2021/12/20

第4部 悩み多き神々     16

  テオとデネロスが階段を下りて階下へ行くと、既に「戦闘」は終了していた。廃工場の駐車場に遊撃班と文化保護担当部の隊員達が集合しており、テオは地面に座り込んだ3人の隊員の前にステファン大尉が屈み込んでいるのを目撃した。彼はデネロスに小声で尋ねた。

「何をしているんだ?」
「今の段階は、多分、透視です。負傷の程度を調べています。」

 隊員達は距離を開けて立っていた。全員疲れているが、休めと言われていないので、直立不動で立っているのだった。アスルとギャラガも彼等の横で立っていたので、デネロスも急いでギャラガの隣に並んだ。テオはどうしようかと迷い、結局彼女の隣に立った。
 座り込んでいる隊員の向こうに、2人の少佐が並んで立っていた。テオはセプルベダ少佐を初めて見た。想像したより小柄だが、顔は映画で見る先住民の賢人の様な重厚な雰囲気を漂わせる風貌だった。何族だろう、と思わずDNAを気にしてしまった。
 座り込んでいる隊員を挟んでステファンの反対側にロホが立っていた。いつもの優しい顔と違って厳しい軍人の顔で、真っ直ぐ立っているが身構えている印象をテオに与えた。
 ステファンが1人を残りの隊員から離して座らせた。彼が隊員の左肩に手を当てると、ロホが隊員に声を掛けた。

「息を全部吐き出せ。肺に空気があると危険だ。」

 ハァッと隊員が息を吐くと、ステファンの顔が一瞬力んだ表情を見せた。空気が一瞬ビッと固くなった、とテオは感じた。隊員が全身の力を抜いて、ぐにゃりと体を崩しかけた。ステファンが両手で彼を支えた。

「大丈夫か?」
「大丈夫です、グラシャス。」

 隊員は立ち上がり、ステファンに敬礼し、それから2人の少佐、ロホの順に敬礼してから、整列している仲間のところに走った。
 ステファンは次の隊員にも同じことをした。2人目は肩ではなく腰だったので、地面にうつ伏せに横たわらせて行った。隊員は彼が力んだ時に、まるでお尻を引っ叩かれた様にピクンと体を動かしたが、すぐに立ち上がり、上官達に敬礼して、仲間のそばに戻った。
 3人目はかなり辛そうな顔をして座っていた。ステファンは彼が地面に横たわるのに手を貸した。

「骨は折れていない。内臓も大丈夫だ。だが腹部の筋肉が損傷している。」

 ステファンは彼に負傷の状況を説明した。隊員が何か言いかけたが、彼はその口を指で押さえた。

「喋るな。かなり痛いだろうが、私に治せる。耐えてくれ。」

 彼は己のスカーフを出して隊員の口に咥えさせた。そしてロホを見上げた。

「肩を押さえてくれ。」

 ロホは無言で隊員の頭の方へ行き、その両肩を押さえた。ステファン自身は隊員の腰の上に己の体重をかける姿勢を取り、両手を腹部の上に翳した。テオは一瞬空気が冷たくなったと感じた。1秒後に周囲は元の蒸し暑い南国の空気に包まれていた。
 隊員が起き上がった。額に脂汗を浮かべていた。彼は咥えていたスカーフでそれを拭おうとして、それが上官のものだったと思い出した。ステファンが彼の微かな戸惑いを察して言った。

「そのまま使え。」

 そして隊員と共に2人の少佐に敬礼した。次にロホにも敬礼した。セプルベダ少佐が頷いた。

「戻れ。」

 ステファンと3人目の隊員が遊撃班の列に走った。
 セプルベダ少佐がケツァル少佐に向き直った。

「今日はなかなか有意義な訓練を考えついてくれて、感謝する。」
「こちらこそ、若い少尉達に為になる攻撃を仕掛けて頂いて感謝します。」

 どっちが勝ったんだ?とテオは疑問を持ったが、少佐達はまるで世間話をする様に廃工場の建物を見上げた。

「所有者が警察を通して要望を言ってきたそうだ。」
「あら、なんて?」
「演習で使用するなら、本気で暴れて解体費用がかからないように徹底的に破壊して欲しいと。」
「それは残念。もっと早く言って欲しかった・・・」

 まだ原型を留めている工場の建物を見ながらケツァル少佐が笑った。

「迫撃砲を使う訳にいかんからな。」

とセプルベダ少佐も笑っていた。
 テオは我慢できなくなって、声を掛けた。

「この勝負、どっちが勝ったんだ?」

 ”ヴェルデ・シエロ”達が一斉に彼を見たので、テオは肝が冷えた。将校の会話に割り込んではいけなかったのか?
 最初に笑ったのはセプルベダ少佐だった。

「どっちが勝とうが負けようが、予算審議では遺跡監視費用増額に賛成票を入れる。遊撃班には仕事の機会を増やせるチャンスだからな。だが、ステファンは逃げたぞ。」
「ロホと私で阻止しました。ですから、こちらの勝ちです。」

 鬼の様に怖いお姉さんは、不甲斐ない弟をジロリと見た。

「それに、彼はまだ結界を張るタイミングが悪いです。3名も負傷者を出しました。」
「仰せの通り。」

 セプルベダ少佐にも睨まれて、ステファン大尉は肩をすくめた。だが、と遊撃班の指揮官は彼を擁護した。

「気の爆裂による負傷の対処方法を習得出来ていることが判明した。こればかりは、実際に怪我人が出ないことには、判定出来ないからな。実際の戦いではなく訓練の場であって良かったとしよう。」

 彼は時計を見た。

「撤収にちょうど良い時間だ。では、次の機会を楽しみにしている。」
「次はこちらが攻撃する側になりたいですね。」

 おいおい、と男性の少佐は苦笑した。

「勘弁してくれ、ミゲール。守備より攻撃の方が簡単なのだぞ。」






2021/12/19

第4部 悩み多き神々     15

  階段の中ほどで座っているケツァル少佐が見守る中、アンドレ・ギャラガは3人の遊撃班隊員を相手に打ち合いをしていた。大統領警護隊は拳銃や軍用ナイフを所持しているが、訓練で格闘や打ち合いをする場合は流石に模擬弾装填の銃と模造刀を使う。それでも怪我は避けられない。相手の武器や拳が体に当たる寸前に気を放って避ける訓練だ。
 アスルは6人を相手にしていた。盗掘美術品密売組織の悪党達を10人まとめて病院送りにしたアスルだが、やはり同じ大統領警護隊相手だと手こずった。向こうも彼が格闘技の達人だと知っているから傾向と対策は練っている。それでも彼は巧みに相手に攻撃を仕掛け、遊撃班が気で彼の動きを鈍らせるのを防いでいた。
 ケツァル少佐は相手の人数を数え、遊撃班は現在指揮官を含めて26名だった筈、と考えた。セプルベダ少佐は彼女同様工場跡地の何処かで部下達の戦いぶりを観察している。1人は2階で縛ってある。人質だ。だから15人が外にいる。
 2階ではデネロスが4面のそれぞれの窓に結界を張って、屋根からの侵入を妨害していた。遊撃班は、午前中と違って彼女ではなく壁やガラスを銃撃して、彼女の注意を逸らせようと仕掛けてくる。格闘になると複数の男相手に1人の彼女はちょっぴり不利になるから、彼女は結界で相手の接近を防いでいた。
 ロホは屋根を警戒していた。デネロスの訓練の為に結界を張っていない。敵がそれに気がついて屋根を破って襲撃してくる場合を想定して、天井を睨みながら2階の床を歩き回っていた。
 テオは心臓がぱくぱくする緊張を感じていた。相手は”ヴェルデ・シエロ”なので遠慮せずに拳銃を撃てと言われても、やっぱり人間に向かって発砲するのに慣れていない。事務所の窓を順番に警戒していると、後ろで手首を縛っていた革紐を金属片で断ち切ったステファン大尉が静かに立ち上がった。目隠しを取り、両手首を擦ってから、テオの後ろを通り、事務所から出ようとした。事務所の外でロホが怒鳴った。

「テオ、後ろ!」

 テオが振り返ると同時にステファンが事務所から飛び出した。テオは発砲したが銃弾は壁に当たった。ロホが遠慮なくステファンにアサルトライフルを撃った。パンっと音がして空中で火花が散った。ステファンがフンッと鼻を鳴らして、窓を突き破り、屋根の上に飛び降りた。

「デネロス!」

とロホが叫んだ。

「ここは良い、下へ行け!」

 そして彼自身はステファンを追って窓の外へ飛び出した。
 テオは何が何だかわからず、窓に駆け寄った。デネロスがそれに気づき、咄嗟に事務所の窓に結界を張った。そして事務所の中に駆け込み、テオの服を引っ張った。

「窓から顔を出しちゃ駄目!」

 テオはそれでも外が気になって屋根を見た。
 外に出たロホは途端にカルロ・ステファンが放った強烈な爆風に襲われた。彼は両腕を交差させて頭部を守り、爆風を押し返した。押し返された爆風をステファンは耐えたが、近くにいた味方が3人吹き飛ばされ、屋根から転げ落ちた。

「馬鹿者、結界を張って仲間を守れ!」

と中尉のロホが大尉のステファンに怒鳴りつけた。チッとステファンは舌打ちし、身を翻して屋根から飛び降りようとした。そして脚を何かに掬われてその場で転倒した。下から壁を駆け上がって来たケツァル少佐が彼の顔の前に立った。

「愚か者、私から逃げられると思っているのですか!」

 ステファンは屋根の縁から下を見下ろした。さっき屋根から落ちた3人が地面に座り込み、そばにセプルベダ少佐が立って屋根を見上げていた。

「ミゲール!」

と彼が声を掛けた。

「今日はこれで終わりにしないか? ステファンの風が味方を打ちのめした。」

  ケツァル少佐は彼を見下ろし、それから弟を見て、呟いた。

「力だけは強いんだから・・・」


第4部 悩み多き神々     14

  ジープの座席で丸くなって昼寝をしていたセプルベダ少佐の携帯電話が鳴った。彼が電話の画面を見ると、エルドラン中佐からだった。少佐は直ぐに姿勢を正して電話に出た。

ーーまだ文化保護担当部は片付かんのか?

と中佐が尋ねた。セプルベダ少佐は欠伸を噛み殺して、「まだです」と答えた。すると中佐が言った。

ーー1700に大統領が南部国境へ出かけられる。
「それはまた急なことで。」
ーー当日に言われると警備班のシフト変更が間に合わない。1600迄に撤収して戻って来い。大統領の警護を頼む。
「承知しました。」

 一旦電話を切ると、セプルベダ少佐はケツァル少佐に電話をかけた。相手もまだシエスタの途中だったので、不機嫌な声で応答した。文句を言われないうちにセプルベダは要件を告げた。

「ミゲール、訓練の予定を変更しなければならん。大統領が急な外出をされる。」
ーーそれは仕方ありませんね。刻限は何時です?
「1600には本部に帰りつかねばならん。」
ーーわかりました。では、シエスタ終了次第、総攻撃をかけて下さい。

 セプルベダ少佐は時刻を確認した。まだ27分眠れる。

「承知。では、27・・・26分後に。」

 電話を切ると、彼は再び目を閉じた。
 廃工場では、ケツァル少佐が部下に声を掛けた。

「予定変更! 敵は1600迄に撤収しなければならない。総攻撃をかけてくる。心しておけ!」

 オー!と声を上げ、文化保護担当部の面々が持ち場に散った。テオは再びステファンの手を縛り、目隠しをした。革紐の痕が生々しく痛そうだったので、気持ちだけ緩めて縛った。階段を上り、事務室に入った。午前中と同じ椅子に大尉を座らせ、彼も机の上に座った。

「終了予定が早まって助かったよ。」

と彼は囁いた。

「朝からずっと戦場にいる気分で、耳が銃声でおかしくなりそうだ。」
「私もこんな長時間銃器を用いた訓練をしたのは、陸軍時代以来です。」

 と言いつつ、ステファンは昼食時にこっそり入手した平たい金属の破片を袖口から出した。手の感触だけで向きを持ちかえ、革紐を擦り始めた。テオは気が付かずに、事務所の外の作業場所跡を歩いているロホの姿を窓から眺めた。

「まさかグラシエラはこんな危険な遊びをしないだろうな?」
「彼女は普通の女の子として育ちましたから・・・」
「だけど、君とケツァル少佐の妹だぞ。 君のお母さんだって、お父さんに会いに井戸を上り下りした人だろ? お淑やかに見えても、活発なんじゃないのか?」

 半分揶揄い目的だったが、ステファンは「そう言われるとね」と目隠しをしたまま苦笑した。

「あの子も近所の男の子達とよく喧嘩したり、探検ごっこしていましたから。」
「この前キャンパスで出会った時、どんな教師になりたいのかって訊いたら、僻地の学校で教えたいって言っていたぞ。ゲリラとか怖くないのかって訊いたら、へっちゃらだって。」
「へっちゃら? 気も使えないのに・・・」

 ステファンは口元から微笑を消した。彼は呟いた。

「まさか・・・」
「まさか? 何だ?」
「いえ・・・祖父さんの封印が解けたのかと・・・しかし、あれは掛けた人でなければ解けませんから。」
「彼女の気力が強いってことだろう。恋人でも出来たかな?」
「それなら、私に、」
「滅多に家に帰らない兄貴に言うかな?」
「・・・」

 その時、階下で大きな音が響いた。銃声と怒鳴り声。アスルだ、とテオが思ったら、ステファンが「再開だ」と言った。


第4部 悩み多き神々     13

  朝ごはんは前夜の晩餐の残り物だったが、昼ごはんは朝ごはんの残り物だった。肉や野菜をトルティーヤで巻いた物を食べて、水で流し込んだ。捕虜もシエスタの間は縛を解かれて目隠しも外してもらえた。

「”ティエラ”で大統領警護隊の軍事訓練に参加した人は、貴方が初めてですよ。」

とロホが言った。テオは精神的に疲れていた。実弾が撃ち込まれてくるのだから、無理ないことだ。

「無事に今日の夜を迎えられたら、体験談を本にでも書くよ。」

と彼は言い、埃だらけの床に横になった。”ヴェルデ・シエロ”としての実戦経験がないアンドレ・ギャラガに、アスルが白兵戦になった場合の気の使い方を教えていた。格闘技の練習の様に見えたが、アスルは動きの一つ一つに、どのタイミングで気を発して相手の動きを鈍らせるか、教えているのだ、とデネロスが説明してくれた。

「”ヴェルデ・シエロ”は気を使って相手を倒せても、死なせてはいけない、それが掟だったな?」
「スィ。だから、格闘している時に気を出すタイミングや大きさの調節を学ばないといけないんです。下手をして相手を死なせては大変ですから。ですから、この訓練の時は、必ず少佐以上の階級の立ち合いが必要です。」

 でも、とデネロスはウィンクした。

「ロホとアスルはこの分野に関しては少佐級の実力を持ってますから。」
「純血種ですからね。」

とステファンが囁いた。

「それに相手を思い遣ることが出来る。心が安定していないと出来ません。」

 血気盛んな若者達は力を出し過ぎるのだろう。デネロスがステファンを見て微笑んだ。

「大尉は気を使わなくても実力で敵を倒せますものね。」
「だから、今それを修行しているんだよ。」

 ステファンはテオに愚痴った。

「司令部は、私が気の抑制を完璧に出来る様になったらメスティーソの隊員達の指導師にする腹積りの様です。」
「君はきっと良い先生になれるだろうな。」

 テオは慰めた。

「指導師になったら、自由に外出出来るんじゃないのか?」
「でも遺跡とは縁がなくなります。」
「遺跡で訓練したら?」

とデネロスが暢気に言った。

「遺跡を壊さないように気を出す訓練したら良いんですよ。」

 テオとステファンは顔を見合わせた。どんな戦闘訓練なんだ?
 ケツァル少佐とロホは床の上の埃に線を引いて工場の間取りを描いていた。

「セプルベダは何処から攻撃してくると思います?」
「この西側にある原料搬入口辺りでしょうか。建物の開口部が広いですから。しかし、2階も、この屋根が低い部分から侵入される可能性があります。」
「2階はマハルダの結界で守りなさい。彼女の結界が破られたら、貴方に任せます。人質はテオに一任します。人質が逃げたら、テオに追わせてはいけません。彼は事務所に留めおくこと。」
「承知しました。」

 ロホは天井を見上げた。

「床板が腐っている箇所がいくつかありますからね・・・」



第4部 悩み多き神々     12

  銃弾と弾薬にかかる費用を考慮して、遊撃班は「絶え間ない攻撃」はして来なかった。文化保護担当部もそれは同じで、各自持ち場から見える敵のグループの様子を伺い、油断していると思われる箇所へ撃ち込んだ。
 2時間経って、ケツァル少佐の元にセプルベダ少佐から電話が掛かってきた。

ーーそっちは怪我人が出たりしていないだろうな?
「全員無事です。そちらはいかがです?」
ーーフライングしてリーダーにビンタを食らったヤツが2名いたが、怪我人は出ていない。
「今日は迫撃砲の予定は?」
ーーそれは使わない。民家が近過ぎる。さっき、ギャングの抗争と勘違いした市民からの通報で警察が来た。こっちの車を見て、直ぐに帰ったがな。ところで、捕虜と話がしたい。

 ケツァル少佐はちょっと考え、「お待ちを」と言って、階段を軽々と駆け上がり、事務所に入った。そろそろ飽きてきたテオが何か言う前に、少佐はステファンの顔の前に電話を差し出した。

「セプルベダ少佐が貴方と話たがっています。」

 ステファン大尉は溜め息をついて、電話に向かって「オーラ」と声をかけた。遊撃班の少佐が尋ねた。

ーー何で捕まったんだ?
「申し訳ありません。ミゲール少佐の結界が破れなくて・・・」
ーー無理に破ろうとしなかっただろうな? ケツァルの結界にまともに突っ込むと、頭がパーになるぞ。

 テオにもその声は聞こえた。ちょっとゾッとする話だが、”ヴェルデ・シエロ”の結界は”ティエラ”には無害だと聞いているので、黙っていた。
 それはしていません、とステファンは否定した。

ーーまあ、良い。可能な限り逃げる努力をしろ。彼女に代われ。

 ケツァル少佐が電話を自分の顔に近づけた。

「何か?」
ーー昼休みはどうする?
「こちらは食糧持参です。」
ーーでは、1200から1400までシエスタだ。その後、突入を図るぞ。
「了解。では、もう2時間頑張りましょう。」

 ケツァル少佐は電話を終えて、携帯を仕舞った。テオが要求した。

「俺に耳栓の差し入れをしてもらえないか?」
「我慢出来ませんか?」
「訓練だと分かっていても、実弾だ。心臓に良くない。」
「アスル!」

 少佐が怒鳴った。直ぐにアスルが階段を駆け上がって来た。

「何か?」
「テオに耳栓を作ってあげなさい。」
「はぁ?」

 と言いつつ、アスルは再び階段を駆け下り、数分後に救急箱を持って戻ってきた。脱脂綿を切ってテオに無言で差し出した。

「そろそろ弾丸落としに飽きて来ましたが、少佐。」

と彼は遠慮なく上官に文句を言った。ケツァル少佐は彼を引き連れて階段を降りながら言った。

「1200から2時間昼休み、午後は向こうが侵入を図って来ます。白兵戦をしますから、我慢なさい。」

 その声を聞いたテオは不安になった。思わずステファンに、白兵戦?と聞いた。ステファンが言った。

「C Q BやC Q Cです。アスルの得意項目です。」




第4部 悩み多き神々     11

 何故こんな事態になったのだろう? とテオドール・アルストは考えつつ、車をイゲラス通りの廃工場へ乗り入れた。だが入り口に現れたギャラガにしっしと手で追い払われた。車を離れた場所に駐車せよと言われていたのだ。テオは慌てて方向転換して敷地外に出た。1分ほど走って、小さな教会前の広場に駐車した。そこは安全だと言われていた。ケツァル少佐のベンツもロホのビートルもなかったが、彼は借りてきたステファン大尉が使っていた大統領警護隊のジープをそこに停めた。緑色の鳥が描かれた車に悪さする度胸がある人間は、セルバ共和国にいないだろう。
 歩いて廃工場に戻ると直ぐに数台のジープがやって来た。どれも緑の鳥の絵が描かれている。テオは慌てて廃屋の中に駆け込んだ。
 汚れたガラス窓の向こうを眺めていたギャラガが声を張り上げた。

「早速包囲されましたよ。」
「車は何台?」
「5台。遊撃班ほぼ全員です。」
「セプルベダもいる?」
「いらっしゃいます。」

 よし、とケツァル少佐は頷くと、テオを振り返った。

「捕虜を2階の事務所へ連れて行って、見張ってなさい。」
「俺は君の部下じゃない・・・」
「そんなことを言える立場ですか?」

 少佐はアサルトライフルを振った。

「外に放り出しましょうか? 今出たら、向こうは実弾を撃ってきますよ。そもそも、これは誰のアイデアです?」
「乗ったのは誰だ?」

 副官のロホが階段の上で怒鳴った。

「裏手にM M Gを配備されました。」
「見張ってなさい。」

 少佐はテオに顎で指図した。

「早く!」

 仕方なく、テオは彼用に渡された拳銃をステファンの後頭部に押し付けて、歩け、と命じた。拳銃は彼の独断でロックしてある。ステファンは目隠しされて後ろ手錠の状態だ。歩きながら、彼が文句を言った。

「私の立場はどうなるんですか? 人質だなんて、情けない・・・」
「人質は逃げる努力をするのも訓練だろう?」

 目隠しされていてもステファンは階段を躓くこともなく、上手に上って行った。
 2階ではロホとデネロスがそれぞれ南北を受け持っていた。染色用の機械の錆びたのやら、大きな穴やら、埃だらけで天井から垂れ下がっているワイヤーを避けながら、小屋の様に設けられた事務所に入った。テオは埃だらけの椅子に捕虜を座らせた。

「俺は、まさか少佐が俺のアイデアを採用するとは思わなかったんだ。」
 
 彼が言い訳すると、ステファンが憮然とした声で言った。

「彼女は、戦闘ごっこが大好物なんですよ。」

 そして小声で付け足した。

「”ヴェルデ・シエロ”はこう言うシチュエーションが大好きなんです。」
「それで遊撃班も乗ってきた?」
「連中だって大喜びですよ。」

 いきなり下の方で銃撃音が響き、テオは肝を冷やした。銃声が響いた割にはガラス等の破壊音は聞こえなかった。

「さっきの方角は、アンドレの持ち場だな・・・」
「ガラスが割れていないので、彼は銃弾を全部落とせたのでしょう。」

 つまり、文化保護担当部と遊撃班が撃ち合って、双方の弾丸を気で破壊する練習をしているのだ。確かに、この訓練は、空間の大きさから考えて本部内では無理だろう。
 次は激しい連射音。機関銃だ、とテオはゾッとした。

「もうM M Gを使っている。」

とステファンが呆れた様な声を出した。

「指揮官が指図する筈がないから、担当者が自己判断で使ったな。」
「機関銃の使用はもっと後の方が良いのか?」
「まとめて弾き返せる結界を張る練習になります。敵が結界の張り方を学習してしまうと、銃火器での攻撃は困難です。これはマハルダの訓練にもってこいだ。」

 捕虜なのにステファンは解説者になっていた。
 機関銃の連射音は数分で止んだ。きっと指揮官が射手を叱っていることだろう。

「ところで、テオ、手首が痛いので革紐を少し緩めていただけませんか?」

 ”ヴェルデ・シエロ”は金属の手錠を簡単に破壊してしまえるので、縛る時は革紐やダクトテープを使う。

「申し訳ないが、カルロ、そんなことをしたら、俺が少佐に殴り倒される。」

  その時、事務所の中にロホが駆け込んで来た。テオの前を駆け抜け、ステファンを跳び越して、入り口の反対側の壁の窓のガラスの割れ目からアサルトライフルを突き出し、10発程連射した。
 テオはロホにともステファンにともなく、尋ねた。

「少佐はこの敷地全体を結界で覆っていないのか?」

 ロホが振り返った。

「そんなことをしたら、訓練になりませんよ。誰もあの方の結界は破れないんですから。」



 

第4部 悩み多き神々     10

  大統領警護隊遊撃班の指揮官チュス・セプルベダ少佐は、文化保護担当部の遣いだと言う白人男性が持ってきた文書を読んで、吹き出してしまった。綺麗に印刷された文書にはこう書かれていた。

 本日0800より軍事訓練を行います。遊撃班のご協力を要請します。
当部署では、遊撃班所属カルロ・ステファン大尉を捕虜として拘束しております。
場所はイゲラス通りの廃棄された染色工場跡。
本日1800迄に我々から彼を奪還して下さい。出来ない場合は、次の予算審議会で遺跡監視費用の増額に賛成票を願います。
    文化保護担当部指揮官 シータ・ケツァル・ミゲール少佐

 もう1枚手紙が入っていて、そこには、肉筆の走り書きがあった。

 女を怒らせると碌なことになりません     ステファン

 セプルベダ少佐はケツァル少佐を怒らせた覚えはなかった。だから、これは姉弟喧嘩が変な方向へ発展したのだな、と思った。だがこの軍事訓練参加要請を断る理由がなかった。遊撃班は他部署から応援要請があれば応じて加勢するのが任務だ。それに、僅か5人で国内の遺跡監視業務を行なっている文化保護担当部は日頃から山賊やゲリラ相手に戦っている実戦部隊だ。都会の本部に設置された安全な施設内で訓練するだけの隊員達に、刺激を与えるのにちょうど良い要請だった。
 セプルベダ少佐は秘書に言った。

「遣いの人に、文化保護担当部の宣戦布告に応じる、と伝えよ。それから、ステファンには、くれぐれも敵に寝返るな、と告げておいてもらえ。」

 秘書が部屋を出て行くと、少佐は時計を見た。午前7時半だった。少佐は席を立つと廊下に出て、気を放った。集合の合図だ。
 各部屋から一斉に隊員達が飛び出してきた。常から集合がかかれば直ぐに出る心構えが出来ている。廊下に立った部下達に指揮官は言った。

「文化保護担当部が我が班のステファン大尉を人質に取ったと連絡してきた。場所はイゲラス通りの廃棄された染色工場だ。これから本日1800迄に彼を取り戻さねばならん。これは訓練だが、決して気を抜くな。相手は、グラダのケツァルとブーカのマルティネスだ。気の大きさは半端ではない。油断すると訓練と雖も命に関わる大怪我をするぞ。」

 大統領警護隊は想定外の訓練があっても動揺しない。廊下に緊張感が漂い、空気が凍りついた様な冷たさになった。
 誰かが質問した。

「クアコとデネロスもいるのですね?」
「スィ。」
「ギャラガも?」
「スィ。それに、厄介だが、民間人が1人参加している。白人の”ティエラ”だ。彼には絶対に怪我をさせるな。守護者としての”ヴェルデ・シエロ”の誇りを守れ。」

 隊員達が一斉に、オーッと声を上げた。少佐が声を張り上げた。

「0800開始だ。急げ!」

 忽ち遊撃班の隊員達は出撃体制に入った。車両部に走る者、武器庫に走る者、後方支援準備に入る者。
 警備班の隊員達がその慌ただしい動きに気づかない筈がない。官舎で寝ていた非番の隊員達も遊撃班が放つ強い緊張感に目を覚まされた。何が起きているのかわからないが、出動準備で走り回っている遊撃班に声を掛けて邪魔することは許されない。
 セプルベダ少佐が己の武器の装備を整えていると、当直の副司令官エルドラン中佐から内線電話がかかって来た。

ーー遊撃班が慌ただしく戦闘準備をしていると報告が入っているが、何かあったのか?

 セプルベダ少佐は真面目な顔で答えた。

「文化保護担当部が当班の隊員一名を人質に取って、本日夕刻迄に取り戻せなければ次の予算審議会の折に味方せよと脅して来ました。若い連中の訓練に絶好の機会ですから、これから相手をしてやります。」

 武闘派のトーコ中佐なら、ここで大笑いするだろうが、冷静沈着なエルドラン中佐は、暫し沈黙した。それから、質問した。

ーーミゲール少佐の真意は?

 セプルベダ少佐は辛抱強く答えた。

「土曜日の軍事訓練です。彼女流の・・・」
ーーあの緩い部署のお遊びか・・・

 中佐が吐き捨てるように言った。

ーー隊員を死なせるなよ、セプルベダ。
「承知しております。」

 エルドラン中佐は文化保護担当部の実力を承知している。日頃の勤務はセルバ流にゆるゆるなのに、週末は生死をかけたお遊びをやっている部署だ。遊撃班の訓練には格好の相手であることを理解した。
 少佐は時計を見た。

「刻限が迫っておりますので、行きます。」
ーーよし、行ってこい!

 電話を置くと、セプルベダ少佐は部屋から飛び出した。

「出撃!」


 



第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...