2022/04/02

第6部 七柱    24

  取調室として使われている窓がない小部屋にケツァル少佐とテオが入ると、リカルド・モンタルボ教授が、弱々しい笑を浮かべて椅子から立ち上がった。

「グラシャス! 来ていただけて、感謝します。」

 無精髭に目の下の隈、憔悴していた。着ている物はよれよれのTシャツで、ホテルで休んでいる時に事件発生で起こされ、憲兵隊に引っ張られて来たのだ、と立ったまま早口で事情を説明した。連行された理由がわからない、と捲し立てた直後に、彼は急に声のトーンを落とした。

「しかし、アンダーソンとロイドと言う男が争った原因はわかります。」

 彼は憲兵隊長をチラリと見た。少佐はカバン大尉に妙な勘ぐりをされたくなかったので、教授に言った。

「どうぞ、話して下さい。」

 モンタルボ教授は少し躊躇ってから、囁くように言った。

「彼等は、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡を探していたんです。」

 1分間、沈黙があった。テオはカバン大尉が顔を強張らせるのを感じた。”ヴェルデ・シエロ”の話を大っぴらにすることは、セルバ人にとってタブーだ。しかも、部屋の中に”ヴェルデ・シエロ”と話が出来ると信じられている大統領警護隊の少佐がいる。憲兵は「神罰」を心配したのだ。
 少佐はそれまで立っていたのだが、モンタルボ教授の向かいの椅子を引いて、そこに腰を下ろした。そして手でモンタルボに座れと合図した。教授が座ったが、テオは椅子がないので立ったままだ。カバン大尉も立ったままで、テオに椅子を運んで来る気はなさそうだった。

「アンダーソンとロイドは海の底に沈んでいる遺跡が”ヴェルデ・シエロ”のものだと考えているのですか?」
「正確に言えば、”ヴェルデ・シエロ”の遺跡の上に後世の人間が町を建設し、海に沈んだと考えている様です。”ヴェルデ・シエロ”の遺跡と正式に認められている建造物は、グラダ・シティの”曙のピラミッド”だけです。ああ、オルガ・グランデの地下深くにある”太陽神殿”(”暗がりの神殿”のこと)も”ヴェルデ・シエロ”の建造物だと考えられていますが、ピラミッドは宗教上の理由で現在も発掘研究を許可されていませんし、”太陽神殿”は鉱山会社の所有で一般人の立ち入りを許可してくれません。」
「落盤が多く、危険なので立ち入り禁止区域なのです。」

 テオはつい口を挟んだ。少佐は怒らなかった。モンタルボに続けてと表情で促した。

「もし海の底の遺跡が”ヴェルデ・シエロ”のものだったら、世紀の大発見です。中南米で最も古い遺跡と言うことになりますから。アンダーソンとロイドは、その歴史的な発見の当事者になりたいが為に、私の発掘調査の撮影をしたがっていたのです。」
「どっちが一番乗りをするかで、昨晩喧嘩したと言う訳ですか?」
「それもありますが、そもそも海の底に”ヴェルデ・シエロ”の遺跡があると言う情報が何処から出て来たのか、彼等はネタ素を明かせと口論したのです。私はカラコルの町の実在を証明出来る発掘を目的としており、その遺跡の地下にあるかも知れない幻の”ヴェルデ・シエロ”の遺跡は・・・勿論、見つけられればもっけモンですが、今はそんな余裕も技術もありません。珊瑚礁を傷つけてはならないと言う法律を守ると言う前提で、発掘許可を頂いているので、海底を掘るつもりなど毛頭ありません。私はアンダーソンとロイドにそう伝えて、自分の部屋に戻りました。彼等が刃傷沙汰になったなんて、私の知ったこっちゃないですよ!」

 モンタルボ教授はすがる様な目付きでケツァル少佐とテオを見比べた。少佐は彼に”操心”をかけていない。教授は全く彼自身の言葉で喋ったのだ。彼は白人だがセルバ人だ。この国独特のルールを熟知していた。古代の神様の遺跡と疑われる遺跡を発掘すること自体は禁止されていない。しかしその研究が売名行為や商業目的で使用されることは、この国の倫理観に反くことになる。ましてや、研究に直接関わっていない、考古学者でもない外国人が、名声や金銭目的で遺跡に手を付け、争って流血沙汰になるなど、神への冒涜以外何者でもない。モンタルボ教授は、昨晩の傷害事件に己は一切関わっていないのだと主張した。
 ケツァル少佐が憲兵を振り返った。

「モンタルボ教授を釈放して下さい。この人は昨晩の事件と無関係です。アンダーソンと雇用契約を結んでいましたが、アンダーソンとロイドの争いに関わっていません。」

 カバン大尉が敬礼して承諾を伝えた。少佐はもう一つ要請した。

「貴官達が拘束したアイヴァン・ロイドなる人物と面会させて下さい。」
「承知しました。準備が整う迄、あちらで休憩なさって下さい。」

 カバン大尉はモンタルボ教授にも言った。

「釈放です。どうぞ、お帰り下さい。」


2022/04/01

第6部 七柱    23

  テオはドキドキした。もしかして、ケツァル少佐の方からプロポーズしてきた? あり得るかも知れない。今迄彼が出会ってきた”ヴェルデ・シエロ”の女性達は積極的だった。彼女達の方から男性に求愛していた。だから、少佐も・・・?
 少佐がクールに言った。

「転属は各自行き先がバラバラですから、私が転属させられる時、ロホやデネロス達と別れなければなりません。私は一人ぼっちで新しい任地へ行くことになります。そんな場合、民間人の貴方なら、命令は関係ありませんから、来てくれるでしょう?」

 テオはがっくりきた。部下達を連れて行けないから、民間人の彼だけでも連れて行こうと言う我儘か? 彼はがっかりさせられたので、反論した。

「大学教授だって、学生に責任がある。研究を途中で放り出して女を追いかける訳にもいかない。」

 少佐が横目で彼を見上げた。

「何をムキになっているんです?」

 彼女は彼からスッと離れて宿のドアの取手を掴んだ。

「私はあるかも知れないことについて、貴方の考えを尋ねただけですよ。」

 そして建物の中に入った。テオは揶揄われた気分を拭えないまま、彼女の後に続いた。宿の主人に鍵をもらい、銘々の部屋に入った。上着を脱いでTシャツに短パンだけになり、ベッドに入った。目を閉じたが、やっぱり先刻の少佐との遣り取りが気になった。
 少佐は本当にプロポーズしてくれたのではないのか? 俺がすぐに返事をしなかったから、彼女はあんなことを言ったのかも知れない。彼女は話し相手に躊躇されるのを好まないのだ。俺は彼女の扱い方を誤った?
 結局まんじりともせずに朝を迎えてしまった。日が昇る前にシャワーを浴びようと浴室に行くと、既に少佐が中にいた。部屋に戻り、順番を待った。彼女が出てきた気配だったので、再び浴室に行き、まだ湯気と石鹸の香りが残る浴室で体を洗った。
 宿の朝食は主人夫婦と一緒だった。女将さんがテオの草臥れた顔を見て、眠れなかったのか、と心配した。テオは、大学の仕事の夢を見てうなされただけです、と答えて誤魔化した。朝食はあまり変わり映えのしない内容だったが、美味しかった。ケツァル少佐は卵料理の味付けが気に入って、お代わりして女将さんを喜ばせた。彼女は昨晩の会話を全く気にしていないようだ。やっぱり冗談だったのか? テオはちょっとがっかりした。
 チェックアウトして、グラダ・シティに帰ろうと車に乗り込んだところで、少佐の携帯にグリン大尉から電話がかかって来た。

ーーモンタルボ教授が少佐殿にお会いしたいと連絡して来ましたが、どうなさいますか? 

 少佐は眉を顰めた。

「昨夜の緊急車両のサイレンに関係あることですか?」
ーー恐らく。

とグリン大尉も詳細を知らない様子だ。

ーー教授は憲兵隊のクエバ・ネグラ駐屯地にいるそうです。責任者はアリリオ・カバン大尉です。

 少佐は溜め息をついた。

「なんだかわかりませんが、行ってみます。連絡ご苦労様です。」
ーーグラシャス。

 少佐が携帯をポケットに仕舞った。テオはやっぱりこちらに難儀が降りかかって来たな、と思った。少佐が緑の鳥の徽章が入ったパスケースを手に取り、テオに放り投げた。テオは慌てて受け取った。本来なら、大統領警護隊の身分証を持ち主以外が手に取ると、チクリと針で刺したような痛みを覚える。しかし、テオはパスケースの段階は平気だった。徽章そのものは触れないが。

「憲兵隊のゲートを通る時に、それを提示して下さい。」

 少佐が駐屯地のゲートでブレーキを踏むつもりがないことを悟ったのは、正にその時だった。彼女は緑の鳥のロゴが入った車を速度を落としたものの、停止せずに駐屯地の中へ乗り入れた。アサルトライフルを構えた兵士にテオは必死で少佐のパスケースを突き出しながら、助手席でヒヤヒヤしていた。駐屯地は宿から車で10分程の距離だったが、少佐はその間一言も口を利かなかった。昨夜のことを怒っているのか、それともモンタルボ教授の要請に機嫌を損ねたか、どちらかだ。
 事務所と思われる建物の前に車を停めると、すぐに将校が出て来た。口髭を生やした40代前半の男性だ。ケツァル少佐に敬礼して、カバン大尉だと名乗った。少佐は、ミゲールと名乗り、テオを見ずに手だけで示して、ゴンザレス博士、と正式名称だけ紹介した。

「リカルド・モンタルボが私を呼んだ理由は何です?」

 くだらない用件だったら帰るわよ、と言う顔で彼女が尋ねた。カバン大尉は国境警備隊の大統領警護隊とは格が違う相手だ、と感じたのか、無駄話をせずに事情を語り出した。

「昨晩、レオン・マリノ・ホテルの支配人から通報がありました。宿泊客に会いに来た訪問者が、客を刺したと言う内容です。刺された客と刺した男がどちらもアメリカ人だったので、支配人は警察と憲兵隊に通報を入れました。刺された客は、昼間、別の宿泊客、それがセニョール・モンタルボでして、彼とも激しい口論をしており、何か事件と関係があるのではないかと支配人が訴えるので、こちらへ連行しました。」
「刺した男と刺された男はどうなりました?」
「刺した男は逃走を図りましたが、ホテルの従業員と刺された男の用心棒に取り押さえられました。現在こちらの拘置所に勾留しています。刺された男は病院へ運びました。生きていると思われますが、まだ病院から連絡が来ていません。」
「モンタルボは事件に関して何か言っていましたか?」

 カバン大尉は肩をすくめた。

「何も・・・ただ少佐をお呼びして欲しいの一点張りで・・・」

2022/03/31

第6部 七柱    22

  宿の前迄来た時、少佐が足を止めた。

「今、呼ばれました。」

 テオは彼女を見た。”ヴェルデ・シエロ”特有の、一方通行的テレパシーを感応したと言うことだ。

「誰に?」
「これは・・・」

 少佐はちょっと考え、国境警備隊の宿舎を見た。

「指揮官のグリン大尉です。パエスから私がここにいると聞いたのでしょう。」
「行くのかい?」
「呼ばれましたから。貴方も来ますか?」
「俺が行っても良いのかい?」
「スィ。恐らく、パエスの件ですよ。」

 孤独な知人の問題に関することなら、テオも無関心でいられなかった。これはモンタルボの事件とはレベルが違う。少なくとも、彼の中で比重が重いのはモンタルボではなくパエスだ。
 2人は国境警備隊の官舎へ行った。テオは双子の様な官舎が2棟並んでいるのを見て、大統領警護隊と陸軍が生活の場所を分けていることを知った。命令系統も異なるのだから、仕方がないだろう。しかし食事の場所は陸軍側にあると聞いて、セルバ人同士の交流はあるのだな、と少し安心した。
 大統領警護隊の官舎の共有スペースで、バレリア・グリン大尉がソファに座っていた。ケツァル少佐が入室すると微笑んで立ち上がったが、テオに気がつくと、怪訝な顔をした。少佐がテオを紹介した。 テオが「”暗がりの神殿”の調査」に参加して、反逆者ニシト・メナク捕縛に協力した白人の英雄であると言う評価を、大尉は聞いていたので、彼に会えて光栄だと言った。

「太平洋警備室の問題解決にも大きな貢献をされたそうで・・・」
「俺は何もしていません。大統領警護隊の隊員達が過ちに気づいて冷静な判断をしてくれただけです。」

 大尉は事務室を振り返った。パエス少尉が共有スペースに出て来た。彼は再びケツァル少佐とテオに敬礼した。

「大統領警護隊は陸軍と同じく、隊員個人の問題で隊則を変えることは出来ません。」

とグリン大尉が言った。

「しかし、宗教の問題は簡単ではなく、信仰するものを捨てよと言うことは出来ません。ですから、パエス少尉が官舎の食事を口にすることを拒否した時、已む無く自宅で食べることを許可しました。しかし、他の隊員達から不満の声が聞こえたのは事実です。」

 テオはパエス少尉が固い表情で空を見つめているのを見た。グリン大尉は続けた。

「クチナ基地のオルテガ少佐に私は相談しました。すると少佐は陸軍国境警備班と話をして下さいました。陸軍国境警備班北部方面隊は、兵士達にアンケートを取ったそうです。」

 え? とテオは思った。何だか意外な展開だ。ケツァル少佐もパエス少尉も驚いていた。グリン大尉が、「してやったり」と言いたげな顔をした。

「アンケートの結果、出身地や出身部族で食材にハラールを行うことが習慣になっていた兵士が60パーセントを越えることがわかりました。どの兵士も、軍隊では我儘を許されないと諦めて、ハラールなしの食材で作った食事を摂っていたのです。陸軍はそれをグラダ・シティの本隊に報告し、軍隊の厨房でのハラールの省略は禁止すると通達を出しました。」

 パエス少尉がぽかんと口を開けてグリン大尉を見た。

「明日の朝からここクエバ・ネグラの陸軍官舎の食堂でも、ハラール食材を使った食事が出されます。新しい料理人が来る迄は、ハラール食材を扱う業者から納入される物ですが、儀式の知識を持つ人間を雇用するそうです。」

 彼女はやっと部下の顔を見た。

「貴方が今のままの生活を続けるか、同僚と同じ生活を始めるか、選択の自由はありません。」
「わかりました・・・」

 パエス少尉は、もう奥さんが待つ家に毎日帰ることが出来ないのだ。だが・・・。

「クチナ基地では、家族持ちの隊員には、本部と同じ隊則を適用しています。ですから、クエバ・ネグラでもそれに習うことにしました。」
「?」

 パエス少尉がグリン大尉の言葉を解せないで戸惑う表情になった。しかしテオは大尉が言おうとしていることが分かった。彼は、いつもの癖で、口を挟んでしまった。

「本部勤務の家族持ちの隊員は、2週間に1日、休日をもらえるんだ!」

 ケツァル少佐が横目で彼を見たが、怒ってはいなかった。彼女もその規則は承知していた。
 グリン大尉は、テオのフライングに苦笑した。そしてパエス少尉に言った。

「明日、全隊員に告知します。家族を前の任地に残して来た隊員も数名いますから、彼等が家族を呼び寄せることも出来ます。貴方が同僚と気まずくなった1番の原因となった人達です。貴方は逆に奥さんのところに帰る時間が減りますが、承知出来ますね?」

 パエス少尉が無言のまま、敬礼して承諾を示した。テオはまた言葉を追加した。

「奥さんは家に閉じこもっている訳じゃないですね? 仕事をしているのですか? 兎に角、検問所と町は殆ど一体化している町だから、勤務中に奥さんが貴方の近くに来ることだって出来るでしょう? 2週間全く奥さんに会えない訳じゃないんですよ、少尉。」

 パエス少尉が顰めっ面した。そんなことはわかっている、と言われた気がして、テオは笑いそうになり、耐えた。
 ケツァル少佐がパエス少尉に言った。

「貴官は良い上官に恵まれていますね。」

 少尉が彼女に向き直り、再び敬礼した。

「私は幸せ者です。」

とやっと彼は言った。少佐と大尉の女性達が”心話”で何か話をした様子だったが、テオは訊かないことにした。
 宿舎を出て、テオとケツァル少佐は今度こそ本当に宿に向かって歩き出した。

「グリン大尉がわざわざ君を呼んだと言うことは、君が大尉に何かアドバイスしたんだな?」

 テオが指摘すると、少佐が微笑んだ。

「家族と離れて暮らしているのは、あの大尉も同じでした。でも彼女はパエスに意地悪はしていません。彼が奥さんの料理を食べに帰るのを許していたのですからね。意地悪する部下と自己流を貫き通そうとする部下の板挟みで、彼女も悩んでいたのです。本部と同じ隊則を適用するのは簡単です。でも、彼女がクチナ基地の指揮官少佐を動かして、陸軍まで動かしたのは驚きでした。」
「大統領警護隊の女は強いなぁ・・・いて!」

 少佐が彼の腕をつねって、それから彼に身を寄せた。

「私が転属になったら、ついて来てくれます?」

 テオはドキッとした。それって、もしかして・・・もしかする?


第6部 七柱    21

  食事を終えて宿に向かって歩いていると、国境警備隊の車が後ろから走って来た。テオとケツァル少佐が道端に体を寄せて車をやり過ごすと、車は40メートルほど進んでから停止した。少佐が囁いた。

「パエス少尉と陸軍の兵隊です。」

 日中の勤務を終えて宿舎へ戻るところだろう。テオ達がそのまま進んで車に近づくと、助手席からパエス少尉が降り立った。ケツァル少佐に敬礼したので、少佐も返礼した。

「まだ大学教授の事件を調査されているのですか?」

と質問して来た。少佐が答えた。

「解決したので、教授に奪われた物を返しに来ただけです。」
「貴女がわざわざ?」

 部下にやらせれば良いのに、と言う響きが声にあった。少佐は彼に話すことは何もないと思ったのか、話題の方向を変えた。

「勤務交代の時間ですね。早く行きなさい。」

 パエス少尉は敬礼し、車に戻った。国境警備隊の車は直ぐに走り去った。テオは独り言を呟いた。

「少なくとも、勤務中は同僚達と上手くやっている様だな。」
「気持ちの切り替えが出来なければ、大統領警護隊は務まりませんから。」

と少佐が言った。
 真っ直ぐ宿に戻るのも早過ぎる様な気がして、2人は丘陵地を散歩した。雨季直前の湿った風が吹いていた。日が沈み、丘の下のハイウェイに沿った街並みの灯りが細長く見えた。この町は細長いんだな、とテオはどうでも良いことを思った。民家が少し高い場所に固まっているのも見えた。あれは津波や高潮を避けて暮らしているのだ、とも思った。

「アブラーンが隠したかった建築の秘密ってどんなものだったのかな。」

と彼は呟いた。

「現代人に知られたからって、大問題になる様なものだったんだろうか? ”ヴェルデ・シエロ”は残酷だ、とか、役立たずだ、とか、信用できない、とか批判される様なものだったのか? それとも、その技術を求めて現代の国々が押しかけて来るとか?」

 少佐が、ふふふ、と笑った。

「恐らく、アブラーンも知らないのだと思います。ロカ・ムリリョも、その親もさらにその親も・・・”ティエラ”にも他部族にも教えるなと言われて、何代も秘密を守っている間に、忘れ去られたのだと思った方が気が楽ですよ。家族にさえ黙っていたのですから。”心話”で伝えると言うことは、情報を持っている人の主観も入る訳ですから、代を重ねて伝わると情報は少しずつ歪んで来る物です。」

 彼女は真っ暗な海の方角を見た。テオには見えない器状の海底がある方を指差した。

「アンドレが想像した様に、柱の上に台を置いて、そこに町を築いたのではないかと、私も思います。そんな技術を古代の人々は持っていたのです。ムリリョ家に伝わっていたのは、その技術だったのでしょう。そんな技術を他人に知られたくなかったのであれば、”ヴェルデ・シエロ”が町を放棄した時に、町を破壊しておけば良かったのです。だけど、何らかの理由でしなかった。そして”ティエラ”がやって来て、住み着いた。カラコルの町が神を冒涜した時、ママコナの怒りを感応した”ヴェルデ・シエロ”達は、町の土台を支えていた柱を破壊したのではないですか。」
「それで町が水没したのか?」
「スィ。調べてみましたが、カラコルが水没したと言われる年代は、大きな地震の記録がありません。津波の記録も残っていません。伝聞も伝承もないのです。どの地方にもありませんでした。岬が沈下するほどの地震があったら、他の地方でも被害が出ていた筈です。でも考古学的調査でも、地質学調査でも、そんな痕跡は国中どこにもないのです。」
「”ヴェルデ・シエロ”は地震を起こしたのではなく、町の地下にあった柱をへし折っただけだったのか。」
「かなりの大きさの柱だったのでしょうね。そんな柱を造る技術が、アブラーンが守りたかった秘密だったのだと、私は思います。」
「だが、町一つ沈んだんだ。このクエバ・ネグラの近郊は津波に襲われただろうな。」
「その記録もないので、そこは、それ・・・」
「”ヴェルデ・シエロ”の守護の力の見せ所か。」

 テオはやっと笑う気分になった。

「アブラーンは、巨大な柱の痕跡が海底から露出していないか、心配だったんだな。」

 またサイレンの音が聞こえた。例のホテルの前に、緊急車両の赤色灯が見えた。少佐が車種を見定めた。

「憲兵隊の車両です。外国人か先住民がトラブルに関係した様です。」

 外国人と聞いて、テオはチャールズ・アンダーソンを思い浮かべた。モンタルボと暴力沙汰になったのだろうか。



2022/03/30

第6部 七柱    20

  サン・レオカディオ大学の考古学教授リカルド・モンタルボは、前回ケツァル少佐とギャラガ少尉が襲撃事件の聞き取り調査で訪問したホテルにまだ宿泊していた。憲兵隊が強奪された撮影機材を故買屋で発見したので、引き取るか買い取るかで故買屋と揉めたのだ。セルバ共和国では盗品と知ってて購入しても罪にならない。なんとなく「盗られたヤツも油断していたのだから盗られても当然」と言う思想があって、官憲は盗品の行方を突き止めても、取り返してくれるとは限らない。元の持ち主に、買い戻す意思があるかと訊いて、持ち主に「取り戻したいが買い取る余裕がない」とわかれば、故買屋から押収するが、持ち主に金銭的余裕があると見てとると、「買い戻せ」と放置する。モンタルボ教授は、撮影機材がアンビシャス・カンパニーの所有なので「買い戻す意思」はなかったが、アンビシャス・カンパニーはそうではない。チャールズ・アンダーソン社長は、買い戻しより押収を希望した。それでモンタルボ教授、アンビシャス・カンパニー、故買屋、そして憲兵隊で盗品の処遇を巡って揉めていたのだ。
 テオとケツァル少佐が訪問した時、モンタルボ教授とチャールズ・アンダーソンは憲兵隊に提出する押収要請の書類を作成し終わったところだった。そこへ、テオがアブラーン・シメネス・デ・ムリリョから託されたUSBを持って現れたので、また彼等の間における雲行きが怪しくなってきた。

「映像が戻って来たのなら、カメラはもうなくても構わない。」

とモンタルボが発言して、アンダーソンを怒らせた。

「それなら発掘作業の撮影はなしだ!」

とアンダーソンが怒鳴った。

「水中作業の映像を世界に発信して、貴方の研究費用を集めると言う当初の目的が失われることになる。それでも良いんですか!」

 怒鳴り合いが始まり、USBが何故、誰によってテオドール・アルストの手に託されたのか、双方共訊くこともしなかった。ケツァル少佐がテオの肩に手を置いて囁いた。

「放っておきなさい。行きましょう。」

 テオは「アディオス」と声をかけてみたが、モンタルボもアンダーソンも振り返らなかった。
 テオと少佐は車に戻った。そして、その夜の宿を探しに行った。
 ガイドのアニタ・ロペスが教えてくれた宿は海から離れた丘の上にあった。意外にも国境警備隊の宿舎が歩いて5分程の距離に建っていた。宿はホテルと言うより民宿、B&Bだった。そこに2部屋取ってから、2人は夕食に出かけた。そちらもガイドが教えてくれた店だ。国境を越える職業運転手が多いハイウェイ沿いの店と違って、地元民しか来ない小さな店だったが、他所者を拒むこともなく、愛想の良い女将さんが「本日のお薦め」を教えてくれたので、それを注文した。
 美味しい魚介のスープと茹でたじゃがいもで満腹になる頃に、ハイウェイの方から警察車両のサイレンの音が聞こえて来た。女将さんが眉を顰めた。

「やだねぇ、また検問所破りかねぇ。」

 客の一人が窓の外をチラリと見た。

「違うようだ。ありゃ、レオン・マリノ・ホテルへ行ったぞ。」

 テオと少佐は思わず顔を見合わせた。レオン・マリノは、モンタルボ教授が泊まっているホテルだ。まさか、教授とアンダーソンが喧嘩して怪我人が出たのか? 
 テオが腰を浮かしかけると、少佐がセルバ人らしく言った。

「放っておきなさい。」
「君は気にならないのか?」
「何かが起きたことは確かです。でも私達が行って、何かを止められることはないでしょう。」

 彼女はスープの最後の一口を飲んでから、続けた。

「何が起きたのか、明日になれば街中に広がっていますよ。」

 テオは彼女を見つめ、それから店内を見た。セルバ人は野次馬が好きだが、場所が現在地から離れているので、店を出て見に行こうと言う人はいなかった。皆、椅子に座り直し、食事や飲酒を続けていた。テオは脱力した。こんな場合はセルバ人になりきれていない己を感じてしまう。モンタルボが無事であれば良いが、と彼は思った。どう言う訳か、アンダーソンのことは気にならなかった。

第6部 七柱    19

  クエバ・ネグラの町に到着したのはお昼前だった。昼食に少し早かったが、営業している食堂を見つけて早めのランチを取った。そしてクエバ・ネグラ洞窟前で自然保護担当課が手配してくれたガイドと落ち合った。ガイドはアニタ・ロペスと言うメスティーソの中年女性だった。テオがシエスタの時間に働かせることを詫びると、彼女は笑って手を振った。

「大丈夫です、私はさっき起きて朝ごはんを食べたところですから。」

 どんな生活サイクルなのかわからないが、彼女は洞窟探検用のヘッドライト付きヘルメットと長靴、蛍光マーカー付きのパーカーをテオと少佐に貸してくれた。
 洞窟内は静かで、気温が低かった。夜目が効く”ヴェルデ・シエロ”の少佐はヘッドライトを必要としないが、普通の人間のふりをして、ガイドとテオの間を歩いた。本当は先頭か殿を歩きたいだろう。
 以前トカゲを捕獲した辺りから、テオはヴィデオカメラで撮影を始めた。天然洞窟だから足元が不安定で用心しなければ転倒して大怪我に繋がりかねない。彼は時々マイクにコメントを入れ、足元、壁、天井を撮影して行った。偶に女性達も入れると、アニタ・ロペスは笑顔を作り、少佐は無表情で直ぐに顔を背けた。
 洞窟は次第に狭くなり、落盤の痕跡が見られるようになってきた。そろそろ引き返した方が良いだろう、とテオが思った頃に、少佐が足を止めた。

「水の音がします。」

 確かに、岩壁の向こうで水が波打つような音が聞こえた。
 アニタが耳を澄ましてから説明した。

「海の底から細い洞窟がこの下へ繋がっている様です。でも誰もそこまで行ったことがないし、行ける幅の通路もありません。ですから、波が来ているのだろうと言われていますが、確認した人はいません。」
「地下水脈ではないのですか?」
「地下の川ですか?」

 アニタは首を傾げた。

「古代のカラコルは水を売っていたと言われています。その水が何処から得られていたのか、不明なのですが、その水脈かも知れませんね。でも、川の存在を確認するにも音の発生源が深すぎます。」
「こんな場所でボーリング出来ないしな。」

 テオもちょっと地下水脈に興味があったが、洞窟は奥の方でかなり崩落していた。まだ新しい落石跡と思えるものもあったので、近づかない方が無難だ。彼はマイクに話しかけた。

「洞窟は最深部で崩落し、これ以上は進めない。トカゲの一つの種が独自に進化するには無理がある洞窟の長さだ。あまり長くない。」

 彼は女性達に声をかけた。

「引き返そう。地下川は地質学か考古学の世界だ。生物学の分野ではない。」

 なんだかアブラーン・シメネス・デ・ムリリョが隠したがっている秘密に繋がるような予感がした。引き返せる時に引き返すべきだ。タイミングを誤ると、また厄介なことが起きる。アニタ・ロペスを巻き込む訳にいかない。
 ケツァル少佐も彼の考えと同じことを思ったに違いない。素直に彼の提案に従った。
 3人は再び撮影しながら出口に向かって歩いた。少佐がアニタに質問した。

「カラコル遺跡の伝説は、この近辺では誰もが知っているようですね?」
「御伽噺みたいなものです。」

とアニタが笑った。

「何処かの遺跡みたいに漁網に黄金が引っかかって揚がったり、女神様の石像が揚がったりしたら、観光資源になるでしょうけど、網に入るのはサメと魚だけですから。昔、神様を怒らせて一晩で海に沈んだ町がありました。親の言うことを聞かないと、お前にも悪いことが起きますよ、って言う類の御伽噺ですよ。」

 洞窟から出ると、まだ太陽は高く、陽光が眩しかった。テオと少佐は装備を体から外してガイドに返却し、料金を支払った。テオがチップを渡すと、アニタは夕食に最適なお店と快適な宿を紹介してくれた。緑の鳥のロゴが入った車を見て、私服姿の少佐と白人のテオを見比べながら、アニタが「本当に大統領警護隊ですか?」と尋ねた。テオは「スィ」と答えた。彼は少佐を指し示し、

「彼女が大統領警護隊で、俺は顧問。」

と紹介した。アニタが少佐を見て微笑んだ。

「国境警備隊のグリン大尉も優しい方です。やっぱり女性の軍人さんの方が接しやすいですね。男の方は威張っているから・・・」

 彼女は急いで周囲を見回した。

「さっきの話は内緒ですよ。」

と言ったので、少佐が笑った。
 ガイドと別れて、テオは少佐と共にモンタルボ教授が宿泊しているホテルを目指した。


 

第6部 七柱    18

  雨季休暇が始まった。大学での来季に向けた事務手続き等を終えたテオドール・アルストは、エル・ティティに帰省する前に、アブラーン・シメネス・デ・ムリリョから依頼された仕事を片付けることにした。今度のクエバ・ネグラ行きは、ケツァル少佐と2人きりだった。文化保護担当部の業務を部下達に任せ、彼女はモンタルボ教授の発掘準備がどの程度進行しているのか確認するつもりだった。
 車は大統領警護隊のロゴマークが入ったオフロード車だった。テオは運転を頼まれ、ハイウェイを快調に走って行った。少佐と長時間ドライブに2人きりで出るのは初めてではないだろうか。彼はちょっとワクワクした。「ちょっと」と言うのは、彼女と出かけると大概何か厄介な問題が待ち受けていたりするからだ。不安ではないが、浮かれていられない、そんな気分だった。
 グラダ・シティを出て10分ほど経ってから、彼女が言った。

「2日前、カタリナ・ステファンがフィデル・ケサダの自宅を訪問しました。」

 ケサダ教授がカタリナ・ステファンを自宅に招待したがっていると、試験期間前に聞いていたので、テオは驚かなかった。大学の職員として教授も試験期間中忙しかったので、カタリナの訪問が実現したのはやっと2日前だったのだ。

「カタリナを招待した人は、マレシュ・ケツァルだね?」
「スィ。」

 テオは大学病院の前庭で出会った車椅子の老女を思い出した。付き添っていたフィデル・ケサダの妻コディア・シメネス・デ・ムリリョが、「半分夢の世界に生きている」と言っていた人だ。
 対面はケサダ家の居間で行われた。教授はその日子供達4人を母家のムリリョ家へ遊びに行かせて、夫婦とマレシュ・ケツァルだけでカタリナと彼女を車で送ったケツァル少佐を迎えた。カタリナは玄関口でケサダ教授を見るなり、「大きくなったわね、フィデル!」と叫んで、教授を照れ笑いさせた。
 カタリナは直ぐにマレシュを見分けた。生まれた時から近くにいた人だ。父親と共に鉱山で働いていた労働者仲間だった。男性の姿をしていたが、カタリナはマレシュが女性だと知っていた。可愛がってくれた人を忘れる筈がない。彼女は皺だらけになったマレシュの手を握り、涙した。マレシュもカタリナを覚えていた。彼女と彼女の母親を時々混同したが、”心話”と言葉で思い出話を楽しんだ。ケツァル少佐は彼女達が使うイェンテ・グラダ村方言が理解出来ず、黙ってそばで聞いていた。ケサダ教授も子供時代に母親と別れたので、方言をかなり忘れており、義母の世話をしているコディアの方がマレシュとカタリナの会話をよく理解出来た。やがて、カタリナはケツァル少佐を車椅子のそばに呼び、マレシュに紹介した。

ーーウナガンとシュカワラスキの娘です。貴女の従弟妹の子供です。

 車椅子に座ったままマレシュはケツァル少佐の上半身を抱きしめて、「血族を宜しく」と囁いた。
 対面は1時間程で終わり、カタリナはマレシュに再会を約束して別れた。

「カタリナはマレシュとの会話の内容を詳しくは語ってくれませんでした。恐らく、私達が生まれる前の思い出話で弾んだのでしょう。ただ、帰りの車の中で私にこう言いました。『フィデルはヘロニモ・クチャに生写しです』と。」

 テオは思わず顔を少佐に向けた。そして、慌てて前に向き直った。

「ムリリョ博士は、フィデル・ケサダの父親が誰かわかっていたんだな。」
「そうですね。でも博士はフィデルに教えていない。母親のマレシュが言わないのだから、彼が言う権利はないとお考えなのでしょう。」
「マレシュにとっては、ヘロニモとエウリオは同じ重さの同胞だった。だから、どっちが息子の父親なのかってことは関係ないのだろう。 ヘロニモもエウリオもナワルは黒いジャガーだったんだろうな、きっと。」
「どちらも、息子が白いジャガーとは想像すらしなかったでしょう。」

 テオはまた「え?」と少佐を見た。

「フィデルはジャガーなのか?」
「誰も彼がピューマだとは言っていませんよ。」
「しかし・・・」
「彼が貴方にピューマの存在を教えたので、貴方が勝手に彼はピューマだと思い込んでいたのです。カルロも同じですね。でもフィデル・ケサダはジャガーです。エル・ジャガー・ブランコですよ。」
「それじゃ、ケサダ教授は”砂の民”ではないのか・・・」
「違いますね。」

 テオはホッとした。職場の同僚で尊敬する人が闇の暗殺者ではないかと疑っていた己を、ちょっと恥ずかしく思った。ケサダ教授は義父が”砂の民”の首領なので、自身が気づかぬうちに闇の集団の知識を得ていたのだろう。それならば・・・

「リオッタ教授を暗殺したのは、ケサダ教授ではなかったんだ・・・」
「そうですね。」
「エミリオ・デルガドがジャングルの中で目撃した白いジャガーも教授だったんだな?」

 今度はケツァル少佐が驚いて振り返った。

「グワマナのデルガドが白いジャガーを目撃したのですか?!」

 しまった、とテオは心の中で舌打ちした。「見てはいけないもの」を見てしまったデルガド少尉と同僚のファビオ・キロス中尉だけの秘密だったのだ。

「俺、何か言ったかな?」

 狼狽していることを少佐が気がつかぬ筈がない。彼女は彼の横顔を見つめ、それから視線を前方に向けた。

「何時、何処で? それは聞きましたか?」
「詳細は聞いていない。ただ、ジャガーは彼等をディンゴ・パジェが隠れている場所へ案内した。それだけだ。デルガドはジャガーだと断言した。キロスから絶対に口外するなと言われたそうだが、手柄を立てさせてくれたジャガーの存在を黙っているのが辛くなったそうだ。それで、伝説などでこんな場合昔の人はどうしていたのか聞こうと考えて、大学へやって来た。ムリリョ博士かケサダ教授に面会を希望したんだが、当日2人の考古学者は大学を留守にしていたので、エミリオは俺のところに来たんだ。だから俺がキロスの忠告に従って黙っていろと言ったら、やっと納得した。」

 ふっと少佐が安堵の笑みを漏らした。 

「ムリリョ博士の耳に入っていたら、大変なことになっていましたね。貴方が相談に乗ってあげて良かったです。それにしても、フィデルもクールに見えて結構ヤンチャな人ですね。」
「スィ、君と俺がオルガ・グランデで彼と話をしたほんの2日後だったんじゃないかな? どうやってディンゴ・パジェを見つけたのか知らないが、彼は時々凄い能力を披露してくれるよ。」
「世が世であるならば大神官となっていたであろう能力者ですから。」
「でも白いジャガーは大神官になれない・・・」
「なれません。能力を黒いジャガーに捧げて生贄となる運命だったのです。」
「だが、現代は生贄をやらないんだろ?」
「しません。でも・・・」

 少佐が忌まわしいものを思い出して言った。

「純血至上主義者の極右は、白いジャガーの存在を知れば古代の儀式を復活させようとするでしょう。」
「矛盾している。白いジャガーは純血種だ。だが、黒いジャガーは、ミックスのカルロ・ステファンとアンドレ・ギャラガしかいないぞ。」
「ですから、ややこしいことになりかねないのです。純血の黒いジャガーをグラダの血を引く人々に生ませようとするでしょう。」

 テオはそれでやっとムリリョ博士が何故ケサダ家の人々を身近に住まわせて守っているのか理解出来た。純血至上主義者の博士は、極右の純血至上主義者の考えがわかる。故に、グラダの血を引く孫娘と、純血グラダの白いジャガーである娘婿を博士は必死で守っているのだ。

「すると、カルロとアンドレをケサダ家の娘達に近づけない方が安全なんだな?」
「グラシエラも半グラダです。でも、恋愛は当人達の問題で、周囲の都合でコントロール出来るものでもないでしょう。大事なのは、極右の人々に生贄の儀式復活を考えさせないようにすることです。だから、フィデルのナワルの話は決して口外してはならないのです。」

 ある意味、ファビオ・キロス中尉の禁忌に対する警戒心が正解なのだ。見たものを忘れろ。
 テオは言った。

「今の会話を、俺達も忘れよう、少佐。」

 ケツァル少佐も頷いた。

「スィ。承知しました、ドクトル。」


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...