2025/04/14

第11部  神殿        10

  最長老と呼ばれるからには、彼女は高齢の筈だ。しかし長身のその仮面の女性は大股で素早く歩き、テオは遅れないようについて行く努力をしなければならなかった。石造の廊下は松明が灯っていたが、足元は滑らかで、滑らずに歩けるよう、微かな波状の処置がされている石畳だった。5分ほど歩き、彼らは右に一回、左に2回曲がって、やがて小部屋に入った。何かの祭祀に用いられるのか、壺が棚に並び、良い香りが室内に充満していた。香油の様だ。
 最長老は部屋の中央で立ち止まり、振り返ると、テオに背もたれのない椅子らしき台を指差して、座るよう促した。テオは素直にそこに腰を降ろした。

「”空間通路”に巻き込まれたと言いましたね?」

と彼女が穏やかな声で尋ねた。テオは「スィ」と答えた。

「友人が帰るために”入り口”に入った直後に用事を思い出して、引き留めようと近づいてしまったのです。」

 それは本当だ。あの瞬間、まだケサダ教授の姿が見えていた。服を掴めば引き留められると思った。

「”入り口”に入ってしまった者を引き留めることは出来ません。」

と最長老が言った。テオは認めた。

「スィ、事故だったのです。でも、ここへ飛ばされた理由がわかりません。」
「貴方はお友達と直前に神殿の話をしていたのではないですか?」

 最長老は鋭い。テオは素直に認めた。

「ケツァル少佐が神殿だか大統領警護隊本部司令部へ行ってしまったので、彼女と連絡をつけたいと思ったのです。 友人にそれを言おうとして・・・」
「お友達も大統領警護隊ですか?」
「ノ、民間人です。」

 仮面の奥から最長老がじっと見つめているのをテオは感じていた。この人は信頼出来る。だが、どこまで話して良いのだろう。ムリリョ博士を呼んでもらう方が良いのだろうか? しかし、博士が白人の神殿侵入を許すと思えない。

「貴方はとても重要なことを語っていますが、意識されていますか?」

と最長老が尋ねた。テオはキョトンとした。

「重要なことですか? 俺が話していると?」

 恐らく、仮面の向こうで彼女は微笑んだのだろう、とテオは思った。彼女が穏やかに説明した。

「貴方のお友達は貴方の家から”空間通路”の”入り口”を使って帰った、と貴方は言いました。”入り口”があると言うことは、近くに”出口”もあった筈です。お友達は”空間通路”を使って貴方の家にやって来て、”空間通路”を使って帰った。まるで車か自転車でも使うように。」

 テオは黙り込んだ。そう言えば、以前もケサダ教授はコンドミニアムの駐車場に突然現れ、すぐに去った。あの時も”空間通路”を使ったのだろう。だが”空間通路”は空間の流れで生じる歪みで容易く使えるものではない、と”ヴェルデ・シエロ”達は言っている。ケツァル少佐でさえ、使いたい時は”入り口”がどこかに生じていないか探している。”入り口”を見つけるが上手だと言われるブーカ族も、探すだけで、”通路”を創りはしない。
 仮面の最長老が言った。

「民間人のグラダ族がいるのですね? それも純血種の男性が・・・」

2025/04/10

第11部  神殿        9

  暫くテオはママコナが去った方向を見つめて立っていた。伝説の大巫女様と言葉を交わしたことが、まだ信じられなかった。彼女はスペイン語を話したのだ! しかもインターネットで世間のことを知っていると言った! 彼女がテレパシーで”ヴェルデ・シエロ”に話しかける言葉は、人語ではなくジャガーの言葉だった! ”ヴェルデ・シエロ”達に与えられる”真の名”はジャガーの言葉だったのだ! 
 どこか暗がりの遠くでドアが閉じられる微かな音が聞こえ、彼は我に帰った。ママコナは完全に神秘の場所へ戻って行った。2度と彼の前に現れることはないだろう。
 テオはこれから行くべき方向へ向き直った。彼を導いてくれる人がいると言う通路を目指して歩き始めた。彼の足音だけが暗がりの中で響いた。そう言えば自宅のリビングから”空間通路”を超えてやって来たのだ。靴は部屋履きのサンダルだった。服装も部屋着のままだった。こんなラフな格好で大巫女様と対面していたのだ。今更ながら恥ずかしくなった。本当は正装して面会する相手だった筈だ。
  テオが新たな通路の入り口を認めた時、そこに人影が現れた。彼はドキリとして立ち止まった。まばらに壁に取り付けられた松明の灯りで、その人物が白っぽい服装であることがわかった。ローブのように肩から足首まですっぽり隠している。身長があって、しかしその体格は女性だった。頭部には仮面が装着されていた。

 最長老だ・・・

 背が高くて女性の最長老を、テオは一人だけ知っていた。相手の部族も名前も教えられていないが、以前地下の聖地で絶体絶命の危機を助けてもらった。
 テオはママコナが言った「貴方がご存じの人」はこの最長老のことだろうと悟った。ここは神殿内部で、普通の大統領警護隊の隊員は入って来られないのだ。
 もし、無断でピラミッドに入り込んだことを咎められたら、それはそれで罰を受けよう、とテオは覚悟した。ここで逃げ出して騒ぎを起こしても逃げ切れるものではない。母国から亡命して受け入れてくれたセルバ共和国に迷惑をかけられない。
 彼は意を決して声を出した。

「ブエナス・ノチェス、”空間通路”に巻き込まれて、ここへ出てしまいました。」

 最長老は彼を眺めた。

「テオドール・アルスト・・・でしたね?」
「スィ。貴女の一族の人と俺の自宅で話をして、彼が”空間通路”を使って帰ってしまった直後に彼を追いかけようとして、”入り口”に入ってしまい、次の瞬間にこの空間に出てしまいました。ここは・・・まさか、神殿じゃないでしょうね?」

 最後はちょっと惚けて言ってみた。

「神殿です。」

と最長老があっさりと答えた。

「貴方は入ってはいけない場所に出てしまったようですね。」

 テオは恐る恐る尋ねた。

「俺を逮捕しますか?」
「さて、どうしたものでしょう。」

 最長老の表情は仮面で全く察することが出来なかった。だが、その声は確かにテオが”暗がりの神殿”の奥にあった聖域で出会った人だ。彼女は彼に手招きした。

「場所を移動しましょう。もう少し安全な場所へ移ってから、貴方の処遇を考えます。」

 そして、多分、仮面の下で笑ったのだろう、こう付け加えた。

「急に走り出したり消えたりしないでください。」

2025/04/05

第11部  神殿        8

 ママコナは、大神官代理を救えるのは大統領警護隊文化保護担当部とテオだ、と断言した。テオは驚きのあまり口をあんぐり開けて、馬鹿みたいに立ち尽くした。ママコナが続けた。

「貴方と貴方のお友達は旧態のしきたりにあまり捉われません。それは古い体質から抜け出せない神官達には脅威なのです。しかし彼等はその脅威に気づいていませんでした。普段貴方達と接する機会がなかったからです。そして貴方達と親交を持つ長老は、わざわざ彼等に貴方方の能力を教えたりしない。」

 ママコナはファルゴ・デ・ムリリョのことを言っているのだろう。沈黙を守ることは仲間を守ることだ。ムリリョは”砂の民”の部下達の話も家族の詳細も他人に明かしたりしない。彼の寡黙さは身内を守るためだ。
 ママコナが前方の暗い通路の入り口を指差した。

「あちらに、貴方がご存知の人がいらっしゃいます。私は行動の範囲を制限されているので、この先へ行けません。あの人が貴方を安全に外へ出してくださるでしょう。貴方がここへこられた目的も聞いてくださると思います。」

 彼女は壁に背をつける形でテオに道を譲った。テオは彼女の前を静かに通り抜けた。微かに甘い花の香りを嗅いだ気がした。

「俺が貴女とここで出会ったことは、口外しない方が良いでしょうね?」
「そうですね・・・」

 ママコナは少し考える表情になった。

「貴方が弾みで神殿に入ってしまったことは、大統領警護隊に教えても良いですが、私と先ほどの会話をしたことは言わないでください。私の地位に関わる問題ですから。」

 最後はちょっと笑っていた。気安く初対面の白人男性と言葉を交わす大巫女様、それは全セルバ国民から神聖な存在として敬われている彼女の沽券に関わるのだろう。
 それでもテオは言いたかった。

「貴女とお話出来て楽しかったです。そして貴重な体験でした。貴女とまたお会いしたいですが、それは無理でしょうね?」
「無理ですね。」

 あっさりママコナは答えた。

「貴方がジャガーなら、お話出来ますのに。」

 テオには彼女の心の声が聞こえないのだ。彼は握手も許されない相手に、軽く頭を下げた。

「今回の騒動が早く収束して、出来るだけ平和に解決することを望みます。」

 彼が言うと、彼女は頷いた。

「大丈夫です、貴方達がいますから。」

 そして、彼女は「ご機嫌よう」と囁いて、彼に背を向け、大広間の来た道を歩いて去って行った。

 

2025/04/02

第11部  神殿        7

  ママコナは前に向き直った。足は速度を変えずに壁伝いに歩いて行く。

「私はカイナ族の生まれですから、ジャガーにはなれません。でもナワルは使える力の大きさを表すだけで、本質は一族全員が同じなのです。」
「そうでしょうね。」
「ですから、私も他のカイナ、グワマナも、ジャガーなのです。」
「俺もそう思います。」
「異人種の血が入った人々を一部の頭の固い人達は”ツィンル”と認めませんが、ナワルを使える限り、彼等は”ツィンル”です。」
「でも、貴女の声を聞けないのでしょう?」
「人の姿の時はね・・・」

 ママコナは意外なことを言った。

「ナワルでジャガーになっている時は、彼等も私と会話出来るのですよ。でもジャガーの言葉なので、人に戻ると記憶していても言葉に出来ないのです。だから、彼等は沈黙してしまいます。それで誤解されているのです。」

 テオは歩きながら唖然とした。するとカルロ・ステファン大尉もマハルダ・デネロス少尉も変身している時はママコナの声を聞いて理解しているのだ。ただ思い出すのが難しい。人の言葉でないから・・・。
 ママコナが彼に背を向けたまま、大きな溜め息をついた。

「今回の騒動を起こした神官達は、私と話をしようとしませんでした。私が男性と話をしたがらないと言って、私が話しかけても耳を傾けてくれなかったのです。恐らくオセロットの声を聞きたくないと言うジャガーの慢心でしょう。私は大神官代理に警告を送ったのですが、彼は私の言葉を軽く考えていました。叛乱など起こる筈がないと思ったのです。叛乱神官達の呪いを受けた彼は私に初めて助けを求めて来ました。私はこう答えるしかありませんでした。『友達が来るのを待ちなさい』と。」

 彼女が立ち止まったので、テオも立ち止まった。ママコナが体ごと振り返った。

「友達とは、貴方と大統領警護隊文化保護担当部の人達です。」


2025/03/28

第11部  神殿        6

  大広間を壁伝いに移動するのは時間がかかった。テオはママコナを追い越してはいけなかったし、近づき過ぎてもいけなかった。歩幅を狭くして歩くのは、疲れるものだ。
 テオは次から次へと頭に浮かぶ疑問、彼女に訊いてみたいことを、整理がつかぬままに質問にしてみた。

「俺は友人達から貴女が男の人を好きでないと聞かされていましたが、今、貴女は俺と普通に話をされていますね。怖くないですか? 俺は初対面の異人種ですよ?」

 ママコナが振り返った。足は止めない。

「貴方から敵意を感じません。それに貴方は一族の味方だと聞いております。以前、ここに白人の女性が来たことがあります。彼女も”通路”を通って来ました。女官や近衛兵が大騒ぎしましたが、&%$%%(テオには聞き取れなかった)が、彼女は私達の友達だと言いました。貴方は彼女の兄弟でしょう?」

 テオは、彼女がアリアナ・オズボーンのことを言っているのだとわかった。オルガ・グランデの地下洞窟から、彼女はロホに導かれて脱出したのだが、出口がこの地下神殿だったので、大騒ぎになった、と後にムリリョ博士が苦言を呈していたのだ。博士は「白人が神殿を汚した」と言っていたが、目の前にいるママコナはそんな考えを持っているのだろうか。

「俺は白人です。神殿を汚したことになりませんか?」
「それは頭が硬い年寄りの考えです。」

とママコナがあっさりと言ってのけた。

「穢れなら、同胞を爆裂波で傷つける人間の方がずっと汚れているでしょう?」
「仰せの通り・・・」

 ケツァル少佐や高齢の”ヴェルデ・シエロ”はママコナを世間知らずの箱入り娘の様に表現している。しかし、彼女は実際は聡明で機転が効いて、物知りなのではないか、とテオは見識を抱いた。そして心が広い。
 そしてもう一つ、ある謎が解けた。それは彼女が時々口にする”ヴェルデ・シエロ”の”真の名”をテオが聞き取れない理由だ。 ”ヴェルデ・シエロ”の真の名前は人間の言葉の「音」ではないのだ! 

 この人は、ジャガーの声で同胞の名前を呼んでいる・・・


2025/03/25

第11部  神殿        5

  テオとママコナはいきなり広い空間に出た。石に囲まれた大広間だ。中央に高い祭壇らしきものがあり、それ自体が頂点が平なピラミッドの様だ。壁には彫刻が施され、火が灯されている。テオは微かな空気の流れを頬に感じた。気流があるから、火を焚いても酸欠状態にならないのだ、とぼんやり思った。

「ここは祈りの間です。」

とママコナが説明した。

「暴風などの大きな災害が迫った時、ここで私と能力の強い者達が国土の安全を祈ります。」

 テオは以前ハリケーンが接近した時のことを思い出した。大統領警護隊の友人達は一晩中祈っていた。彼等は服を脱いでいた。
 テオはそっと訊いてみた。

「祈る時はナワルを使うのですか?」

 ママコナが彼を振り返った。

「見たことがあるのですか?」

 質問に質問で返したが、テオの質問に「スィ」と答えたも同じだった。テオは首を振った。

「ノ、しかし、以前ハリケーンが来た時、友人達が夜を徹して祈っていました。彼等は服を脱いでいましたので・・・」

 ママコナがクスッと笑った。

「変身しなければならないと言うのではないのです。祈りに夢中になって興奮状態になる人が変身してしまう、それが私達の体の厄介な問題です。」

 ママコナの口からナワルを「厄介な問題」と表現されて、テオはびっくりした。

「興奮が頂点に達すると、貴女の一族は変身してしまうのですか?」
「その様です。」

 ママコナは高い天井を見上げた。テオも見上げると、そこに竜の様な不思議な動物の彫刻があった。天井いっぱいに刻まれている。

「あれは私達の最高神です。」

とママコナは言った。

「名を呼ぶことを許されていません。私達は変身して神に呼びかけるのです、国を守り給え、と。」

 それから彼女は視線を壁の対面へ移した。

「これから、向こうに見えている通路へ行きますが、貴方は一族の者ではないので、この広間を横切ることは出来ません。時間がかかりますが、壁伝いに歩きますよ。」


2025/03/21

第11部  神殿        4

  テオはママコナに出会ったら質問したいことがいっぱいあった。しかし、今、実際に彼女を目の前にすると、そんな多くの疑問が真っ白になって、何も言葉が思いつかなかった。彼は黙って彼女の後ろについて階段を下って行った。
 時々ママコナは立ち止まり、1分ほどじっとしていることがあった。そんな時の彼女はボウッと白く輝いて見えた。何かしているのだ、とテオは思った。テレパシーで誰かと話しているのか、それとも彼女から何かを発して様子を探っているのか。
 不意にテオは一つ疑問が浮かんで、尋ねた。

「ケツァル少佐は、貴女にとって俺達の名前は意味をなさず、俺が少佐の名前を言っても貴女にはわからない、と言う意味のことを以前に言いましたが・・・」

 ママコナが立ち止まって振り返った。

「もし、私が少佐に出会ったことがなくて、貴方から彼女の名前を聞いても、私には誰だかわからないでしょう。でも私はシータ・ケツァルと会ったことがあるのです。ですから、現世の名前と彼女の”真の名”が結びつきます。」

 彼女は微笑んだ。

「私と普段接している女官や神官、近衛兵も同じです。大統領警護隊の指揮官に任命された人々は皆さん私に挨拶に来られますから、私は存じ上げております。今は貴方もその一人です。」

 そしてちょっと寂しげな表情になった。

「私はインターネットを使いますので、世間で私のことをどの様に言っているかも存じています。私は架空の人物であったり、ただの宗教上のお飾りであったり、正直なところ私にとって良い印象ではない言葉で表現されています。でも、私は選ばれた以上、私の役目を最後までやり遂げる覚悟で生きています。」
「貴女の役目?」
「セルバの民を守り、幸福に生きられるよう祈ることです。」
「貴女自身の幸せは?」

 言ってはいけない質問だ、と思ったが、テオは訊いてしまった。ママコナはニッコリ笑った。

「自己満足ですが、人民が私に感謝する声を聞くことです。 私自身は何もしなくても、彼等の心の支えになっている、それだけで十分です。」

 それは、貴女が本当の世界を知らないからだろう、とテオは思ったが、黙っていた。
 ママコナが前へ向き直った。

「もう少し下ります。疲れたら仰ってください。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...