2022/01/31

第5部 山へ向かう街     4

  大統領警護隊本部遊撃班は恐らくホセ・ラバル少尉を尋問し、またカロリス・キロス中佐からも事情聴取したことだろう。テオは隊員ではないし、”ヴェルデ・シエロ”でもない。サン・セレスト村で起きた事件に多少関与したが、だからと言って大統領警護隊が彼に捜査結果を教えてくれる訳が無い。ケツァル少佐も同じく捜査結果を知りたい様子だったが、彼女は己が事件の部外者であることを心得ていたので、本部に情報を求めることをしなかった。
 テオは太平洋警備室のホセ・ガルソン大尉、ルカ・パエス中尉、そしてブリサ・フレータ少尉がこの先どうなるのかも気になった。ガルソン大尉は3年間本部に嘘を通してきた。指揮官のキロス中佐が元気で勤務していると動画を細工して、毎日定時報告として送信していたのだ。彼は転属を覚悟していた。降格もありうるし、もしかすると不名誉除隊となるかも知れない。それなら良いが、罪に問われて逮捕でもされたら・・・。 パエス中尉とフレータ少尉も共犯だ。だが3人はキロス中佐が元通り元気になる日が来ると信じて、彼女に仕えたのだ。

「キロス中佐に面会出来ないだろうか?」

 テオの提案にケツァル少佐は首を傾げた。

「彼女は今厳重な警護の元で治療を受けているでしょう。家族の面会も難しいと思います。」
「中佐に家族がいるのかい?」

 と訊いてから、テオは遊撃班のファビオ・キロス中尉を思い出した。少佐はキロス中佐と親しくないので、と言い訳した。

「彼女の家族のことは知りません。」
「遊撃班にファビオ・キロス中尉がいるが・・・」

 するとロホが言った。

「キロス家は代々軍人を出している家系ですから、大統領警護隊に何人のキロスがいると思いますか?」
「そんなにいるのか?」
「私が知っているだけでも3人います。全員従兄弟同士ですが。」
「それじゃ、カロリスは叔母さんかも知れないな。」

  テオはキロス中佐が本部の事情聴取を受ける前に会いたかった。本部から事件の真相を口止めされる前に。そしてガルソン大尉達の処分が決定する前に。彼女の口から真相を聞かせてもらい、部下達の処分が軽く済むよう助けてやってくれと頼みたかった。
 ふとケツァル少佐が顔を上げて、テオに言った。

「フレータ少尉なら面会させてもらえるかも知れませんね。」


第5部 山へ向かう街     3

  テオはケツァル少佐を見つめ、それからロホを見た。

「3年前、アスクラカンを出たバスがティティオワ山で事故を起こしたんだよ。」

 彼が囁くと、ロホが少佐より先に反応した。

「貴方が記憶を失った事故ですか?」
「スィ。キロス中佐はその事故が起きる前にアスクラカンへ行き、事故のすぐ後でサン・セレスト村に戻って来たと、太平洋警備室の隊員達は言っていた。」

 少佐が尋ねた。

「貴方は、中佐があの事故について何か知っていると考えているのですか?」
「彼女の呪いを祓ったカルロが、中佐は悲しみにうちひしがれていると言ったんだ。だから・・・」

 テオは言葉を纏めようと考えた。

「中佐はもしかすると事故の原因を知っているのかも知れない。事故を防ごうとして出来なかったか、あるいは、あれは事故ではなく、何者かが仕掛けて、彼女はそれを阻止出来なかったか・・・」

 ケツァル少佐が彼の手に自身の手を重ねた。

「それで貴方はアスクラカンへ行きたいのですね?」
「スィ。アスクラカンはエル・ティティから車で1時間の距離だ。週末にエル・ティティに滞在する時に、出かけても良いんだ。買い物とか・・・」
「調査するなら、目標を決めないと、無駄足になります。」
「ラバルは純血至上主義者みたいな考えを口走っていた。」

 ロホが首を振った。

「オルト一族の様な人々と接触しない方が良いです。白人や”ティエラ”に危害を加えたりしないと思いますが、気持ちの良い人達ではありません。」
「それなら、キロス中佐が会いに行った医者の訪問先を探してみる。」

 ちょっと間を置いて、少佐とロホが「医者?」と質問した。それでテオは説明が抜けていたことを思い出した。

「3年前、エンジェル鉱石、今のアンゲルス鉱石だが、あの会社が従業員の健康診断で採取した血液を、当時俺がいた国立遺伝病理学研究所へ売り払ったんだ。それで俺がセルバ共和国に来るきっかけが出来たんだが、その仲介をしたのが、医者のバルセルと言う人物だった。キロス中佐は彼が”ヴェルデ・シエロ”の遺伝子が混ざったサンプルを売却したと知り、バルセルがアスクラカンに出かけたので追いかけた。そこまで俺に語ってから、彼女はおかしくなった。」

 少佐とロホは顔を見合わせた。ロホが尋ねた。

「そのバルセルと言う医者は今何処に?」
「知らない。調べなきゃ。」
「バルセルは”シエロ”ですか?」
「いや、白人だと聞いた。」
「彼が血液を売却したことと、純血至上主義は結びつきませんが?」
「だから、それを調べたい。」

 不意にケツァル少佐が電話を出した。何処かにかけるのを男達が眺めていると、彼女は先方と話し始めた。

「ブエナス・ノチェス、バルデス社長!」

 え? とテオとロホは思わず顔を見合わせた。少佐は喋り続けた。

「大統領警護隊文化保護担当部のミゲール少佐です・・・スィ、ご協力、感謝しております。」

 少佐はアンゲルス鉱石のアントニオ・バルデス社長と話している。 セルバ流に少し世間話をしてから、本題に入った。

「3年前の御社の産業医をしていたバルセルと言う医師は現在何処にいますか?」

 バルデスの返事を聞いた少佐の顔が曇った。

「本当ですか? ・・・ わかりました。グラシャス。」

 電話を終えたケツァル少佐はテオを見た。そしてわかったことを伝えた。

「バルセル医師は、貴方が巻き込まれたバス事故で亡くなっていました。」


第5部 山へ向かう街     2

  バルで軽く一杯やった後、本格的な食事に行く前に、公園のベンチでビールを飲みながら、テオはサン・セレスト村で起きた事件の概略を語った。
 オルガ・グランデ空港でカルロ・ステファン大尉と出会い、お陰で大統領太平洋警備室の隊員達とお近づきになれたこと。ステファンが感じた指揮官キロス中佐の異常をフレータ少尉に訊いてみると、副官のガルソン大尉が中佐に面会させてくれたこと。面会の途中で中佐の具合が悪くなったので、フレータ少尉が車で診療所へ連れて行こうと彼女を車に乗せ、そのジープが爆発したこと。中佐と少尉は重傷を負ったが、生きていること。(「今はオルガ・グランデ陸軍病院に入院している」とテオは忘れずに言った。)ラバル少尉が、パエス中尉が爆破犯人だとして拘束したが、ガルソン大尉とステファン大尉はラバル少尉の嘘を見破り、少尉を拘束してパエス中尉を救出したこと。ラバル少尉は純血至上主義者の主張をしたが、彼はカイナとマスケゴのミックスで、彼の思想でキロス中佐の暗殺に繋がるものが何も思い当たらないこと。

「俺が面会した時、キロス中佐は何かを語ってくれそうだった。3年前にアスクラカンへ出かけて戻って来てから彼女がおかしくなったとガルソン大尉が言っていたので、俺はその点を訊いてみたんだ。彼女は何か言いたそうだったが、そこで具合が悪くなった。」
「具合が悪くなった?」
「何かを思い出そうとすると頭痛が始まった様で、それから泣いている様にも見えた。」

 ロホが尋ねた。

「それは何かが彼女に喋らせまいとしていたのではありませんか?」

 テオは彼を見た。

「彼女は”操心”に掛けられているって言うのか?」
「キロス中佐は強い能力を持っています。完全に支配されない代わりに、完全に逃げ切ることも出来ないで、苦しんでいるのだと思います。」

 ケツァル少佐が頷いた。

「何者かが彼女の記憶を消そうとしたのです。でも彼女は抵抗して、逃げた。そして3年間、その敵の”呪い”と闘っていたのでしょう。それが、無気力と部下達の目に見えたのです。中佐はきっと副官のガルソン大尉に伝えたかったに違いありません。でも説明しようとすれば敵の力に乗っ取られそうになる、だから言えない。その繰り返しだったのでしょう。」
「ガルソン大尉は指導師の資格を持っていません。呪いの対処方法を知らないし、どんな類の呪いが中佐に掛けられているのかもわからないのです。心の病気かも知れないと心配して投薬治療を行なっていたのですね? 彼は判断を誤りました。中佐の異変に気づいた時に、本部に連絡すべきでした。」

 テオは頷いた。

「彼も後悔していた。中佐の名誉を心配する余りに、正しい判断を下せなかったと。」

 ロホが呟いた。

「大尉はキロス中佐を心から慕っているのですね。」

 するとケツァル少佐が言った。

「私がおかしくなったら、躊躇わずに司令部に通報なさい。間に合わなければ撃ち殺しても構いません。」
「少佐!」

 テオの抗議の声を無視してロホが頷いた。

「承知しました。しかし、撃つ限りは必ず息の根を止めさせて頂きます。」
「ロホ・・・」
「それでこそ、我が副官です。」
「少佐・・・」

 テオは友人達の会話に呆れた。少佐とロホが顔を見合わせ、それから2人共同時にぷっと吹き出した。テオはむくれた。

「俺を揶揄ったのか?」
「そうではありません。私達はそれぐらいやらないと危険な存在だと言うことです。私が狂う場合は、少佐が私を撃ちますよ。ガルソン大尉と部下達は中佐を治そうと必死だったのでしょうね。指導師の資格を取り立てのカルロが赴任して、彼等は期待と同時に本部に嘘をついてきたことがバレると覚悟したでしょう。」

 ロホは遠い太平洋の僻地で心に異変を来した上官を守ろうと奮闘した隊員達を思い遣った。
 ケツァル少佐が腕組みした。

「アスクラカンで何かが起きたことは間違いありませんね。それにラバル少尉が関係しているのかしていないのか、それは本部が取り調べるでしょう。恐らくラバルは尋問に屈する筈です。大統領警護隊の司令部の尋問に耐えられる者はいません。でもそれで真相が判明するかと言えば、確実とは言えないでしょう。」

 テオは夜空を見上げた。乾季の空は晴れ渡って満天の星空だ。

「アスクラカンへ行く用事を作らなきゃいけないなぁ。遺伝子鑑定が必要なミイラが出土する遺跡とか、ないかい?」
「しかし、キロス中佐が話が出来る状態に回復したら、事情は聞けるでしょう。」
「酷い火傷だった。それに彼女がそうなった事情を彼女から聞けても、事件の解決に結びつくだろうか。犯人を探さないと・・・」
「テオ。」

と少佐がちょっと尖った声を出した。

「何故貴方がそこまでするのです? 遊撃班に任せなさい。」




第5部 山へ向かう街     1

  航空機でグラダ・シティに帰ると、到着は午後3時になった。早朝にサン・セレスト村をバスで出発して午前10時過ぎにオルガ・グランデに到着し、それから空港までは徒歩で10分。搭乗手続きに時間がかかり、空港で昼食、飛行機に乗って、やっと戻って来たのだ。
 3人はちょっと贅沢してタクシーで大学へ行き、遺伝子工学教室の冷蔵庫にサンプルを入れた。分析は早い方が良いのだが、週末だ。月曜日の午後から始めることにした。
 院生達を帰宅させ、テオは研究室で一人コーヒーを淹れた。椅子に座ってから携帯を出した。

ーー帰ったよ。

 相手はケツァル少佐だ。忙しければ返事はない。1分画面を見つめてから、彼は携帯を机の上に置き、コーヒーを啜った。メールが着信した。

ーー今夜はエル・ティティに帰るのですか?
ーーノ。 良ければ食事でもどう?
ーーOK。いつもの時間にいつもの場所で。

 少佐もすっかり素直になった。恐らく西海岸で起きた事件が文化保護担当部に伝えられることはないだろう。テオは彼女が要求しなくても語りたい気分だった。まだ何か残っている感じが拭えないのだ。
 夕方が待ち遠しかった。冷蔵庫の中をもう一度整理して、ふと心配になった。彼は携帯電話を出した。相手が出てくれるかどうかわからなかったが、掛けてみた。
 5回の呼び出しの後で、今朝別れたばかりの男の声が答えた。

ーー大統領警護隊太平洋警備室ガルソン大尉・・・
「テオドール・アルストです。」

 ああ、と相手が声を出した。

ーーどうかなさいましたか?
「貴方のお子さんの名前をお聞きしようと思って。もし採取したサンプルに貴方のお子さんの物が混ざっていたら、遺伝子分析の時にちょっと拙いでしょう?」

 ガルソン大尉はテオの言葉の意味を直ぐに理解してくれた。 テオが思った通り、子供達は母親の姓を名乗っていたので、教えてもらわなければ彼の子供のサンプルを判別出来なかった。テオは大尉に礼を言って、電話を切った。
 半分”ヴェルデ・シエロ”のガルソン大尉の子供達のサンプルに小さく印を付けた。廃棄しようかとも思ったが、数を確認した院生達に怪しまれるので、そのままにして分析の時に無視する項目に”シエロ”のゲノムを入れておくのだ。もしカタラーニが何か気がつけば、その家系の特性だと決めつけておこう。
 夕刻、テオは研究室を施錠して、文化・教育省へ行った。車は自宅にあるので(留守中はアスルが使った筈だ。)歩いて行った。
 定時になると、職員達がゾロゾロ退庁して来た。アンドレ・ギャラガ少尉が女性職員2人に挟まれて仲良く談笑しながら出てきた。テオに気がつくと、彼はちょっとバツが悪そうな顔をした。きっと女性達に口説かれていたのだろう。
 アスルはサッカーのユニフォームに着替えて出て来た。テオに気づくと近づいて来た。

「車を使って良いか?」
「スィ、構わない。潰すなよ。」

 最後の冗談に彼は、フンと言って、駐車場に歩き去った。
 ケツァル少佐は「コブ付き」で現れた。ロホが一緒だった。これはテオも想定内だったので、笑顔で1週間ぶりの再会を喜び合った。

「ついて行っても良いですか?」
「勿論さ。君にも聞いてもらいたい話があるんだ。」

 ケツァル少佐が笑顔なしで尋ねた。

「向こうで何かありましたか?」



2022/01/30

第5部 山の向こう     19

  グラダ・シティに帰る日がやって来た。テオも2人の院生達も、ブリサ・フレータ少尉が退院して来る前にサン・セレスト村を去ることを残念に思った。彼女との付き合いは短く浅かったが、ハラールの儀式をわざわざ教えに来てくれた親切な女性だ。せめて彼女をお茶に招待したかったと院生達は言った。オルガ・グランデに戻っても陸軍病院に見舞いに立ち寄る時間的余裕がなかった。セルバ航空の飛行機は離陸が遅れることが多いが、乗客が遅刻しても待ってくれない。
 採取したサンプルを3つの保冷バッグにぎっしり詰め込んだ。往路はステファン大尉と合流したので陸軍のトラックで来たが、帰りは1日2本の路線バスだ。朝早く学校へ行く子供達と一緒にバスに乗るために広場で待っていると、驚いたことにガルソン大尉がセンディーノ医師と共に見送りに来てくれた。

「想定外の騒動であなた方に多大な迷惑をかけてしまいました。」

 大統領警護隊とは思えない腰の低さでガルソン大尉が挨拶した。

「この村は普段は平和で暢んびりした場所です。港の積出があるので煩雑な印象を与えますが、休日は磯で魚を釣ったり、泳いだりして楽しめる海岸です。不便な所ですが、機会があればまた訪ねて来て下さい。」

 センディーノ医師も挨拶した。

「まるで大学にいる子供達が帰って来た様な気持ちで過ごせました。手術のお手伝いもしていただいて、本当に頼もしかったです。大尉が仰ったように、ここは良い村ですよ。また遊びに来て下さいね。」

 バスが埃を立てながらやって来た。テオ達はセンディーノ医師とハグし合い、ガルソン大尉とは握手を交わした。
 テオと握手した時、ガルソン大尉が囁いた。

「私は転属させられるかも知れません。次の指揮官がどんな人かわかりませんが、私は何処に行っても、キロス中佐に起きたことを調べ続けたいと思います。」
「気をつけて下さい。」

とテオも囁き返した。

「俺もラバル少尉一人の犯行とは思えないのです。くれぐれも用心して下さい。」

 バスは子供達が乗り込む間停まっているが、うかうかすると行ってしまいそうなので、別れの挨拶を切り上げて、大人達も乗り込んだ。ドアが閉まらないうちにテオはガルソン大尉に怒鳴った。

「カルロ・ステファンをよく指導して下さい。俺の将来の弟になるかも知れない男ですから!」

 ガルソン大尉が目を丸くした様に思えたが、ドアが閉まり、バスは直ぐに動き始めた。
 テオが座席に座ると、院生達が窓の外に手を振った。バスがガタガタ揺れながら坂道を登り始め、村が遠ざかっていった。

「先生、さっきの、何なんです?」

とカタラーニが尋ねた。

「さっきの、とは?」
「ステファン大尉が先生の弟になるって・・・」
「ああ・・・」

 テオはニヤリと笑った。

「彼の姉さんが美人なんだ。」




第5部 山の向こう     18

  本部からの応援を連れて戻って来たパエス中尉は、夜中にサン・セレスト村に到着した。テオは宿舎で休めと言われて戻っていたが、眠れなかったので、車のエンジン音を聞いた時に寝袋から出た。同室のカタラーニは爆睡していたので、起こさない様に静かに部屋を出た。外に出ると、太平洋警備室の建物の前にジープが停車したところだった。ライトを点灯していない。いかにも”ヴェルデ・シエロ”の車だ。テオは月明かりだけで道を歩いて行った。静かだ。隊員同士の会話は全て”心話”で交わされているのだろう。暗かったので不確かだったが、ジープから3人が降りて、オフィスに入って行った。
 テオが建物に近づいた時、後ろから人が来る気配がした。立ち止まって振り返ると、既に近くまで来たガルソン大尉が、彼を見て呆れた様に言った。

「眠れないのですか?」
「うん。車の音が気になって来てしまった。」

 大尉が溜め息をつくのがわかった。彼も休んでいたのだろう、Tシャツの上に着た上着のボタンを留めながら歩いていたのだ。

「本部の連中が貴方をオフィスに入れることを承知するか否かわかりませんが、入り口迄どうぞ。」

 一緒にオフィスの入り口迄行った。ガルソン大尉が彼に待機を要請して、中に入った。オフィスは灯りが灯っていた。照明を使用しないと”ティエラ”達に奇妙に思われるので、点けている。宿直がいると示す必要もあるのだ。
 2、3分後にドアが開いて、ステファン大尉が顔を出した。

「テオ、入って下さい。」

 ガルソン大尉が本部の隊員に話をつけてくれたのだ。テオはステファン大尉についてオフィスに入った。見覚えのある顔が、柔らかな照明の下に見えた。一人は知っているが友人ではなく、もう一人は友人だ。

「ファビオ・キロス中尉にエミリオ・デルガド少尉!」

 キロス中尉が真面目な顔で、デルガド少尉がうっすら微笑を浮かべて敬礼した。ガルソン大尉はテオが2人を知っていたことに少し驚いたが、パエス中尉は道中で彼等から話を聞いたのか、知らぬ顔をしていた。
 キロス中尉がガルソン大尉に言った。

「すぐに反逆者を本部へ連行します。」

 デルガド少尉が書類を出してガルソン大尉に手渡した。大尉が目を通し、机にそれを置いてペンで署名した。今時アナログな手続きだが、大尉は書類を少尉に戻した。デルガド少尉がそれをポケットに仕舞った。
 ステファン大尉が奥の部屋に入り、それから直ぐに顔を出した。

「ガルソン大尉、結界を開けていただけますか?」
「ああ、そうだった・・・」

 ガルソン大尉も奥へ入った。
 テオは自席に座ったパエス中尉を見た。右目の下に小さく絆創膏を貼ってあった。”ヴェルデ・シエロ”だから朝になれば治っているのだろうが、”ティエラ”への建前上、数日貼って見せるのだ。それでもテオは尋ねずにいられなかった。

「傷の具合はどうですか、パエス中尉?」

 無愛想なパエス中尉が彼をチラリと見て、答えた。

「平気です。グラシャス。」
「キロス中佐とフレータ少尉の状態は?」
「中佐は改めて手術を受けられた。我々が病院を再訪した時は意識が戻っていたが、まだ会話は無理だ。フレータはセンディーノ医師の手術が上手くいっていたので、今は休んでいる。お気遣い有り難う。」

 中佐と本部から来た遊撃班の中尉は同じキロスだ、とテオは気がついた。”ヴェルデ・シエロ”は人口が少ないから、同姓の家族が多いし、実際親戚なのだろう、と十分に推測された。
 ガルソン大尉とステファン大尉に挟まれてラバル少尉が引きずられる様に現れた。椅子から解放されているが、手は背中で縛られたままだ。目隠しを外されていた。意識は戻っていた。肋骨の骨折に起因する胸の苦痛で額に脂汗を浮かべている。
 キロス中尉が正面にたち、ラバルの顔を見つめた。

「ホセ・ラバル少尉、貴官はカロリス・キロス中佐及びブリサ・フレータ少尉殺害未遂容疑で逮捕された。間違いないな?」

 ラバル少尉が目の前の若い中尉を睨みつけた。キロス中尉もデルガド少尉もラバル少尉の息子と言っても良い若さだ。屈折したラバル少尉にはかなり屈辱だろう。ただ、キロス中尉はブーカ族、デルガド少尉はグワマナ族の純血種だった。ラバル少尉の純血至上主義には親切だったかも知れない。
 ラバル少尉が答えないので、もう一度、キロス中尉が繰り返した。

「貴官は同胞2名の殺害未遂容疑で拘束されている。これから本部へ移送する。もし逃亡を図れば、その場で射殺する。承知せよ。」

 ラバル少尉が低い声で呟いた。

「ここで殺せ。」

 キロス中尉とデルガド少尉が視線を交わした。デルガド少尉が片手をラバル少尉の額に押し当てた。テオは彼が何をしたのかわからなかった。ラバル少尉ががくりと頭を垂れた。脚が崩れ、スタファン大尉とガルソン大尉が両脇で抱え直した。

「せめて車に乗せる迄待てなかったか、デルガド少尉?」

 とステファンが個人的に親しい部下に苦情を呈した。デルガド少尉は若者らしく、小さく舌を出した。

「車へ行くまでに抵抗する懸念がありましたので、意識を奪いました。」
「デルガドは用心深くなっています。」

とキロス中尉が言った。

「一度痛い目に遭っていますからね。」

 ステファン大尉は肩をすくめた。そしてガルソン大尉に、行きましょう、と合図した。2人の大尉が部下がするべき作業を、拘束したラバル少尉を車に連れて行く作業を行った。キロス中尉が車のドアを開けて作業を手伝った。
 デルガド少尉は別の書類を出して、ペンで何やら走り書きした。ラバル少尉の意識を奪った経緯でも報告書に書いたのだろう。エミリオ、とテオは声をかけた。デルガド少尉は書きながら、何でしょう、と応えた。

「ここで起きたことは全部ガルソン大尉達から聞いたんだね?」
「スィ。」
「ラバル少尉はどうなるのだろう?」

 デルガド少尉が体を起こし、書類をポケットに仕舞った。

「貴方の命を奪おうとした男の心配をしてやるですか?」
「彼の本当の動機がわからないからね。それに直前迄彼は良い人に見えた。」

 デルガド少尉は肩をすくめた。

「司令部での取り調べで彼が何を語るのか、我々は知らされません。彼がどうなるのかも知らされません。貴方ももう忘れなさい。」


第5部 山の向こう     17

 ガルソン大尉は床に倒れて気絶しているラバル少尉の周囲に砂で輪を描いた。結界だ、とテオは説明がなくてもわかった。ラバル少尉は目覚めても自力で輪の外に出られない。
 ステファン大尉からガルソン大尉に電話が掛かってきた。夕食の準備が出来た連絡だ。何だか日常的な遣り取りが遠い世界の会話に聞こえた。ガルソン大尉は自宅に帰って食べるので、診療所のセンディーノ医師にも厨房棟へ食事に来るよう声を掛けると言い、電話を終えた。そしてテオには2人の院生を呼んで下さい、と言った。

「ラバルはこのままにしておきます。もう暫くは気絶しているでしょう。ステファン大尉が宿直を引き受けると言うので、私はこのまま自宅へ戻って休みますが、本部から隊員が来たら呼んで下さい。」
「わかりました。おやすみなさい。」

 テオはガルソン大尉とオフィス前で別れた。2人の院生は空腹だったのか、電話をかけると数分後には走って来た。大統領警護隊の厨房棟の印象は、高校の学食みたいだ、だった。
 カウンターでステファン大尉から料理を配ってもらっていると、ガルソン大尉の招待を受けたセンディーノ医師も現れた。看護師達は自宅へ帰るので、いつも夜は一人で食事をしていた彼女は久しぶりの「外食」に喜んでいた。

「この村に住んで長いのに、この建物に入ったのは初めてです。」
「不思議ですね、今夜はここに長く勤務している隊員が一人もいない。」

 テオの言葉にステファン大尉が苦笑した。

「私が来たばっかりに騒ぎが起きた感じで、申し訳ない。」
「俺達にそんなことを言っても意味がないさ。」

 テオはステファン大尉と事件の話をしたかったが、院生と医師がいるので自重した。代わりに医師から2人の女性隊員の回復にかかる日数やリハビリの手段などを聞いた。ガルドスは医学生なので真剣に質問したり耳を傾けたが、カタラーニは少し難しい話と思えたのか、ステファン大尉に料理の仕方を聞いていた。
 軍隊の食堂だからアルコール類はなかった。太平洋警備室はビールすら置いていなかった。水とコーヒーで食事を締めくくり、昼間の医療行為で疲れた医師と院生達は、食事の礼とおやすみを言ってそれぞれ寝るために厨房棟を出て行った。
 やっと2人きりになれた。厨房で食器や鍋を洗うステファン大尉を手伝いながら、テオがそう言うと、ステファンは笑った。

「まるで恋人同士の様な台詞です。」
「そうか? まだケツァル少佐には言ったことがないんだ。そこまで行っていないってことかな。」

 ステファンが鍋を磨く手を止めた。

「少佐を少佐と呼んでいる間は、まだなのでしょうね。」

 テオも皿を拭く手を止めた。

「だが、彼女は少佐だ。階級じゃなくて、俺にとって・・・尊敬する人なんだよ。」
「私にとってもそうですが・・・最近他人に私的な立場で彼女のことを話す時、やっと『姉』と呼べるようになりました。」
「俺には、やっぱり少佐だよ。『彼女』って呼んだら、張り倒されそうな予感がして・・・」

 ステファンが愉快そうに声を立てて笑った。それから真面目な顔に戻った。

「今回の事件はまだ終わっていませんね。」
「ああ、終わっていない。」

 テオも真面目な雰囲気に頭を切り替えた。

「ラバル少尉がジープを爆破したことはわかった。彼は純血至上主義者みたいなことを言った。だが、その思想が何故キロス中佐を暗殺することに繋がるんだ?」

 ステファン大尉が考え込んだ。

「純血至上主義者は2種類います。一つは、単一部族の血統を守れと言うグループです。この思想では、ラバル少尉は当てはまりません。彼は2つの部族のミックスです。ガチガチの純血至上主義者から弾き出されます。もう一つは、”ヴェルデ・シエロ”で”ツィンル”、異人種の血が一切入っていない血統を守れと言う考え方です。一つ目のグループよりは緩いですが、人数はこちらの方が多いです。ラバルはこちらのグループに入ると思われますが、”ティエラ”や私の様な”出来損ない”を排除して”ヴェルデ・シエロ”だけの国家を創ると言う過激思想は異端です。純血至上主義者の多くは現実的です。自分の家系の血を守るだけの主義ですから。」

 テオは皿を棚にしまった。

「ティティオワ山の向こうで3年前に何が起きたのか、調べる必要があるな。」


第11部  紅い水晶     24

  ケツァル少佐は近づいて来た高齢の考古学者に敬礼した。ムリリョ博士は小さく頷いて彼女の目を見た。少佐はトーレス邸であった出来事を伝えた。博士が小さな声で呟いた。 「石か・・・」 「石の正体をご存知ですか?」  少佐が期待を込めて尋ねると、博士は首を振った。 「ノ。我々の先祖の物...