2022/04/05

第6部 七柱    29

  テオが午後8時にバスターミナルでオルガ・グランデ行き長距離バスに乗り込み、出発を待っていると、最後の客達が慌ただしく車内に駆け込んで来た。早口のスペイン語が飛び交い、運転手が「出発!」と怒鳴った。平日だが座席は満席に近く、テオは座席と脚の隙間に無理矢理荷物を押し込んでいたので、ひどく窮屈だった。しかし、このバスはいつもこんな状況だ。バスが揺れながら動き出した。客はまだ蠢いていた。少しでも座れる余裕があれば体を押し込もうとする人や、荷物を網棚に押し上げる人、知り合いに出会って喋り出す人。窓は開いていた。押し出されないよう、気をつけなければならない。
 人間の波を掻き分ける様にして、一人の女性が通路を進み、テオのそばへ来た。甘い香りがツンと鼻に刺激を与え、周囲からクシャミの声が上がった。

「オーラ、ドクトル・アルスト!」

 聞き覚えのある声に呼びかけられ、テオは通路へ顔を向けた。シエンシア・ディアリア誌のベアトリス・レンドイロ記者が立っていた。

「オーラ、セニョリータ・・・」

 レンドイロと話すには、隣の席の老人越しになる。老人は女性に席を譲るつもりなどさらさらなく、テオもレンドイロに席を譲るつもりはなかった。意地悪ではなく、動けないのだ。老人も足元に大きな荷物を置いており、もしテオが彼より先に降車したければ、その荷物を乗り越えて行かなければならない。

「海に潜るんじゃなかったんですか?」

 テオが尋ねると、レンドイロは肩をすくめた。

「それは雨季明けになるでしょう。モンタルボ教授の動きは遅いです。私はオルガ・グランデに行きます。」

 ジャーナリストに取材予定を尋ねても正直に答えないだろう。小さなマイナー雑誌でも、情報源は貴重だ。他人に無闇に明かさない筈だ。

「ドクトルは研究旅行ですか?」

と彼女が訊いて来たので、テオは「ノ」と答えた。

「雨季休暇の帰省です。親の家に帰るんですよ。」
「あら・・・」

 レンドイロは白人のテオを眺めた。この人は元アメリカ人だった筈、と言う彼女の心の声が聞こえた気がした。
 その時、テオの隣の老人が大きなクシャミをした。レンドイロがつけている香水のせいだ。神様を見つける香水。テオは老人を見た。ひょっとしてこの人も”ヴェルデ・シエロ”を先祖に持つのか? 彼は老人に声をかけた。

「大丈夫ですか?」
「平気だ。」

 老人は手で鼻を擦った。そしてテオを見た。

「親のところに帰るのか?」
「スィ。親父がエル・ティティに住んでいるんです。」
「エル・ティティの警察署長が白人の養子を採ったと聞いたことがある。あんたのことか?」
「スィ。ゴンザレス署長は俺の親父です。」

 老人がニッコリ笑った。

「すると、会計士の代書屋をしているのも、あんたか?」
「スィ、スィ。」

 老人がテオの手を掴んで揺すった。

「儂は会計士のカルロスの親父の友人だ。あんたのお陰で仕事が捗って、連中は喜んでいるぞ。」
「そりゃどうも・・・」

 老人の世間話に引き込まれ、テオは雑誌記者の存在を忘れた。
 やがて早朝にアスクラカンに到着すると、大半の乗客が降りて行った。テオも一旦バスから降りて、トイレ休憩をして、朝食を売店で買った。バスに戻ると、乗客の数は6割程になっていた。新しい客もいたから、半数は降りたのだ。レンドイロ記者は発車時刻になっても戻らなかった。オルガ・グランデに行くと言っていたが、何か用事でも出来たのだろうか。バスが動き出した。


2022/04/04

第6部 七柱    28

  2日後、テオがエル・ティティに帰省する準備をして、昼食を買いに出かけた、ほんの半時間に、彼の自宅に侵入者がいた。テオは帰宅して、家の前の緑の鳥のロゴ入りの車を見て、玄関の鍵が掛かっていないドアを開けて入った。居間のソファの上で、カルロ・ステファンが瓶入りのコーラを飲みながらテレビを見ていた。

「勤務中じゃないのか?」

 テオはテーブルの上にテイクアウトのサンドウィッチを広げながら声をかけた。ステファンは顔だけ向けて答えた。

「食材の仕入れで出かけて、休憩しているだけです。」

 テオは笑った。大統領警護隊は一体何処で食材を仕入れるのだ? 

「実家で休憩しないのか?」
「またそんなことを言う・・・」

 ステファンが拗ねた表情を作って見せた。テオはまた笑った。カタリナ・ステファンが昔馴染みと再会して楽しいひと時を持ったことは、ステファンには内緒だった。フィデル・ケサダ教授の正体をまだステファンに明かすお許しが、ケツァル少佐からもケサダ教授からも出ていない。カタリナさえ息子に何も言わないのだ。

「本部の厨房勤務は楽しいかい?」
「楽しむ余裕はないですね。忙しいの一言です。専門で業務している隊員と違って、私は修行なので、下働きが多いですよ。太平洋警備室の厨房で自由に料理出来たことが嘘の様です。」

 テオは彼が太平洋警備室にいた隊員達のその後を知らされていないだろうと想像した。

「ガルソンとは出会ったかい? 彼は本部警備班車両部で中尉として働いているが?」
「スィ、彼とは食堂で出会いました。新しい仕事に慣れて、家族との時間を持てて、穏やかに働いています。貴方と出会えて、喜んでいました。」
「そうか。フレータ少尉のことは?」
「聞いていません。」
「彼女は南部国境警備隊の厨房勤務だ。向こうは厨房の仕事だけじゃなく、拘置所の検問破りや密輸で捕まった連中の世話もするので多忙らしいが、元気に勤務しているそうだよ。」
「それは良かった。」
「キロス中佐は退役した。グラダ・シティ郊外で、子供を対象にした体操教室を開いている。ガルソンの子供達はミックスで、母親は”ティエラ”だろ? だからガルソンの上官が彼女にガルソンの子供達の”シエロ”としての教育を依頼したそうだ。ガルソンが喜んでいた。もしかすると、キロス中佐はミックスの子供達の為の教室を開くかも知れないな。」
「それは、なんとまぁ・・・」

 ステファン大尉も嬉しそうだ。

「私は結局キロス中佐とまともに言葉を交わしたことがありませんでしたが、知性高い、優しい方だと感じました。過去の私の様に、能力の抑制に悩むミックスの子供達を教育して頂けるなら、一族としても喜ばしいことです。」

 テオも頷いた。そして、一番気がかりな人の話をした。

「パエスは少尉になって、北部国境警備隊に配属された。現在、クエバ・ネグラ検問所で勤務している。彼は人付き合いが上手くなくて、ハラールを施されていない食事を拒否し、同僚と気まずくなった。」

 すると、スレファンが片手を上げて、彼の話を遮る許可を求めた。テオは口を閉じた。ステファンが軽く頭を下げて感謝を示し、話し始めた。

「現在の私の上役の一人が、クエバ・ネグラへ派遣されました。現地の料理人、陸軍の食堂の業者だそうですが、彼等に儀式を教授しに行ったのです。初めは業者から作業手順が増えると文句が出たそうですが、陸軍が給金を上げることを約束したので、儀式を承諾しました。これから彼等がサボらないよう、陸軍兵が監視をします。」
「そうなのか・・・」
「パエスがどうするかは、彼の問題です。どうしても同僚と上手く行かないのであれば、退役すれば良い。彼の立場では転属願いを受けてもらえませんから。冷たい様ですが、彼は大統領警護隊の隊員です。隊則と掟は守らなければなりません。」

 テオは頷いた。パエスは子持ちの”ティエラ”の女性と結婚した。他の隊員達と条件が異なる。そして懲戒を受けた身だ。現状は厳しいだろう。しかしテオ達に彼を助けることは出来ないのだ。彼自身が選択して進んだ道だから。
 ステファンの携帯が鳴った。ステファン大尉は画面を見て、何か入力した。そして、瓶に残っていたコーラを一気に飲み干した。

「上官が呼んでいます。彼も休憩が終わったんです。迎えに行って来ます。」

 テオは吹き出した。ステファンは単独ではなく、上官と買い物に出て来て、上官がサボりたいから、彼も一緒にサボっていたのだ。こんな緩さが国境警備隊にもある筈だ。パエス少尉がそれに気が付けば良いのだが。
 テオはステファン大尉を軽くハグしてやった。ステファン大尉も最近はかなりハグに慣れてきた。逞しい腕でテオにハグを返して、「またそのうち」と言って、出て行った。


第6部 七柱    27

  グラダ・シティに向かって走る車を運転したのは、テオだった。大統領警護隊の車両なので本当なら民間人の彼が運転するのは隊則違反なのだが、ケツァル少佐は運転する気分でなかった。

「”操心”の尋問に対して嘘で答えられることは不可能だと、わかっています。でも、アンダーソンの答えは本当に信じ難いです。」

 少佐が愚痴ったので、テオは苦笑した。

「北米には、と言うか、この世には、常識で考えられない思考形態の人間がいるんだよ。他人が見てどんなに笑おうが、彼等は真剣なんだ。それが彼等だけの生活範囲で留まるなら、誰も文句を言わない。だが、他人に迷惑をかけると訴訟沙汰になる。他人を傷つけるのは問題外だ。アンダーソンもロイドも大人しく海に潜ってカメラを回しているだけなら、誰も文句言わないさ。喧嘩して相手を刺したから、大騒動になった。モンタルボもこの件で被害者だな。」

 そして彼はニヤッと笑った。

「本当に、古代のマスケゴ族は、カラコルの地下に核爆弾をセットしなかったのかい?」
「馬鹿なことを言わないで下さい。」

 少佐がうんざりした声で抗議した。

「マスケゴの技術者達は、地下の大空間に7本の巨大な柱を設置して、地面を支えたのです。」
「7本の柱?」
「スィ。グラダ、ブーカ、オクターリャ、サスコシ、マスケゴ、カイナ、グワマナ、各部族の能力の大きさに合わせた太さの柱です。」
「なんで君がそんなことを知っているんだ?」

 すると少佐がケロリとした顔で言った。

「”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の特徴です。大なり小なり、何処の遺跡でも、7本の柱で神殿の中心部を支えています。」
「”曙のピラミッド”も”暗がりの神殿”も・・・?」

 テオは深い地下で見た神殿を思い出そうと試みた。だが、当時は仲間を守り、生き抜くことに夢中で柱の数など眼中になかった。
 少佐が頷いた。

「一族が共有する場所は全て7本の柱で支え、我等は一つなのだと言う象徴としています。」
「わかった。それで、カラコルの地下空洞も7本の柱で支えられていたんだな。」
「その筈です。そして8世紀、カラコルの町が神を冒涜した時、ママコナの怒りの声を聞いた当時の”ヴェルデ・シエロ”達が一斉に呪ったのです。それぞれの部族の柱が折れるように、と。」

 グラダ族はその時、絶滅していた。だから、”ヴェルデ・シエロ”全員でグラダの柱も破壊したのだろう。

「ジャングルなどで発掘される遺跡の神殿が崩れているのも、柱が折られたからかい?」
「恐らく。”ティエラ”の遺跡は様々な要因があるでしょうが、”シエロ”の遺跡は放棄される時に意図的に破壊されたのだろうと、ムリリョ博士はお考えです。」

 ロカ・エテルナ社は、カラコルの海底にその7本の柱の痕跡が露出していないかを心配したのだ。テオは2000年以上も昔の先祖の仕事の後を心配する民族を、ある意味気の毒に思った。出来るだけ自分達の生きた痕跡を隠さなければならない民族。普通は、残して後世に見せたいと思うだろうに。

「岬が崩れた本当の理由が7本の柱の崩壊だと知ったら、アンダーソンもロイドも気分が沈没しちまうだろうな。」

 少佐がやっと明るい顔になって、クスッと笑った。
 

第6部 七柱    26

  ケツァル少佐は車の運転席に座ると、これから病院へ行きます、と言った。テオは刺されたチャールズ・アンダーソンに面会に行くのだとわかった。

「だが、何処の病院かわかっているのか?」
「クエバ・ネグラに病院は1箇所しかありません。」

 単純な回答だった。テオは黙った。少佐はハイウェイを南下して、5分も経たぬうちに横道に入り、古い鉄筋コンクリートの3階建の建物がある敷地内に車を乗り入れた。やたらと大きな旧式の救急車が2台あり、1台はアメリカの、もう1台はドイツの車だった。外国の古い車を購入して使用しているのだ。
 車から降りると彼女はテオに頼んだ。

「これから”操心”を使って尋問します。その間、病室に人が近づかないよう、見張ってくれますか?」
「O K! 個室だと良いがな・・・」

 建物は古かったが、内部は明るかった。窓は海側ではなく山側を向いていた。ハリケーンを警戒して建ててあるのだろう。
 少佐は受付で大統領警護隊のI Dを提示して、チャールズ・アンダーソンの容態を尋ねた。受付の女性は医師に電話をかけた。大統領警護隊が来ていると伝えられたので、医師が数分後にはやって来た。アンダーソンは腹部を一回刺されたが、急所が外れたので一命を取り留めた、容態は安定しているが、面会はまだ無理だ、と言った。少佐が言った。

「顔だけ見せて下さい。」

 それだけで、医師は面会を許可した。テオは彼女が”操心”を使ったなと思ったが、黙っていた。
 彼等は医師について2階の術後観察室に行った。最新医療設備がある訳でなく、普通の病室だった。アンダーソンは点滴のチューブや酸素マスク、心電図のコードを装着されて寝ていた。意識があり、訪問者が医師と少佐とテオドール・アルストだと認識すると、目から警戒の色を解いたので、テオは素人ながら、彼が正常な思考が出来る状態だ、と判断した。
 医師が部屋から出て行った。ケツァル少佐がアンダーソンに近づいた。

「ブエノス・ディアス」

と声をかけると、アンダーソンが頷いた。彼は自分でマスクを外した。少佐が彼の目を見つめて囁いた。

「カラコルの海の底に、何を求めているのです?」

 アンダーソンがちょっと全身を震わせた。”操心”に抵抗する時の人間の反応だ。素直にかかる人はそんな反応を見せないが、抵抗する人がたまにいる。自分を保つ意志が強いのだ。テオは抵抗する人間の半分が拷問に耐える訓練を受けた者だと知っていた。
 アンダーソンは5秒程抵抗して、落ちた。

「古代のセルバ人は核を保有していたと考えられる。」

と彼は囁いた。テオはびっくりした。思わず彼に声をかけようとして、尋問中だと思い出し、口を閉じた。アンダーソンは続けた。

「岬の地下に核爆弾が仕掛けられていたと考える学者がいる。敵が攻めてきたら、それで岬ごと破壊して壊滅させるのだ。しかし実際に使われることなく、爆弾は忘れられていた。それが8世紀の地震で爆発し、岬が沈んだ・・・」

 彼は口を閉じた。大きく息を吸い、腹部の傷の痛みで少し顔を顰めた。鎮痛剤が効いていても痛いのだろう。そして痛みで彼は我に帰った。不安気に少佐を見上げた。自分が何を喋ったのか、ほんの数秒前の記憶がないのだ。
 少佐が優しく声をかけた。

「カラコルの海底は完全に陥没し、水と泥と石で埋まっています。何も残っていません。モンタルボは掘削の許可を得ていないし、セルバ政府はサンゴ礁の破壊を許可しません。貴方が撮影出来るのは、海の底で石材の欠片や壺の欠片を拾い集めるダイバーの姿だけです。」

 少佐が顔を向けたので、テオもベッドに近づいた。

「ロイドも同じ考えで、モンタルボに近づこうとしたんだね?」
「スィ。」
「古代の民族が核爆弾を持っていたとなれば、世界中に大きな衝撃が走るだろうな。考古学だけの話で済まなくなるもんな。だけど、それは夢物語だ。セルバにはウランも核燃料になり得る地下資源もない。核実験した遺跡もない。貴方やロイドにそんな戯言を吹き込んだ学者ってのは、誰だい?」

 アンダーソンが一人のアメリカ人の名前を口に出した。それを聞いたテオは脱力した。

「その男はインチキ予言や占いでテレビに出まくって、3年前に視聴者から訴えられて行方をくらませた詐欺師じゃないか! あんた、あいつの言葉を真に受けて会社の命運をカラコルの発掘撮影に賭けたのか?」

 馬鹿じゃないか、と言う思いがテオの頭に浮かんだ。もっと何か政府の思惑が絡んだ陰謀を想像したのだが、世の中にはテレビや本で得た知識を本気で信じ込んで常識を逸した行動を取る人間がいる。
 アンダーソンがベッドに横たわったまま涙を流し始めた。

「核を使用した痕跡だけでも見つけられたら、と・・・」
「ロイドも同じ目的だったんだな?」
「まさか同じことを信じてやって来る人間がいたなんて・・・」

 彼は苦痛で顔を歪めた。少佐がナースコールのボタンを押した。そしてテオの手を掴んだ。

「行きましょう。もうこの人達と関わりたくありません。」


 

2022/04/02

第6部 七柱    25

  通された部屋は、駐屯地の指揮官より上位の将官が訪問する時に使用する迎賓室だった。エアコンが快適な温度の空気を吐き出し、座り心地の良いソファと憲兵隊の歴史を語る写真や勲章などを飾る棚が設置されていた。まさかそんな場所に傷害事件の容疑者が連行されて来る訳でなく、出されたコーヒーを飲んで20分程休憩した後で、再び先ほどの取調室に案内された。
 アイヴァン・ロイドは、以前テオが出会った時よりくたびれて見えた。チャールズ・アンダーソンと口論し、取っ組み合いになり、ナイフで刺した後、逃亡を図ってホテルの客達に取り押さえられたのだ。髪がぐしゃぐしゃで、顔に青痣ができており、服は汚れたのか白いダブダブの囚人用の上下を着せられていた。彼はテオの顔を覚えていた。テオとケツァル少佐が入室すると、顔を向けて、不思議そうな表情をした。

「貴方は確か、グラダ大学で・・・」
「スィ、お会いしました。生物学部のドクトル・アルストです。」

 テオは少佐より先に自己紹介した。そして少佐に言った。

「ンゲマ准教授を訪問して大学に来たセニョール・ロイドだ。」

 少佐が冷ややかにロイドを見た。テオは彼女をロイドに紹介した。

「大統領警護隊のミゲール少佐です。」

 ロイドが溜め息をついた。念願の大統領警護隊に会えたのに、彼は罪人として囚われの身だった。少佐が質問した。

「貴方とアンダーソンの間で何があったのですか?」

 ロイドは無言のまま少佐を見て、テオを見て、カバン大尉に視線を移した。そして大尉に尋ねた。

「この女性が大統領警護隊の少佐なのですか?」

 少佐が私服姿なので疑っているのだ。大尉が頷いて言った。

「素直に答えないと、少佐は直ぐに本部へ帰られる。お前の取り調べは我々で十分だからな。」

 ロイドは再び少佐に視線を戻した。

「私は古代の幻の民族が実在した証明を探しているのです。セルバの方ならご存じですね? ”ヴェルデ・シエロ”と呼ばれた、頭に翼を持った神様です。」

 テオはもう少しで笑いそうになった。頭に生えた翼は、古代の”ヴェルデ・ティエラ”、つまり普通の人々が、神と崇めた”ヴェルデ・シエロ”の超能力を絵画で表現する為に描いたものだ。”ヴェルデ・シエロ”のケツァル少佐が「そんな人間がいたら化け物だ」と感想を述べた形状の絵だった。
 ケツァル少佐は真面目な顔で言った。

「遺跡の壁画で見たことがあります。それが傷害事件を起こす原因になるのですか?」
「幻の民族の遺跡を発見出来たら、世界中の考古学者の注目を浴びます。私の動画も売れる・・・。」
「ですから、それが何故他人を刺す理由になるのです?」
「アンビシャス・カンパニーは・・・」

 ロイドが手錠を嵌められた両手をグッと握り締めた。

「私が乗る予定だった航空機の座席を、ハッキングでキャンセルしたり、情報源の人に高額の謝礼を与えて私に嘘の情報を流させていたんです。私の妨害ばかりしていました。昨夜、私がモンタルボに近づこうとしたら、用心棒を使って力づくでホテルから追い出そうとしました。私に向かって、神に近づく値打ちもない男、などと侮辱したのです。」

 少佐は冷めた目で彼を眺め、くるりと背を向けた。

「帰りましょう、ドクトル。」
「待ってくれ!」

 ロイドが叫んだ。

「私はアンダーソンを殺すつもりはなかった。ただ謝らせたかっただけだ!」
「我が大統領警護隊には関係ない私闘です。」

 少佐はカバン大尉に声をかけた。

「お手数をおかけしました。憲兵隊の領分に口を出すつもりはありません。」

 彼女とカバン大尉は敬礼を交わし、少佐が部屋から出たので、テオも急いで追いかけた。足早に建物から出て、車に戻ると、少佐が言った。

「傷害を起こした理由がはっきりしません。誰がカラコルの遺跡の下に”ヴェルデ・シエロ”の遺跡があると、ロイドやアンダーソンに喋ったのでしょう?」
「誰が、と言う明解な回答はないのかも知れないぞ。」

とテオは呟いた。

「連中は言い伝えを聞いて、儲け話に繋がると思ったんだ。」



 

第6部 七柱    24

  取調室として使われている窓がない小部屋にケツァル少佐とテオが入ると、リカルド・モンタルボ教授が、弱々しい笑を浮かべて椅子から立ち上がった。

「グラシャス! 来ていただけて、感謝します。」

 無精髭に目の下の隈、憔悴していた。着ている物はよれよれのTシャツで、ホテルで休んでいる時に事件発生で起こされ、憲兵隊に引っ張られて来たのだ、と立ったまま早口で事情を説明した。連行された理由がわからない、と捲し立てた直後に、彼は急に声のトーンを落とした。

「しかし、アンダーソンとロイドと言う男が争った原因はわかります。」

 彼は憲兵隊長をチラリと見た。少佐はカバン大尉に妙な勘ぐりをされたくなかったので、教授に言った。

「どうぞ、話して下さい。」

 モンタルボ教授は少し躊躇ってから、囁くように言った。

「彼等は、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡を探していたんです。」

 1分間、沈黙があった。テオはカバン大尉が顔を強張らせるのを感じた。”ヴェルデ・シエロ”の話を大っぴらにすることは、セルバ人にとってタブーだ。しかも、部屋の中に”ヴェルデ・シエロ”と話が出来ると信じられている大統領警護隊の少佐がいる。憲兵は「神罰」を心配したのだ。
 少佐はそれまで立っていたのだが、モンタルボ教授の向かいの椅子を引いて、そこに腰を下ろした。そして手でモンタルボに座れと合図した。教授が座ったが、テオは椅子がないので立ったままだ。カバン大尉も立ったままで、テオに椅子を運んで来る気はなさそうだった。

「アンダーソンとロイドは海の底に沈んでいる遺跡が”ヴェルデ・シエロ”のものだと考えているのですか?」
「正確に言えば、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の上に後世の人間が町を建設し、海に沈んだと考えている様です。”ヴェルデ・シエロ”の遺跡と正式に認められている建造物は、グラダ・シティの”曙のピラミッド”だけです。ああ、オルガ・グランデの地下深くにある”太陽神殿”(”暗がりの神殿”のこと)も”ヴェルデ・シエロ”の建造物だと考えられていますが、ピラミッドは宗教上の理由で現在も発掘研究を許可されていませんし、”太陽神殿”は鉱山会社の所有で一般人の立ち入りを許可してくれません。」
「落盤が多く、危険なので立ち入り禁止区域なのです。」

 テオはつい口を挟んだ。少佐は怒らなかった。モンタルボに続けてと表情で促した。

「もし海の底の遺跡が”ヴェルデ・シエロ”のものだったら、世紀の大発見です。中南米で最も古い遺跡と言うことになりますから。アンダーソンとロイドは、その歴史的な発見の当事者になりたいが為に、私の発掘調査の撮影をしたがっていたのです。」
「どっちが一番乗りをするかで、昨晩喧嘩したと言う訳ですか?」
「それもありますが、そもそも海の底に”ヴェルデ・シエロ”の遺跡があると言う情報が何処から出て来たのか、彼等はネタ素を明かせと口論したのです。私はカラコルの町の実在を証明出来る発掘を目的としており、その遺跡の地下にあるかも知れない幻の”ヴェルデ・シエロ”の遺跡は・・・勿論、見つけられればもっけモンですが、今はそんな余裕も技術もありません。珊瑚礁を傷つけてはならないと言う法律を守ると言う前提で、発掘許可を頂いているので、海底を掘るつもりなど毛頭ありません。私はアンダーソンとロイドにそう伝えて、自分の部屋に戻りました。彼等が刃傷沙汰になったなんて、私の知ったこっちゃないですよ!」

 モンタルボ教授はすがる様な目付きでケツァル少佐とテオを見比べた。少佐は彼に”操心”をかけていない。教授は全く彼自身の言葉で喋ったのだ。彼は白人だがセルバ人だ。この国独特のルールを熟知していた。古代の神様の遺跡と疑われる遺跡を発掘すること自体は禁止されていない。しかしその研究が売名行為や商業目的で使用されることは、この国の倫理観に反くことになる。ましてや、研究に直接関わっていない、考古学者でもない外国人が、名声や金銭目的で遺跡に手を付け、争って流血沙汰になるなど、神への冒涜以外何者でもない。モンタルボ教授は、昨晩の傷害事件に己は一切関わっていないのだと主張した。
 ケツァル少佐が憲兵を振り返った。

「モンタルボ教授を釈放して下さい。この人は昨晩の事件と無関係です。アンダーソンと雇用契約を結んでいましたが、アンダーソンとロイドの争いに関わっていません。」

 カバン大尉が敬礼して承諾を伝えた。少佐はもう一つ要請した。

「貴官達が拘束したアイヴァン・ロイドなる人物と面会させて下さい。」
「承知しました。準備が整う迄、あちらで休憩なさって下さい。」

 カバン大尉はモンタルボ教授にも言った。

「釈放です。どうぞ、お帰り下さい。」


2022/04/01

第6部 七柱    23

  テオはドキドキした。もしかして、ケツァル少佐の方からプロポーズしてきた? あり得るかも知れない。今迄彼が出会ってきた”ヴェルデ・シエロ”の女性達は積極的だった。彼女達の方から男性に求愛していた。だから、少佐も・・・?
 少佐がクールに言った。

「転属は各自行き先がバラバラですから、私が転属させられる時、ロホやデネロス達と別れなければなりません。私は一人ぼっちで新しい任地へ行くことになります。そんな場合、民間人の貴方なら、命令は関係ありませんから、来てくれるでしょう?」

 テオはがっくりきた。部下達を連れて行けないから、民間人の彼だけでも連れて行こうと言う我儘か? 彼はがっかりさせられたので、反論した。

「大学教授だって、学生に責任がある。研究を途中で放り出して女を追いかける訳にもいかない。」

 少佐が横目で彼を見上げた。

「何をムキになっているんです?」

 彼女は彼からスッと離れて宿のドアの取手を掴んだ。

「私はあるかも知れないことについて、貴方の考えを尋ねただけですよ。」

 そして建物の中に入った。テオは揶揄われた気分を拭えないまま、彼女の後に続いた。宿の主人に鍵をもらい、銘々の部屋に入った。上着を脱いでTシャツに短パンだけになり、ベッドに入った。目を閉じたが、やっぱり先刻の少佐との遣り取りが気になった。
 少佐は本当にプロポーズしてくれたのではないのか? 俺がすぐに返事をしなかったから、彼女はあんなことを言ったのかも知れない。彼女は話し相手に躊躇されるのを好まないのだ。俺は彼女の扱い方を誤った?
 結局まんじりともせずに朝を迎えてしまった。日が昇る前にシャワーを浴びようと浴室に行くと、既に少佐が中にいた。部屋に戻り、順番を待った。彼女が出てきた気配だったので、再び浴室に行き、まだ湯気と石鹸の香りが残る浴室で体を洗った。
 宿の朝食は主人夫婦と一緒だった。女将さんがテオの草臥れた顔を見て、眠れなかったのか、と心配した。テオは、大学の仕事の夢を見てうなされただけです、と答えて誤魔化した。朝食はあまり変わり映えのしない内容だったが、美味しかった。ケツァル少佐は卵料理の味付けが気に入って、お代わりして女将さんを喜ばせた。彼女は昨晩の会話を全く気にしていないようだ。やっぱり冗談だったのか? テオはちょっとがっかりした。
 チェックアウトして、グラダ・シティに帰ろうと車に乗り込んだところで、少佐の携帯にグリン大尉から電話がかかって来た。

ーーモンタルボ教授が少佐殿にお会いしたいと連絡して来ましたが、どうなさいますか? 

 少佐は眉を顰めた。

「昨夜の緊急車両のサイレンに関係あることですか?」
ーー恐らく。

とグリン大尉も詳細を知らない様子だ。

ーー教授は憲兵隊のクエバ・ネグラ駐屯地にいるそうです。責任者はアリリオ・カバン大尉です。

 少佐は溜め息をついた。

「なんだかわかりませんが、行ってみます。連絡ご苦労様です。」
ーーグラシャス。

 少佐が携帯をポケットに仕舞った。テオはやっぱりこちらに難儀が降りかかって来たな、と思った。少佐が緑の鳥の徽章が入ったパスケースを手に取り、テオに放り投げた。テオは慌てて受け取った。本来なら、大統領警護隊の身分証を持ち主以外が手に取ると、チクリと針で刺したような痛みを覚える。しかし、テオはパスケースの段階は平気だった。徽章そのものは触れないが。

「憲兵隊のゲートを通る時に、それを提示して下さい。」

 少佐が駐屯地のゲートでブレーキを踏むつもりがないことを悟ったのは、正にその時だった。彼女は緑の鳥のロゴが入った車を速度を落としたものの、停止せずに駐屯地の中へ乗り入れた。アサルトライフルを構えた兵士にテオは必死で少佐のパスケースを突き出しながら、助手席でヒヤヒヤしていた。駐屯地は宿から車で10分程の距離だったが、少佐はその間一言も口を利かなかった。昨夜のことを怒っているのか、それともモンタルボ教授の要請に機嫌を損ねたか、どちらかだ。
 事務所と思われる建物の前に車を停めると、すぐに将校が出て来た。口髭を生やした40代前半の男性だ。ケツァル少佐に敬礼して、カバン大尉だと名乗った。少佐は、ミゲールと名乗り、テオを見ずに手だけで示して、ゴンザレス博士、と正式名称だけ紹介した。

「リカルド・モンタルボが私を呼んだ理由は何です?」

 くだらない用件だったら帰るわよ、と言う顔で彼女が尋ねた。カバン大尉は国境警備隊の大統領警護隊とは格が違う相手だ、と感じたのか、無駄話をせずに事情を語り出した。

「昨晩、レオン・マリノ・ホテルの支配人から通報がありました。宿泊客に会いに来た訪問者が、客を刺したと言う内容です。刺された客と刺した男がどちらもアメリカ人だったので、支配人は警察と憲兵隊に通報を入れました。刺された客は、昼間、別の宿泊客、それがセニョール・モンタルボでして、彼とも激しい口論をしており、何か事件と関係があるのではないかと支配人が訴えるので、こちらへ連行しました。」
「刺した男と刺された男はどうなりました?」
「刺した男は逃走を図りましたが、ホテルの従業員と刺された男の用心棒に取り押さえられました。現在こちらの拘置所に勾留しています。刺された男は病院へ運びました。生きていると思われますが、まだ病院から連絡が来ていません。」
「モンタルボは事件に関して何か言っていましたか?」

 カバン大尉は肩をすくめた。

「何も・・・ただ少佐をお呼びして欲しいの一点張りで・・・」

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...