ケツァル少佐はトーレス邸の詳細な捜査をロホに命じ、自分はグラダ・シティの富裕層の子供達たちが通学する高校へ向かった。アンヘレス・シメネス・ケサダは彼女が校門の前に自家用車を停めた時に自転車を押しながら出て来るところだった。友人たちと喋りながら自転車に跨ろうとしたので、少佐は窓を開けて声をかけた。
「アンヘレス・ケサダ!」
アンヘレスはビクッとして、声がした方を振り返った。普段、誰かに名前を呼ばれてもすぐに反応してはいけない、と親族の大人達から言い聞かされていたのだが、この声は彼女に従わなければならないと思わせる響きがあった。
何となく見覚えのある顔の女性がベンツのS U Vから手招きしていた。アンヘレスは友人達に「また明日」と挨拶して、自転車を押したまま車に近づいた。ドアが開き、すらりと背が伸びた女性が降りて来た。迷彩柄のパンツを履いていたので、軍人だと少女は判断した。大統領警護隊だ、と思った。
「アンヘレス・ケサダです。何か御用でしょうか?」
すると相手は緑色の徽章が入ったパスケースを出して、彼女にチラリと見せた。
「大統領警護隊の文化保護担当部指揮官ミゲール少佐です。」
とケツァル少佐は名乗った。それでアンヘレスは彼女とどこで出会ったのか思い出した。文化保護担当部のオフィスに遺跡見学の許可申請に行ったのだった。少佐がすぐに要件に入った。
「先日ラス・ラグナス遺跡に行った時、一緒に出かけたロカ・エテルナ社の技師を覚えていますか?」
「スィ、出かける時は面白いお話とかして下さいましたから、良い人だな、と思ったのですが、2日目から体調を悪くしたのかあまり口を利かなくなって、伯母や祖父が心配していました。セニョール・トーレスがどうかしましたか?」
「貴女が覚えている彼の様子を教えてくれませんか?」
それは”心話”を要求しているのだ。アンヘレスはまだ大人の様に情報をセイブするコツを完全にマスターした訳ではなかったが、旅行の間の同行者の行動を見せることは出来た。
アンヘレスの記憶には、トーレス技師の異変の原因を突き止める手がかりはなかった。だから少佐は言った。
「貴女がホテルで感じた嫌な気持ちを再現出来ますか?」
アンヘレスは戸惑った。あの時の感情をどうやって再現したら良いのだろう。彼女はホテルの部屋を思い起こしてみた。夢を思い出せる限り思い出そうと努力した。それが”心話”で相手に伝わるのかどうか、自信がなかった。
ケツァル少佐がふーっと息を吐いた。
「私はママコナが誰かに送ったメッセージを読み取る能力がありません。あるいは、まだ習っていないのかも・・・」
「ママコナからのメッセージですって?!」
アンヘレスは驚いて声を上げ、思わず口を抑えて周囲を見回した。幸い彼女達に注意を向けている人間はいないと思われた。いても大統領警護隊に関心を持っていると思われたくなくて、離れて見ているだけだ。
少佐が囁いた。
「貴女がホテルで感じた嫌な感触は、ママコナが貴女に危険を知らせようと送られたメッセージです。でも幸い貴女も貴女のお祖父様と伯母様、学芸員の方は無事でした。」
「では、トーレスは・・・」
「彼は今体調を崩して病院にいます。」
アンヘレスは不安になった。
「どうしてママコナは私にメッセージを送られたのでしょう? 祖父や伯母は何も感じなかったのです。あ、祖父は何だか落ち着かなかったみたいですが・・・」
「理由はお祖父様かお父様に聞いて下さい。」
ケツァル少佐はアンヘレスに血統の真実を話せないことをもどかしく思った。しかし、これはケサダとムリリョの家の問題で、彼女は口を出せないのだ。
「兎に角・・・」
と少佐は言った。
「貴女はもう安全です。トーレスのことは伯母様に任せておきなさい。」
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