2022/04/29

番外編 2   引っ越し 2

  テオは鞄一つ持って、西サン・ペドロ通りの高級コンドミニアムに到着した。ケツァル少佐にあらかじめ教えられた場所に車を駐車すると、周囲は高級車ばかりで、己の中古の日本車が見窄らしく見えた。しかし性能は高級車並みだ、と胸を張ることにした。
 前日にセキュリティ登録されていたので、顔認証と暗証番号で第1ドアを通り、次のドアも第2暗証番号で入った。エレベーターに乗り、目的のフロアに到着した。慣れた場所で、少佐の部屋のチャイムを鳴らすと、少佐が数秒後にドアを開けた。

「部屋を間違えています。」
「はぁ?!」

 思わず声を上げてしまったテオに、少佐は隣のドアを指差した。

「貴方はあっちです。」
「だが、同居するんじゃ・・・」

 戸惑うテオを少佐は無視して通路に出て来た。隣のドアの暗証番号を入れて、ドアを開いた。

「こちらの部屋も私の部屋なのです。」
「何時から?」
「ここに入居した時から。」
「・・・知らなかった・・・」
「女の家と男の家に別れて住むのです。正式に結婚する迄の習慣です。行き来は自由です。」

 テオは初めての部屋に入った。がらんとした空間で、6人掛けのテーブルと椅子がダイニングにあるだけだ。テオは鞄をリビングの真ん中にぽつんと置かれていた古いソファの上に投げ出し、寝室を見に行った。客間は空っぽで、奥の寝室だけは真新しいベッドと寝具が置かれていた。それだけだ。
 暫く呆然と立ち尽くすテオの後ろで少佐が説明した。

「貴方も大学の学生達を家に呼んだりすることがあるでしょう? 自宅の研究室も必要ではありませんか? この部屋は貴方が自由に使える空間です。食事や普段の寛ぎの場所は私の部屋を自由に使って頂いて結構です。文化保護担当部の会合は貴方もいつも参加されていますから、公私混同されても誰も気にしません。でも貴方のお仕事は私達には難しいし、邪魔をしてはいけない慎重を要するものだと、私達は理解しているつもりです。一旦通路に出るのが面倒ですが、仕切りは必要だと思うのです。」

 テオは少佐を振り返った。目の奥に熱いものが込み上げてきた。

「グラシャス、少佐。だけど、俺はこの部屋の家賃をまだ払えない・・・」
「貴方が教授に昇進する迄、私の父が払ってくれます。私の持参金の代わりです。」
「持参金?」
「女が結婚する時に親が持たせるお金です。残念ながら私は結婚資金を貯金すると言う考えがなかったので・・・」

 少佐が子供の様に舌を出して見せた。テオは笑い出し、彼女を抱き締めた。

「君は結婚すら考えなかったんだろ?」
「ずっと先の話だと思っていました。」

 少佐も彼の体に腕を回した。

「一族は私がグラダの血を残すことを期待すると同時に、グラダの人口が増えることを危惧してもいます。私はどの部族と結婚しても、その一族の期待がついて回ることを想像して嫌だったのです。」
「白人の俺が君と結婚したら、一族は失望するんじゃないのか?」
「でも私の子供達は、お陰で大神官やママコナの候補者争いから外れますよ。」

 彼女が彼を見上げて、ニンマリ笑った。テオも笑顔のまま返した。

「わかった、俺の遺伝子を存分に利用してくれ。」


2022/04/28

番外編 2   引っ越し 1

  テオはケツァル少佐のコンドミニアムへ運ぶ荷物の整理をしていた。衣料品と研究資料だけだ。鞄に詰め込むと、自分がどれだけ物を持っていないか実感した。書籍が一番重量がある荷物だが、最近はネットで資料を検索するし、大学へ行けば研究室や図書館でいくらでも本を読める。結局自宅にある本は彼が気に入った小説のペーパーバックや古書店で発掘した自然科学関係の希少本ぐらいだ。室内装飾も殆どない家だから、絵画や彫刻なんて芸術品はないし、食器は全部置いて行く。それに慌てて全部持って行く必要もない。まだ鍵は持っているし、新しい家主になるアスルは、「俺は管理人になるだけで、家主は飽く迄あんただ。」と言った。要するに、テオに家賃を払えと言っているのだ。アスルはこれ迄通り部屋代しか払わない魂胆だ。テオも好きな時に寛げる空間があれば良いと思ったので、家の名義はそのままにしておいた。正直なところ、女性と暮らした経験が一度もない。試験管で生まれたので、母親と言う存在がなかった人間だ。だから、もしケツァル少佐との同居が彼自身の負担に感じることがあれば、逃げ場が必要だ、と彼は同居を始める前から対策を考えてしまった。

「アスル、車はどうするんだ? ロホの送迎に頼るのか?」

と足のことを心配してやると、アスルはこともなげに言った。

「自転車を買う。」

 マカレオ通りは坂道の街だ。外出は楽だろうが、帰路は疲れるだろう。しかし若い軍人は苦にならないのかも知れない。それに今迄もアスルは徒歩で出かけたり、徒歩で帰宅していた。テオの過保護は迷惑なのだ。

「君の手料理が懐かしくなったら、いつでも戻って来る。」

と言ったら、アスルは「ふん」と鼻先で笑った。

「カーラの飯の方が美味いに決まっているさ。」

 ケツァル少佐が雇っている家政婦のカーラは料理名人だ。アスルは彼女の手伝いをしながら料理を教わることが多い。荷造りするテオを手伝わずに、アスルは居間のソファに横になったまま背伸びした。

「もしかすると、アンドレを住まわせるかも知れないぞ。」

 アンドレ・ギャラガはまだ本部の官舎住まいだ。官舎住まいだと徹夜の勤務や出張の度に上官へ届け出なければならないので、はっきり言って手間だ。ギャラガに言わせれば、直属の上官はケツァル少佐なのだから、少佐の命令に従って勤務するのに、何故官舎を管理する警備班の上官の許可が必要なのかわからない、となる。警備班は宿舎の秩序を守る為に利用者にルールを守らせているだけなのだが。

「アンドレが住み着いても構わないさ。」

 テオは、恐らく普通の家庭を知らずに育ったギャラガがこの家に来て、近所付き合いを始めたら、きっと素晴らしい体験をすることになるだろうとワクワクした。
 するとアスルはまた言った。

「もしかすると、マーゲイが住み着くかもな。」

 グワマナ族の大統領警護隊遊撃班隊員エミリオ・デルガド少尉のことだ。アスルはあの後輩も密かに気に入っているらしい。デルガド少尉は任務の途中で休憩したくなると勝手にやって来て、勝手に家に入り込み、寝ていくことがある。昔のアスルと同じだ。アスルはデルガドに己と同じ匂いを嗅ぎ取っているのだろうか。

「カルロが来ても構わないぞ。」

とテオは言ってみた。やはり遊撃班のカルロ・ステファン大尉は、”指導師の試し”と呼ばれる試験に合格し、最終修行の厨房勤務を終えた。隊員の健康を守り、病気や怪我を癒す方法を学ぶ修行を終えたのだ。遊撃班指揮官のセプルベダ少佐の副官となって、これから多忙になる。息抜きに、マカレオ通りに来てもらっても構わなかった。ステファンには実家があるが、恐らく彼は母親と妹の世話焼きを好まないだろう。
 アスルはぶっきらぼうに言った。

「カルロはロホのアパートに行くさ。」

 そう言えば、ロホが現在住んでいるアパートは、元々ステファンが住んでいたのだ。ロホとステファンは入隊以来の仲良しで、ステファンは官舎へ戻る際にアパートをロホに譲り、ロホが妹グラシエラ・ステファンと交際することも許した。
 アスルはロホ、ステファン、どちらの先輩も尊敬し、愛している。だがステファンが文化保護担当部に戻って来ることはないと理解もしていた。ステファンが目指しているのは少佐の位で、文化保護担当部に少佐は2人も必要がない。アスルはケツァル少佐以外の指揮官を求めていない。

「誰だって構わないさ。」

とテオは笑顔で言った。

「君がこの家に入れるのは、味方だけだと知っているから。」
「当たり前だ。」

 アスルはツンとした。その時、中庭に面した掃き出し窓の窓枠をコンコン叩く音がした。テオとアスルが同時に振り返ると、隣家の子供がサッカーボールを抱えて立っていた。

「アスル、ゴールキーパーやってよ!」
「えー、またか?」

と言いつつ、アスルは体を起こした。口では文句を言いつつ、顔は嬉しそうだ。アスルは近所の子供達とサッカーをすることが楽しみになっていた。彼自身はプロ級の腕前なのだが、子供達とワイワイ言いながら走り回るのはストレス解消になるのだろう。

「ガキどもと走って来る。鍵は掛けて行けよ。」

 鍵がなくても開けられる彼はそう言って、窓から出て行った。
 テオはこれからも毎日出会う筈なのに、ちょっぴり寂しく感じてしまった。


2022/04/27

第6部  虹の波      18

  ガルソン中尉とパエス少尉が去った後、テオは残った仕事を手早く片付けた。そしてケツァル少佐にメールを送った。

ーー今夜は空いてるか?

 少佐は5分後に返信してきた。

ーースィ。
ーー夕食を一緒にどう?
ーー私が家まで迎えに行きます。

 つまり店まで少佐主導と言うことか。いつものパターンにテオは苦笑した。早く自分がリード出来るデートにしたいものだ、と思った。店を予約して支払いも自分でして・・・。
 休暇中の出勤だから定刻迄大学にいる必要はない。元から定刻などない筈だが、グラダ大学の教授達は午後6時迄は学内にいることが習慣になっていた。それより早く帰ってしまうのは、考古学部主任教授のムリリョ博士ぐらいだ。テオは大学を出て、自宅へ帰った。何時にと言う約束はなかったが、後2時間は彼女は来ない。彼はシャワーを浴び、服を着替えた。どんな店に行くのかわからないが、取り敢えずきちんとした服装を選んだ。白い襟付きのシャツに濃紺のジャケットだ。タイは付けなかった。もし必要なら少佐が車に乗せてくれる前に要求してくるだろう。
 少佐はパエス少尉の活躍や昇給を知っているだろうか。少なくともパエス少尉が国境検問所の仲間と打ち解け合いそうな雰囲気になったことを聞けば、安堵するだろう。上官に尽くすつもりでしたことが、反逆罪に問われそうになって処罰された為に、パエスは卑屈になっていたのだ。しかし国民の危機を救う大役を与えられ、見事にやり遂げたことで自信を取り戻した。もしかするとガルソン中尉は彼をキロス中佐に面会させたのかも知れない。キロス中佐はパエスに頑なな態度を取ることは一生を無駄にしてしまうと説いたのかも知れない。
 テオは憶測だけでものを言うのは止めようと己に言い聞かせた。少佐に伝えるのは、パエスが活躍したことだけで良い。彼の家族のことや給料の件はパエス個人の話だ。
 家の外でクラクションが鳴った。気がつくと午後6時半になっていた。テオは急いで財布をポケットに入れて外に出た。出てから、アスルに何も連絡していないことに気がついた。少佐と職場が同じだから、アスルはデートのことを知っているだろうが・・・。
 ベンツの中は少佐だけで、テオは助手席に座った。少佐は彼がドアを閉めると直ぐに車を出した。

「アスルには何も言っていなかったが、良かったかな?」

と念の為に言うと、少佐が「大丈夫」と答えた。どこの店へ行くのかと尋ねたが彼女は教えてくれなかった。間もなく見覚えのある道路を走り、見覚えのある店の駐車場に少佐のベンツは滑り込んだ。フランス料理店フラウ・ルージュだった。テオはちょっと躊躇った。

「俺はこんな高い店の料金は払えないぞ。」
「私も払いません。」

 まさか、また接待か? テオはがっかりした。2人きりでデート出来るのは何時のことだ? いや、少佐は「空いている」と言ったのではなかったか?
 レセプションで少佐は名乗った。

「ミゲール。」

 直ぐに支配人が現れて、平服の2人は奥の個室に案内された。部屋に入るなり、テオは緊張した。そこで彼等を待っていたのは、フェルナンド・フアン・ミゲール駐米セルバ大使とその愛妻マリア・アルダ・ミゲールだった。つまり、少佐は親に彼氏を紹介しようとしているのだ、とテオが悟った時は、既に大使夫妻が立ち上がって彼の手を順番に握って挨拶した後だった。

「娘がいつも貴方を困らせているそうで、申し訳ない。」

と大使が言った。テオは慌てて否定した。

「いいえ、いつも俺が彼女に助けられてばかりいるんです。」

 マリア・アルダとは初対面だったが、著名な宝飾デザイナーは満面の笑みで彼を見つめた。軍人でなければ誰でも良いわ、と言うことだ、とテオはうっすらと感じた。富豪夫妻は変わり者の養女が同じ裕福な家庭の男を恋人に選ぶとは思っていないのだ。社会常識がない、暴力性の、浪費家の男でなければ、彼等は拒否しない。勿論娘がそんな男を選ぶとは思っていないだろうが。

「やっとシータが男友達を紹介してくれて、一安心です。」

とマリア・アルダが言った。

「このまま軍隊と結婚すると言ったら、どうしようかと夫といつも話していましたの。」
「ママ!」

と少佐が養母を睨んだが、その表情はいつもより子供っぽく見えた。テオは可愛いと思った。いつもの勇ましい少佐の別の顔だ。

「俺は大学の准教授の給料だけで暮らしている人間です。彼女の様に強くないし、世間知らずのことも多いです。でも、彼女と一緒にいる時は最高の人生だなといつも感じています。出来ればずっとこのまま彼女と生きて行きたいです。」

 言ってしまってから、これは「お嬢さんを私に下さい」と言っているのと同じじゃないか、とテオは気がついた。頬が熱くなった。まだ乾杯もしていないのに。マリア・アルダが夫の顔を見た。彼女が少し不安そうな顔をしたので、テオも不安になった。ここで大使を怒らせてしまうのか?
 ミゲール大使が微笑んだ。その場の雰囲気が急激に和らいだ。

「私達の娘と一生付き合うとなると、大変ですぞ。」

と大使が言った。テオは彼に微笑み返し、それから少佐を見た。少佐は黙って彼を見返した。彼は尋ねた。

「これからも愉快な体験を一緒にしてくれるかな?」
「愉快なことばかりではありませんよ。」

といつもの口調で少佐が言った。マリア・アルダが眉を顰めた。

「シータ・・・」

 少佐は母親を無視して平然とした態度で言った。

「大家に彼女が出来たと知れば、アスルは出て行ってしまいますよ。」
「アスルにあの家をやるよ。」

とテオは言った。

「俺は新しい家を探す。」
「だったら娘の家へ行って!」

とマリア・アルダ。少佐が母親を見た。

「ママ、そんなに私達をくっつけたいの?」
「だって、貴女が初めて紹介してくれた男の人じゃないの。逃しては駄目よ。」

 まるでケツァル少佐が過去に全然モテなかった様な言種だ。ミゲール大使が収拾に取り掛かった。

「ドクトル・アルスト、娘の家に引っ越してもらえるかな?」

 こんな場合、なんと言えば良いのか? テオは仕方なくと言う表情になっていないだろうな、と己の態度を気にしながら答えた。

「スィ。勿論です。彼女さえ良ければ・・・」

 ケツァル少佐が「仕方なく」と言う顔で言った。

「試験期間と言うことでいかがです?」


第6部  虹の波      17

  次の日のニュースで、セルバ共和国の国民は、大統領警護隊と憲兵隊の合同捜査の結果レグレシオンが仕掛けた新たな爆弾3発がアスクラカンのメルカド(市場)で発見されたことを知った。更に2番目の爆弾製造所も既に逮捕されていたメンバーの1人が所有する別荘にあったことが判明した。国民達は「”ヴェルデ・シエロ”の加護のお陰だ」、「日頃から教会で祈っていた御利益だ」、「そうではない、我が国の捜査機関が優秀だからだ」と職場やバルで論じ合った。
 テオは過激派達が捕まったので、雨季休暇の残りを再びエル・ティティに戻って過ごそうか、それともこのままグラダ・シティに残ろうか、と迷った。ゴンザレス署長に電話を掛けると、署長は今回の一連の事件にテオや大統領警護隊文化保護担当部が活躍したことが表に出ないのは悔しいと言った。テオは名声など誰も望んでいないし、悪者が捕まったから、友人達はそれで十分満足していると、養父を宥めた。それで再び帰省するべきか否か意見を聞くのを忘れてしまった。
 もしかすると、ゴンザレスはもうテオが同じ屋根の下にいなくても平気なのかも知れない。新しい恋人と上手くやっている様子だし、テオが毎週末必ず帰るとは限らなくても電話を欠かさず掛けるので、それで満足しているらしい。テレビ電話を始めてからは、特にその傾向が見られた。

 俺が親離れ出来ていないだけなのか・・・

 テオは苦笑した。
 レグレシオンの大摘発で世間が騒いだ日から3日経った。新学期の準備の為にグラダ大学へ出勤したテオの元に客が来た。1人は私服でテオは誰なのか直ぐにはわからず、ホセ・ガルソン中尉だと相手が名乗って、ちょっと慌てた。

「すみません、私服姿の貴方を見たのは初めてだったので。」

 ガルソンも苦笑した。

「制服の時しかお会いしたことがありませんでしたからな。今日は非番なのでこんな格好です。ところで・・・」

 彼は後ろにいる連れを振り返った。

「彼が挨拶をしたいと言うので連れて来ました。」

 そちらの男は大統領警護隊の制服を着ていた。ルカ・パエス少尉だった。テオは彼が本部に召喚されたことをケツァル少佐から聞いていたが、まだグラダ・シティに居たのかと意外に思った。役目を終えたらさっさとクエバ・ネグラに戻ったと思っていたのだ。テオの頭の中が読めるかの様に、ガルソンが笑った。

「まだこいつがグラダ・シティに居たのかと思われたでしょう?」
「いや・・・その・・・」
「本人も直ぐに帰還するつもりだった様ですが・・・」

 ガルソンに振り返られ、パエス少尉が渋々理由を語った。

「”名を秘めた女性”と共に爆弾を探す任務を仰せつかり、なんとかご期待に添えるお勤めを果たしました。それが・・・」

 彼が言い淀んだので、ガルソンが言葉を継いだ。

「セルバ国内を隈なく心で見ると言うことは決して簡単なことではありません。パエスは見事にお役目を果たした後、2日間眠り続けていました。」
「つまり、半端なく消耗したってことですね? 凄いな、命懸けで国を守ったんだ、パエス少尉!」

 テオは感心してパエス少尉を見た。パエスは照れ臭いのか、逆にむっつりした表情で目を逸らし、ガルソンに「失礼だぞ」と注意された。それでパエスは仕方なく言った。

「私と共に爆弾の在処をご覧になったセプルベダ少佐は、祈りの部屋から出られると直ぐに部下を招集して出動されました。あの少佐も私と同様に消耗されていた筈です。しかし、平然と過激派を捕まえに出かけて行かれました。それなのに私は歩くのがやっとで・・・」
「セプルベダ少佐は指導師だ。我々と違って心身の制御能力に遥かに優れておられる。その様な上官と我々の様な下位の者を比べてはならん。」

 ガルソンはパエスを励ましたつもりだろうが、叱っている様に聞こえた。だからテオは急いで言葉を添えた。

「指導師ではないパエス少尉がセルバ全土を覗いて爆弾を見つけられたのでしょう? 少尉はご自分を誇りに思わなくてはいけませんよ。ガルソン中尉もそのつもりで仰ったんだ。」

 パエス少尉が始めて頬を赤く染めた。

「私は・・・他人に誇れるような人間ではありません。小さなことにこだわって、大事な時間を無駄に過ごしてしまうところを、貴方やガルソン中尉、ケツァル少佐に救われたのです。」

 テオが戸惑ってガルソン中尉を見ると、ガルソンが頷いた。

「貴方がケツァル少佐にパエスが機械いじりが得意だと教えて下さったのでしょう?」

 テオは考えた。そう言えば、キロス中佐の事件の後、ガルソンが本部警備班車両部、パエスが国境警備隊に転属になったと聞き、パエスは機械いじりが得意だと、彼はケツァル少佐に何気なく言ったことがあった。少佐はその世間話を覚えていた。そして考えたのだ。
 ある分野で才能を発揮する人の中には、物の精霊が発する気が見えている者がいる、と言う古い言い伝えを思い出した彼女は、ガルソンに訊いてみた。パエスは機械の精霊が見えるのではないですか、と。するとガルソンも昔パエス自身から聞いていた話を覚えていた。故障した機械に向き合うと、修理すべき場所が淀んで見える。そこを触れば機械は何が必要か教えてくれる、と。
 過激派が作る爆弾は、小さな起爆装置が付いている。単純な作りでも、機械は機械だ。パエスの様な精霊が見える人には、機械でない物の中にある機械の存在がわかる。その機械に製造者の悪き心が宿っていれば、その機械は邪悪な気を放っている。パエスは祈りの部屋でママコナが送り出す虹色の光に心を乗せてセルバの国内を飛び回った。虹の波の中でぽつんと見えた淀んだ不潔な光。それが爆弾だった。

「”名を秘めた女性”は女官を通して仰ったそうです。パエスと旅をして楽しかった、と。」

 テオがパエスを見ると、パエスはまた頬を赤くした。

「私には任務でしたが、あの御方は楽しんでいらっしゃいました。ですから、私も案外気楽に探索が出来ました。あの御方のお力がなければ私はグラダ・シティを見るだけで果てていたでしょう。」

 テオには想像がつかない現象だが、”ヴェルデ・シエロ”にはまだ彼が知らない能力が色々あるのだと言うことはわかった。

「これからクエバ・ネグラへ戻られるのですか?」
「スィ。仲間が待っていますから。」

 パエスが同僚達をサラリと「仲間」と呼んだ。するとガルソンが「家族もだろう」と言った。

「パエスは国を救いました。その手柄で、昇給になったんです。彼はサン・セレスト村に残してきた奥さんの子供達をクエバ・ネグラに呼び寄せることに決めたんですよ。」
「中尉、そんなことまで言わなくても・・・」

 パエスは耳まで真っ赤になりながら慌てた。テオは思わず笑ってしまい、ガルソンも笑った。最後にはパエスまで声を立てないまでも笑ってしまった。


2022/04/26

第6部  虹の波      16

  ルカ・パエス少尉はセプルベダ少佐と共に地下神殿に降り、そこで蒸し風呂で1時間潔斎した。身体を清め、精神を落ち着かせ、褌1丁だけの姿になった。
 セプルベダ少佐が説明した。

「これから祈りの部屋に入る。承知している筈だが、我々が”名を秘めた女性”のご尊顔を拝することは許されていない。」
「スィ。」
「祈りの部屋の中では好きな場所に座って良い。体を横たえても良い。そこで瞑想に入る。”名を秘めた女性”がグラダ・シティを地域毎に区切って君に見せて下さる。どんな形で見せて下さるのか、私にはわからぬ。君が見て、そこから爆弾を探せ。恐らく、悪き者が物体に残した悪き心が君に見えるだろう。君はその場所が何処か考える。」
「私はグラダ・シティに詳しくありません。」
「地名は考えなくて良い。”名を秘めた女性”に現代人が付けた地名など意味がない。君はその場所の特徴を見るのだ。私は君の横にいて、君が目的の場所が何処か分かれば感じる。もしグラダ・シティに何もなければ、”名を秘めた女性”はセルバ全土にヴィジョンを拡げられる。君はかなり消耗するだろう。もし耐えられなくなったら、我慢せずに”名を秘めた女性”に申し上げろ。君が我慢すれば、”名を秘めた女性”も消耗なさるからだ。」

 パエスは意見を述べてみた。

「もし私が、グラダ・シティで爆弾を見つけ、まだ他の土地にもあるかも知れないと思ったら、探索を続けてよろしいのですか?」

 セプルベダ少佐が厳しい顔に微笑を浮かべた。

「勿論だとも! これはかなり体力と気力を要する任務だが、君はそれを敢えて恐れずに請けてくれるのだな?」

 パエス少尉は右手を左胸に当てて、一族へ忠誠を誓う言葉を呟いた。

「我等が空の為に。我等が守る地の為に。」

 セプルベダ少佐がそれを賞賛する言葉を囁いた。

「太陽の野に星の鯨が眠っている。汝が星の一つとなることを願わん。」

 即ち、いつの日にか貴方がこの世から去る時に、英雄として讃えられることを願っていると言う意味だ。それは”ヴェルデ・シエロ”の戦士にとって最高の戦意高揚の言葉だった。
 パエス少尉は、若者の様に、大声を腹の底から発した。

「ほーーーーい! いやぁは!」

 セプルベダ少尉も同じ言葉を発した。

「ほーーーーい! いやぁは!」

 戦士達が敵陣へ乗り込む時に互いに掛け合う激励の声だった。
 パエスは理解していた。彼がママコナの結界の元で爆弾探索をしている間、彼の隣に座ってひたすら瞑想するセプルベダもかなりの消耗を強いられるのだと言うことを。
 既に壮年に入っている2人のエル・パハロス・ヴェルデスは祈りの部屋の重い扉を一緒に押し開いた。小さな入り口の奥は、広い空間があった。太い7本の柱に囲まれて中央に高い台座があり、そこに白い影が立っていた。パエスとセプルベダは顔を伏せ、中に入った。冷たい印象の石の床だったが、実際は人間の体温に近い温かさだった。パエスは無言で歩いて行き、やがて彼の本能が「ここ」と示した場所で腰を下ろした。あぐらをかいて座ると、横にセプルベダも無言で座った。
 パエスは目を閉じ、深呼吸した。頭の中に虹色の光が流れ込んで来る様な錯覚に襲われた。脳の中を掻き回される? 目を閉じているのに目眩がした。苦しい、と感じ掛けたその瞬間、彼は脳に直接呼びかける声を聞いた。彼の真の名前を呼ばれた。途端に苦しさは消え去り、彼は心地良い感覚に全身を包まれた。虹が波の様に彼に押し寄せ続けたが、目眩は止んだ。そして虹の波の中に、”曙のピラミッド”が一瞬見えて、それからいきなり俗世が現れた。一番最初は、グラダ・シティ国際空港だった。


第6部  虹の波      15

  次の日の午後、グラダ・シティにある大統領警護隊本部に1台のタクシーが到着した。タクシーは1人の軍人を下ろすと、そそくさと逃げるかの様に本部敷地から出て行こうとした。ゲイトで止められた時は不安に満ちた顔のドライバーだったが、「忘れ物だ」と料金を渡され、気絶しそうな程安堵の表情になった。国境の町クエバ・ネグラからの往復の運賃をもらい、ドライバーはロス・パハロス・ヴェルデスは想像したより怖くない人々なんだな、と思った。
 タクシーから降りた軍人の方も緊張の面持ちで早朝に指示された司令部の建物へ向かった。訪問者用入口でI Dを提示して名乗った。

「北部国境警備隊クエバ・ネグラ検問所警備班、ルカ・パエス少尉です。副司令のご指示で出頭しました。」

 彼を呼んだのはエルドラン中佐だったが、もし勤務交代の時間が過ぎていればトーコ中佐が副司令官室にいる。パエス少尉はどちらの中佐に会えば良いのか少し戸惑っていた。勤務交代すれば非番になったどちらの中佐も官舎へ入ってしまうのだと知っていた。受付の警備班将校は彼に副司令官室へ行くよう告げただけで、どちらの副司令官がいるのか情報をくれなかった。
 パエス少尉は緊張したまま通路を歩いた。太平洋警備室から国境警備隊への転属を命じられた時は、リモートによる指令で、サン・セレスト村から直接新しい任地へ赴いた。グラダ・シティに行くことはなかった。本部帰還は太平洋警備室に配属された若き日以来だ。だが訓練施設も警備班の宿舎も神殿の礼拝広間も全て鮮明に記憶に残っていた。

 あれから20年近く経っているのに、ここは全く変わっていない・・・

 彼はすれ違う事務官と何度か敬礼を交わし、副司令官室の前に立った。軍服の埃を払い、皺を伸ばし、背筋を伸ばしてからドアをノックした。「入れ」と低い声が聞こえた。
 パエス少尉が入室すると、そこにエルドラン中佐とパエスが知らないずんぐりとした将校がいた。ずんぐりした将校の肩章は少佐だ。中佐は座ったままだったが、少佐が立ち上がって自己紹介した。

「遊撃班指揮のセプルベダ少佐だ。楽にして座りたまえ。」

 パエス少尉は敬礼して、指された椅子に座った。エルドラン中佐が声を掛けた。

「遠路遥々来させてしまい、ご苦労だった。申し訳ないが、ゆっくり近況を聞く時間があまりない。レグレシオンを知っているな?」

 パエス少尉は頷いた。

「スィ。武器の密輸を行う恐れがあるグループの一つとして警戒しております。」
「そのレグレシオンが国内で爆弾を製造し、公共施設に仕掛けた恐れがある。既にシティ・ホールで7個回収したが、逮捕者達はまだ残っているのか、もうないのか、口を割らない。”操心”で自白させた爆弾がシティ・ホールのものだけだった。しかしまだ逮捕されていないメンバーもいる。」

 パエスは上官が彼に何を求めているのか理解出来ず、ただ無言で中佐の額を見つめた。

「君は機械いじりが得意だそうだな?」
「恐縮です。得意と申しますか、機械の方から私にどうすべきか伝えてくれる様な気分で触っています。現在の任務ではあまり使う機会がありませんが・・・」
「要するに、君は機械の光が見える訳だ。」

 エルドラン中佐の言葉にパエス少尉は黙り込んだ。”ヴェルデ・シエロ”に伝わる古い言葉で、「・・・の光が見える」と言うフレーズがある。ある特定の分野に秀でた人間は、その分野に関係する物質が発する光を見分けられると言うものだ。”ヴェルデ・シエロ”なら誰でも、と言うことではない。本当に名人級の職人でしか見えない、尊敬を込めた言葉だ。そして実際にその名人は光が見えるのだと言う。
 パエスがやがて尋ねた。

「私に爆弾を探せと?」

 エルドランは次に彼が言うであろう言葉を察していたので、先にそれを遮った。

「現場に君が行く必要はない。何処にあるのか、存在するのかわからぬ物を実際に出かけて行って探す必要はない。」
「では?」
「神殿の祈りの間で、探せ。」

 セプルベダ少佐が言葉を添えた。

「”名を秘めた女性”がお手伝いして下さる。」

 パエスは新たな緊張を覚え、全身に震えが来そうになって必死で耐えた。

「私に出来るでしょうか?」
「試してみなければわからぬ。だが、ケツァルとガルソンが、君なら出来ると推薦している。」

 パエス少尉は眉を上げた。驚いたのだ。

「ケツァル少佐とガルソン大尉・・・いや、ガルソン中尉が?!」

 既にセプルベダ少佐はドアまで歩いていた。

「直ぐに神殿へ行こう。”名を秘めた女性”がお待ちかねだ。」


 

2022/04/25

第6部  虹の波      14

  レストラン、フラウ・ルージュを出ると、テオと3人の大統領警護隊隊員はケツァル少佐のベンツの中に入った。しかし少佐はすぐにエンジンをかけることはせず、暫く座席の背もたれに体重を預け、ぼんやりフロントガラスの向こうの夜景を眺めていた。後部席に座ったアスルとテオも眠くなって、そのまま目を閉じたら落ちてしまいそうだ。ロホだけが腕組みをして何か考え事をしている風に助手席に座っていた。
 数分後にロホが口を開いた。

「私は建築学の勉強をしていないので、当てずっぽうで意見を言います。」

 少佐が囁いた。

「どうぞ。」

 テオは聞き耳を立てた。アスルは目を閉じたままだ。ロホはいつもの静かな口調で語り出した。

「古代神殿の七柱は崩壊の為に立てられたのではなく、神殿を支えるのが本来の目的だった筈です。だから、崩壊させなければならない事態に陥った時でなければ倒れない様に立てられていた。倒すためには、柱が倒れる順番が決まっていて、その順番通りに倒さなければならない。ただ7本全部を倒しただけでは神殿は崩れなかった。順番を守らずに倒して崩れなければ、他の柱も全て倒さなければならなかったのです。ですから、現在遺跡となっている神殿跡を見ても、七柱の仕組みを用いて崩壊させたのか、地震や故意に破壊して柱を無闇矢鱈折った結果崩壊したのか、判明しないのです。恐らく建設したマスケゴ族の技術を伝承された者にしか見分けがつかないでしょう。雑誌記者や過激派が遺跡を見ても七柱の仕組みなど解明出来ないのです。
 しかしレグレシオンは破棄工作に自信を持っていた様です。恐らく現代建築工学の観点から爆弾を仕掛ける場所を計算で出したのでしょう。我が国の憲兵隊は優秀です。”シエロ”でなくても仕事は完徹させます。彼等は昨日グラダ・シティ・ホールに仕掛けられた7個の爆弾を発見、解除しました。」

 え? とテオは驚いた。そんなニュースは聞いていなかった。その証拠にケツァル少佐が首を動かして部下を見た。

「私は知りませんでしたよ。」
「私も1時間前迄知りませんでした。」

とロホはケロリとして応じた。

「カサンドラ・シメネスが”心話”で教えてくれたのです。」

 へぇ、と寝ていた筈のアスルが声を出した。

「女性にモテるお方は得だね。」
「アスル!」

 ロホが後部席を振り返って睨みつけた。少佐が咳払いしたので、彼は慌てて前へ向き直った。

「レグレシオンは他にも爆弾を仕掛ける計画だった様ですが、憲兵隊の動きが早かったので、彼等のアジトで未完成の爆弾や材料を押収した様です。勿論、何処かに仕掛けられた物がないか、現在も逮捕者を追及中です。捜査もしています。」
「1個でも残っていれば大変です。」

 ケツァル少佐が考え込んだ。レグレシオンのメンバー全員を逮捕出来た訳ではないだろう。明確な組織構成を持たない過激派だ。取り逃したヤツもいると考えた方が無難だ。あんな得体の知れぬ敵を相手にする時、”ヴェルデ・シエロ”はどんな対抗策を用いるのだ?
 テオが思考の森に入りかけた時、少佐が何かを思いついた。

「そうだ、彼がいるではありませんか!」


第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...