2024/01/04

第10部  穢れの森     10

  焚き火を囲んでの夕食はアスルお手製の鶏肉スープ、デネロス制作のポテトサラダだった。力仕事をした後だったのでケツァル少佐は遠慮なしにモリモリ食べた。テオもアスルのスープは大好物だったが、初めて同席するキロス中尉がどれだけ食べるのかわからなかったので、少しセイブした。ロホが別行動で行った国境の街ミーヤで仕入れてきた豆の缶詰を開け、各自のポテトサラダの上に少しずつ分けてくれた。

「噂に違わず、美味い。」

とキロス中尉がアスルのスープを誉めた。

「警備班時代に君と同期だった連中から聞いていた。」
「警備班時代は料理する暇なぞなかったぞ。」

とアスル。キロスがおべっかを言ったと言わんばかりに素気ない。キロス中尉は彼の敵意に気付かぬふりをした。

「野外訓練の時に君が飯当番をした話だ。手に入る少ない材料で美味い飯を作ったと聞いた。」
「それよりデルガド少尉やステファン大尉からの情報の方が新しいでしょう。」

とギャラガ少尉が2人の中尉の確執に鈍感なふりをして割り込んだ。

「デルガド少尉は休みを取る度にアスル先輩の家へ泊まりに来るから。」

 え?っと驚いたのはキロス中尉でなくテオの方だった。

「エミリオはそんなに頻繁にあの長屋へ来るのか?」
「スィ、図書館へ行ったり買い物をして、先輩の家で寝泊まりされてますよ。」
「無料で泊まれるからだ。」

とアスルがムスッとした表情で言った。

「俺が監視業務で家を空けていても平気で入り込んでいる。」

 テオは思わず笑った。デルガドに好きな時に来いと行ったのはテオだった。ケツァル少佐も笑った。

「それでは、いつまで経ってもアスルは女友達を家に呼べませんね。」
「そんな友達はいません。」

 アスルはすっかりむくれてしまい、鍋をおたまでかき回した。

「お代わりが欲しい人はいるか? いなけりゃ、俺が全部食うぞ。」


2024/01/03

第10部  穢れの森     9

  日暮れが近づく頃になって、テオとケツァル少佐はアンティオワカ遺跡のベースキャンプに戻った。2人共疲れていたが、焚き火の臭いとアスルが作るスープの匂いに、元気を取り戻した。焚き火のそばにいたのはアスルとデネロス少尉で、キロス中尉とギャラガ少尉は遺跡の見回りに出ていた。最後に加わったロホはテーブル代わりの石の上に広げた地図に印を書き込んでいた。
 いつもの様に少佐とテオに真っ先に気づいたデネロスが喜んで駆け寄ったが、すぐに何か嫌な物を察したのか、立ち止まり、それ以上近づくのを躊躇う様子を見せた。ケツァル少佐はすぐに部下の異変に気が付いた。

「私達に穢れが付いています。体を洗う迄近づかない様に。」

と彼女は部下達に宣言し、テオを促して足速にフランス発掘隊が見つけていた井戸へ向かった。リュックサックを下ろして、中に入れてあったペットボトルを取り出した。中身は液体ではなく土だった。それを地面に置くと、ロホがやって来た。宗教家の家系の出身らしくペットボトルの中身の正体を見抜いた。

「死体ですね?」
「スィ。焼かれて砕かれていました。」

 ケツァル少佐は異性に裸身を見られても気にしない人なのだが、彼女が服を脱ぎ出すと、ロホは慌てて背を向けた。テオも服を脱いだ。

「浄化出来るかい、ロホ?」
「これから害のある気は感じられません。多分、この”人”は亡くなった場所に留まったままです。でも一応お祓いをしておきます。」

 ロホはペットボトルを慎重に手に取って持ち去った。
 テオとケツァル少佐は井戸の冷たい水を浴びて、体から泥汚れを落とした。

2024/01/01

第10部  穢れの森     8

  ケツァル少佐が不快そうな顔で窪地を見つめた。テオもそこが不自然な場所だと感じた。窪地は長さ1メートル半ほど、幅が1メートルほど、草が生えているが、最近生えたと思われる背の高さだった。周囲の土地も平で、人が踏んだ跡にも思えた。
 少佐が携帯電話を出して、G P Sで位置を確認した。テオは彼女が否定してくれることを期待しながら尋ねた。

「ここに人が埋められているって言うんじゃないよな?」

 少佐はアサルトライフルの台尻で地面をつついてみた。

「周囲の他の場所より柔らかいですね。」

 そして彼女はテオが嗅ぎ取れない臭いを言った。

「油で何かを焼いた臭いが土の下から臭って来ます。」

 テオは周辺を見回した。スコップの代用になりそうな物は目に入らなかった。

「掘ってみるか?」
「スィ。でも慎重に掘りましょう。」

 少佐は荷物を下ろした。テオも下ろした。少佐が出したのは刃が広いナイフだった。

「私が掘りますから、貴方は周囲を警戒して下さい。少しでも変わった音が聞こえたら、教えて下さい。」

 テオはライフルを渡され、ドキリとした。拳銃は扱った経験があるが、アサルトライフルは初めてだ。毎日目にしていても実際に己の手に持つのは初経験だった。

「安全装置はかかっているんだろ?」
「密林を歩くのに、安全装置をかけていると思いますか?」

 言われて、腹を決めた。掛け紐を肩にかけ、構えた。少佐が手を添えて、持ち方を無言で指導してくれた。敵だと思ったら容赦無く撃て、と言うことだ。
 そして彼女は地面に両膝をついて、ナイフで慎重に窪みの土を掘り始めた。


2023/12/31

第10部  穢れの森     7

  テオとケツァル少佐が昼休憩をとっていた同じ頃、アンティオワカ遺跡の元フランス発掘隊ベースキャンプ跡地でデネロス少尉とキロス中尉はアスルとギャラガ少尉と合流して、やはり昼休憩を取っていた。大統領警護隊は普通密林での活動時、テントを張ったりしないのだが、雨季が近かったこともあり、フランス人達が平らに慣らしたキャンプサイトに休憩所を設置した。石壁と石壁の間にタープを張り、ジープを背面の壁代わりに置いた。テーブルや椅子はない。遺跡の石を動かしてはいけないのだが、フランス隊が残していった石材を転がして細やかにリビングを作った。目の前にはまだ広い空き地が残っていた。草が伸びていたが見通しは悪くない。
 デネロス少尉が元気にキャンプ地設営に動いたので、キロス中尉は安堵した。遺跡に戻る迄彼女は本当に元気がなかったのだ。
 "ヴェルデ・シエロ”は人々から神として崇められているが、決して穢れに弱い訳ではない。平気で屍を乗り越えて行く人間だ。しかし死の穢れを感じ取ることは出来る。不愉快で精神的に弱らせる気の波だ。大統領警護隊はそれを撥ね付ける訓練を受けるが、女性や繊細な者には時々厳しい試練になるらしい。デネロス少尉は「こんなことは初めてです」と言い訳したが、恐らく今迄古い遺跡ばかり巡っていて、新鮮な死の臭いを知らなかったのだ。
 ギャラガ少尉は先輩の異変にあまり気が付かなかった様だが、アスルは鋭く何かあったと察知した。”心話”を求めて来たので、キロス中尉は正直に森の奥で起きたことを伝えた。
 アスルは腕組みして、ギャラガ少尉と一緒にテント張りに励むデネロス少尉を見た。

「白人の血が混ざっているから、多くの人は彼女が敏感なレーダーを持っていると気が付かない。」

と後輩の兄貴を自負するアスルは言った。

「マハルダは多分軍人より巫女の仕事の方が合っていると俺は思っている。だが本人は軍務の方が好きなんだ。だから不快な臭いにも立ち向かおうとする。」
「今日のことに懲りて無茶はしないと思うが・・・」
「彼女が?」

 アスルは「わかっちゃいないな」と言いたげにキロス中尉を見た。

「マハルダは今日の失態を挽回しようと、また挑戦するさ。彼女はそう言う人間なんだ。」
「だが、敵が近くにいる時に、今朝の様な状態になるのは拙い。」
「だから、俺達はいつも2人組で行動することになっているんだろ?」

 単独行動が好きなアスルがキロス中尉を睨んだ。

「無関心のふりをして、気にかけておいてやるんだ。彼女が負い目を感じない程度にカバーしてやれ。それが出来ないなら、俺は君を彼女のパートナーとして認めないぞ。」

 いきなりな女性の「身内」からの通告だ。キロス中尉はもう少しで怯みそうになった。アスルの中のジャガーが牙を剥いたことを察したからだ。アスルは同じ部署の「妹」を守ろうとしている。同じ大統領警護隊の仲間でも容赦しない。だがキロス中尉だって引き下がる訳にいかなかった。デネロス少尉を狙うライバルは多いのだ。

「私は彼女が私より劣っているとは思わない。守るのではなく、支え合う自信がある。」

 一瞬男同士の間で火花が散った様に思えた。しかしその緊張もデネロスの声で吹き飛んだ。

「ちょっと! そこの中尉殿2人! 早く手伝ってくれます? それとも少尉だけで力仕事をやれって言うんですか?!」


2023/12/29

第10部  穢れの森     6

  テオとケツァル少佐は森の中に歩を進めた。彼女がテオの為に気を放出して小動物を遠ざけたり、木の葉に体を擦り付けて音を立てても平気だったので、テオは尋ねた。

「犯人が現場に残っている筈はないとは思うが、存在を知られる行為をして大丈夫か?」
「平気です。」

 少佐はアサルトライフルを銃口を上に向けた姿勢で肩に掛けたまま歩いていた。

「向こうはサバンを殺害したと考えられるだろ。”シエロ”を殺せるのは”シエロ”だけじゃないか?」
「まるでセニョール・シショカみたいなことを言うのですね。」

と少佐がニコリともせずに言い返した。

「不意打ちを喰らえば、何者であろうと敵に倒されますよ。」

 そして続けた。

「サバンの正体を知った上で彼を殺害したのなら、敵は”シエロ”に対処する方法を知っています。だから、”シエロ”が追って来ていると教えてやるのです。向こうは防御体制に入るでしょう。敵が”シエロ”なら、その気配がわかります。気が動きますから。”ティエラ”なら、物音を立てます。どんなに用心深くても、人間が立てる音はわかります。」

 テオは彼女が戦闘モードに入っていることを悟った。こんな時は彼女の前に出たり、余計なことを話しかけない方が身のためだ。
 それから2人は黙って歩いた。少佐は臭いを辿って歩いたので、時々風向きが変わると立ち止まって方向を計算していた。テオはそっと携帯を出した。電波は届いていないが時刻は見えた。アンティオワカ遺跡を出発してから4時間経っていた。もう自動車部隊は遺跡に到着してベースキャンプを設置しているだろう。もしかするとデネロス少尉とキロス中尉に合流したかも知れない。
 やっと少佐が足を止めたのは、それから1時間後だった。2人は乾いた倒木を見つけて座り、携行食で昼食を取った。

「犯人はどんな人間だと思う? こんな森の奥で”シエロ”に敵対しても意味がないだろ?」
「どう言う意味ですか?」
「つまり、サバンが殺されたのは、偶然だったんじゃないのかな。何か犯罪を目撃してしまって、或いは犯罪が行われていると知らずに接近してしまって、犯人に消されたのでは?」
「こんな森の奥で犯罪ですか?」
「動物の密猟とか?」
「ああ・・・」

 ケツァル少佐が合点したと頷いた。彼女は遺跡の保護が任務で盗掘のことと麻薬犯罪のことしか考えていなかったのかも知れない。

「サバンもコロンも野生生物保護協会の会員でしたね。密猟者を見てしまったのかも知れません。」


2023/12/27

第10部  穢れの森     5

  ケツァル少佐だけでなく、テオもデネロス少尉も一緒にキロス中尉が立っている草むらへ行った。中尉が南西方向を指差した。

「あちらの方から嫌な臭いがするのですが、嗅ぎ取れますか?」

 テオは鼻をひくつかせてみた。湿った森の臭いしかしなかった。しかしケツァル少佐は微かに鼻に皺を寄せ不快感を示した。そしてデネロスに至っては、再び顔色を変えて仲間から離れた。もう胃は空っぽだと思えたが、オエーっと音がした。
 キロス中尉が心配そうに少尉が消えた草むらを見た。テオは言った。

「マハルダは勇敢だが、デリケートでもあるんだ。俺には嗅げない臭いを、彼女は凄く不快に感じるんだろう。」

 ケツァル少佐が言った。

「この臭いは死の臭いです。正常な亡くなり方をした人のものではなく、何者かによって強引に命を奪われて、さらに侮辱された人の臭いです。」

 キロス中尉も頷いた。

「以前、デランテロ・オクタカスの森の奥で、少年が己の家族を惨殺した事件がありました。少年は悪霊に憑依されて犯行に至ったのですが、その悪霊は大昔に裁判で有罪判決を下されて処刑された人間のものでした。恐らく本人には納得の行く判決ではなかったのでしょう。だから悪霊化したのです。憑依された少年から酷く嫌な臭いがしていました。悪霊の臭いだとわかりました。”ティエラ”や血が薄くなった一族の末裔には嗅げない臭いです。今、我々が嗅いでいる臭いは、まさにそんな臭いです。」

 テオは先刻まで自分達がいた、イスマエル・コロンの骨が発見された場所を振り返った。

「コロンの骨があった場所より、その臭いは酷いのか?」
「スィ。」

 キロス中尉はまたデネロスがいる方向を見た。恋人の様子が気になるのだ。

「コロンと言う男性が実際に殺害された場所から匂って来るのか、あるいはもう一人行方不明になっているサバンと言う男の臭いなのか、私にはわかりませんが、犯罪現場から漂って来ることに間違いありません。」
「サバンは”シエロ”でコロンは”ティエラ”だろ?」
「死の臭いは人種に関係ありません。」

 するとケツァル少佐が決断を下した。

「ドクトルと私はこの臭いを辿ってみます。キロス中尉、貴方はデネロス少尉とこの周辺をもう少し捜索して下さい。憲兵隊が見落とした物がまだあるかも知れません。」

 彼女は繊細な部下を犯罪現場に連れて行きたくないのだ。キロス中尉をデネロスと一緒に残すのは、決して2人が恋人同士だからではない。マハルダ・デネロスの神経質がもしマックスになってしまった時、鎮めることが出来るのは、”ティエラ”のテオではなく”シエロ”のキロス中尉の方だから。
 キロス中尉もそれを理解した。敬礼して指図を了承した。

2023/12/26

第10部  穢れの森     4

  早朝のジャングルは空気が冷たかった。湿度は高く、テオは不快に思ったが、”ヴェルデ・シエロ”達の手前、我慢して黙っていた。特にキロス中尉には軟弱な白人だと思われたくなかった。幸い羽虫や危険な小動物は”ヴェルデ・シエロ”の気配を感じ取るとさっさと遠ざかってしまったので、それらに煩わされることはなかった。
 イスマエル・コロンの遺骨が発見された現場までは簡単に行けた。コロンを探したセルバ野生生物保護協会の会員達や遺体発見の通報を受けた憲兵隊が現場へ行ったので、道筋が出来ていた。踏み固められた地面をそのまま歩くと、半時間と少しで現場に到着した。
 踏み荒らされた地面と多くの人間がいた痕跡があった。ジャングルの中なので犯罪現場を示す黄色い規制線テープはなかったが、テオは土を掘った跡を数カ所見つけた。きっと泥に埋まった骨を掘り出したのだ。
 いつもは陽気で気丈なデネロス少尉が、気分が悪くなったのか、仲間から少し離れて藪の中に入った。ゲーっと音が聞こえ、ケツァル少佐とキロス中尉は顔を見合わせ、互いに肩をすくめ合った。テオは耳を澄ましてみたが、死者の声らしきものは聞こえなかった。

「何か見えるかい?」

と尋ねると、少佐も中尉も「ノ」と答えた。

「非業の死を遂げたからと言って、霊が残っているとは限りません。」

と少佐が言った。
 キロス中尉は現場をさらに範囲を広げて円形に歩き出した。犯人の痕跡を探しているのだ。勿論憲兵隊も行った筈だ。
 デネロス少尉が戻ってきた。罰が悪そうに上官に謝罪した。

「申し訳ありませんでした。死体が動物に食い荒らされている様を想像した途端に、胃がでんぐり返った様な気分になって・・・」
「慣れないものだから、仕方ありません。」

と少佐が部下を励ました。

「もっとも、こんなことに慣れてしまうような犯罪に出会したくありませんけどね。」

 その時、キロス中尉が茂みの向こうから声を掛けてきた。

「ケツァル少佐、ちょっと来て頂けませんか?」

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...