと」と言うのは、彼女と出かけると大概何か厄介な問題が待ち受けていたりするからだ。不安ではないが、浮かれていられない、そんな気分だった。
 グラダ・シティを出て10分ほど経ってから、彼女が言った。

「2日前、カタリナ・ステファンがフィデル・ケサダの自宅を訪問しました。」

 ケサダ教授がカタリナ・ステファンを自宅に招待したがっていると、試験期間前に聞いていたので、テオは驚かなかった。大学の職員として教授も試験期間中忙しかったので、カタリナの訪問が実現したのはやっと2日前だったのだ。

「カタリナを招待した人は、マレシュ・ケツァルだね?」
「スィ。」

 テオは大学病院の前庭で出会った車椅子の老女を思い出した。付き添っていたフィデル・ケサダの妻コディア・シメネス・デ・ムリリョが、「半分夢の世界に生きている」と言っていた人だ。
 対面はケサダ家の居間で行われた。教授はその日子供達4人を母家のムリリョ家へ遊びに行かせて、夫婦とマレシュ・ケツァルだけでカタリナと彼女を車で送ったケツァル少佐を迎えた。カタリナは玄関口でケサダ教授を見るなり、「大きくなったわね、フィデル!」と叫んで、教授を照れ笑いさせた。
 カタリナは直ぐにマレシュを見分けた。生まれた時から近くにいた人だ。父親と共に鉱山で働いていた労働者仲間だった。男性の姿をしていたが、カタリナはマレシュが女性だと知っていた。可愛がってくれた人を忘れる筈がない。彼女は皺だらけになったマレシュの手を握り、涙した。マレシュもカタリナを覚えていた。彼女と彼女の母親を時々混同したが、”心話”と言葉で思い出話を楽しんだ。ケツァル少佐は彼女達が使うイェンテ・グラダ村方言が理解出来ず、黙ってそばで聞いていた。ケサダ教授も子供時代に母親と別れたので、方言をかなり忘れており、義母の世話をしているコディアの方がマレシュとカタリナの会話をよく理解出来た。やがて、カタリナはケツァル少佐を車椅子のそばに呼び、マレシュに紹介した。

ーーウナガンとシュカワラスキの娘です。貴女の従弟妹の子供です。

 車椅子に座ったままマレシュはケツァル少佐の上半身を抱きしめて、「血族を宜しく」と囁いた。
 対面は1時間程で終わり、カタリナはマレシュに再会を約束して別れた。

「カタリナはマレシュとの会話の内容を詳しくは語ってくれませんでした。恐らく、私達が生まれる前の思い出話で弾んだのでしょう。ただ、帰りの車の中で私にこう言いました。『フィデルはヘロニモ・クチャに生写しです』と。」

 テオは思わず顔を少佐に向けた。そして、慌てて前に向き直った。

「ムリリョ博士は、フィデル・ケサダの父親が誰かわかっていたんだな。」
「そうですね。でも博士はフィデルに教えていない。母親のマレシュが言わないのだから、彼が言う権利はないとお考えなのでしょう。」
「マレシュにとっては、ヘロニモとエウリオは同じ重さの同胞だった。だから、どっちが息子の父親なのかってことは関係ないのだろう。 ヘロニモもエウリオもナワルは黒いジャガーだったんだろうな、きっと。」
「どちらも、息子が白いジャガーとは想像すらしなかったでしょう。」

 テオはまた「え?」と少佐を見た。

「フィデルはジャガーなのか?」
「誰も彼がピューマだとは言っていませんよ。」
「しかし・・・」
「彼が貴方にピューマの存在を教えたので、貴方が勝手に彼はピューマだと思い込んでいたのです。カルロも同じですね。でもフィデル・ケサダはジャガーです。エル・ジャガー・ブランコですよ。」
「それじゃ、ケサダ教授は”砂の民”ではないのか・・・」
「違いますね。」

 テオはホッとした。職場の同僚で尊敬する人が闇の暗殺者ではないかと疑っていた己を、ちょっと恥ずかしく思った。ケサダ教授は義父が”砂の民”の首領なので、自身が気づかぬうちに闇の集団の知識を得ていたのだろう。それならば・・・

「リオッタ教授を暗殺したのは、ケサダ教授ではなかったんだ・・・」
「そうですね。」
「エミリオ・デルガドがジャングルの中で目撃した白いジャガーも教授だったんだな?」

 今度はケツァル少佐が驚いて振り返った。

「グワマナのデルガドが白いジャガーを目撃したのですか?!」

 しまった、とテオは心の中で舌打ちした。「見てはいけないもの」を見てしまったデルガド少尉と同僚のファビオ・キロス中尉だけの秘密だったのだ。

「俺、何か言ったかな?」

 狼狽していることを少佐が気がつかぬ筈がない。彼女は彼の横顔を見つめ、それから視線を前方に向けた。

「何時、何処で? それは聞きましたか?」
「詳細は聞いていない。ただ、ジャガーは彼等をディンゴ・パジェが隠れている場所へ案内した。それだけだ。デルガドはジャガーだと断言した。キロスから絶対に口外するなと言われたそうだが、手柄を立てさせてくれたジャガーの存在を黙っているのが辛くなったそうだ。それで、伝説などでこんな場合昔の人はどうしていたのか聞こうと考えて、大学へやって来た。ムリリョ博士かケサダ教授に面会を希望したんだが、当日2人の考古学者は大学を留守にしていたので、エミリオは俺のところに来たんだ。だから俺がキロスの忠告に従って黙っていろと言ったら、やっと納得した。」

 ふっと少佐が安堵の笑みを漏らした。 

「ムリリョ博士の耳に入っていたら、大変なことになっていましたね。貴方が相談に乗ってあげて良かったです。それにしても、フィデルもクールに見えて結構ヤンチャな人ですね。」
「スィ、君と俺がオルガ・グランデで彼と話をしたほんの2日後だったんじゃないかな? どうやってディンゴ・パジェを見つけたのか知らないが、彼は時々凄い能力を披露してくれるよ。」
「世が世であるならば大神官となっていたであろう能力者ですから。」
「でも白いジャガーは大神官になれない・・・」
「なれません。能力を黒いジャガーに捧げて生贄となる運命だったのです。」
「だが、現代は生贄をやらないんだろ?」
「しません。でも・・・」

 少佐が忌まわしいものを思い出して言った。

「純血至上主義者の極右は、白いジャガーの存在を知れば古代の儀式を復活させようとするでしょう。」
「矛盾している。白いジャガーは純血種だ。だが、黒いジャガーは、ミックスのカルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガしかいないぞ。」
「ですから、ややこしいことになりかねないのです。純血の黒いジャガーをグラダの血を引く人々に生ませようとするでしょう。」

 テオはそれでやっとムリリョ博士が何故ケサダ家の人々を身近に住まわせて守っているのか理解出来た。純血至上主義者の博士は、極右の純血至上主義者の考えがわかる。故に、グラダの血を引く孫娘と、純血グラダの白いジャガーである娘婿を博士は必死で守っているのだ。

「すると、カルロとアンドレをケサダ家の娘達に近づけない方が安全なんだな?」
「グラシエラも半グラダです。でも、恋愛は当人達の問題で、周囲の都合でコントロール出来るものでもないでしょう。大事なのは、極右の人々に生贄の儀式復活を考えさせないようにすることです。だから、フィデルのナワルの話は決して口外してはならないのです。」

 ある意味、ファビオ・キロス中尉の禁忌に対する警戒心が正解なのだ。見たものを忘れろ。
 テオは言った。

「今の会話を、俺達も忘れよう、少佐。」

 ケツァル少佐も頷いた。

「スィ。承知しました、ドクトル。」


2022/03/29

第6部 七柱    17

  午後、シエスタが終わり、大統領警護隊文化保護担当部は業務に励んでいた。マハルダ・デネロス少尉も大学から戻り、机の前に座るとパソコン相手に担当する仕事に精を出した。フィデル・ケサダ教授が現れたのは、午後4時半頃だった。申請書に署名をしていたケツァル少佐は頭の中で名を呼ぶ声を聞き、顔を上げた。階段を上った所で教授が立っており、彼女と目を合わせると無言で顎を振り、「来い」と合図した。彼女は立ち上がり、ロホに”心話”で席を外すことを伝えた。彼女がケサダ教授の呼び出しを受けたと知って、ロホは不安になった。教授の娘と話をしたことが父親の怒りを買ったのか、それともムリリョ家の屋敷を覗いていたことがマスケゴ族の長老に知られてしまったのか。少佐は部下の心配をよそに、さっさとカウンターの外に出て、階段を降りて行った。
 雑居ビルの外に出たケツァル少佐は迷うことなくカフェ・デ・オラスに入った。教授は既に席を確保してコーヒーを注文した所だったので、彼女もその正面に座り、コーヒーを頼んだ。

「御用件は?」

 挨拶抜きでいきなり質問した。相手は目上で恩師でもある人だったが、業務中の呼び出しだったので、彼女は時間を節約しようと心がけた。ケサダ教授も単刀直入に質問した。

「今日の昼に、マルティネスとギャラガ、アルストがムリリョ家を見ていたが、何か意図があったのですか?」

 少佐は一瞬考え、そして答えた。

「今日の午前に私はアルストを同伴してロカ・エテルナ社を訪問しました。用件はアブラーン・ムリリョにお聞きになると宜しいですが、モンタルボ教授が襲撃された件です。その時、アルストがロカ・エテルナ社の社屋の形状に興味を持ちました。要件を済ませて文化保護担当部に戻ってから、昼食時に彼がそのことを言うと、マルティネスがマスケゴ族の住宅の形状、特にムリリョ家の屋敷が特徴的だと述べて、昼休みの暇つぶしに男達だけで出かけたのです。
 帰還してから、彼等は楽しいドライブだったと報告しました。その時、お宅のお嬢さんと出会ったそうです。父である貴方のお許しなくアルストが言葉を交わした無礼を、私が彼に代わってお詫びします。」

 教授は腕組みして彼女の返答を聞いていた。頭の中で内容を吟味した様だ。コーヒーが運ばれてきて、2人の前に置かれた。彼は一口コーヒーを飲んでから、口を開いた。

「わかりました。屋敷を見ていたのは、ただ建築に関する興味からだと解釈して宜しいのですね。」
「スィ。立派で美しい、そして風変わりな形状の邸宅を見学に行っただけです。建設会社の経営者らしい、ユニークな形だとアルストが感心していました。」
「オルガ・グランデにあったマスケゴ族の住居はもっと貧しいものでした。博士が生まれ育った生家も廃墟になって残っています。本当に部族の住居を見たければ、あちらへ行かれることです。」

 彼は少佐の目を見た。

ーーアブラーン・シメネスはピューマではないが、怒らせると危険な男です。

 ”心話”で警告を受けた少佐は素直に頷いた。そして面会の要件はこれで終了したかな、と思った。すると、教授はもう一口コーヒーを飲んでから、彼女がロカ・エテルナ社を訪問した件に関して質問してきた。

「モンタルボが襲撃された事件にロカ・エテルナが関わっていたのですか?」

 少佐はアブラーン・シメネス・デ・ムリリョが考古学者の身内に部族の秘密を教えていないことを確信した。言うべきではないかも知れないが、アブラーンが隠したかった秘密などモンタルボの映像には映っていなかったのだ。

「会社ではなく、ムリリョ家の先祖代々の秘密だそうです。」

 微かにケサダ教授の顔に、しまった、と言う色が浮かんだ。訊くべきでなかったと言う後悔だ。だから少佐は彼を安心させるために素早く言った。

「アブラーンは、海に沈んだ古代の町に秘密の建築技法が施されていたと伝え聞いていたそうです。もしその仕組みがわかる様な遺跡であれば、発掘される前に処分したいと思ったらしいのです。しかし、モンタルボから奪った映像に映っていたのは、ただの珊瑚礁と魚、泥を被った石造物の欠片だけでした。珊瑚礁を傷つけたり出来ませんから、文化財遺跡担当課は海底を掘る許可を出していません。ですから、アブラーンはこの件を終了すると断言しました。我々にモンタルボのUSBを返すようにと彼は依頼しました。」

 彼女は試しにケサダ教授に尋ねた。

「貴方もご覧になりますか、海底の映像を?」

 ケサダ教授は「ノ」と首を振った。そして少佐にコーヒーを飲むように手で促した。彼女がコーヒーを口に含んだ時、彼は不意に言った。

「今日あの3人の男達が出会った私の娘は長女のアンヘレスですが、彼女が帰宅して私に『グラダを見つけた』と言いました。」

 ケツァル少佐はもう少しでむせるところだった。 グラダはグラダを見分ける。 それは少佐自身が数年前に入隊間もないカルロ・ステファンを見て、「グラダがいる」と指摘したことを、後に上層部がグラダ族の能力を高く評価して言った言葉だと伝わっていた。彼女がアンドレ・ギャラガを引き抜いた時も、思い出したようにこの言葉が大統領警護隊本部の中で囁かれたのだ。公式には、現在生きているグラダ族は、ケツァル少佐、カルロ・ステファン、そしてアンドレ・ギャラガの3人だけと言うことになっている。
 アンヘレス・シメネス・ケサダは、公式には純血のマスケゴ族と言うことになっている。しかし、父親は、マスケゴ族のふりをして生きている純血のグラダだ。
 少佐はここで誤魔化しても仕方がないと判断した。だからギャラガ少尉からの報告を素直に明かした。

「ギャラガがお嬢さんの気の放出を感じ取りました。マルティネスには感じ取れなかったそうです。」

 ケサダ教授は無言で彼女を見つめ、やがて目元をふっと微かに緩ませた。

「グラダはグラダを見分ける、か・・・。貴女も私が何者なのか知っている訳ですね。」

 少佐は肩の力を抜いた。少なくとも相手を怒らせずに済んだ、と感じた。

「正直に告白しますと、本当に最近迄気がつきませんでした。貴方がビト・バスコ殺害事件でセニョール・シショカの仕事に干渉なさる迄は。あのシショカを戦わずして制圧出来る貴方の強さがどこから来るのだろうと考え、この国で一番強い者の存在に考えが至りました。」
「私は決して強くありません。」

 ケサダ教授は決して彼女に”心話”を要求しなかった。知られたくない心の深淵を覗かれるのを防ぐためだ。

「貴女は長老会のメンバーとイェンテ・グラダ村の廃墟へ行かれた。恐らくそこでオルガ・グランデに出稼ぎに行った3人の村の生き残りの話を聞かれたのでしょう。そして生き残り達が残した子孫の存在を知った。カルロ・ステファンとグラシエラ・ステファン以外の人間の存在です。」

 彼は冷めてしまったコーヒーを飲んだ。

「私は今でも義父の保護下にいます。妻も私の保護者です。そしてアブラーンも私を守ってくれています。私は家族に守られて生きているのです。決して貴女が思っている程強くない。」
「でもお嬢さん達は貴方の力を受け継いでいらっしゃいます。どちらの世界で生きるかを決めるのは、お嬢さん達自身でしょう。」

 少佐は教授が溜め息をつくのを眺めた。そして彼を安心させるために言った。

「貴方のお生まれのことを知っているのは、私以外では、アルスト、マルティネス、そしてギャラガだけです。カルロ・ステファンは知りません。故意に教えていません。あの子は貴方に心を盗まれる迂闊者ですから。」

 プっと教授が吹き出したので、彼女はホッとした。重い空気が払拭された感じだ。教授が彼女に囁いた。

「一つお願いがあります。カタリナ・ステファンに会いたがっている人がいるのですが。」


2022/03/28

第6部 七柱    16

 「何故ケサダ教授がグラダ族だと思うんだ?」

と車に乗り込んですぐにロホが後部席のギャラガに尋ねた。ギャラガ少尉は肩をすくめた。

「スクーリングで数回お会いしただけですが、教授は時々私に”心話”で力の使い方を教えて下さいました。私が他の学生の行為や発言でちょっと動揺したりした時です。私のほんの少しの心の乱れを察知されたのです。官舎で多くの先輩達に助言を頂いたりしますが、教授が指摘された様な細やかな点まで触れられたことはありませんでした。何と言うか、教授は・・・」

 テオがカーブでハンドルを切りながらギャラガの言葉を継いだ。

「ケツァル少佐みたいだ、と言いたいのかい?」
「スィ!」

 ギャラガが嬉しそうに肯定した。

「ステファン大尉は、戦いの時の力の使い方を上手に教えて下さいますが、抑制方法は苦手のようで・・・」
「あいつ自身が学んでいる最中だから、仕方がないさ。」

 ロホが苦笑した。

「教授はひたすら抑制することを学んで来られた方だから、そちら方面がお上手なのだろう。これからお嬢さん方も教育していかなければいけないしな。」
「でも、何故グラダだと公表なさらないのです?」
「大人の事情だよ、アンドレ。」

 テオはグラダ族仲間を見つけて喜んでいる若者にそっと釘を刺した。

「彼には彼の家族の事情があるんだ。それに教授はマスケゴ族として生きたいと希望されている。お子さん達がどう思うかは、お子さん達の問題で、俺たちがとやかく言うことじゃない。」

 ギャラガは黙って外の風景を眺めていたが、やがて頷いた。

「わかりました。私はこれからも教授のアドバイスを素直に受け容れる、それで良いですね。私も母親が言ったブーカや、もしかしたらカイナ族かも知れませんが、皆さんが私はグラダで、グラダとして生きろと仰る。だからその通りに生きようと思っています。グラダ族として学ぶ方が私の気持ち的にも楽なので。」

 何だかわかった様なわからない様な意見だったが、テオとロホは微笑して頷いた。そして2人とも思った。 ケサダ教授と家族の血統は実に明確だ。しかし、このアンドレ・ギャラガは本当に何者なのだ?


第6部 七柱    15

  グラダ・シティ市民となったマスケゴ族は故郷のオルガ・グランデを懐かしんでいるのか、それとも住居とはこう言う場所に築くものだと考えているのか、少し乾燥した感じの斜面になった土地に集まっていた。意図して集まっているのか、自然に集まったのかわからない。しかし、助手席のロホが「あれもマスケゴ系の家です」と指差す家屋はどれも斜面に建てられていた。テオはなんとなく違和感と言うか、或いは既視感と言うか、不思議な感覚を覚えた。オルガ・グランデで見たのは、斜面に建てられた石の街だった。殆どが空き家になっていたので、遺跡の様に見えた。住民は新しい家屋を手に入れて平地へ引っ越したのだと聞いた。そこに住んでいた人々はマスケゴ族とは限らず、”ティエラ”の先住民やメスティーソ達、鉱山労働者が多かった。

「大きな家を見ると、どう変わっているか、わかりますよ。」

 ロホは車を進めた。オルガ・グランデと違って、グラダ・シティの斜面の街は高級住宅街だ。高級コンドミニアムが多い西サン・ペドロ通りと違って、こちらは一戸建てばかりだ。緩やかな斜面に木々を植え、緑の中に家々がぽつんぽつんと顔を出していた。斜面だから日当たり良好だろう。

「え? あれも住宅?」

 思わずテオが声を上げたので、後部席でうたた寝していたギャラガ少尉が目を開けた。そして窓の外の風景を見て、彼は座り直した。

「階段住宅だ・・・」

 樹木の中に突然白い壁の大きな階段状の建造物が現れた。全部で七段はあるだろうか。それぞれの屋根が上の階の住宅の庭になっている。わざわざ斜面に階段状の家を建てたのではなく、岩盤を掘り抜いて家に改造してしまっている、と思えた。最下段の家がどの程度奥行きがあるのか樹木が邪魔で見えないが、かなり床面積が広そうだ。

「あれがムリリョ家です。」

 ロホはその家が一番よく見える道路のカーブで駐車した。狭い谷を挟んで向かいに屋敷が見えた。テオ達がいる場所はもう少し家が立て込んでいて、庶民的な感じがするが、一軒ずつは大きいので、こちらも高級住宅地なのだろう。車外に出ると、少し標高があるせいで空気が乾いて感じられた。ロホが最下段を指差した。

「一番下が母家です。あそこから始まって、子孫が増える毎に上に上がって行くのです。」
「それじゃ、最上段の主が一番若いのか?」
「理屈ではそう言うことになります。実際に誰がどこに住むかは、家族内で決めるのでしょうけど。」

 ギャラガが最下段を指差した。

「ムリリョ博士はあそこですか?」
「多分ね。もしかすると長男のアブラーンの家族かも知れない。或いは、博士夫婦と長男夫婦がいるのかも知れない。」

 テオはテラスガーデンを眺めた。花壇や池が造られている庭があれば、芝生でゴルフの練習場やサッカーゴールが置かれている庭もある。ボールが落ちるだろうと心配してやった。鶏小屋が置かれている庭もあって、鶏が外に出されて歩き回っていた。

「ケサダ教授はあの家に住んでいるのかい?」

と尋ねると、ロホはちょっと目を泳がせた様子だった。だが、すぐに巨大なテラス状の屋敷の向こうに見えている小振の2段になった、やはり白い壁の家を指差した。

「あの向こうに見えている家です。教授は博士の実のお子さんではないから、と言う理由ではなく、奥様のコディアさんの希望で別棟を建ててもらったと聞いたことがあります。」

 テオはロホが何か言いたそうな目をしたことに気がついた。悲しいかな、彼は”心話”が出来ない。しかし、何となく親友が何を言いたいのか理解出来るような気がした。
 フィデル・ケサダ教授の妻コディア・シメネス・デ・ムリリョは夫が純血のグラダであることを知っている筈だ。しかもただのグラダ族ではない。”聖なる生贄”となる筈だった純白のピューマだ。(テオはまだケサダがピューマだと信じている。)夫の正体を、彼女は彼女の兄弟姉妹に知られたくないのだ、きっと。そして半分その血を引いている娘達をしっかりマスケゴ族として教育してしまう迄、兄弟姉妹の家族から離しておきたいのだろう。
 その時、ギャラガがビクッと体を震わせた。ロホが気づき、テオもワンテンポ遅れて彼を見た。

「どうした、アンドレ?」

 ロホが声をかけた時、斜面の上の方から自転車で道を下って来た少女がいた。先住民の純血種の少女だ。彼女はテオ達が車の外で並んで谷の向かいにある家を眺めていることに気がついて、自転車の速度を落とした。13、4歳の美少女だ。
 「オーラ!」と元気よく声をかけられて、男達はちょっとドキドキしながら「オーラ」と返した。少女は自転車に跨ったまま話しかけてきた。

「面白い家でしょ?」
「スィ。」
「隠れん坊するのに丁度良い広さなのよ。」

 未婚女性に紹介なく話しかけてはいけないと言う習慣を思い出して、ロホとギャラガが戸惑っているので、テオは「無神経な白人」を演じて、彼女の相手をした。

「君はあの家で遊んだことがあるの?」
「スィ、殆ど毎日よ。」

 ロホとギャラガが顔を見合わせた。「マジ、拙い、ムリリョ家の娘だ」、と”心話”で交わした。テオは気にせずに続けた。

「君はあの家の子供なんだね?」
「ノ。」

 彼女はあっさり否定すると、巨大なテラス邸宅の向こうの小さい家を指差した。

「私の家はあっち。手前の家はお祖父ちゃんと伯父さんの家よ。上の階に行くと従兄弟達の家族が住んでいるわ。他にも叔父さんや伯母さん達がいるけど、あの人達は他に家を持っているの。私のパパだけがお祖父ちゃんのそばに住むことを許されているのよ。」

 彼女はちょっと自慢気に言った。そしてテオに言った。

「うちに来る? ママはお客さん大好きなの。パパの学校の学生がよく遊びに来るわ。」

 テオは微笑んだ。

「オジサン達も君のパパの友達と学生なんだ。だけど今日はもうすぐお昼休みが終わるから帰る。誘ってくれて有り難う。気をつけてお帰り。」
「グラシャス。 じゃ、また来てね!」

 彼女は再び自転車に乗り直し、勢いよく坂道を下って行った。
 警戒心が全くないのは、子供だからか? きっとグラダ族の能力の強さから来る自信だろう。とテオは想像した。すると、ギャラガがまた身震いした。

「さっきの女の子、凄い気を放っていましたね。」

 ロホが彼を見た。その表情を見て、テオは最強のブーカ族の戦士である彼が、少女の気の放出に気が付かなかったのだと悟った。彼は思わず呟いた。

「グラダはグラダを見分ける・・・」

 ロホとギャラガが彼を見た。をい! とロホが咎める目付きになり、ギャラガは目を見張った。 彼は一瞬にして、重大な秘密を悟ってしまった。

「フィデル・ケサダはグラダなのですか?」


2022/03/27

第6部 七柱    14

  テオは自然保護地区に立ち入る許可証をもらいに文化・教育省の3階へ行った。自然保護課にクエバ・ネグラ洞窟に立ち入って撮影する許可証を申請すると、もう顔を覚えられていて、「トカゲの洞窟ですね」と許可証を発行してくれた。それもその年の雨季の間は何時でも入ることが出来るフリーパス許可証だ。入洞する日を伝えれば、自然保護課からガイドに連絡してくれると言う。
 テオはふと思い出して尋ねてみた。

「アイヴァン・ロイドと言う男性がジャングルか海に潜る許可申請に来ていませんか?」

 職員が首を傾げた。

「アイヴァン・ロイド? 外国人ですか?」
「スィ、アメリカ人だと思いますが・・・」
「今季にそんな名前の申請はありませんね。」

 職員はパラパラと名簿をめくった。パソコンで検索しようとしない。

「申請せずに勝手にジャングルに入る人もいますからね。森林レインジャーや地元の自警団に撃たれても、こっちは責任取れないって言ってるんですが、守らない人は多いです。」

 セルバ共和国は小さな国だから、ジャングルの中で他所者に襲い掛かる先住民はいないことになっている。内務省の先住民保護政策によって、全ての集落の位置と人口が把握され、登録されている筈だ。だから自然保護課は、不法侵入者として自警団が他所者に危害を加えることを心配しているが、他所者が怪我をしたり命を落としても責任を持たない。森林レインジャーも麻薬組織の隠し畑やアジトを警戒しているので、他所者が指示に従わないと躊躇なく銃撃する。それに数は少ないが反政府ゲリラも出没する。外国人だとわかれば殺害されたり誘拐される。
 テオはアイヴァン・ロイドが大人しくセルバ共和国から撤退してくれることを願った。外国人が死んだりして、また北米のややこしい組織が動くと面倒だ。
 許可証明書をもらって文化・教育省を出た。カフェ・デ・オラスでコーヒーを飲んで時間を潰し、やっと昼休みになったので、文化保護担当部の友人達と昼食に出かけた。
 行きつけの店の1軒に入り、好きなものを注文して食べていると、ロホが話しかけて来た。

「ムリリョ家の建物を見たことがありますか?」
「巻貝みたいなモダンなビルかい?」
「それはロカ・エテルナの社屋でしょう。ムリリョ博士と子供達の自宅ですよ。」
「変わっているのかい?」
「ブーカ族の基準で見ると面白い形状です。マスケゴ族ってオルガ・グランデに住んでいたので、ああ言う形状の家を好むんでしょうかね。」

と言われてもテオは見たことがないのでわからない。わからないと言うと、食事の後で見に行きましょう、と誘われた。暇だから、テオは誘いに乗った。ケツァル少佐はロカ・エテルナ社訪問の間に溜まった書類を片付けると言って、このドライブを辞退し、ギャラガは後部席で昼寝させてくれるならついて行くと言った。それで、食事を終えると男達は少佐と別れ、テオの車に乗り込んだ。ロホのビートルは後部席で昼寝するには少し狭かったのだ。


2022/03/26

第6部 七柱    13

  アブラーン・シメネス・デ・ムリリョから渡されたモンタルボ教授のUSBを持って、ケツァル少佐は文化・教育省の文化保護担当部オフィスへ戻った。テオも一緒だった。4階に上がると、彼女はロホに指揮権を預けたまま、奥にある「エステベス大佐」と書かれた札が下がった小部屋へテオを案内した。テオは初めてその部屋に入った様な気がした。がらんとした部屋で、ドアの対面の壁に嵌め込み窓が一つあるだけだ。何も載っていない机とパイプ椅子。少佐が自分の机からパソコンを持ってきて、机の上に置いた。そしてUSBを差し込んだ。
 それからたっぷり40分間海底の映像を見たが、アブラーンが言った通り珊瑚礁と魚しか見えなかった。たまに底に石柱だったと思える欠片が見え、板の様な平らな岩が並んでいる箇所が3箇所ばかり見られた。建物の片鱗も壺も何もない。

「伝説がなければ、この海に遺跡が沈んでいるなんて誰も思わないな。」

 テオが呟くと、少佐も欠伸を噛み殺しながら同意した。

「モンタルボが執念で見つけた遺跡ですね。珊瑚を傷つけることは許可していません。発掘と言っても手をつけられる面積は限られています。例え太古の巨大な石柱が埋もれていても、岩を動かすことも許可していませんから、掘ることは出来ません。」
「それじゃ、泥をちょっと退けて見ることしか出来ないのか?」
「そうです。機械を水中に下ろして作業することも出来ません。地上の遺跡で土を掘っていくのとは勝手が違います。ですから、グラダ大学の先生達は水中遺跡に興味を抱かないのです。」

 動画が終わり、少佐はUSBを抜いた。テオはパソコンを元の場所に戻すのを手伝った。ロホやギャラガ少尉が好奇心に満ちた目で見るので、彼は言った。

「ただの水族館の動画と同じだよ。はっきり遺跡だと思える物は映っていない。」

 彼は少佐に提案した。

「スニガ准教授からクエバ・ネグラのトカゲが棲息している洞窟内部の撮影をしてくれと頼まれた。試験が終わると行くつもりだ。俺がUSBをモンタルボ教授に返してやろうか?」
「試験が終わるのは何時ですか?」
「来週の木曜日だ。」

 少佐はちょっと考え、頷いた。

「急いで返す理由もありませんね。 モンタルボも直ぐに再調査する準備を整えることは出来ないでしょう。」

 まだ昼休みには時間がある。テオはどこで時間を潰そうかと考えながら、4階のオフィスを見回した。隣の文化財遺跡担当課は雨季明けの発掘申請に来ている外国人達の相手で忙しそうだった。

「マハルダとアスルはどこだい?」
「マハルダはグラダ大学です。今日は現代言語学の今季最終講義があるので、聴講に行っています。」

とロホが教えてくれた。

「アスルは近郊の小さな遺跡を巡回して、各調査隊が雨季に備えて対策を取っているか確認しています。これらは国内の団体が殆どなので、意外に対策が緩く、雨で遺跡が痛むので困るんです。」

 


第6部 七柱    12

 「モンタルボが撮影した映像には、特に変わった物は写っていません。」

 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは来客用の椅子を示し、ケツァル少佐とテオに着席を促した。ゆったりと座れるオフィスチェアだ。テオはそのデザインを以前に見たことがあった。ケサダ教授の研究室で教授が使っている椅子だ。座ってみて、座り心地が良かったので驚いた。自分の研究室にも欲しいものだ。
 アブラーンはUSBを出して見せた。

「珊瑚と魚と海底の岩や石、それだけです。モンタルボに返して頂けますか?」

 彼がいきなりそれを放り投げて来たので、テオは慌てて受け取った。少佐が尋ねた。

「何をお知りになりたかったのです? モンタルボに見付けられて困る物でもあったのですか?」

 アブラーンは父親そっくりの冷たい眼差しで客を見た。

「大統領警護隊にも言えないことはあります。 私は嘘を付かない。だが言えない物は言いません。」
「ご先祖がカラコルの地下に仕掛けた仕組みのことですか?」

とテオはまた口出ししてしまった。今度はアブラーンも彼を無視せずにジロリと睨んだ。

「我が先祖がカラコルの地下に何を仕掛けたと仰るのです?」

 テオはハッタリをかけた。

「それを言ってしまうと、俺は”砂の民”に消されます。」

 アブラーンは少佐を振り返った。

「少佐、このドクトルはどう言う方ですか?」
「どう言う方なのか、お父上からお聞きください。」

と少佐は答えた。

「俺はグラダ大学の職員ですから、お父上とはキャンパスで顔を合わせます。」

とテオは言った。もっともケサダ教授の名は出さなかった。家族と言っても教授はアブラーンの義理の兄弟だ。ここでは名前を出さない方が賢明だろうと判断した。

「単純なことです。」

とアブラーンは言った。

「あの付近の海底がどの程度の水深で、底の状態がどうなっているのか、知りたかっただけです。」
「極端に水深が深いと不自然ですからね。」

と少佐が言った。

「カラコルと言う言葉は岬が水没した時代の”ティエラ”の言葉で『筒の上』と言う意味です。恐らくカラコルの町の地下に空洞があったのでしょう。ただの洞窟だったのか、住民が何らかの用途に用いていたのか、それは知りません。カラコルは外国の船に水を売っていたのだと地元の漁師の間に言い伝えが残っています。クエバ・ネグラに大きな川や湧水がありませんから、どこかの水源から引いてきた水を地下の貯水槽に貯めていたとも考えられます。町は栄える程に驕れる様になり、遂に神であるジャガーを捕らえて外国に売ろうとしました。しかしママコナの知ることとなり、国中の”ヴェルデ・シエロ”の呪いを受け、町は岬ごと海の底に沈んだのです。その時、地震で地下の空洞も崩壊し、町は大きな器の形に水没しました。ですから、現在もあの付近の海はエンバルカシオンと呼ばれています。」

 アブラーンは黙って彼女の語りを聞いていた。

「貴方がモンタルボの撮影した映像からお知りになりたかったのは、空洞と町の土台の間を支えていた柱が残っていないかと言うことではないですか? 恐らく巨大な柱であった筈です。そんな建造物が海底にあるとなったら、世界中の考古学者の注目を集めてしまい、このセルバ共和国が騒がしくなります。それは、現在を生きている”ヴェルデ・シエロ”にとって非常に都合の悪いことです。もし柱の片鱗でも残っていたら、貴方はそれを何らかの方法で消し去らねばならない。そうお考えになったのでは?」

 アブラーンがまだ黙っているので、テオが言葉を添えた。

「水中でも爆裂波は使えるんですよね?」

 そう言ってしまってから、テオは相手を怒らせたかな、とちょっぴり不安になった。それで、現在彼自身の心に引っ掛かっている問題を出した。

「貴方はご存知でしょうが、モンタルボの映像を撮影したのは、アンビシャス・カンパニーと言うアメリカのP R動画製作会社です。実のところ、どんな素性の会社なのか、俺達は掴みかねています。発掘調査隊に船や発掘機材を提供する会社と提携して、発掘作業の映画を作成し、使われている道具の宣伝をすることで料金を取る企業だと言っています。まぁ、それは本当なのかも知れません。ところが、もう一人、アイヴァン・ロイドと言う男が現れました。この男もアメリカ人だと思われるのですが、モンタルボ教授やグラダ大学のンゲマ准教授に近づいて、カラコル遺跡周辺に宝が沈んでいないかとか、宝探しの様な演出で映像を撮りたいと何度も電話をかけてきたり、大学に押しかけて来たのです。しかもアンビシャス・カンパニーのアンダーソン社長とロイドは互いを知っているらしく、警戒し合っています。そうなると、アンダーソンの会社の本当の目的も、PR動画撮影以外のところにあるんじゃないか、と心配になってきました。そこへモンタルボ教授の襲撃事件が起きたので、俺は貴方もアンダーソンやロイドと同じ物を追いかけているのかと疑ってしまったのです。」

 アブラーンはテオと少佐を交互に見比べた。そして不意にフッと息を吐いた。

「エンバルカシオンに宝など沈んでいません。今流行りのレアアースもありません。あるのは藻が蔓延った石柱の欠片に珊瑚礁と泥に埋もれた壺くらいでしょう。勝手に潜らせておけば宜しい。あいつらがサメに食われても誰の責任ではありません。ただ、モンタルボは我が国の国民です。彼が引き連れる学生達もセルバ人だ。守護しなければなりませんぞ、少佐。」

 ケツァル少佐が立ち上がったので、テオも立ち上がった。少佐がアブラーン・シメネス・デ・ムリリョに敬礼した。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...