2021/08/30

第2部 節穴  14

  ステファン大尉がケツァル少佐に言った。

「我々が調査に行きます。恐らく大統領官邸西館庭園の”穴”の”入り口”に当たるものがラス・ラグナス遺跡にあると思われるので、それを塞がなければなりません。何故”穴”が開いたのか原因の究明も必要です。現地に行きたいので、遺跡立ち入り許可を申請します。」

 ロホがチャチャを入れた。

「申請用紙はここにないぞ。」
「事後申請でお願いします。」

 少佐はパンケーキをパクリパクリと2口で食べてしまい、考え込んだ。ギャラガはびっくりしたが、ステファン大尉もロホも知らん顔をしていた。寧ろ、少佐の手が新しいパンケーキを求めて中央の大皿に伸びたので、ロホが素早くお代わりを少佐の小皿に取り分けて差し上げた。3枚目のパンケーキを食べてしまってから、少佐が顔を上げた。

「どうせ行くなら空軍の助けが要るでしょう?」
「スィ。遺跡へ行ける”通路”がありそうにないので、少佐から空軍へお口添えを頂ければ助かります。」

 すると少佐がギャラガを見た。

「ブーカ族なのに”通路”を見つけられないのですか?」

 ギャラガは赤くなった。彼が言い訳する前にステファン大尉が言った。

「彼はまだ修行の初期段階です。」
「そう・・・」

 少佐が特に感動した風もなく頷いた。

「それで貴方が導師として彼を任されたのですね?」

 え? とギャラガは驚いてステファン大尉を見た。大尉は彼を見なかった。見てもギャラガは”心話”を使えないのだから、心を読まれる心配はないのだが、つい習慣で相手に胸の内を明かしたくない時の行動が出たのだ。
 少佐が立ち上がって、棚の上の携帯電話を取った。何処かの番号を押して、窓際へ歩いて行った。
 ロホがギャラガにお菓子を食べるように勧めた。

「遠慮せずに食え。さもないと少佐に全部食われてしまうぞ。あの方は能力が強い分、エネルギー補給量も半端じゃないんだ。」
「彼女、今日はまだ能力を使っていないぞ。」

とステファン大尉が小声で囁いた。

「それに外出する気配もなさそうだ。」
「いいんだ、体重を増やされたら、こっちが悲しいじゃないか。」

 男達が勝手な会話をしているのを少佐は片耳で聞きながらもう片方の耳で電話の相手の言葉を聞いていた。そして頷いた。

「では、その新型ヘリの試験飛行に隊員を3名乗せて下さい。時刻はそちらの準備次第で結構です。グラシャス。」

 電話を切り、次に別の場所へかけた。挨拶をして、いきなり質問した。

「サン・ホアン村に行きたくないですか?」


2021/08/29

第2部 節穴  13

  女性が一人暮らしをしている家に入るのは初めてだった。ギャラガは殆ど恐る恐ると言う形容がぴったりな足運びでステファン大尉とロホについて中に入った。彼が入ってしまうと少佐が後ろでドアを閉めた。もう逃げられない、とギャラガは思った。オートロックの施錠音が聞こえた。短い廊下の突き当たりに広いリビングがあった。少佐が男達を追い越し、歩きながら手で座れと合図してキッチンへ消えた。ロホが彼女を追いかけてキッチンへ入り、ギャラガはステファン大尉がソファに座り、隣を示したのでそこに腰を下ろした。ソファは柔らか過ぎず硬くもなく、落ち着いて座していられる快適さだった。壁に薄型の大きなテレビが備え付けられ、棚には外国の様々な人形が飾られていた。目立つ家具はそれだけだった。バルコニーに面した掃き出し窓のそばの床にシートが敷かれ、その上に分解されたMP5短機関銃が散らばっていた。(ギャラガはMP5だと思ったが自信はなかった。)
 ギャラガが珍しくて室内を見回していると、ステファン大尉が小声で囁いた。

「少佐から”心話”を求められたら、昨晩の様に正直に伝えたいことだけ思い浮かべろ。力むと却って伝えたくないこと迄読まれてしまう。純血のグラダの力は半端ではないぞ。」
「承知しました。」

 忠告されると却って緊張してしまいそうだった。
 その頃キッチンでは2人の客の緊張を他所に、少佐とロホがのんびりした会話を展開していた。コーヒーの支度をしながら少佐がロホに苦情を言った。

「来るなら電話を入れて下さい。化粧をする暇もないじゃないですか!」
「まだお化粧を必要とされるお歳でもないでしょう。」

 お菓子を袋から皿に移していたロホは背中を肘で突かれた。

「あんな若い子を連れて来て・・・」
「カルロの部下ですよ。」
「部下の同伴が必要な任務とは?」
「それは本人から直接お聞きになられた方がよろしいかと。私の私見が入ると良くありませんから。」

 キッチンにコーヒーの芳しい香りが広がった。少佐がロホの右腕を掴んだ。

「綺麗に治りましたね。昨日は縫合が必要かと思いましたが。」
「擦り傷です。家に帰り着く迄に塞がって包帯も不要になっていました。」
「気をつけなさいよ。貴方はいつも終わりに気を抜く悪い癖があります。」
「肝に銘じておきます。」

 少佐が彼の腕を離し、カップにコーヒーを注ぎ入れた。
 2人がリビングに戻ると不思議な緊張感が漂っていた。少佐はすぐにそれが誰の気分なのかわかった。彼女がトレイをテーブルに置くと、ステファン大尉が自分でカップをそれぞれの席に分配して置いた。

「母がお世話になっているそうですね。」

と彼が世間話から始めた。少佐がロホを振り返ったので、ロホが手を振って否定した。

「私は何も言っていません。」
「ムリリョ博士からお聞きしました。」

と大尉が言ったので、ギャラガが「あっ!」と声を上げ、皆んなの注目を集めてしまった。ギャラガは焦った。彼は今になってムリリョ博士が言った「ステファン大尉の母親の面倒を見ているケツァル」が誰なのか悟ったのだ。ドッと冷や汗が出た。大尉が「何だ?」と尋ねた。ギャラガが返答に窮すると、ケツァル少佐が尋ねた。

「この子は誰?」

 ステファン大尉は紹介を忘れていたことに気がついた。失態だ。

「紹介が遅れました。警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉、ブーカ族です。5日間限定で私の下で働いています。少尉、こちらは文化保護担当部の指揮官シータ・ケツァル・ミゲール少佐だ。」

 立ち上がって挨拶すべきか? とギャラガは一瞬迷ったが、誰もが座ったままだったので彼も座ったまま敬礼し、「ギャラガです」と挨拶した。少佐が頷いた。

「ミゲールです。世間ではケツァルで通っています。好きな方で呼びなさい。」

 そして大尉に向き直った。

「用件とは?」

 大尉が少佐の目を見た。少佐も彼に視線を合わせた。いつもの様に一瞬で情報が伝えられた。少佐がコケモモパンケーキを小皿に取った。ロホが忘れ物に気がついた。急いで立ち上がり、キッチンへ歩き去った。大尉が少佐に尋ねた。

「ラス・ラグナス遺跡に行かれたことはありますか?」
「ノ。あることは知っていますが、行ったことはありません。」
「遺跡荒らしの通報もないのですね?」
「聞いていれば調査に行っています。」

 ロホが早足で戻って来た。メープルシロップの容器を持っていた。少佐の家のキッチンで何が何処にあるのか熟知している様だ。シロップをパンケーキにかける少佐にロホが話しかけた。

「ラス・ラグナスを調査しますか?」
「未調査の遺跡の被害状況が分かるのですか?」

と少佐が逆に質問して部下を考え込ませた。


第2部 節穴  12

  翌朝、ロホはステファン大尉とギャラガ少尉を連れて出かけた。朝食は一番近い大通りに出ていた屋台で揚げパンとコーヒーを買って済ませた。日曜日の礼拝が終わる迄一般市民が街を彷徨くことは少ない。歩いているのは主に観光客だ。大統領府に向かう団体がいる。正面玄関の儀仗兵の交代を見に行くのだ。ギャラガは儀仗兵が名誉な役職だとわかっていたが、なりたいとは思わなかった。正装して不動の姿勢で長時間多くの人の目に曝されて立っているなんてゴメンだった。イギリスの衛兵交代の様な華やかなものでもないのに、どうして観光客は喜んで見るのだろう。
 ロホはステファン大尉から譲り受けたと言う中古のビートルを持っていたが、車を使わずに3人でのんびり街中を歩いて行った。繁華街に向かわず、高級住宅街へ向かって行くので、ステファン大尉は彼の目的地がわかった。

「彼女に連絡を入れたか?」
「ノ。でも今日はご在宅の筈だ。昨日はかなり遊んだからな。」

 昨日は軍事訓練じゃなかったのか? ギャラガは疑問に思いつつ、黙ってついて歩いた。途中でまた屋台に寄り道して、ロホはお菓子をいくらか買った。ステファン大尉が尋ねた。

「コケモモパンケーキとアルコイリスは買ったか?」
「当然。」

 ギャラガが怪訝な顔をしたので、大尉が囁いた。

「賄賂だ。」
「?」

 大尉と中尉はクスクス笑いながら袋からアルコイリスを少しだけ掴みだして分け合った。ギャラガもお菓子を分けてもらい、歩きながら食べた。子供時代は縁がなかった甘味だった。
 かなり太陽が高くなってから目的地の高級コンドミニアムの前に到着した。ステファン大尉が慣れた手順でセキュリティキーパッドを叩いて分厚いガラス扉を開いた。中に入ると次の関門が待ち構えていた。ロホがずらりと並んだ入居者の各部屋のパネルから一つを選んでボタンを押した。ギャラガはパネル毎にカメラが付いていることに気がついた。扉毎にもセキュリティカメラが付いている。警戒厳重なコンドミニアムだ。部屋の主がカメラでロホを確認した様だ。第二の扉が自動的に開いた。
 生まれて初めて高級住宅に入った。ギャラガはエレベーターに乗っている間も落ち着かなかった。7階迄上がるのは時間がかからなかったが、ギャラガは初めての体験だったので気分が悪くなった。耳がおかしくなりそうだ。だから目的の階に着いて箱から出た時はホッとした。ロホがエレベーターホールに2つしかないドアの片方の前へ行き、チャイムのボタンを押した。2分間たっぷり待たされてから、ドアが開いた。
 Tシャツにデニムの短パン姿の、すらりと背が高い若い女性が現れた時、ギャラガの心臓が高鳴った。

 マジか?! ケツァル少佐じゃないか!

 大統領警護隊では今や伝説の様な存在になっているこの世で唯一人の純血種のグラダ族だ。誰よりも能力が強くて、気の制御が上手くて、敵には情け容赦なくて、美しくて・・・。 
 少佐は化粧っ気のないすっぴんだったが美しかった。そして不意打ちで現れた部下に腹を立てていた。

「朝っぱらから何の用です?」

 ロホが敬礼して申し訳なさそうに言った。

「申し訳ありません。まだお休みでしたか?」
「起床時間はいつも通りです。今日は日曜日ですよ。」
「すみません、客が少佐に面会を求めていまして・・・」

 ロホは体を少し横へ寄せて、連れてきた2人が少佐に見えるようにした。ケツァル少佐が視線を向けたので、ステファン大尉が敬礼して見せた。ギャラガも慌てて敬礼した。少佐が大尉と彼をじっくり眺めるのを意識したが、目を合わさない様に務めた。
 少佐はロホに視線を戻した。

「面会とな?」
「スィ。」
「彼等の任務の話?」
「スィ。」
「文化保護担当部と関係があるのですか?」
「あると思います。」

 少佐が溜め息をついて、入れと手で合図した。


 

 
 

第2部 節穴  11

  ギャラガは野宿することに抵抗を感じなかったが、ステファン大尉は屋根がある場所を希望した。実のところグラダ・シティの市街地は野宿が法律で禁止されていた。公園は特に警察が夜間巡回して旅行者を摘発する。ホームレスは市街地で寝泊まりしない。スラム街へ行けばいくらでも寝グラを提供してくれる親切な人がいるからだ。大尉が屋根がある場所を希望したのは、彼がオルガ・グランデ出身だったからだ。セルバ共和国の西部高地は夏でも夜間になると冷え込む。うっかり路上で寝てしまうと風邪をひくし、悪くすると命取りになる。大尉は子供時代の経験が身に染み付いていて、大人になっても防寒対策は怠らなかった。例えそれがジャングルでの野宿であっても。
 屋台の温かい食べ物で満腹になると、ステファン大尉は携帯電話を出した。少し考えてから、何処かに電話をかけた。

「ステファンだ。」

と彼は名乗った。ギャラガは彼の顔が和むのを見逃さなかった。親しい人にかけたらしい。博物館でムリリョ博士が言っていた実家にかけたのだろうか、と思っていると、大尉は

「仕事を増やして済まないな。」

と言った。相手の言葉を聞いて苦笑してから、要件に入った。

「悪いが今夜泊めてくれないか? 部下と私の2人だ。床の上で構わないから、朝までいさせて欲しい。夜が明けたら出て行く。」

 相手の言葉を聞いて、「歩いて行くから、先に寝ていてくれ」と言い、彼は電話を切った。

「お友達ですか?」

とギャラガは尋ねた。大尉が頷いた。

「文化保護担当部の中尉だ。私の同期。」

 ギャラガは漠然と心当たりがあったので言ってみた。

「ロホ・・・ですか?」
「スィ。」
「昨年、1、2ヶ月ですが訓練のインストラクターをして頂いたことがあります。」
「ああ・・・」

 大尉がちょっと遠くを見る目をした。

「アイツが肩の怪我をした時だな。」
「スィ。反政府ゲリラを相手にしてミスったと・・・自分と同じ過ちを犯すなと言う講義でした。」
「司令部も意地悪だろう? 失敗すると後輩の前で曝し者にするんだ。私たちも気をつけないとな。」

 2人は通りを歩いて行った。少しずつ人通りが減って行ったが、それは繁華街から住宅街へ入ったからだ。住宅街の夜中の道は安全と言えなかった。路地が多く、街灯も少ない。警察の巡回も高級住宅街から低所得者層の居住地へ行く程回数が減る。
 半時間歩いて、古いアパートに到着した。階段を歩いて3階迄上ると、ステファン大尉はあるドアのノブを掴んだ。施錠されていたが”ヴェルデ・シエロ”にはないも同じだ。チェーンが掛けられていなかったので、ドアを開いて中に入り、ギャラガを手招きした。ギャラガが入ると大尉はドアを閉じて鍵を掛けた。
 ギャラガは室内を見回した。照明は消されていた。彼が”ヴェルデ・シエロ”である証明が唯一存在する。闇でも目が見えるのだ。
 質素なアパートだった。必要最低限の調度品しか置かれていない。まるで大統領警護隊の官舎の部屋に台所が付いているだけ、と言えそうだ。ダイニング兼リビング、キッチン、バスルーム、そして寝室だけの狭いアパートだった。窓枠に男が一人腰掛けてビールの瓶を片手に持って、客を見て、「よう!」と言った。ステファン大尉も「よう!」と応え、窓際へ行った。

「起こしてしまったか?」
「寝るにはまだ早いさ。」

 ロホがギャラガに視線を向けたので、ステファン大尉が紹介した。

「警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉だ。副司令の命令で、今日から私とある任務に就いている。」
「よろしく、少尉。」

 ロホはいつでも誰にでも優しい。ギャラガも知っていた。この人は後輩達にとても人気があるのだ。昨年迄官舎に住んでいたことも、彼がこの中尉に親しみを感じた理由だった。普通、殆どの隊員は外郭団体に配属されたら官舎から出て行ってしまうものだ。
 ギャラガが挨拶を返すと、ロホはキッチンの冷蔵庫を指差した。

「ビールしかないが、好きなだけ飲んでくれて構わない。シャワーも使ってくれ。」

 大尉がそうしろと言うので、ギャラガは礼を言って、浴室に入った。珍しくお湯が出るシャワーだったのでびっくりした。ざっと体を洗って、着替えがないので下だけパンツを身につけて部屋に戻った。ステファン大尉とロホはテーブルの椅子に座って互いの近況報告をしていた。”心話”と声を交えての会話だ。近隣の部屋への配慮なのだろうとギャラガは思った。周囲の人間に自分達が何者か教える訳にいかないのだ。ギャラガが戻ったので、ロホが寝室を示した。

「ベッドを使って良いぞ、少尉。私はもう少しカルロと話したいから。」
「明日は日曜日だしな。」

とステファン大尉も言った。軍隊に所属していれば曜日など関係ないのだが、外の世界にいると日曜日は休みなのだ。ギャラガはなんとなく除け者になりたくないと思ってしまった。

「お邪魔でなければ、私ももう少し起きていたいです。」

 彼は上官達の意見を待たずに窓枠に座った。大尉も中尉も彼の希望を拒否しなかった。
 窓の外は低い住宅の屋根と庭と樹木が広がっていた。夜だし、街中だし、景色が綺麗と言う訳ではなかったし、夜空もいつもと同じだ。違うのは号令や掛け声が聞こえないこと。銃器の手入れの音がしないこと。大統領官邸の緊張感がないこと。
 大尉がロホに質問した。

「その右腕の擦り傷は、今日の軍事訓練のものか?」
「スィ。ユカ海岸で1600迄やっていた。少佐に銃撃されて、かわしたら堤防から滑り落ちたんだ。」
「滑り落ちた? 減点3だな。」
「捕虜のマハルダを取り返せなかったので、減点15さ。」
「一度も取り返せなかったのか?」
「出来なかった。少佐のガードが固過ぎる。アスルも腕を上げてきたしな。」

 軍事訓練って? ギャラガは耳をピンと立てたくなった。文化保護担当部って、文化財の保護をしている部署じゃないのか? 大尉が不満げに意見した。

「マハルダも脱走する努力をしなかったんだろ? 内と外で動かなきゃ、少佐の結界は破れないぞ。」
「だから、その内側でアスルがしっかりマハルダを抑えてしまうんだよ。」

 け・・・結界? ギャラガは胸がときめくのを抑えられなかった。”ヴェルデ・シエロ”が古代神として崇められた一番の理由だ。能力で一つの場所をすっぽり覆って外敵から住民を守る。現代の”ヴェルデ・シエロ”で広範囲の結界を使えるのは純血種のブーカ族だけだ。他の部族はせいぜい大型テント並みのものしか使えない。メスティーソはもっと困難だ。かなりの修行を要する。
 文化保護担当部は結界の使い方を訓練しているのか? 
 興奮したのが上官達に察知された。大尉と中尉がギャラガを振り返った。

「もう寝ろよ。」

と大尉が言った。中尉も言った。

「素直に寝ろ。明日、良いところへ連れて行ってやるから。」



第2部 節穴  10

  土曜日の夜だ。首都グラダ・シティは夜が更けても屋外を歩き回る人が多かった。広場ではコンサートも行われている。ギャラガはテレビも見なかったので、街がこんな風に賑やかな場所だと今更ながら思い出して驚いた。少し大通りから離れた脇道の角には、夜の商売女らしき人影も見えて、少し心が騒いだ。並んで歩いていたステファン大尉が囁くように尋ねた。

「なんだ?」
「何がです?」
「君の心が時々騒ぐ。」

 博物館でムリリョ博士と大尉がギャラガは気を放っていると言った。今迄そんなことを言われたことがなかった。当然自覚もなかった。気を放出しているから、大統領警護隊に採用されたのか。長年の謎が解けた気がした。司令部は彼がいつか同僚達と同じ様に力を使いこなせるようになると思っているのか? 出来れば、そうなりたい。ギャラガは心からそう思った。

「ギャラガと言うのは父親の名前か?」
「スィ。」
「母親は何族だった?」
「知りません。」

 大尉が頭をぽりぽり掻いた。

「ギャラガって、コンピューターゲームの名前なんだがなぁ・・・」
「え?」
「父親のフルネームは?」
「・・・知りません。」
「母親の名前は?」

 ギャラガは記憶の底にしまっていた女の名前を出した。

「ルピタ・カノ です。」
「マリア・グアダルペ・カノ か?」
「え?」
「ルピタはマリア・グアダルペの略だ。」

 ギャラガが黙ってしまったので、大尉は「まぁいい」と呟いた。

「カノはカイナ族に多い名前だ。だが君は自己紹介の時にブーカ族だと言った。」
「そう聞かされて育ちました。」
「私も君はブーカだと思う。カイナ族より気の力が大きい。純血のカイナ族はミックスの君より大きな気を持っていない。君の母親はブーカ族とカイナ族のミックスだったのだろう。本来なら、君の名前はアンドレ・カノ でも良かったのだ。」

 慕った記憶のない母親だ。いつも打たれるか罵られていた記憶しかなかった。食べ物を与えられて放置されていたのだ。ギャラガは言った。

「ギャラガで良いです。因みに、どんなゲームですか?」
「宇宙での戦いをイメージした固定画面型のシューティングゲームだ。」
「じゃぁ、やっぱりカノよりギャラガで良いです。」

 ステファン大尉が笑った。彼の名前はスペイン系だ。これはメスティーソでは珍しくない。それで尋ねてみた。

「大尉の姓は父方ですか母方ですか?」
「母方だ。」

 と大尉は答えた。

「グラダ族の子供は母方を名乗る。だから母方の祖母もステファンだった。だが祖母の母親は別の名前だったのだろう。祖母はスペイン人の父親の名前を名乗った様だから。」
「グラダ族の血はどちらから?」

 ちょっと興味が湧いた。もしギャラガの記憶が正しければ、現代グラダ族を名乗れる人は2人しかいない。グラダ系はいても半分以上グラダの血を持つ人は2人だけだと大統領警護隊の先輩達から聞いたことがあった。ステファン大尉はこう答えた。

「母からも父からも。」

 そして彼は広場の屋台を指差した。

「あそこで晩飯にしよう。」



2021/08/28

第2部 節穴  9

 ステファン大尉はムリリョ博士に”心話”で大統領府西館庭園の怪異を説明した。一瞬で終了した。ふむ、とムリリョはちょっと視線を天井に上げ、それからギャラガを見た。大尉がギャラガに言った。

「君が見た物を博士にお見せしろ。」

 ギャラガは一気に緊張した。彼は勇気を振り絞って告白した。

「出来ません。」

 大尉とムリリョが彼の顔を見た。ギャラガは赤面して、もう一度言った。

「”心話”を使えません。私は・・・緑の鳥の徽章を付ける資格がないのです。」

 ムリリョが大尉の目を見た。2人で”心話”を使って会話をしている。ギャラガはこの場から去りたくなった。己は”出来損ない”どころかただの”ティエラ”だ。大統領警護隊として勤務する資格のない男だ。
 ムリリョがギャラガに向き直った。

「気を放出しているのに、”心話”を使えない訳がない。」

と彼は言った。え? とギャラガは驚いてステファン大尉を振り返った。博士は今何と言った? ステファン大尉がギャラガに尋ねた。

「君のご両親は君に”心話”で話しかけなかったのか?」
「私の親ですか・・・」

 ギャラガは再び赤面した。父が何者だったのか知らない。アメリカから来た白人と言うだけだ。母親は売春婦だった。思い出すのも嫌だ。

「父は私が物心つく前に死にました。母は・・・まともに私と話をした記憶がありません。」
「どっちが白人だ?」
「父です。」

 大尉はムリリョ博士に言った。

「母親が基本を教えなかった様です。」

 ムリリョが首を振った。

「”ティエラ”でも親が話しかけない子供は言葉が遅れる。この男は幼児期身近にまともな”ヴェルデ・シエロ”がいなかったのだな。」
「何のことですか?」

 ギャラガは不安になってどちらにともなく尋ねた。ステファン大尉が答えた。

「君は能力を持っているのに使い方を知らない、と言う話だ。」
「私が能力を持っている? そんな筈は・・・」

 しかしムリリョはもうこの話題に飽きた様だ。ステファン大尉に言った。

「この男の記憶を探らせろ。もうすぐ閉館時間だ。」

 大尉が溜め息をついた。そしてギャラガに言った。

「君は否定しているが、君は全身から”ヴェルデ・シエロ”の気を放っている。それが、博士が君から記憶を引き出すことを妨げている。”心話”を使えないんじゃない、君自身が心を開いていないのだ。余計なことを考えずに、今日、私と一緒に見た物だけを思い出せ。目を開いたまま、見た物だけを思い浮かべろ。」

 ギャラガは深呼吸した。見た物だけを思い出せ? そんなの簡単だ。赤い花の手前、空中にポツンと見えた灰色の石の様な物・・・

「確かに、お前達は2人共同じ物を見た様だな。」

と不意にムリリョ博士が言って、ギャラガは我に帰った。博士が俺の心を読んだ?
 戸惑う彼を無視してステファン大尉が博士に尋ねた。

「どこの石かわかりませんか? 地質学者に訊いた方が良いでしょうか? 生憎知り合いがいないので、こちらへお邪魔させて頂いたのですが。」
「見えた物が石の一部だけと言うのが、心許ない話だ。しかし、あの材質は見覚えがある。」

 いきなり博士が歩き出したので、ステファン大尉がついて行った。ギャラガも慌てて後を追った。博士は入り口近くの壁に大きく描かれているセルバ共和国の地図の前で立ち止まった。現在確認されている国内の遺跡の位置が記されている地図だ。その一番上にある小さな青い点を博士が指差した。

「ラス・ラグナスと呼ばれる遺跡だ。まだ未調査なので青い印が付けられている。」

 大尉が見上げた。天井近くの青い点を見上げて、「知らないなぁ」と呟いた。

「発掘申請が出ていない遺跡ですね。私がオルガ・グランデにいた頃も聞いたことがありませんでした。祖父も知らなかったでしょう。」
「国境の砂漠同然の荒れた土地だからな、街の人間は知らない筈だ。陸軍基地から北へはそこの住民しか行かない。」
「住民? 村か町があるのですか?」
「サン・ホアン村と言う小さな集落がある。ラス・ラグナス遺跡はその村の先祖が造ったと思われている。」
「ラグナス(沼)なのに、砂漠なのですか?」

 ギャラガがうっかり口を挟んでしまった。ムリリョがジロリと彼を見た。

「昔は湿地だったのだ。」

 それだけ言うと、彼はステファン大尉に質問した。

「ところで黒猫、お前は空間の歪みの修復の仕方をわかっておろうな?」

 大尉が頬を赤く染めた。

「トーコ中佐にやってみろと言われました。」
「経験はないのか?」
「ありません・・・」

 ムリリョが天を仰いだ。

「今以上にケツァルに負担をかけるなよ、黒猫。」


第2部 節穴  8

  館長執務室に通されるかと思えば、中の展示室に入れてもらえただけだった。それでも空調が効いた館内は涼しかった。展示物が少ないと思ったら、博物館建て替えの案内が壁に貼り出されていた。建物の老朽化で新しく建て替えるのだ。展示物や所蔵物が仮の倉庫や展示室へ移転される途中だった。博物館の目玉展示物だけが客の為に残されているのだ。既に奥のブロックは閉鎖されており、立ち入り禁止のテープが貼られていた。
 夕刻なので客が少ない。博物館は午後7時迄開館しているが、外国人観光客は夕食の楽しみを逃すまいと昼間に目星をつけていた店へ向かって移動して行く。
 ステファン大尉は展示ケースの中の壁画の破片を眺めていた。ギャラガは先祖の遺物に興味がない。所在なげに大尉の横で立っていると、何処からともなく白いスーツ姿の老人が現れた。痩せて背が高く、髪は真っ白だ。目つきが鋭く、純血種の威厳と誇りが全身から漂っていた。ギャラガは一眼で彼が長老と呼ばれる地位の人だと察しがついた。姿勢を正すと、気配でステファン大尉が振り返った。彼も老人に気がつき、背筋を伸ばして足を揃えた。敬礼したので、ギャラガも急いで後に続いた。
 老人が呟いた。

「”出来損ない”が”出来損ない”を連れてきたか。」

 この差別用語は大統領警護隊に採用されてから嫌と言う程浴びせられてきた。純血種がミックスに対して使う侮蔑の言葉だ。それもメスティーソに対して使われる。異人種の血が入ると”ヴェルデ・シエロ”の能力を使いこなせないからだ。気の抑制が出来ない、ナワルを使えない、”幻視”や”操心”や”連結”と言った修行を必要としない能力も満足に使えない、当然高度な技を習得出来ない。純血種の”ヴェルデ・シエロ”からすれば、下手なことをされては一族の存在を一般の人々に知られてしまう恐れがあるから、ミックスの存在を嫌うのは当然なのだ。だが大統領警護隊に採用されたメスティーソ達は厳しい修行のお陰で純血種程の強さはなくても能力を使えるようになる。
 ステファン大尉は慣れている。彼もギャラガ同様入隊以来散々聞かされてきたのだ。そして、この長老が純血至上主義者で口が悪いことも承知していた。彼は挨拶した。

「お久しぶりです。お忙しいところに押しかけて申し訳ありませんが、教えて頂きたいことがあります。」

 老人がギャラガを見たので、彼は紹介した。

「大統領警護隊警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉です。少尉、こちらは人類学者でグラダ大学考古学部教授、セルバ国立民族博物館館長のムリリョ博士だ。」

 ギャラガは初対面の目上の人が話しかける迄黙っていると言う作法を守って、無言のままもう一度敬礼した。ムリリョ博士は見事にそれを無視して、ステファン大尉を見た。

「エステベスがお前を本隊に召喚したそうだが、母親をグラダ・シティに呼んでおいて放ったらかしか、黒猫?」

 いきなりプライベイトな話題を持ち出されてステファン大尉がちょっと怯んだ。

「仕送りは続けています。」
「半年の間、休暇なしで働いておるのか?」
「休暇はあります。家に帰っていないだけです。」
「エステベスはお前が家に帰るのを禁じておるのか?」
「ノ! 帰らないのは私が決めたルールです。修行が終わる迄の辛抱で・・・」
「その修行は何時終わるのか?」

 ステファン大尉が答えに窮した。ファルゴ・デ・ムリリョが冷たい目で彼を見つめた。

「お前が焦るのはわかる。お前の力は1年前に比べると遥かに大きくなった。今この瞬間も儂は感じる。上手く制御したいと気が逸るのだろうが、焦る程力は暴れるぞ。与えられる課題を一つずつ熟して身に覚えさせるしかない。休暇を与えられたら、家に帰って休め。」

 大尉は黙っていた。ムリリョは展示ケースの中を見るフリをして、付け加えた。

「何時までもケツァルにお前の母親の面倒を見させるでない。」
「え?」

 大尉が微かに狼狽えた。

「少佐が母の世話を?」
「早く街の暮らしに慣れさせようと、休日になれば買い物に連れ出したり、話し相手になっておる。お前の妹にも虫が付かぬよう見張っておる。」

 ギャラガはムリリョ博士がステファン大尉の親族に詳しいことを不思議に思った。純血種の長老とメスティーソの大尉はどんな関係なのだろう。
 大尉が首を振って何かを振り払う素振りをした。そして博士に改まって向き直った。

「兎に角、今日の訪問の目的を果たさせて下さい。大統領府でちょっと困ったことが起きているのです。」
「ほう?」

 ムリリョが初めてギャラガに目を向けた。

「それで、この白人臭いヤツを連れて来たのか?」

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...