2024/01/09

第10部  穢れの森     14

  パン屋の車でマハルダ・デネロス少尉の次兄の家に送ってもらうと、そこでシャワーを使わせてもらえた。着替えはリュックサックに入れていたので、それを着た。キロス中尉はテオとデネロスがパン屋の車から降りるとすぐに荷台から助手席に移動し、パン屋と共に走り去った。どうやら正式にデネロスの両親に挨拶する前に次兄に会うのは拙いと危惧したらしい。先住民の習慣や掟にまだ完全に馴染めないテオは、そんな厳格な家庭に育った男がデネロスとこれから上手くやっていけるのかと心配したが、当事者に任せる他になかった。
 デネロスも風呂を終えると、兄にスクーターを借りて、テオをグラダ大学まで送ってくれた。デネロスの兄とは既に何度か顔を合わせていたので、テオも気兼ねなく厚意に甘えることが出来た。
 日曜日の大学は静まり返っていた。テオは守衛室に顔を出して、研究室を使用する旨を告げて学舎の入り口を開けてもらった。研究室の鍵は自分で持っていたので、合鍵を借りずに済んだ。
 研究室に入ると、すぐにペットボトルに入れて持って来た遺灰と骨を出した。完璧に熱でD N Aが破壊されていたらお手上げだが、少しでも何か使えるものがあればと期待した。結局骨は使い物にならなかったが、小石に混ざって拾い上げていた金属片に手がかりがあった。直径1センチほどのボタン状の物で、綺麗に洗って、そこに彫られた模様を写真に撮り、パソコンに取り込んで拡大してみた。

 deidad Ama

と読めた。神様の名前か? テオはケツァル少佐に電話しようとして、思い止まった。少佐はまだ南部のジャングルの中にいる。ロホもアスルも一緒だ。deidadはスペイン語だから、訊く相手は”ヴェルデ・シエロ”でなくても良いんじゃないか? 
 彼は守衛室に電話をかけた。守衛にdeidad Ama って知ってるかい?と尋ねると、意外にも返事があった。

「市の南のアマン地区に祀られている女神様ですよ。昔から祠に石像が祀られていて、子供が迷子になった時にお祈りすると見つけてくれるんです。見つかった子供はそれ以上迷子にならないようお守りをつけるそうです。僕の従兄弟も小さい時にメルカドで迷子になって、お守りを持たされてました。」
「どんなお守り?」
「小さなコインみたいなもので、アマン地区の彫金師が作ってるんです。日曜日に教会を出たとこで売ってるそうですよ。」
「グラシャス!」


2024/01/07

第10部  穢れの森     13

 移動パン屋のホアンは、お堅いキロス中尉の本当に幼馴染なのか、と疑ってしまうほど、軽い印象の男だった。カリブ系の血が入っているのか肌が浅黒く、髪はドレッドに編み込んでいた。鼻や唇、耳にピアスが光り、派手な赤いシャツを着ていた。そのホアンが運転席から降りるなり、キロス中尉としっかりハグし合ったので、テオもデネロス少尉も驚いた。キロス中尉の様な純血種の”ヴェルデ・シエロ”は大統領警護隊でなくても他人が自分の体に触れるのを嫌がるものなのだ。しかし2人の目の前でキロス中尉はにこやかに笑みを浮かべてパン屋を抱きしめていた。

「久しぶりだなぁ、ファビオ! この前会ったのはいつだっけ?」
「半年前だ。今日の目玉商品はなんだい?」
「ココナッツパイだ。グアバジュースもあるぞ!」

 幼馴染と言うものを持った経験がないテオは羨ましく感じた。パン屋のホアンはどう見てもメスティーソかムラトだが、キロス中尉は心を許しているのだ。
 中尉はテオとデネロスを仕事仲間だと紹介した。実際そうなのだが、ホアンはデネロスを見て意味深に微笑んだ。

「この前会った時、気になる女性少尉がいるって言ってたが、それがこの娘かい?」

 デネロスが真っ赤になった。キロス中尉は「彼女に失礼だろ」と言いながら、彼も赤くなった。テオは半年以上も前から彼がデネロスに目をつけていたのか、と驚いた。油断も隙もありゃしない。確かにマハルダは可愛いし、今まで彼氏がいない方が不思議だったが。
 兎に角そこで一行は朝食を済ませることにした。銘々好きなパンを買ってジュースで喉を潤した。ところで、とキロス中尉がホアンに言った。

「グラダ大学迄、こちらのアルスト博士を乗せてあげて欲しいんだが?」
「グラダ大学? ちょっとコースを外れるなぁ。」

 ホアンが一瞬躊躇った。するとデネロスが別の提案をした。

「カヌマ通りまで行けます?」
「ああ、あそこは行くよ。市場に商品を卸しに来る農家さん達がパンを買ってくれるからね。」
「じゃ、カヌマ通りまでアルスト博士と私を乗せて行ってもらえます?」

 キロス中尉は計算に入っていないのか? テオが思わずキロス中尉を見ると、彼は特に気にしていない様子で、デネロスに尋ねた。

「市場に知り合いでもいるのか?」
「次兄があの近所に住んでいるんです。」

とデネロスが笑顔で答えた。

「実家が卸す野菜を兄が市場で売っているんですよ。だから、シャワーを借りて車も借ります。私がテオを大学迄送りますよ。」

 キロス中尉が何か言う前にホアンが、「O K」と言った。

「彼女と博士は前に乗ってよ。ファビオは後ろにぶら下がってくれよな。」

 テオはキロス中尉があっさり「わかった」と答えたので、ちょっと驚いた。 

2024/01/06

第10部  穢れの森     12

  翌朝、テオはマハルダ・デネロス少尉とキロス中尉と共にグラダ・シティに戻った。勿論空間通路を利用して。早朝の街中でも空中からいきなり人間が出現するのを見られるのは非常に危険だ。先導のキロス中尉は”着地”すると直ぐに周囲を見回し、目撃者がいないことを確認した。

「俺は直ぐに大学へ行って、回収した骨を鑑定してみる。」

とテオは言った。キロス中尉は現在地を携帯で調べた。

「大学までは車が必要です。仲間を呼びましょう。」
「いや、そこまでしてもらう必要は・・・」

 するとデネロスがテオに囁いた。

「まだバスもタクシーも走っていませんよ。」

 確かにやっと太陽が東の港の方角から顔を出したところだった。大都会グラダ・シティはまだ寝ている人の方が多い。日曜日だったし、セルバ共和国のキリスト教会は早朝のミサを好まない。日が昇る時刻は、大巫女ママコナが国内の平和を祈る時間とされていた。異教の神への祈りで彼女を妨げてはならない。
 キロス中尉がどこかに電話をかけた。彼が所属する大統領警護隊遊撃班かと思いきや、中尉はかなり砕けた口調で喋った。

「ホアン、ファビオだ。朝早くすまないな。ちょっと車で迎えに来て欲しいんだ。場所は・・・」

 テオはデネロスを見た。誰にかけているんだ?と目で問うてみたが、彼女もちょっと首を傾げただけだった。
 ほとんど一方的に喋ったキロス中尉は電話を終えると、同伴者達の疑問の視線に答えた。

「小学校時代のダチです。ほぼ”ティエラ”ですが、夜目は利く男です。」

 つまり遠い祖先に”ヴェルデ・シエロ”がいて、遊び仲間に本物の”ヴェルデ・シエロ”が混ざっていても全然気にしない、寧ろその存在に全く気づかない連中だ。

「こんな朝早い時間に呼び出して、良いのかい?」

 テオが心配すると、キロス中尉は笑った。

「彼は商売柄かなり早い時間から仕込みをしてますから、今の時間はそろそろ街に出て行く頃です。」

 どんな商売なんだ?とテオとデネロスが考えるうちに、古いエンジンの音が近付いてきた。「ああ、来ました」とキロス中尉が言ったので、振り返ると、小型のバンがやって来るところだった。バンの車体には派手なピンクのネズミとブルーの猫の絵が描かれ、飾り文字で「ホアンのパン」と書かれていた。

「パン屋さんだわ!」

 デネロスが嬉しそうな声を上げ、キロス中尉が何故か誇らしげに微笑んだ。

2024/01/05

第10部  穢れの森     11

 携行食は例外として、ジャングルで食べ物を残すのは御法度だ。匂いで動物が来るし、高温多湿の気候で残飯の腐敗が始まる速度が早い。全員でスープとポテトサラダを綺麗に完食した。ギャラガ少尉とテオは食器と鍋を井戸で洗った。料理をしたアスルは余った食材を土に埋めてしまい、 明日はグラダ・シティに帰還することを行動で示した。
 ロホの地図にケツァル少佐とキロス中尉がそれぞれ発見があった箇所を記した。イスマエル・コロンの骨が発見された場所、焼け焦げた遺骸を見つけた場所、何者かの残留物が見つかった場所、等だ。

「現場を発掘して調査しなければなりませんが、穴を掘って殺害した人間を入れ、焼いたと思われます。」

 少佐が考えを述べた。

「地面の臭いから、まだあまり長い時間は経っていないとわかります。恐らくこの一月か2ヶ月の間に犯罪が行われたのでしょう。」
「殺害されたのはオラシオ・サバンと考えて良さそうです。」

とロホが囁いた。

「犯人は殺人を知られないよう、遺体を地面の穴に入れて焼いたのでしょう。慎重に隠したつもりでしたが、サバンを探しに来たコロンが何らかの理由で犯罪を嗅ぎつけた。運悪く犯人がそばにいて、彼も殺害されてしまった。」
「何故犯人はコロンを焼かなかったのです?」

とキロス中尉。ロホは少し考えてから考えを述べた。

「その時犯人は穴を掘る道具を持っていなかった。死体を焼く燃料がなかった。或いは死体を埋める時間がなかった。」

 少佐が言った。

「サバンとコロンがそれぞれ単独で森に入ったのか、調べましょう。サバンは普段から単独行動をしていたそうですから、彼と接触した人間を探しのは難しいでしょうが、コロンは”ティエラ”でした。誰か同行した人間がいた筈です。」
「そいつが犯人の可能性があるのですね?」
「私達は警察ではありません。犯人探しは憲兵隊の仕事です。それに今回の軍事訓練は、サバンの捜索が目的でした。これからテオに遺骸の検査をしてもらい、誰が亡くなっていたのか調べてもらいます。」

 少佐は夜のジャングルを見た。

「何者か知りませんが、一族の者を殺害し、侮辱した人間は許せません。」


2024/01/04

第10部  穢れの森     10

  焚き火を囲んでの夕食はアスルお手製の鶏肉スープ、デネロス制作のポテトサラダだった。力仕事をした後だったのでケツァル少佐は遠慮なしにモリモリ食べた。テオもアスルのスープは大好物だったが、初めて同席するキロス中尉がどれだけ食べるのかわからなかったので、少しセイブした。ロホが別行動で行った国境の街ミーヤで仕入れてきた豆の缶詰を開け、各自のポテトサラダの上に少しずつ分けてくれた。

「噂に違わず、美味い。」

とキロス中尉がアスルのスープを誉めた。

「警備班時代に君と同期だった連中から聞いていた。」
「警備班時代は料理する暇なぞなかったぞ。」

とアスル。キロスがおべっかを言ったと言わんばかりに素気ない。キロス中尉は彼の敵意に気付かぬふりをした。

「野外訓練の時に君が飯当番をした話だ。手に入る少ない材料で美味い飯を作ったと聞いた。」
「それよりデルガド少尉やステファン大尉からの情報の方が新しいでしょう。」

とギャラガ少尉が2人の中尉の確執に鈍感なふりをして割り込んだ。

「デルガド少尉は休みを取る度にアスル先輩の家へ泊まりに来るから。」

 え?っと驚いたのはキロス中尉でなくテオの方だった。

「エミリオはそんなに頻繁にあの長屋へ来るのか?」
「スィ、図書館へ行ったり買い物をして、先輩の家で寝泊まりされてますよ。」
「無料で泊まれるからだ。」

とアスルがムスッとした表情で言った。

「俺が監視業務で家を空けていても平気で入り込んでいる。」

 テオは思わず笑った。デルガドに好きな時に来いと行ったのはテオだった。ケツァル少佐も笑った。

「それでは、いつまで経ってもアスルは女友達を家に呼べませんね。」
「そんな友達はいません。」

 アスルはすっかりむくれてしまい、鍋をおたまでかき回した。

「お代わりが欲しい人はいるか? いなけりゃ、俺が全部食うぞ。」


2024/01/03

第10部  穢れの森     9

  日暮れが近づく頃になって、テオとケツァル少佐はアンティオワカ遺跡のベースキャンプに戻った。2人共疲れていたが、焚き火の臭いとアスルが作るスープの匂いに、元気を取り戻した。焚き火のそばにいたのはアスルとデネロス少尉で、キロス中尉とギャラガ少尉は遺跡の見回りに出ていた。最後に加わったロホはテーブル代わりの石の上に広げた地図に印を書き込んでいた。
 いつもの様に少佐とテオに真っ先に気づいたデネロスが喜んで駆け寄ったが、すぐに何か嫌な物を察したのか、立ち止まり、それ以上近づくのを躊躇う様子を見せた。ケツァル少佐はすぐに部下の異変に気が付いた。

「私達に穢れが付いています。体を洗う迄近づかない様に。」

と彼女は部下達に宣言し、テオを促して足速にフランス発掘隊が見つけていた井戸へ向かった。リュックサックを下ろして、中に入れてあったペットボトルを取り出した。中身は液体ではなく土だった。それを地面に置くと、ロホがやって来た。宗教家の家系の出身らしくペットボトルの中身の正体を見抜いた。

「死体ですね?」
「スィ。焼かれて砕かれていました。」

 ケツァル少佐は異性に裸身を見られても気にしない人なのだが、彼女が服を脱ぎ出すと、ロホは慌てて背を向けた。テオも服を脱いだ。

「浄化出来るかい、ロホ?」
「これから害のある気は感じられません。多分、この”人”は亡くなった場所に留まったままです。でも一応お祓いをしておきます。」

 ロホはペットボトルを慎重に手に取って持ち去った。
 テオとケツァル少佐は井戸の冷たい水を浴びて、体から泥汚れを落とした。

2024/01/01

第10部  穢れの森     8

  ケツァル少佐が不快そうな顔で窪地を見つめた。テオもそこが不自然な場所だと感じた。窪地は長さ1メートル半ほど、幅が1メートルほど、草が生えているが、最近生えたと思われる背の高さだった。周囲の土地も平で、人が踏んだ跡にも思えた。
 少佐が携帯電話を出して、G P Sで位置を確認した。テオは彼女が否定してくれることを期待しながら尋ねた。

「ここに人が埋められているって言うんじゃないよな?」

 少佐はアサルトライフルの台尻で地面をつついてみた。

「周囲の他の場所より柔らかいですね。」

 そして彼女はテオが嗅ぎ取れない臭いを言った。

「油で何かを焼いた臭いが土の下から臭って来ます。」

 テオは周辺を見回した。スコップの代用になりそうな物は目に入らなかった。

「掘ってみるか?」
「スィ。でも慎重に掘りましょう。」

 少佐は荷物を下ろした。テオも下ろした。少佐が出したのは刃が広いナイフだった。

「私が掘りますから、貴方は周囲を警戒して下さい。少しでも変わった音が聞こえたら、教えて下さい。」

 テオはライフルを渡され、ドキリとした。拳銃は扱った経験があるが、アサルトライフルは初めてだ。毎日目にしていても実際に己の手に持つのは初経験だった。

「安全装置はかかっているんだろ?」
「密林を歩くのに、安全装置をかけていると思いますか?」

 言われて、腹を決めた。掛け紐を肩にかけ、構えた。少佐が手を添えて、持ち方を無言で指導してくれた。敵だと思ったら容赦無く撃て、と言うことだ。
 そして彼女は地面に両膝をついて、ナイフで慎重に窪みの土を掘り始めた。


第11部  紅い水晶     21

  アンドレ・ギャラガ少尉がケツァル少佐からの電話に出たのは、市民病院に到着して患者が院内に運び込まれた直後だった。 「ギャラガです。」 ーーケツァルです。今、どこですか? 「市民病院の救急搬入口です。患者は無事に病院内に入りました。」  すると少佐はそんなことはどうでも良いと言...