ラス・ラグナス遺跡はとても人工物と思えない程風化していた。住居跡も井戸の跡も神殿跡も判別がつかない。石垣だってよく見ると石が積まれているな、とわかる程度だ。ただの土塊か蟻塚に見えた。雨季に生えた草の枯れたのがところどこでひび割れから垂れていただけだ。
どんなに贔屓目に見ても、盗まれそうな物なんてなかった。発掘申請が出ないのもわかる、とデネロス少尉は思った。一体、どこに盗掘被害が発生しているのだ? コンドルの目って、何処にコンドルがあるのだろう。彼女は丹念に壁や石垣の成れの果てを見て歩いた。取り敢えずスマホで写真を撮った。
ギャラガは遺跡と言われている場所の周囲を歩いて、侵入者の痕跡を探した。風で足跡などは消えてしまっているだろうが、何か落ちていないか地面を熱心に見て歩いた。反対方向からテオが同様に地面を眺めながら歩いて来るのが見えた。埃だらけになるのも厭わずに活動している。大尉やケツァル少佐が「ドクトル」と呼んでいたから、きっと何か偉い学者なのだろうと思ったが、まだ名前しか聞いていなかった。
近くまでテオがやって来たので、「何かありましたか?」と訊いてみた。するとテオはポケットからハンカチに包んだ物を出した。
「こんな場所にあるには不自然な物を見つけた。街中だったら無視するがね。」
ギャラガが覗き込むと、それはタバコの吸い殻だった。確かに不自然な物だ。
「確かに、不自然ですね。」
テオが自分の鼻先にそれを持っていった。
「俺の鼻は普通の人並みなんで、匂いを嗅ぎとれない。君はどうだい? 何か匂うかな?」
顔の前に差し出されて、ギャラガは鼻を寄せた。タバコの匂いしかしない。
「タバコです。それ以上、銘柄は私には・・・」
彼はそこで言い淀んだ。
「私は10歳で入隊して、17歳の時に大統領警護隊に拾われました。陸軍ではいろんなタバコの臭いを嗅ぎましたが、これは・・・最近嗅いだことがあります。」
彼は無意識にステファン大尉の方を見た。大尉は遺跡の入り口近くに立って、また空を見上げていた。テオがギャラガの視線を追って大尉を見た。
「そうか・・・」
とテオが呟いた。
「これは、抑制タバコだ、そうだろう?」
「スィ! そうです、抑制タバコの臭いがします!」
2人はタバコの吸い殻をもう一度見た。ギャラガは断言した。
「巻紙が警護隊の支給品とは異なります。しかし、抑制タバコは市販される物ではありません。必要とする”ヴェルデ・シエロ”が自分で作る物なのです。」
「それでは、”シエロ”が最近ここに来ていたんだ。」
「しかし村人はそんなことを言っていなかったのでしょう? 殺された占い師がわざわざ探しに行ったのですから。」
「フェリペ・ラモスから遺跡荒らしを聞かされた”シエロ”がここへ来たのか、あるいは・・・」
想像したくないことをテオは考えついて、ゾッとした。
「遺跡を荒らしたのは”シエロ”だったのかも知れない。」
「ラモスが救護者と信じて近づいてしまったのが、遺跡荒らしの”シエロ”だったと言うことですね?」
「その可能性が大きいな・・・」
テオはギャラガについて来いと合図して、2人は遺跡に入った。古代セルバ文明の神殿の多くは南向きに建設されていた。太陽を見るためだ。そして神殿は集落より北側にあった。だから発掘する時、南側を「入り口」として発掘調査隊は遺跡の地図を描く。ステファン大尉は「入り口」から少し入ったところで目を閉じて空へ顔を向けていた。日差しを楽しんでいる様に見えたが、そうではなかった。テオが「おい」と声をかけると、片手を上げて黙れと合図した。そして耳を指差した。何かの音を聞いていたのだ。遺跡の中ではデネロスが砂の上を静かに歩きながら石垣チェックをしていた。
テオは静かに歩いたつもりだったが、普通の人なのでどうしても足音を立ててしまった。ステファン大尉が諦めて目を開けて友人を見た。
「何かありましたか?」
「スィ、アンドレと俺の意見が一致した物があった。」
テオはギャラガにも来いと合図して、ハンカチに包んだタバコの吸い殻を大尉に見せた。ステファン大尉がポケットから自分のタバコを出して、それと比較した。
「手製の抑制タバコに間違いありません。乾き切っているので、製造がいつなのか不明ですが、私の支給品より古いでしょう。2、3ヶ月は経っている筈です。」
テオが「俺達の推理を教えてやれ」と言ったので、ギャラガは”心話”で先刻のテオとの会話を伝えた。大尉が頷いた。
「一族の者全てが神様と呼ばれる資格がある人間とは限りません。考えたくありませんが、悪魔もいるでしょう。」
悪魔の発想はキリスト教徒だ、とテオは思った。ステファンはカトリック教徒として子供時代を過ごしたのだ。尤も、十戒の 汝盗むなかれ を平気で破っていたが。
その時、デネロスが「テオ!」と呼んだ。男性3人全員が振り返った。
「どうした?」
「声がします。」
彼女が手招きしたので、彼等はそっと歩いて彼女のそばへ行った。デネロスがシーッと口元で指を立てた。全員で耳を澄ませて立っていた。
風が砂を撫でる音がして、それから男の声が聞こえた。
「アレイルサ中尉、交替します!」
確かにそう聞こえた。テオはステファン大尉を見た。大尉はギャラガを見た。ギャラガが言った。
「警備第1班のアレイルサ中尉でしょうか?」
「警備の交替時間かい?」
「スィ。夕食前の交替です。」
デネロスが東の方向を指差した。
「あっちから聞こえたわ。」
そちらを振り向いて、大尉とギャラガは同時に「あった!」と声を出した。灰色の岩壁があった。大統領警護隊西館庭園の”節穴”から見た物にそっくりの色だった。その対面側を見ると、風化しているが頭部と胴体がある石像が立っていた。嘴をカッと開いて、両翼も広げていた。石の目玉は左は少し欠けているように見えたが嵌っていた。しかし、右目がなかった。右目があった筈の箇所に穴が空いていた。デネロスが腰を屈めて穴を覗き込んだ。
向こう側はベージュ色の壁で、制服姿の警備兵がアサルトライフルを抱えて立っているのが見えた。