2021/08/03

太陽の野  4

  文化・教育省が入居している雑居ビルの4階に、文化財・遺跡担当課があり、その片隅に大統領警護隊文化保護担当部のオフィススペースがある。他の部署と特に隔てられている訳でなく、パーテーションで分けられていることもない。だから時々物品の貸し借りで机から机へ何かが飛ばされている。シオドアが通路スペースとオフィススペースを分けるカウンターの内側に入ると、目の前を布で包まれた何かが横切った。顔に当たりそうになって危うく難を逃れた彼の横でロホが怒鳴った。

「出土品を投げるのは止めろ!」

 シオドアの右の方で若い男性職員が首をすくめた。左側でデネロス少尉がペロッと舌を出した。

「・・・たく、小さいからと言って、すぐ粗略に扱う・・・」

 文化保護担当部のスペースではそんな小さな騒動などなかったかの如く、ケツァル少佐が電話で忙しげに喋っていた。彼女の前の机ではステファン大尉が書類と電卓を相手に格闘中だ。ロホは自分の机にヘルメットを置き、シオドアにまだ入院中のアスルの椅子を勧めた。

「取り敢えずシャベス軍曹の直属の上官を探してみましょう。」

 ロホがパソコンを起動させた。シオドアは昨晩検索したのだが、軍部の名簿が出てくる筈もなく、断念したのだ。ロホは大統領警護隊だからこそ知っているパスワードで陸軍兵士の名簿を開いた。

「エウセビーオ・シャベス軍曹・・・陸軍特殊部隊・・・第17分隊所属、分隊長は・・・」
「アデリナ・キルマ中尉。」

とケツァル少佐が呟いた。あっ本当だ! とロホ。ステファン大尉が独り言の様に、「あの巨乳ちゃん」と囁いて、側頭部に少佐から消しゴムの投擲を受けた。それを見てデネロスが嬉しそうな顔をしたのをシオドアは見逃さなかった。どうやら以前の雰囲気が戻って来た様だ。

「シャベスの上官は女性なのか。」
「女性では都合が悪いですか?」
「軍曹の女性問題を相談したいからなぁ・・・」

 少佐が、ステファンが、そしてデネロスがシオドアを見た。皆んなアリアナのゴシップを知っているんだ。否、俺が自分で拡めたんだ・・・。大統領警護隊だけの部屋ならここで話が出来るが、他の部署が隣に並んでいる。シオドアは慎むことにした。携帯にキルマ中尉の電話番号を記録した。

「面会なさるのですか?」

とロホがちょっと興味を持って尋ねた。キルマ中尉は”ヴェルデ・シエロ”なのだろうか? シオドアは訊きたかったが、やっぱり隣の部署が気になった。職員達は気にしていないフリをしてしっかり聞いているのだ。シオドアは携帯をポケットに仕舞いながら、「ノ」と答えた。

「電話で話すだけだよ。面会したら、シャベスにバレるだろうし。」

 ロホがちょっぴり残念そうな顔をした。きっとシオドアのバックアップを兼ねて「巨乳ちゃん」に会ってみたかったのだろう。真面目なロホでも若い男性らしく女性に興味があるのだ。
 シオドアは椅子から立ち上がった。ロホは既に仕事の準備を始めていた。
 シオドアは少佐の机の側に行った。少佐は電話を終えて次の書類に取り掛かっていた。何処かの国の発掘調査申請書だ。隣のセクションを散々たらい回しされたらしく、書類のあちらこちらに赤ペンで書き込みがあり、紙面に皺が寄っていた。役人達が申請書を受理して、読んで、申請者の人数や日程、場所、調査目的、予算などを検討し、最後に大統領警護隊文化保護担当部に護衛が可能か否か判断を任されるのだ。文化保護担当部が陸軍の護衛部隊に日程と人数の打診をして了承を取れたら、ケツァル少佐が調査隊に「保護協力金」名目で遺跡に入るための入場料を請求する。料金は調査隊の規模によって異なるので、その計算をしているのが、ステファン大尉だ。
 シオドアは少佐に声をかけてみた。

「またジャングルへ出張かい?」
「これは砂漠の遺跡です。」

 するとマハルダ・デネロス少尉が顔を上げてこちらを向いた。目が「私に行かせて」と言っている。まだ護衛の現場に出た経験がないのだ。しかし少佐は彼女にではなくシオドアに言った。

「これは小さな遺跡で宝物はありません。調査隊の規模も小さいので護衛部隊をグラダ・シティから送ることはしません。現地の陸軍駐屯地から数名出してもらいます。」

 デネロスががっかりしてデスクワークに戻った。

2021/08/02

太陽の野  3

  シオドアが帰宅した時、アリアナは既に寝室に入っていた。シオドアがドア越しに「おやすみ」と言うと、「おやすみ」と返事があった。彼は自室で暫くネットゲームをしてから、ふと思うところがあって、庭に出た。夜間の監視役をしている兵士が直ぐに気がついて近づいて来た。

「何かありましたか、ドクトル?」
「ノ、ただの夕涼みだ。」

 シオドアは夜風にあたりながら、兵士が再び元の場所へ戻ろうとするのを見た。

「ちょっと聞きたいことがある。」

 兵士が足を止めて振り返った。

「何でしょう?」
「昼間の当番のシャベス軍曹のことだが、彼は家族がいるのかい?」

 兵士は肩をすくめた。

「個人的なことは・・・」

 そうだ、他人のプライバシーを詮索しないのがセルバ人のマナーだ。シオドアは「ごめんよ」と謝った。

「妹が彼を気に入った様なので、ちょっと気になったのさ。」

 正直に言うと、逆に効果があった。兵士が応えた。

「シャベス軍曹は独り身です。白人女性が好みで・・・妹さんは気をつけた方が良いですよ。護衛と対象者が親密になると碌なことがありません。」

 そして「おやすみなさい」と言って持ち場へ戻って行った。
 シオドアはアリアナに説教をした方が良いのだろうかと考えた。だがセルバに来てから彼女は家と大学を往復するだけの毎日だ。医学部の仕事仲間と出かけたり、たまに大統領警護隊のマハルダ・デネロスに誘われて買い物に行ったりするだけで娯楽もない。新しい友人ができるのであれば良いことだ。だが護衛が相手では、シャベスの任務に支障が出る。
 翌朝、何時もの様にシオドアとアリアナは朝食を取り、身支度をしてシャベス軍曹が運転する車で大学に向かった。シャベスが「今日のご予定は?」と尋ねた。シオドアは午後の授業が終われば普通に帰ると答えた。アリアナも夜の予定はないと言った。それでシャベスはいつもの時間に迎えに来ると言って、2人を大学の正門前で降ろし、士官学校の方向へ去って行った。
 アリアナと別れ、シオドアは生物学部の研究室に入った。内務省の指示で亡命者の護衛をしている部隊がどこなのか調べるのはどこに訊けば良いのだろう。内務省か? 先日のデネロス少尉の言葉が脳裏に蘇った。内務大臣の弟はケツァル少佐にご執心だって? 山のような花をお見舞いに送る大臣の兄の役所に、家族の問題を持ち込むのか? アリアナはたった一人の家族だ。エル・ティティの街へ連れて行ってやりたい。田舎暮らしの良さをわかってもらいたい。何処の馬の骨かわからぬ兵士に取られたくない。
 色々考えているうちに1時間ばかり経ってしまった。彼は午後の授業の準備をしてしまい、余った時間で外出した。ぶらぶら歩いて、気がつくと文化・教育省の前に来ていた。いつもの無愛想な女性軍曹が番をしていた。彼女も陸軍だ。シャベスの上官を知っているだろうか。近づいて行きかけると、後ろからバイクがやって来た。追い越しざま、「テオ!」と声をかけられた。驚いて立ち止まると、バイクは路地へ入って行った。路地の奥に文化・教育省の職員駐車場があるのだ。因みに来客用駐車場はない。客は歩いて5分の場所にある市営駐車場に車を止めなければならない。バスターミナルもそこにあるので、セルバ人は特に不便だと思っていないようだ。
 シオドアが立っていると、駐車場にバイクを置いてロホがやって来た。手にバイク用ヘルメットを抱えている。バイクは中古だがヘルメットは新品だった。セルバでは新車はすぐ盗まれる。だから「常識」がある市民は中古車を利用する。持って移動出来る物は新品で構わないのだ。
 挨拶を交わして、ロホが誰かに御用ですかと尋ねた。シオドアは誰でも良かったので、彼に護衛のシャベス軍曹の上官を知らないかと尋ねた。ロホが用心深く周囲を見回してから、質問で返した。

「内務省の指示でお宅の監視兼運転手をしている兵士ですか?」
「スィ。ちょっと彼の勤務態度について彼の上官と話したいことがあってさ。」

 するとロホがドクトラのことですかと言ったので、シオドアは噂が広まる速さに驚いた。デネロスもステファンも口が軽い訳ではないが、目と目を見合わせば意思疎通が出来てしまう種族だ。秘密を保つのは困難だ。

「軍曹が彼女に何をしたと言う訳じゃない。少し個人的な話をするのを控えてくれと言いたいだけなんだ。」

 ロホはあまりお勧めしないと言いたげな顔をした。

「上官に伝わると、その軍曹は更迭されるでしょうね。軍歴に傷が付くので、貴方を逆恨みする恐れが出てきます。」
「アリアナと必要以上に口を利くなと言うだけだよ。クビにする必要はない。」
「それは貴方の方の理屈です。シャベスの上官には、あなた方の安全を守れと言う内務大臣からの指示に従えなかったと言う悔いが残ります。例え内務大臣の耳に入らなかったとしても・・・」

 ロホがそこで珍しく嫌な顔をした。

「内務大臣の弟の建設大臣には地獄耳の秘書がいます。」
「秘書?」
「”砂の民”のシショカと言う男です。」

 建設大臣の秘書に”砂の民”がいると、以前ケツァル少佐も言っていた。シオドアも嫌な感じを覚えた。シショカは最近もカルロ・ステファンにちょっかいを出したのではなかったか? 

「なんで”砂の民”が大臣の秘書なんかしているんだ?」
「そこの事情は私も知りません。マリオ・イグレシアスの個人秘書ですから、かなり昔から働いているのでしょう。問題は、シショカはムリリョ博士の配下ではないと言うことです。マスケゴ族ですから、族長には従いますが、裏の仕事では一匹狼なのです。国政に関わって、一族に都合が悪い政治家が現れると動く、そう言うヤツです。貴方が内務省の指示で働く兵士に苦情を言えば、シショカの耳に入ります。シショカはあなた方を守りはしないが、仕事をしくじった兵士を許さないかも知れません。」
「面倒臭いヤツだなぁ・・・」

 ロホが時計を見て、雑居ビルを指した。

「お時間があるのでしたら、中へ入って話しませんか? ここは暑いです。」

 確かに南国の太陽が容赦無く照りつけていた。

 

太陽の野  2

 朝夕の送迎の車を運転するエウセビーオ・シャベス軍曹は、シオドアとは仕事の話しかしなかった。守られる対象者と世間話をするのは護衛としては良くない傾向だ。シオドアはシャベスの様子を観察してみたが、向こうもシオドアがいる時は尻尾を出さなかった。アリアナが親しげに話しかけると、少し声音が柔らかくなるだけだ。アリアナも彼が気に入っている素振りを見せなかったので、シオドアはデネロスの取り越し苦労だと思いたかった。
 デネロス少尉が遊びに来た雨の日から3日経った。天気が良かったので、シオドアは夕食を外で取ろうとアリアナを誘ったが、断られた。医学部の研究があるので遅くなると言う。それで運転手を彼女に譲って、彼は街で食べて一人で帰ることにした。賑やかな通りをぶらついて、目に入ったバルに立ち寄った。立食用カウンターで一人で軽く飲みながら小皿の料理を摘んでいると、こんばんは、と声を掛けられた。振り向くと、カルロ・ステファン大尉が立っていた。仕事帰りで腰から下はジーンズだが、恐らく規則に従ってホルダーで拳銃を装備している筈だ。Tシャツの上に着込んだジャケットで隠している。 シオドアは「ヤァ」と返して、隣を指した。ステファンはそこに自分のグラスと皿を置いた。

「少佐の傷はもう良いのかい?」
「経過良好なんじゃないですか?」

とステファンは他人事みたいに言った。

「私に見せてくれる筈がないじゃないですか。」
「そうかい?・・・俺は頼みもしないのに見せられたことがある。目のやり場に困ったぞ。」
「あの人は時々そう言う突飛なことをするんです。ロホも悪霊退治の最中に彼女が脱ぎだして困ったと言っていました。」
「何のために脱いだんだ?」
「悪霊をびっくりさせたんですよ。」

 2人はクスクス笑った。

「アスルは何時退院させてもらえるんだい?」
「後3日です。しなくて良い格闘をして脚を折ったので、副司令がご立腹で、私より謹慎期間が長かったんです。」
「良いじゃないか、骨休み出来てさ。」

 シオドアはビールを流し込んだ。

「俺だって、好きな女性が傷つけられたら頭に来るさ。相手をぶん殴る。」
「・・・」
「だけど、あの状況でも立場を忘れない少佐も凄いよな。」
「あの方は・・・」

 ステファンが呟いた。

「とても遠い。」

 シオドアは彼を見た。ステファンはグラスの中のビールの気泡を見ていた。

「エルドラン中佐に言われたのです。彼女を手に入れたくば、彼女より上へ行けと。」
「それは・・・」

 どう意味だ? 何時、そんなことを言われたのだ? 姉弟関係を知る前か、それとも後か?

「まだ彼女を諦めていないってことか?」
「いけませんか?」

 ステファンがシオドアの目を見た。そんなに見つめられても何も伝わらない。シオドアは小声で言った。

「君の姉さんだぞ?」
「半分だけです。」
「父親は同じ人だ。」
「母親は違います。」
「それでも彼女は君の姉さんだ。」
「それは”ヴェルデ・ティエラ”のルールです。私達は”ヴェルデ・シエロ”です。」

 シオドアは思わず周囲を見回した。誰も聞き耳を立てていない。

「それがグラダの常識なのか?」
「私達の常識です。ブーカでもサスコシでも、7部族共通の常識です。」

 シオドアは唖然とした。母親が異なると他人扱いになるのか? ステファンはビールを流し込んだ。 お代わりを注文した。

「私はまた任務に力を入れます。昇級して、少佐より上を目指します。必ず彼女を手に入れて見せます。」
「彼女は承知しているのかい?」
「彼女が誰を選ぶかは、彼女にしかわかりません。」

 ステファンをシオドアをじろりと見た。

「貴方もライバルだと考えてよろしいですね?」

 シオドアはドキッとした。

「俺は白人だが・・・」
「でも彼女のことが好きでしょう?」
「勿論・・・」
「彼女は人種なんて気にしませんよ。」

 ステファンがちょっと拗ねているように聞こえた。

「彼女は貴方の手が彼女に触れても拒まない。礼拝堂で彼女が傷を痛がった時に貴方が労ったでしょう。あれが私だったら、手を振り払われていました。」
「ああ・・・」

 そう言えば、あの時ステファンは怒っていた。シオドアは殺気を感じたのだ。

「あれはだね・・・彼女は俺を対等の立場だと考えているから容認してくれたんだ。」
「貴方と彼女が対等?」
「スィ。君は彼女の部下だ。彼女は部下に気遣ってもらいたくない。弱みを見せたくないんだ。」
「しかし、彼女は疲れた時は平気で私にもたれかかってきます。」
「君は頼れる大樹だ。公園の木の幹と同じだ。椅子の背もたれとか、カウンターとか・・・」

 ひどいなぁと言ってステファンがやっと笑ってくれた。その笑顔が、シオドアに例の男を思い出させた。メスティーソだからと言う訳ではないが、笑うとちょっと印象が似ている。

「カルロ、内務省の指図で俺達の監視と護衛をしている運転手のシャベス軍曹を知っているだろう?」
「知っていると言われる程では・・・あなた方を通してしか知りませんが、彼がどうかしましたか?」

 シオドアはちょっと躊躇った。

「俺は見た訳じゃないんだが、シャベスがアリアナと仲良くしていると言う情報があるんだ。」
「仲良く?」
「必要以上に世間話をしたり、親し気にしていると・・・アリアナも最近お洒落になったと言うんだ。」

 ステファン大尉がちょっと考え込んだ。彼も一度アリアナと関係を持ったことがある。彼の方は助けてくれた恩人の要求に応えただけの様だが、アリアナは真剣になりかけていた。今でも彼と2人きりになるのは勇気が要る様に思える。

「気に入りませんね。」

と大尉が言った。

「彼女が誰を好きになろうと私に口出しする権利はありませんが、護衛が守るべき人に手を出すのは許されない。シャベスの上官は誰です?」
「上官に言いつけるのかい?」
「戒告が必要かどうか、上官の判断によりますが、黙っているのは良くありません。シャベス軍曹は私と同じ年代です。若いですから、過ちを犯す可能性もあります。」

 経験者がそう言うのだから、忠告を聞き入れるべきだろう。シオドアはわかったと応えた。

「明日、彼の上官にそれとなく注意しておくよ。」



2021/08/01

太陽の野  1

  セルバ共和国は熱帯雨林気候の土地だが、丸一日雨が降るのは珍しい。雨季でも1日の数時間に大量の雨が降り、後は空が晴れているか曇っていると言う状態だ。だから乾季に終日雨が降るのは滅多にないことで、シオドアの教室の学生達は予定が狂ったと朝から文句を言っていた。シオドアも学生達と午後から植物採取に出るつもりだったので、次の日の予定を組み換えなければならなかった。シエスタも研究室の中で本当に昼寝をするしか時間を潰す方法がない。部屋の隅に置いた木製のベンチで横になっていると、マハルダ・デネロス少尉が訪ねてきた。彼女の顔を見るのは久しぶりだったので、シオドアは喜んだ。

「そろそろ卒業準備だね?」

と言うと、彼女は恥ずかしそうに頷いた。

「論文に取り組んでいます。でも結構難しくて・・・ケサダ先生は授業では優しいんですけど、論文の採点が厳しくて。」

 彼女の論文のテーマはなんと「”風の刃の審判”の実用性」だった。グラダ・シティ近郊のサラの遺跡を巡って調査し、実際に使用されたのか、使用されたとしたらどれ程の頻度だったのか、審判の効果はあったのか等を比較検討していた。
 お土産にお菓子を持ってきて机の上に並べるデネロスの為に、シオドアは昼寝を止めてコーヒーを淹れた。

「俺に”風の刃の審判”の実体験を聞きに来た訳じゃないだろう? 俺が遭遇したのは通路で、本当のサラの中じゃなかったから。」

 シオドアが指摘すると、デネロスは彼の向かいに座った。

「オフィスが息苦しくて、息抜きに来ちゃいました。」
「息苦しい?」
「スィ。上官達の様子が変で・・・」

 ケツァル少佐は撃たれてから4日後に退院した。護衛のステファン大尉も彼女の退院と共に病院での警護を打ち切ってオフィスに戻った。

「あんなに仲が良かった少佐と大尉が、あれから口を利かないんです。仕事で必要な話はするんですけど、それ以外は無駄口を叩かないし、目も合わさないんです。」

 ああ、とシオドアは原因に思い当たることがあるので頷いた。お互いに異母姉弟だと知って、あの2人はそれまでの関係を同じように保てなくなっているのだ。ケツァル少佐は両親がそれぞれ異なる立場で大罪を犯した咎人だったと知ってショックを受けているに違いないし、ステファン大尉も酷い最期を遂げた父親を思い、恋をした女性が姉だったと知って気持ちの整理がつかないのだろう。
 若いデネロスは「伝説の死闘」を知らない。長老会とは縁がないメスティーソの家族の子供だから尚更だ。ロホはどうなのだろう、とシオドアは思った。ロホの家は名家だとステファンが言っていた。長老会と深い繋がりがある筈だが、ロホはステファンと同年齢だ。事件があった頃はまだ赤ん坊だった。ロホの親は息子に歪んだ一族の歴史を教えただろうか。

「大尉が少佐が撃たれた時に持ち場を放棄して要塞に突入してしまったことを批判されたことは知っているかい?」

 すると意外なことにデネロスは知らなかった。そうだったんですか?と目を見張った。だからシオドアは彼女に教えてやった。

「大尉は文化保護担当部では少佐に次ぐ階級だ。少佐に万が一のことがあった場合は彼が指揮を執らなきゃならない。わかるね?」
「スィ。」
「だけど、ステファンは少佐が撃たれたと知った途端に、頭に血が上ってしまった。少佐を撃ったのは実際は憲兵だった訳だけど、彼はロハス一味が撃ったと勘違いして、持ち場を放棄して要塞に突入した。守るべき憲兵隊を放置したんだ。その結果、憲兵隊に負傷者が出た。ロホは中尉で、大尉が持ち場を放棄したら彼が指揮権を持つ筈だ。しかし、その時ロホは少佐の救助を優先した。彼は大尉が当然指揮を執るものと信じていたからだ。さらに最悪だったのは、少尉のアスルまでが大尉に続いて突入してしまった。」

 うそーっとデネロスが声を上げた。

「何やってたんですか、うちの男共は!」

 実戦経験がないデネロスはプンプン怒って見せた。

「何の為の大統領警護隊なんですか? 私達が守っているから、憲兵隊や警察隊は安心して悪者達と戦えるんですよ。それなのに守らずに自分達で突入したなんて!」
「少佐もロホに運ばれながら、守れと命令を叫んだらしいけど、ステファンもアスルも聞いていなかったんだ。ロホが後ろを見ずに守るなんて無理だったしね。味方の銃弾まで破壊してしまう危険は冒せないだろう?」
「ああ・・・それは少佐が怒っているのも無理ないですね。」

 デネロスは上官達の間がギクシャクしている原因はステファンの持ち場放棄にあると思い込んだ。今はそれで良いのだろう、とシオドアは思った。今少佐と大尉の間にあるのは、「家族の問題」なのだ。

「アスルはまだ退院出来ないのかい?」
「脚の骨の手術が終わって松葉杖で歩けるらしいです。だけど少佐がまだ病院から出るなと言ったらしいです。」
「彼も持ち場放棄したから、病院に閉じ込められているんだよ。本当なら、ステファンもアスルも営倉送りらしいけど、要塞を陥落させた手柄で帳消しになって、謹慎で済んでいる訳だ。」
「仕方がないですね。国民の守護が私達の任務ですもの。それを放棄したら、大問題です。」

 デネロスはお土産に持ってきた筈のお菓子を自分でパクパク食べながら、オフィスの緊張の原因がわかって少しスッキリした様子だ。
 シオドアは少佐と大尉が仲直りしてくれないかな、と思った。ステファン暗殺の脅威はまだ解消されていないのだ。連携して守備を固める筈の姉弟の間に不協和音が存在すると、守りが難しくなる。
 そんなことを思案していると、デネロスが話題を変えて、シオドアをびっくりさせた。

「アリアナは最近好きな人ができたんですか?」
「ノ・・・聞いてないけど。」
「でも最近お洒落に熱が入っているし、楽しそうですよ。彼氏がいるみたい。」

  少佐とステファンの親達の過去に気を取られていて、アリアナへの注意が疎かになっていた。シオドアは毎日顔を合わせている”妹”の変化に気がつかなかった。

「医学部に誰か男友達でも出来たのかな?」
「そうじゃないと思います。」

 デネロスは女性らしく、こう言う話題に鋭かった。

「監視と護衛を務めている軍曹がいるでしょ?」
「エウセビーオ・シャベス軍曹か?」
「あの人、アリアナに馴れ馴れしいです。」
「まさか・・・」
「テオがいない時に、彼女といつもお喋りしてます。彼女も楽しそうです。」

 つまり、シオドアの目を盗んでアリアナを誘惑しているのか。デネロスはそれが気に入らないらしい。

「監視をつけているのは、内務大臣のパルトロメ・イグレシアスでしょう? 私達、あの大臣が嫌いなんです。」
「大臣が嫌いでも、軍曹と関係がないだろうけど・・・」
「彼の弟の建設大臣はうちの少佐にずっと求愛しているんですよ。」
「え?」
「デートの誘いを電話やメールや手紙や、秘書に直接伝言を届けさせたりして、しつこいんです。少佐は全く相手にしていませんけど。」

 そう言えば、ケツァル少佐の病室にあった見舞い花の3割はイグレシアス建設大臣からのものだった、とシオドアは思い出した。

「あの大臣は白人だったね?」
「スィ。一族の血は一滴も入っていないって、官舎の先輩が言ってました。少佐が誰をお相手に選ぶかは少佐の自由ですけど、あの大臣は絶対にないって皆んな信じています。」

 あの山の様な見舞い花の送り主は大半が男性だった。もしかして、皆んな求愛者なのか? シオドアはライバルが多過ぎることに愕然とした。確かにケツァル少佐は美女だ。金持ちのお嬢様だ。しかしそこいらの男が気軽に求愛出来る様な女性ではない。並の男性では釣り合わない。そう思って安心していたが、見舞い花の送り主達は皆セルバ共和国のセレブばかりだった。

「兎に角ですね・・・」

 デネロスはツンツンして見せた。

「あのイグレシアス大臣に与えられた仕事をしている男に、アリアナを取られるのは嫌です。」


礼拝堂  14

 「ムリリョ博士、貴方はカルロ・ステファンの命を狙っているのが、トゥパル・スワレだとお考えなのですか?」

 シオドアが尋ねると、ムリリョは大きく頷いた。

「お前が”曙のピラミッド”に迂闊に近づいた時のことを思い出せ。ママコナが近づいた者は何者かと我々に問いかけた。ケツァルが、あれは観光客が注意書きを無視して結界に入り込んだだけだと言い訳したが、トゥパルは心配になったのだ。マナの息子が侵入を試みたのではないかと疑った。だからケツァルがお前をオクタカス遺跡へ隠した時、手下を監視に送った。」
「もしや、あの時の陸軍の警備兵・・・」
「誰かは問題ではない。だがその警備兵が、アルストの警護を任されたケツァルの部下が”出来損ない”のステファンだと報告して、トゥパルは慌てたのだ。あの愚か者は、それまで黒猫が己の近くで大統領警護隊として働いていたなどと夢にも思わなかったのだ。彼は手下に”出来損ない”の能力の大きさを確認させた。」
「”風の刃の審判”の事故を装って、ステファンの力を試したのですね、殺そうとしたのではなく?」
「そうだ。その警備兵は”砂の民”でもあったから、実はトゥパルに報告する一方で同じ内容を儂にも伝えてきた。儂は大学で既に黒猫を見ていたから驚かなかったが、防御本能しか使えぬ”出来損ない”はトゥパルが心配するような存在ではないと断じた。」

 ステファン大尉が赤面した。シオドアはムリリョが大学で彼をしっかり観察していたことを今更ながら知った。

「そうか・・・任務で考古学が必要だったから、カルロは貴方の生徒になったんだ。だから貴方は彼が大統領警護隊に入ったことも、彼の能力が目覚めていないこともご存知だった。」
「グラダの血統を持つブーカ族やサスコシ族は少なくない。ステファンの名も珍しくない。だから黒猫が警護隊に入った時は、そんなに話題にならなかった。エステベス大佐もトーコ中佐も、今や伝説となったオルガ・グランデの死闘と己等の部下を結びつけて考えなかった。ケツァルが新入隊の若造の中からグラダを見つけて喜んでいると、却って微笑ましく思ったほどだった。
 しかし、”出来損ない”は能力を上手く使えなければ、兵士としての技量を磨くことで努力する。黒猫が頑張って昇級していくようになると、トゥパルは不安になったのだ。彼は、オクタカスの警備兵の時でもわかるように、陸軍に顔が利く。懇意にしている陸軍幹部にカメル軍曹を紹介してもらい、”ヴェルデ・ティエラ”のカメルに”操心”をかけたのだ。オパールの仮面を黒猫が手にした時に、その心臓を刺せ、と。それが何時なのかは問題ではなかった。メルカトル博物館にあるオパールの仮面を盗むと言う行為自体を、命令を実行させるキーにしたのだ。この手口は”砂の民”でしか知らないものだ。しかし、トゥパルの兄でマナに殺されたエルネンツォは”砂の民”だった。トゥパルは兄の秘技をいくつか教えられていたに違いない。」
「カメル軍曹は自分が操られているとも知らずに、ずっと外国で任務遂行に励んでいたのですね。」

 シオドアはカメル軍曹を飛行機の中で一回見かけたきりだったが、なんだか可哀想に思えた。あの男にも家族がいた筈だ。

「ロハスの要塞を攻撃した時の狙撃は・・・」
「あれは別件だ。」

とムリリョが言い、シオドアとケツァル少佐はびっくりした。すると意外にも、ステファン大尉が上官に言った。

「ご存知ないのも無理はありません。それを報告しようとしたら、貴女は病室から消えていたのです。」

 少佐が体を捻って後ろの彼を見ようとして、手で胸を抑えた。

「あいたた・・・」
「大丈夫か?」

 シオドアはつい手を彼女の体にかけて、大尉の目の殺気に気がついた。いいじゃん、少佐はまだ君のものじゃない・・・てか、姉さんだから君のものじゃない。少佐がシオドアに体を預けたまま、部下に命令した。

「報告しなさい。」

 ムリリョが大尉に言った。

「教えてやれ。儂に休憩させろ。」

 大尉はまた溜め息をついた。

「貴女の傷から摘出した弾丸を調べて、銃の持ち主の憲兵を特定しました。イサンドロ・カンパロ曹長、反政府ゲリラの頭目だったディエゴ・カンパロの従兄弟でした。ディエゴにゲリラ狩りの情報を流したり、誘拐しやすい要人の行動日程を教えたりして、裏でディエゴのグループを援助していたのです。ディエゴのグループが我々に殲滅されて大人しくしていましたが、恨んでいたのも確かです。憲兵隊は本日夕刻イサンドロ・カンパロとその兄弟を逮捕して、他のゲリラグループとも取引がないか捜査に取り掛かります。」
「それじゃ、どさくさに紛れてカンパロ曹長が君を撃とうとしたのは、従兄弟の恨みを晴らそうとした訳か?」
「その様です。少なくとも、カンパロ一家とトゥパル・スワレに繋がりはありません。カンパロも私同様”出来損ない”で、スワレ家の様なブーカ族の名家と口も利いたことがないでしょう。」

 ムリリョが立ち上がった。すっかり夜が更けていた。

「トゥパル・スワレがシュカワラスキ・マナの息子を狙うのは、恐らくマナの死があの男の言う通りではなかった可能性がある。」
「故殺だったと言うことですか?」

 とケツァル少佐もシオドアに支えられて立ち上がった。ムリリョが頷いた。

「意識朦朧とした状態でも、グラダが空間通路の通過ぐらいで死ぬとは、儂には信じられぬ。ましてや、通路を得意とするブーカ族の先導だったのだぞ。トゥパルがマナを殺したのだ。それを黒猫に知られたくないのだろう。」
「トゥパルは私もいることを忘れているのでは?」

 と少佐が言った。

「私は父親とは全く縁がありませんが、弟と妹に危害を与える者は決して許しません。」

 最後に立ち上がったステファン大尉が彼女を見つめ、それから夢から醒めた様に気を引き締めた。

「車の安全確認をしてきます。私の車で申し訳ありませんが、お送りします。」

 彼は誰の返事も待たずに礼拝堂から足早に出て行った。「アイツの車?」とムリリョがシオドアを見たので、シオドアが説明した。

「中古のビートルです。」
「ビートルに4人乗るのか?」
「私達は後ろに乗ります。」

と少佐が諦めた様な顔で言った。つまり、シオドアも後ろだ。狭いが、少佐と密着出来る。それにしても、と少佐が言った。

「私は彼を導師として導いた覚えはありません。寧ろ、どの様に教育すべきか暗中模索している最中です。」

 ムリリョが彼女を見て、シオドアを見た。そして可笑しそうに笑った。

「愚か者、恋の力だ。」



礼拝堂  13

 「一度人間の血の味を覚えたジャガーは再び人間を襲う。”ヴェルデ・シエロ”も同じだ。一度能力で人を殺すと、それが簡単だと知る。儂等”砂の民”が能力を直接使って暗殺を行わぬのは、それが理由だ。シュカワラスキ・マナは結界内で”砂の民”を狩り始めた。儂が知る限りで4人殺害された。儂が生き延びられたのは、運が良かったからだ。マナの追跡を何度かかわし、儂は鉱山の迷路の様な坑道を逃げ、地下の水流を利用して遂にマナの結界の外に逃れ出た。
 それから2年間、膠着状態が続いた。その間に、カタリナが3人目の子を産んだ。男の子だった。ママコナはそれを知ったが、彼女は既に高齢で”出来損ない”の頭に語りかける強さも残っていなかった。それにマナの結界はまだ生きていた。ママコナはマナが息子に何をするのか心配しながらも、我々に赤ん坊には手を出すなと言い残し、この世を去った。
 皮肉なことに、彼女の崩御をマナはその大神官の力で知った。そして動揺したのだ。彼にとってママコナは親を殺した仇であると同時に、育ての親であり、師だった。彼は悲嘆に暮れ、結界が崩れた。」

 ムリリョは温くなったジュースを飲み干した。

「”砂の民”が一挙にオルガ・グランデの街に侵入した。儂はステファンの家を真っ先に抑えた。人質と言うより、保護したつもりだ。”砂の民”は連携して活動するのではないからな。他のメンバーがステファン家の女子供を人質に取れば惨劇が広がる予感がしたのだ。カタリナの父親は儂に協力してくれた。娘と孫がマナと会うことを禁じて、他の”砂の民”に出来るだけ存在を知られぬよう隠したのだ。
 儂等はマナを坑道に追い込み、戦いの場は地下に移された。地上の”ヴェルデ・ティエラ”に被害を及ぼさぬよう、儂等なりの努力だ。暗闇の中での戦いは2年続いた。」

 ムリリョがステファンに話しかけた。

「お前は父親を覚えておらぬだろう?」

 ステファンが唇を噛み締めたまま同意した。

「マナは2年間、地上に出なかったからな。」
「でも食い物が必要でしょう?」

とシオドアが素朴な疑問を出した。ムリリョはあっさり答えを出した。

「カタリナがこっそりと井戸の穴から援助していたのだ。お前の母親は大人しく見えて、なかなか勇敢な女だぞ、黒猫。」
「カルロと呼んでやって下さいよ、博士。猫じゃなくてジャガーなんだし。」

 シオドアがステファンを気遣って言った。ケツァル少佐が彼を見て、ちょっと微笑して見せた。ムリリョはしかし冷たく言った。

「もう一度ナワルを己の意思で使えたら、エル・ジャガー・ネグロと呼んでやる。」

 そして2人のシュカワラスキ・マナの子供達を眺めた。

「カタリナは井戸を下りて夫と密会していたのだ。そして4人目の子を孕った。身重の体では井戸を下りられぬ。援助を続けられなくなったカタリナは、監視していた儂に遂に井戸の密会を打ち明けた。マナを助けてやって欲しいと。
 当時のママコナはまだ2歳だった。大罪を犯した者への免罪を考えることも出来なかった。だから儂は井戸を下りて、マナに会った。彼に、長老会に投降してひたすら助命嘆願せよと忠告した。息子と次に生まれてくる子供の為に生きることだけ考えよと言った。」

 少佐とステファンが同時にムリリョを見つめた。シオドアは彼等が同じ質問をしたと感じた。「父はなんと答えたのか?」と。

「マナは考えさせてくれと儂に言った。それで儂は井戸から地上へ戻った。翌日、マナは投降したのだ。家族に手を出さぬと言う条件のみで、”砂の民”の頭目に捕縛された。5人もの人間を殺害したマナを生かしておけないと思う者は多かった。しかし投降した者を殺すことは出来なかった。直接能力を使って死なせることは出来ぬからな。”砂の民”達は、長老会の裁きをマナに受けさせることにした。少なくとも、公平な裁判の場を与えてやろうと話がまとまった。護送にはブーカ族の能力が必要だった。空間の通路を使わなければ、マナの様な能力の人間をグラダ・シティ迄連行することは不可能だった。
 グラダ・シティから派遣されて来たのは、トゥパル・スワレと言う男だった。彼は、エルネンツォの同母の弟だった。」
「それは・・・」

 シオドアは呟いた。それはマズイんじゃないのか? 

「マナは捕縛された後2日間抑制効果のあるタバコの葉で燻され、意識が朦朧となっていた。トゥパルは縛られた彼を連れて”入り口”に入った。」

 ムリリョが天井を見上げた。

「儂が生きているシュカワラスキ・マナを見たのは、それが最後だった。ピラミッドの地下神殿に”着地”した時、彼は既に息をしていなかったと聞いている。」

 シオドアは礼拝堂内の気温がまた1度下がった様な気がした。祭壇の聖具が微かに振動した。ケツァル少佐とステファン大尉が動揺している、と彼は分かった。

「意識がない状態の者を運んで空間通路を使うのは非常に危険だ。だから、空間通路を使うことに長けているブーカ族を呼んだのだ。しかし、トゥパルは、失敗したと言い訳した。朦朧としていてもマナの気が大き過ぎた為に上手く通路を抜けられなかった、と。」
「その言い訳は通ったのですか?」

と少佐が尋ねた。ムリリョが頷いた。

「もし無事に通路を通れたとしても、恐らく裁判で死を宣告されるだろうと言う考えを持つ者が多かった。だから、マナの死は、処刑されるよりも楽に済んで、本人にとっても良かっただろうと。」

 シオドアは斜め後ろを振り返り、ステファン大尉の頬に涙が伝わり落ちるのを目撃した。彼は友人の気持ちを代弁した。

「シュカワラスキ・マナは一人の細やかな幸せを求めて脱走し、家族を守ろうとして戦い、家族を守る為に罪を犯して、家族を守る為に投降したのです。どんな結果が待ち構えていようと、彼には裁判を受ける権利があった。そうではありませんか?」
「白人社会の理屈だな。」

と言ってから、ムリリョは頷いた。

「儂もお前と同じ意見だ。」

 彼は大尉を見た。

「随分長い前置きになったが、トゥパル・スワレはまだ健在だ。今は長老会でも最実力者の一人である。彼は、カタリナ・ステファンが4人目の子を産んだ時、その子と2歳になる息子を殺せと主張した。いつか成長した暁に父親の仇を討とうとするであろうと。再びオルガ・グランデの死闘が始まると。」
「馬鹿な!」

 シオドアは叫んだ。

「その人は兄弟をマナに殺されて、マナの家族に個人的な恨みを抱いているに過ぎない!」

 ムリリョは彼の意見を聞かなかったふりをした。

「儂はステファン家の人間は白人の血が濃く、何の能力も持っていないと主張し、彼の意見を退けることに成功した。その為に、オルガ・グランデに再び足を運び、カタリナの父親に、孫娘の能力を封印するよう命じた。黒猫の祖父さんは見事にやってのけた。マナの最後の子供は”心話”以外使えぬだろう? 息子の能力は訓練しなければ使えぬ”出来損ない”のまま放置しておけば良いと、長老会に進言した。もし使えるようになっても、それは優秀な導師が就くからだ、と。」

 シオドアはケツァル少佐を見た。ステファン大尉も少佐を見た。ムリリョが微笑んだ。

「まさか、その導師がマナの娘だとは、誰も予想だにしなかったがな。」



礼拝堂  12

  軍靴を履いているにも関わらず音一つ立てずにカルロ・ステファンが祭壇前に近づいて来た。シオドアは「ヤァ」と声をかけるしかなかった。ステファン大尉は彼に頷き、それからムリリョに挨拶した。

「こんばんは。お久しぶりです、博士。」

 大統領警護隊文化保護担当部の隊員は皆グラダ大学の考古学部で学んで卒業している。ステファンもケサダ教授の教室の学生で、ムリリョの講義も受けたのだ。ムリリョはこの生徒を覚えていても覚えていないふりをしていたのだろう。純血至上主義者のプライドだ。彼は無愛想に頷いた。
 ステファンはケツァル少佐の横に来た。そしてわざとらしく溜め息を付いて言った。

「私を営倉送りになさりたいのですか?」

 護衛していた上官に脱走されて腹を立てていた。少佐がチラリと彼を見て冷たく言った。

「営倉へぶち込むなら、貴方が持ち場を離れてロハスの要塞に突入した時にしていました。」
「少佐は俺を心配して追って来たんだ。俺が単独でムリリョ博士と面会しようと考えたから・・・」

 シオドアが少佐の為に言い訳すると、ステファンは尚も上官を責めた。

「それなら私に一言仰って下されば・・・」
「黙れ、黒猫!」

 ムリリョがいきなり怒鳴りつけ、ステファンの口を閉じさせた。シオドアは礼拝堂の中の聖具がビーンと微かに振動するのを見た。これは誰の気なんだ? ムリリョが少佐の後ろの椅子を指差した。

「ガキの様に文句を言うでない。ジャガーならジャガーらしく威風堂々としておれ! さっさと座るのだ。朝まで儂に語らせる気か?」

 ステファン大尉は渋々少佐の斜め後ろの席に座った。ムリリョがシオドアに尋ねた。

「儂はどこまで語った?」
「シュカワラスキ・マナがカタリナ・ステファンと結婚したところ迄です。」

 ムリリョが「グラシャス」と呟き、話を再開した。

「グラダ・シティからマナを捕縛する為に追手が放たれた。マナは大神官の教育を受けていたが、まだ学習を完了させていなかった。中途半端のまま大神官の秘儀を使われては惨事を引き起こす恐れがあったからだ。オルガ・グランデの鉱山で鉱夫として働いていたマナを見つけた追跡者達は彼に戻るよう説得を試みた。しかしマナは拒否した。彼はオルガ・グランデで家族を得て、初めて幸せを感じていたからだ。」

 ムリリョがステファンを見つめた。

「ブーカ族のエルネンツォ・スワレが彼の説得に当たった。エルネンツォは儂の兄弟子で”砂の民”だった。もしマナが一族に災厄を招く様な行動を取れば即殺害する覚悟で説得に臨んだのだ。純血のグラダと戦えば生きて帰れぬかも知れぬ危険を承知で役目を引き受けた。
 マナはグラダ・シティに帰ることを拒んだ。エルネンツォは、それなら代わりに子供を寄越せと迫った。マナの子は半分グラダだ。教育次第で大神官になれるかも知れぬと。しかしマナの子は女の子だった。次の大神官を産めるかも知れない子供だ。だからマナは娘の能力を封印して普通の人間にしてしまおうと試みた。」
「彼は失敗して、娘を死なせてしまった?」

 シオドアが口を挟むと、ステファンが睨んだ。ムリリョはシオドアの言葉に頷いた。

「大神官の勉強を中途で投げ出した報いだ。妻のカタリナは父親に能力を封印されていたのか、それとも白人の血の影響が強くて能力を使えないのか、それは誰にもわからぬ。しかし彼女が産んだ子供はどれも半分グラダだ。生半可な封印術で扱える代物ではないのだ。我が子を死なせたマナは、オルガ・グランデの街を自らの結界に取り込んでしまった。”ヴェルデ・ティエラ”には何ら意味がない結界だが、少しでも”ヴェルデ・シエロ”の血を引く者は出ることも入ることも出来ぬ結界だった。」
「そんなことが出来たんですか?」

 シオドアが素直に驚愕すると、ムリリョが頷いた。

「それこそが、大神官の役目、セルバと言う国を守るための力だった。古代のセルバは一人の大神官の結界に取り込まれて守られていたのだ。だから”ヴェルデ・シエロ”は他民族の侵略から守られ、神としての地位を享受していられたのだ。」
「すると、シュカワラスキ・マナを大神官に仕立て上げようとした当時の長老会はもう一度セルバ共和国をマナの結界で守らせようと考えていたのですね?」

 ムリリョが悲しそうな目をした。

「その通りだ、アルスト。」

 初めてまともに名前を呼んでくれたな、とシオドアはぼんやりと思った。

「儂から見れば随分身勝手な考え方だった。外の世界はもう古代の世界とは違うのだ。船や飛行機で行き来し、電話、電波、インターネットで繋がっている。誰も古代の神の力を頼りになどしておらぬ。マナがそれを理解していたのかどうか、今ではわからぬ。彼はただ家族との穏やかな生活を守ろうとしたのだ。だが、結界内に閉じ込められた”ヴェルデ・シエロ”達は彼の存在を脅威と見做してしまった。閉じ込められた者の中には当然エルネンツォと儂もいた。彼は結界を消せと迫るために、カタリナが産んだ2番目の娘を人質に取ろうとした。赤ん坊はその時、麻疹に罹っていた。儂はマナに子供を医者に見せろと言ったが、マナは人質に取られることを恐れて拒否した。」
「それで赤ん坊は亡くなった・・・」

 シオドアが呟くと、ステファンが膝の上でギュッと両手を握りしめた。

「カタリナ・ステファンは夫に投降してくれと頼んだ。結界を張ったままでは他の”ヴェルデ・シエロ”の生活に支障が出る。マナ自身も消耗する。生き別れは辛いが、彼に生きていて欲しいと訴えたのだ。だがマナは妻の訴えも退けた。グラダ・シティに連れ戻されればピラミッドの地下神殿に閉じ込められる。そこでウナガンが産んだ娘と妻される。彼がシータを欲しがったのは、妻にする為ではなく、長老達の目論見から我が子を守るためだったのだ。彼はウナガンの娘が既に外国で育てられていることを知らなかった。
 マナは2人目の娘を死に追いやったエルネンツォを憎んだ。子供が死んで13日目に、儂は川岸でエルネンツォの遺骸を発見した。全身の骨が砕けていた。そんなことが出来るのは”ヴェルデ・シエロ”だけだ。」

 ステファンが絞り出すような声を出した。

「それは、大罪です。絶対にやってはいけない・・・」

 彼に背を向けたままで、ケツァル少佐が呟いた。

「でも、彼はやってしまったのです。」

 ムリリョが溜め息をついた。

「大罪に免罪はない。マナの結界の中にいた儂には聞こえなかったが、長老会にはマナが何をしたか報告が入っていた。国中の”ヴェルデ・シエロ”に布告が出た。シュカワラスキ・マナの捕縛に生死は問わずと。」


第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...