2022/05/12

第7部 南端の家     7

  大統領警護隊遊撃班副指揮官カルロ・ステファン大尉は最後の銃弾が回収されたので、部下達に”感応”で全員集合をかけた。しかし、いつも優等生で時間に遅れたことがないファビオ・キロス中尉がまだ来ていなかった。隣で同じく部下達を集合させた警備班第7班と第8班のリーダー達も、ヒソヒソ話していたので、ステファンはそちらへ顔を向けた。

「戻って来ない部下がいるのか?」

 第8班のリーダー、アダベルト・ロノイ大尉が認めた。

「第8班のビダル・バスコ少尉がまだ戻らない。」

 そう言えば目立つ肌の色をした兵士がいないな、とステファン大尉は気が付いた。彼はキロス中尉とよくコンビを組むグワマナ族のデルガド少尉を振り返った。

「デルガド、キロスとバスコを見かけなかったか?」

 通常野外活動する場合は所属班に関係なく2人1組で行動することが原則になっていた。デルガドはキロスと一緒にいた筈だ、とステファンは思い出した。デルガドが答えた。

「半時間前迄中尉と一緒にいました。バスコ少尉は見かけませんでしたが、鳥真似で呼ぶ声が聞こえたので、それが少尉だったのかも知れません。中尉が様子を見てくると言われて、私から離れられました。数分後に、中尉が、川へ行くから先に戻れと声をかけられましたので、私は戻りました。」
「川へ行くと言ったのか?」

 ステファン大尉は少々困惑してロノイ大尉を振り返った。この近辺で川と言えば、カブラロカの遺跡がある渓谷から流れ出る細い流れだけだ。集合場所から徒歩で1時間近くかかる。ロノイ大尉がデルガドに尋ねた。

「バスコ少尉も同行したのか?」
「それが・・・」

 デルガド少尉は”心話”を上官に求めた。ステファン大尉とロノイ大尉はそれに応じ、デルガド少尉が薮の向こうから聞こえた音声を2人の上官に伝えた。ロノイはそれを第7班のリーダー、クレメンテ・アクサ大尉にシェアした。
 バスコ少尉とキロス中尉は「子供」に出会い、その子供を追いかけて行ったと思われる会話が、デルガド少尉には微かに聞き取れた。
 ステファン大尉は腕時計を見た。本部へ帰投する門限はないが、予定より遅れるのであれば連絡を入れなければならない。
 ステファンはロノイ大尉とアクサ大尉に言った。

「私がデルガド少尉とここに残る。貴方方は部下をデランテロ・オクタカス迄連れて引き上げてくれないか?」

 2人だけで大丈夫か?とは誰からも訊かれなかった。彼等は全員”ヴェルデ・シエロ”だ。都会育ちの者もいるが、厳しい訓練を受け、選別された優秀な兵士ばかりだ。森の中での活動も既に何度も体験している。互いに相手の能力を疑うことをしなかった。指揮官達が心配するのは部下を無駄に消耗させることだけだ。アクサ大尉とロノイ大尉は承知した。遊撃班10名も連れて帰るのだ。

「車を1台残しておく。2000迄に君達が戻らなければ、本部に連絡する。」

 アクサ大尉がジープを1台目で指した。ステファン大尉は頷いた。アクサ大尉が指揮官同士だけに聞こえる声で言った。

「いかなる理由であれ、集合に遅れるのは懲罰ものだ。キロスとバスコには後で全員にビールを奢らせる。」

 ステファンとロノイは吹き出し、頷いた。


2022/05/11

第7部 南端の家     6

  隠れん坊と言えば子供の遊びを連想するが、大統領警護隊の隠れん坊は軍事訓練だ。遊撃班の隊員の半数13名と警備班の2班がジャングルの中で隠れん坊をしていた。警備班にとっては半年に一度の野外訓練だ。森の中に築いた「砦」を守り、遊撃班の攻撃を防ぐ訓練だ。遊撃班の方は半数ずつ交代で2ヶ月に1回行っているから手慣れている。仲間とは言え、手強い相手だ。そして勿論、彼等は実弾を用いる。自然保護の観点から迫撃砲使用は3回迄と決められているが、何時撃って来るかわからないので、警備班は気が抜けない。
 その時、2日間の訓練に参加した警備班は第7班と第8班だった。第8班はこの野外訓練が無事終了すれば2ヶ月の休暇に入る。だから彼等は張り切っていた。ヘマをして休暇が延期されては堪らない。
  第8班のビダル・バスコ少尉も緊張と希望で張り詰めた気分で砦の搦め手を守っていた。休暇をもらったら、実家の母親とボーイフレンドをメキシコ旅行に連れて行く計画だった。母親と彼氏は町医者だ。地域の住民の健康を守り、親身になって治療を行う医者だ。ビダルにとって自慢の”両親”だった。昨年ビダルの弟ビトが突然非業の死を遂げ、母親に過大な心の負担をかけてしまった。そばにいてやりたかったが、大統領警護隊から与えられた臨時休暇だけでは足りないと彼は感じていた。母親の彼氏が母親を支えてくれたことに心から感謝した彼は、2人にも休暇を与えたかった。この訓練に失敗は許されない。彼はそう心に言い聞かせていた。
 陸軍航空部隊のヘリコプターが上空を通過した時、大統領警護隊は1日目の訓練に入っていた。遊撃班が砦を攻撃し、警備班が死守する訓練だ。突貫工事で築かれた砦は銃弾と砲撃で壁を穴だらけにされてしまったが、警備班は遊撃班が壁の内側に入り込むことを辛うじて防ぐことに成功した。3名が負傷したが、軽傷で済んだ。ビダルも迫撃砲の爆風を喰らったが、どうにか結界を張って近くにいた仲間共々無事に1日目を過ごせた。
 夜は夜襲に備える訓練で、碌に眠れなかった。効率的に休息を取る訓練だ。夜襲をかけてきたのは、彼等警備班のリーダー2名を含む上官チームで、人数は少ないが半端なく手強かった。なんとか砦の真ん中の「女神像」代わりのコカコーラのボトルを死守した。あと30センチの距離で部下達に押さえ込まれた上官は苦笑した。
 
「コーラのボトルの前に花なんか供えるなよ、モロに障害物になっているじゃないか。」

 一同は疲れていたが、爆笑した。
 2日目は規定範囲内のジャングルに隠れた遊撃班を警備班が探し出して捕らえる訓練だった。度重なる訓練で森を知り尽くした遊撃班を見つけ出すのは難しかった。一度など、本物のマーゲイを遊撃班のエミリオ・デルガド少尉のナワルだと勘違いして捕まえたら、手酷く引っ掻かれた警備班隊員もいた。デルガドは変身などせずに高い木の上で静かに座っていただけだった。
 昼過ぎに訓練は終了し、大統領警護隊は散らばった銃弾や薬莢の回収を開始した。カウントを間違えると面倒なことになるので、全員真剣だ。迫撃砲弾の破片も残らず回収だ。
 1時間かけて作業して、最後の一発を全員で探していると、ビダルの視界に不自然に動く藪があった。彼はライフルを肩から下ろし、構えた。気を抑制し、静かに藪に近づいた。木の枝をかき分けた途端に、泥の塊が飛んできた。彼は際どい距離でそれを空中で砕いた。泥が飛び散った。安心する間もなく、次の塊が飛んで来た。ビダルは怒鳴った。

「止めろ!」

 視界の中に子供がいた。泥だらけの顔で、無表情のまま、手に泥を掴んでいた。男の子、年齢は7、8歳か? 先住民だが、こんな奥地に村があっただろうか? 村がないから実弾演習の場所として幹部はこの森を選んだ筈だが。
 ビダルは子供に銃口を向けたくなかったが、ゲリラは子供でも殺人者に仕立て上げる。だから彼は銃を向けて話しかけた。

「大統領警護隊だ。君はどこから来た? 名前は?」

 子供はぎゅっと口を結び、泥を握る手を挙げたままだ。ビダルは気がついて銃を下ろした。

「泥を投げなければ、撃たない。君は誰だ?」

 だが子供の顔に浮かんだ怯えは消えなかった。ビダルは思った。彼の黒い肌が子供を怯えさせているのではないか、と。彼は応援を呼んだ。鳥の囀りに似た声だが野鳥ではない、そんな甲高い音を喉から発した。子供は荒い息をしながら彼を睨みつけたままだった。

「どうした?」

 微かな足音の後で、男の声がビダルの背後から聞こえた。”ヴェルデ・シエロ”の言語だ。ビダルも同じ言語で答えた。

「子供がいる。名前を聞いたが答えない。私の肌の色に怯えている様だ。」

 間もなく彼の横に遊撃班の隊員が姿を現した。ファビオ・キロス中尉だ。彼は子供を確認し、ビダルをチラリと見た。スペイン語で話しかけた。

「脅かすようなことを言ったか?」
「ノ。銃を向けただけです。だが、森でいきなり私の様な風貌の男が現れたら、びっくりするでしょう。」
「別に君の姿は珍しいものじゃない。」

 キロス中尉は子供に1歩近づき、腰を屈めた。

「大統領警護隊だ。泥を捨ててこっちへ来なさい。」

 しかし、返答は彼の顔めがけて飛んで来た泥の塊だった。キロス中尉はそれを空中で破壊したが、飛沫を避けきれなかった。その隙に子供が背中を向けて走り出した。ビダルは追った。


2022/05/09

第7部 南端の家     5

  トロイ家の殺人事件(と勝手にアスルは決めた)は警護の兵達には通知されたが、学生達には秘密に臥された。ンゲマ准教授にだけは秘密にしておけないので、アスルとアレンサナ軍曹は持っている情報だけを伝えた。ハイメ・ンゲマ准教授はまだ30代前半だが、老成した風貌で、実際落ち着きのある男だった。黙って事件発生の話を聞き、それから警護兵達に質問した。

「学生達の安全の為に、一旦発掘隊を引き上げさせるべきだろうか?」

 アスルは今回の発掘の為にンゲマと学生達が周到に準備と計画を繰り返し確認し、資金も自分達で調達した努力を知っていた。

「遺跡と野営地を決して離れない、我々の目の届く場所から出ない、それを守ってもらえれば、我々は調査中止を強いることをしない。」

 遠回しのセルバ流の言い方だ。中止したかったらすれば良い、続行するならすれば良い、どちらでも良いぞ、と調査隊に判断を委ねる言い方だった。
 ンゲマもがむしゃらに研究を重視して学生の命を疎かにする男ではなかった。彼は約束した。

「警護側からの言いつけを学生達に守らせる。一人でも違反すれば、その時点で、中止を申し渡してくれて結構。」

 流石にムリリョ博士とケサダ教授の一番弟子だ、とアスルは感心した。無理を通して発掘許可を取り消されることを恐れている。学生達を危険に曝して大学から追放されたくない。彼自身の名誉にも関わることだ。セルバでは、目下の者、年下の者、弱い者を守れない男は男ではない、と言う風潮がある。それは力を用いて闘うことだけでなく、その時の判断能力も含めていた。ンゲマが今迄都市近郊の安全地帯ばかりを掘っていたのも、ゲリラの出没が一時期活発になっていたからだ。彼が都会から離れた場所へ行く時は、大概師匠達と一緒だった。彼は知らないが、師匠は2人共”ヴェルデ・シエロ”だ。
 学生達の管理をンゲマに任せ、アスルとアレンサナ軍曹は警戒を強化した。密かに遺跡周辺にトラップを仕掛け、森から近づく者があれば音が鳴るようにしたり、足を輪で捉えて樹上に跳ね上げて捉える罠を置いた。

「外から来る人間だけでなく、言いつけを破って出かける学生も捕まえられますね。」

とアレンサナが愉快そうに言った。アスルもちょっと学生達に意地悪してみたい気分で頷いた。彼も2年程前はグラダ大学考古学部の学生だった。通信制だったので学生として発掘に参加したことはなかったが、ケツァル少佐やステファン、ロホに付いて監視業務に就いたことがあった。学生達は年上で裕福な家庭の子供達だ。小柄で純血先住民のアスルはよく揶揄われた。大統領警護隊の恐ろしさを知らない若者達の奢りを、アスルは経験した。だが、アスルはオクターリャ族の英雄だ。僅か12、3歳で100年近い過去に時間跳躍して伝染病で死に絶える寸前だった村を救った一族の英雄だった。彼は忍耐を学んでいた。世間知らずの学生達が「ガキ」に見えたので、相手にしなかった。当時の学生達と、今彼が護衛している学生達は違う人々だ。しかし時々学生達は規則破りスレスレの行為で警護兵達をドキリとさせる。だからアスルは彼等にちょこっとお灸を据えたかった。
 アデリナ・キルマ中尉がやって来た日の夕刻、アレンサナが仕掛けた輪罠で野豚が獲れた。豚は直ちに兵士の手で解体され、その夜の夕食の材料になった。アスルは肉とスープの容器を受け取り、ンゲマ准教授のテント前へ行った。准教授は発電機を使って電灯を灯し、遺跡の背後にあるメサの洞窟を撮影した写真をテーブルの上に並べていた。アスルはテーブルの端っこにスープの容器を置いた。ンゲマが彼に気づいて顔を上げた。

「サラか?」

 アスルの問いに彼は頷いた。

「まだ天井の開口部を見つけていないが、必ずある筈だ。明日、洞窟の中に入ってみる。」

 完璧なサラを発見することが彼の悲願だった。過去に発見されたサラの遺構は全て審判の部屋の部分が崩落していた。故意に爆破で崩されたオクタカスのサラ以外は、放棄された後長い年月の間に天井部分が脆くなり、自然に崩落したのだ。

「開口部を見つけてからにした方が良い。」

とアスルは反対した。

「天井部分の状態を確認して、問題ないと思ったら洞窟に入ると良い。中に入って天井が崩れたら、逃げ場を失って大怪我で済まなくなる。」
「だが、今は屋根の部分へ登るのは御法度だろ? 殺人犯がいるかも知れないんだ。」

 メサの上部はアスルが定めた警護範囲の外になるのだ。アスルは警護範囲を広げるつもりなどなかった。陸軍兵達を疲れさせることは出来ない。

「後3日、我慢して欲しい。食糧調達の日に村から業者が来るだろう? その日に罠などを除いておく。」

 ンゲマは一瞬不満げな顔をしたが、理性で押さえ込んだ。相手が大統領警護隊だから我慢するのではない。自分達がジャングルの僻地にいて、近くで殺人事件が発生して、犯人が捕まっていない、そんな状況下にいることを理解していたからだ。

「わかった。洞窟は逃げたりしない。中尉の言に従う。」


第7部 南端の家     4

  特殊部隊の第17分隊長アデリナ・キルマ中尉が発掘隊のキャンプを訪れたのは、その翌日の午前遅く、昼近くになってからだった。アスルは彼女が現れる前に、陸軍のトラックと憲兵隊のバンが1台ずつ、ジャングルの中の小道を走って渓谷入り口の一軒家へ来たことを知っていた。トラックは前日ヘリコプターから降下した特殊部隊員達を乗せて帰るための車両だ。バンは憲兵隊の鑑識だろう。
 キルマ中尉は一人でジャングルの中の一本道を歩いて遺跡近くのキャンプ迄歩いて来た。兵士と言えど単独行動は慎むべきなのだが、彼女は”ヴェルデ・シエロ”だったので、屈強な男性兵士より強かった。勿論彼女の部下達は分隊長の正体を知らない。
 中尉はキャンプ地の警護をしていた陸軍警護班の兵士と少し話し、それからアスルが昼食のために尾根から下りて来る迄待っていた。彼を呼ぶために”感応”を使ったりしなかった。”ティエラ”の中で生きる”シエロ”は、極力超能力の使用を避ける傾向がある。使わない方が正体がバレないからだ。アスルは今でも兵士として優秀な彼女が何故大統領警護隊のスカウトによる選から漏れたのか、理由がわからない。彼女も語らない。
 アスルが現れると、彼女は敬礼で迎え、それから言葉で告げた。

「我々の任務について説明したいことがあります。」

 彼女がアレンサナ軍曹を見たので、アスルは人払いではなく、軍曹にも聴かせておいた方が良い、と彼女が言いたいのだと判断した。それで軍曹を手招きして、彼女のそばへ行った。
 アスル、アレンサナ軍曹、そしてキルマ中尉の3人は、他の人々から少し距離を置いて立った。

「渓谷の入り口にあるトロイ一家をご存知ですね?」

とキルマ中尉が尋ねた。アスルとアレンサナは頷いた。

「家の前を通ったからな。だが挨拶程度で住民と会話を交わした覚えはない。ここで野営を始めてからあの家に行った者は、この発掘隊では一人もいない筈だ。」
「ここに到着してから今日で4日目です。食糧補給は3日後になっています。」

 アスルとアレンサナが順番に言うと、キルマ中尉がちょっと考えた。そしてやっと核心に触れた。

「2日前の午後、この界隈を行政的に管轄するセラウ村の村長に通報がありました。トロイ家で人が死んでいると言うものでした。通報者は隣の家・・・車で20分かかりますが・・・の男で、トウモロコシの取り入れと搬送の相談に訪れたところ、家の中でトロイ家の人々が死んでいるのを発見したと言うことです。」

 アレンサナ軍曹がアスルを見た。若い軍曹の目に不安の色を認めたアスルは、黙ってキルマ中尉に視線を戻した。アレンサナはアスルより7歳年上だが、今迄都会に近い安全地帯で発掘隊の警護業務をして来た。こんな秘境で働くのは初体験だから、不安を感じたのだ。アスルは”心話”でキルマに注意した。

ーー”ティエラ”達を怖がらせるなよ。
ーーわかっています。

 キルマ中尉はアスルより、アスルの上官のケツァル少佐より年上だが、それでもまだ30歳になっていない。だが入隊以来ずっと”ヴェルデ・ティエラ”の世界で勤務しているので、部下の扱いは十分心得ていた。大統領警護隊は陸軍より格上だと言っても、アスルは9歳近く年下だ。彼女はちょっと気分を害したが、感情を表に出さなかった。
 彼女は続けた。

「死体の状況の説明は省きますが、刃物傷で、成人男性2名、女性1名が死んでいました。殺人と思われます。現在現場の鑑識作業を憲兵隊が行っています。」
「わかった。」

 アスルは頷いた。だがキルマの報告はまだ終わりでなかった。

「トロイ家では、14歳と7歳の息子がいるのですが、その子供達が行方不明です。」

 アスルとアレンサナが彼女を見つめた。

「子供が行方不明?」
「逃げたんじゃないですか?」
「そうだと良いのですが・・・」

 キルマ中尉が悩ましげな表情で樹木の上の方を見ながら言った。

「子供を誘拐する目的で親を殺害したと言う考えを憲兵が示しました。ゲリラが兵士を養成する為に未成年者を攫うことがあると隣国から情報が来ていたそうです。」
「隣国のゲリラ?」
「我が国のゲリラ活動は最近沈静化していますので、隣国から越境して来た可能性を捨てきれません。」

 キルマ中尉は溜め息をつき、アスル達に向き直った。

「もし、子供を見かけたら、保護をお願いします。怯えて隠れている可能性もありますので、慎重に願います。」
「承知した。」

 アスルとアレンサナ軍曹はキルマ中尉に敬礼し、キルマ中尉は昼食の支度をしているテントから漂ってくる美味しそうなスープの匂いを背に、森の小道を戻って行った。
 アレンサナ軍曹が呟いた。

「あの中尉は一人でジャングルの中を歩いて来たんですかね?」

 アスルはその言葉を無視して彼に早めに昼食を取るように、と言った。

「飯を食ったら、遺跡周辺をもう一度歩いて侵入者や隠れている者がいないか確かめてみよう。」



2022/05/08

第7部 南端の家     3

  ヘリコプターが一旦飛び去った。学生達が少し落ち着かない様子だ。あまり遠くない場所で何かが起きていると察したのだ。ンゲマ准教授は若者達に声をかけ、調査への注意が散漫にならないよう気を引き締めにかかった。アスルは尾根に戻った。低い尾根だから登るのにも下るにも時間はかからない。遺跡から学生達が掛け合う声が聞こえていたが、南の森からも特殊部隊の兵士の声が聞こえた。大声を出しているから、所謂作戦ではない。事件捜査の手伝いだ。アスルは耳を澄ませた。学生の声が邪魔だが、どうにか兵士達の会話を断片的に聞き取れた。死体の数を数えている。一軒家の家族に何かとんでもない不幸が起きた様だ。
 一軒家の家族は友達ではないし、発掘隊と何らかの接触があった訳でもない。遺跡へ来る途中、家の前を通過しただけだった。細い轍だけの道が家の前を通っている、それだけだ。畑は家から少し藪の中を歩いて行かねばならない場所にあり、そう言う位置関係は珍しくない。古くからの農民には訪問者に大事な畑を見せない習慣がある。だから都会から来た学生の中には、家だけ見て、どうやって暮らしているのだろうと素朴に驚きと疑問を抱く者もいた。
 それだけの接点しかない人々の身に何か良くないことが起きたとしても、発掘隊や護衛部隊に責任はない。だがすぐ近くで起きたことは、気持ちの良いことではない。
 アスルは無視しようかと思ったが、心がざわついた。以前はそんな経験をしなかった。テオドール・アルストと付き合い出してから、彼の心に変化が起きたのだ。”ヴェルデ・シエロ”でなくても仲間になれる。仲間でなくても守りたくなる人はいる。例えば、ジャングルの奥地で細々と家族を養っている人とか・・・。
 無線機からンゲマ准教授がアスルを呼ぶ声が聞こえた。アスルは無線機を手に取った。

「何か用ですか?」
ーー学生達が落ち着かない。渓谷の入り口で何かあったのだろうか?

 落ち着かないのは准教授もだろう、とアスルは思った。発掘隊の責任者としてンゲマは学生達の安全を守る義務がある。彼は軍隊が動いたので、反政府ゲリラを心配しているのだ。アスルは過去に何度もンゲマの発掘調査隊の護衛と監視をしてきた。ンゲマ准教授は古代の裁判方法である”風の刃の審判”に用いられたサラと呼ばれる円形洞窟型の完全な原型を探している。求める物が洞窟の奥にあるので、もしその中に入って調査している最中にゲリラに襲われたら逃げる場所がない。だからンゲマは治安が不安定な地方を極力避けて場所を選んできた。アスルにとって、仕事がやりやすい考古学者だった。しかし、今回のカブラロカ遺跡はンゲマにしては珍しく辺鄙な場所だ。最寄りの街まで車で1時間以上かかるし、携帯電話が繋がらない。先住民も、渓谷の入り口の一軒家の家族だけで、人がいない。ゲリラが出たと言う噂さえなかった。人間がいない場所で、軍隊が現れた。だからンゲマは神経質になっていた。
 アスルは無線機に向かって言った。

「陸軍は我々がここにいることを知っています。何か良くない事態が起きれば、連絡が来ます。先生は我々に全てを任せて、発掘を続けて下さい。」

 ざーっと雑音の後、ンゲマが「わかった」と応えた。そして雑音が途絶えた。
 アスルは渓谷の入り口を見た。樹木の揺れは収まっていた。ヘリコプターから降下した特殊部隊も憲兵も姿は見えなかった。しかしアスルは木々の下で10名ばかりの兵士が動き回っているのを感じていた。

2022/05/07

第7部 南端の家     2 

  カブラロカ遺跡の発掘が始まって2日目、再び川下が騒がしくなった。今度は昼間だった。尾根の監視場所にいたアスルは北東の空からヘリコプターのローターの回転音が近づいて来るのを耳にした。乾季と言えど熱帯雨林地方では空が快晴と言う時間は長くない。必ず雲がどこかに浮かんでいる。その雲の切間からヘリコプターが飛んで来るのが見えた。あれは陸軍のヘリコプターだな、と彼は判別した。特殊部隊を任地へ輸送する機体だ。セルバ共和国は空軍よりも陸軍の方が最新鋭の機体を所有している。どちらの軍幹部の方が政府に対して強い発言力を持っているか鮮明にわかる。
 しかし陸軍特殊部隊がこの周辺で何の用だろう。アスルは遺跡をチラリと見た。ンゲマ准教授と10人の学生、それに交代で護衛に就いている陸軍警護班の兵士3人が木々の間で動き回っているのが見えた。夜間の歩哨に就く2人はテントの中で寝ていた。警護班長のデミトリオ・アレンサナ軍曹が空からの音に気が付いて動きを止めたのが見えた。北東の空を見上げ、音の正体を見極めようとしている。
 アスルは再び空に視線を向けた。ヘリコプターが渓谷の南の入り口近くへ降下して行くところだった。あの辺りにヘリコプターが着陸出来る空き地があっただろうか。樹木がざわついていた。その頃になってやっと発掘隊や他の兵士達も音が聞こえる方へ顔を向けた。
 ヘリコプターからロープが降ろされ、兵士が数名降りて行くのが見えた。最後に降りた兵士は白いヘルメットを被り腕に白い腕章を付けていた。憲兵だ。
 アスルは胸がざわついた。憲兵がこんな森の奥にどんな要件があってヘリコプターで飛んで来たのだ? 渓谷の入り口には確か民家が一軒あった。最寄りの別の民家との距離は定かでなかったが、隣人と行き来する時はトラックで20分ばかり走ると言っていた。老人と息子夫婦、それに10代の息子ともっと幼い息子の2人の子供が暮らしていた。カブラロカ遺跡がまだ生きた街であった時代に作られた畑を、いつの時代からか受け継いで細々と農業を営んで暮らしていた慎ましい先住民の一家だ。彼等の家がある辺りに、ヘリコプターから憲兵と陸軍特殊部隊が降下して行ったのだ。
 アスルの背後で無線機から彼を呼ぶ声が聞こえた。アレンサナ軍曹だ。アスルは遺跡を見た。アレンサナ軍曹が片手を上げて合図を送って来た。アスルも片手を上げて応えると、ライフルを手に取り、崖道を駆け降りて行った。
 アレンサナは大統領警護隊が到着するのを待ちきれなかったのか、それとも発掘隊に聞かれたくない話を入手したのか、メサの麓まで走って来た。

「中尉、特殊部隊が渓谷の入り口に降りて来ました。」

 わかりきった情報だった。アスルは頷いた。

「俺も見た。憲兵も一人混ざっていたぞ。」
「え、憲兵もですか?」

 アレンサナがいた場所からは樹木が邪魔でよく見えなかったらしい。

「連絡を取ってよろしいですか?」
「構わない。」

 アスルの許可を得て、アレンサナは衛星電話を取り出した。彼がかけたのは、一番近いデランテロ・オクタカス飛行場だった。ローカルな小さな飛行場だが、セルバ空軍や陸軍航空部隊の基地がある。カブラロカまでヘリコプターを飛ばすなら、デランテロ・オクタカスが一番近い発着地点だ。アレンサナ軍曹はそこの陸軍航空部隊にヘリコプターがカブラロカ渓谷へ飛んで来た理由を尋ねた。何らかの軍事作戦であれば返答はないだろう。しかし基地はあっさり理由を教えてくれた。

ーー司法警察から出動要請があった。森の中の一軒家で事件が起きているらしい。
「事件ですか?」

 アレンサナはちょっと困ってその場の上官になるアスルを見た。アスルは黙って聞き耳を立てていた。先方はあまり多くを語らなかった。

ーー発掘現場に影響はないと思われるが、詳細はまだ不明だ。何かあればこちらから連絡する。エル・パハロ・ヴェルデにもそう伝えておけ。

 通話を終えたアレンサナは、またアスルを見た。アスルは肩をすくめた。

「向こうも何が起きているのか、まだわからないのだ。俺達は発掘隊を守っていれば良い。」

 何かあれば守護者として大統領警護隊がみんなを守る。アスルの落ち着いた様子を見て、アレンサナは敬礼で応えた。

2022/05/06

第7部 南端の家     1

  カブラロカ遺跡は細長い渓谷の奥に存在する、セルバ共和国で一番「秘境」っぽい場所にある遺跡だった。オクタカス遺跡よりティティオワ山よりで、山の南側、火山からの溶岩で形成された5本の脚の様な尾根と尾根の間にある渓谷の奥だ。ティティオワ山の噴火は有史以前のことなので、溶岩の山も今は土を被り植物が覆っている。ジャングルとは少し植生が異なるが、素人が見れば密林だ。それぞれの谷間に水の流れがあり、カブラロカ遺跡は一番水流が多い川の上流にあった。雨季は川が増水するので、今迄存在を知られていても近づく人が殆どいなかった遺跡だ。近寄り難い場所にあるので、要塞か宗教的施設かと想像されていたが、近年そうではないらしいと言う見解が出て来た。土地が狭いので建造物は少なく規模も小さいが、オクタカス遺跡とよく似た形状で建物が配置されており、地形的にもオクタカスと似ていた。遺跡のすぐ背後にメサがあって、洞窟があったのだ。
 グラダ大学考古学部准教授ハイメ・ンゲマは学生10人と共に雨季が終わるとカブラロカに足を踏み入れた。陸軍警護班5名と監視役の大統領警護隊文化保護担当部キナ・クワコ中尉も一緒だった。
 ンゲマは最初に川から離れた高い場所にベースキャンプを設置した。遺跡のそばで寝泊まりしたいが、川のそばが危険だと言うことを常識として知っていた。スコールで増水すれば学生達の命を危険に曝しかねない。それに水辺は動物が集まって来る。危険生物との接近遭遇や生態系へ影響を及ぼすことを避ける目的もあった。
 キナ・クワコ中尉、通称アスルはンゲマが扱いやすい学者だと認識していた。”ヴェルデ・ティエラ”だから、何か不都合なことがあれば”操心”で操れるし、セルバ人の常識を持っている。それに師匠はセルバ考古学の重鎮だから、発掘のマナーもみっちり仕込まれていた。
 初日にキャンプを設置してしまうと、ンゲマ准教授はアスルと陸軍警護班のデミトリオ・アレンサナ軍曹を連れて遺跡を一望出来る尾根へ登った。2人に地図を渡し、発掘作業を開始する場所と後に拡張する範囲を説明した。警護する者にとって有り難いことだった。アスルはオクタカスでもメサの上から監視出来たことを思い出し、その場所を己の持ち場と決めた。

「今日から2週間作業をして、1週間大学に戻り、また2週間作業して、と繰り返す予定です。」

 ンゲマの説明に、アレンサナ軍曹が頷いた。軍隊の休日ではないが、部下達を近くの街へ引き上げさせて休ませることが出来る。国内の研究機関の護衛を引き当てると、この手のサイクルで仕事をしてくれるので、軍隊としても嬉しいのだ。外国の発掘隊だとこうはいかない。乾季の持ち時間ギリギリまで発掘を続けるので、護衛部隊もずっと現場にいなければならないのだ。アレンサナは己の籤運の良さに感謝した。
 監視役のアスルはンゲマ准教授の発掘隊が完全に作業を終了させる迄担当の遺跡から目を離せない。ただ発掘隊が大学に戻っている間はリラックス出来るので、彼もグラダ大学のスケジュールを歓迎した。
 暗くなる前に学生達と兵士達が食事の支度と翌日からの作業の準備に入った。発掘隊の規模が小さいので、護衛も一緒に食べる。2名を歩哨に残し、一行は寛ぎの時間に入った。アスルは料理の皿を受け取ると、目をつけておいた木に登って、枝にまたがる形で座り、食事をした。自ら料理して仲間に振る舞う腕前の彼にとって、「稚拙な味」だったが、決して文句は言わない。監視業務に就いている時は料理をしないのだから、他人の作った物に我儘を言わないことにしていた。
 グラダ・シティの家は、アスルが監視業務でグラダ・シティを離れている間は、空き家だ。借主のテオドール・アルストが時々様子を伺いに戻って来るが、テオはもうケツァル少佐のコンドミニアムに引っ越してしまっており、家賃だけ家屋の所有者に支払っている状態だ。アスルは部屋代をテオに払うが、家の借主の権利は持っていない。少佐からテオに代わって借主になれとせっつかれている。しかしアスルは固定した家を持つ気分にまだなれないでいた。テオの家の居候と言う立場が一番気楽なのだ。そして、他の家に移ろうと言う気持ちにもなれないでいた。

 いっそのこと、ロホが引っ越して来れば良いんだ。

と彼は思った。寝室とダイニング兼リビングしかない狭いアパートより、広くないが寝室2部屋にリビングとダイニングがあるテオの家の方が、将来ロホに必要となるだろう。それとも旧家の息子らしくロホは結婚したらどこか大きな家を手に入れるのだろうか。

 家の交換を持ちかけてみようか?

 ロホが現在住んでいるアパートは、かつてカルロ・ステファンが住んでいた。だからあのアパートならアスルも引っ越して構わないと思った。
 アスルが空になった皿を片付けるために木から降りた時、川下の方向で鳥が騒いだ。陽が落ちて暗くなっていた。だが確かに鳥が騒いでいた。群れで夜を過ごしていた鳥達がいる茂みで何かがあったのだ。
 アスルがその方向を見て立っていると、アレンサナ軍曹がそばに来た。

「鳥が騒いでいますね。」

と軍曹も気になるのか、話しかけてきた。この軍曹は夜目が利く。かなり薄いが”ヴェルデ・シエロ”の血を受け継いでいるのだ。もう”心話”や”感応”は使えない、ほぼ99パーセント”ティエラ”だが、暗闇の中でも目が見えた。当人は先祖に”ヴェルデ・シエロ”がいるなんて夢にも思っていないだろうが。アスルは鳥の巣を何かが襲ったのだろう、と呟いた。

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...