2022/07/10

第7部 ミーヤ      1

  テオにあてがわれた部屋には窓があった。だから夜が明けて太陽が顔を出す頃になると、窓から光が差し込んで来た。睡眠時間は3、4時間だけだったが、テオは目覚めた。ホテルではないので部屋に洗面所もトイレもない。彼は廊下に出てみた。殺風景な廊下だった。そこに警備班の兵士が1人立っていた。テオの為の立番だと理解した。

「ブエノス・ディアス。」

 挨拶すると向こうも返事をくれた。テオがトイレの場所を尋ねると案内してくれ、用事を終えて出て来ると、まだ待っていた。そして食堂へ連れて行ってくれた。テオが本部内を彷徨かないように監視の意味もあるのだろう。
 カウンターで食事を受け取って適当に空席に場所を取ると、間もなく知った顔が現れた。マハルダ・デネロス少尉だ。彼女はテオに気がつくと、びっくりして目を見張った。そして食事を受け取ると彼の隣に来た。

「ブエノス・ディアス、どうしてここにいらっしゃるんですか?」
「ブエノス・ディアス、アンドレが来たら聞いてくれないか?」

 そこへアンドレ・ギャラガも現れた。着替えてさっぱりした顔をしていたので、昨日の服装のままのテオはちょっと羨ましかった。彼がデネロスと反対側に座ったので、テオは文句を言ってみた。

「君だけシャワーを使えたのか?」
「済みません、つい習慣で・・・」

 デネロスがクスクス笑った。

「汗臭いと怒る先輩が部屋にいるんですよ。」

 そして彼女はギャラガの顔を見た。それでギャラガは彼女に”心話”で状況を説明した。そう言うことね、と彼女が呟いた。

「少佐と大尉にも伝えて良いかしら?」
「大丈夫。中尉はまだカブラロカ?」

 中尉は勿論アスルのことだ。デネロスが頷いた。

「ンゲマ准教授は遂に洞窟に入って、サラの完璧な遺跡を確認したそうよ。」
「そいつはおめでとうって言わなきゃ。」

とテオが言ったので、彼等は静かにコーヒーで祝杯を上げた。

「それで、まだ調査の方は終わっていないんですか?」

 デネロスの質問にテオはまだと答えた。

「今日、これからアンドレと俺はアーロン・カタラーニを連れてミーヤの国境検問所へ行く。そこで調査団が帰国するのを待つんだ。」
「相手が向こうの政府軍だとややこしいですね。」

 ギャラガが囁いた。

「攻撃を受けない限り、調査団のバスが国境の向こうにいる間は絶対に手を出すなと副司令に言われています。」
「貴方の力が大きいからよ。」

とデネロスが言った。

「ちょっと加勢する目的で気を放ったつもりでも、グラダ族の攻撃力は大きいの。爆裂波を迫撃砲の攻撃と間違えられては国際問題になりますからね。」
「そんな軽はずみなことはしないぞ。」

 デネロス相手だとギャラガもお気楽に対等の口を利いた。オフィスでの勤務中は先輩として彼女を立てているが、同じ少尉同士だし、軍歴はギャラガの方が長い。能力の使い方も理解してくると教わることも減って来ているのだ。テオは2人が軽い諍いを始める前にまとめにかかった。

「ケサダ教授とダニエル・パストルが上手く相手を出し抜いてくれることを祈ろう。敵がオレ達が出会った3人だけだと良いが・・・」
「アランバルリはこちらで尋問されるようです。」

とギャラガが言った。

「私達が隣国の将校を誘拐してしまったことになるので、情報を引き出した後は記憶を抜いて戻すでしょうが。」
「”シエロ”にそんなことが出来るの?」

とデネロスが心配そうに眉を顰めた。

「どの程度”シエロ”の能力があるのか、まだはっきりしないんだ。」

とテオは言った。

「それをこれから尋問するんだろう。」

 尋問担当者は誰だろう、と彼は思った。恐らく指導師の資格を持てる上級将校だろうが。


第7部 誘拐      10

  テオが己の身体の無事を確認して衣服を身につけたすぐ後に、救護室にトーコ中佐が現れた。真夜中なのに出動か、と思ったが、以前ケツァル少佐から副司令官は2人いて交代で24時間業務に能っていると聞いたことを思い出した。テオが「こんばんは」と挨拶すると、中佐は頷いた。

「意外な展開になって驚いています。」

と彼は言った。テオも同意した。

「俺もです。ハエノキ村の住民の遺伝子を調査しに行ったのに、護衛の政府軍に”シエロ”の末裔がいるとは予想だにしませんでした。」
「本当に一族の末裔なのか確認がまだですが、ギャラガ少尉の報告では”操心”と夜目が使えると言うことですから、恐らく末裔なのでしょう。しかし”心話”を使わないと言うのは意外です。我々の能力で血が薄まっても最後まで残るのが”心話”と”夜目”です。”心話”なしで”操心”が使えるとは聞いたことがない。」

 トーコ中佐はカーテンの向こうのカタラーニをチラリと見た。カタラーニはまだギャラガの”操心”にかけられて眠ったままだった。それでも中佐はテオに場所を替えましょうと提案した。
 2人は救護室を出て、廊下を歩いていった。深夜だった。静まり返っているが、それが時間の故か普段からそうなのかテオにはわからなかった。

「訓練の邪魔をしてしまいましたね。」

と彼が話しかけると、トーコ中佐がちょっと微笑した。

「彼等は勤務が終わって少し遊んでいたのです。遊びと言っても、民間人が見れば訓練に見えるでしょうが・・・」

 つまり、文化保護担当部の「鬼ごっこ」や「隠れん坊」みたいなものか、とテオは想像した。
 トーコ中佐がテオを案内したのは、意外にも食堂だった。広い部屋に長いテーブルがいくつか置かれ、微かにチキンスープに似た匂いが空中に残っていた。交代時間ではなかったので、誰もいない。テオは夕食がまだだったことを思い出した。途端に腹がグーっと鳴った。中佐がクスリと笑い、奥の厨房と思しき方向へ声をかけた。

「誰かいるか?」
「スィ。」

 若い男性がカウンターの向こうで顔を出した。中佐が彼に命じた。

「こちらの客人に何かお出ししてくれ。」

 テオは慌てて口を出してしまった。

「アンドレ・ギャラガもまだ食べていないんです。」
「では2人前用意します。」

 若者が奥へ引っ込んだ。中佐がまた笑った。

「貴方が友達思いの方だとよく噂をお聞きします。」
「彼のお陰で命拾いしました。」
「彼も貴方に助けられたと言っています。」

 中佐がポケットから毒矢を出した。タオルで巻いてあったのを広げ、矢を眺めた。

「1世紀前まで狩猟民が使っていたものです。近代になって狩猟が禁止されたり制限されると使われなくなりました。セルバだけでなく中米地域全体の傾向です。銃が広がりましたからね。しかし都会から離れた場所で密猟者が使うことはあります。」
「カブラロカ近くで俺を射たペドロ・コボスは猟師でした。彼が吹き矢を使っていたのは納得いきます。しかし政府の正規軍の兵士が使っていたことは奇妙です。」
「兵士が吹き矢を所持していたことは奇妙ですが、一介の猟師が貴方を狙ったことも奇妙です。」

 そこへアンドレ・ギャラガが入って来た。

「お呼びでしょうか?」

 中佐に”感応”で呼ばれたのだ。トーコ中佐はカウンターを顎で指した。

「ドクトルと君の夕食だ。こちらへ持って来い。」

 ギャラガはハッとして厨房へ目を遣った。丁度先刻の厨房係が二つのトレイにパンとスープを載せてカウンターに置くところだった。ギャラガは少し頬を赤くして、カウンターに足速に近づき、二つのトレイを受け取った。
 テーブルに来たギャラガに、トーコ中佐が座れ、と命じた。そして食べるように2人を促した。
 パンとスープだけの質素な食事だが、スープの中は野菜や肉がたっぷり入った具沢山だったので、テオは満足した。味付けも良かった。

「アランバルリ少佐は助かりそうですか?」

 テオが尋ねると、中佐とギャラガは頷いた。ギャラガが説明した。

「指導師が毒を消しました。今は眠らせて空き部屋に寝かせてあります。」
「ことの詳細をあの男から聞き出すことにしよう。」

 トーコ中佐が呟いた。テオは隣国に残して来た調査団の仲間の安否が気になった。

「ケサダ教授やボッシ事務官、コックと運転手の身が心配です。」
「外務省のロペス少佐にボッシ事務官と大至急連絡を取るように言ってあります。ミーヤの国境を越えれば問題ないでしょう。国境警備隊には既に連絡済みです。」
「コックのパストルは”シエロ”ですね? 教授も・・・」
「承知しています。」

 トーコ中佐がフィデル・ケサダの正体を知っているかどうか不明だったが、テオはそれ以上は言えなかった。ギャラガを見ると、少尉も食べ物に視線を向けていた。

「2人共民間人ですが、ケサダはマスケゴ族の族長の身内です。パストルはロペスの推薦で調査団に入りました。どちらも戦い方は知っている筈です。」

 トーコ中佐は立ち上がった。

「ドクトルにはお部屋を用意させましょう。明日、ミーヤへ行かれますか?」
「スィ、行きたいです。仲間が無事にセルバに戻って来るのを迎えたい。」
「では、学生君も一緒にお連れします。ミーヤに到着する迄は彼に眠っていてもらいますが。」
「わかりました。」

 中佐は頷き、それからギャラガに視線を向けた。

「ギャラガ少尉・・・」
「はい!」

 ギャラガが慌てて立ち上がった。中佐が言った。

「能力の使い方がかなり上達したな。ドクトルと学生をよく守った。」
「グラシャス・・・」

 ギャラガが耳まで赤くなった。

「ケツァル少佐と先輩方の導きのお陰です。」
「どんなに指導者が優れていても、実践で能力を発揮出来るのは本人の才能次第だ。君は立派なグラダだ。もっと胸を張って良いぞ。」

 ギャラガは敬礼で応えた。中佐も敬礼し、それからテオに「おやすみ」と言って食堂から出て行った。
 椅子に戻ったギャラガにテオは感想を言った。

「凄く貫禄あるのに優しい上官だな。」
「副司令官はお2人共素晴らしい方々です。」
「司令官はどうなんだ?」

 するとギャラガは困った表情になった。

「私はまだお会いしたことがありません。司令官に直接面会出来るのは司令部のごく一部の将校だけなのです。」




第7部 誘拐      9

 「少佐!」

 突然右方向から声をかけられた。テオが思わず振り向くと、暗がりの中に人影が見えた。2人だ。彼が足を止めた瞬間、ギャラガが言った。

「アーロンの体を掴んで、早く!」

 テオは考える暇もなく目の前でアランバルリ少佐に背負われているアーロン・カタラーニの腕を掴んだ。アランバルリに彼もくっつく様なポーズになったと思ったら、ギャラガが息をつく暇もなく続けた。

「走れ!」

 走った、と思った瞬間、体が夜の闇よりも暗い空間に吸い込まれる感触がした。空間移動だ、とテオは思った。思った直後に体が地面に落ちた。
 地面だろうか? 
 目が電灯の照明で少し眩んだ。真っ暗な場所からいきなり明るい場所に出たからだ。ググっと誰かの呻き声が聞こえた。

「ギャラガ少尉!」

 聞きなれない女性の声が聞こえた。テオは瞬きして、視力が戻ると周囲を見回した。
 10人ばかりの男女に取り囲まれていた。インディヘナとメスティーソと・・・全員カーキ色のTシャツと迷彩柄のボトム姿だ。軍人・・・?
 ギャラガがアランバルリとアーロン・カタラーニを押し退けて立ち上がった。

「大統領警護隊文化保護担当部所属アンドレ・ギャラガ少尉、緊急避難で”跳びました”!」

 敬礼して早口で語った彼に、取り囲んでいた男女はテオ達を見て、ギャラガを見た。1人が叫んだ。

「この隣国の軍人は吹き矢で射られているぞ!」

 テオはハッとした。夢中でアランバルリからカタラーニを引き剥がし、弟子の体に矢が刺さっていないか確かめた。その間に軍人達はアランバルリから矢を引き抜き、1人が傷口に手を当てた。

「血流を止める。誰か中和剤を持って来い! 指導師を呼べ!」

 アランバルリは口を大きく開き、酸素を求めて喘いでいた。筋肉が弛緩して呼吸困難に陥ったのだ。別の軍人が彼に人工呼吸を試みた。傷口に手を置いた軍人にギャラガが視線を合わせた。一瞬で”心話”による事情説明が行われた。

「わかった。」

とその男は言った。そしてまだそばに残っていた仲間に命じた。

「ドクトル・アルストとその学生を救護室に案内してくれ。念の為に2人にも傷がないか調べろ。」

 テオはやっと周囲を見回すことが出来た。リノニウムの床の体育館の様な場所だった。きっと大統領警護隊本部の訓練施設だ、と思った。アンドレ・ギャラガは敵から吹き矢で攻撃された瞬間に、一番安全と思われる場所へ”跳んで”逃げたのだ。
 こちらへ、と女性隊員に案内され、テオはまだ気絶したままのカタラーニを背負って別室へ向かった。隊員がカタラーニを見て、怪我をしているのかと尋ねたので、彼は首を振った。

「ギャラガ少尉が救出しやすいように”ティエラ”の彼を眠らせたんだ。」

 成る程、と隊員は納得した。
 救護室は体育館のすぐそばで、質素なベッドが数台並んでいた。訓練中に負傷する隊員が出た場合の応急手当をする場所だろう。医師らしき人はおらず、隊員はテオがカタラーニをベッドに下ろすと、彼の服を脱がすようにと言った。

「カーテンを閉めますから、ドクトルが学生さんの体をチェックして下さい。」
「わかった。終わったら、俺自身の体も見るから、少し時間がかかるぞ。」
「承知しています。少しでも異常があれば呼んで下さい。」

 体育館の中が気になった。大統領警護隊の本部内は静かで、瀕死の人間がいるにも関わらず騒ぎになっていない。
 恐らくアランバルリの部下は上官と捕虜が姿を消したことに気が付き、先回りして教会前広場へ近づくのを張っていたのだ。吹き矢でギャラガを狙ったが、ギャラガが運良く空間通路の”入り口”がすぐ目の前にあるのを発見して跳び込んだので、矢は彼の後ろに続く形で動いたアランバルリに命中してしまった。紙一重の差でギャラガ、カタラーニ、テオは毒矢から逃れたのだ。
 
 連中は目の前で俺たちが消えたので、腰を抜かしているんじゃないか?

 テオは想像してみた。少し愉快だったが、隣国に残してきた調査団の仲間を思い出し、また新たな心配が生じた。彼等は無事だろうか。ケサダ教授1人に任せてしまうのは酷ではないのか。


2022/07/08

第7部 誘拐      8

 アランバルリ少佐のテントには歩哨がいなかった。野営地の中なので安全だと思っているのだ。武器を持たない村人が襲って来るとも思っていない。悪党にしては間が抜けているとテオは思った。
 ギャラガが囁いた。

「私が中に入ってアーロンを救出します。貴方は外で邪魔が入らないよう見張って下さい。もし誰かがテントに近づいて来る様なら、口笛を吹いて・・・」
「鳥真似は出来ない。ピッと一瞬鳴らすだけで良いか?」
「結構です。」

 2人はそっとテントに忍び寄った。横手に木箱がいくつか積み上げられていた。テオは中身は何だろうと気になったが、開いて見る暇はなかった。木箱の後ろに身を隠し、ギャラガが堂々とテントに入って行くのを見守った。
 ギャラガに渡された小型拳銃を握る手が汗ばんだ。以前もこんな経験をした。ロホが反政府ゲリラ”赤い森”に捕まった時だ。先にテオが誘拐され、ロホは彼の救出に成功したが今度は己が捕まってしまい重傷を負わされた。テオはロホを探しに来たケツァル少佐とカルロ・ステファンと出会い、3人でロホを救出する為にゲリラのキャンプに戻ったのだ。”赤い森”にはミックスの”シエロ”ディエゴ・カンパロがいた。ステファンが囮となってカンパロと一味をひきつけ、その間に少佐とテオが少佐の”幻視”を使ってロホを助け出した。3、4年前の話だが、もう遠い昔の様だ。テオは少佐が”幻視”を使って見張りの前を歩いて行くのを物陰から見守った。あの時の緊張感と同じだ。ギャラガを信じているが、自分がいざと言う時に動けるだろうかと緊張するのだ。
 物凄く長い時間が経った気がしたが、実際は10分足らずだったろう。テントから男が2人出て来た。1人は背中に大きな荷物を背負っていた。彼等は藪に向かって歩き出し、ギャラガが囁いた。

「ドクトル・・・」
「スィ」

 テオは立ち上がり、そっと彼等の後ろについた。先頭はギャラガだ。すぐわかった。真ん中は、驚いたことにアランバルリ少佐だ。そして背負われているのはアーロン・カタラーニだ。ギャラガは”操心”を使って、敵の大将を「誘拐」したのだ。
 カタラーニは静かだった。もう縛られていないから、ギャラガが逃走し易いように彼を眠らせているのだ、とテオは悟った。
 何だか凄いものを見ている、とテオは気がついた。
 アンドレ・ギャラガはほんの少し前まで”心話”さえ使えない落ちこぼれ”シエロ”だったのだ。それが上官達や先輩達に「信用」と言う大切な贈り物をもらい、メキメキと超能力の使い方を習得していった。”操心”と”連結”の区別がまだ未熟だと先輩に注意を受けていたばかりなのに、今、テオの目の前で見事に使いこなしている。しかも”シエロ”同士では使えないと考えられている”操心”でアランバルリを操っているのだ。

 そう言えばケサダ教授もアランバルリと側近2人に同時に”操心”と”連結”をかけて記憶を消した。彼は純血種だが、ミックスのアンドレもやるじゃないか! やっぱりグラダの血は凄い!!

 畑から村に出た。教会前広場まであと少しだ。 

第7部 誘拐      7

 テオは忍耐強くギャラガを待っていた。絶対に安心とは言えないが、もしギャラガが見つかれば野営地に騒ぎが起きる筈だ。しかし兵士達は暢んびりしており、翌日セルバ人の護衛が終われば基地へ帰れると喜んでいた。彼等は田舎から軍隊に入った男達でありながら、この国境に近い寂れた村での勤務は嫌な様子だった。退屈なのだ。遊ぶ場所が全くない。飲み屋もない。女と遊ぶ店もなかった。
 テオが藪蚊に閉口しかけた頃にやっとギャラガが戻って来た。ギャラガがフッと息を吹くと藪蚊はいなくなった。
 テオはギャラガが正面にしゃがみ込むのを待った。

「アーロンはまだ生きています。」

とギャラガは最初にそう報告した。

「どんな状態かわかりませんが、アランバルリのテントにいる様です。」
「誘拐の目的は?」
「連中はセルバ人なら自分達と同じ力を持っているだろうと言う推測だけで彼を攫った様です。私は白人に見えるので排除対象となったのです。」
「つまり、連中は”シエロ”の正しい知識を持っていないのか。」
「その様です。同じ力を持つ仲間を集めて何かをしようと企んでいると思われます。」
「連中の数は?」
「私が聞いた限りでは3人です。少佐と側近が2人。結界を張っていませんでしたし、私の気を感じ取ることもなかったです。」

 テオは考え込んだ。3人だけで何をしようとしているのか。”操心”で兵隊を配下に置いてクーデターでも起こすのか? アランバルリが前大統領派で、投獄されている昔の仲間を救出するつもりだとしたら?
 ギャラガは野営地の様子をチラリと伺ってから、再び報告の続きを語った。

「今日の昼間の出来事を彼等は記憶していません。と言うか、記憶を抜かれたことを気がついているのですが、誰に抜かれたのか覚えていない様子です。しかし、教授が純血種であることはわかっていますから、疑っています。」

 テオは頷いた。

「教授も正体がバレたと悔やんでいる。彼はバスを結界で守って、”幻視”で俺達がいる様に見せかけて明日国境を越える計画だ。」
「成功を信じます。」

 ギャラガが微笑んだ。
 2人は薮の中を通り、ギャラガが立ち聞きした大きなテント迄歩いて行った。月明かりだけだから、テオは足元が見えなかった。慎重に物音を立てずに歩くと時間がかかったが、仕方がない。ギャラガも彼が夜目を使えない普通の人間だと承知しているから、少し前を先導し、躓きそうな障害物があれば立ち止まって、下を指差した。彼が微かに放出している気のお陰で虫や蛇に出会わずに済んだ。2人は野営地から聞こえて来る人の話声や物音に何度も耳を傾け、自分達の存在が気づかれていないことを確かめた。
 テントのそばに到着した時は夜が更けていた。テオは空腹を忘れていた。テントの中の灯りに男が2人座っている影が見えた。どちらも時々手を動かしたり、立ち上がったりしていたから、カタラーニではないだろう。男達の影の足元の荷物の様な物が捕虜に違いない。カタラーニは転がされているのだ。他のテントに軟禁されていないのであれば、だが。
 やがて影の一つが敬礼して、テントから出た。別のテントへ歩いて行く。残った影は足元の物体に声をかけた。

「水をやるから大人しくしていろ。声を出したら殺すぞ。」

 アランバルリの声だった。彼は床の上の捕虜を起こし、水筒を持って頭部へ近づけた。猿轡を外された捕虜が水を貪り飲むシルエットが見えた。
 水を飲み終わると、捕虜は再び猿轡を嵌められ、床に転がされた。
 アランバルリが灯りを消した。

  

2022/07/06

第7部 誘拐      6

  水を入れたポリタンクを載せたカートを押して、ケサダ教授はバスに戻って行った。テオがギャラガを見ると、若い大統領警護隊の隊員は足首に隠していた小型拳銃を盗られていなかったことを確認していた。アランバルリの一味は彼が軍人だとは想像していなかったのだ。白人を吹き矢で射殺してそれで終わり、と安直に考えたのだろう。
 テオとギャラガはトウモロコシ畑の中の道を行き、部隊の野営地へ向かった。辺りは薄暗くなって、村の家家の灯りが見えた。軍の野営地はすぐにわかった。初日に見た様に30人ほどの部隊だ。その中の何人が”シエロ”の末裔なのかわからないが、彼等はセルバ人が殺害されたり誘拐されたと言う騒ぎが起きたら、反政府ゲリラの仕業と決めつけるつもりでいるのだろう。セルバ側からの反撃を警戒もしないで、暢んびり夕食を取っていた。
 夜目が効くギャラガがテオを木陰に誘導した。己の小型拳銃をテオに渡した。

「”幻視”を使って野営地の中に入ってみます。結界を張っているように見えませんが、どこまで入れるか調べて戻って来ます。」

 ギャラガは、自分1人で十分やれる、とは言わなかった。常に2人1組で行動せよと言う教えを真面目に守っていた。カタラーニを見つけて救出するのは2人で行う、と彼は考えていた。それはテオとはぐれてはいけないと言う思いもあったのだ。彼は失敗を取り戻す為にがむしゃらに頑張るタイプではなかった。失敗すれば、その原因を考え、より用心深くなるタイプだ。カタラーニとテオは”ティエラ”で、彼は1人で守らねばならない。しかしテオが非戦闘員であるにも関わらず非常に頼りになる男だと理解していた。だから、テオを安全圏に置いて自分1人で行動することの方が不安だったのだ。
 テオはギャラガの提案を了承した。

「連中が結界を張れる力を持っていると思えないが、用心するに越したことはない。特にアランバルリ少佐には気をつけろ。」

 敵の”シエロ”の末裔の人数が不明なのが気がかりだったが、ギャラガは静かに野営地へ入って行った。テオはそっと木の影から様子を伺っていた。
 ギャラガは最初物陰から物陰へと移動していたが、途中で近くを通った兵士が彼に気づかなかったので、今度は堂々とテントの間を歩いて行った。ぶつからないように、音を立てないように、用心したのはその2点だった。
 兵士達はリラックスしていた。セルバ人の調査団が明朝帰ると聞いて、国境までの護衛をすれば基地に帰れると話していた。指揮官の少佐やその側近達と思われる兵士は彼等が食事を取る場にいなかった。ギャラガはどの兵士からも”ヴェルデ・シエロ”の気を感じなかった。
 ギャラガはテントに戻ろうとした兵士を1人捕まえた。一瞬姿を現し、相手の目を見て命令した。

「アランバルリ少佐のところへ案内しろ。」

 兵士がくるりと背を向けて歩き出したので、ギャラガは急いで”幻視”を再開した。周囲を確認して、他に彼の姿を見た者がいないと判断した。
 ”操心”にかけられた兵士は野営地の中をスタスタと歩いて行った。途中で彼の同僚が声をかけたが、彼は「少佐のところへ行くんだ」と応えただけだった。
 やがて一回り大きなテントの前に来た。兵士が中に入ってしまえば面倒なことになる。ギャラガは兵士に近づき、耳元で囁いた。

「任務完了。戻ってよろしい。」

 素早く身を遠ざけると、兵士はハッと夢から覚めた様な顔になった。目の前のテントを見て、周囲を見回し、首を傾げた。そして上官から絡まれる前にイソイソと立ち去った。
 ギャラガは忍足で大きなテントに近づいた。彼の優れた聴覚を持つ耳に、テントの中の会話が聞こえた。

「セルバ人だからと言って、みんなが同じ力を持っているとは限らないようだ。」
「こいつはただの人間です、少佐。どうしましょうか?」
「我々のことを知られてしまった。生きて帰す訳にはいかん。」

 ギャラガはドキリとした。こいつらは”操心”を使える筈だ。カタラーニの記憶を消して帰せば良いだろうに。アランバルリの声が続けた。

「白人の若造を君は毒矢で殺してしまった。この若造の記憶を消すだけでは騒動を消せないだろう。」

 3人目の声が聞こえた。

「君が白人を殺したりするから、そろそろセルバ人が死体を見つけて騒ぎ出すぞ。」
「あの白人は兵隊みたいな気配を持っていた。軍隊上がりだろう。抵抗されて騒ぎになるといけないから、殺した。セルバ人は村外れの猟師の家族の仕業だと思うんじゃないか。ペドロ・コボスはセルバ人に殺されたから、兄貴が弟の仇を討ったと考えるだろう。」
「いずれにせよ、そろそろ死体を誰かが見つけて騒ぎ出す。ここへ通報に来るのも時間の問題だ。」

 するとアランバルリが言った。

「この若造は人質として生かしておく。あのセルバ人の調査団の中に我々の昼間の記憶を消した人間がいるのは確かだ。」

 ギャラガは緊張した。しかし気を発する訳にいかない。彼は心を無にして会話を聞くことだけに神経を注いだ。
 アランバルリが呟いた。

「インディヘナの男がいたな・・・教授と呼ばれていた・・・」

 ギャラガはそっとテントから離れ、素早く近くの藪に入った。そして葉音を立てずにテオが隠れている場所へと走った。



2022/07/05

第7部 誘拐      5

  2分もするとアンドレ・ギャラガは煉瓦作りの井戸枠にもたれて座れる程に回復した。ケサダ教授が新鮮な水を汲んで与えると、彼は少しずつ飲み下した。井戸の周囲を見回ったテオは何も手がかりを得られずに2人の側に戻った。

「アンドレ、アーロンを攫った連中を見たか?」
「顔は見ていません。しかし、軍服を着ていました。人数は不明です。」
「アーロンは声を出さなかったんだな・・・」
「私がいきなり倒れたので、彼は駆け寄ろうとして、それから立ち止まりました。恐らく・・・銃を向けられたのだと思います。」
「君には吹き矢で、アーロンには銃か・・・」

 ギャラガは知らない人が見れば白人だと思うだろう。アーロン・カタラーニはメスティーソだ。アランバルリの一味は、多分誰が超能力者なのか判別出来ずに、「白人」のギャラガを殺してメスティーソのカタラーニを攫うことにしたのだ。もしかすると、昼間もテオと村長を殺害してボッシ事務官とケサダ教授を攫うつもりだったのかも知れない。
 政府の正規軍が外国政府から公式に調査の為にやって来た科学者を殺害したり誘拐したりすれば、外交問題になる。敢えてするのなら、それは自国政府に対する反乱ではないか。

「アランバルリはクーデターを計画しているんじゃないか?」
「しかし、何の為に我々を襲うのです?」

 と問いかけてから、ギャラガは自分で答えを思いついた。

「同じ力を持つもの同士で協力しろと?」

 教授が肩をすくめた。外国人にクーデターの片棒を担がせるなど、馬鹿げている。それも銃で脅して・・・。
 ギャラガが立ち上がった。腕や脚を振って筋力の回復を確かめている。
 テオはケサダ教授に言った。

「俺はこれからアンドレと共にカタラーニを助けに行きます。」

 反対されるかと思ったが、教授は黙って彼を見返しただけだった。

「教授は”幻視”か何かで事務官達に俺達が一緒にいると思わせておいてくれませんか。そして明日の朝、予定通りに帰国の途について欲しいんです。連中は調査団が騒ぎもせずに出発するのを不審に思って様子を伺いに来るでしょう。連中がバスに気を取られている間に、俺達はカタラーニを探します。」

 ギャラガを見た。相談も何もしなかったが、ギャラガはテオの提案に同意を示して頷いた。

「私は軍人です。背中を射られるなんて不名誉なしくじりです。しかも友人を奪われるなど、あってはならない失敗をしました。自分の名誉回復を二の次にしても、カタラーニを取り戻したいです。ドクトルは私が守ります。もう失敗は許されません。」

 ケサダ教授はテオとギャラガを交互に見比べた。

「確かに、私は民間人で、軍事行動に参加すべきではないな。」

と彼は呟いた。

「パストルの手も借りることになるでしょうが、国境を越える迄人々の目を誤魔化すのは容易いことです。ついでにバスを結界に取り込んでおきましょう。連中が一族の末裔であるなら、バスに触れない筈です。無理に押し入ろうとすれば脳をやられる。」
「もし銃撃されたら・・・」

 ギャラガの心配に、教授が微笑で応えた。

「大統領警護隊だけが守護者ではない、エル・パハロ・ブロンコ。」

 大先輩の能力を心配してしまったギャラガは赤面した。
 テオは彼が十分動けるまでに回復したと判断した。それで教授に言った。

「カタラーニを救出してバスを追いかけます。」

 教授も言った。

「ミーヤの国境検問所で待っている。あそこには一族の警備兵が大勢いるから、もし追手が来ても問題はない。」

 

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...