2022/03/28

第6部 七柱    15

  グラダ・シティ市民となったマスケゴ族は故郷のオルガ・グランデを懐かしんでいるのか、それとも住居とはこう言う場所に築くものだと考えているのか、少し乾燥した感じの斜面になった土地に集まっていた。意図して集まっているのか、自然に集まったのかわからない。しかし、助手席のロホが「あれもマスケゴ系の家です」と指差す家屋はどれも斜面に建てられていた。テオはなんとなく違和感と言うか、或いは既視感と言うか、不思議な感覚を覚えた。オルガ・グランデで見たのは、斜面に建てられた石の街だった。殆どが空き家になっていたので、遺跡の様に見えた。住民は新しい家屋を手に入れて平地へ引っ越したのだと聞いた。そこに住んでいた人々はマスケゴ族とは限らず、”ティエラ”の先住民やメスティーソ達、鉱山労働者が多かった。

「大きな家を見ると、どう変わっているか、わかりますよ。」

 ロホは車を進めた。オルガ・グランデと違って、グラダ・シティの斜面の街は高級住宅街だ。高級コンドミニアムが多い西サン・ペドロ通りと違って、こちらは一戸建てばかりだ。緩やかな斜面に木々を植え、緑の中に家々がぽつんぽつんと顔を出していた。斜面だから日当たり良好だろう。

「え? あれも住宅?」

 思わずテオが声を上げたので、後部席でうたた寝していたギャラガ少尉が目を開けた。そして窓の外の風景を見て、彼は座り直した。

「階段住宅だ・・・」

 樹木の中に突然白い壁の大きな階段状の建造物が現れた。全部で七段はあるだろうか。それぞれの屋根が上の階の住宅の庭になっている。わざわざ斜面に階段状の家を建てたのではなく、岩盤を掘り抜いて家に改造してしまっている、と思えた。最下段の家がどの程度奥行きがあるのか樹木が邪魔で見えないが、かなり床面積が広そうだ。

「あれがムリリョ家です。」

 ロホはその家が一番よく見える道路のカーブで駐車した。狭い谷を挟んで向かいに屋敷が見えた。テオ達がいる場所はもう少し家が立て込んでいて、庶民的な感じがするが、一軒ずつは大きいので、こちらも高級住宅地なのだろう。車外に出ると、少し標高があるせいで空気が乾いて感じられた。ロホが最下段を指差した。

「一番下が母家です。あそこから始まって、子孫が増える毎に上に上がって行くのです。」
「それじゃ、最上段の主が一番若いのか?」
「理屈ではそう言うことになります。実際に誰がどこに住むかは、家族内で決めるのでしょうけど。」

 ギャラガが最下段を指差した。

「ムリリョ博士はあそこですか?」
「多分ね。もしかすると長男のアブラーンの家族かも知れない。或いは、博士夫婦と長男夫婦がいるのかも知れない。」

 テオはテラスガーデンを眺めた。花壇や池が造られている庭があれば、芝生でゴルフの練習場やサッカーゴールが置かれている庭もある。ボールが落ちるだろうと心配してやった。鶏小屋が置かれている庭もあって、鶏が外に出されて歩き回っていた。

「ケサダ教授はあの家に住んでいるのかい?」

と尋ねると、ロホはちょっと目を泳がせた様子だった。だが、すぐに巨大なテラス状の屋敷の向こうに見えている小振の2段になった、やはり白い壁の家を指差した。

「あの向こうに見えている家です。教授は博士の実のお子さんではないから、と言う理由ではなく、奥様のコディアさんの希望で別棟を建ててもらったと聞いたことがあります。」

 テオはロホが何か言いたそうな目をしたことに気がついた。悲しいかな、彼は”心話”が出来ない。しかし、何となく親友が何を言いたいのか理解出来るような気がした。
 フィデル・ケサダ教授の妻コディア・シメネス・デ・ムリリョは夫が純血のグラダであることを知っている筈だ。しかもただのグラダ族ではない。”聖なる生贄”となる筈だった純白のピューマだ。(テオはまだケサダがピューマだと信じている。)夫の正体を、彼女は彼女の兄弟姉妹に知られたくないのだ、きっと。そして半分その血を引いている娘達をしっかりマスケゴ族として教育してしまう迄、兄弟姉妹の家族から離しておきたいのだろう。
 その時、ギャラガがビクッと体を震わせた。ロホが気づき、テオもワンテンポ遅れて彼を見た。

「どうした、アンドレ?」

 ロホが声をかけた時、斜面の上の方から自転車で道を下って来た少女がいた。先住民の純血種の少女だ。彼女はテオ達が車の外で並んで谷の向かいにある家を眺めていることに気がついて、自転車の速度を落とした。13、4歳の美少女だ。
 「オーラ!」と元気よく声をかけられて、男達はちょっとドキドキしながら「オーラ」と返した。少女は自転車に跨ったまま話しかけてきた。

「面白い家でしょ?」
「スィ。」
「隠れん坊するのに丁度良い広さなのよ。」

 未婚女性に紹介なく話しかけてはいけないと言う習慣を思い出して、ロホとギャラガが戸惑っているので、テオは「無神経な白人」を演じて、彼女の相手をした。

「君はあの家で遊んだことがあるの?」
「スィ、殆ど毎日よ。」

 ロホとギャラガが顔を見合わせた。「マジ、拙い、ムリリョ家の娘だ」、と”心話”で交わした。テオは気にせずに続けた。

「君はあの家の子供なんだね?」
「ノ。」

 彼女はあっさり否定すると、巨大なテラス邸宅の向こうの小さい家を指差した。

「私の家はあっち。手前の家はお祖父ちゃんと伯父さんの家よ。上の階に行くと従兄弟達の家族が住んでいるわ。他にも叔父さんや伯母さん達がいるけど、あの人達は他に家を持っているの。私のパパだけがお祖父ちゃんのそばに住むことを許されているのよ。」

 彼女はちょっと自慢気に言った。そしてテオに言った。

「うちに来る? ママはお客さん大好きなの。パパの学校の学生がよく遊びに来るわ。」

 テオは微笑んだ。

「オジサン達も君のパパの友達と学生なんだ。だけど今日はもうすぐお昼休みが終わるから帰る。誘ってくれて有り難う。気をつけてお帰り。」
「グラシャス。 じゃ、また来てね!」

 彼女は再び自転車に乗り直し、勢いよく坂道を下って行った。
 警戒心が全くないのは、子供だからか? きっとグラダ族の能力の強さから来る自信だろう。とテオは想像した。すると、ギャラガがまた身震いした。

「さっきの女の子、凄い気を放っていましたね。」

 ロホが彼を見た。その表情を見て、テオは最強のブーカ族の戦士である彼が、少女の気の放出に気が付かなかったのだと悟った。彼は思わず呟いた。

「グラダはグラダを見分ける・・・」

 ロホとギャラガが彼を見た。をい! とロホが咎める目付きになり、ギャラガは目を見張った。 彼は一瞬にして、重大な秘密を悟ってしまった。

「フィデル・ケサダはグラダなのですか?」


2022/03/27

第6部 七柱    14

  テオは自然保護地区に立ち入る許可証をもらいに文化・教育省の3階へ行った。自然保護課にクエバ・ネグラ洞窟に立ち入って撮影する許可証を申請すると、もう顔を覚えられていて、「トカゲの洞窟ですね」と許可証を発行してくれた。それもその年の雨季の間は何時でも入ることが出来るフリーパス許可証だ。入洞する日を伝えれば、自然保護課からガイドに連絡してくれると言う。
 テオはふと思い出して尋ねてみた。

「アイヴァン・ロイドと言う男性がジャングルか海に潜る許可申請に来ていませんか?」

 職員が首を傾げた。

「アイヴァン・ロイド? 外国人ですか?」
「スィ、アメリカ人だと思いますが・・・」
「今季にそんな名前の申請はありませんね。」

 職員はパラパラと名簿をめくった。パソコンで検索しようとしない。

「申請せずに勝手にジャングルに入る人もいますからね。森林レインジャーや地元の自警団に撃たれても、こっちは責任取れないって言ってるんですが、守らない人は多いです。」

 セルバ共和国は小さな国だから、ジャングルの中で他所者に襲い掛かる先住民はいないことになっている。内務省の先住民保護政策によって、全ての集落の位置と人口が把握され、登録されている筈だ。だから自然保護課は、不法侵入者として自警団が他所者に危害を加えることを心配しているが、他所者が怪我をしたり命を落としても責任を持たない。森林レインジャーも麻薬組織の隠し畑やアジトを警戒しているので、他所者が指示に従わないと躊躇なく銃撃する。それに数は少ないが反政府ゲリラも出没する。外国人だとわかれば殺害されたり誘拐される。
 テオはアイヴァン・ロイドが大人しくセルバ共和国から撤退してくれることを願った。外国人が死んだりして、また北米のややこしい組織が動くと面倒だ。
 許可証明書をもらって文化・教育省を出た。カフェ・デ・オラスでコーヒーを飲んで時間を潰し、やっと昼休みになったので、文化保護担当部の友人達と昼食に出かけた。
 行きつけの店の1軒に入り、好きなものを注文して食べていると、ロホが話しかけて来た。

「ムリリョ家の建物を見たことがありますか?」
「巻貝みたいなモダンなビルかい?」
「それはロカ・エテルナの社屋でしょう。ムリリョ博士と子供達の自宅ですよ。」
「変わっているのかい?」
「ブーカ族の基準で見ると面白い形状です。マスケゴ族ってオルガ・グランデに住んでいたので、ああ言う形状の家を好むんでしょうかね。」

と言われてもテオは見たことがないのでわからない。わからないと言うと、食事の後で見に行きましょう、と誘われた。暇だから、テオは誘いに乗った。ケツァル少佐はロカ・エテルナ社訪問の間に溜まった書類を片付けると言って、このドライブを辞退し、ギャラガは後部席で昼寝させてくれるならついて行くと言った。それで、食事を終えると男達は少佐と別れ、テオの車に乗り込んだ。ロホのビートルは後部席で昼寝するには少し狭かったのだ。


2022/03/26

第6部 七柱    13

  アブラーン・シメネス・デ・ムリリョから渡されたモンタルボ教授のUSBを持って、ケツァル少佐は文化・教育省の文化保護担当部オフィスへ戻った。テオも一緒だった。4階に上がると、彼女はロホに指揮権を預けたまま、奥にある「エステベス大佐」と書かれた札が下がった小部屋へテオを案内した。テオは初めてその部屋に入った様な気がした。がらんとした部屋で、ドアの対面の壁に嵌め込み窓が一つあるだけだ。何も載っていない机とパイプ椅子。少佐が自分の机からパソコンを持ってきて、机の上に置いた。そしてUSBを差し込んだ。
 それからたっぷり40分間海底の映像を見たが、アブラーンが言った通り珊瑚礁と魚しか見えなかった。たまに底に石柱だったと思える欠片が見え、板の様な平らな岩が並んでいる箇所が3箇所ばかり見られた。建物の片鱗も壺も何もない。

「伝説がなければ、この海に遺跡が沈んでいるなんて誰も思わないな。」

 テオが呟くと、少佐も欠伸を噛み殺しながら同意した。

「モンタルボが執念で見つけた遺跡ですね。珊瑚を傷つけることは許可していません。発掘と言っても手をつけられる面積は限られています。例え太古の巨大な石柱が埋もれていても、岩を動かすことも許可していませんから、掘ることは出来ません。」
「それじゃ、泥をちょっと退けて見ることしか出来ないのか?」
「そうです。機械を水中に下ろして作業することも出来ません。地上の遺跡で土を掘っていくのとは勝手が違います。ですから、グラダ大学の先生達は水中遺跡に興味を抱かないのです。」

 動画が終わり、少佐はUSBを抜いた。テオはパソコンを元の場所に戻すのを手伝った。ロホやギャラガ少尉が好奇心に満ちた目で見るので、彼は言った。

「ただの水族館の動画と同じだよ。はっきり遺跡だと思える物は映っていない。」

 彼は少佐に提案した。

「スニガ准教授からクエバ・ネグラのトカゲが棲息している洞窟内部の撮影をしてくれと頼まれた。試験が終わると行くつもりだ。俺がUSBをモンタルボ教授に返してやろうか?」
「試験が終わるのは何時ですか?」
「来週の木曜日だ。」

 少佐はちょっと考え、頷いた。

「急いで返す理由もありませんね。 モンタルボも直ぐに再調査する準備を整えることは出来ないでしょう。」

 まだ昼休みには時間がある。テオはどこで時間を潰そうかと考えながら、4階のオフィスを見回した。隣の文化財遺跡担当課は雨季明けの発掘申請に来ている外国人達の相手で忙しそうだった。

「マハルダとアスルはどこだい?」
「マハルダはグラダ大学です。今日は現代言語学の今季最終講義があるので、聴講に行っています。」

とロホが教えてくれた。

「アスルは近郊の小さな遺跡を巡回して、各調査隊が雨季に備えて対策を取っているか確認しています。これらは国内の団体が殆どなので、意外に対策が緩く、雨で遺跡が痛むので困るんです。」

 


第6部 七柱    12

 「モンタルボが撮影した映像には、特に変わった物は写っていません。」

 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは来客用の椅子を示し、ケツァル少佐とテオに着席を促した。ゆったりと座れるオフィスチェアだ。テオはそのデザインを以前に見たことがあった。ケサダ教授の研究室で教授が使っている椅子だ。座ってみて、座り心地が良かったので驚いた。自分の研究室にも欲しいものだ。
 アブラーンはUSBを出して見せた。

「珊瑚と魚と海底の岩や石、それだけです。モンタルボに返して頂けますか?」

 彼がいきなりそれを放り投げて来たので、テオは慌てて受け取った。少佐が尋ねた。

「何をお知りになりたかったのです? モンタルボに見付けられて困る物でもあったのですか?」

 アブラーンは父親そっくりの冷たい眼差しで客を見た。

「大統領警護隊にも言えないことはあります。 私は嘘を付かない。だが言えない物は言いません。」
「ご先祖がカラコルの地下に仕掛けた仕組みのことですか?」

とテオはまた口出ししてしまった。今度はアブラーンも彼を無視せずにジロリと睨んだ。

「我が先祖がカラコルの地下に何を仕掛けたと仰るのです?」

 テオはハッタリをかけた。

「それを言ってしまうと、俺は”砂の民”に消されます。」

 アブラーンは少佐を振り返った。

「少佐、このドクトルはどう言う方ですか?」
「どう言う方なのか、お父上からお聞きください。」

と少佐は答えた。

「俺はグラダ大学の職員ですから、お父上とはキャンパスで顔を合わせます。」

とテオは言った。もっともケサダ教授の名は出さなかった。家族と言っても教授はアブラーンの義理の兄弟だ。ここでは名前を出さない方が賢明だろうと判断した。

「単純なことです。」

とアブラーンは言った。

「あの付近の海底がどの程度の水深で、底の状態がどうなっているのか、知りたかっただけです。」
「極端に水深が深いと不自然ですからね。」

と少佐が言った。

「カラコルと言う言葉は岬が水没した時代の”ティエラ”の言葉で『筒の上』と言う意味です。恐らくカラコルの町の地下に空洞があったのでしょう。ただの洞窟だったのか、住民が何らかの用途に用いていたのか、それは知りません。カラコルは外国の船に水を売っていたのだと地元の漁師の間に言い伝えが残っています。クエバ・ネグラに大きな川や湧水がありませんから、どこかの水源から引いてきた水を地下の貯水槽に貯めていたとも考えられます。町は栄える程に驕れる様になり、遂に神であるジャガーを捕らえて外国に売ろうとしました。しかしママコナの知ることとなり、国中の”ヴェルデ・シエロ”の呪いを受け、町は岬ごと海の底に沈んだのです。その時、地震で地下の空洞も崩壊し、町は大きな器の形に水没しました。ですから、現在もあの付近の海はエンバルカシオンと呼ばれています。」

 アブラーンは黙って彼女の語りを聞いていた。

「貴方がモンタルボの撮影した映像からお知りになりたかったのは、空洞と町の土台の間を支えていた柱が残っていないかと言うことではないですか? 恐らく巨大な柱であった筈です。そんな建造物が海底にあるとなったら、世界中の考古学者の注目を集めてしまい、このセルバ共和国が騒がしくなります。それは、現在を生きている”ヴェルデ・シエロ”にとって非常に都合の悪いことです。もし柱の片鱗でも残っていたら、貴方はそれを何らかの方法で消し去らねばならない。そうお考えになったのでは?」

 アブラーンがまだ黙っているので、テオが言葉を添えた。

「水中でも爆裂波は使えるんですよね?」

 そう言ってしまってから、テオは相手を怒らせたかな、とちょっぴり不安になった。それで、現在彼自身の心に引っ掛かっている問題を出した。

「貴方はご存知でしょうが、モンタルボの映像を撮影したのは、アンビシャス・カンパニーと言うアメリカのP R動画製作会社です。実のところ、どんな素性の会社なのか、俺達は掴みかねています。発掘調査隊に船や発掘機材を提供する会社と提携して、発掘作業の映画を作成し、使われている道具の宣伝をすることで料金を取る企業だと言っています。まぁ、それは本当なのかも知れません。ところが、もう一人、アイヴァン・ロイドと言う男が現れました。この男もアメリカ人だと思われるのですが、モンタルボ教授やグラダ大学のンゲマ准教授に近づいて、カラコル遺跡周辺に宝が沈んでいないかとか、宝探しの様な演出で映像を撮りたいと何度も電話をかけてきたり、大学に押しかけて来たのです。しかもアンビシャス・カンパニーのアンダーソン社長とロイドは互いを知っているらしく、警戒し合っています。そうなると、アンダーソンの会社の本当の目的も、PR動画撮影以外のところにあるんじゃないか、と心配になってきました。そこへモンタルボ教授の襲撃事件が起きたので、俺は貴方もアンダーソンやロイドと同じ物を追いかけているのかと疑ってしまったのです。」

 アブラーンはテオと少佐を交互に見比べた。そして不意にフッと息を吐いた。

「エンバルカシオンに宝など沈んでいません。今流行りのレアアースもありません。あるのは藻が蔓延った石柱の欠片に珊瑚礁と泥に埋もれた壺くらいでしょう。勝手に潜らせておけば宜しい。あいつらがサメに食われても誰の責任ではありません。ただ、モンタルボは我が国の国民です。彼が引き連れる学生達もセルバ人だ。守護しなければなりませんぞ、少佐。」

 ケツァル少佐が立ち上がったので、テオも立ち上がった。少佐がアブラーン・シメネス・デ・ムリリョに敬礼した。


第6部 七柱    11

  ロカ・エテルナ社本社屋はグラダ・シティのオフィス街にあった。白い大きな渦巻き型のビルを見た時、テオはイメージしていた建造物と大きくかけ離れていたので戸惑った。ムリリョ博士の息子の会社だから、もっと古い歴史あるコロニアル風のビルだと思っていたのだ。オルガ・グランデのアンゲルス鉱石本社もハイカラだったが、ここはさらに上を行っている。エントランスがガラス張りで、中に入ると緑の植え込みと噴水があった。それからガラスの自動ドアを通り、守衛と受付職員がいるロビーに入る。広くて天井が高い開放的空間だ。ロビーにはカフェまであった。まるでシティ・ホテルだ。壁には過去に手がけた建築物の画像をプロジェクターで映写しており、模型も展示されている。
 ケツァル少佐は真っ直ぐ受付に歩いて行き、緑の鳥の徽章とI Dカードを出した。

「大統領警護隊文化保護担当部ミゲール少佐です。」

 テオも急いで大学のI Dカードを出した。

「グラダ大学生物学部遺伝子工学科准教授アルスト・ゴンザレスです。」

 受付の女性職員は手元のタブレットを軽くタッチした。そして顔を上げ、笑顔を見せた。

「社長から指示を得ております。ご案内しますので、暫くお待ち下さい。」

 少佐は頷き、テオを促して近くのソファへ行った。並んで座り、ロビー内を見回した。

「建設会社って、普段からこんなに客が多いのかな?」
「恐らく傘下の企業の営業マン達でしょう。下請け仕事を得る為に足繁く通っているのです。」

 確かに出入りしているのは、スーツ姿のビジネスマン・ビジネスウーマン達だ。建設に直接携わる職人は見当たらなかった。
 スーツ姿の先住民の女性が近づいて来た。

「ミゲール少佐、それに・・・ドクトル・ゴンザレス?」
「ドクトル・アルストで結構です。」

とテオは言った。社長の秘書かと思ったが、彼女は右手を左胸に当てて自己紹介した。

「カサンドラ・シメネスです。アブラーン・シメネス・デ・ムリリョの妹で、副社長をしております。」

 それで少佐とテオも同じ作法で挨拶した。カサンドラはテオが以前大学病院の庭で出会ったコディア・シメネスの姉だ。妹より眼光が鋭く、ビジネスに生きる活力を見出している女性と思えた。
 少佐とテオはカサンドラ・シメネスに案内されてエレベーターに乗った。エレベーターは低速で、ガラス張りで上昇している間、社内の様子がよく見えた。渦巻きの中は各階が仕切りのない開放的なオフィスに見えた。もっともガラスの壁が中にあるのだろう、とテオは思った。ブラインドを閉めている箇所もあったので、そこは新規の設計などを行っている部署に違いない。
 社長のオフィスは最上階ではなかった。最上階は社員食堂なのだとカサンドラが説明した。予約すれば結婚式などで社員が貸切で使用することも出来るのだ、と彼女は自慢気に語った。
 社長や重役のオフィスは3階にあった。面白いことに、この階のオフィスは偏光ガラスを使われた壁に囲われており、通路から中が見えないようになっていた。カサンドラはドアをノックしたが、形式的な動作に思えた。多分、気を発して社長に客を連れて来たことを伝えただろう。彼女はドアを開き、客に中へどうぞと手を振った。少佐とテオが中に入ると、彼女は入らずにドアを閉じた。
 アブラーン・シメネス・デ・ムリリョは床から天井まで広がるガラス窓から街並みを眺めていたが、客が入室すると振り返った。少し頭髪に白いものが混ざっていたが、ムリリョ博士を20歳若くした様な頑固そうな顔付きの男性だった。
 再び伝統に従った挨拶が交わされ、少佐が面会要求に応じてもらえたことを感謝した。アブラーンが言った。

「クエバ・ネグラ・エテルナ社のカミロ・トレントから報告を受けて、いつか貴女が来られるだろうと思っていました。」

 そしてテオを見た。何故白人を同伴しているのだ? と言う疑問をテオは微かながら感じ取った。しかし相手が触れないので、作法として黙っていた。
 ケツァル少佐もアブラーンがテオの存在に疑問を抱いたことを察したが、無視した。彼女は単刀直入に要件に入った。

「サン・レオカディオ大学のモンタルボ教授から奪った海底の映像から何かわかりましたか?」

 アブラーンが言った。

「私はモンタルボから何も奪っていません。トレントが勝手にやったことです。」
「でもトレントは貴方に媒体を送ったでしょう?」

とテオはつい口出ししてしまった。少佐は彼を無視して、アブラーンも彼を無視した。少佐が質問を少し変えて繰り返した。

「貴方がカミロ・トレントに探れと指示して、トレントが探りきれずにモンタルボから強奪し貴方に送った、海底の映像から何かわかりましたか?」

 

2022/03/25

第6部 七柱    10

  ガルソン中尉から聞いた話をケツァル少佐に語って聞かせると、彼女は「面白い!」と言った。テオは久しぶりに彼女と2人きりでバルで飲んでいた。

「東海岸の伝説が、西のオエステ・ブーカ族に伝わっていたなんて、考古学の盲点でした。」

 彼女は苦笑した。考えてみれば、カラコルの町を建設したと言われているマスケゴ族もオルガ・グランデ近辺で前世紀末迄居住していたのだ。彼等を雇ってカラコルの仮館を築いたブーカ族の家系は、恐らく歴史のどこかで消滅したか、オエステ・ブーカの中に溶け込んでしまったのだろう。そして同じ言語を持つオエステ・ブーカがその伝承を受け継いだ。

「オエステ・ブーカ族も元は東海岸地方に住んでいたんだろ? カラコルを築いたブーカ族の移動とオエステ・ブーカ族の移動はどっちが先だったんだろう? オエステ・ブーカ族の方が後だったら、カラコルが沈んだことを施工主のブーカ族よりよく知っていたんじゃないのか?」
「知っていても、何故沈んだのか、仕組みは知らなかったでしょう。原因がマスケゴ族の細工だとわかっていただけだと思います。」

 少佐はクエバ・ネグラのバルでアンドレ・ギャラガがクラッカーで作って見せた模型を思い出した。

「アンドレの仮説では、町の地下に巨大な水槽があって、町は水槽の蓋の上に築かれていた、と言うものでした。」
「水槽?」
「カラコルが外国船に売っていたのは、森で採れる産物と真水だった、と地元の漁師が言っていました。それでアンドレは地下に貯水槽があったと考えたのです。クエバ・ネグラには大きな川がありません。船に売る程の湧水もなさそうです。」
「だが、セルバは地下に川が流れていることがよくある・・・」
「そうです。海の底に川が流れているなど聞いたことはありませんが、陸の地下川から水を引いて貯めることは出来たかも知れません。元からあった天然の地下洞窟を加工して貯水槽として利用したと考えることが出来ます。」
「施工主のブーカ族はその貯水槽を敵の来襲に備えて崩壊させる仕組みを造った? しかしそれを使うことなく彼等と職人集団のマスケゴ族は引っ越した。やがて”ティエラ”があの土地に住み着き、仮館を神殿か貿易の倉庫として使っていた。だが彼等が繁栄に奢って神聖なジャガーを外国に売り渡そうとしたので、ママコナの怒りを買い、セルバ中の”ヴェルデ・シエロ”の呪いを受けることになった・・・」
「古代の仕組みがその呪いで役目を果たしたのか、それとも呪いが起こした地震で仕組みが相乗効果を生み出したのか、恐らくマスケゴ族に訊いても答えは出ないと思います。彼等もその場にいた訳でありませんから。」
「こんな時、タイムトラベルが出来ればと思う・・・」

 テオはふと気難しい同居人の顔を思い浮かべた。時間跳躍をするオクターリャ族の英雄だ。しかし彼が口を開こうとした瞬間にケツァル少佐が怖い顔で言った。

「駄目です。10世紀以上も昔の世界に跳ばせるなんて、危険極まりません。アスルを跳ばすことは許しませんよ。」
「想像しただけだ。」

 テオは憮然としたふりして言った。 時間跳躍そのものが確かに危険行為だ。過去に行くのは簡単らしいが、戻って来るのにエネルギーを大量に消費するのだと以前聞いたことがあった。1200年も跳んだら命に関わるだろう。

「冗談でも彼に跳んでくれなんて言わないさ。あいつ、時々ムキになるからな。」
「わかっているのでしたら宜しいです。」

 少佐は時計を見た。

「明日も大学でお仕事ですか?」
「試験本番迄学生と接触しない様にしている。だから明日は図書館に行こうと思っている。」
「一緒にロカ・エテルナ社へ行きませんか?」

 テオはドキドキした。

「ムリリョ博士の息子に面会するのか?」
「一応約束を取り付けてあります。」
「何時に何処へ?」
「930にカフェ・デ・オラスで落ち合いましょう。」


第6部 七柱    9

 「え?! どう言うことですか?」

 テオは座り直した。ガルソン中尉は寧ろ彼の驚きが意外だったようで、

「オエステ・ブーカには知られている伝説ですがね。」

と言った。 彼は整備士達がぼちぼちと仕事に取り掛かる準備を始めるのを眺めながら語った。

「古代のマスケゴ族は人口が多くて、北部一帯に広く住んでいたそうです。彼等は建設関係の仕事が得意で、今でもそうですが・・・」
「ロカ・エテルナ社とか・・・」
「スィ、メスティーソでもマスケゴ系の先祖を持つ会社が他にも多くあります。現在のクエバ・ネグラ辺りに住んでいたブーカ族の祖先の家系の一つが、岬に仮館を築きました。仮館と言うのは、海を渡って来た異邦人を迎える迎賓館みたいな物です。それを建築したのが、マスケゴの職人達でした。やがてそこに住んでいたブーカはその土地に価値を見出さなくなり、仮館を放棄して西へ移動しました。マスケゴの職人達も一緒について行きました。そのブーカの一族は現代のオエステ・ブーカとは直接繋がりはありませんが、我々の祖先とは接触があったので、彼等の海辺の故郷の話が伝わったのです。マスケゴはそのまま現代のオルガ・グランデ周辺に住み着きました。」
「海辺の土地を手放した理由はわかっていますか?」
「恐らくハリケーンや、地震による津波が多かったので、見切りをつけたのでしょう。”シエロ”がいなくなってから、”ティエラ”がやって来て、岬の仮館を利用して神殿や建物を増やしたのです。」

 そこでガルソン中尉はテオにグッと顔を近づけた。

「これは噂ですが、最初のブーカ達はマスケゴに侵略者が来た時に備えて仮館にある仕掛けを作らせたそうです。それが何かわかりませんが、岬が沈んだことと関係あるのだろうと、オエステ・ブーカに内緒話として伝わっています。これはマスケゴには聞かせられないのです。技術屋集団の秘密を我々が知っていると言うに等しいですからな。」
「しかし、仕組みそのものはわからないのでしょう。」
「当然です。」

 ガルソンが笑った。テオは初めてこの男が含むものを持たずに笑うのを見たような気がした。世間話でリラックスしているのだ。笑うと意外に可愛い顔だ、とも思ってしまった。10歳以上も年上なのだが、ガルソン中尉は相手との年齢差はあまり考えない人の様だ。ムリリョ博士や年寄りの先住民達のように、目上に対する礼儀がどうのとか、煩く言わない。

「ケツァル少佐がクエバ・ネグラに行かれたと聞いて、その仕組みがわかって、”ティエラ”に知られないように始末に行かれたのかと思いました。」

 ガルソン中尉は文化保護担当部の役割も承知していた。

「仕組みがわかれば、きっと事件は早く解決するでしょうが・・・」

 テオは肩をすくめた。

「考古学者だけでなく、得体の知れない外国人が海底遺跡に興味を抱いている様なんですが、何故だと思いますか? 連中は沈没船や宝物を探している様に言うのですが、俺は彼等が本当の目的を言っていないと思うのです。」
「恐らく、古代の建築の仕組みを解明しようとしているのでもないでしょうな。」

 ガルソン中尉は携帯電話を出して時刻を確認した。そしてボソッと言った。

「レアメタルでも探しているのかも知れません。」

 テオは地質学に詳しくなかった。だが、わかっていることはあった。

「レアメタルが埋蔵されているなら、それはセルバ共和国の財産で、外国人に権利はありません。」
「その通りです。」

 ガルソン中尉が立ち上がったので、テオも立ち上がった。中尉が言った。

「外国人達があまり騒ぐと”砂の民”が動き出します。とばっちりを受けないよう、用心なさい。」
「グラシャス、気をつけます。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...