2022/08/14

第8部 贈り物     22

 「教えて頂きたいのです。」

とケツァル少佐がパソコンの机にもたれかかって言った。

「前回、貴方がネズミを手に入れた時、どこであの呪いの使い方を教わりましたか?」

 バルデスが一瞬固まった。彼女の顔を見て、それからタブーを思い出して慌てて目を逸らした。

「貴女がネズミを回収された時に話すべきでした。」

とセルバ共和国の経済界の実力者である男が小さな声で言った。

「あの時、私はネズミの威力の恐ろしさと強さに恐怖し、あなた方の偉大な力に畏敬の念を感じる余り、救いを求めていたことを正直に語れませんでした。そして部下達の手前、弱みを見せられなかった。」
「そんなことはこの際どうでも良い。誰からアーバル・スァット様のことを教えられたのです?」
「私は、ロハスから聞きました。」

 少佐が顔を顰めた。ステファンも不機嫌に鼻を鳴らした。バルデスは彼等を怒らせまいと、慌てて説明した。

「当時、私はアンゲルス社長の従業員達に対する冷たい扱いに憤っていました。見かねて諌めようとしたのですが、逆に忠誠心を疑われ、危うくクビになるところだったのです。モヤモヤした気分でバルで飲んでいた時に、隣にやって来た女が声をかけて来ました。私も余り綺麗な経歴の男ではありません。裏社会の有力者の顔や噂は知っています。彼女が盗掘や麻薬密売を生業にしているロザナ・ロハスであることは、すぐわかりました。
 彼女は私に、何か不満を抱えているのですね、と話しかけて来たのです。勿論、私は彼女に胸の内を明かすつもりはありませんでした。適当に曖昧な返答をしていると、彼女がこう持ちかけて来たのです。
『先住民が大昔憎い相手を懲らしめるのに用いていた呪いの石像があります。呪いをかけるのは簡単です。懲らしめたい相手のそばにその石像を置いておくだけです。但し、貴方は決してその石像に近づいてはいけません。』
 私は彼女に尋ねました。
『近づけない物をどうやって憎い相手のそばに置くのか?』と。
 彼女は言いました。
『相手の住所を教えてくれたら、私が手配してその人の家に送りつけます。』と。」

 ステファン大尉が少佐を見た。少佐は宙を眺めていた。
 バルデスがウィスキーをちびりと口に入れて続けた。

「俄に信じられない話です。私は黙っていました。すると彼女はこんなことを言いました。
『私は偶然呪いの力が強い神様の石像を手に入れましたが、その力の大きさを持て余しています。神様を鎮めるには生贄が必要で、適当な人間を探しています。』
 私は尋ねました。生贄は処女でなければいけないのではないか、と。彼女は何でも良いと答えました。
『私が手に入れた神様は老若男女誰でも構わないのです。満腹にさえなれば、静かになります。』」

 少佐がバルデスをジロリと見た。

「貴方がその呪いの神像を譲り受けた見返りは何だったのです?」
「何も・・・」

とバルデスが肩をすくめた。

「信じて頂けないでしょうが、ロハスは私に何も求めませんでした。何故なら、私はそのバルで彼女に、神像は要らない、と答えたからです。」
「貴方は断ったのですか?」
「断りました。呪いの神像など、信じられなかったし、万が一本物だったら、それは恐ろしい罪です。神様が私を無事に解放すると思えません。私が憎む相手を呪い殺して、私にも祟りが降りかかるでしょう、他人を呪うとはそう言う危険な行為です。」

 アントニオ・バルデスは、神の祟りを本気で信じていた。だから、丘の上の豪邸を引き払ったのだ。ステファン大尉が質問した。

「貴方が断ったのにロハスはアンゲルスに神像を送りつけたと言うことですか?」
「スィ。」

 バルデスは頷いた。

「あの女は社長の屋敷に荷物が届いた日に私に電話を掛けて来ました。
『神様が貴方の社長の家に到着しましたよ。貴方はあの社長と仲違いしていたでしょう? 神様が貴方に代わってあの社長を始末してくれます。貴方は呪いが鎮まった時に、神像を元の場所に返して下されば良いのです。』」

 彼は残った酒をクイっと飲み干した。

「要するに、あの女は、盗んだ神像を持て余して、私がアンゲルス社長との間に問題を起こしたことを聞きつけ、私に神像を押し付けたんですよ。自分では処分の方法がわからないから。」

 彼はお代わりを注いだ。

「案の定、彼女は呪いを受けて、あなた方に逮捕された。噂で聞いています。神像をアンゲルスの屋敷に送りつけた後、あの女は仕事で失敗続きだったんです。あの方面のビジネスは、失敗すると組織全体に危険が及ぶ。だからどんな幹部でも、しくじれば組織の誰かに消される。ロハスは孤立しかけていました。実際、政府軍に包囲された時、組織の誰も彼女を助けようとしなかったでしょう? 刑務所でも彼女は厳重な警備下に置かれている。殺し屋が近づけないようにね。それでもあの女は怯えて暮らしているそうですよ。ネズミの祟りを恐れてね。」

 ケツァル少佐は水をそばの植木鉢に注ぎ入れ、グラスを彼に差し出した。

「少し頂けます?」
「どうぞ。」

 バルデスはウィスキーを少し入れてやった。少佐はグラシャスと言って、お酒を口に含んだ。

「すると、ロハスがネズミの祟りのことをどこで学んだか、を知らなければなりません。」
「そう言うことですな。」

 バルデスはステファン大尉を見た。目で「貴方も如何です?」と問うたが、ステファンは無視した。

「ロハスは本業が麻薬で、盗掘は趣味と言った方が良いでしょう。どこで金目の物が手に入るか、巷の噂や民間伝承などを調べていたと思われます。麻薬で稼いでいるのに、何故危険を冒して割に合わない盗掘をするのか、私には理解できかねますが。」
「彼女がどこから貴方と社長が上手くいっていないと聞きつけたか、見当がつきますか?」
「それは・・・」

 バルデスが苦笑した。

「鉱山で大声を上げて言い合いをしましたからな・・・周囲にいた従業員はみんな聞いていた筈です。ロハスの子分でなくても、又聞きでロハスの配下の耳に入ったことでしょう。」

 そして彼は自身が気にしていた質問を思い出した。

「ところで、ネズミはまだ見つかりませんか?」
「見つかりましたよ。」

と少佐はあっさり答えた。

「今のところ、ただの石像です。」



第8部 贈り物     21

  ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉が”着地”したのは、4階建てのビルの屋上だった。排気の為に設けられた煙突の様な物が数基並んでいた。空気は乾いており、ひんやりとしていた。寒いと言った方が近い気温だ。夜の高原地帯の気候だった。市街地の外れと言っても辺鄙な場所ではなく、コンドミニアムが並んでいる。間を通る道も狭くない。オルガ・グランデの富裕層が住む地域だ。
 少佐は街中であるとわかると、携帯で位置情報を探った。

「この建物の中に、バルデスの自宅があります。」

 ステファンが眉を上げた。ちょっと意外だ、と言いたげな表情だった。

「アンゲルスの邸に住んでいるんじゃないんですか?」
「呪殺した元主人の家に住みたいですか、貴方は?」
「・・・ノ・・・」

 郊外の丘の上にあった豪邸は、恐らく売却してしまったのだろう。アントニオ・バルデスはマフィアの首領の様に豪胆で無慈悲な面を持っているが、反面迷信深く、古い信仰も持っていた。
 少佐は屋上から建物の中に入る入り口を探した。ドアが施錠されていたが、”ヴェルデ・シエロ”にはないのも同然だ。彼等は屋内に入り、狭い階段を降りて行った。住民が利用すると言うより、メンテナンス用の階段の様だ。踊り場に来る度に少佐はそこにあるドアに手を置いて、バルデスの部屋を探った。ステファンには、彼女がどんな能力を使っているのか、よくわからなかった。”ヴェルデ・シエロ”には透視能力などなかった筈だが。
 3階と4階の間の中二階のドアを通り過ぎ、3階のドアの前に来ると、彼女はドアを押し開いた。通路の右側は薄い壁で、大きな窓が並んでいる。バルコニー形式の廊下だ。オルガ・グランデ市街地の夜景が見えた。左側はドアが4つ。どれも廊下との間に鉄柵のフェンスがあり、少し入ってからまたドアがある、用心深い造りだ。その鉄柵に飾り付けがされていたり、柵の中に鉢植えが並んでいたり、それぞれの住民のセンスが出ていた。
 バルデスの家はメンテナンス階段から2つ目で、花の蕾がいっぱい付いた鉢植えが前庭に並んでいた。富豪にしては質素な住まいだ、とステファンは思った。
 少佐がドアの前でバルデスに電話を掛けた。画面に出たバルデスは、ベッドの中だった。

ーーバルデス・・・
「ケツァルです。」

 バルデスがガバッと起き上がった。画面が暗くなったのは、手で覆ったからだ。隣に妻が寝ているのだろう。彼は小声で囁いた。

ーーこの時間に何の用です?
「今、貴方の家の前に立っています。」

 それ以上は無用だった。バルデスは、「すぐ行きます」と答えて、電話を切った。2分間待たされた。ステファンは廊下の左右を警戒したが、誰もいなかった。外ではまだ活動している人間が少なくなかったが、この高級コンドミニアムの住民は、夜になると寝るのだ。
 ガチャリと音がして、バルデスがドアを少し開けて外を覗いた。ケツァル少佐が徽章を出して見せた。そっくりさんではなく、本物だ、と言うパフォーマンスだ。勿論バルデスは”ヴェルデ・シエロ”が”幻視”を使う種族だと知っているだろうが、疑いもなくドアを開いた。そして手招きした。

「中へ・・・」

 少佐がステファンに「ついて来い」と合図して、2人はバルデスの自宅内に入った。
 広い居間を突っ切り、バルデスは書斎と思しき部屋へ2人を招き入れた。ドアを閉め、施錠したが、それは2人を閉じ込めるのではなく、家族や使用人が入ってくるのを防ぐ目的だった。
 書斎は彼の仕事部屋なのだろう、IT機器が数台あり、モニターもあった。書物も書棚に並んでいた。バルデスは照明を点け、サイドボードに歩み寄った。

「何か飲まれますか?」
「水を。」

 少佐が答えると、ステファンも頷いた。バルデスは2人の客に水を、彼自身にはウィスキーを注いだ。そしてグラスを差し出して、尋ねた。

「で、ご用件は?」


2022/08/10

第8部 贈り物     20

  ケツァル少佐とカルロ・ステファン大尉は路地の屋台で適当に簡単な夕食を済ませた。そして”入り口”を探して歩き続けた。空間通路の入り口を探すのはブーカ族の得意分野だが、グラダ族はそれほどでもない。万能の部族と呼ばれる割に、少佐も大尉も空間通路の使用は苦手だった。

「これは家系でしょうか?」

とステファンが呟いた。実際の仕事に取り掛かる前に歩き疲れたくなかった。

「そうではなくて、適当な”入り口”が今夜は少ないだけです。」

 少佐はいくつか空間の歪みを見つけたが、通路になるような大きさのものはなかったし、オルガ・グランデに通じていそうなものもなかった。ロホは”入り口”探しが得意だが、彼には彼の任務がある。それにアスルも空間の歪みを探しているところだろう。

「せめてデネロスを連れて来れば良かった・・・」

 弟のぼやきを少佐は聞き流した。カルロ・ステファンは任務遂行中は黙って働けるが、彼女と2人でいる時は、どう言う訳か、昔から愚痴が多かった。彼女との血縁関係が判明する以前からだ。上官に愚痴るなんて生意気だ、と少佐は時々注意したが効き目がないのだった。恐らくどこかで姉だと本能的にわかっていて、甘えているのだ。そう言えば、テオも「カルロが愚痴って・・・」と彼女に訴えることがある。ステファンはテオにも甘えているのだ。

「でかいなりして、グチグチ言うんじゃありません。」

と言った時、路地の角に酔っぱらいが座り込んでいるのが見えた。酒瓶を片手に歌を歌っている、その男の横に手頃な空間の歪みが生じていた。 
 少佐は足を止め、ステファンに顎でその歪みを指した。

「あの酔っぱらいをなんとかしなさい。」

 ステファン大尉は酔っぱらいを見た。50絡みの日焼けした顔で、服装は悪くない、普通の庶民の普段着だ。顔も無精髭が生えているが、今朝剃った髭が伸びた程度だ。まだ無事な財布がズボンの尻ポケットに入っているのが見えた。それにしても不用心だ。
 ステファン大尉は男の前に立ち、声をかけた。

「おっさん、家はどこだ? こんな所で座ってちゃ駄目だ。」
「家はそこ・・・」

 男は酒瓶を持っていない方の手で、路地の奥を指した。

「帰るとカアちゃんに酒を取り上げられるから、ここで飲むんだい!」
「それじゃ、反対側に移動してくれないか?」
「なんで?」
「そこは俺の場所なんだ。」

 ステファンは緑の鳥の徽章を出して見せた。男は暫くそれを眺めてから、ああ、と呟いた。

「これは、これは、兵隊さん、失礼しました。」

 男は立ち上がろうとした。足元がふらついたので、ステファンは片手で男の腕を支えた。

「家はそこだって?」
「スィ、そこ・・・」

 2人の男はゆっくりと路地を20メートル程歩いて行った。その間に少佐は歪みの大きさと繋がり先を確認した。これなら国内だったらどこでも行ける。
 振り返ると、一軒の家のドアの前に男が座り込む所だった。ステファンが「ここで良いか?」と尋ね、男は「スィ、スィ」と答えた。
 酔っぱらいを放置してステファンが戻って来た。

「お待たせしました。」
「グラシャス、では、行きましょう。」

 2人が手を繋いだ時、路地の向こうで女性の怒鳴り声が響いた。

「あんた! また飲んだくれて! さっさと家に入んな!」
「ごめん、カアちゃん、ごめん、マリア・・・」

 ステファンは男が女に引き摺られるように家に入って行くのを視野の片隅で見た。少なくとも、あのおっさんは財布を辻強盗に取られずに済んだようだ。


第8部 贈り物     19

 デランテロ・オクタカスの病院は、診療所と呼んだ方がふさわしい設備だった。グラダ・シティの国立総合病院、グラダ大学医学部附属病院や陸軍病院の様な最新医療設備に程遠い、20年以上の年季が入った医療機器がまだ現役で、医師は現代医療を行なっているが、多分都会では何か訳ありで地方で働かざるを得なかったのだろう、と思えるやさぐれ感が漂っていた。
 アンドレ・ギャラガは怪我をした遺跡警備員の病室に入ることを許されたが、肝心の患者は意識不明のままだった。どこかで空気が漏れているんじゃないかと思える雑音がする酸素吸入器に繋がれて、男がベッドに横たわっていた。中年のメスティーソで、警察によれば、彼は雇い主のバルデスに携帯電話で「襲われた」と一言連絡を寄越したきりで、バルデスから救援要請を受けた警察が駆けつけた時にはもう意識がなかったと言う。警察官はバルデスの要請に従って遺跡の中の動画を撮影して、オルガ・グランデに送信した。それでバルデスは神像の盗難を知ったのだ。
 医師は、被害者は頭部を殴打されており、脳にダメージを受けていると言った。レントゲンでは脳内出血を認められなかったが、頭皮が裂けて出血があり、棍棒の様な物で殴られたのだろうと言った。
 ギャラガは指導師の資格も学習経験もなかったが、先輩達から話を聞いて知っていることがあった。”ヴェルデ・シエロ”の爆裂波を頭部に受けると、出血することなく脳にダメージを与えられてしまう、と。外傷を見て、「こんな程度の傷で目覚めない筈がない」と感じていたギャラガは、先輩の言葉を思い出して、ゾッとした。

 盗掘犯は一族の者なのか? 人間に爆裂波を使って負傷させたら、大罪じゃないか!

 バルデス社長は人を遣って患者を大きな病院に移すと診療所に連絡して来たが、まだ救急車は来なかった。ギャラガは哀しい気持ちで患者を見ていた。脳をやられたら、指導師でも治せない。この男は助からない。犯人の手がかりも聞き出せない。
 診療所の外はもう暗くなっていた。丸一日無駄に過ごした。少佐に連絡を取って撤退しよう、と思った時、携帯にメールが入った。見ると、アスル先輩からだった。

ーー2200頃にそっちへ行く。場所は未定。

 空間通路を使って来るのだ、とわかった。ギャラガは返信した。

ーー被害者は頭部に爆裂波を食らっています。回復不可能。

 1分後にまた返事が来た。

ーー俺が行くまで生かしておけ。

 警備員の過去を見るつもりなのだ。ギャラガはベッドを見た。この警備員には家族がいるだろう。可哀想に、1人でこんなところで、こんな死に方をするのか。
 盗掘者への怒りが沸々と湧いてきた。ギャラガは時計を見て、アスルが来る迄まだ2、3時間あると判断すると、病室を出た。取り敢えず病室の入り口に結界のカーテンを張った。普通の人間は出入り出来るが、一族の者は通れない。通ろうとすればギャラガに察知されるし、無理に破ればそいつの脳にダメージを与える。
 ギャラガは夕食が取れる店を探しに、デランテロ・オクタカスの町へ出て行った。


2022/08/09

第8部 贈り物     18

  マハルダ・デネロス少尉はケツァル少佐のコンドミニアムへ行った。少佐が、家政婦に夕食のキャンセルを連絡するには時間が遅いと言い、代理で彼女に食べて欲しいと頼んだのだ。勿論家政婦のカーラには少佐から連絡を入れてくれていた。
 デネロスは嬉しかった。カーラの料理は天下一品だ。そして上官達に気兼ねなくゆっくりと食べることが出来る。
 テーブルに着いた直後にテオドール・アルストが帰宅した。彼も夕食は少佐のダイニングで取るから、着替えてやって来た。

「少佐でなくて申し訳ありません。」

と彼女が笑って言うと、テオも苦笑した。

「別に君が役不足ってことじゃないさ。ただ食べる量が彼女と君では違う・・・」

 ケツァル少佐はあの細い体のどこに入るのか?と不思議に思うほどの大飯食らいだ。超能力が大きい分、食べる量も多い。尤も普段事務仕事しかしない日は普通の人と同じだ。マハルダ・デネロスの前には、普通より少し多めの料理が盛り付けられていた。

「カーラ、残りは全部持って帰ってくれ。」

とテオが声をかけた。カーラが笑いながら言い返した。

「朝ごはんの分は残して行きますよ。」
「その通りですね。」

 デネロスも笑った。彼女は官舎へ持ち帰るパンを素早く包んでいた。官舎の厨房班の食事は不味くないが、質素だ。外の食事に馴染んでしまった舌には味気なく感じるのだった。
 テオはカーラが階下でタクシーに乗るのを見送ってから、部屋に戻った。デネロスは制限時間いっぱい居座るつもりらしく、テレビをつけてのんびり夕食を食べていた。

「君は捜査に出ないのか?」
「出ますけど・・・」

 デネロスは肩をすくめた。

「ムリリョ博士の担当なんです。博士を捕まえるのに、夜は良くありません。博士はミイラとの時間を邪魔されるのがお嫌いなんです。」

 考古学博士ファルゴ・デ・ムリリョは、ミイラ研究の第一人者だ。昼夜問わずミイラの保管庫で装飾品やミイラの生前の健康状態などを調べている。ミイラになった人々が生きていた時代のセルバの社会状況を研究しているのだ。特に夜間は電話などの邪魔が入らないので、保管庫に寝泊まりして調査に没頭していることが多かった。テオはミイラの判別で雇われた時のことを思い出して苦笑した。

「俺達もミイラの部屋へ博士を訪ねて行くのは、御免だな。」

 デネロスも笑った。彼女はミイラも幽霊も怖くないが、狭い部屋に詰め込まれている沢山のミイラに囲まれるのは好きでなかった。

「でも、一族の人がアーバル・スァット様の力について勉強したいと思ったら、博士よりケサダ教授の方が近づき易いと思うんですよね。」

と彼女は言った。テオも同意した。ムリリョ博士は同族の人間でも滅多に面会に応じないし、高齢にも関わらず出張が多い。所在をつかむのが難しい人だ。それに反して彼の弟子で娘婿のケサダ教授は発掘に出かける以外は、大概グラダ大学にいる。優しくて気さくで親切な先生として学生達に慕われているし、学術的な話を求めてメディアなどが取材を求めて来ると大学は必ず彼を推薦する。

「それじゃ、先にケサダ教授に会ってみたらどうだい?」
「ノ、少佐の指示は博士が先です。博士の所在を掴むために教授にお会いするのは有りですけどね。」

とデネロスは舌を出した。教授は彼女の卒論の担当教官でもあったので、彼女にとっては恩師でもある。優しい先生だが、考古学関係の話を聞きに行く時は、今でもちょっと緊張するのだった。

「ところで、どうでも良い話だが・・・」

とテオはちょっと話題の方向を変えた。

「あの神像をアーバル・スァット様と呼んだりネズミと呼んだりしているが、区別はあるのかい?」
「正式名称はアーバル・スァット様ですよ。ネズミと呼ぶのは、あの神様が悪霊になる時です。隠語で呼ぶのです。神様じゃなくてただの石像だと一般人に思わせたいのです。」
「悪霊化している時に、真の名前を呼んで威力を増してしまっては困るって言うのもあるかい?」
「神様の真の名前なんて、私達が知る筈ないじゃないですか。アーバル・スァット様の真の名前なんて誰も知りません。」

 デネロスはビールをゴクゴク飲んでから、テオに言った。

「ところで、官舎まで送っていただけます?」


2022/08/08

第8部 贈り物     17

  ロホが庁舎の外に出ると、駐車場でアスルが待っていた。

「俺も晩飯を食ってから出かける。」

と彼が言った。ロホは頷き、何処へ行く? と尋ねた。アスルは車を駐車出来る食堂の名前を挙げ、ロホは同意するとそれぞれ車に乗り込んだ。
 店は車で5分とかからぬ場所にあり、まだ開店準備の最中の店内に大統領警護隊は強引に入った。店員はロホの制服を見て、黙ってテーブルの上にメニューを突き出した。アスルが尋ねた。

「今作れる料理で構わない。何が出来る?」
「チキンの焼いたの、マッシュポテト、野菜炒め・・・」
「それをもらおう。」

 店員はメニューを下げて厨房へ行った。何かコックと遣り取りしていたが、結局肉を焼く匂いと音が漂って来たので、ロホもアスルも店に対する注意を払うことはなかった。

「今回の仕業は”ティエラ”だと思うか?」

とアスルが尋ねた。ロホは首を振った。

「単独犯だとしたら、盗むところから建設省へ届ける迄ずっと神像を手元に置いていたことになる。そんな度胸がある”ティエラ”がいたら、お目にかかりたい。」

 あのアントニオ・バルデスでさえ、近づくのを恐れて、呪殺に成功したミカエル・アンゲルス社長の部屋に神像を放置していたのだ。盗み出したロザナ・ロハスも他人の手に神像を委ねた。彼等はアーバル・スァット様の扱い方を知っていても、そばに置く勇気がなかった。ロハスはさっさと高値で売却し、バルデスは大統領警護隊が来るのを密かに期待していた。

「一族の者が犯人だとすると、建設省の施策絡みの恨みか?」
「あるいは、イグレシアス個人に対する怨念だ。」

 ネズミの神様の呪いは、特定の個人に向けられるのではない。神像の周辺にいる人々に影響を及ぼす。個人への恨みで神様の祟りを使われては、堪らない。

「当然のことだが、シショカのおっさんは大臣へ恨みを抱いていそうな人間を探しているんだろうな。」
「それも大車輪の仕事でな。」
「大臣に報告出来ない案件だ。」
「あのおっさん1人で調べるのか・・・ご苦労なことだ。」

 ロホもアスルもシショカが嫌いだ。純血種の2人にシショカはちょっかいを出さないが、若造と見下しているのは確かだ。ロホはブーカ族で、アスルはオクターリャ族だ。マスケゴ族のシショカより能力が強いのだが、世間の裏の汚い部分を見てきたシショカは、その豊富な経験と知識で2人の若い軍人より優位に立っている気分なのだ。ロホもアスルもそれを敏感に雰囲気で感じ取っているので、大臣の私設秘書がケツァル少佐に近づく度に挑戦的な態度になってしまう。シショカは少佐に横恋慕しているイグレシアス大臣の使者を務めているだけなのだが。

「シショカは今でもカルロを見下しているのか?」
「カルロの血統を見下しているのさ。能力じゃ、もうカルロに勝てない。」

 ロホは出会う度に親友の力が増していることを感じ取っていた。白人の血が混ざっていても、カルロ・ステファンは立派な”ヴェルデ・シエロ”、グラダ族の男だ。

「そう言えば、あのおっさん、アンドレには手を出さないな・・・」
「そう言えばそうだ・・・」

 ロホとアスルは首を傾げた。アンドレ・ギャラガはステファンほどにも血統がはっきりしていない。それどころか、父親が今もって不明なのだ。見た目は白人に近いし、シショカが最も嫌う”出来損ない”の筈だ。しかし、文化・教育省に顔を出す時、シショカはいつもギャラガを完全に無視した。同じメスティーソのデネロスには時々軽蔑するような視線を向けるのに、ギャラガは見ようともしない。

「怖いんじゃないか?」

とアスルが呟いた。ロホがびっくりして彼を見た。

「シショカがアンドレを怖がっているって?」
「スィ。アンドレの能力は俺達でさえまだ把握しきれていない。あいつは日々成長しているからな。シショカはあいつが見る度に変化しているのを感じるんだろう。カルロの成長と違って、アンドレはどんな方向へ行くのかわからない。だからおっさんはあいつが怖いんだ。」


2022/08/07

第8部 贈り物     16

  ステファン大尉が手元の書類の山を4分の1ほど片付けた時、奥の部屋のドアが開いて、ケツァル少佐と部下達が出て来た。各自自分の机の前に座り、何やら報告書に取り掛かった様子だ。ステファンがデネロスの動きを見ていると、横にケツァル少佐が立った。彼は出来るだけ自然な動きで姉を振り返った。彼が片付けた書類の束に視線を向けて少佐が囁いた。

「折角来てもらったのですが、暫く窓口を閉めることにしました。」

 未決申請書を持って、デネロスが隣の文化財・遺跡担当課へ行くのを、ステファンは視野の隅に捉えた。

「もうお役御免ですか?」

 ちょっぴり残念な気分だ。デスクワークは好きでないが、「もう必要ない」と言われるのは哀しい。
 ケツァル少佐が意味深な笑を浮かべた。

「遊撃班の副指揮官にわざわざ来てもらって1日で帰らせるのでは、私もセプルベダ少佐に申し訳なく思います。ですから、ちょっと貴方に付き合ってもらいます。」

 副官席のロホがクスッと笑った。ステファンは不安を感じた。正直なところ、異母姉の「ちょっと付き合え」は今迄碌なことがなかった。少佐が机に寄り掛かって言った。

「オルガ・グランデに行きます。道案内しなさい。」

 ステファン大尉は彼女を見上げた。オルガ・グランデは彼の生まれ故郷で、少佐は仕事で何度もあの街に足を運んでいる。道案内が必要とも思えないが、恐らく下町やスラム街に足を踏み入れる可能性があるのだろう。

「承知しました。」

とステファン大尉は答えた。

「出立は何時ですか?」
「今夜のバスで行きます。」

 オルガ・グランデ行きの長距離バスが出る曜日ではなかった。大勢の一般職員の手前、彼女は「バス」と言っただけだ。普通の移動手段を使うのではない。
 アスルが立ち上がった。

「例の事件現場へ行ってきます。」
「気をつけて行きなさい。」

 アスルは少佐と敬礼を交わし、リュックサックを手に取ると、オフィスを出て行った。ロホも数枚の書類を素早く仕上げると、立ち上がった。

「ひとまず、早めの夕食を取って、少し寝てから任務に就きます。」
「よろしく。」

 少佐は彼とも敬礼を交わした。ロホはステファンをチラリと見た。一瞬目が合った。

ーーネズミの神様は半端な力じゃない。結界を素早く張らないと、君も少佐も怪我をするぞ。
ーー忠告有り難う。だがネズミの番は君だろう? そっちこそ油断するな。

 親友同士の一種の挑発をし合って、ロホはオフィスから出て行った。
 デネロスは申請書を隣の課に差し戻す作業に追われていた。博物館が閉館するまでに館長を訪問するのは難しそうだった。ステファンは少佐をチラリと見た。

ーー少尉に手を貸します。
ーーどうぞ。

 事務仕事に取り掛かる彼を見て、少佐は己の机に戻った。そしてテオドール・アルストにメールを送った。

ーーオルガ・グランデに行って来ます。


第11部  紅い水晶     24

  ケツァル少佐は近づいて来た高齢の考古学者に敬礼した。ムリリョ博士は小さく頷いて彼女の目を見た。少佐はトーレス邸であった出来事を伝えた。博士が小さな声で呟いた。 「石か・・・」 「石の正体をご存知ですか?」  少佐が期待を込めて尋ねると、博士は首を振った。 「ノ。我々の先祖の物...