2022/07/27

第8部 贈り物     5

 「ネズミの神様は盗まれる時に抵抗しないんですか?」

とマハルダ・デネロス少尉が素朴な疑問を投げかけた。ロホが肩をすくめた。

「丁寧に運べば、神様は怒らない。元々アーバル・スァット様は雨が降らなくて困っている村を巡って祀られた神様だから、移動すること自体は問題ないんだ。それが輿ではなくダンボール箱に詰められたり、乱暴に扱われるとお怒りになる。」
「それじゃ、今回の泥棒は静かに神像を運び出したけど、警備員には負傷させたんだな。」

テオが言葉を挟んだ。大統領警護隊ではないが、文化保護担当部には準隊員みたいに参加を許されていた。

「警備員の証言はどうなんだ?」

とアスル。ケツァル少佐が携帯の画面を眺めた。

「バルデスはその件に関して報告していません。彼も現場から遠い場所にいますからね。」
「オスタカン族が住んでいた地域は、オクタカス遺跡に近いです。」

とギャラガが地図を見ながら呟いた。

「警備員はデランテロ・オクタカスの病院にいる筈です。バルデスより先に事情聴取したいです。」

 少佐は黙ってまだ携帯の画面を見ていた。テオが覗き込むと、遺跡の写真だった。小さいのでよくわからないが、アーバル・スァット様が写っているのだろう。テオはアンゲルス邸でネズミの神様の負の力を感じたことがあった。遠く離れていても気分が悪くなる、強力な怒りの力だった。
 少佐が顔を上げた。

「まず、事件発生の経緯を調べましょう。アンドレは警備員に事情聴取して下さい。ロホは各地の空港でネズミの気配を探すこと。アスルは故買業者の動きを探りなさい。」
「私は?」

とデネロス。少佐が冷たく言った。

「貴女はオフィスの留守番です。」
「ええ! どうしてですかぁ?」

 物凄く不満な表情を遠慮なく顔に出してデネロスが抗議した。

「アンドレが事情聴取で私が留守番だなんて・・・」
「全くオフィスを無人にする訳に行かないだろ。」

とアスル。

「必ず誰かが留守番をするんだ。」
「それなら、アンドレが・・・」
「アンドレはグラダ族です。」

 少佐がピシャリと言い放った。デネロスが頬を膨らませたまま黙り込んだ。ロホが説明を加えた。

「アーバル・スァット様はそんじょそこらの悪霊とは威力が違う。君は白人の血の割合が多いし、若い女性は悪霊が好む贄だ。頼むから、オフィスで後方支援に励んでくれ。」

 するとアスルも言い添えた。

「前回アーバル・スァット様がロザナ・ロハスに盗まれた時は、カルロが留守番したんだ。彼はあの時能力を自在に使えなかったから。それにミックスは神様と対峙するとどうしても弱さが出る。」

 少佐がニヤリと笑って提案した。

「留守番1人では荷が重いでしょうから、遊撃班から1人寄越してもらいましょう。マハルダ、その人の指導をお願いします。」

 テオはその助っ人がカルロなのだろうか、デルガド少尉だろうか、と想像した。


2022/07/26

第8部 贈り物     4

  アーバル・スァット・・・セルバ先住民オスタカン族の言葉で「雨を呼ぶ者」と呼ばれる石像がある。オスタカン族はもう殆ど絶滅しかけており、メスティーソが大半を占めるアケチャ族(東海岸地方一帯に住む民族)に同化されつつあった。彼等には先祖の文化を守ろうと言う気概が殆どなく、オスタカン族の遺跡を調査・研究しているのはアケチャ族のセルバ人と言う為体だ。だからネズミによく似た形状の神像アーバル・スァットが盗掘された時も、オスタカン族ではなくアケチャ族の地元民、詳しく言えば現地の官営学校で歴史を子供達に教えている教師が盗難に気がついた。オスタカン文化の遺跡は少なく、殆どは農民の集落のものだったので、宝物と呼べる様な物はないのだが、神像は別だ。中南米の彫刻や彫像、土器等をコレクションして喜ぶ外国人が多い。特に滅多に外国の学術調査が入ることを許さないセルバ共和国の遺跡から出土した物は希少価値が高く、コレクターの間で高値で取引される。郷土史家の教師は直ちに大統領警護隊文化保護担当部に神像の盗難を通報した。
 大統領警護隊文化保護担当部の指揮官ケツァル少佐は、アーバル・スァットが唯の石の神像でないことを知っていた。元は古代の”ヴェルデ・シエロ”が神と崇めた水の精霊が住まう聖なる川、オルガ・グランデの地下、最も深い位置に流れる地底の川の石から彫り出した、本当に神様が宿る石像だったのだ。古代の”ヴェルデ・シエロ”が、支配する”ヴェルデ・ティエラ”に下賜した水のお守りだ。守られるべきオスタカン族がいなくなり、石像は静かにジャングルの中で余生を送っていた。しかし欲深い盗掘者が、珍しい奇妙なネズミの形の石像を遺跡から持ち出してしまったのだ。
 アーバル・スァットは眠りを妨げられ、悪霊となった。正しい祀り方をしない人々にその霊力を発揮して、思いっきり祟ったのだ。石像に触れた者、近づいた者は次々と原因不明の病気になり、生気を奪われ、最悪は死に至った。
 「ネズミ」の暗号名の石像を追跡したケツァル少佐と大統領警護隊文化保護担当部の部下達は、オルガ・グランデのミカエル・アンゲルスの屋敷で遂に神像を奪還することに成功した。己のボスだったミカエル・アンゲルスを神像を用いて呪殺することに成功したアントニオ・バルデスは、神像の後始末が出来ずに途方に暮れていた。だから大統領警護隊の介入を、さも迷惑そうにしながら、内心は大歓迎、大感謝した。
 神像を回収し、神様の荒御魂を鎮めてお怒りを収めて頂くことに成功した大統領警護隊文化保護担当部は、アーバル・スァットを元の遺跡に戻した。そしてバルデスに神様を利用した罰として、遺跡に警備を付けることを約束させたのだ。バルデスも己が神様に祟られるのは御免だったから、真面目に役目を果たしていた。正規の警備を雇って、遺跡の管理をさせていたのだ。しかし・・・

「その警備員が何者かに襲われ、重傷を負わされ、ネズミの神様が盗まれたそうです。」

 電話で事件を知らされたケツァル少佐は、テオにそう伝えた。テオはことの重大さにすぐ気がついた。アーバル・スァットは小さな石像だが、呪いの威力は半端ない。

「すぐに探さなきゃ・・・」
「当然です。」

 少佐は携帯のメッセージを部下達に一斉送信した。

ーー1800に私の部屋に集まれ!


2022/07/25

第8部 贈り物     3

  帰りの車の中で、テオはケツァル少佐にパパ・ロペスが彼女に何と囁いたのかと訊いてみた。少佐はらしくもなく照れて見せてから答えた。

「もしロペス家に女の子が生まれたら、私に名付け親になって欲しいと仰ったのです。」
「名誉なことだな!」
「スィ。私は両親が罪人でした。ですから、礼儀として一旦お断りしたのですが、それでも構わないからと仰って。」
「男の子の場合の名付け親は・・・パパ・ロペスなんだろうな?」
「一族の風習に従えば、そうなります。シーロのお母様は早くに亡くなっていますから、本来は母系の伯母が女の子の名付け親になるのですが、親戚筋に女性がいないそうです。」
「そう言えば結婚式にロペス家の親戚ってあまり来ていなかったな。白人との結婚に反対なのかと思ったが・・・」
「私達一族は実際のところ出生率が低いのです。幼児の生存率も低く、子供が成人する迄育つ様になったのは、最近のことです。兄弟が大勢いるロホは例外なのですよ。パパ・ロペスのご兄弟も子供時代に亡くなってしまったのです。」
「マハルダも兄姉が多いけど・・・」
「あの家はメスティーソですから。」

 名誉な依頼の話はともかく、もう一つテオには疑問があった。

「セルバでは母親の姓が子供に受け継がれるだろ? ロペス家の子供はオスボーネ(オズボーン)になるのかい?」
「名乗る時はオスボーネ・ロペスになるでしょう。でも子供達が将来どちらの姓を選択するかは、その時にならないとわかりません。現在の法律では好きな方を選べます。」
「それじゃ・・・」

 テオはちょっと緊張した。

「君と俺の間に子供が出来たら、その子は、ケツァル・ゴンザレス? それともミゲール・ゴンザレス?」

 少佐が笑った。

「ケツァル・アルストもありますよ。」
「うーん・・・」

 テオは運転しながら頭を悩ませた。

「やっぱり子供に選ばせた方が良いなぁ・・・」
「その前に結婚しなければ。」

 少佐がウィンクした。テオはドキドキした。ケツァル少佐の養父母は富豪だが、愛娘が大袈裟な挙式を行うことを好まないと承知している。このまま役場へ行って婚姻届を出してしまっても、文句を言わないだろう。しかしテオはまだ薄給の准教授だ。少佐の収入の方が遥かに高く、つまらぬプライドだと承知していても、やはり彼女より稼げる様になる迄結婚を我慢したかった。
 それとも独身と言う身分に未練があるのか?
 その時、少佐がハンドバッグから携帯電話を取り出した。画面を見て、首を傾げた。

「アンゲルス鉱石のバルデス社長からです。」
「え?」

 思いがけない人物からの電話だ。テオもびっくりした。バルデスは善人とは言えないが、セルバ共和国への愛国心は持っている。大企業の社長だが、見方によってはマフィアの首領とも言える。テオと大統領警護隊の友人達にとって、敵ではないが、味方でもない、場合によって協力してくれるが見返りが必要と言う相手だった。お気軽に電話で話をする相手でないことは確かだ。
 ケツァル少佐が電話に出た。

「オーラ・・・」
ーーケツァル少佐!

と挨拶抜きでバルデスが話しかけてきた。

ーー一大変です、ネズミが姿を消しました!!



第8部 贈り物     2

  最初はシャンペンで乾杯した。シーロ・ロペス少佐が招待に応じてくれたテオとケツァル少佐に感謝を述べ、それから客を招くことを許可してくれた父親に敬意を表した。それでテオもお招きに対する感謝を述べた。

「ところで、今日は何かのお祝いなのかな? 今ここで訊いても良いのかどうか知らないけど。」

 彼がそう言うと、驚いたことに、パパ・ロペスも言った。

「儂も知りたい。お前達は何を企んでいるのだ?」

 シーロ・ロペスが珍しく頬を赤らめた。彼が助けを求めるように妻を振り返ったので、アリアナが苦笑して、そして答えた。

「私達、子供を授かりました。今、3ヶ月です。」

 ほほーっとパパ・ロペスが声を上げ、ケツァル少佐が立ち上がってアリアナの席に駆け寄った。

「おめでとう!」
「グラシャス!」

 テオも思わずロペス少佐の手を掴んで激しく揺さぶった。

「おめでとう! 遂に父親になるんだな!」

 ロペス少佐は照れてしまい、小さな声で「まだ生まれていません」と呟いた。テオはパパ・ロペスにも祝辞を告げ、握手した。アリアナがテオに囁いた。

「素直に喜んでくれるのね?」
「当たり前じゃないか!」

 テオは彼女の前に立った。ケツァル少佐から彼女の前の位置を譲ってもらい、義妹を抱きしめた。

「血は繋がっていなくても、君は俺の可愛い妹なんだ。君に子供が出来たら、俺の甥や姪になるんだよ。俺は伯父さんになれるんだ!」
「シーロと私の子供・・・」
「どんな子供だろうと、素晴らしい子供に決まってるさ!」

 彼は改めてロペス少佐を振り返った。

「守るべき者が増えますが、貴方も体を大切にして下さい、少佐。」

 するとロペス少佐が言った。

「今日からシーロと呼んで下さい。私も貴方をテオと呼びたい。」

 テオは思わず堅物の少佐を抱きしめた。

「俺の弟だ!」

 ケツァル少佐はそれを微笑みながら見ていたが、彼女の耳にパパ・ロペスが何やら囁くと、頬を赤らめた。

2022/07/24

第8部 贈り物     1

  セルバ人は気さくに友達を自宅に招くが、”ヴェルデ・シエロ”が必ずしもそうであるとは限らない。大昔から周囲に自分達の正体を隠して生きて来たこの種族は、こいつは信頼できる、と確信が持てなければ自宅に招き入れない。大概の場合は、自宅近くのレストランなどへ友人を連れて行って、そこで奢ってあげる、と言うのが定石だ。メスティーソの人口比率が高い”ティエラ”(普通の人間)は、”ヴェルデ・シエロ”の一族を「少しばかり警戒心の強い伝統的な先住民」と見做しているので、気にしない。それに”ヴェルデ・シエロ”系のセルバ人は本当に数が少ないので、存在を気づかれることも滅多にないのだった。
 外務省出向の大統領警護隊司令部所属のシーロ・ロペス少佐がケツァル少佐とテオドール・アルストを自宅へ食事に招待した時、テオもケツァル少佐も正直なところちょっと驚いた。ロペス少佐は大統領警護隊の中でも堅物として知られており、彼と同期で仲が良かった隊員でもロペス少佐の実家に招かれたことがなかった。それが丁寧に日時の都合を尋ねて来て、土曜日の午餐の約束を取り付けたので、テオとケツァル少佐は何事だろうと訝しく思った。
 当日、テオは失礼にならない平服で花を、ケツァル少佐も軽い柔らかな素材のワンピースにワインの瓶を仕入れて、彼女の車で郊外にあるロペス家の邸宅へ向かった。
 ブーカ族の旧家であるロペス家はコロニアル風の一戸建てだった。白い土壁のフェンスに囲まれ、フェンスには蔦が絡みついて赤い花が咲き乱れていた。大邸宅と呼べるほどの広さはなかったが、門を入って駐車するスペースが5台分あり、庭は緑の芝生と花壇が美しく配置されていた。午餐会は蔦植物を這わせたパーゴラの下に設置されたテーブル席に用意されていた。ロペス少佐の妻のアリアナ・オズボーンとメイドが料理を並べていて、客の到着に気がつくと、家の中に向かってアリアナが声を掛けた。

「シーロ! いらしたわ!!」

 直ぐに玄関の扉が開き、軽装のシーロ・ロペス少佐が姿を現した。テオはプライベイトな招待の場合、軍人同士どんな挨拶をするのだろう、とちょっと疑問を抱いたが、2人の少佐は普通に先住民様式の挨拶を交わしただけだった。ロペス少佐は堅物だが、家族以外の男女が気軽に言葉を交わすことを気にしていない。また年齢の上下にもこだわらなかった。テオは彼と握手を交わし、招待に対する謝辞を述べた。そこへエプロンを外したアリアナがやって来て、今度はケツァル少佐とテオにハグで挨拶した。

「ところで、今日は何かのお祝いなのかな?」

 テオが義妹に尋ねると、アリアナは意味深に夫と視線を交わし、それから微笑んで「スィ」と答えた。
 リビングは涼しく、シンプルだった。普通の一般家庭と変わらず、テレビやオーディオセット、ソファなどが置かれていて、天井で大きなファンがゆったりと回っていた。ソファの真ん中で腰を据えてテレビを見ていたロペス少佐の父親が客を見て頷いた。ケツァル少佐は彼の前に行き、右手を左胸に当てて上体を軽く前に傾け、目上の人に対する挨拶をした。息子の結婚式で彼女とテオに既に会っていたパパ・ロペスはまた頷き、それから立ち上がって白人のテオに握手で挨拶した。旧家の当主が異文化の挨拶をしたので、テオはちょっと驚いたが、息子の少佐は特に驚いた風もなく、客と父親に庭へ出るよう促した。

2022/07/22

番外 2 その3

 登場人物紹介


第7部


デミトリオ・アレンサナ

”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子を持っているが、夜目しか使えない普通のメスティーソ。陸軍軍曹。


アダベルト・ロノイ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。大統領警護隊警備班第8班リーダー、大尉。


クレメンテ・アクサ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。大統領警護隊警備班第7班リーダー、大尉。


アベル・トロイ

先住民カブラ族の少年。悪霊に取り憑かれ、祖父と両親を惨殺してしまった。


エステバン・トロイ

アベルの弟。


アビガイル・ピンソラス

"ヴェルデ・シエロ”。外観は白人のブーカ系。外務省事務次官。


ペドロ・コボス

隣国ハエノキ村の猟師。恐らく古代に分派した”ヴェルデ・シエロ”の子孫と考えられる。


アリエル・ボッシ

外務省事務官。元陸軍軍曹。普通のメスティーソ。


ダニエル・パストル

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ系のメスティーソ。 コック。


ドミンゴ・イゲラス

普通のメスティーソ。運転手。


アランバルリ

隣国の陸軍少佐。 ”操心”と”感応”を使える。


ビーダ・コボス

ペドロ・コボスの母親。


ホアン・コボス

ペドロ・コボスの兄。


ナカイ

”ヴェルデ・シエロ”。ブーカ族。大統領警護隊国境警備隊南方面隊指揮官少佐。



2022/07/21

番外 2 その2

 登場人物紹介

第6部 続き


アリリオ・カバン

憲兵隊クエバ・ネグラ駐屯地の大尉。


マリア・アドモ・レイバ

エル・ティティの住人。役場の職員。アントニオ・ゴンザレス署長の恋人。


ベンハミン・カージョ

”ヴェルデ・シエロ”のかなり血の薄い末裔。オエステ・ブーカ族。
インチキ占い師。


セフェリノ・サラテ

”ヴェルデ・シエロ”。オエステ・ブーカ族の族長。


マリア・ホセ・ガルシア

”ヴェルデ・シエロ”。オエステ・ブーカ系メスティーソ。 農夫。


マクシミリアム(マックス)・マンセル

アメリカ人。インチキ占い師。


ペドロ・ウエルタ

普通のメスティーソ。”ヴェルデ・シエロ”の命令で遺跡クァラの管理を先祖代々行って来た。


レグレシオン

反政府過激派組織。

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...