2024/02/29

第10部  粛清       12

  憲兵隊のコーエン少尉は、密猟者の自供を報告していた。

「テナンは腰を抜かしたそうです。目の前で何が起きたか理解できなかったらしく・・・」
「そうだろうな・・・」

とテオは頷いた。誰だって、撃ち殺したジャガーが人間に変化したら、肝を潰す。逃げ出すかも知れない。
 しかし密猟者達は逃げなかった。

「誰かが、『”ヴェルデ・シエロ”だ』と言うのを聞いたとテナンは言いました。」
「彼等は信じたのですか?」
「テナンと一緒にジャガーが人間になるのを目撃したのは、もう一人、キントーと言う男でした。この男は、ミーヤの教会裏の森で首を括りました。」
「すると残りの密猟者達は・・・」

 コーエン少尉が首を振った。

「連中は見ていなかった、とテナンは言っています。銃声を聞いて現場に集まって来て、サバンが死んでいるのを見ただけだと。」
「サバンは当然裸だったでしょう。」
「スィ。全裸だった筈です。森の中で全裸のインディヘナが死んでいる、その光景を残りの4人は見たのです。」
「裸であることを疑問に思わなかった?」
「そこまでは分かりません。ただ、仲間でない人間を殺してしまった、それだけは理解したのです。だから、連中は殺人の証拠隠滅を図り、サバンの遺体を焼きました。死体をそのまま埋めたのでは、後で動物が掘り返しますからね。」

 テオは聞いているだけで気分が悪くなった。犯罪の話はいつ聞いても胸が悪くなる。

2024/02/28

第10部  粛清       11

  憲兵隊のコーエン少尉がケツァル少佐とテオが住む西サン・ペドロ通りの高級集合住宅に現れたのは、夕食が始まる前だった。地上階の防犯カメラ前で、”ヴェルデ・シエロ”の憲兵は礼儀正しく、そして世間に正体を知られないよう、チャイムを鳴らして、マイクに向かって名乗った。少佐が応答し、ドアロックを遠隔操作で解除した。コーエン少尉は建物の中に入り、エレベーターではなく階段を使って7階まで上がって来た。”ヴェルデ・シエロ”がエレベーターを嫌うのか、軍人なので用心しているのか、テオにはまだわからなかった。少佐に言われて彼は共用通路に出て、少尉を迎えると、少佐ではなく彼の居住スペースに少尉を招き入れた。
 少佐が家政婦のカーラに午後8時迄は待つように、それ以降は帰宅して良いと言いつけて、テオのスペースにやって来た。
 テオの側のキッチンにも小さな冷蔵庫があり、テオはそこからミネラルウォーターの瓶を出した。簡素なリビングの質素な安楽椅子に少尉を座らせ、少佐とテオはソファに並んで座った。

「テナンの自供内容の報告です。」

とコーエン少尉が言った。彼は憲兵で、大統領警護隊に報告する義務はない筈だが、密猟者を最初に見つけたのは大統領警護隊で、そこから任務を引き継いだ形になっていたので、コーエン少尉は筋を通そうとしていた。

「密猟者のグループは実行隊が6人でした。そのうち3名は既に死亡。テナンが勾留中です。残りの2名は、テナンが言うにはまだプンタ・マナ近辺に潜伏しているだろうとのことでしたが、司法警察がグラダ・シティで1名を見かけたとの情報を得て捜査しています。最後の1名はまだ不明。」
「テナンは何と言っていますか?」

 それが重要だ。彼等密猟者は、何を見たのか。
 コーエン少尉が息を深く吸って吐いた。

「彼等は、ボスから指図をもらい、猟を暫く控えるつもりで、キャンプの撤収をしていたそうです。セルバ野生生物保護協会の会員が彼等の居場所を特定したらしく、捕まる前に隠れるつもりだったのです。だが、その作業中に、1頭のジャガーが現れました。密猟者達は森の中では保身用に常に銃を発砲出来る状態で所持しています。ジャガーが威嚇して吠えた瞬間、テナンは咄嗟に自分の銃を発射したと言っていました。」

 テオも少佐も黙っていた。何が起きたのか想像出来た。しかし彼等は口を挟まなかった。コーエン少尉が続けた。

「テナンが撃った弾丸はジャガーの額を撃ち抜いたそうです。ジャガーはその場に倒れ、人間になった、と・・・」

2024/02/26

第10部  粛清       10

  テオとケツァル少佐は喪服ではなく、地味なスーツ姿と簡素な制服姿だった。葬儀の正装ではない。親族でなく友人でもないから、軽い服装で故人を見送った。墓地までついて行ったが、埋葬には参加せずに離れた場所で見ていた。

「ロバートソン博士は、サバンが先に行方不明になって、彼を探しに行ったコロンも消息を絶ったと、貴方に言ったのですよね?」

と不意にケツァル少佐が囁いた。テオは墓穴に土を投げ入れる人々に気を取られていたので、彼女の言葉を聞き逃し、もう一度繰り返してくれと頼んだ。少佐は言葉を追加して言った。

「ロバートソン博士は、サバンが先に行方不明になって、彼を探しに行ったコロンも消息を絶ったと、貴方に言ったそうですが、あれほど憔悴する程サバンを想っていたなら、コロンが言い出す前に彼女がサバンを探す手配をした筈です。或いはコロンを想っていたなら、彼一人でサバン捜索をさせなかったでしょう。」
「彼女の憔悴は一度に仲間を2人酷い形で失ったからだろう?」
「そうでしょうか?」

 少佐はちょっと冷ややかな目でセルバ野生生物保護協会の人々を見た。

「博士以外の協会員達はショックを受けていますが、彼女ほど打ちのめされているように見えませんよ。」
「個人の心の中がどんな状態なのか、俺達にはわからないさ。」

 テオは少佐が何を考えているのだろうと気になったが、彼自身には些細なことに思えたので、その日の夕方にはすっかり忘れてしまった。

2024/02/25

第10部  粛清       9

  テオはシショカが建築工学の教授を訪ねたと聞いた時、ちょっと不安になった。建築工学の先生達とはあまり交流がなかったが、誰かがシショカに粛清対象と見做されたのではないかと心配した。しかし2日経っても特に変わったことは起こらず、大学にいる”ヴェルデ・シエロ”達にも動きはなかった。
 大統領警護隊文化保護担当部は平常通りの業務を続け、手配中の密猟者も今のところ無事なのかニュースになっていなかった。
 オラシオ・サバンとイスマエル・コロンの遺族は遺体の一部を返還され、葬儀を済ませた。”ヴェルデ・シエロ”も普段は一般のセルバ国民として暮らしている。サバンの葬儀はコロンと合同でカトリック式で教会が執り行った。
 友人ではなかったが、テオはケツァル少佐と一緒に葬儀に参列して、死者を送った。セルバ野生生物保護協会の会員達が大勢出席していた。テオの耳に彼等のヒソヒソ話が聞こえてきた。

「犯人が自殺したらしい。」
「法の裁きを待てなかったらしいね。」
「誰かが神々に復讐を依頼したって噂だ。」
「それはもしかして、サバンの家族か?」
「おいおい、憶測でものを言うな。失礼だぞ。」
「サバン家が復讐を望んだとしても、私は反対しないわ。密猟者がしたことは酷すぎる。」
「憲兵隊に逮捕された男は、仲間のことを何か喋ったのか?」
「わかりません。憲兵隊は取調べの内容を公開しませんから。」
「主犯が誰かもわからないのだろうか?」

 ケツァル少佐がテオに囁いた。

「ロバートソン博士の嘆き方は尋常ではないですね。」

 言われて、テオは協会のネコ科研究の代表者を見た。フローレンス・エルザ・ロバートソンのやつれ方は確かに酷かった。すっかり憔悴し切った表情で、他の協会員に支えられて歩いている感じだ。
 少佐は滅多に憶測を語らないのだが、この時はテオに感じたことをそのまま告げた。

「彼女はサバンかコロンを個人的に愛していたのではないでしょうか。」

 テオはそっと遺族席を見た。コロンには妻子がいた。幼い子供2人を連れた妻が親族に守られて座っていた。サバンは独身だった。テオも面会した父親と、離れて暮らしていた母親と兄弟が来ていた。
 テオは参列者全体を見回して見た。殆どが協会関係者と故人の友人だと思われた。

 ここに密猟者が懺悔の気持ちで来ていることはないだろう。粛清者も来ていない。


 

2024/02/23

第10部  粛清       8

 「建設省のマスケゴ」と一族の人々から呼ばれる彼は、その日彼が奉仕している建設大臣が考えている公共事業に反対している大学教授を訪ねた。ダムの構造など説明されても彼は設計技師でも建築家でもないから理解出来ない。ただ教授が反対する本当の真意を探ることが目的だった。大臣の政敵の息がかかっていないか、確認に行ったのだ。
 途中、ちょっとした出来心でキャンパス内のカフェに立ち寄った。大学で屯する”出来損ない”の学生達がどれほどいるのか、見物してみよう、ただそれだけの軽い気持ちだった。しかし彼のそんな行動を疎ましく思う男がいた。
 マスケゴ族の現族長のファルゴ・デ・ムリリョの娘婿だ。挨拶の声を掛けて来ただけだったが、それが彼に対して心理的な圧を掛けてきた。己の方がお前より強いのだ、と空気を介して伝えてきた。2度目だった。多くを語らずに、雰囲気だけで彼を屈服させてしまえる、そんな気の強さをムリリョの娘婿は持っていた。

 あいつは本当にマスケゴなのか?

 彼は心の底で疑問を抱いていた。気の波長が彼の部族の人間と微妙に異なっている。時にはそれを完全に感じさせない。実際、大学のカフェでも、あの男が声を掛けて来る迄、彼は相手がすぐそばへ来ていることに気づけなかった。完璧に成長して能力の使い方をマスターしたブーカ族やサスコシ族の様だ。否、あの気の強さは穏やかなブーカや用心深いサスコシと違う気がする。では、オクターリャ族か? 時の流れの中に身を隠し、滅多に現世に現れない幻の部族なのか? しかし彼はオクターリャ族を一人知っている。まだ若造だが、能力の使い方は手練れだ。そして、気の波長は、ムリリョの娘婿とは異なる。

 部族ミックスなのか?

 それなら納得はいく。しかし、ファルゴ・デ・ムリリョは純血至上主義者だ。実子の2人の息子と年上の娘はいずれも同部族の純血種と婚姻している。末娘だけに異部族のミックスの男との婚姻を許したのか?
 ムリリョはあの男を子供の時から養ってきた。何処であの男を拾って来たのか? あの男の親の身元を知っているのか?
 悩んでいるうちに彼は本来の仕事を危うく忘れそうになり、慌てて建築工学部に向かったのだった。
 大学教授の話は退屈だったが、純粋に教授が地層や地質を調査してモデル実験もして、砂防ダムの建設位置や工法に疑問を抱いていることを知った。そして面倒なことに、彼は大臣の考えよりも大学教授の意見の方が正しいと思ってしまった。ダムの下流に被害を与えることにならないが、建設費用が膨大な国費の浪費になる。

 大臣の考えを改めさせなければ、あの男、イグレシアスは国に害をもたらす存在となる。

 雇い主をどう説得しようかと考えていたので、密猟者の粛清のためにプンタ・マナから来た同業者を見かけた時、彼はそんな些細な事件の粛清などどうでも良いと思った。だから、縄張り荒らしを見逃した。
 彼は今、国益の為に長年使えた主人を粛清せねばならぬかも知れない、と思い始めていた。

 

2024/02/21

第10部  粛清       7

 「見ない顔だな。」

と一族の言葉で話しかけられ、エクはぎくりとして立ち止まってしまった。夕刻の繁華街だった。逃がしてしまった標的が走り去った方向で獲物を探していたのだ。宛てはないが、田舎者が立ち寄りそうな場所は見当がついた。お洒落なレストランやバルには行くまい。しかし裏町にも行かないだろう。裏町には、その土地の”ティエラ”のグループが縄張りを持っている。見かけない田舎者が迷い込んだら、すぐにカモにされる。標的は只の”ティエラ”だ。身を守る術もないだろう。考えてからエクは思い直した。田舎者だから、都会の裏町の掟を知らずに入り込む可能性もあるじゃないか。身を隠すのに都合が良いとか、田舎の知り合いで早くに都会に出た人間を頼って行くとか。
 そう考えて方向を変えて歩き出して直ぐだった。
 声をかけた人間が背後に近づいて来た。気配を殆ど感じ取れないが、同族だ。ブーカ族やサスコシ族の様にこれみよがしに気を微量に発散させて存在を主張したりしない。エクは囁いた。

「マスケゴか?」
「否定しない。」

と相手は言った。エクは振り返ろうかと思ったが、止めた。相手の顔を見ない方が良い。”砂の民”同士なら尚更だ。彼は言った。

「プンタ・マナから来た。狩りの最中だ。君の領分を侵したのなら、謝る。」
「構わない。」

と相手は言った。

「私はその狩りに参加していない。それに私の領分だと言うなら、この国全体になる。」
「そんな・・・」

 そんな大それた発言をするのは首領ぐらいだろうと言いかけて、エクは口をつぐんだ。
首領の配下と言う縛りを持たない一匹狼の”砂の民”もいるのだ、と先輩から聞いたことがあった。そいつらと出会したら、怒らせないように、礼を尽くせ、と。そうすれば仕事の妨害をされずに済む、と。

「仕事が済んだらすぐに帰る。」
「構わない。」

と一匹狼の”砂の民”は言った。

「だが、ここはママコナのお膝元だ。緑の鳥には気をつけろ。彼等は法律を大事にするからな。ご機嫌よう。」

 そして、エクは相手が遠ざかるのを感じた。
 暑さには慣れているのに、彼は汗びっしょりになっていた。

2024/02/19

第10部  粛清       6

  粛清を行おうとしたが失敗した。邪魔が入ったからだ。
 その”砂の民”はエクと呼ばれていた。彼の実際の職業や立場はこの際はどうでも良いので、記述しない。エクは標的の密猟者を南部からずっと追跡して来た。彼は憲兵隊の手配書を見た訳ではなかった。以前から標的の男が森の中で悪さをしていることを知っていた。法律に触れることだ。しかしそれを罰するのは”砂の民”の仕事ではないから、彼は見逃してきたのだ。しかし一族の人間を殺害したとの情報が耳に入り、首領から粛清の指示が発せられたと知らされ、エクは狩りに出た。
 標的の男は仲間が3人、謎の自殺と謎の喧嘩殺人で命を落としたニュースを知って、怯えた。”ヴェルデ・シエロ”の祟りだと恐れた。エクはすぐには手を出さなかった。標的がもっと怯えることを望んだ。殺害された者が味わったであろう恐怖と屈辱を、仇に味わせたかった。標的の近くに潜み、夜になると幻聴で死者の声を聞かせ、昼間はチラチラと幻覚を見せた。
 標的は思ったよりしぶとかった。犯行現場から遠ざかれば、なんとかなると思ったらしい。標的はヒッチハイクで故郷を離れた。エクは仕方なく移動しなければならなかった。一度は標的を見失ったが、トラック運転手を片っ端から当たり、南部でヒッチハイカーを乗せた車を見つけた。
 標的は都会まで逃れて、少し安心した様だ。身内の家に転がり込んでいた。エクは標的が身内の家族に何の話をしたのか気になった。”ヴェルデ・シエロ”を殺したと喋って、それが身内に信じ込まれたら、粛清の対象が増えてしまう。
 エクは標的の身内の家長と思しき男に近づき、心を盗んでみた。”ヴェルデ・シエロ”にとって簡単な作業だった。目を見れば済むことだ。人間の記憶を読み取る。最近のものだけだから、すぐに済んだ。
 標的は幸いなことに、己が犯した罪は喋っていなかった。身内に、賭博で喧嘩になったので暫く身を隠すと嘘を言って、誤魔化していた。そんなチャチな嘘で相手に信じてもらえる、つまらない人間だ。
 エクは標的を遊ばせるのを切り上げることにした。ちょっと幻覚を見せて交通事故に遭わせれば良い。一番簡単な方法だった。
 標的が乗るバスに彼も乗り込み、標的よりも前の、出口に近い席に座った。斜め後ろの席に座っていた若い男女の会話に注意を向けなかったのが、エクの失敗だった。
 若い男女は”出来損ない”だが、大統領警護隊だった。大巫女ママコナが認めた一族の戦士だ。それに気付いたのは、エクが標的の降車に続いて、幻覚を起こさせる”操心”をかけようとした時だった。

「駄目よ!」

 若い女の声が、彼の術を破った。気を散らしたのではない、”気”を砕いたのだ。そんなことが出来る”出来損ない”は滅多にいない。訓練を受けた大統領警護隊ぐらいなものだ。
 エクは力を収めた。逆らうと、反逆罪に問われかねない。彼はバスを降りて、標的と反対方向へ歩いた。妨害した人間の顔を見たかった。
 可愛らしい若いメスティーソの女と、白人に見える若い男のペアだった。男がエクを見た。エクは思わず睨みつけたが、それ以上のことは控えた。
 再び狩りを続けなければならなかった。

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...