2023/12/26

第10部  穢れの森     4

  早朝のジャングルは空気が冷たかった。湿度は高く、テオは不快に思ったが、”ヴェルデ・シエロ”達の手前、我慢して黙っていた。特にキロス中尉には軟弱な白人だと思われたくなかった。幸い羽虫や危険な小動物は”ヴェルデ・シエロ”の気配を感じ取るとさっさと遠ざかってしまったので、それらに煩わされることはなかった。
 イスマエル・コロンの遺骨が発見された現場までは簡単に行けた。コロンを探したセルバ野生生物保護協会の会員達や遺体発見の通報を受けた憲兵隊が現場へ行ったので、道筋が出来ていた。踏み固められた地面をそのまま歩くと、半時間と少しで現場に到着した。
 踏み荒らされた地面と多くの人間がいた痕跡があった。ジャングルの中なので犯罪現場を示す黄色い規制線テープはなかったが、テオは土を掘った跡を数カ所見つけた。きっと泥に埋まった骨を掘り出したのだ。
 いつもは陽気で気丈なデネロス少尉が、気分が悪くなったのか、仲間から少し離れて藪の中に入った。ゲーっと音が聞こえ、ケツァル少佐とキロス中尉は顔を見合わせ、互いに肩をすくめ合った。テオは耳を澄ましてみたが、死者の声らしきものは聞こえなかった。

「何か見えるかい?」

と尋ねると、少佐も中尉も「ノ」と答えた。

「非業の死を遂げたからと言って、霊が残っているとは限りません。」

と少佐が言った。
 キロス中尉は現場をさらに範囲を広げて円形に歩き出した。犯人の痕跡を探しているのだ。勿論憲兵隊も行った筈だ。
 デネロス少尉が戻ってきた。罰が悪そうに上官に謝罪した。

「申し訳ありませんでした。死体が動物に食い荒らされている様を想像した途端に、胃がでんぐり返った様な気分になって・・・」
「慣れないものだから、仕方ありません。」

と少佐が部下を励ました。

「もっとも、こんなことに慣れてしまうような犯罪に出会したくありませんけどね。」

 その時、キロス中尉が茂みの向こうから声を掛けてきた。

「ケツァル少佐、ちょっと来て頂けませんか?」

2023/12/25

第10部  穢れの森     3

  ベテランの空間移動って、凄い! とテオは心から感動した。キロス中尉は仲間を空中に放り出すことなく、上下重なって出ることもなく、綺麗に入った順に目的地に”着地”した。
 出た場所はアンティオワカ遺跡と思われる石組と草木のちょっと開けた所だった。キロス中尉は慎重に持参した拳銃を構えて周囲の安全をチェックした。本来はアサルトライフルを持って来たかったのだが、”入り口”が住宅街にあったので、ライフルを持ち歩く訳にいかなかったのだ。デネロス少尉もサッと目視で安全確認した。そして最後に現れたケツァル少佐に確認した。

「ここがアンティオワカ遺跡ですね?」
「スィ。」

 ケツァル少佐はキロス中尉とデネロス少尉に頷いて見せた。テオは以前麻薬密売組織の倉庫代わりに使われたと言われる石の建造物を眺めた。何処に隠したのか知らないが、湿度が高い土地だから、白い粉は湿気ていたのではないだろうか、と要らぬ想像をした。
 少佐が西の方角を指した。

「憲兵隊はあの方向へ殺人現場捜査に入りました。我々も彼方へ行きましょう。」
「ロホ達を待つんじゃないのか?」

 テオの質問に彼女は首を振った。

「自動車部隊は食糧調達を済ませてからここへ来ます。我々はここをベースキャンプにしますから、夕方には戻って来ます。」
「憲兵隊はもう引き上げたのですか?」

とデネロス。その質問にはキロス中尉が答えた。

「彼等がジャングルの中で何日も過ごす筈がないじゃないか。死体発見現場を確認して付近をちょっと探してみただけで、一日で撤退したんだ。」

 ジャングルの中で長時間滞在出来ない軍人達をちょっと軽蔑する声音が入っていた。憲兵隊は都会で任務に就いていることが多く、ジャングルで働くのは滅多にない。本格的にジャングルで活動する時は陸軍特殊部隊が同行するのが、セルバ共和国軍の常だった。それは今や絶滅危惧種みたいになった反政府ゲリラを警戒するためだ。人数が減ったと言っても、ゲリラはまだ存在する。ほとんど野盗になっているが。
 大統領警護隊はジャングルでの軍事演習を頻繁に行うし、所謂超能力者である彼等は単独でも大勢の敵と戦える。キロス中尉にはその自信と誇りがあった。ケツァル少佐はそんな若い中尉の慢心をちょっと危険だと感じたが、黙っていた。他の部署の部下だし、軍人を多く輩出している名門の家系の出だ。たまには失敗しても構わないだろう。命の危険がない限りは。
 彼女は腕を振って、出発の合図を出した。

2023/12/24

第10部  穢れの森     2

 翌朝、テオはケツァル少佐とサン・ペドロ通り3丁目にあった”入り口”前に行った。以前アンティオワカ付近に行ける”入り口”はテオの前の家の近くにあったのだが、今度は少し移動していた。住宅地の中なので、空間通路に入る時は人目につかないよう用心が必要だ。2人は迷彩柄の上下を着ていた。テオもすっかり軍人仕様だ。ジャングルの中を動くのだから、動きやすい服装で行く。2人が到着して数分後にはデネロス少尉とキロス中尉が現れた。デネロスは官舎からで、キロスは実家からだが、何故か一緒に来た。

「本部出入りの食品会社の車で送ってもらって・・・」

とデネロスが説明した。

「キロス中尉のお家がたまたま途中にあったので、中尉も拾って来ました。」

 キロスは黙って挨拶の敬礼をしただけだった。照れ臭いのだ。それに白人の前でガールフレンドの世話になったと言いたくないのだろう。彼等も迷彩柄の上下だった。少佐と同じリュックサックだから、これは大統領警護隊の支給品だろう。
 彼等は入り口の前に立った。テオには見えないが、”ヴェルデ・シエロ”達には空間の穴が見えているのだ。

「先導をキロス中尉にお願いします。」

と少佐が言った。空間通路を通る先導は難しい。後続の仲間をはぐれないよう導かなければならないし、通路を出た途端に敵と遭遇する危険性もある。また、とんでもない場所、例えば崖っぷちとか下水道の中に出てしまう可能性もあった。ケツァル少佐は先導が上手ではない。彼女はいつも後続の仲間を空中に放り出したり、前後上下逆に出してしまったりするのだ。だから、彼女はキロス中尉に依頼した。ブーカ族は空間通路の使用が上手だ。それに中尉はよく通路を利用して出張する。
 キロス中尉は敬礼で承った、と答えた。少佐がデネロスに彼と手を繋ぐよう命じた。そして反対側の手をテオに掴ませ、彼女自身はテオの空いている手を掴んだ。

「では、行きます。」

とキロス中尉が軽い調子で言った。いかにも通路使用のベテランの口調だった。
 

2023/12/22

第10部  穢れの森     1

  週末、金曜日の夕刻、業務を終えたロホ、アスル、ギャラガ少尉の3人は1台の車で一足先に南部に向けて出発した。テオは彼等が車で出かけた理由がわからなかった。彼はケツァル少佐、デネロス少尉、それにキロス中尉と4人で空間通路を通ってアンティオワカ遺跡の近くへ行くことになっていたが、それは土曜日の早朝の約束だった。

「万が一、空間通路が使えなくなった時の足の確保です。」

と少佐が教えた。

「無理矢理詰め込めば7人乗れないことはないでしょう。」

 多分、ロホの中古のビートルではなく、大統領警備隊のジープで行ったのだろう、とテオは想像した。官舎に住んでいるギャラガ少尉が借用申請でも出したに違いない。
 旅の装備は簡単だった。少佐はいつもの軍務用リュックサックに必要最低限の物しか入れない。テオも見習って、自分用に買ってもらったリュックサックに下着とTシャツを3枚、検体採取用の容器を入れた保温箱、救急用品少々、それに携行食糧。水筒も忘れずに入れた。大統領警護隊みたいに水分を採取出来る植物を見分ける自信がなかった。
 少佐が虫除けスプレーをくれたので驚いた。”ヴェルデ・シエロ”がそばにいれば必要ないのだが。

「誤魔化しが必要な場合もあるやも知れません。」

と少佐が用心を説いた。

「貴方も他人の前でうっかり死者の声が聞こえたなどと言わないように。」
「聴きたくても聞けない時があるさ。」

 テオは霊媒師ではない。たまに死霊の声らしきものが聞こえるだけで、会話は出来ないし、話を聞き取ることも出来ない。しかし、死者の霊を見ることが出来ても声を聞けない”ヴェルデ・シエロ”達には妙にあてにされていた。特に、ケツァル少佐は幽霊が嫌いだ。襲ってくる悪霊は平気なのに、無害な、ただそこにいるだけの亡霊が嫌いなのだった。

「サバンが生きていれば何も見なくて済むだろう。彼の無事を祈ろう。」

 テオは少佐を励ました。

2023/12/21

第10部  依頼人     19

  ケツァル少佐は翌日、いつもの様に文化・教育省のオフィスで仕事をしていた時に、恩師ケサダ教授から呼び出しを受けた。珍しく電話をもらって、同じビルの1階で営業しているカフェ・デ・オラスに出向いた。
 教授は授業をどうしたのだろうと思いつつ店に入ると、奥のテーブルで彼がコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。少佐は店のスタッフにコーヒーを注文し、教授のテーブルへ行った。

「ブエノス・ディアス。ご要件は?」

 教授が手で座れと合図した。少佐は素直に座った。教授が義父ムリリョ博士の家に”砂の民”が出入りしているとの情報をくれたのだ。恐らくそれに関する後報告だろうと思った。
 教授が黙って読んでいた新聞をテーブルの上に置いて、彼女の方へ向きを変えた。少佐はその記事を見た。
 セルバ野生生物保護協会の会員がジャングルで殺害され、憲兵隊が捜査に乗り出すと言う記事だった。

「ドクトル・アルストが骨の鑑定をしたことは知っていますね?」

と教授が尋ねた。少佐は「スィ」と肯定した。

「セルバ野生生物保護協会にとって、悲しい事件になりました。」
「もう一人行方不明になっていると書かれています。」
「オラシオ・サバン、恐らくブーカ族だと思われます。」
「ブーカ族です。」

とケサダ教授は言い切った。

「だから、義父とその手下達が動き始めました。コロン氏を殺害した者がサバンも害したとあの人達は考えています。」
「私も同じ考えです。それで・・・」

 少佐は囁いた。

「アンティオワカの遺跡の巡回に、次の週末、部下達と行ってきます。憲兵隊に遺跡を荒らされたくないので。」

 勿論、それは世間体の言い訳だ。教授が微かに心配そうな目をした。

「犯人探しは貴女と部下の仕事ではない。」
「承知しています。私達はサバンを探しに行きます。それ以上のことはしません。」
「本当にそうかな?」

 教授は意味深にはっきり微笑して見せた。

「義父が現場へ行くことはないと思うが、用心なさい。サバンが犯罪の被害者となっていると考えると、犯人は我々のことを知っているかも知れません。」


2023/12/20

第10部  依頼人     18

  テオが初めてキロス中尉と出会ったのは、もう5年も前になる。カルロ・ステファン大尉の暗殺計画を阻止するためにオルガ・グランデの地下へ行き、そこでイェンテ・グラダ村の生き残りの老人の悪事を止めた。帰りはテオもステファンもケツァル少佐も満身創痍の状態でふらふらになりながら坑道を上がって行った。そして一足先に救援要請で本部に戻ったロホから事情を知った司令部が、救援に差し向けたのが、キロス中尉と僚友達だった。
 あの頃のキロス中尉はまだ都会育ちのおぼっちゃまから抜け切れないで、能力の使い方も基本しか出来なかった。それでいて白人や多種族の人間からは上位に見られようと、気を張っていた。ちょっと鼻持ちならない若造だった。
 しかし、テオは彼と出会う度に、このブーカ族の軍人の家系出身の若者が少しずつ軟化していることを感じていた。恐らく、指導者であるセプルベダ少佐の人柄の影響が大きいのだ。セプルベダ少佐と個人的に話をした経験はなかったが、話を聞く限り、彼は大きな器の軍人の様だ。己の足りない点を素直に認め、部下にそれを伝えることを恥としない。部下達の個別の能力を尊重し、彼等の失敗を咎めずに、原因を考えさせ、改良させるのだ。ファビオ・キロス中尉は能力的には優秀に違いない。きっと少佐は彼に人間としての考え方、行いを指導しているのだ、とテオは感じていた。
 キロス中尉は2人1組で行動する場合、ミックスのステファン大尉か、力が弱いグワマナ族のエミリオ・デルガド少尉と組むことが多い。ステファンはグラダ族で、白人のミックスだが力は純血ブーカ族より大きい。だが時々己の能力を制御し切れなくて問題に直面することがある。キロスはそれをカバーする。デルガドは威力が弱くても正確に能力を使用出来る。キロスはそれを補助する。助け合ってこそ強い敵と戦える、それをセプルベダ少佐は彼に学ばせているのだろう。
 
「白人の護衛は不本意かも知れないが、よろしく頼む。」

 テオが声をかけると、キロス中尉は真面目な顔で返した。

「セルバ国民を守るのが私の仕事です。肌の色は関係ありません。」

 アスルが揶揄った。

「教科書通りの返事だな。」

 ケツァル少佐がビールのジョッキを手に取った。

「料理が来ました。乾杯して始めましょう!」


2023/12/19

第10部  依頼人     17

  テオが”ヴェルデ・シエロ”と自分達”ティエラ”、即ち普通の人間の違いを感じるのは、こんな場合だ。
 「死体を探す」と聞いて、彼とテーブルを同じくする友人達が目を輝かせた。女性のデネロスもその一人で、期待を込めた目でケツァル少佐を見た。テオは彼女の交際相手のキロス中尉をそっと覗いてみた。客人の中尉は退くかと思ったが、やはり彼も”ヴェルデ・シエロ”だった。興味津々と言った顔で部署違いの上官を見たのだ。

「死体を捜索するのですか?」

 少佐がキロス中尉の目を見た。”心話”だ。一瞬にして情報伝達が行われる、”ヴェルデ・シエロ”が”ヴェルデ・シエロ”である最低必要条件だ。「おう・・・」とキロスが呟いた。

「それは確かに犯罪の匂いがしますね。」
「犯罪捜査は遊撃班の十八番だな。」

とアスル。誘うのかと思いきや、

「だが、セプルベダ少佐から指示がなければ君は動けまい。」
「休暇中です。」

とデネロスが言った。

「働く必要はないわ。」
「しかし・・・」

 キロス中尉はジャングルへ行きたいのだ。ジャガー神である”ヴェルデ・シエロ”の血が騒ぐのだろう。
 テオは少佐に声を掛けた。

「俺も行って良いかな? 何か鑑定が必要なものを見つけたら、ラボに持ち帰らないと・・・」

 少佐がちょっと考え込んだ。死体が必ずあるとは限らない。もしかすると行方不明のセルバ野生生物保護協会員は、どこか別の場所に生きているのかも知れない。しかし、死体があれば・・・。彼女はテオを見た。

「一緒に来て下さい。」
「グラシャス。」

 テオはキロス中尉を見た。

「君達は軍事訓練で捜索活動をするだろうけど、俺はジャングルに不慣れだから、護衛が必要だ。キロス中尉をバイトで雇っても良いかな?」

 真面目なキロス中尉がムッとした。

「副業は認められない。」

 ロホが笑った。

「それならボランティアでドクトルの護衛を頼めるかな、中尉。」

 キロス中尉がロホを見た。そしてケツァル少佐を見た。少佐が面白そうに微笑んでいた。キロス中尉は座ったままで敬礼して、承諾を表した。


第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...