2024/04/04

第10部  罪人        9

  セルバ野生生物保護協会のネコ科部門総責任者フローレンス・エルザ・ロバートソン動物学博士は、政府やスポンサー企業から出された援助金を、下部保護団体に出資したと帳簿に記載していた。しかし実際はその下部組織ミァウオンカと言う団体は、プンタ・マナのビル内に事務所を置いているだけで、何の活動もしていないことが判明した。活動していないどころか、部屋の管理をしている老人が一人いるだけで、団体員は一人もいない幽霊組織であることが、憲兵隊の捜査で判明した。
 ロバートソンは自分が設立したミァウオンカに援助していると偽り、資金を架空口座に振り込ませた後、自身の口座へ送金する手口で私腹を肥やしていたのだ。
 セルバ野生生物保護協会は今回の不祥事に衝撃を受け、当面の間活動休止を発表し、協会員全員の口座を調べる方針である。
 ロバートソンは横領の罪で取り調べを受けているが、容疑は固まっており、間も無く起訴される見込みである。彼女はアメリカ合衆国の市民権を持っているが、アメリカ大使館は憲兵隊から出された証拠書類を吟味し、彼女の罪状が揺るがないものと判断すれば、セルバ政府に彼女の身柄を拘束する権利があることを認めざるを得ないであろう。
 なお、ロバートソンには、先月発生したセルバ野生生物保護協会の協会員オラシオ・サバン氏とイスマエル・コロン氏が密猟者によって殺害された事件にも何らかの関与が疑われている。
       シエンシア・ディアリア誌 社会部編集長 ベアトリス・レンドイロ

 外国人による税金の詐取は、セルバ社会でちょっとした大事件だった。マスコミはまだ殺人事件とロバートソン博士の関係を確実なものとしていないが、憲兵隊は既にロバートソンがサバンとコロンに不正を知られそうになって密猟者の手で消させたと考えている。それが市井でも噂になって、暇な人間達の世間話の中心になっていた。

「これだけ噂になると、”砂の民”も手を出せませんね。」

とマハルダ・デネロスがテオに囁きかけた。 2人は大学のキャンパスでシエスタのお茶をしていた。デネロスにとっては久しぶりのスクーリングだ。ジャングルでの監視業務やオフィスでの書類仕事から解放されて勉学に励む1日は貴重だった。彼女は提出した言語学のレポートを教授と共に2時間かけて検証し、やっと合格をもらって、一息ついていた。

「先に逮捕された密猟者のエンリケ・テナンはロバートソンの顔も名前も知らないと思うが、コーエン少尉はどうやって2人の関係性を解明するのかな。」

 テオが呟くと、デネロスは首を傾げた。

「それは私達の知ったこっちゃないです。憲兵隊の捜査力の見せ所でしょう。コーエン少尉は世間を納得させなきゃいけませんから、超能力は使えません。」
「そうだな・・・俺達が関与する余地はないもんな・・・」

 テオはちょっと寂しく感じた。もう少し役に立ってみたかったのだが・・・。


2024/03/31

第10部  罪人        8

  憲兵隊に逮捕されたエンリケ・テナンは仲間5人全員が死んだことを知らなかった。少なくともミーヤやプンタ・マナで死んだ3人は呪いで死んだと思っている様だが、残りの2人はまだどこかに隠れているか逃げていると思っていた。そして彼は密猟者グループに指示を出していたボスの存在も正体も知らないと言い張った。

「計画は従兄弟のトーベが立てていた。トーベはまだ逃げている。あいつを捕まえて聞いてくれ!」

 そのトーベ何某は既に死んでいたのだ。グラダ・シティのオフィス街で車に跳ねられて。マルク・コーエン少尉はちょっと考えて、それから新聞社にガセネタを提供した。

ーー密猟者エンリケ・テナンは司法取引でグループに指示を出していた黒幕の正体を語ることを承知したと思われる。

「承知した」と断言していない。新聞社は「思われる」と言う文言を載せることに難色を示したが、憲兵隊に押し切られた。
 その記事をトップに載せた新聞が販売された日の午後、憲兵隊に司法警察から連絡が入った。

ーーセルバ野生生物保護協会のロバートソン博士が荷物をまとめてアパートを引き払った。

 コーエン少尉は直ぐに部下に指示を出した。グラダ・シティ国際空港でロバートソン博士を足止めせよ、と。警察には博士の尾行を指示した。もし博士が陸路や港湾へ向かう様なら直ぐに連絡をくれと。
 逮捕劇はその夜に終了した。フローレンス・エルザ・ロバートソン博士は空港でネットで購入した航空券を提示して搭乗手続きを行なっている最中に憲兵隊に声をかけられた。彼女は同行を請われ、一旦断ったが、セルバ野生生物保護協会の資金横領容疑だと告げられると急に脱力して官憲の指示に従った。
 セルバの憲兵隊は緊急配備以外夜間に働くことをしない。コーエン少尉はロバートソン博士の取り調べを翌朝に行うと決め、彼女を留置場に入れた。ロバートソン博士はアメリカ人で、大使館に連絡してくれと要求した。

「明日の取り調べで貴女に弁護士が必要とわかれば、大使館にも連絡しますよ。」

とコーエン少尉は意地悪く言って、扉を閉めた。

2024/03/29

第10部  罪人        7

  好奇心の強い人間は何処にでもいるもので、テオの遺伝子工学の一番弟子で新学期から講師の仕事をもらったアーロン・カタラーニが、死体の写真を撮影しに憲兵隊グラダ・シティ南部基地に出かけて行った。 ”ヴェルデ・シエロ”とは無関係の殺人事件の死体の身元確認作業なので、テオは、作業を研究室の仕事として、憲兵隊にも生物学部長にも報告しておいた。手間賃は憲兵隊から取れないが、研究の必要経費として多少は出してもらえる。
 作業は翌日の朝から開始した。カタラーニがデジタルカメラからパソコンに写真を落とし、骨格を計算で算出する。顔面は鼻骨以外骨折していなかったのでなんとか使えた。若い研究生達が2人でC Gで肉付けしていった。カタラーニは憲兵隊からもらった手配書のコピーをパソコンに取り込み、復元した顔と比較できるように設定した。

「鼻の部分が欠損しちゃったので完璧と言えませんが、90%の確率で死体と手配書の密猟者は同一人物と言って良いでしょうね。」

 カタラーニはテオに薦められて自分で憲兵隊に電話した。テオは遺伝子鑑定が専門だから、復顔の依頼が増えても困ると思い、仕事の成果を弟子に譲ったのだ。カタラーニは遺伝子学者の卵だが法医学に興味があるので、今回の仕事にノリノリだった。まぁ、彼は何時もテオの仕事を手伝うことにノリノリな若者なのだが。
 密猟者6人のうち4人が”砂の民”に粛清され、1人が粛清から逃れようとして想定外の事件で命を落とした。最後の男は憲兵隊に逮捕され、現在勾留中だ。憲兵隊のコーエン少尉は”砂の民”は法律を犯してまでして官憲が捕らえた囚人を殺しはしないと言った。

「あの人達は、一族を守ることが仕事です。あまり不審な死が続けば、却って良くない結果をもたらすと理解しているでしょう。」

とケツァル少佐も言った。

「捕まっているテナンはジャガーが人間に変化したと言う証言を取り消したそうです。人間をジャガーと見誤って射殺したことに証言を変えました。」
「もっともボスの正体は喋らないし、サバンとコロンの殺害が初めから意図的なものだったのかも言わないんだろ?」
「そうです。もし密猟の元締めが大きな組織と関わりがあれば、”砂の民”とは別の人間がテナンを狙うでしょうね。」


2024/03/28

第10部  罪人        6

 ーー馬鹿なことを言うな!

とアスルが電話の向こうで怒鳴った。大きな声で能力の話が出来るのだから、どこか誰もいない場所にいるのだ。

ーー会ったこともない人間の過去へ跳ぶなんて俺はやらない。第一、そいつがいつどこにいたのかわからないんだろ? そんなの、エネルギーの無駄だ。

 言われてみればその通りで、電話をかけたテオもそばで聞き耳を立てていたギャラガもしょんぼりした。

「殺された男と手配書の男が同一人物なのか判明させるだけなんだがなぁ・・・」

 テオが思わず呟くと、スマートフォンの中のアスルが意地悪い表情で提案した。

ーーそれなら、復顔すりゃいいだろ?
「復顔?」

 テオが繰り返すと、ギャラガの方はゲゲっと声を出した。

「死体の肉を溶かして骨だけにして粘土で肉付けしていく、あの方法ですか?」

 テオもドラマで見たことがあった。既に骨になっているのであれば、それも可能だが、まだ死んだばかりで肉がついている人間の頭部を骨にするのはどうも・・・と思っていると、アスルがテオより科学者らしい意見を口にした。

ーー死体のD N Aか顔写真からC Gで顔を二次元再生したらどうだ? あんたならその程度の技術は使えるだろう?
「ああ!」

 テオは理解した。ギャラガはまだポカンとしている。

「やってみる。貴重な提案を有り難う、アスル!」

 アスルはフンと言って先に電話を切った。
 テオはギャラガを振り返った。

「死体の写真を撮影しに行くよ。どこにあるんだい?」




2024/03/27

第10部  罪人        5

  テオが大学の講義を終えて研究室に戻ると、室内に無断で入っていた客が立ち上がって挨拶した。

「ブエノス・ディアス、ドクトル。勝手にお邪魔しています。」

 敬礼しながら言うので、テオは吹き出した。

「ブエノス・ディアス、アンドレ。君なら構わないけど、他の人だったら俺は大声を出した方が良いだろうな。」

 テオは自分の机の上に書籍や学生から集めた答案用紙などを置いた。テストではなくちょっとした授業内容に関するアンケートを取ったのだ。
 ギャラガ少尉が小瓶を二人の間にある細長いテーブルの上に置いた。このテーブルは学生達が助手を務めるときに使う「何でもテーブル」だ。お茶を飲むにも書類を書くにも使われるので、普段は何も置いていない。
 テオは小瓶の中の不気味な物体を見た。

「肉片に見えるが・・・」
「スィ。死体から切り取った皮膚です。」

 テオが顔を顰めるのも意に介せずに、ギャラガは港で男が密航を企てて船乗りに見つかり、私刑を受けて死んだことを話した。

「・・・それで、手配書の密猟者と同じ場所に痣があったので、ムンギア中尉が文化保護担当部に連絡をくれたのです。ただ、死体の顔が殴られて原型をとどめていると言い難かったので、鑑定して頂こうと持って来た次第で・・・」
「鑑定しようにも、比較する元の遺伝子がないと無理だよ。」

 個体の遺伝子鑑定の原則が未だに周知されていないことをテオは忌々しく感じた。毎日付き合っているギャラガでさえこうなのだ。ギャラガはちょっとがっかりした様な顔をした。

「こいつが宿泊していた場所がわかれば良いんですがね・・・」
「過去を見られる人間がいればな・・・」

 テオはふと思いつき、ギャラガを見た。ギャラガも彼を見た。二人とも同じ人物を思い出したのだ。


2024/03/24

第10部  罪人        4

  ”砂の民”のエクは獲物が2人になったことを考えていた。一人は憲兵隊に囚われ、迂闊に近づけない。憲兵隊にも一族の人間がいるに違いないし、彼が手を出せばその一族の憲兵は腹を立てる筈だ。今のところ捕まった獲物は目撃した内容について喋った様子がない。喋ったのかも知れないが、信じてもらえないのだろう。ジャガーを撃ったら人間になったなんて、信じる方がおかしい。
 最後の男はまだ見つからない。しかしグラダ・シティに来ていることは確かだ。エクの手下が獲物がバスに乗るのを見たし、途中で下車して行くところなどあるだろうか。国内ならどこへ逃げても隠れても”ヴェルデ・シエロ”の呪いは追ってくるのだ。
 エクはふと気がついた。

 グラダ・シティにも港がある。それも外国へ行く大型船がいる港だ・・・

 彼は港湾施設に向かって歩き始めた。もし獲物が貨物船に潜り込んだら厄介だ。密航者はたまにいる。船が一旦大西洋に出て行くと戻ってこない。往復の燃料代がバカにならないから。

 逃してしまえば、俺自身の心の中の汚点になる。

 誰からも評価されない仕事だが、”ヴェルデ・シエロ”は誇り高い民族だ。エクは獲物に逃げられることを恐れた。
 彼は徒歩で港に向かったので、アンドレ・ギャラガ少尉が大統領警護隊の公用車で彼を追い越した時、まだ市街から出ていなかった。
 ギャラガはメキシコ行きの小型貨物船が停泊している埠頭に車を乗り入れた。そこには既に憲兵隊の車が一台と司法警察のパトロールカーが1台停まっていた。ギャラガが車を停めて下車すると、彼が会ったことがある憲兵が近づいて来た。

「お疲れ様です、ギャラガ少尉。」

と憲兵から声をかけて来た。ギャラガは敬礼して応えた。

「そちらこそ、お疲れ様です、ムンギア中尉。」

 ムンギア中尉はグラダ・シティの憲兵隊南部基地に所属する憲兵で、主に海岸地域の治安を担当していたので、海が好きで休日は海岸で過ごすギャラガとは知り合いだった。

「殺人事件だと聞きましたが、文化保護担当部に関わりがあるのですか?」

とギャラガが尋ねると、ムンギア中尉は首を振った。

「ノ、盗掘品に関係はないです。ただ、死人がプンタ・マナの憲兵隊基地から手配書が回って来ていた密猟者と似ているので・・・」

 彼はちょっと言い淀んだ。

「つまり、少尉は最近彼方へ行かれて密猟者が遺跡を荒らした事件を調査されていたと聞いたので・・・」

 ひどく遠回しの言い方だが、ギャラガは聡い男だ。憲兵が言いたいことをなんとなく察した。

「私は密猟者達と面識はありません。でも死人が手配書の写真と似ているかどうか、見てみましょう。」

 中尉がホッとした表情になったのが可笑しかった。大統領警護隊に叱られるかも知れないと不安だったのだ。彼等はシートが掛けられた死体に向かって歩き出した。

「殺人だと聞きましたが?」
「加害者達は殺すつもりはなかったんだと言ってます。よくあることでして、船の中に潜んでいた密航者を船乗り達が見つけて袋叩きにするんですよ。そして海に投げ込む。」
「そして死なせてしまった?」
「スィ。」

 警察官が場所を開けてシートの前に憲兵と大統領警護隊を案内した。別の警察官がシートを捲った。死体の顔は殴られて腫れ上がり、ギャラガの知らない男に見えた。

「顔を殴らないで欲しかった。」

とギャラガが呟くと、ムンギア中尉も同意した。

「左頬の痣が手配書の写真の男と同じなんです。だから、そうじゃないかな・・・と。」

 ギャラガは溜息をついた。

「私にはなんとも言えません。友人のドクトルにD N A鑑定を頼みましょうか。」

 

2024/03/20

第10部  罪人        3

  セルバ野生生物保護協会のロバートソン博士を「嘘泣き女」呼ばわりしたケツァル少佐にテオはちょっと驚いた。

「・・・だけど、君は彼女がサバンかコロンのどちらかを愛していたんじゃないか、って言ったじゃないか。」
「言いました。でも・・・」

 少佐は肩をすくめた。

「あの時は彼女が酷く憔悴して見えたので、そう思っただけです。彼女は埋葬の時、ハンカチを目元に当てていましたが、泣いていませんでした。」
「目を赤く腫らしていたぞ?」

とテオが指摘すると、彼女は首を振った。

「寝不足だったのではありませんか?」
「はぁ?」
「密猟者達が次々と死んだり捕まったりで、次は自分の番ではないかと不安なのでしょう。」
「まさか・・・」

 テオは他の仲間を見た。ロホが肩をすくめて見せた。

「あの博士は結構気が強い女性の様です。しかし、死んだ協会員に外部の人が触れると、急に涙ぐんだり心配だと饒舌になる様ですね。」
「お芝居ね。」

とデネロスが決めつけた。

「セルバ野生生物保護協会って、ボランティア組織みたいなもので、お役所や普通の会社みたいに協会員が毎日出勤して顔を合わせる訳ではないでしょう? 私の大学の学友にも協会に登録している人がいますが、全然事務所に顔を出さない人もいるし、お給料も交通費程度しか出ないって言ってました。だから、ロカ・エテルナ社が援助資金を出しているって、今聞いて、私は変だなと思っているんですけどぉ?」
「それじゃ、援助金は何に使われているんだ?」

とアスル。

「動物の餌代か?」

第11部  神殿        23

  一般のセルバ共和国国民は神殿の中で起きた事件について、何も知らない。そんな事件があったことすら知らない。彼等の多くは”ヴェルデ・シエロ”はまだどこかに生きていると思っているが、自分達のすぐ近くで世俗的な欲望で争っているなんて、想像すらしないのだった。  テオは、大神官代理ロア...