2022/01/05

第4部 花の風     4 

  スコールは20分程で終わった。短かったが、地面はびしょびしょで、もう寝ることは出来ない。テオは公園の駐車場から車を出した。

「次は何処へ行こうか?」

 と声をかけると、ケツァル少佐はセルド・アマリージョを指定した。陸軍基地周辺に集まっている飲食店の一つで、閉店時刻が他所より早い代わりに開店時刻も早い店だ。テオの認識では健全な店の一つで、値段も手頃で料理も美味しい。以前は少佐の妹がアルバイトで働いていたが、今はもういない。グラシエラ・ステファンはロホとの交際を兄のカルロに認めてもらう条件にバイトを辞めたのだ。
 ケツァル少佐が大統領警護隊の隊員だと言うことは、既に店の支配人やバーテンダーには知れ渡っている。初来店の時に軍服で来たのだから当然だ。テオはずっと私服なのだが、軍属と思われているのか、待遇が良い。
 普段少佐は外食する場合、バルで軽く飲んでからレストランへ移動するのだが、このセルド・アマリージョは1箇所で用が足りてしまう。2人共車があるのでアルコール類は控えめにして、ビールを注文した。オリーブと生ハムの角切りを摘みながら、彼女が尋ねた。

「昼間に話しかけて来たアメリカ人ですが、どんな風貌でした?」

 ”ヴェルデ・シエロ”同士なら”心話”で一瞬にしてイメージを伝えられるが、テオは普通の人間だ。言葉で説明した。

「白人で30代半ばぐらい。髪は栗色、目は青、俺より薄い青だな。身長は多分俺より親指1本分、2.4インチ低いかな?」
「メートル法でお願いします。」

 言われて、テオは黙って自分の指を見せた。ケツァル少佐はそれで許してくれた。

「顔は鼻筋の整った風貌で、イギリス系かな。鍛えているらしくて筋肉がTシャツの上からでも十分見てとれた。」
「名前はウィッシャーでした?」
「ロジャー・ウィッシャーと名乗った。ビジネスで先週来たばかりだとさ。」

 彼女はそれだけ聞くともう興味を失ったのか、メニューを開いた。

「亀のスープがありますよ。」
「俺は遠慮する。」
「ではテイルスープ?」
「OK !」

 前菜やメインディッシュを選び、テオはウェイターを呼んだ。量は「やや多め」だ。少佐は亀のスープを選び、スプーンにプルプルのゼラチン質の肉を載せて見せてくれた。

「ジャングルで監視活動をする時に、狩りとかするのかい?」
「ノ。そんな暇はありません。それに遺跡周辺は禁猟区指定になっているところが殆どです。」
「じゃぁ、ワニとか猪とか獲って食わないんだ。」
「そんな物を獲っても、1人では食べきれないし、かと言ってみんなで分けるには少ないでしょう。」

 テオはオクタカス遺跡に行かされた時に食べたフランス隊の食事を思い出した。

「フランス隊だからフレンチのコースでも出してもらえるかと思ったが、豆ばかりだったな。それも君が作る美味しい煮豆なんかじゃない。缶詰を温めてそのまま鍋にぶち込んだ感じの豆だった。」
「村の住民を雇って料理させていたのでしょう。十分なチップをあげれば、それなりに美味しい物を作ってくれた筈ですけどね。」
「マハルダは今頃何を食べているんだろ?」

 ブーカ族のマハルダ・デネロス少尉はオクタカスとグラダ・シティの間に空間通路を見つけたと言っていたが、彼女が帰ってきたと言う話をまだ少佐から聞いたことがなかった。もしかすると、気軽に帰って来るなと言われているのかも知れない。
 ケツァル少佐にとってはマハルダ・デネロス少尉は妹より付き合いが長い。どっちかと言えばデネロスの方が本当の妹みたいだ。だからテオの口からデネロスの名が出ると、彼女はちょっと寂しそうな顔をした。若い部下が成長していくと、上官の中には嫉妬する人もいるが、ケツァル少佐は姉や母親の気分で接しているので、寂しさを感じるのだろう。大統領警護隊文化保護担当部は一つの家族の様なものだ。
 テオは急いで話題を変えた。

「ロホはお祓いを無事に終えたかな?」
「SOSがこなかったので、大丈夫でしょう。」

 少佐はロホのことは心配していなかった。彼の得意分野なので任せているのだ。上官が任務で部下を信頼しなければ部下が可哀想だ。

「アスルとアンドレはサッカーの試合に勝ったかな?」
「今夜貴方が家に帰って、酔っ払ったアスルを見つけたら訊いてご覧なさい。」


第4部 花の風     3

  青い空の片隅にもくもくと湧き上がる雲が見えた。少し風が出てきた様だ。これは拙い。テオは体を動かし、ケツァル少佐に声をかけた。

「少佐、スコールが来るぞ。」

 少佐は目を開き、彼の体に腕をかけたまま頭を持ち上げた。空気の匂いを嗅いだ様だ。そして上体を起こした。空を見て、雲が到達する時間を計算したらしい。

「車まで走りますか?」
「そんなに早く降り出すのか?」
「あの雲はやばいです。」

 2人は立ち上がると芝生の上を走った。全力疾走する必要はなかったものの、急がねばならなかった。駐車場へ向かう人々の群れが見えた。セルバ人は雨に敏感だ。熱帯で体を濡らしたままでいると質の悪い風邪に罹る。時に生死に関わる風邪だ。テオが車を解錠する頃にポツポツと大粒の雨粒が落ちてきた。2人は素早く車内に滑り込んだ。
 ドアを閉めて直ぐに雨が降り出した。空は暗く、ほんの少し前迄晴れ渡っていたのが嘘の様だ。雷鳴も聞こえた。テオは音に敏感なので、雷鳴は好きでない。”ヴェルデ・シエロ”達も同様だ。毎日のように聞く音だが、動物が嫌う様に人間も嫌いな音だ。流石に少佐は雷鳴や稲妻で怯えて抱きついてきたりしないが、不快そうな顔でフロントガラスの向こうを睨んでいた。
 駐車場の車の中には同様に避難した人々がいた。そのまま帰ってしまう車もいたし、止むのを待っている車もいた。ガラスの向こうを流れる水を見ながら、テオは呟いた。

「さっきの親子は濡れずに避難出来たかな。」

 少佐が彼を見た。

「親子?」
「うん。公園で昼寝している時に、近くで遊んでいた親子がいた。女の子が4人と父親だ。一番小さい子が4、5歳かな? サソリを捕まえたんだ。」
「幼い子供がサソリを捕まえたのですか?」

 少佐の声に好奇心の響きがあった。凄いだろ、とテオは言った。

「父親は驚きもせずに、尻尾に気をつけろ、とか、食うな、とか注意していた。顔は見えなかった。俺は寝ていたから。」

 少佐がクスッと笑った。

「”ヴェルデ・シエロ”の親子ですね。」
「やっぱりそう思うか?」
「日頃から子供にそう言う生き物の対処法を教えているのでしょう。幼い子供でも動きが速い虫を捕まえることが出来るのです。”ティエラ”の家族なら、常識的に考えて、そんな危険なことをさせないでしょう。」
「確かに。」

 女の子ばかり4人・・・テオはふと最近そう言う構成の家族を持っているらしい人の情報を聞いた気がした。それで言ってみた。

「”シエロ”なら濡れずに済む方法も教えるんだろうな。」

 少佐が肩をすくめた。

「それは大人の分別を持つ年頃になってからです。子供のうちからそんなことを教えると、周囲に正体がバレてしまいます。」
「そうか・・・」

 ”ヴェルデ・シエロ”の子供を育てるのは、いろいろ苦労がありそうだ。純血種ならママコナのテレパシーを受信出来るので、親の直接教育とママコナのリモート教育を受けられるが、他人種の血が入ると、ママコナの声が聞こえなくなる。だから親が1人で頑張って教えなければならない。テオはそっと少佐を見た。もし彼女が俺の子供を産んだら、教育を全部彼女に一任しなければならないのか。
 彼の気持ちを察したのだろうか、少佐がこう言った。

「普通の子供として育てていけば良いのです。必要なことはその都度教えていく。”ティエラ”だってそうでしょ?」

 だからテオは苦笑しながら言った。

「俺は普通の子供として育てられなかったから、その辺のコツがわからない。」


2022/01/04

第4部 花の風     2

 「起こしてしまったか?」

とテオが申し訳なく思いながら言うと、ケツァル少佐はまだ彼の膝の上に頭を載せたまま答えた。

「あの男が緊張しながら近づいて来たので目が覚めました。」
「そうか・・・俺は声を掛けられる迄、彼が近づくのに気づかなかった。」
「彼に敵意を感じなかったので、それで構わないのです。私が目覚めたのは私の習慣ですから。」

 彼女が上体を起こした。テオは彼女をリラックスさせられなかったことを悔しく思った。出来ればずっと眠っていて欲しかった。しかし彼女は寝る位置を変えて彼の横に並んだ。

「私の頭が重くて眠れないのでしょう? 」
「いや、気にしなくて良いさ。」

 テオはもう一度草の上に体を横たえた。少佐が彼の胴に腕をかけて来た。ピッタリ体を寄せて来たので、彼はちょっとドキドキした。動悸が彼女に聞こえやしないかと不安になる程だ。それを誤魔化すために、彼も彼女の体に腕をかけた。
 目を閉じて、うとうとしかけた時、今度は甲高い子供の声でテオは目を開けた。
 10歳に満たない年頃の女の子が2人、近くの芝生の上で転がって遊んでいた。緩やかな傾斜になっているので、転がりながら下って行くのが面白いらしい。互いに良く似た顔の先住民の女の子で姉妹と思えた。テオが草の上に頭を置いたまま見るともなしに見ていると、さらにもう1人、もっと小さい子が転がって来た。スカートが捲れてパンツが丸見えになっても気にしないで転がって行った。
 子供って良いな、と思っていると、男の声が子供達を呼んだ。

「アンヘリカ、アンヘリナ、アンヘリタ、何処まで転がって行くんだ! 戻って来なさい!」

 あれ?とテオは思わず視線を斜面の上へ向けた。空が眩しく、声の主をすぐに見つけられなかった。だが聞き覚えのある声だ。
 キャッキャと子供の笑い声が響いた。男が誰かに指図した。

「あの子達を連れて来なさい、アンへレス。」
「はい、パパ。」

 軽やかに芝生の上を走って行く足音が聞こえた。テオは少佐が目を覚さないかと気になったが、彼女は彼をしっかり捕まえた姿勢で眠っていた。平和な子供の声は気にならない様だ。
 力強い落ち着いた歩調の足音が離れた所で止まった。男が立ち止まったのだ。テオは目を閉じた。こちらは昼寝をしているカップルだ。幼女のパンツなんか見ていないぞ。
 男は多分こちらの存在に気がついた。しかし、直ぐにまた子供達の後を追って丘を下って行った。女の子の声が叫んだ。

「パパ、アンヘリタがサソリを捕まえたわ!」

 え? テオはびっくりした。

「またか。尻尾に気をつけなさい。」

 そんな悠長なことを言ってる場合か? テオはちょっと焦った。

「尻尾はちぎっちゃった。」

 子供がそんなことをするのか?

「食うなよ。」

 そうだ、食うな!

「持って帰って良い?」

 駄目だと言え、パパ。

「仕方がない、ママにちゃんと見せるんだぞ。」

 どんな家族なんだ? 
 子供達の賑やかな話し声や笑い声が遠ざかって行った。
 テオは父親の声を聞いた記憶があったが、誰の声だったか思い出せなかった。パパと呼ばれていたから、父親だ。4人も女の子がいる父親の知り合いっていたかな? 

第4部 花の風     1

  新学期が始まってもう直ぐ1ヶ月経つ。セルバは乾季だ。乾季と言っても砂漠の様に乾き切るのではなく、雨が降る時間が短いと言うだけだが。空気も少しだけ爽やかだ。
 土曜日の午後、テオは公園の芝生の上に寝転がってシエスタを楽しんでいた。大きな木がそばに生えていて、涼しい木陰を作っていた。彼の横でケツァル少佐もお昼寝をしているのだ。それがテオに幸福感を呼び込んでいた。
 土曜日は大統領警護隊文化保護担当部の軍事訓練の日だ。しかし、その日部下達は集合時間に集合場所に集まらなかった。
 ロホことアルフォンソ・マルティネス中尉はオルガ・グランデ陸軍基地に出張だ。水脈の変化で旱魃で悩んでいた北部のサン・ホアン村の移転が正式に決定し、新しく引っ越す場所で悪霊祓いを行い清める、と言う重大な任務を帯びて旅立った。彼の実家マレンカ家の役目なのだが、大統領警護隊は内務省と建設省から儀式の依頼を受けた時、「うってつけの人員がいる」とロホに白羽の矢を立てたのだ。それでロホは週末に重なることも利用して、なんと! グラシエラ・ステファンに「故郷へ一度遊びに行ってみないか?」と大胆にも声を掛けた。グラシエラは母親にお伺いを立て、許しを得て、彼と共に出かけた。勿論、夜の宿泊は、彼女がホテルでロホは基地だ。真面目なロホらしく、そこのところはきちんとケジメをつけている。
 アスルことキナ・クワコ少尉は所属チームのサッカーの試合があるので軍事訓練をパスした。サッカーはセルバ人にとっても重要なスポーツだ。大統領警護隊にもチームが2つあり、ロホは既に引退してしまったが、アスルはまだ現役で頑張っている。サッカーの試合に超能力を使うのはご法度なので、気を抑制する訓練となる。 司令部も若い隊員にサッカーを推奨しているのだ。
 アスルがサッカーをするので、当然後輩のアンドレ・ギャラガ少尉も引っ張られてチームに入った。だから彼もサッカー休暇だ。ケツァル少佐は文句を言えない。例え補欠でも選手として控えに入っていなければならないから。
 男達が軍事訓練を休んでしまったが、マハルダ・デネロス少尉は勤務中だ。彼女はオクタカスの遺跡にいる。発掘作業は週末休みなのだが、監視は休みがない。恐らく彼女はジャングルの中を探検しているのだろう。携帯電話がつながる様になったので、衛星電話の順番待ちをする必要がなくなり、彼女は毎日定刻に報告を入れる。模範的な監視役だ。
 部下達がいないので、指揮官ケツァル少佐は暇なのだ。だから、テオは初めて彼女とデートらしいデートを楽しんでいた。朝、彼女のジョギングに付き合い、(フルマラソン並の距離を走らされた。)ランチを取って、公園でお昼寝中だ。少佐は日陰で場所を確保すると、腰を下ろしたテオの横で何度も体の位置を変え、納得できる姿勢を求めてクルクル動き回った。そして最終的に彼の膝を枕に横になって寝てしまった。
 少佐が安心してお昼寝してくれることは、彼を信頼してくれている証拠だ。テオは動けなかったが、幸せな気分で我慢していた。

「ハロー!」

と英語で声を掛けられた。顔を上げると、少し離れた位置に立っている白人の男性がいた。年齢は30代半ばか? 栗色の髪と青い目をした鼻筋の整った、身長もそこそこあるスポーツマンタイプの男だった。筋肉も鍛えているのか、Tシャツの上からもその逞しさが窺えた。

「アメリカ人ですか?」

と訊かれたので、テオは答えた。

「セルバ人です。生まれはアメリカですが。」

 男はケツァル少佐を見た。

「成る程。」

と呟いた。セルバ美人と結婚してこの国に住み着いたか、そんな印象を持ったのだろう。
 テオは少佐を起こさない様に慎重に上半身を起こした。

「観光客ですか?」

と逆に質問すると、男は「ビジネスです」と答えた。

「先週来たばかりです。1ヶ月滞在する予定ですが、暑くてね。もう音をあげそうですよ。」

 男は苦笑した。そして手を差し出した。

「ロジャー・ウィッシャーです。」

 テオは手に付いた芝を払い、その手を握った。

「テオドール・アルストです。名前をスペイン風に改めました。」

 握ったその手は力強く、軍人達と普段付き合っているテオは、その男も同類なのでは、と思った。しかし敢えて相手の職業を尋ねなかった。代わりに言った。

「セルバでは握手を求めても応じてもらえないことが多いですが、気を悪くなさらない様に。彼等の風習に握手はないのです。」
「ええ、最初に戸惑いましたが、なんとか慣れてきました。」

 ウィッシャーは苦笑した。そして、「良い週末を」と言って、歩き去った。
 テオが、彼の姿が芝生の丘の向こうに消える迄見ていると、膝の上で少佐が囁いた。

「さっきの人は軍人ですね。」


 

2022/01/01

第4部 牙の祭り     33

  結局フィデル・ケサダ教授がセニョール・シショカの”砂の民”としての仕事に干渉した理由は、彼が息子の1人を失ったピア・バスコ医師に同情したからだと言う結論に至った。
 グラダ大聖堂を出たテオとケツァル少佐はムリリョ博士と別れ、ピア・バスコ医師の家に行った。まだ通夜は続いており、遺族は忙しさに哀しみから少し解放された様子だった。アスルはリビングの隅っこに座って、ビダル・バスコ少尉と時々話をしていた。ビダルは本部へ所持品を取り戻した報告をして、新しい制服を着て戻っていた。ケツァル少佐が入って行くと、2人が立ち上がって迎えた。少佐がビダルに外へと合図した。
 テオは車の中で待っていた。少佐がビダルを暗がりの中へ連れて行き、目を合わせた。ほんの一瞬だったが、情報は伝わった。ビダルは弟が不毛な恋をした挙句、道を踏み外してしまい、”砂の民”の制裁を受けたこと、恋敵に刺されて致命傷を負ったこと、その恋敵は”砂の民”に粛清されたことを伝えられた。真実は残酷だったが、ビダルは健気に受け止めた。
 少佐が優しい表情で彼に何か言った。きっと「泣いても良い」と言ったのだろう、とテオは想像した。しかしビダル・バスコ少尉は顔をきっと上げ、真っ直ぐ少佐を見て敬礼した。そして家の中に戻って行った。
 少佐が家の中をそっと覗き込み、部下に撤収の合図を送った。アスルが出てきた。ベンツで市内を走り、閉店迄まだ時間があるセルド・アマリージョに行った。店内は賑わっていた。ウェイトレスが3人忙しげに歩き回っていた。グラシエラ・ステファンはこの夜がバイトの最終日だ。いつもより多めに笑顔を振る舞っているかの様に見えた。ロホはカウンターの奥の端っこでビールをちびちび飲んでいたが、入り口に上官とアスル、テオが現れたので、飲みかけの瓶を持って彼等のテーブルへ移動した。

「解決しましたか?」
「無事にしました。」

 少佐がロホ、アスルの順で情報を”心話”で伝えた。

「あのおっさんが絡んでいたのか。」

とアスルが嫌そうに呟いた。「あのおっさん」とはセニョール・シショカのことだ。純血種のアスルはシショカの意地悪の対象から外れているのだが、建設大臣が少佐をデートに誘いたいと希望する度に文化保護担当部へやって来る私設秘書殿にうんざりしているのだった。勿論、シショカの人柄も好きでない。メスティーソの仲間を見るシショカの視線が大嫌いなのだ。カルロ・ステファンがいなくなった今、アスルはマハルダ・デネロス少尉とアンドレ・ギャラガ少尉を己が守らなければと意気込んでいた。
 ロホは報われない恋にがむしゃらに突き進んでしまった若者の末路を哀れに思った。きっと大統領警護隊のスカウトから漏れた時点で、ビト・バスコには兄に対する劣等感が生まれてしまったのだ。そうでなければ、憲兵が駄目なら大統領警護隊で、と言う発想は生まれない。憲兵だって市民から畏敬の目で見られている筈だから。

「スカウトも罪な人選をしたもんだ。」

とロホは呟いた。テオが囁いた。

「どうして、1人しか選ばなかったのだろう?」
「それは・・・」

 ケツァル少佐が小さく溜め息をついた。

「母親の為です。息子2人共を大統領警護隊に採ってしまったら、家族全員が揃うことは息子が引退する年齢になる迄ありませんから。」
「それじゃ、ビダルが憲兵でビトが警護隊と言う可能性もあったんだ・・・」
「恐らく、スカウトが目を見た時に、ビダルの方が警護隊への適性が高いと判定されたのでしょう。実際、先刻捜査結果を教えた時、ビダルは感情を昂らせたものの、自力で制御しました。弟が行方不明の時の探し方も冷静でした。常に庶民と接する憲兵隊にあの冷静さは時に障害となりますが、大統領警護隊では必要不可欠です。反対にどんな手段を用いてでも困っている人を助けようとしたビトの情熱は、市井で警備に当たる憲兵隊に必要でした。」
「ビト・バスコ曹長は運が悪かったんだな。相手があの男で、女性も彼にふさわしくなかった。」

 少佐がグラシエラを呼び、ウィスキーのグラス4つを注文した。お酒が来ると、彼等はそれぞれの手にグラスを持った。少佐がグラスを掲げた。

「ビト・バスコ曹長に。」

男達が声を合わせた。

「ビト・バスコ曹長に。」


第4部 牙の祭り     32

 「え? どう言うことだ?」

 テオはちょっと混乱しそうになった。
 フィデル・ケサダが純血種のグラダ族の男なら、ナワルは黒いジャガーでなければならない。しかし彼は”砂の民”となった。だからナワルはピューマだ。この世に有り得ない黒いピューマならば、大神官の素質がある。しかし、ムリリョは言った。ケサダのナワルは「黒くない」と。

「普通のピューマだったってことか?」
「ノ。」

 意味がわからずテオは助けを求めてケツァル少佐を見た。少佐がグッと考えて、それから顔を上げた。

「見てはいけないものと私が言った時、貴方は私に記憶を見せまいと目を閉じられました。そして黒いピューマの話をされました。黒いピューマの伝説なら私も聞いたことがあります。貴方が私に記憶を読ませまいとなさっても、私は想像出来ます。貴方がご覧になったのは、伝説にないものですね?」
「伝説にないもの?」

 テオの質問に少佐が彼を振り返った。

「伝説にはありませんが、実在は確認されているものです。」
「ケツァル・・・」

とムリリョ博士が哀願する目で彼女を見た。しかし少佐はテオに言った。

「大神官になるに十分な能力を持ちながらも、大神官になることを許されないグラダの男性がいるのです。古代では、生贄に選ばれていました。”ヴェルデ・シエロ”だけでなく、”ティエラ”でも、鹿でも鳥でも猿でも、同じ色のものは生贄の対象でした。」
「同じ色のもの?」

 ムリリョが呟いた。

「白だ。」

 テオはぽかんとした。自然界では十分あり得る存在なのに、今まで”ヴェルデ・シエロ”の世界で彼は想像すらしたことがなかった。殆ど外観が白人のアンドレ・ギャラガでさえ、そのナワルは薄いけれど黒いジャガーなのだ。

「そう言えば・・・」

 彼は頭を掻いた。

「白いライオン、白い虎、白い豹、白い猫は見たことがある。だが、白いジャガーや白いマーゲイ、白いピューマは聞いたことがない。旧大陸のネコ科の動物に白変種は出現するが、新大陸は黒変種だ。但し、ピューマは実例が1件もないがね。白いピューマはブラジルで撮影された写真がS N Sで公開されて話題になったことがある。」

 彼はムリリョ博士を見た。

「フィデル・ケサダは白いピューマに変身するのですね? 勿論現代のあなた方は生贄などなさらないでしょうけど、彼は一族にも自分のナワルを知られたくない。ピューマはジャガーに存在を知られたくないし、白い毛皮も目立ち過ぎて彼の目立たずに生きる主義に反する。そうですね?」

 ムリリョが首を振った。

「あれの人柄や能力の高さを称賛して、彼を次の族長にと言ってくれるマスケゴ族の有力者達は多い。儂も儂自身の子供達より彼の方が族長にふさわしいと信じている。しかし、どんなに隠してもあれはグラダなのだ。あれの子供達も半分グラダだ。儂は正しい能力の使い方をあれとあれの家族に教えてくれる人を探したが、未だに見つからぬ。」
「それなら・・・」

 ケツァル少佐が微笑んだ。

「一緒に勉強して自分達で習得していきましょう。大統領警護隊の3人とケサダ家の人々で互いに学び合います。カルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガは軍人ですから攻撃に用いる力の使い方を知っています。フィデルは考古学者ですから伝統的な祈りや守護の為に用いる力に熟知している筈です。考古学の特別ゼミでもフィデルに開いてもらって、カルロとアンドレに受講させてはどうでしょう? たまには課外学習などで・・・」
「軍事訓練とか?」

 とテオが言うと、ムリリョ博士が初めて笑った。

「フィデルの子供は全員娘だぞ、ケツァル。彼女達と一緒にお前も神殿での作法を習うか?」
「そ・・・それは・・・」

 少佐が焦ってテオを見た。そんな目で見られても助け舟は出せないぜ、テオは肩をすくめて見せた。



第4部 牙の祭り     31

 「ムリリョ博士、」

とテオは話しかけた。

「フィデル・ケサダ教授の出身地はオルガ・グランデだと聞きました。もしかして、彼の母親はマレシュ・ケツァル、改名してマルシオ・ケサダと言う女性ではありませんか?」

 ムリリョ博士がジロリと彼を見て、それから視線をケツァル少佐に移した。

「イェンテ・グラダ村での話をこの男に語ったのか、ケツァル?」
「何のことでしょう?」

と少佐は惚けてみせたが、そんな小芝居が通じる相手でないことは承知していた。

「村跡で聞いたり見たりした話はしていません。ただ、私がとても興味を抱いたことを、彼に言ったまでです。現在、グラダ族はカルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガ、そして私だけです。カタリナ・ステファンと娘のグラシエラは能力を封印されているのでグラダとは認めてもらえません。私は純血種ですが女です。男の能力の使い方を完全には理解していません。もし他にグラダの男性がいるなら、カルロとアンドレの指導をお願いしたいと思うのです。」

 ムリリョ博士が天井へ顔を向けた。悩んでいるのか? テオは、その態度は少佐の考えを認めたことだ、と思った。

「もし、力の正しい使い方を知るグラダの男がいるなら・・・」

とムリリョ博士が囁く様に言った。

「この儂が頼みたい。フィデルにその使い方を教えてやってくれ、と。」

 彼はケツァル少佐に視線を戻した。

「お前が睨んだ通り、確かにあの男はグラダだ。紛れもなく純血のグラダの男だ。」

 テオは息を呑んだが、ケツァル少佐も目を見張った。

「マレシュはあれの父親が誰なのか明かさなかった。父親である男にも明かさなかった。だが、エウリオ・メナクかヘロニモ・クチャのどちらかだ。グラダの女らしくと言うか、イェンテ・グラダ村の風習に従って複数の男と関係を持ったのだ。生まれた赤ん坊はそれまで誰も感じたことがない強い気を放っていた。シュカワラスキ・マナに匹敵する強さだった。エウリオ、ヘロニモ、そしてマレシュはイェンテ・グラダ村が一族によって滅ぼされたことを知っていた。3人の幼子がグラダ・シティに連れて行かれたことも知っていた。オルガ・グランデに住み着いた3人のグラダの血を引く者達は自分達の赤ん坊を守る為に、子供の父親を偽って届け出た。オルガ・グランデ生まれでグラダ・シティに引っ越したマスケゴ族の男の名前を借りたのだ。だから役所に出されたフィデルの出生届の父親の欄には、母親が会ったこともない男の名前が書かれている。
 儂はシュカワラスキ・マナがオルガ・グランデに逃亡する前に、オルガ・グランデ周辺の遺跡調査の為に彼の地にいた。そして3人のイェンテ・グラダの生き残りと知り合った。彼等は儂が”砂の民”とは知る筈もなく、ただ一族の考古学者だと言う認識だった。儂の方は彼等が滅びた村の生き残りと知って心の中で仰天していたのだがな。その時、エウリオは既にメスティーソの女と結婚して娘がいた。ヘロニモは独り身だった。マレシュは男のふりをして生きていた。身を守るためだ。だから彼女が女であることを知ったのは、かなり後のことだ。マレシュの家に若い男が1人いた。儂が出会った時、まだ少年だった。3人の生き残り達は儂にその子をグラダ・シティへ連れて行ってくれと頼んできた。教育を受けさせ、マスケゴ族として相応に仕込んでくれと。儂はまだその頃は族長でも長老でもなかった。だが、そんな子供が部族の中にいるとは知らなかったので驚いた。誰の子かと訊いても書類通りの答えしか返って来なかった。」

 少佐が尋ねた。

「フィデルは父親が誰かは知らない。でも母親は知っているのでしょう?」
「2人きりの時のマレシュは女に戻っていたからな。彼女はフィデルに言い聞かせ、儂についてグラダ・シティに行くことを承知させた。まだ10代になったばかりの子供だ。心細かっただろう。必ず後から行くと言う母親の言葉を信じて、彼は儂と共にグラダ・シティに来て、儂の家でそのまま育った。やがてオルガ・グランデの戦いが始まり、儂は役目を果たさねばならなくなった。フィデルは儂の妻が養育を続けた。徹底してマスケゴの男らしく、目立たず誇りを保ち、気高く生きろと。戦いが終わり、儂が3人のイェンテ・グラダの生き残り達と別れて家に戻った時、フィデルは成年式を迎えようとしていた。マスケゴの族長と長老達、養い親の前で彼は変身して見せた。」

 そこでムリリョは黙り込んだ。テオは待った。ケツァル少佐も待った。
 グラダ族の男性のナワルは黒いジャガーだ。”砂の民”のナワルはピューマだ。そして、人間が知る限り、自然界でも飼育下でも、黒いピューマの存在が確認されたことは一度もない。
 博士が口を開きそうにないので、ケツァル少佐が思い切って言った。

「貴方は、見てはいけないものをご覧になったのですね?」

 テオは彼女を見た。少佐はそれ以上言ってくれなさそうだ。ムリリョを見ると、こちらは目を閉じた。見たものを瞼の内側でもう一度見ているのかも知れない。ムリリョ博士が微かに身震いした。

「古代の大神官のナワルを見ることを許されるのは、ママコナだけなのだ。」

と彼は囁いた。

「大神官?」

 テオは思わず呟いてしまった。
 シュカワラスキ・マナは大神官に仕込まれようとして、修行を嫌い、自由を求めて逃亡した。純血種の黒いジャガーだったから。それが純血種の黒いピューマだったら、どうなるのだ?

「グラダ族から過去にピューマを出したことはなかったのか?」
「グラダは古代に滅びたことになっていた。混血が進んだからだ。だが言い伝えは残っている。大神官に選ばれるグラダの男は黒いピューマが優先されると。それだけ、古代でも珍しい存在だったのだろう。」
「それじゃ、ケサダ教授は大神官になれる人なのか?」
「ノ!」

 ムリリョ博士がはっきり否定した。

「大神官の修行は幼少期から始めねばならぬ。フィデルは成年式で何者か判明した。修行を始めるのは手遅れだったし、本人も望んでおらぬ。彼は母親の希望を尊重しマスケゴ族として生きる道を選んだ。」
「でも、力は誰よりも大きい・・・」

 少佐の言葉に博士は大きく頷いた。

「恐らく、現在生きているどの”ヴェルデ・シエロ”より彼は大きな力を持っておる。それに、彼のナワルは黒くないのだ。」


第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...